番外編・上海バイク事情A


*

おっと、話がそれてしまった。上海とバイクの話に戻ろう。
そんなこんなで青島と海南島の4日間が過ぎ去り、旅の最後の目的地、
上海についたのは6月の初頭だった。
空港へ降り立ってみると、上海はもう気温もかなり高く、湿度も高いのか、
すぐに体がじっとりと汗ばんでくる。
到着したのは上海の中心に近い虹橋機場で、ここは国内線中心のターミナルだ。
20年前、私はここから日本に帰国したのだが、当時と少しも変わらない。
空港の前は東南アジアのようにごみごみとしていて、新しくモダンな浦東機場とは大違いだ。


虹橋機場は国内線メインの空港

荷物をタクシーに積んで、市内の安ホテルにチェックイン。
それからすぐに市内にセールスに出かけた。
実は今回の旅行のもう一つの目的は、上海に私の会社の商品の
販路を開くというものである。
あらかじめリストアップしておいた代理店数社を、その日と翌日と2日間かけて
訪問して回ったのだが、その内容はここでは省略させていただく。
ただ嬉しかったのは、中国のどの企業の担当者もオーナーも、本当に温かくわれわれを迎え、
真摯にわれわれの話に耳を傾けてくれた事である。
中国の人達に私の会社の商品を売る・・・そんな事を、20年前に果たして
少しでも想像できただろうか。
そういう世の中になったこと、それを今行っている自分がいることに
私は改めて感動を覚えていた。

さて、上海のバイク事情について書くのだった。
私は今回の旅行に2台のデジカメを持ってきたのだが、それで目にとまったものを
片端から撮り歩いた。
青島の美しい町並みや海南島のリゾート風景、そして発展を続ける上海の賑わいと、
まだ残る「老上海」の残骸。
また、私は中華料理にも半ばマニア的な興味があるので、毎食の料理も
一皿ずつ写真に収めておいた。
これについては別項を設けて紹介したいが、日本では決してお目にかかれない
まさに珍味佳肴の数々を腹に収めることができたのだった。


今も残る上海の「昔」

そしてもう一つ私の興味を引いたのが、上海の町にあふれる自動車やバイクである。
先述のとおり中国はかつては自転車大国で、北京や上海の都会人の足といえば
ほとんどがこの自転車と連結式(中央が蛇腹で繋がれた)の乗り合いバスだった。
ところが今や中国にもモータリゼーションの波は押し寄せ、道路は乗用車で
埋め尽くされてしまった。
高速道路も整備され、都市の中や都市間を縦横に高速道路網が張り巡らされている。
そしてその上を数え切れないほどの乗用車が走り回り、時に大変な渋滞を
引き起こしているのだ。
さらに、中国のドライバーの運転マナーも大変なものである。
いや、マナーやルールなどないに等しい。まさしく交通無法状態の中を、無数の自動車が道路
狭しとひしめき合っているのだ。

で、その渋滞の中を縫うようにして多数のバイクや自転車が走り回っている。
バイクといっても日本のような大型バイクは少なくて、原付クラスの小型バイクやスクーターが
多い(もちろんホンダやスズキなどの日本製大型バイク、更に中国製のものもあるのだが)。
男も女も、老いも若きも普段着のままでスクーターにまたがり、
自転車と入り乱れながら大通りや細い路地裏を走り回っている。
どうやらスクーターは、かつての自転車に替わる庶民の足として普及しているようだ。


自動車・バス・バイク・自転車・・・

――あれ?

上海のホテルの前で、目の前を次から次へと通り過ぎるスクーターの列を見ながら、
私はあることに気が付いた。
目の前を走るスクーターの多くが、エンジン音をさせていないのだ。
音もなくすっと近付いてきて、通り過ぎる。

――これはもしかして?

