漫棚通信

日本のマンガの棚その4


もうひとりの座頭市「めくらのお市物語」

 映画「座頭市」が評判のようです。北野武は勝新太郎につぐ二代目座頭市なわけですが、もうひとり、女性の座頭市がいました。田舎に行くとまだあります、「オーツカのボンカレーのホーロー看板」でおなじみ、松山容子が演じた「めくらのお市」です。1969年から映画、後にテレビにもなりました。彼女のファンサイトは今、熱いぞ。

 当時人気絶頂の彼女と結婚してファンの涙を流させたヤツが、マンガ「めくらのお市物語」の作者棚下照生です。「痛快ブック」などで子供マンガを描いていた作者は、一時マンガから離れますが、1966年芳文社の編集長稲葉武太郎に請われ、大人向け長編マンガとして女侠客モノを描き始めます。その後「週刊漫画TIMES増刊」に描いていた「白杖お閃」をリニューアルして1967年に始まったのが「めくらのお市物語」で、ビッグヒットとなりましたが、「COM」1968年10月号には「けっこうなご時世での彼の考え」という一文で、また売れなくなるのじゃないかという不安を書いています。

 棚下照生の絵は古典的子供マンガや大人マンガのそれで、単純な線、デフォルメされた人物、平板な構図。大人マンガの絵で描かれたストーリーマンガといえる過渡期の産物です。わたしの手許にあるのは双葉社が1970年に発行した「現代コミック7 棚下照生、モンキー・パンチ集」というハードカバーです。同時収録の「ルパン三世」も「劇画じゃない」という意味では同じグループですが、モンキー・パンチの今まで見たことないような斬新なマンガに比べて、棚下照生はいかにも古い。その後の劇画の大洪水に飲み込まれてしまいました。(2003/9/24/水)


おお、眉毛が太い!「スピーチバルーン・パレード」

 「スピーチバルーン・パレード」(1988年)は女性マンガ家のインタビュー集。初出は1986年から1987年の「毎日グラフ」、インタビュアーは米沢嘉博です。登場するのは、川原泉・杉浦日向子・中田雅喜・近藤ようこ・高口里純・めるへんめーかー・吉田秋生・石坂啓・松苗あけみ・宮脇明子・吉田まゆみ・ささやななえ・竹宮恵子・美内すずえ・一条ゆかり・大和和紀・里中満智子・牧美也子の18人。さすが80年代、みんな眉毛が太い! 一説によると、このころの女性の眉を太くしたのは石原真理子で、口紅をぐりぐり塗らせたのは今井美樹だそうです。

 1人8ページであまり突っ込んだ話はなし。もとがグラフ誌ですから写真が大きく、これはうれしいですね。ほぼ年齢順の構成で、杉浦日向子1958年生まれ、近藤ようこ1957年、松苗あけみ1956年、吉田まゆみ1954年、美内すずえ1951年、竹宮恵子1950年、一条ゆかり1949年、里中満智子1948年、そして牧美也子1935年。

 米沢嘉博によると1980年代の少女マンガは長期低迷化の中にあると。わたし自身は1970年代少女マンガビッグバンのあとは、ぽつぽつとしか読んでないのでくわしくありませんが、これは21世紀になっても同様じゃないか。現代の少女たちは、少年に比べてもマンガをあまり読んでないような気がしますが。(2003/9/25/木)


どおくまん「暴力大将」完結

 コンビニで売られている廉価版の復刻マンガ。買いのがしていた昔の作品を手に入れることができるのはありがたいのですが、なんせ発売期間が短すぎるので、発売日をしっかりチェックしておかないとあちこちのコンビニをめぐり歩くことになります。

 この手の本でわたしにとってありがたかったのは、徳間書店から刊行された、どおくまんの「熱笑!!花沢高校」。週刊少年チャンピオン連載時には、おおーっ空飛ぶバイク!などと面白く立ち読みしていましたが、さすがに単行本は買ってない。今回揃えさせていただきましたが、いや、面白かった。どおくまんはあんなに下手な絵なのに、喧嘩シーンがかっこいい。「嗚呼!花の応援団」「なにわ遊侠伝」などと同じで、(比較的)普通の主人公と、超人的に強い一匹狼の先輩。これは今でも魅力的な設定ですね。

 「花沢高校」の終了後刊行されたのが、さらに昔の作品の「暴力大将」。月刊少年チャンピオン連載の戦前戦中戦後にわたる大河ドラマです。この作品ではまだ青田赤道に相当する人物は登場しません。冒頭部は、あのトラブルメーカーさくら出版で1999年に復刻されましたが、徳間書店の廉価版は今年の3月に河内矯正院編から刊行されはじめ、14巻で完結。さすがに戦後編の最後は息切れして、宿敵・日下部四郎は飛行機事故で死んでしまい、何じゃこの結末は。

