お釈迦さまからあなたへ

お釈迦さまの願い



お釈迦さまの願い・・・P.17
真言宗の「仏前勤行次第」では、次のような十の「〜しません」という誓いを立てる部分があります。

<十善戒>
この身今生より 未来際をつくすまで、十善のみおしえを守りたてまつらん

弟子某甲(でじむこう) 尽未来際(じんみらいさい)
不殺生(ふせっしょう) 不偸盗(ふちゅうとう) 不邪婬(ふじゃいん) 
不妄語(ふもうご) 不綺語(ふきご) 不悪口(ふあっく) 不両舌(ふりょうぜつ) 
不慳貪(ふけんどん) 不瞋恚(ふしんに) 不邪見(ふじゃけん)

【解説】
仏弟子である自分はいつまでも仏の十善戒を守り、
(一)殺生せず、
(二)盗みをせず、
(三)ふしだらな行為をせず、
(四)嘘をいわず、
(五)へつらいをいわず、
(六)悪口をいわず、
(七)二枚舌を使わず、
(八)貪りの心を持たず、
(九)そねみ心を持たず、
(十)邪心を持たず、
の身三(しんさん:体の行為3つ)、口四(くし:口の行為4つ)、意三(いさん:意の働き3つ)の戒を守っていきます。

殺生せず 盗みをせず ふしだらな行為をせず
嘘をいわず へつらいをいわず 悪口をいわず 二枚舌を使わず
貪りの心を持たず そねみ心を持たず 邪心を持たず

これらは、お釈迦さまが私たちに、願われていることなのです。

『仏は、仏に成ろうとして殺生の罪を離れることを修め、その功徳によって
人びとの長寿を願った。

仏は盗みの罪を離れることを修め、その功徳によって
人びとが求めるものを得られるようにと願った。

仏はみだらな行いを離れることを修め、その功徳によって
人びとの心に害心がなく、また身に上や渇きがないようにと願った。

仏は、仏になろうとして、偽りの言葉を離れる行を修め、その功徳によって
人びとが真実を語る心の静けさを知るようにと願った。

二枚舌を離れる行を修めては、
人びとが常に仲良くして互いに道を語るようにと願った。

また悪口を離れる行を修めては、
人びとの心が安らいでうろたえ騒ぐことがないようにと願った。

むだ口を離れる行を修めては、
人びとに思いやりの心をつちかうようにと願った。

また仏は、仏になろうとして、貪りを離れる行を修め、その功徳によって
人びとの心に貪りがないように願った。

憎しみを離れる行を修めて、
人びとの心に慈しみの思いがあふれるようにと願った。

愚かさを離れる行を修めて、
人びとの心に因果の道理を無視する誤った考えがないようにと願った。

このように、仏の慈悲はすべての人びとに向かうものであり、その本領は
すべて人びとの幸福のため以外のなにものでもない。
仏はあたかも父母のように人びとをあわれみ、
人びとに迷いの海を渡らせようと願ったのである。』

ここで述べられていることは、人間が人間として行うべき最低限の行為行動に過ぎないと思います。
親から子へのしつけの範疇だと思います。

お釈迦さまの願いをそれぞれ、逆から読んでみると、また感じ方が変わります。

例えば、「偽りの言葉」では、
「真実を語る心の静けさを知らないから、偽りを言うのだ」と。
「むだ口」では、
「思いやりの心がつちかわれていないから、むだ口を言ってしまうのだ」と
読み変えてみると、自分も他人も許せる気持ちもでてきます。

この十善戒を守ってみようと意識をし始めると、
お釈迦さまが私に対して願ってくださっていることが、本当にかなっていると思えるようになります。
感謝です。