今回の旅行の間私に同行した上海在住のKさん(台湾人)に訊いてみた。

――もしかして、電動?
――そうですね、上海では電動バイクが普及しています。

なるほど、そうなのか。
一見するとどれも普通のスクーターに見えるのだが、どうやらその半数近くが電動のようだ。
日本でよく見る中国製のおもちゃのような電動スクーターと違い、かなり作りも
しっかりしていて、ガソリン車と見分けがつかない。
上海では大気汚染が深刻で、政府は電動バイクを優遇しているらしい。
一台の価格は2万円前後と、誰でも買える価格のようだ。
上海は坂が少なくて平坦な道路が多いので、非力な電動バイクでも充分実用になるのだろう。

しかし、電動バイクがここまで実用化されているというのはちょっと驚きだった。
静音で省エネ・無公害というメリットを備えた「未来の乗り物」電動バイクだが、
それが実用の乗り物として普及するにはまだ越えなければならない壁がいくつかある。
充電場所、充電時間、航続距離、登坂パワー、積載力等々、いずれも簡単なようでいて
解決には労力を要する問題だ。
最近日本でもヤマハが本格的な電動バイクを売り出したが、これとても
全ての問題を解決しているとは言えず、売り上げも伸び悩んでいるらしい。
乗用車ではプリウスのようなハイブリッド車が人気だが、バイクの電動化は
まだ緒に就いたばかりなのである。

――そう思っていたら、なんとここ上海ではポピュラーな乗り物として
庶民に普及しているのだった。
やはり中国の発展はすさまじい。
未来の乗り物を世界に先駆け逸早く普及させてしまうパワーに、私は驚きを禁じ得なかった。

見れば、電動バイクにもいくつかのモデルがあるようだ。
カラーバリエーションもいくつかある。
私は交差点の角に立ち止まり、次々にやってくるバイクを写真に収めた。
おじさんもおばさんも、ギャルも青年も、果てしない上海の交通渋滞の中を
電動バイクでするすると走り抜けてゆく。
なんだか不思議な光景だ。
うーん、上海はやはり未来都市だ。


上海バイク図鑑


バイクというより電動自転車


電動バイクで通勤


なかなかかっこいい(電動)


似ているが微妙にモデルが違う(電動)


これはちょっと旧式(電動)


まだピカピカの新車(電動)


これはガソリン車ですな


中国のおばさんはたくましい


おまわりさんはヤマハの大型バイク


「LPG」とあるのでプロパン車?

*

さて、そんな事をしているうちに上海での2日間も過ぎてしまった。
上海ではもう少し観光もしたかったのだが、仕事の方が忙しくて何も見ることとができなかった。
それでも企業訪問の合間には、何ヶ所かの観光スポットを回る事ができた。

まずはオールド上海を代表する庭園「豫園」。
絵に描いたように中華風なこの古い庭園は、まさしく外国人が抱く中国のイメージそのもので、
上海の観光客が必ず訪れるスポットになっている。
庭園の中には金や赤で塗られたぎらぎらに中華風の建物が連なり、みやげ物店や
飲食店になっているのだが、その中で有名なのが小籠包の名店「南翔饅頭店」。
ここの小籠包は絶品で、いつでも行列が絶えない。


豫園。おばさんは関係なし。


これぞ中華


この小籠包を食わずして上海を語る無かれ

実は私がこの豫園を訪れるのは2度目なのだが、今回行くまでどんな場所か
思い出せなかった。
この南翔饅頭店で食べた小籠包の味だけははっきりと覚えているのに、
豫園に関しては何も思い出せないのだ。
20年前にも園内には長い行列ができており、私はそこに1時間並んでやっと
小籠包にありついた。
当時まだ日本では小籠包という食べ物は一般的ではなかったような気がする。
注文の仕方が量り売りなので単位がわからずに「1斤」と頼んだら山ほど
持ってこられて驚いた(1斤は500グラムくらいらしい)。
それほど良くここの小籠包に関しては覚えているのに、豫園については何の記憶もない。
私がいかに食いしん坊かということだ。


店内はモダンで清潔


日本語メニューもある


そして、来ました

中国滞在の最後の日の夜、外灘(わいたん)を訪れた。
外灘は上海の中心に位置する古い街区で、租界時代のクラシックな建築物が
川沿いに数キロにわたって連なリ、上海随一の観光スポットになっている。
川沿いに遊歩道が整備されており、その上を多数の上海市民や観光客が
そぞろに散歩している。
遊歩道の片側には露天が軒を連ねており、まるで神社のお祭りのような賑わいだ。

