川が京都大阪間の主要な交通網だったころ

枚方の宿


 
 鍵屋/今は資料館として残っています

 淀川の水運は木津川を経由すれば奈良の都へ、桂川を経由すれば京の都へと続く、日本の中心と各地を結ぶ重要な交通手段でした
 中世の淀川には、河口から京都までの間に通行料を徴収していた関所が600あまりあったようです
 江戸中期には、1日千艘もの船が往来したといわれ、中でも、伏見・大坂間の旅人を乗せた三十石船は、さまざまな物語などに登場する淀川の名物でした
 鍵屋は江戸時代に東海道(京街道)の宿場町だった枚方宿で、三十石船の船待ちの宿として栄えました

  
 (左)街道側の鍵屋正面
 (右)街道から裏の淀川へ抜ける土間トオリニワが続く/土間脇にはカマヤがあります

  
 (左)淀川の方から見る/昔は堤防はなくすぐ川に面し、ここから船が出入りしていました
 (右)宿内まで船が入ってきていました 資料館に展示してある模型です

 
 63畳の大広間は昭和3(1928)年に建て替えられた際に設えられました

 かつては鍵屋の裏は淀川が迫っていて、鍵屋浦として船の出入りがあったようです
 川を行く三十石船には、岸から客引きの三味や太鼓の音色が聞こえ、また、餅や酒を売る くらわんか舟 が近づいてきたようです

 「鍵屋浦には碇(いかり) がいらぬ  三味や太鼓で船とめる」

 と三十石船唄でも唄われていました
 しかし、明治以降、鉄道や蒸気船の登場によって三十石船は衰退します
 さらに、京阪電車の開通で汽船業が下降していきます
 こうした時代の状況に合わせてさまざまに変化してきた鍵屋ですが、平成9年まで料亭として営業してきました
 現在は市の文化財として母屋は文化8(1811)年の姿に復元され、昭和3年建築の別棟も資料館として生まれ変わっています
 淀川は整備され、府道京都守口線ができて、鍵屋と淀川も完全に分断されています

 川と結びついていて、くらわんか船の威勢のいい売り子のかけ声など、にぎやかだったころの鍵屋を体験したくなってきます

 
 和室の照明器具にも鍵屋のトレードマークが

  (2009.6.30)

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