
君が代について
みなさん、「君が代」を知っていますか。
そう、我が日本国の国歌です。では歴史は知っていますか?
この「君が代」の歴史は意外と知られていないものです。そこで今回私管理人がこの「君が代」の歴史を調べたので教えちゃいましょう!!
君が代の歴史について
「君が代」は、日本が長い鎖国から目覚め、諸外国と交流を持ち、周囲の国がそれぞれ国歌と言うものを持っていることを知り、さっそく日本国国歌を作らなければと考えたことにより作られることになった。そこでまず『古今集』にあった詩を手直しして「君が代」と言う詩を創作した。そして作曲は、当時イギリス公使館にいたイギリス軍楽隊長のジョン・ウィリアム・フェルトンに作曲の依頼を出したのであった。
その「君が代」は、1870(明治3)年9月8日、東京越中島での天皇閲兵の時に西謙蔵の指揮により薩摩藩軍楽隊の演奏で初演されたのである。
ところが、その初演後、軍部や軍楽隊長から「あの曲は威厳に乏しく国風にそぐわないので改作をしたほうが良い」と言う意見が出されたのであった。
しかし、しばらくの間は、そのフェルトン作曲の「君が代」を演奏していて、それから10年経った1880(明治13)年10月25日に宮内省楽長の林広守が作曲し直した君が代が初演されることになった。
これが、現在も演奏されている「君が代」である。
こうして、日本人の手による曲が出来たわけだが、その君が代の演奏や合アレンジなどはドイツ人フランツ・エッケルトが担当していた。
現在、君が代で歌われている歌詞は1番しかないが、実際には2番もある。それどころか、現在歌われているのは1番の途中までである。1881(明治14)年に発行された『小学唱歌集(初篇)』の中に記載されている「君が代」の歌詞は
(1)
君が代は/千代に八千代に/
さざれ石の/巌となりて/苔のむすまで/
動き無く/常磐(ときわ)かきはに/限りもあらじ
(2)
君が代は/千尋の底の/
さざれ石の/鵜(う)のゐる磯と/あらはるるまで/
限りなき/御代(みよ)の栄(さかえ)を/ほぎたてまつる
と言う物であった。
現在のように1番前半までしか歌わなくなったのは、明治30年頃だと言われている。
1893(明治23)年8月12日、文部省告示「小学校祝祭日大祭儀式規定」が公布されて、小学校の祝日・大祭日の唱歌として『君が代』『一月一日』『紀元節』など8曲が定められた。
しかし、それから100年間、君が代は「国歌」のように思われ続けていたが、条文にはそれを定めた物が無かったのである。
そして、小渕恵三内閣のときに、国旗と国歌は我が国が成文法の国で、国旗と国歌が今まで慣習として「日の丸」「君が代」だったので、二十一世紀を迎えることを一つの契機として国旗と国歌を成文法で明確に規定することが必要だと考えたから法制化するとして、
1999(平成11)年6月29日衆院本会議 国旗・国歌法案の提案趣旨説明。
1999年 7月22日衆議院本会議 国旗・国歌法案、討論と採決。
1999年 7月28日参議院 国旗・国歌法案提案趣旨説明、質疑。
を経て、1999(平成11)年、「国旗国歌法」により、正式に国歌となった。
その詳細は、
国旗及び国歌に関する法律
平成11(1999)年8月13日 法律第127号
平成11(1999)年8月13日施行(附則)
別記の図は官報を元に再構成
(国旗)
第一条
1 国旗は、日章旗とする。
2 日章旗の制式は、別記第一のとおりとする。
(国歌)
第二条
1 国歌は、君が代とする。
2 君が代の歌詞及び楽曲は、別記第二のとおりとする。
別記第二
君が代の歌詞及び楽曲
一 歌詞
君が代は
千代に八千代に
さざれ石の
いわおとなりて
こけのむすまで
二 楽曲
である。
次に、国旗及び国歌の法制化の趣旨についてだが、これには、1999(平成11)年6月29日衆院本会議、国旗・国歌法案の提案趣旨説明に際して当時の首相小渕恵三氏が次のように答えている。
