モーツアルト

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Wolfgang Amadeus Mozart
ウォルフガング・アマデウス・モーツァルト


Vol. 誕生 2004.2.16



◆誕生  6〜7歳頃のアマデウス
ヴォルフガングス・アマデウス・モーツァルト
オーストリア、ザアルツブルク出身のモーツァルトは、1756年
(18世紀)1月27日夜8時に誕生しました。

モーツァルトは、両親の7番目の息子でしたが、最初の5人は
生れて1年もたたずに亡くなり、残ったのは4歳半年上の姉、
ナンネルとモーツァルトの二人きりでした。
《ヴォルフガング》=狼とともに行く者の意味で、勇敢な性格の
           男子を象徴的に表わしている。
《アマデウス》=神に愛でられし者、神を愛する者の意味。


◆家族

ヨハン・ゲオルク・レオポルト・モーツァルト
(1719〜87)
父親のレオポルトは製本屋の息子でしたが、家業に
は興味を示さず音楽家を志しました。24歳でザルツ
ブルクの宮廷楽団に雇われ、以来44年間仕えまし
た。のちに副学長にまで昇進しましたが、生涯、楽長
の地位に就くことはできませんでした。


マリア・アンナ・ペルトゥル(1720〜78)
母親は、ザルツブルクに近い湖畔の村、ザンクトギル
ゲン出身で、当地の宮廷(修道院?)の地方管理
官の娘でした。
マリア・アンナ・モーツァルト(1751〜1829)
母親と同じ名前のアマデウスの姉は、通称ナンネルと
呼ばれ、幼いときから父、レオポルトの音楽レッスンを
受けていました。
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◆ザルツブルク
ザルツブルクはオーストリアのアルプス地帯にあり、当時の人口
は約16,000人程度でしたがウィーンからミュンヘン、パリ、
ローマ等への交通要所でした。
ザルツブルクとは「塩の城」の意味で、採掘される塩による富で
栄えましたが、川と山々に囲まれた、ごく狭い土地に多くの
教会や家々がひしめき合っていました。
現在はオーストリア共和国ザルツブルク州の州都ですが、
当時はローマ教皇により任命されたカトリックの大司教が
治める街でした。          ↓当時のザルツブルク

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◆レッスンはじめ
父親のレオポルトは、宮廷音楽家として重要な地位にあり
ました。音楽の才能は息子には及ばなかったものの、息子
の並外れた才能を見抜き、磨きをかけ、少し冷酷であった
にせよ、それを際立たせることに成功した人物です。

姉ナンネルが7歳頃に音楽的素質を示したとき、父親は
チェンバロのレッスンを始めましたが、その時、小さいアマデ
ウスもそばにいました。彼は姉の真似をしたがり、自分でも
弾いてみようとします。(3度の和音を弾きだすこともある)
小さい子供の単なるいたずら弾きではなく、音を拾おうと
しているのがよくわかりました。
レオポルトは、早速アマデウスにもレッスンを開始します。

バッハのクラヴィーア曲集を真似て、「ナンネルの練習帳」を
作成したレオポルトは、鍵盤とヴァイオリン等のレッスンを
真剣に始めました。
(おそらくは、朝から晩まで音楽漬けだったろう、といわれる)
アマデウスは、一度耳にした小曲なら正確に表情豊かに
弾きこなすことができ、その集中力は大人顔負けでした。

こうして、5歳頃、モーツァルトの最初の作品が生れます。
    『クラヴィーアのためのアンダンテ(1a)、
     アレグロ(1b、c)、メヌエット(1d)』

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◆レオポルトの作品


左は、モーツァルトがちょうど生れた年
に出版されたレオポルトの『基本的
ヴァイオリン教程の試み』の口絵の
一部です。これは何度も版を重ねら
れ、20世紀初めまで使用された
貴重なものでした。

作曲では、交響曲(約70曲)、
協奏曲、室内楽等多数くあります。
なかでも『おもちゃの交響曲』は
大変有名です。
この曲はのちに、ハイドンの弟の
ミヒャエル
が、ユーモラスなおもちゃの
効果音を加え1曲にまとめました。

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◆参考図書等
音楽の友社【大作曲家の世界2 ウィーン古典派の楽聖】
        ・エドゥアルド・レニーショ他
音楽の友社【モーツァルトは祭 
             〜続々私のモーツァルト・クロニクル〜
        ・海老沢 敏
音楽の友社【モーツァルトの旅1 ザルツブルク】
        ・海老沢 敏他
ちくま書房 【モーツァルト・ガイドブック】
        ・井上太郎

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