Wolfgang Amadeus Mozart
ウォルフガング・アマデウス・モーツァルト
Vol.2 旅の始まり 2004.2.28
| ◆1762年6歳 |
| ◆一家でウィーンへ |
| ◆神童のステージ |
| ◆父親の手腕 |
| ◆旅の記録 |
| ◆旅先での苦労 |
| ◆そこまでして、なぜ旅に? |
| ◆参考図書等 |
| ◆1762年6歳 | ||
モーツァルトは、1762年1月(6歳)に、父、姉と第1回目のミュ ンヘンに24日間でかけ、バイエルン選帝侯に演奏を聴かせまし た。そして、この年からおよそ10年の長い歳月を、旅人として生 きることになります。モーツァルトは、35歳の若さで亡くなりました ので、人生の約3分の1を旅に出ていました。 旅に出た目的は、父レオポルトが息子の才能を広く宣伝させる ため、というステージパパの悪しきイメージが強いようですが、この 時代の音楽家は、多かれ少なかれ自己研鑽や、より良い雇用 主(宮廷貴族等)を求めるためにも諸国を渡り歩ていました。 しかし、幼いうちから何年も広範囲(ほぼヨーロッパ全域)に 旅行したモーツァルトは、やはり稀有な存在でしょう。 |
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| ◆一家でウィーン旅行へ | |
| 同じ年の9月には、一家で3ヶ月半、第1回目のウィーンへ出か けます。このときのハイライトは、オーストリア女帝陛下マリア・テレ ジアと皇帝フランツ1世の御前で姉弟で演奏したことです。 女帝は既に有名になりつつあった姉弟をいたく歓迎し、モーツァル トをひざに抱きキッスした、というエピソードがあります。 下の油彩画は、そのときのご褒美として女帝から贈られた大礼服 を着たアマデウスとナンネルです。大礼服は女帝の皇子や皇女の 古着でしたが、他にも時計や指輪なども贈られました。 一平民のモーツァルト一家にとって、それは身に余る光栄です。 父親は帰郷後に、この栄誉ある服を見に着けさせて記念に描か せました。また、このことは、父レオポルトにとって、次なる大それた 計画を立てるエネルギーにもつながったようです。 |
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| ・1763年頃、P.A.ロレンツウァーニ作。(一部) ・モーツァルトはカツラをつけ、 剣をさしている。この時代はカツラをつけることが正装だった。 |
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モーツァルトが15歳のときには、女帝からフェルディナンド皇子の 結婚を祝した祝典オペラの作曲を依頼されています。フェルディ ナンドはモーツァルトを自分の宮廷に取り込もうとしましたが、 女帝は、「あなたが、音楽などするような人間を必要としている とは信じられません。こじきのように世界を渡り歩くような者を 雇うと奉公人の質が落ちます。それに、あの手の人間に肩書き を与えるものではありません。」と、息子に固くクギをさしています。 女帝(あるいは当時の貴族全員?)にとってモーツァルト(=音 楽家)の存在は、感心はしたものの、やはりどこまでも主人と 召使の厳しい関係でした。 |
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| ◆神童のステージ | |
モーツァルトの演奏は、サロンに集まった聴衆を前に、既成曲だけ でなく即興演奏をしたり、その家の主人が与える主題によって 変奏曲を弾いたりしました。独奏もすれば、ナンネルと二重奏も します。モーツァルトは、鍵盤以外にもヴァイオリンのレッスンも父 から受けていたので 時には、ナンネルのチェンバロにあわせて ヴァイオリンも演奏しました。 また、いろいろな音、例えば、鐘、コップをたたく、時計等の音を 当てる、布でおおわれた鍵盤で演奏する、ということまでやらされ ました。しかし、たいていはこの種の見世物的な演奏は避けて 通ることができ、上流階級の人々の前で、早熟ぶりを真面目に 披露することができました。 モーツァルトはピアノとヴァイオリン以外は何も知らない子供で、 完璧に振舞うよう、大人のミニチュアのような態度を取るように 教育されました。 学校には行きませんでしたが、広い世間の人々から良くも悪くも 生の教育を受けて育ちました。 |
| ◆父親の手腕 |
| レオポルトは、強力な教師であり、有能なマネージャーでもあり ました。訪れたところは音楽的に重要な場所のみで、会うべき 人物には必ず会っていました。そして、地元の著名な有力者 (貴族)の保護や援助を得るために、息子を彼らの館(サロン) に踏み入れさせることに成功し、旅の費用もほとんど先々で 回収できていました。父親が同伴した旅行は全8回で、のべ 7年半の歳月が費やされました。 旅行に出るときレオポルトは、当時仕えていたシュラッテンバッハ 大司教に休暇願いを出していました。この大司教は大変温和 で、うるさい事は言わず、レオポルトへの給料の支払いを止める だけにしてくれました。レオポルトはモーツァルトが7歳のときに 副学長に昇進しましたが、彼の関心事は、もやは自分の出世 より、息子の並外れた才能をできるだけ多くの有力者に知らし めることに移りました。 そのため、次第に重要な職務からは身を引いていきました。 |
