J.S.バッハ
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Johann Sebastian Bach

◆About:バッハとは?
 04. 1. 4UP
◆バッハ’s History  04. 1.12更新    
◆人間バッハとは?  04. 1. 4UP
◆バッハとその家族  04. 1.12UP

◆私の好きなバッハの曲

 04. 1.18UP
◆バッハの息子達   04. 2.16UP

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◆名曲スケッチでバッハの曲が聴けます

 ◆参考書
 
ヤマハMM/絵本で読む音楽の歴史A バッハとバロック音楽
 音楽の友社/まんが音楽史 VOL.1
 ドレミ楽譜/マンガ音楽家ストーリー バッハ
 小学館/クラシック道場入門 玉木正之 著









   About:バッハとは?        
 
 ドイツのバッハは近代音楽の創始者、バロック音楽の最後の巨匠として
 知られていますが、当時最高のオルガン奏者でもありました。
 バッハ時代(17世紀)の音楽家は、生活が保障されることから宮廷や
 教会の楽長になることを目標にしていました。
 
 その頃はまだ、音楽家は自分の書きたいものを書くということは望むべくもなく、
 スポンサーであるところの宮廷や教会の行事に合わせての作曲が仕事でした。
 その点ではバッハも同じで、ときには教会や市当局と意見が合わないこともあり、
 そんなときはアマチュアのために作品を書いたりして、その憂さをはらしていました。

 そのような社会的状況の中で音楽活動をしていたとはいえ、楽長等の地位を
 獲得するに留まらず、自らのスタイルに忠実に作曲を続けました。
 バッハがいなければ、モーツァルトもベートーヴェンも出なかったといわれる大偉人で、
 西洋音楽の基礎を確立させた「音楽の父」とも呼ばれています。
 
 「バッハ」はドイツ語で「小川」という意味だそうです。
 ベートーヴェンは「バッハは小川ではない、メーア(海)より偉大だ。」と語りました。

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 バッハ's History
フルネーム  Johann Sebastian Bach 
 ヨハン・セバスチャン・バッハ
 参  考
誕生日  1685年3月21日 (8人兄弟の末っ子) ◆1685年
ニュートン万有引力
の法則を発見

◆1687年
徳川綱吉将軍
生類憐みの令公布 
出身地  ドイツ中部、人口約6千人の町アイゼナハ
家庭環境  
 バッハが生まれる100年以上も前からバッハ一族は音楽家が
 多く、バッハが50歳になる頃には合計53人もの音楽家が輩出
 された。その中でも、J.Sバッハが一番有名で「大バッハ」とも 
 呼ばれている。

 祖父:クリストフ・バッハ(1613−1661)
     ヴァイマル公に仕える従僕、庭師、
     宮廷オーケストラ団員

 父 :ヨハン・アンプロージウス(1645−1695)
    ヴァイオリンとトランペット奏者、アイゼナハの町の
    楽隊指揮者兼作曲家
 
子供時代
 
 バッハに音楽の基礎を教えたのは父親だが、9〜10歳の頃に
 両親を相次いで亡くし、近隣に住むオルガン奏者を務めていた
 14歳年上の長兄ヨハン・クリストフに引き取られる。

 一日中、音楽に没頭し、兄の楽譜をこっそり持ち出し、
 月明かりで写譜して勉強した、というエピソードが残っている。
 また、合唱隊で歌った報酬で家計を助けてもいた。

 1700年、15歳で遠い町のリューネブルクに移り、高等教育を
 受ける。その町は全ヨーロッパから集まった文化的刺激が交錯
 するハンブルグの近くで、バッハはよくハンブルグに音楽を聴き
 に行き、様々な様式を学び、宗教曲や演劇にも興味を抱く。












 
◆1701年
松の廊下刃傷事件
1703年
18歳
 
 ヴァイマルのヴァイオリン奏者として初めての職を手にする。
 のちに、オルガン奏者の職も獲得。

◆1702年
赤穂浪士の討入り

松尾芭蕉
「奥の細道」
1707年

22歳
 
 10月17日、又従姉のマリーア・バルバラと結婚。
 6人(7人、または4人という説もあり)の子供に恵まれる。
 (のちに、長男のヴィルヘルム・フリーデマンと次男のカール・
  フィーリプ・エマーヌエルは優秀な音楽家に成長。)
 この頃(’06年)、有名な「トッカータとフーガニ短調」を作曲。
◆1709年
イタリア人、ロメーオ
・クリストーフォリ
によりピアノが考案
される
1717年
32歳
 
