宗教

  • 聖書を書いたのは誰ですか?
  • 預言者と予言者の違いについて教えてください
  • サバトって何ですか?
  • ピピン支持と偶像禁止令ってどういう関係があるんですか?
  • イエスキリストがユダヤ人って本当ですか? JESUSは何語ですか?
  • ハインリヒ4世が破門を解かれたあと、グレゴリウス7世を追放しましたが、なぜ、このとき教皇の権威は失墜しなかったのですか。
  • 法王と教皇の違いについて教えてください。
  • なんで教皇はセックスしまくるわけ?
  • 聖界諸侯は本願寺のように世襲なのですか?
  • 中世の近親婚について
  • ルターは本当は宗教改革をするつもりはなかったって本当でしょうか?
  • 神父と牧師はどう違うのですか?
  • 修道士と司祭の違いが良くわかりません
  • 「隠修士」について教えてください
  • 魔女狩りについておしえてください。
  • 火刑に何か宗教的な意味はあるんでしょうか?
  • 中世におけるキリスト教会の資金源を教えてください。
  • 異宗派の王室に嫁いだお妃さんの宗派ってどうなるんでしょうか?
  • ヴァロワ家から王位を継ぐまでのブルボン家は何故改革派を信仰していたのですか?
  • コンスタンティノープル陥落後、ビザンチン帝国のギリシャ正教の総本山の地位は、どこに移ったのでしょうか?
  • コンスタンティノープルにいた東方正教会の総主教って今もいるのですか?
  • 正教信者たちはイスタンブルではなくてコンスタンティノープルって言うんですか?
  • 植民地獲得時代のキリスト教をどのように考えればいいのでしょうか?
  • どのような人が宣教師として新世界に行ったか
  • イエズス会の人たちは奴隷商人だったんですか?
  • 救世軍って何者ですか?
  • 偶像崇拝について
  • 東欧へ西欧から迎えられた君主たちはその国の正教に改修したのですか?
  • バラモン教とヒンドゥー教はどう違うんですか?
  • 宗教と権力が結びついた取り返しのつかない事態の例は?
  • 聖書を書いたのは誰ですか?

    歴代の電波受信者が書きつづけてきました。
    冗談はともかく、聖書の巻末に「○○の福音書を書いたのは××」というような資料が載っていると思われます。
    : 01/09/29 07:53

    top

    預言者と予言者の違いについて教えてください

    「予言」と「預言」は違うぞなモシ!ってゆう言説は日本ではここ20年ほど前から、聖書学者や神学者などから強調されるようになっていますが、これ自体が全くの大間違いです。彼等は「預言とは神から言葉を預かって民衆に授けることだ」という説明をしています。だけど英語では両方とも"prophecy"(動詞ならprophesy)です。
    そして預言者も予言者も"prophet"で、両者を区別する表現は見当たりませんよね。この点だけ考えても「預言とは予言と違って・・・」なんて得々と説教してる人に対し「アンタ何もったいぶってネタかましてるのさ」と激しく言ってやりたいです。
    まあ基督教神学の解釈上でprophecyに特別の意味付けがなされているのかもしれず、そこまで立ち入って議論する素養はありません。
    問題は彼等が「預言」という漢語から望文生義して、「預言とは言葉を預かること」と理解して、素直な信者未信者に権威を振りかざして解釈の強制をしていることです。
    そこで漢語として「預言」は「言葉を預かる」の意味に解釈できるのかという点を次に検討してみます。
    邦訳のバイブルの文章は漢訳聖書から引き写した(または参照した)ものです。
    今手元に清代に訳された聖書がありませんが、以前に読んだ記憶では「預言」という表現になっています。そして邦訳もこの漢字をそのまま使用したものです。
    これら漢訳や初期の邦訳の「預」は「豫」の別体であり、「予」は「豫」の略体です。いずれも「あらかじめ」と訓み、「前もって」の意味に使われています。現在の支那語にも「預算」や「預想」といった表現はありますが「預金」はありません。つまり預=予にほかならないんで「預言」即「予言」なんです。一方また「預」は「與」とも通仮します。この場合は「関与」の「與」と同じ使い方で、「何かに与る」即ち他人が主体となっている業務に参与するということです。そうした意味の「・・・にあずかる」ということです。決して他人の所有や占有に係る物や本来は他人の専権に属する事を、暫く仮に受託するという「・・・をあずかる」といった使いか方のできる漢字ではありません。「神の言葉を預かる」は全くの誤解です。
    彼等は「をあずかる」と「にあずかる」を混用した思い込みから、こうした誤解に導かれてしまったのでしょう。
    あやめ ◆C0.O2CxIMg :2005/06/06(月) 13:21:09
     
    > そして預言者も予言者も"prophet"で、両者を区別する表現は見当たりませんよね。

    そもそも英語のprophetはギリシャ語προφητηs(prophetes)の借用で、古典ギリシャ世界でのその意味は、

    1. one who speaks for a God and interprets his will to man, a prophet.
    2. generally, an interepreter, declarer.
    (Liddell & Scott, _Intermediate Greek-English Lexicon_)

    つまり巫のこと。>>246も言う通り英語では「予言」はprediction,
    「予言する」はpredictあるいはforetell, 「予言者」にはforeteller
    という言い方もある。prophetも使われるけどさ。
    2005/06/06(月) 14:49:38     

    top

    サバトって何ですか?