 人気があったようで冒頭部分は10月に発売することになりました。めでたしめでたし。(2003/9/26/金)


スピリッツ創刊の頃

 生まれる雑誌もあれば去る雑誌もある。「ビッグコミックスピリッツ」の創刊は1980年11月号。当初月刊誌でした。表紙は宇宙船のイラスト。字が多くデザインよろしくありません。編集長白井勝也。定価230円。

 巻頭ははるき悦巳「ガチャバイ」。当時も双葉社のヒトでしたから、これは新鮮。連載が本宮ひろ志、青柳裕介、岩重孝、はしもといわお、このあたりはビッグコミック本誌からの横滑り。御厨さと美の読み切り飛行機マンガ。当時抗争中のいしかわじゅん「ちゃんどら」(16ページもある)と吾妻ひでお「とつぜんDr.」(巻末2色4ページ)が二人して載っていたのはシャレてましたね。吾妻ひでおの方が格上。ここのページは後にいろいろ名作が生まれました。

 狩撫麻礼・谷口ジロー「青の戦士」連載第1回がかっこよかった。そして大長編となる高橋留美子「めぞん一刻」第1回。トビラには「この秋話題の気鋭ますますセンスアップ!!」「留美ックforアダルト!!」「人生模様がもつれあうオンボロアパートで、管理人響子ハッスル!!」コピーだっさださです。そして宮谷一彦「虎の娘」。実はわたしこれを読むためにスピリッツ買ってました。ま、当然のように連載12回で第一部完となってしまいましたが。

 文章は椎名誠の「全日本食えばわかる図鑑」と松浦理英子の映画評(ルードウィヒ神々の黄昏)。広告はYMOのイエロー・マジック・オーケストラやダイハツ・シャレード。ほぼ同時にビッグコミックフォアレディが創刊されています。

 スピリッツは80年代ニューウエーブと保守的マンガを両輪にして順調に売れていき、翌年には月2回刊になります。それほどとんがらず、といってくさくもなく、というバランスの雑誌でした。(2003/9/29/月)


アクション休刊

 生まれる雑誌もあれば去る雑誌もある。「Weekly漫画アクション」の最終号が発売されました。「Weekly」というのがかっこよかったのですが、来春には月2回刊となるのでこの名前はもうおしまい。双葉社の雑誌といえば「漫画ストーリー」(山上たつひこ「喜劇新思想大系」を読むために買ってました)、「スーパーアクション」(こっちは諸星大二郎「西遊妖猿伝」)は買い続けており最期を看取ったのですが、さすがに本家のアクションは最近読んでなかった。久しぶりに買いました。

 地味ながら健闘してるじゃない。ゲストの江口寿史とやまだないとは別格としても、さそうあきらも、いしいひさいちも、いる。大島永遠「女子高生」、ロドリゲス井之介「独身3」は単行本買ってもいいか。「ルパン三世」まだやってたんだ。そしてバロン吉元。

 思えばアクションを初めて買ったとき、バロン吉元「昭和柔侠伝」は航空隊に入る頃、一時中断していた「ルパン三世」が再会されていた。初期の荒々しい絵が洗練され完成された頃です。「子連れ狼」「同棲時代」「高校生無頼控」その後「嗚呼!!花の応援団」や大友克洋、いしいひさいちまで。アクションはいい作品を作ったいい雑誌でした。復活してほしいのですが、雑誌には寿命があるのでしょうか。(2003/9/30/火)


「COM」の最期はこんなふうでした

 生まれる雑誌もあれば去る雑誌もある。虫プロ発行の「COM」は短命な雑誌でした。「鉄腕アトムクラブ」の発展形として1967年創刊。「まんがエリートのためのまんが専門誌」と銘し、青林堂「ガロ」の対抗誌となりました。

 1971年12月号は表紙松本零士、巻頭はいつものように手塚治虫「火の鳥」望郷編第1回、続いて永島慎二。なかほどには村野守美「ほえろボボ」連載第3回80ページ、巻末に「ぐら・こん」(「COM」名物のマンガスクール)と、良くも悪くもいつもの「COM」でした。総276ページ、定価240円。

