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大衆の生活に関心をよせ、活動方法に注意せよ

          (一九三四年一月二十七日)

 同志諸君が討議のなかで、あまり注意をはらわなかった問題が三つある。わたしはそれをとりあげてのべろ必要があるとおもう。
 第一の問題は、大衆の生活についての問題である。
 われわれの現在の中心任務は、広範な大衆を動員して革命戦争に参加させ、革命戦争によって帝国主義と国民党をうちたおし、革命を全国におしひろめ、帝国主義を中国から追いだすことである。この中心任務を軽視するなら、だれであろうとりっぱな革命の活動家とはいえない。もし、われわれの同志がこの中心任務をほんとうによくつかみ、どうしても革命を全国におしひろめなければならないことを理解しているならば、われわれは広範な大衆の切実な利益にかんする問題、大衆の生活の問題を、少しでもおろそかにしたり、軽視したりはしないはずである。なぜなら、革命戦争は大衆の戦争であり、大衆を動員してはじめて戦争ができるのであり、大衆にたよってはじめて戦争ができるからである。
 われわれが、ただ人民を戦争に動員するだけで、ほかの活動を少しもやらないとしたら、敵にうち勝つという目的をはたすことができるだろうか。もちろんできない。われわれが勝とうとおもうなら、どうしてもそのほかに多くの活動をしなければならない。農民の土地闘争を指導して土地を農民にわけること、農民の労働意欲をたかめて農業の生産をふやすこと、労働者の利益を保障すること、協同組合をつくること、対外貿易を発展させること、大衆の衣服の問題、食事の問題、家の問題、たきぎや米や油や塩の問題、病気や衛生の問題、婚姻の問題を解決すること、要するに、大衆の生活のすべての実際問題は、みなわれわれが気をくばらなければならない問題である。われわれが、こうした問題に気をくばり、それを解決し、大衆の要求をみたしたならば、われわれはほんとうに大衆の生活の組織者となるし、大衆はほんとうにわれわれのまわりにあつまってきて、われわれを心から支持するようになる。同志諸君、そのとき、われわれが大衆によびかけて革命戦争に参加させることができるだろうか。できる。それは完全にできることである。
 われわれの活動家たちのあいだには、かつてつぎのような状況がみられた。かれらはただ赤軍の拡大、輸送隊の拡充、土地税の徴収、公債の売りさばきを口にするだけで、そのほかのことになると、口にもしなければかまいもせず、すべてのことをほったらかしにさえした。たとえば、かつてある期間、汀州《ティンチョウ》市政府は、赤軍の拡大と輸送隊の動員をはかるだけで、大衆の生活の問題は少しもかまわなかった。汀州市の大衆の問題とは、たきぎがないこと、資本家が塩をしまいこんだため塩が買えないこと、一部の大衆には住む家がないこと、米が不足しており、その値段もまた高いことであった。これらが汀州市の人民大衆の実際問題であり、かれらはわれわれの援助で解決することを心からのぞんでいた。だが、汀州市政府は少しもそれを討議しなかった。だから、そのころ、汀州市労農代表者会議が改選されてからあと、何回かひらかれた会議では、いつも赤軍の拡大と輸送隊の動員を討議するだけで、大衆の生活のことはぜんぜんかまわなかったので、百人あまりの代表者は、そのうち会議に出るのがいやになり、会議もひらけなくなってしまった。赤軍の拡大と輸送隊の動員はどうかというと、これも、そのために成績がほとんどあがらなかった。これが一つの状況である。
 同志諸君、諸君にくばった二つの模範的な郷についてのパンフレットは、諸君もおそらく読んだこととおもう。そこでは反対の状況がみられる。江西《チァンシー》省の長岡《チャンカン》郷〔1〕、福建省の才渓《ツァイシー》郷〔2〕ではなんと大幅に赤軍を拡大したことだろう。長岡郷の青壮年男女は、百人のうち八十人が赤軍に参加した。才渓郷では、百人のうち八十八人が赤軍に参加した。公債も非常によく売れ、長岡郷は全人口千五百人であるが、四千五百元の公債を消化した。そのほかの活動でも非常に大きな成果をあげた。どういうわけだろうか。いくつかの例をあげてみればわかるとおもう。長岡郷のある貧しい農民が火事で家をひと間半焼いたが、郷政府はすぐ、大衆が金を出しあってかれをたすけるように、はたらきかけた。また飯の食えないものが三人いたが、郷政府と共済会はただちに米をおくってかれらを救済した。昨年の夏の食糧不足のとき、郷政府は二百華里あまりはなれた公略《コンリュエ》県〔3〕から米を買ってきて大衆を救済した。才渓郷でもこうした活動が非常によくやられている。このような郷政府がほんとうの模範的な郷政府である。かれらのやりかたは汀州市の官僚主義的な指導のしかたとまったくちがう。われわれは汀州市のような官僚主義的な指導者に反対し、長岡郷、才渓郷にまなぼうではないか。