| ◆旅の記録 | ||
| 1762年 6歳 | 1月 | ミュンヘン(24日間) |
| 9月 | ウィーン(3ヶ月半) | |
| 1763年 7歳 | 6月 | パリ〜ロンドン(3年半) |
| 1767年11歳 | 9月 | ウィーン(1年4ヶ月) |
| 1769年13歳 | 12月 | イタリア(1年4ヶ月)*オペラへの旅 |
| 1771年15歳 | 8月 | イタリア(4ヶ月) |
| 1772年16歳 | 10月 | イタリア(4ヵ月半) |
| 1773年17歳 | 7月 | ウィーン(2ヵ月半) |
| 1774年18歳 | 12月 | ミュンヘン(3ヶ月) |
| 1777年21歳 | 9月 | マンハイム〜パリ(1年4ヶ月) |
| 1780年24歳 | 11月 | ミュンヘン〜ウィーン(1年4ヶ月) |
| 1787年 30〜31歳 |
1月 | プラハ(1ヶ月) |
| 10月 | プラハ(1ヶ月半) | |
| 1789年33歳 | 4月 | ベルリン(2ヶ月) |
| 1790年34歳 | 9月 | フランクフルト(1ヵ月半) |
| 1791年35歳 | 8月 | プラハ(20日間余り) |
| ◆旅先での苦労 |
当時の旅は馬車でした。馬車は自家用、貸馬車、乗合馬車が あり、時に応じて使い分けていたようです。しかし、道路は凸凹で 馬車の乗り心地はひどいものでした。モーツァルトは、24歳のとき に夜行の駅馬車に乗ったときの事を手紙に残しています。 「馬車から降りて本当にやれやれです。理由は、旅の途中で災難 に会わなかったのと、一瞬の遅れもなく目的地に着いたためです が、これは短いが途方もなく辛い馬車のおかげです。 全員が夜通し、まんじりともできませんでした。馬車の揺れ方と いったら!体から魂が飛び出しかねない程です。座席は石も 同然の硬さで、お尻は傷だらけ。余りにもひどい揺れが続くので、 僕はクッションに両手をついて、お尻を宙に浮かべていました。 もう結構、終わったことです。でもこれからは、用心のため駅馬車 に乗るよりも歩くことを心がけたいと思います」 特に夜行の駅馬車は、盗賊の襲撃を警戒するために、ものすご いスピードで無理な運行をしていたそうです。冬は防寒が甘いと 凍傷の恐れもあり、夏は夏で馬が舞い上げる砂ぼこりがひどくて、 常に窓を閉め切っていなければなりませんでした。 さらに、悪道で車輪が破損して馬車が横転するなど、当時の旅 とは大人でも命がけのことでした。 また、旅先で何度も重い病気にかかりました。一家で病気にか かったこともあります。特にモーツァルトが11歳のときに訪れていた ウィーンでは天然痘が大流行し、多くの市民(特に子供)の命が 奪われました。 父親は危険を察してウィーンを一時離れましたが、モーツァルトは 天然痘に感染してしまいます。しかし、大事には至らず事なきを 得ました。 モーツァルトが早死にしたのは、度重なるキツイ旅行で健康を害 したことも要因のひとつではないか、といわれています。 |
| ◆そこまでして、なぜ旅に? | |
レオポルトはザルツブルクと自分の地位に満足していませんでした。 14歳になるモーツァルトと、イタリア旅行の旅先から妻あてに次の ような手紙を出しています。 「いったいザルツブルクは最後にはどうなるのか?こんなに安い給料 じゃ、とどのつまりは物乞いに落ちぶれるしかない。哀れな宮仕え は飢えをいやすことも難しく、彼らの子供たちは、方策もなく何も 学べず、のらくら者の大人になるだろう。町は二十年もすれば多 くの無能者でいっぱいになるだろう。彼らはみじめな暮らしをし、 宮廷にもまた世間にも重荷になってしまう。そのうち、私が本当の ことをいっているのがわかるだろう」(海老沢敏訳) このような考えから、自分の子供には一日も早くザルツブルクのような 田舎ではなく、大都市で活躍の場を見出せるように、幼少期から たくさんの犠牲を払ってまでも、長旅へ出る計画を立てました。 レオポルトはザルツブルクの大学で学んだこともある教養豊かな人物 でした。と同時に、かなりの野心家だったようです。 しかし、レオポルトは息子の天才ぶりがあまりに早急すぎるので大変 心配をしていました。「常に瞑想にふけり、何事かを深く考え込んでい る顔を見て、この子は長くは生きられないのではないか、と考えた」とい う、苦しい胸のうちも書き残しています。 |
| ◆参考図書等 |
| 音楽の友社 【大作曲家の世界2 ウィーン古典派の楽聖】 ・エドゥアルド・レニーショ他 音楽の友社 【モーツァルトは祭 〜続々 私のモーツァルト・クロニクル〜】 ・海老沢 敏 音楽の友社 【モーツァルトの旅1 ザルツブルク】 ・海老沢 敏他 ちくま書房 【モーツァルト・ガイドブック】 ・井上太郎 朝日新聞社 【モーツァルトとの旅 大島 洋写真集】 ・高橋英郎 |