 ところが、翌1972年1月号、突然「COMコミックス」と名前を変え、中綴じ182ページ150円の雑誌になります。読者には衝撃でした。表紙は石井いさみの描くバイクに2人乗りするカップルですが、後ろの女の子はなぜかヌードです。手塚治虫、永島慎二、村野守美は掲載されていますが、巻頭は政岡としやの新連載。それまで「COM」で描いていた少年マンガと違い、不良少年物です。その他にやくざマンガやラブコメ。西沢周平やはらたいらのナンセンスマンガも。要は「普通の」雑誌をめざしたのでしょうが、「COM」の読者が普通を求めていたはずがありません。

 2月号からは「火の鳥」休載。3月号では永島慎二去り。4・5月合併号はさらに無惨となり、村野守美もいません。ヌードグラビアつき、巻頭に鳴島生の麻雀マンガ。小森一也の劇画はなぜか「コミックmagazine」1970年5/21号からの転載です。もちろん「ぐら・こん」はありません。一応6月号が4月25日発売と予告がはいっていますが、編集部からの言葉は何もなし。これが「COMコミックス」最終号となりました。

 その後1973年8月に復刊号として1号だけ発売されましたが、これもそれきり。「COM」の休刊には虫プロの内部事情も大きくかかわっていたようですが、一時代を築いた雑誌としてはあまりに悲しい最期でした。(2003/10/1/水)


「越境する本格ミステリ」でお勉強

 「越境する本格ミステリ」(2003年扶桑社)は小説以外のミステリを紹介、評論した本。洋画、邦画、TV、コミックス、ゲームの章に別れていますが、コミックスの章だけでも読みごたえ十分。「金田一少年の事件簿」を中心に「金田一以前」「以後」に分類するのは正しい。「金田一少年」はその質だけでなく、大ヒットしたこと自体がジャンル・他の作品に影響を与えました。

 それにしてもわたしの不勉強でもあるのですが、いかに知らない作品が多いか。主婦の友社「TOMOコミックス名作ミステリー」全30巻(1978〜1979)、講談社「コミックノベルス」全30巻(1983〜1985)など、存在も知りませんでした。前者には関谷ひさし「地獄の道化師」、わたなべまさこ「幻の女」、桑田次郎「完全脱獄」。後者には山本まさはる「殺しの双曲線」、旭丘光志「密閉山脈」、中条健「刺青殺人事件」など。どうです、読みたくなるでしょ。

 ミステリマンガには女性の描き手が多いのは知ってましたが、ここで本格ミステリマンガ家としてあげられている9人、さとうふみや・高階良子・松本洋子・速星七生・宮脇明子・野間美由紀・篠原千絵・たがみよしひさ・いしいひさいちのうち7人までが女性です。そして「金田一以前」として紹介された8シリーズのうち7つが少女マンガ。以前、宮脇明子がインタビューでミステリ・サスペンスが描きたいが描かせてくれないと語っていました。「金田一以後」の作品群が編集主導の企画として出てきた物が多いだろうことを考えると、ミステリ少女マンガのパイオニアたちは苦労したんでしょうねえ。(2003/10/2/木)


一ノ関圭アズナンバーワン

 唐沢なをき「電脳なをさん」第269回(第5巻に収録)「きゅーぶの下」はもちろん、一ノ関圭の「らんぷの下」のパロディですが、ページを横にして1ページに2ページ分を載せている。なぜか。実はこの作品の初出、1972年ビッグコミックで、この変なかたちで掲載されたのです。

 一ノ関圭の「らんぷの下」は第14回ビッグコミック賞(のちに小学館新人コミック大賞に吸収された新人賞です)受賞作。画家青木繁をめぐる、彼をライバル視する男と、もと青木の愛人だった女の物語。圧倒的な画力で、おそらく当時のビッグコミック賞の審査員のだれよりもうまい絵でした。しかも「マンガ」の絵になっている。たとえば、眼はあくまでもマンガ的に大きい。主線はおそらく筆です。で、これがなんと70ページあるわけで、さすがに一気掲載をどうするかという問題を解決したのが、1ページに2ページ分を押し込む変形掲載でした。作品の力が読者を圧倒するだけでなく、その奇妙な載せ方が記憶に残りのちの「なをさん」になったわけです。

 一ノ関圭は1950年生まれ、女性です。東京芸大出身で、小学館から「らんぷの下」「裸のお百」「茶箱広重」の3冊の単行本を出した後、マンガを描くのをやめてしまいました。残された作品はどれも短篇ですが、日本マンガ史上最も絵のうまい作家の一人にまちがいありません。2001年に「絵本 夢の江戸歌舞伎」という大版の歌舞伎図解の本を出版し評判になりました。(2003/10/6/月)