 わたしは、しんけんにつぎのことをこの大会に提案する。われわれは、土地、労働の問題からたきぎや米や油や塩の問題まで、大衆の生活の問題に深く気をくばらなければならない。婦人たちはすき、まぐわの使いかたをならいたがっているが、だれに教えさせたらよいだろうか。子どもたちは勉強したいといっているが、小学校をつくっただろうか。むかいの木の橋はせますぎて通行人が落ちるかもしれないから、なおす必要があるのではないだろうか。たくさんの人がおできができたり病気になったりしているが、なんとか方法はないだろうか。こうした大衆の生活上のすべての問題を自分の議事日程にのぼせなければならない。そして討議し、決定し、実行し、点検しなければならない。広範な大衆に、われわれはかれらの利益を代表するものであり、かれらと息がかよいあっているということを理解させなければならない。そして、かれらがこうしたことがらから出発して、われわれの提起したいっそう高い任務、すなわち革命戦争の任務を理解し、革命を支持し、革命を全国におしひろめ、われわれの政治的なよびかけをうけいれて、革命の勝利のために最後までたたかうようにしなければならない。長岡郷の大衆は、「共産党はほんとうによい。わしらのためにどんなことでも考えてくれる」といっている。模範的な長岡郷の活動家、尊敬すべき長岡郷の活動家たち! かれらは広範な大衆に心から愛されているし、戦争への動員というかれらのよびかけは広範な大衆から支持されている。大衆の支持をえようとするのか、大衆の全力を戦線にそそがせようとするのか、それなら、大衆と一つにならなければならないし、大衆の積極性をよびおこさなければならないし、大衆の痛いところかゆいところに手がとどくようにしなければならないし、心から大衆の利益をはかり、大衆の生産や生活の問題、塩の問題、米の問題、家の問題、着物の問題、お産の問題を解決し、大衆のすべての問題を解決しなければならない。われわれがそのようにしたなら、広範な大衆はかならず、われわれを支持し、革命を自分たちの生命とし、革命を自分たちのこのうえもない光栄な旗じるしとするようになる。国民党が赤色地域に攻めてくれば、広範な大衆は命をかけて国民党とたたかう。これは疑いのないところである。敵の一回目、二回目、三回目、四回目の「包囲討伐」はまぎれもなくわれわれに粉砕されたではないか。
 国民党はいま、堡塁政策〔4〕を実行し、さかんにトーチカを構築して、これをかれらの金城鉄壁だと考えている。同志諸君、これははたして金城鉄壁だろうか。けっしてそうではない。見たまえ、何千年らい、封建君主たちのあの城や宮殿は堅固ではなかったか。だが、大衆が立ちあがると、つぎつぎにつぶれてしまった。ロシアの皇帝は世界でもっとも凶悪な支配者であったが、プロレタリア階級と農民の革命がおきたのち、その皇帝というものはまだあっただろうか。なくなってしまった。金城鉄壁はどうか。つぶれてしまった。同志諸君、ほんとうの金城鉄壁とはなにか。それは大衆である。それは心から革命を支持する幾百万、幾千万の大衆である。これが、どんな力にもうちやぶられることのない、まったくうちやぶられることのない、ほんとうの金城鉄壁である。反革命はわれわれをうちやぶることはできないが、われわれは反革命をうちやぶるのだ。革命政府のまわりに幾百万、幾千万の大衆を結集して、われわれの革命戦争を発展させるなら、われわれはすべての反革命を消滅することができ、全中国を奪取することができる。
 第二の問題は、活動方法についての問題である。