    サバトは、本来ユダヤ教の休日(土曜日)の意味。
    これは、創世記で世界を創造した神が7日目に休みを取ったという記述に由来する。

    しかし、キリスト教徒にとってユダヤ教は憎むべき異教。(だったw?)
    その関係もあり、異教徒の休日→悪魔崇拝者の儀式の日 という図式で理解されるようになっていった模様。

    絵図で描かれる黒山羊頭の悪魔は、古代ローマの神々の一人、サトュルヌス神に由来する。この神は saturday 、つまり土曜日の語源なのだが、発音がサタンに似ていたこともあって混同されてしまった模様。英語でsaturn → saturday
    03/04/25 08:08

    top

    ローマ教皇がピピンを支持したこととビザンティン皇帝の偶像禁止令っていったいどういう関係があるんですか?

    思いっきり簡単に言うと、
    ローマ教会では布教に聖像を用いる必要があったのでビザンツ側の言い分を聞くわけにいかず対立が避けられないので、ビザンツの息のかかってない勢力を用心棒にしたい。一方、フランク側では西欧をまとめる政治勢力としての正統性を与えてくれる宗教的権威が欲しい。この利害が一致したので手を組んだ、ってお話。
    04/02/10 02:13
    スポンサーを乗り換えた。ローマ教皇(カトリック)は偶像崇拝まがいの手段でゲルマン人フランク人などに布教した。その頃までずっとビザンティン皇帝がローマ教皇のスポンサーだったが、偶像崇拝は駄目というビザンティン大主教(後のギリシア正教)の方に肩入れをした。スポンサーが無くなったローマ法皇は肩代わりとして、新興国のピピンに目をつけた。 ピピンも権威が得られるし、ローマ法皇も新しいスポンサーが見つかって目出度し目出度し。(大まかに言えばこうなる。専門家的には註がいっぱい必要だが)
    04/02/10 02:21

    top

    イエスキリストがユダヤ人って本当ですか? JESUSは何語ですか?

    何を持ってユダヤ人とするかによるが、彼自身はユダヤ人と自己認識していたらしい。
    Jesusはラテン語。
    パシッチ ◆mWYugocC.c 03/04/03 16:28
    キリストがユダヤ人だったため、キリスト教徒の人たちは、ユダヤ人に
    激しい嫉妬心を燃やしているそうだ。ある意味では、ユダヤ人のほうが
    キリストに近いとも考えられるからだろう。
    03/04/03 16:36

    top

    ハインリヒ4世が破門を解かれたあと、グレゴリウス7世を追放しましたが、なぜ、このとき教皇の権威は失墜しなかったのですか。

    教皇の権威を利用したい人たちがいっぱいいたから。
    02/02/08 21:52
    権威は失墜しましたよ。でも、迫害されることは、宗教者として致命的な傷ではありません。グレゴリス7世の頃は、教皇が国王と対等に争っているというだけで凄いと思われる時代でした。
    それと、教皇の権威なるものの性質を考えてみる必要があります。教会は、ヨーロッパ全土に支部をはりめぐらせた唯一の組織です。情報力抜群、知識力も抜群。士気も高い。だから外交能力も抜群です。
    国内がばらばらなき、事情にうとい中小勢力は誰についていいのか迷ってしまいます。そういうときに教会が旗を振ると「こっちだ」とみんなが思うのです。
    ところが、国内がまとまっているときには、実力を持っていない教会は何もできません。相手を納得させるだけの材料がないと、いくら高い外交能力があっても使いようがありませんので。
    ハインリヒの屈辱も逆襲も、国内の分裂のありなしで決まったことです。
    : 02/02/11 14:12

    top

    法王と教皇の違いについて教えてください。

    歴史用語としては教皇、外交用語としては法王。そこからマスコミ用語も法王。ちなみに日本カトリック教会では教皇と呼ぶようにと主張している。
    03/04/01 21:35

    top

    なんで教皇はセックスしまくるわけ?アレクサンデル6世とか美少年大好きだったし。

    中世の法王庁は聖職者の頂点であると同時にイタリア中部最大の領主でもあった
    だから法王といえども領主としておこなった行為に関してはお咎めなし
    中世の法王庁は周りの俗権領主とたいしてかわらなかった
    04/02/23 15:55
    小説なのでどこまで本当かよく分からんが、佐藤賢一の「カルチェ・ラタン」に出てくる主人公の相棒の僧侶も、かなり女癖が悪かった。
    それから推測するに、当時は多分、(甲斐性さえあれば)聖職者でも愛人の一人か二人は持ってよかったんでないかと。一般的に。むしろ「妻帯禁止」な分、自由にそういうことが出来たという話。作者は一次史料当たってるから、全くの嘘ではないと思う。

