絵は自然をそのまま写すことではない。自然の美しさを自分なりの色や形に変えて表現することだ。絵はがきの写真と絵の美しさとは当然違うものでなくてはならない。そのまま写すのであれば写真を使えばよいわけで、絵に描く必要はない。初心者の絵に絵はがきのような絵がよくあるが、これは絵画についてよく知らないことが起因する結果である。また、売り絵の中にもこれに近い類のものをよく目にすることがある。絵について知らない素人の目をごまかすには、この類の作品でもいいのかも知れないが、プロを目指している者にはこれではいけない。前に述べたが、ハイレベルの鑑賞眼を養っていくことが必要かつ、絶対条件だ。鑑賞者のレベルはさまざまだが、プロの作家を目指すならこのことをしっかり頭にいれて取り組む必要がある。売り絵を意識しないで、描いた絵がそのまま売れていくことが理想だか、絵を買ってくれるお客は、そのレベルまで鑑賞眼があるわけではないので、難しいところだ。本当に有名な作家になれば、売り絵を意識しないでも、その作品がどんどん売れていくと思うが・・・・それまでは、展覧会の作品と売り絵の作品の両方を使い分けてやるしかないだろう。もっとも絵を売る必要のない者は、展覧会に全力集中すればよいわけである。絵だけで生活したいと思ったら、この使い分けが絶対に必要だ。よく売れる絵がよい絵であると勘違いしないでほしい。その辺のことをしっかり認識して制作を続けてほしい。絵で生活をしたいがためにレベルを下げた作品づくりに精出すと、絵画の本質を見間違えることになるので注意したい。絵が売れればよいという狭い考えの取り組みは、ダイナミック性を失うことにもなる。商業美術と純粋美術という言葉があるが、プロの作家を目指すなら純粋美術の考えを大切にしてほしい。売り絵風の絵は、きれいで、嫌みがなく、清涼感があり、誰にも好かれ、心の癒しになるかも知れないが、それではいけないと思う。その反対の絵に近いあくの強い、個性的な、独創的な作品を目指してほしいなと思う。どちらにしても、難しい技法が必要であるので、簡単には身につかない。ただ一般的には全力投球をした個性の強い作品の方が芸術性が高いと言われる。どちらの方向に行くかは本人の選択であるので自由だ。きれいに仕上がった売り絵に近い絵でも作者のオリジナリティーが出ている絵はいい絵である。岡鹿之助の絵はこれに近い。渇筆の技法を使い、点描で描いたオリジナル性の高い絵だ。なかなかこんな絵は描けない。個性が全面に出た絵は晩年に描かれたものが多い。日本画で言うと、福田平八郎の絵は単純明快で思い切りのいい作品だ。また、洋画では熊谷守一の作品も同様なことが言える。同じように、雑念を切り捨てたところに強烈なオリジナルティーを感じる。これらの絵は、一般的には受けがよくないかも知れないが、画家としての執念を感じ取ることができる。うまく描こうとか、売れる絵を描こうといった世俗の考えのないところがいい。このような絵が描けるようになるまで現役でがんばっていきたいものだ。
平成18年4月7日(金) 記
Copyright (C) 2013 Nagura Hiroo. All Rights Reserved