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福沢諭吉を語る

福沢諭吉は、自由とは人々が、たがいに助けあい、自分のつとめを守ることであると教えた。自分の権利をとなえるとともに、国の法律をまもらなれればならないと説いた。

 

福沢諭吉は、中津藩(大分県中津)の、身分の低い武士の子として生まれた。
中津藩は、小さい藩であったが、身分低い諭吉は、学問の関心の多い人々と勉強している。 1853(嘉永)年に、ペリーが来航している。開国してから洋学に関心を持った。21才の時に、長崎で蘭学を学んでいる。
長崎で蘭学を学び、新しい知識をえて文明の指導者となって 活躍した。人々の生活に役立つ学問が必要であると考えて
学問のすすめ
」という本を 書いた。
「学問のすすめ」で、「天は人の上に人をつくらず。人の下に人をつくらずといえり」という言葉は、有名である。
これは、人間に上下のくべつはない。誰でも平等なのだという意味である。

写真は、福沢諭吉像(慶応義塾大学)と「学問のすすめの本」

江戸時代の学問は、儒教がもとになって、古い教えの意味を知ることが一番大切なこととされていた。
現在の貨幣で、壱万円に肖像画が、印刷されている。

福沢諭吉は、国民にも

 

国家にも、自由と平等が 必要であることを考えたのである。

 

自由とは、人々が互いに 助け合い、 自分の努めを守る

 

ことであると教えた。 

 

福沢諭吉は、日本を近代化するためには、

 

何よりも教育が大切だと考えた

 


1858年に江戸の築地に洋学塾を開いた。

 

これが慶応義塾なり現在も続いているのである。

 

政府に頼らず私立の学校で、自由に教育を行い、独立の精神を養い教育

 

を行っている。

 

慶応義塾の教育をうけた立派な人々が、日本の経済界・政界にも中心となって

 

活躍している。

 

わたしも、福沢諭吉の心訓が人生のすすみ道を教えていると思っている。
上田修一  慶應義塾大学文学部  (1996年10月開設)より抜粋


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         写真と説明文は「日本の歴史」「学習研究社発行」から

引用している。


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作成・最終更新日 2001.5.25:makawa_48