    無論、行きすぎると反発があるわけで、何度か綱紀粛正運動も起きている。ルターの宗教改革も、イエズス会も、本来はそういう面があった。
    Ryuju ◆RlujhF6VrA :04/02/23 16:18

    top

    聖界諸侯は本願寺のように世襲なのですか?

    原則として世襲ではないんだが、特定の一門でたらい回しという例もあった。
    例えば17世紀頃だと
    ケルン選帝侯(ケルン大司教)・・・ヴィッテルスバッハ家
    オスナブリュック司教・・・・一代おきにヴェルフェン家から
    など。
    03/04/22 01:41
    つかそもそも聖職者は妻帯しちゃダメですよ。
    付け加えておくと、一門で1つの聖職を占有するという例は存在します。
    例えばモンテネグロ公は同時にツェチニェの主教でもあった(主教公制)のですが、この主教公制は叔父から甥に世襲され続けました。
    パシッチ ◆mWYugocC.c 03/04/22 21:47
    「東方正教会の在俗司祭は妻帯するのが通例」と事典にありますた。
    03/04/23 10:10

    top

    中世のキリスト教というかカソリックは、近親婚をかなり厳密に禁止していましたよね。でもちょっと時代は違っているけど、ハプスブルグ家は近親婚を繰り返してますよね。 いつから考え方が変わったのでしょうか?

    現代はさておき中世近代のカトリック教会(とハプスブルグ)は乱暴に言えば「建て前と本音」の乖離が激しかったからね。カトリック教会にとって大事なのは教義そのものと言うよりも「教義の運用の仕方」のほう。
    :03/05/24 20:05
    王族・大貴族の近親婚はけっこうあった。
    ローマ教皇からわざわざ許可を取って近親婚することもある。ヘンリー8世の最初の妃キャサリンは、ヘンリーの兄の未亡人でこれは近親婚に準じるものだったが、教皇の許可を得ている。後に、ヘンリー8世にとって男子を産まなかったキャサリンが邪魔になると、「あれは近親婚だから結婚自体が無効だよな」と言い出すことになる。
    :03/05/24 21:01

    top

    神父と牧師はどう違うのですか?

    神父とは旧教・カトリックの聖職者のことをいい(上位には司祭・司教・枢機卿・教皇がある)、牧師とは新教・プロテスタントの聖職者のことをさす。
    : 01/12/16 00:23
    神父=使徒以来の特別な権能を受け継ぐエリート
    牧師=単なる専門職

    神父=セックス不可
    牧師=セックスOK

    (誇張あり)
    : 01/12/16 00:43

    top

    修道士と司祭の違いが良くわかりません

    活動の違い、と言うか――カテゴリの種類が違うんだよ。

    修道士は、修道院に属してる修行者。
    司祭は、俗人も交えた儀式を司ることを認められた聖職者の位階。(宗教的な言い方をすれば「儀式を司る権威を授けられた聖職者」)

    司祭は、よく教会(教区)を預るわけだけど。カソリックだと、修道院出身者でも、伝道の勤めにつくとき司祭の位を授かる。って言うか、司祭の位を授からずに勝手に伝道したらそれは(カソリック)の教会法違反になる。
    04/08/07 10:46
    そもそも修道士は聖職者ですらなかった気がする
    04/08/07 10:58
    修道士:一般学生
    助司祭:助手、講師
    司祭 :助教授
    司教 :教授
    大司教:部長教授
    枢機卿:学長
    教皇 :・・・・
    04/08/07 11:13
    うん。そうだよね。<そもそも修道士は聖職者ですらなかった

    宗教的な理屈では、聖務を司る権威を認められた者が聖職者なわけで。叙任については、カソリックでは教皇庁の管轄、正教会では主教の管轄。(プロテスタントはいろいろあるけど、修道院との関係だからおいとく)

    どの教派でも、聖職者が執行する「聖務」は、俗人も交えた儀式執行がポイントなわけだよね。修道院での勤労が、神聖な勤めとみなされても、だからと言って修道士を聖職者とは呼ばない。

    ただ、修道院がカソリック体制に採り込まれると、修道院に属す修道士にも聖職者の位階が叙任されるようになるので。こうなると、修道院長なんかを「修道士」とは呼ばない習慣がなりたつわけだけど。