 8月5日、ケーテン公レオポルトのもとで宮廷楽師になる。
 
◆1716年
享保の改革
徳川吉宗将軍就任
1720年
35歳
 
 7月、妻のマリーアが急死。
 この頃、無伴奏ヴァイオリンやチェロなどが作曲される。

1721年
36歳
 
 12月3日、宮廷歌手のアンナ・マグダレーナ・ヴィルケ(21歳)と
 再婚。13人の子供に恵まれる。合計20人位の子供のうち、
 成人まで成長したのは10人のみ。
 この頃、「平均率クラヴィーア(ピアノの前身)曲集」
 「アンナ・マグダレーナのためのクラヴィーア小曲集」を作曲。
 
1723年
38歳
 
 ケーテンを去り、ライプツィヒへ移り住み、聖トーマス教会の
 カントル(教会付属音楽学校の教師兼、町の音楽監督)に
 就任する。生涯をこの地で送る。
 この頃、「インヴェンション」を完成。
◆1725年
ヴィヴァルディ、
ヴァイオリン協奏曲
「四季」発表。ヨー
ロッパで大ブレイク
 
1727年
42歳
 
 4月11日聖金曜日「マタイ受難曲」初演。
◆1726年
スウィフト(英)

「ガリバー旅行記」 
1747年

62歳

 5月7〜8日ポツダムに住む次男のカールを訪ねた際、フリード
 リヒ2世に謁見を許される。バッハの名声を知っていたフリード
 リヒ2世は、自らピアノで1つのテーマを弾き、それを使って
 フーガを作曲するようにバッハに求めた。

 バッハは即興で6声のフーガを演奏し、聴衆を驚嘆させる。
 バッハもいたく感激し、この「王のテーマ」が素晴らしく美しかった
 ので、これを題材として作曲し、王(フリードリヒ2世)に捧げようと
 決心する。「音楽の捧げ物」という題がつけられたこの作品は、
 芸術的感性と学問的理論が一体となった傑作として名高い。
 
 7月7日「音楽の捧げ物」を出版、大王に献呈。
◆1732年
ハイドン生




◆1741年
ヴィヴァルディ死去

◆1746年
ゴヤ(画家)生
 
1749年
64歳

 目の病気のため療養生活に入る。白内障の手術を2度受けるが
 改善されず、次第に目が見えなくなる。
 作曲は息子達に口述して続ける。
1750年
65歳

 7月28日午後8時45分死去。
 遺作「フーガの技法」が未完のまま残された。
◆1752年(米)の
ベンジャミン・フランク
リンが雷が電気現象
との仮説を実証する
実験を行う

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   人間バッハとは?


生涯でも一番忙しい、ライプトィヒ時代のバッハの一日は、朝6時に起床→
息子たちと祈りを捧げ、朝のコラール(賛美歌)の練習をすませる→7時から
仕事を始めていました。
(月)(火)(水)(金)は聖トーマス音楽学校でレッスン。
(木)は自由に使える日。(土)は次の日の(日)に演奏するカンタータ
(教会で歌われる声楽曲の一種)の作曲とリハに当てられていました。

しかし、カントルという大役を任されたバッハが、聖トーマス音楽学校でいざ
仕事を始めてみると厳しい現実が待っていました。
建物は老朽化し、教室もベットの数も足りず、食事も粗末で不衛生のため、
伝染病がおこりやすく、生徒たちは次々に亡くなってしまいました。
にもかかわらず、生徒たちは暑くても寒くても、お葬式に参加して賛美歌を
歌う義務があります。
その謝礼が学校の貴重な収入源なので、どんな状態でも続けなければなり
ませんでした。
そのため、特に優秀な生徒は過労で、声をベストな状態に保つことができず、
結果、学校の音楽的水準は低下していきました。