「W3(ワンダースリー)」事件

 手塚作品のなかでも「W3」は好きな作品です。秘密諜報部員・星光一、弟・星真一と三人の銀河パトロール隊員の物語。タイムトラベルを使ってきれいにまとまった哀愁のあるオチ。このころの手塚の絵はまだ色っぽく、ウサギのボッコ隊長萌え〜のヤツもいたはず。アニメの最終回もボッコが人間になって草原に立つ、というラストシーンだったような気が。ボッコ隊長の声はもちろん白石冬美。ただしこのマンガの成立は複雑な経過が。

 1976年ごろ手塚治虫ファンの集いに参加したことがありましたが、そこで「W3が少年マガジンから少年サンデーに移ったのはなぜ」というファンの質問に、手塚は不快そうな顔をして答えませんでした。1965年「週刊少年マガジン」で始まった「W3」は、突然6回で連載中断。「週刊少年サンデー」で、同じタイトル、設定を一部変更し最初から描き直し再開となり、これが現在流通している版です。

 まず、SF作家豊田有恒の「日本SFアニメ創世記」(2000年)の記述から。当時豊田有恒はTVアニメ「エイトマン」の脚本に参加した後、虫プロの社員になり「鉄腕アトム」の脚本家をしていましたが、虫プロアニメの新企画「ナンバー7」が始まります。おそらく1964年頃と思われます。「ナンバー7」は1961年から「日の丸」に連載、核戦争で滅んだ地球と宇宙ステーションで暮らす人類の物語。ただしほとんど新作の形でアニメ化されることになり(東映の「レインボー作戦」と企画がかぶったそうです。このころの東映作品といえば「宇宙パトロール隊ホッパ」<1965年2月放映開始>のことでしょうか)、宇宙物+スパイ物の作品として隊員のペットとして宇宙リスが企画されました。秋田書店「手塚治虫全史」(1998年)によると、主人公の秘密諜報部員が星光一、リスの名がボッコであったと。手塚自身の顛末記でもボッコは頭からテレパシーで話すリスだと記されています。(追記:「ナンバー7」と企画がかぶった作品は一般的には「レインボー戦隊ロビン」と考えられているようです。1966年4月からの放映ですから1964年に企画が始まったのは早すぎる気もします。「レインボー戦隊ロビン」はスタジオ・ゼロが原案でした。スタジオ・ゼロは1963年設立。長谷邦夫「漫画に愛を叫んだ男たち」によると、長谷がスタジオ・ゼロに参加した1965年夏ごろには「レインボー戦隊」が企画されていたそうですから、1964年にはすでにアイデアがあったのかも。)

 ところがTBSのアニメ「宇宙少年ソラン」に宇宙リスが登場することが解り(「さあいくぞチャッピー」ですね)、企画変更してリスをあきらめ、現在の「W3」の形となった。ここでTBSに情報を流したと疑われたのが豊田有恒。怒った豊田は虫プロを退社してしまいます。

 アニメ監督山本暎一の「虫プロ興亡記」(1989年)によりますと(この本は小説形式の回想録ですが)、企画を進めていた東映動画出身の坂本雄作が「ナンバー7」をおりたのが1964年12月。同時に「ナンバー7」は中止。(リス盗用問題には言及ありません。)1965年1月4日の会議で「W3」という手塚のマンガをアニメ化する。チーフディレクターは手塚本人ということが決定されます。

 1997年に「少年マガジン版W3」が発行されたとき、1965年「鉄腕アトムクラブ」に載せた手塚治虫自身の顛末記が再録され、当時の担当・宮原照夫の回想も書かれました。これによりますと、マガジンには「ナンバー7」が連載予定になっていたが、1月5日(関係者たちの記憶が正しければ上記会議の翌日ですなあ)に手塚から連絡があり、講談社からリスのアイデアが漏れたんじゃないかと。講談社はそんなはずはないといい、手塚も一応納得して一件落着。「ナンバー7」は中止となり「W3」が企画されました。リスをウサギに変え、カモとウマを加えて宇宙人を3人にし、新たに星光一の弟・真一が誕生しました。少年マガジンの連載開始が3月初めです。

 しかしもうひと悶着。元週刊少年マガジン編集長・内田勝の自伝「奇の発想」では、「W3」連載中の手塚が「宇宙少年ソラン」のマンガ版が少年マガジンに連載予定であることを知り電話をかけてくる。これが4月のこと。ソランのリスはW3の盗用であるから、マガジンはTBSに抗議してソランの連載を拒否するように。さもなくば「W3」連載を中止する。当時の編集長・井岡芳次は結局「ソラン」の連載を取り、手塚は「W3」連載を引き上げ、古巣のサンデーに移ってしまいました。この経過、どう考えても手塚先生、ワガママ。アニメ「宇宙少年ソラン」の放映開始が5月4日、アニメ「W3」の放映開始が6月6日。で、ほぼそれと同時に少年サンデーの連載が始まっています。

