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われわれの経済政策

          (一九三四年一月二十三日)

 もっとも恥知らずな国民党軍閥でなければ、自分の支配する地域では人民と国家を破産の瀬戸ぎわに追いやりながら、赤色地域がどんなにひどく荒廃しているかといったデマをまいにちのようにふりまくことはできるものではない。帝国主義と国民党の目的は、赤色地域を破壊し、前進しつつある赤色地域の経済建設活動を破壊し、すでに解放された何百何千万の労農民衆の福利を破壊することにある。そのため、かれらは武装力を組織して軍事上の「包囲討伐」をおこなっているばかりでなく、経済上でも残酷な封鎖政策をおこなっている。しかし、われわれは広範な大衆と赤軍を指導して、敵の「包囲討伐」を何回も撃破したばかりでなく、経済封鎖という敵の悪らつな計略をうちやぶるため、あらゆる可能な、また必要な経済建設をおこなっている。われわれのこの段どりも、いま、ちゃくちゃくと勝利をおさめている。
 われわれの経済政策の原則は、経済面でのあらゆる可能な、また必要な建設をすすめ、経済力を集中して戦争の需要をまかない、同時に民衆の生活の改善に力をつくし、経済面での労働者、農民の同盟を強化し、農民にたいするプロレタリア階級の指導を保障し、私営経済にたいする国営経済の指導をかちとり、将来、社会主義に発展するための前提をつくることにある。
 われわれの経済建設の中心は、農業生産の発展、工業生産の発展、対外貿易の発展、協同組合の発展をはかることにある。
 赤色地域での農業は、いま、あきらかに発展しつつある。一九三三年の農業生産は、一九三二年にくらべて、江西《チァンシー》省南部・福建《フーチェン》省西部地域では一五パーセント(一割五分)増加し、福建・淅江《チョーチァン》・江西辺区では二〇パーセント増加した。四川《スーチョワン》・陝西《シャンシー》辺区の農業もよい収穫をあげている。赤色地域がうちたてられた最初の一、二年、農業生産はとかく低下しがちであった〔1〕。ところが、土地分配によって土地所有権が確立し、そのうえに、われわれが生産を提唱したため、農民大衆の労働意欲は高まり、生産は回復の情勢にある。現在、一部の地方では、革命前の生産量を回復したばかりでなく、それを上回っている。また一部の地方では、革命の蜂起の過程で荒廃した土地を復旧させたばかりでなく、新しい土地を開拓した。多くの地方では、農村の労働力を調整するために労働互助社や耕田隊〔2〕を組織し、役牛不足の問題を解決するために役牛協同組合を組織している。同時に広範な婦人大衆も生産に参加するようになった。このようなことは、国民党の時代には、けっしてやりえないことであった。国民党の時代には、土地は地主のもので、農民は自分の力で土地を改良することをのぞまなかったし、またそうすることもできなかった。われわれが土地を農民に分配し、農民に生産を提唱し、奨励したことによって、はじめて農民大衆の労働意欲がわきあがり、生産面での偉大な勝利がかちとれたのである。ここで指摘しなければならないことは、当面の条件のもとでは、農業生産がわれわれの経済建設活動の第一位をしめており、それは、もっとも重要な食糧問題の解決に必要であるばかりでなく、衣類・砂糖・紙などの日用品の原料、すなわち綿花、麻、甘蔗《かんしょ》、竹などの供給の問題の解決にも必要である、ということである。森林の育成、家畜の増殖もまた農業の重要な部分である。小農経済の基礎のうえに、いくつかの重要な農作物についての一定の生産計画をたて、この計画のために努力するよう農民を動員することは、ゆるされることだし、また、やらなければならないことでもある。われわれは、この面でいっそうの注意と努力をはらわなければならない。農業生産に必要な条件での困難な問題、たとえば労働力、役牛、肥料、種子、水利などの問題については、それを解決できるよう、われわれは農民の指導に力をいれなければならない。ここでは、労働力を組織的に調整することと、婦人が生産に参加するようはたらきかけることが、農業生産の面でのわれわれのもっとも基本的な任務である。そして、労働互助社や耕田隊を組織すること、春の耕作や夏の耕作などの重要な季節に、農村の全民衆を動員し、うながすことは、労働力の問題を解決するための必要な方法である。農民のうちのかなりの部分(だいたい二五パーセント)が役牛に不足していることも大きな問題である。役牛協同組合を組織して、役牛をもたないすべての農家に、自発的に金をだしあって役牛を買い共同で使うようはたらきかけることは、われわれが心をそそがなければならないことである。水利は農業の命の綱である。われわれはこれにも、大いに心をそそがなければならない。もちろん、いまはまだ、国営農業や集団農業の問題は提起できないが、農業の発展をうながすために、各地に小規模な農事試験場をつくったり、農業研究学校や農産物展示所をもうけたりすることは、さしせまって必要なことである。