バッハの労働状況も悪く、独立した住居をあてがわれている、といっても教室
と壁一枚で隔てられているのみです。
学校の授業とは別に、教会音楽全般に責任を持たされる「音楽監督」の
仕事も多忙で、町の教会で毎週行われる礼拝のために、週に一度はカン
タータの新曲を作り、お葬式や結婚式のためのモテット(宗教曲用の声楽曲)
も作る必要がありました。
(バッハがライプツィヒ時代に作ったカンタータは全部で300曲弱)

そんな中でも、生涯の最高傑作「マタイ受難曲」を創り、初演させました。
しかし、聴衆には受けませんでした。普段聴きなれているカンタータ等とは
まったく違う難しさで、保守的な人々はショックを受けるのみ・・・。
市当局にも受け入れられず、バッハに対する評価も変わり、
「カントルに相応しくない」という批判まで出てきました。

その後も数々の問題が起きて、市当局や教会学校と対立せざるを得ない
状況が続き、バッハは次第に学校や音楽監督の仕事に興味を失っていき
ました。バッハは若いときから戦闘的なところがあり、20歳のときに、自分の
言うことを聞かない合唱団員に向かって、剣を抜いて切りかかることもあった
ようです。

バッハは、現在では「音楽の父」と呼ばれ、全世界の偉人として評価されて
いますが、生存中のバッハの名声は、もっぱら演奏家としてのもので、作曲家
としての天分が知られるようになったのはずっと後、19世紀中頃以降のことで
した。ミサ曲、受難曲、カンタータ、コンチェルト、ソナタ等多くの作品を残しま
したが、バッハが完成させたのは、フーガ(テーマと模倣部が次々と表れる、
楽曲のための形式のひとつ)です。

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   バッハとその家族


   バッハの仕事の量は、ほとんど信じ難いほどです。この驚くべき仕事の原動力の
   ひとつには家族の力が大きかった、といわれています。
   子供が多かったので生活面での必要性もありましたが、家族のために働き、その
   団欒のうちに心を休めただけでなく、父親としてのバッハは熱心に息子たちの
   音楽教育を引き受けました。

   バッハの作品のなかに「クラヴィーア小曲集」というジャンルがあります。
   これはバッハが家族(息子と妻)のために計画されたものです。
   最初は長男が9歳を迎えた1710年に《ヴェルヘルム・フリーデマン・バッハ
   (長男の名前)のためのクラヴィーア小曲集》を書き始め、指使いの練習曲、
   小さな前奏曲、メヌエットなどが書かれました。
   2年後には天分豊かな長男は、父親がそのつど彼のために作曲していった、
   《平均率クラヴィーア曲集》や《インヴェンションとシンフォニア》を弾くまでに成長
   しました。
    
注:インヴェンション(Inventionen)=発明の才。
       シンフォニア・・・シン(Syn)=一緒の、フォニア(phpnia)=響き。


   バッハの成人した10人の子供のうち4人が音楽家になり、音楽界の第一線
   で活躍しました。
   18世紀の終わりには、父親の名声がかすむほど高い評価を受けます。
   そのテキストとして創られたのが「クラヴィーア小曲集」なのです。
   彼らは優れた演奏家だけではなく、対位法や厳密な楽曲の様式(理論)を
   すっかりマスターしていました。

   また、妻アンナ・マグダレーナのために計画された「アンナ・マグダレーナ・バッハ
   のためのクラヴィーア曲集」は、妻への感謝のしるしとして贈られたものです。

   若いカントル夫人としての妻アンナの役割は、たくさんの子供の世話だけでなく、
   夫バッハは評判の客好きだったので、絶えず増大する家計をまかない、
   なおかつバッハの仕事も手伝っていました。
   あるときは器楽曲の楽譜を清書し、またあるときは、さし迫った新曲のための
   パート譜の写譜など、アンナは夫の存命中、常に忠実な協力者でした。

   バッハとアンナは13人の子供をもうけましたがそのうち7人は亡くなるなど、
   厳しい試練もありました。
   しかし、順境のときも逆境のときも、バッハは15歳年下の妻のもとに仕事への
   理解と安息を見出しました。