 この後少年マガジンに手塚の作品が載るのは1974年まで待たなければなりません。この間、少年マガジンはアンチ手塚として劇画を積極的に採用し、劇画隆盛を招いたという内田の回想ですが、これはまた別の話。

 少年マガジン版「W3」の連載第1回は1965年3月21日号(発売は3月10日)。コンピューターがあと1年で地球滅亡の予言をするところから始まります。雨の中、W3の円盤兼ロボットが登場し(デザインはサンデー版と同じ)、主人公・星真一がこれを目撃します。駐在さんが出てきて「星さんとこの真ちゃん」と呼びかけたりしてますからまぎれもなく日本の田舎です。ロボットは掃除機みたいな物で馬を吸い込んだりしますが、これもサンデー版と同じ。のちにノッコになるわけですね。

 第2回ではお話変わって東京。売れないマンガ家・星光一は友人がヤクザに殺されるのを目撃し、ヤクザを叩きのめします。この正義感を見込んだ秘密機関フェニックスが星光一をスカウトします。星光一のネクタイ柄や洋服はサンデー版と同じ。フェニックス本部のデザインや上司のMのスタイルもサンデー版とまったく同じです。その後W3登場のシーンなどはマガジン版を切り張りしてサンデー版に流用も。

 大きく変化したのは、サンデー版では真一は学生帽のバンカラ乱暴者ですが、マガジン版の真一は髪型も違いますし、黒シャツに青ネクタイ(のちにサンデー版と同じ服に変更)。バイクを乗り回すロック・ホームみたいなヤツです。田舎者の少年にしてはちょっとハイカラすぎる。ここはサンデー版の真一の方がしっくりきますね。驚くべきは、マガジン版の連載を中止してからアニメ放映開始まで1カ月ちょっと(?)。この間に主人公のキャラクターデザインをすべてやりなおしたことになります。いやあ、ムチャしてますが、いろいろ邪推もできる経過ですね。(2003/10/8/水〜10/10/金)


おおやちきの「りぼん」最終作

 おおやちき(当時大矢ちき)の「りぼん」での活躍は1972年から1975年までの短い間でした。当時小学館では萩尾望都売り出し中で、ちょうど「ポーの一族」「トーマの心臓」「11人いる!」に重なる時期です。

 このころ「りぼん」派だったわたしは毎月古本屋で月遅れのりぼんを買って、一条ゆかりとおおやちきを読んでいました。この二人、とくにおおやちきは「少女マンガにおける劇画」であり、少女マンガの絵の革命でした。彼女たち以前の少女マンガには写実というものがないと思われたのです。それくらい、この時代の大多数の少女マンガの絵は(人物以外)なげやりなものでした。ほんっとにひどかったのは実物を見ていただくしかないのですが、クルマ・ビルなどは幼稚園児の絵を想像して下さい。有名どころの作品も同じでした。そんな中に登場したおおやちきは少女マンガの星の散った巨大眼を持ちながら、鼻の穴を描き、下からあおった顔を描けたのです。

 短篇「白いカーニバル」とその直後の長編「おじゃまさんリュリュ」で、この時期のおおやちきの絵は完成しました。ストーリーの間にはさまれる1ページまるまる使ったイラスト的処理の絵は、このころ萩尾望都も描いていましたが、彼女よりはるかに華麗。短篇「雪割草」では、フィギュアスケート+難病もので、少女マンガの王道を描き代表作となりました。ところが「りぼん」最期の作品となった「回転木馬」、これがひどかった。

 「回転木馬」はおおやちき2つめの長編。「りぼん」1975年4月号から7月号までの連載ですが、単行本にはまとめられていないはずです。愛した男が実は兄というあまりに陳腐なストーリーが、彼女の少女マンガ時代最高ともいえる華麗な絵で描かれます。絵とストーリーのあまりの解離が悲しい。この作品がおおやちきの「りぼん」最後の作品となりました。この後、おおやちきは「リリカ」「ぴあ」に移り、マンガのひとでなくイラストのひとになっていきました。(2003/10/12/日)

 追記:「回転木馬」の主人公たちは兄妹でなく、いとこ同士であるとのメールを頂きました。確かに、主人公たちが不幸な結末をむかえたあと、実は兄妹でなくいとこ同士であったとわかるラストシーンがあったような気が。事実誤認でした。お詫びいたします。それにしてもこの30年前の作品をいまだに読むことが可能な環境のひとがいるんですねえ。雑誌の切抜きを保存されてるそうです。いやあすごい。(2004/1/31/土)