 敵の封鎖によって、われわれの物産の輸出が困難になった。赤色地域の多くの手工業生産はおとろえ、たばこ、紙などはそのもっともはなはだしいものである。だが、このような輸出の困難も、まったく克服できないものではない。広範な大衆の需要があるので、われわれ自身にも広範な市場がある。ます第一に自給のために、つぎには輸出のためにも、手工業と一部の工業を計画的に回復させ、発展させなければならない。この二年らい、とくに一九三三年の上半期いらい、われわれが心をそそぎはじめたために、また大衆の生産協同組合がだんだん発展してきたために、多くの手工業といくつかの工業が現在回復にむかいはじめている。そのうちでも重要なものは、たばこ、紙、タングステン鉱、樟脳《しょうのう》、農具、肥料(石灰など)である。また自分で綿布を織ったり、薬をつくったり、砂糖をつくったりすることも、いまの環境ではおろそかにできないことである。福建・淅江・江西辺区では、従来この地方に欠けていた一部の工業、たとえば製紙、織物、製糖などがいまではちゃんと発展しており、しかも成果をあげている。人びとは食塩の欠乏を解決するために、硝土から塩をとっている。工業を経営するには適切な計画が必要である。分散的な手工業の基礎のうえに、全般的な綿密な計画をたてることは、もちろん不可能である。だが、若干の主要な事業、まず国家経営と協同組合経営の事業については、かなり綿密な生産計画をたてることが、ぜひとも必要である。的確に原料の生産を算定し、敵地区とわが地区での販路を算定することは、われわれのあらゆる国営工業と協同組合工業が最初から心をそそぐべきことである。
 われわれが計画的に人民の対外貿易を組織し、しかも、向種類かの必要な商品の流通、たとえば食塩と綿布の輸入、食糧とタングステン鉱の輸出、および内部での食糧の調整などを国家の手で直接に経営することは、いま非常に必要となっている。この仕事は、福建・淅江・江西辺区では、わりあいはやくからおこなわれたが、中央地区ではじめられたのは一九三三年の春からである。対外貿易局などの機関が設立されたことによって、すでに一応の成果がみられる。
 現在、われわれの国民経済は国営事業、協同組合事業および私営事業の三つからなりたっている。
 国家が経営している経済事業は、いまのところ、可能な、また必要な部分にかぎられている。国営の工業や商業は、すでに発展しはじめており、その前途にははかりしれないものがある。私営経済にたいしては、政府の法律のわくをこえないかぎり、われわれは阻止しないばかりか、それを提唱し、奨励している。なぜなら、いまのところ、私営経済の発展は国家の利益と人民の利益にとって必要だからである。私営経済は、いうまでもなく、いま絶対的に優勢をしめているし、今後もかなり長期にわたって優勢を保つにちがいない。いまのところ、赤色地域の私営経済は小規模経営の形をとっている。
 協同組合事業は、いまきわめて急速に発展している。江西、福建両省十七県の一九三三年九月の統計によると、各種の協同組合は計千四百二十三、株金は計三十余万元となっている。もっともよく発展しているのは消費協同組合と食糧協同組合で、そのつぎが生産協同組合である。信用協同組合の活動は、やっとはじまったばかりである。協同組合経済と国営経済とが呼応して、長いあいだ発展をつづければ、経済面での大きな力となり、私営経済にたいしてしだいに優位をしめ、指導的な地位をしめるようになるであろう。したがって、できるかぎり国営経済を発展させ、大規模に協同組合経済を発展させることは、私営経済の発展を奨励することと並行させていかなければならない。
 国営経済を発展させ、協同組合経済を援助するために、われわれは大衆の支持をうけて、三百万元の経済建設公債を発行した。このように、大衆の力にたよって経済建設の資金問題を解決することは、当面の唯一の、また可能な方法である。
 国民経済を発展させることによってわれわれの財政収入をふやすことは、われわれの財政政策の基本方針である。その効果はすでにはっきりと福建・淅江・江西辺区にあらわれ、中央地区にもあらわれはじめている。この方針の実行に力をいれることは、われわれの財政機関と経済機関の責務である。ここで十分注意しなければならないことは、国立銀行の紙幣発行は、基本的には国民経済の発展上の必要にもとづくべきであって、たんなる財政上からの必要は、第二義的な地位にしかおけないということである。
 財政の支出は、節約の方針にもとづかなければならない。汚職と浪費は重大な犯罪であることを、すべての政府職員に、はっきり理解させなければならない。汚職と浪費に反対する闘争は、これまでにいくらかの成果をあげたが、今後も力をいれなければならない。戦争と革命事業のため、われわれの経済建設のために、銅貨一枚でも節約するのがわれわれの会計制度の原則である。われわれの国家収入の使途は、国民党のそれとは厳格なちがいがなければならない。
 全中国が経済的大災難にまきこまれ、数億の民衆が飢えと寒さに苦しむ困難な状態におちいっているとき、われわれ人民の政府は、どんな困難にもひるまず、革命戦争のため、民族の利益のために、しんけんに経済建設活動をすすめている。われわれが帝国主義と国民党にうち勝たなければ、また、われわれが計画的、組織的に経済建設活動をすすめなければ、全国人民を空前の大災難から救いだすことができないのは、きわめてあきらかである。




〔1〕 赤色地域かつくられた最初の一、二年、農業生産がとかく低下しがちだったのは、主として、土地分配の期間に、土地所有権が確立せず、新しい経済秩序がまだ軌道にのらなかったため、農民の生産意欲にまだむらがあったからである。
〔2〕 労働互助社と耕田隊は、当時、赤色地域の農民が労働力を調整して生産をすすめるために、小私有経済の基礎のうえにつくった労働の相互援助組織である。このような労働相互援助組織への加入は各人の自由意志によるもので、またたがいに利益のあるものでなければならなかった。決算は労働日を相殺し、すくなく仕事をした方が多く仕事をした方に差額を支払うのである。労働互助社は社員の相互援助だけでなく、赤軍の家族にたいする特別奉仕や、身よりのない老人にたいする援助(身よりのない老人のために働くばあいは、食事をするだけで、日当はとらない)をもおこなった。このような労働の相互援助組織は、生産面の役割も大きく、やり方も合理的であったので、大衆に心から支持された。毛沢東同志の『長岡郷の調査』や『才渓郷の調査』には、これについて記載されている。


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