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     割拠地区の現勢

 ことしの四月いらい、赤色地域はしだいにひろげられた。六月二十三日の竜源口《ロンユァンコウ》(永新県と寧岡県との県境)の一戦で、四回目に江西省の敵軍を撃破したのち、われわれの地区は、寧岡、永新、蓮花の三つの県全体、吉安、安福の各県の一小部分、遂川県の北部、[”雨”の下に”口”三つ+”おおざと”]県の東南部をもつようになり、省境地区の全盛期をつくった。赤色地域では、土地の大部分が分配され、一部分がいま分配中である。区や郷にはみな政権がうちたてられた。寧岡、永新、蓮花、遂川にはみな県政府ができ、また省境地区政府もつくられた。郷や村にはいたるところに労農暴動隊が組織され、区と県には赤衛隊がつくられた。七月には江西省の敵が攻めてき、八月には湖南、江西両省の敵軍が共同して井岡山を攻めてきて、省境地区の各県の県都、および平原地帯はすっかり敵軍に占拠された。敵の手先である保安隊、挨戸団はなにはばかるところなく横行し、白色テロが町でも村でもあれくるった。党の組織と政権の組織は大部分崩壊した。富農や党内の投機分子がぞくぞく裏切った。八月三十日の井岡山の一戦で、湖南省の敵軍はやっと[”雨”の下に”口”三つ+”おおざと”]県に退却したが、江西省の敵軍はなおも各県の県都および大部分の農村にのさばっていた。しかし山岳地帯はどうしても敵の奪取することのできないものであった。そのようなところとして、寧岡県には西と北の二つの地区があり、永新県には北の天竜《ティエンロン》区、西の小西江《シァオシーチァン》区、南の万年山《ワンニェンシャン》区があり、蓮花県には上西《シァンシー》区があり、遂川県には井岡山区があり、[”雨”の下に”口”三つ+”おおざと”]県には青石岡《チンシーカン》と大院区《ターユァン》があった。七、八の二ヵ月間に、赤軍の一コ連隊は各県の赤衛隊と協力して大小数十回の戦闘をまじえたが、銃三十ちょうをうしなっただけで、最後に山岳地帯に退いた。
 わが軍が崇義県、上猶県をへて井岡山にもどるとき、江西省南部の敵軍独立第七師団劉士毅《リゥシーイー》部隊が遂川まで追撃してきた。九月十三日、わが軍は劉士毅をうちやぶって、銃数百ちょうをぶんどり、遂川を占領した。九月二十六日に井岡山にかえった。十月一日には、敵の熊式輝《シゥンシーホイ》部隊の周渾元《チョウホンユァン》旅団と寧岡で戦って勝ち、寧岡全県をとりかえした。このとき、桂東県に駐屯していた湖南省の敵軍閻仲儒《イェンチョンルー》部隊の百二十六名がわが軍に帰順して、車本部付大隊に編成され、畢占雲《ピーチャンユィン》が大隊長になった。十一月九日、わが軍はまた周旅団の一コ連隊を寧岡と竜源口とで撃破した。翌日は氷新に進撃してこれを占領し、すぐに寧岡にもどった。いまのところわが地区は、南は遂川県の井岡山の南麓《なんろく》から、北は蓮花県の県境まで、寧岡県の全部、遂川、[”雨”の下に”口”三つ+”おおざと”]県、永新の各県の一部分をふくみ、南北に細長い一つにまとまった地区になっている。蓮花県の上西区、永新県の天竜区、万年山区は、このまとまった地区とよくつながってはいない。敵は軍事的進攻と経済的封鎖によってわれわれの根拠地を消滅しようとしているが、われわれはいま敵の進攻をうちやぶる用意をしている。


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