   バッハが亡くなったとき、アンナは、まだ成人に達しない4人の子供に対する
   保護者権を獲得するために、公然と再婚の意志を放棄しました。
   乏しい資産しか残されておらず、義理の息子たちの援助を求めることも
   望まなかったので、ついに市の世話を受ける「窮民」として生活しました。
   有名なオペラ作曲家になった末っ子の輝かしい成功を見ることもできずに、
   夫の10年後1760年2月27日、世を去り、ヨハネ墓地の夫のかたわらに
   葬られました。

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私の好きなバッハの曲  
*BWVとはドイツ語の「Bach Werke Vezeichnis (バッハ作品目録)」のイニシャル
 トッカータとフーガ ニ短調 
  BWV.565


パイプオルガン

 この曲の冒頭部分は大変有名で、理屈抜きに 
 「This is Bach!」と感じます。
 モチーフが単純なのに、発想の変化が激しい
 ところがカッコイイ。
 若きバッハの熱情が伝わってきます。

 冒頭部分しか聴いたことのない方は、
 ぜひ一度最後まで聴いてみて下さい。
 10分近くの大曲ですが。

 G線上のアリア 
  BWV.1068


管弦楽

◇G線上のアリアを聴く >こちら 
(音量注意)


名曲スケッチにバッハの
他の曲もあります
 
 管弦楽組曲の中の一曲です。優雅で美しく、
 いつ聴いても新鮮さを感じます。

 この曲はバッハがケーテン時代頃の作品
 らしいのですが、当初はまったく話題にも
 ならずバッハが亡くなって100年後に
 発掘されました。ヴァイオリンの4本の弦
 のうち「G」と呼ばれる一番低い弦(線)
 だけで演奏できることからこの名がついた 
 そうです。 原曲は「エア(=アリア)」。
 
 


 

 羊は安らかに草をはみ
  (狩のカンタータ、
   BWV.208より)


管弦楽

 原曲はカンタータ(教会での声楽曲)ですが、
 のちに管弦楽に編曲された曲です。
 穏やかで流麗なメロディが好きです。

 以前、FMラジオの「朝のバロック」という
 長寿番組のテーマ曲として、ずっと流れて
 いました。かなりマニア番組?のようで、
 私には初めて聴く曲が多かったものの、
 このテーマだけはとても気に入っています。
 複数の人が編曲していますが、私は指揮者
 「ミュンヒンガー」の編曲が好みです。

 フーガ ト短調
  BWV.578


パイプオルガン


 「トッカータとフーガニ短調」と並んで有名な 
 曲です。バッハの若い頃の習作に過ぎない、
 ともいわれているそうですが、私はとても
 魅力を感じます。
 ニ短調が、ベタなドラマッティック長編ものと
 すれば、こちらは身近なエッセイ風?

 音楽の捧げもの、
  BWV.1079 


管弦楽
 
 バッハの次男がフリードリヒ王に仕えてい  
 たことから、父親のバッハが王室から招待 
 され、そこで王の提示したテーマをもとに
 創られた変奏曲集です。(全20曲)

 この中の「3声のトリオ」は、王様のお得意の
 楽器「フルート」を目立たせて書かれて 
 いるそうです。しかも、難しくなく、それでいて
 内容の充実した作品を書く必要のあることを
 助言されたとか。 (宮仕えはツライ?)
 
 しかし、結果、この曲は作曲の技術のひとつ
 である「対位法書法」の最高傑作で、精神の
 深さ、堅固な造型、威厳に溢れた響きは
 他の追従を許さない、といわれています。

 恐るべし「ドイツ人魂」?!
 

 インヴェンション
  2声 BWV.772〜786
  3声 BWV.787〜801


ピアノ

 メロディと伴奏の単声音楽ではなく、多声音楽
 といって、2つ以上の声部が、それぞれ独立
 して違った動きをもち、互いにからみ合って
 美しく流れていく手法(=対位法のこと)で
 作られています。
 
 メロディ対メロディの不思議な感覚が、おもし
 ろいです。聴くのには。
 弾くのにはとても難しい〜ので苦労します。

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