 われわれは、革命戦争の指導者、組織者であるとともに、大衆の生活の指導者、組織者でもある。革命戦争を組織すること、大衆の生活を改善すること、これがわれわれの二大任務である。ここでは、活動方法という重大な問題がわれわれのまえにおかれている。われわれは、任務を提起するばかりでなく、任務を達成する方法の問題をも解決しなければならない。われわれの任務が川をわたることであるとすれば、橋か船がないとわたることはできない。橋か船の問題を解決しないかぎり、川をわたるということは空念仏におわってしまう。方法の問題を解決しないかぎり、任務もまたでまかせのおしゃべりにすぎない。赤軍を拡大することについての指導に気をくばらず、赤軍を拡大する方法について工夫をこらさなかったら、たとえ赤軍拡大を千遍となえてみたところで、やはり成功しない。その他の、たとえば土地点検活動、経済建設活動、文化教育活動、新解放区・周縁地区の活動などすべての活動についても、ただ任務を提起するだけで、実行するときの活動方法に注意しないなら、また官僚主義的な活動方法に反対して実際的で具体的な活動方法をとるようにしないなら、命令主義的な活動方法をすてて根気よく説得する活動方法をとるようにしないなら、どんな任務も達成できない。
 興国《シンクォ》県の同志たちが活動のなかでもっともすぐれた創造をしていることは、模範的な活動家として称賛にあたいする。おなじように、江西省東北部の同志たちもすぐれた創造をしており、かれらもまたおなじく模範的な活動家である。興国県や江西省東北部の同志たちは、大衆の生活と革命戦争とをむすびつけており、革命の活動方法の問題と革命の活動任務の問題とを同時に解決した。かれらはそこでしんけんに活動しており、かれらはそこで問題をきめ細かに解決しており、かれらは革命にたいしてほんとうに責任をおっており、かれらは革命戦争のよい組織者、指導者であるとともに、大衆の生活のすぐれた組織者、指導者でもある。そのほか、たとえば福建省の上杭《シャンハン》、長汀《チャンティン》、永定《ヨンティン》などの県の一部のところ、江西省南部の西江《シーチァン》その他のところ、湖南《フーナン》・江西辺区の茶陵《チャーリン》、永新《ヨンシン》、吉安《チーアン》などの県の一部のところ、湖南・湖北《フーペイ》・江西辺区の陽新《ヤンシン》県の一部のところ、それに江西省の多くの県の区や郷、さらに直属県瑞金《リイチン》など、それらのところの同志たちもみな先進的な活動をしており、おなじく、われわれの称賛にあたいする。
 われわれの指導するすべての地方には、疑いもなく、多くの積極的な幹部がいるし、大衆のなかからあらわれたりっぱな活動家がいる。これらの同志は、活動のよわい地方をたすけ、まだ活動のじょうずにやれない同志をたすけて活動がうまくやれるようにする責任をおっている。われわれは偉大な革命戦争に直面しており、われわれは敵の大規模な「包囲討伐」をつきやぶらなければならないし、革命を全国におしひろめなければならない。革命の活動家は全部がきわめて大きな責任をおっている。大会ののち、われわれはかならず地についたやり方でわれわれの活動を改善し、すすんだところはさらにいっそう前進し、おくれたところはすすんだところに追いつかなければならない。何千の長岡郷、何十の興国県をつくりださなければならない。これらがわれわれの強固な陣地である。こうした陣地を占拠したならば、われわれは、これらの陣地からうってでて、敵の「包囲討伐」をうちくだき、帝国主義と国民党の全国における支配をうちたおすことができるのである。




〔1〕 長岡郷は江西省興国県の郷の一つである。
〔2〕 才渓郷は福建省上杭県の郷の一つである。
〔3〕 公略県は当時の江西省赤色地域内の一つの県で、吉安県東南の東固鎮がその中心であった。赤軍第三軍軍長黄公略同志が一九三一年十月ここで戦死したので、かれを記念してこの県がもうけられた。
〔4〕 一九三三年七月、蒋介石は江西省盧山の軍事会議で、五回目の「包囲討伐」での新しい軍事戦術として、赤色地域の周囲にトーチカをきずくことを決定した。統計によると、一九三四年一月末までに、江西省にはトーチカが二千九百きずかれた。その後、日本侵略者が中国で八路軍、新四軍と戦ったときにも、蒋介石のこの堡塁政策を採用した。毛沢東同志の人民戦争にかんする戦略によれば、完全に、このような反革命の堡塁政策をうちやぶることができ、うち勝つことができる。これはすでに歴史の事実によって十分に証明されている。


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