◇ユーモレスク ドヴォルザーク 2分56秒
Humoreske Ges-Dur Op.101 No.7
A.Dvorak

ユーモレスク 変ト長調 作品101 第7番 交響曲「新世界より」や「スラブ舞曲」の作者として名高いボヘミア(現 チェコスロヴァキア)の作曲家ドボルザークの数ある作品中でも「ユーモレ スク」は、広く親しまれています。 「ユーモレスク」は、アメリカ滞在の3年目の夏(1894年8月)、帰国し てヴィソカーの別荘で過ごしているときに書かれました。 ピアノ曲集『8つのユーモレスク』作品101の第7曲目にあたるこの曲に、 ある人はこれに悲しい歌詞をつけ、また、ある者は陽気な歌にして歌い ました。他の7曲は現在ではほとんど演奏されないようです。 この曲集は、ドヴォルザークがアメリカでメモしていた材料も多分に使わ れ、この第7曲にも、黒人音楽に使われるブルー・ノートや、5音音階 への傾斜がチェコ的な音楽語法と重なり合っているそうです。 彼の素朴で温かい人柄がにじみ出た小品でしょう。 「ユーモレスク」とは言葉の意味から言えば『諧謔(かいぎゃく)=おどけ、 道化、冗談、ユーモア』となりますが、音楽にこれが用いられ、特に器楽 曲になった際は、単なる小品になってしまいます。 ドヴォルザークのピアノ独奏曲は、舞曲や表題を持った小曲集に収めら れたものなどのべ約80曲もあります。 数から言えば決して少ないとはいえませんが、このユーモレスクなどごく 少数の例外を除いてはあまり親しまれていません。 その理由として、一説によると、「チェコの農村に生まれたドヴォルザーク は、少年時代からヴァイオリンにはよくなじんでいたが、ピアノに親しんだ のはずっと後のことで、ヴァイオリンに対して抱いたような親近感は、ピア ノに対しては生涯ついにわかずじまいに終わっている、そのためかドヴォ ルザークのピアノ曲が、本来のピアノ的な語法と少し異質なアクセントを 持っていた」とのことです。 しかし、1903年にヴァイオリンの名手、F.クライスラー(1875−196 2)が、病気のドヴォルザークを見舞った折にこの曲を見つけ、ヴァイオリ ン独奏用に編曲してから、この曲が大変ポピュラーになったようです。 |
A.ドヴォルザーク(1841−1904) ![]() |
プラハから北へ30キロに位置するネラホゼヴェス村で生まれた。 家の目の前にはモルダウ河が流れ、両岸には、金色に輝く麦とトウモロ コシ畑や小さな森、果樹園等が広がる、のんびりとした村だった。 肉屋を兼業とする居酒屋の長男として生まれ、家業を継ぐため、生肉 業者としての修行もしていたが、音楽的才能を認められ、苦学の末、 作曲家になった。 特に、8歳年上のブラームスに目をかけてもらったことで、世界的な影響 力を持つ「ジムロック出版社」の契約作曲家となり、多くの作品を発表 していった。 また、彼は鉄道マニアでもあり、蒸気機関車や運転手の名前まで覚え、 毎日のように駅で列車を眺めていた。 ◆主な作品 交響曲第9番 ホ短調 作品95 《新世界より》 スラヴ舞曲 第1集 作品46、スラヴ舞曲 第2集 作品72 弦楽四重奏曲第12番 ヘ長調 作品96 《アメリカ》 ユモレスク 変ト長調 作品101−7 ヴァイオリン協奏曲 イ短調 作品53 チェロ協奏曲 ロ短調 作品104 |
| 画像:1850年頃のプラハの停車場のエッチング(一部) |