ここからの景観が素晴らしい。
川のこちら側は、租界時代の名ごりを留める古めかしい外観のビルが立ち並び、
それがライトアップされて夜空に浮かび上がっている。
一方、川の対岸はつい近年に開発された新興ビル街で、現代中国のシンボルとも言える
「東方明珠塔」(テレビ塔)を始め数々の近代的――と言うよりも未来的な建築物が
立ち並んでいる。
20年前、このエリアはただの空き地だったはずだ。
川をはさんで向き合うこの二つのエリアは、まさに中国の過去と未来の縮図だ。
日本や西洋の列強に侵食され、否応なく近代文明を受け入れていった戦前の中国と、
改革開放後の空前の発展に沸く現代中国が、ひとつの川をはさんで対峙している。
その姿そのものが、今の中国を何よりもよく表している。


夜の外灘


夜店も賑わっている


対岸の未来都市

川越しに対岸のビル群を眺めていると、間の前をひっきりなしに屋形船が通過してゆく。
どの船も賑やかな電飾に飾られて、観光客を満載している。
川の流れは穏やかで、船の灯りをゆらゆらと反射させている。
そしてその向こうには未来のビル群が聳え立ち、照明が夜空を明るく染めている。


フェリーニの映画の一コマのようだ

なんだかこれは夢のような光景だ。いや、本当に夢の中にいるのかもしれない。

私は20年前の事を思い出していた。
上海では、この外灘のすぐそばのホテルに宿を決め、数日をそこで過ごした。
毎朝古い鋼鉄製の橋を渡って外灘へ出ると、そこには大勢の市民が集まって
太極拳の練習をしていた。
ジミーという世界旅行中のストリートミュージシャンと仲良くなり、同じ宿に泊まって、
市内を観光して回り、蘇州や杭州まで足を伸ばした。
中国人の友人もできて、彼と和平飯店(今もある)のバーに行こうとしたら、
中国人はオフリミットだと言われて入場できなかった。
アンティークショップでロシア製のコピーライカを買い、それで雑技団のショーを撮影した。
・・・

そんな20年前の光景が、まるで昨日の事のように次々と眼前に浮かんでくる。
そうだ、20年前私は確かにここにいた。
長髪で、汚いTシャツとジーンズを着て、大きなバックパックを背負い、
この場所を今と同じように歩いていた。
それはたった20年前の事なのだ。
若者だった私と、おじさんになった私。
貧しかったかつての中国と、発展を続ける現代中国。
20年はあっという間に過ぎ去り、全てのものを変えてしまった。
20年まさに夢の如し。
邯鄲一炊の夢という故事が中国にあるが、私は長い夢を見ていたのかもしれない。
今見ている20年後の中国は実は夢物語で、目が醒めると20年前に
連れ戻されるのかもしれない。
私はまだ、長い中国旅行の途上にいるのかもしれない・・・。

酔った頭でそんな事を思いながら、私は外灘のほとりをぶらぶらと歩いた。
古い上海を代表するホテル「和平飯店」の前で通りを横切り、上海一の繁華街
「南京路」に入る。
通りの両脇には賑やかな商店やデパート・飲食店・カラオケ店が連なり、
その前を大勢の人々がぞろぞろと歩いてゆく様子は、まるで渋谷や新宿のようだ。
商店の棚には物があふれ、中国がお金さえあれば何でも買える国になった
ことを表している。
20年前来た時には、上海には買い物のできるような店は何もなかった。
確かここから数ブロック入ったところに「友誼商店」といういわゆるドルショップがあり、
観光客はそこで少ないチョイスの中から土産品を選ぶしかなかった。
それが今は、ブランド品を含め世界の高級品が山積みになっているのだ。


賑わう南京路


夜遅いのに、人出が多い

南京路のはずれからタクシーに乗り、「新天地」へと向かう。
新天地は最近人気の高いエンタテイメント・スポットで、古い倉庫街を改装した一角に
バーやレストランが軒を連ねている。
石畳で敷かれた通りの上にも椅子とテーブルが用意され、多くの観光客
(特に西洋人が多い)が飲み食いしている。
建物の外壁は租界時代の煉瓦造りの様式がそのまま残されており、その中に
モダンな飲食店が入っているのがいかにも上海的だ。
過去と現代。東洋と西洋。
上海は常にそのはざまにある。
それらが混沌として入り混じり、あらゆる物を呑み込んで成長してゆく。
その昔「魔都」と呼ばれた上海は、時代が変わった今も健在である。


新天地は不思議な一画



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