「日の丸及び君が代は、長年の慣行によりまして、それぞれ我が国の国旗と国歌であるとの認識が広く国民の間に定着していると考えられることから、本年二月の時点では、特に法制化することは考えていない旨答弁いたしたものであります。 しかしながら、よくよく考えてみて、我が国は成文法の国であること、また諸外国では国旗と国歌を法制化している国もあることなどから、二十一世紀を迎えることを一つの契機として、これまで慣習として定着してきた国旗と国歌を成文法で明確に規定することが必要と考え、法制化を図ることといたしたところであります。」
また、君が代の歌詞については当時の国務大臣である野中広務氏が同じく1999年6月29日衆院本会議、国旗・国歌法案の提案趣旨説明の際にこう説明している。
「君が代の歌詞についてのお尋ねでございますが、君が代の歌詞は、我が国憲法のもとでは、天皇を日本国及び日本国民統合の象徴とする我が国の末永い平和と繁栄を祈念したものと理解することが適当と考えており、憲法の主権在民の精神に合致するものであると認識をいたしております。君が代の歌詞は、御法川議員御指摘のとおり、古歌に由来するものであり、悠久の時間の中で国の繁栄を祈る、極めて平和的な歌で、まさに我が国の国歌としてふさわしいものであると認識をいたしております。さらに、君が代の曲についてのお尋ねでありますが、それぞれの国の国歌は、その国の歴史や国民性を背景とした音楽性を持つものでございまして、このようなことから、我が国の国歌君が代は、御法川議員も御指摘のとおり、我が国古来からの国民感情や音楽性を十分考慮してつくられたもので、歌詞と旋律が調和し、荘厳で優雅な曲であると認識をいたしております。」
以上で、「君が代」の歴史と法制化の理由の説明を終わる。
「君が代」について-管理人の意見-
私は、「君が代」が国歌であってよいと考えている。その理由は「君が代」ができた経緯を考えれば分かる。前に書いたように、日本が長い鎖国をやめ、日本国国歌を作らなければと考え、作ったのが「君が代」である。そして、他に、国歌として作られた歌はないからである。
そして、「君が代」が国歌であることに反対する人々の中には、昭和の初め、「君が代」が「戦争に利用された」事だけをやり玉にあげて「ダメだ」と反対する人々が多く見受けられる。しかし、野中氏が国旗・国歌法案の提案趣旨説明の際に「それぞれの国の国歌は、その国の歴史や国民性を背景とした音楽性を持つもの」といっているように、「戦争に利用された」事もまた歴史なのではないだろうか。したがって、「戦争に利用された」と言うだけで反対するのでは、あまりにも子供じみている。したがって、「戦争に利用された」と言うことを踏まえて国歌を歌うたびに先の第二次世界大戦の様なことが起こらないよう願うべきではないだろうか。
「戦争に利用された」と言う事実はもう隠し様がないし、また隠してはならない。そして、何よりそのことを忘れてはならないと私は考える。
よって「戦争に利用された」から反対すると言うのはおかしいと考える。
参考文献
1.内藤孝敏 『三つの君が代』 中央公論社
2.野間裕史、「君が代について」、オンライン、「Trumpet Player 野間裕史のページ、インターネット、http://web.kyoto-inet.or.jp/people/tpnoma/kimi/kimigayo.html (2004/12/24にアクセス)
3.吹田教職員組合、「「国旗・国歌法案」国会論議」、オンライン、「吹田教職員組合」、インターネット、http://www.suita21.net/~zenkyo/h2k/h2k-dict.html(2005/01/01にアクセス)
「君が代」は国歌です。
これを機に
みなさん是非「君が代」について一度考えて見ましょう。(2006.01.15)