    本来は、修道院長だって「偉い修道士」にすぎなかったわけ。
    04/08/07 11:25

    top

    「隠修士」について教えてください

    陰修士と言うのは、大まかには独居型のキリスト教修養者です。

    陰修士と修道士の原語の差異については私は知りませんが。
    西欧では、修道院の成立以前にはすでに、教区司祭の認可を受ける型が広まっていました。(一方で、そんな認可など受けない独居型修養者もいたようですが)
    教皇庁が修道院を制度化するにつれ、修道院長が認可を与えるような事例も出て、西欧では徐々に陰修士は減っていったのだと思われます。

    西欧以外では、修道院の成立史のような日本語の研究書で、主に北アフリカ〜シリア・パレスチナで独居的に修養に勤めたキリスト教修養者、及び、その修養者に師事した人物達を特に「陰修士」と類型化して注目することがあります。

    西欧以外の地域で、修道院の形式がそれぞれに成立した後、陰修士の類の認可制度が生れたかどうかについては、私は知りません。
    イメージ的には東欧圏なんかには、陰修士的な独居型修養者、後代までいそうな気はしますけどね。
    04/07/27 19:27

    top

    魔女狩りについておしえてください。

    キリスト以前の世界は女性は豊穣の神などの高い位置にもいたが、キリスト以後は以前の世界観を悪とし、自動的に女性を低い位置に落とした。もともと、土など自然に近い位置にいた女性はそれだけで要注意になった。だが、女性の報復が怖い。なら、先に攻撃しようとなって形に表れたのが初期の魔女狩り。名目は異端。
    03/05/15 20:51
    14世紀前後から17世紀にかけての魔女妄想は,実在の魔女の魔法の実在に対する恐怖というよりは,社会心理学的現象としての集団ヒステリーである。
    中世の政治・宗教的状況の崩壊とともに,とりわけ中部ヨーロッパに社会不安が蔓延し,人々はこれを世界終末時に悪魔の支配がおこる兆候とみた。
    そのためのスケープゴートとして魔女たちを血祭りにあげるいわゆる〈魔女狩りwitch hunting〉が発生した。教会側からみた魔女信仰の調査は,2人のドミニコ会士,J. シュプレンガー,H. クレーマー共著の《魔女の故》(1486)にまとめられたが,この著作を契機に,魔女狩り,魔女裁判,魔女容疑者への拷問,火刑は15〜16世紀における〈一つの産業〉(K. セリグマン)にまで膨張し,その猛威は16世紀末〜17世紀初頭に頂点を迎えた。これが宗教改革の時代と重なること,魔女迫害はカトリック,プロテスタントを問わず行われたことは注目に値しよう。同時に魔女裁判に対する啓蒙主義的な反対者も出現し,医師 J. ワイアー,神学者 B. ベッカー,法学者 C. トマジウスらが反論を唱えた。

    魔女狩りの全盛期の1580年代,ドイツのトリールでは約7000人が焼かれ,二つの村が全滅するという悲惨な状況が現出した。

    〈魔女狩り〉の嵐が吹き荒れたのはルネサンスに入ってからで,〈中世全体を通じて焚刑に処せられた魔女の数は,もっと進歩的になった15世紀とその後の2世紀間に焚刑にされた魔女の数より少ない〉と伝えられる。

    具体的な魔女狩りの本は幾つかあると思います。
    :03/05/15 21:40

    top

    魔女狩りとか異端裁判では火刑が多い気がするんですが、これに何か宗教的な意味はあるんでしょうか?

    死体が残らないと将来復活できませんから、キリスト教徒にとって死体が残らないというのは一大事です。
    死後に異端と判定し、墓を暴いて死体を焼くという例もあったように思います。
    パシッチ ◆mWYugocC.c : 03/03/03 22:32

    top

    中世におけるキリスト教会の資金源を教えてください。

    教会って封建君主なんで、農民から搾取してました。
    : 01/12/25 21:03
    1/10税ってヤツだよね。年収の一割を神のために徴収するもの。
    情け容赦なくだったのかは不明。(w
    : 01/12/25 21:12

    top

    近世欧州において、あるくにの王室から異宗派の王室に嫁ぐって事例が結構あるようですが(英国→露国)この場合嫁いだお妃さんの宗派ってどうなるんでしょうか?

    英国からロシアに嫁いだ例というのはニコライ2世妃アレグザンドラのことかな。彼女は確かに母方の祖母であるヴィクトリア女王に養育されたけど、国籍で言えばヘッセン大公国(ドイツの一領邦)になるのでして。
    基本的にはその国の宗教に改宗するというようになっているようです。その辺は力関係次第ですね。だからデンマークとかドイツ諸国のような弱小国が、婿だとか嫁の供給地として重宝されていたわけで。
    現代では一応信教の自由と言うものがありますから宗教を原因にして結婚を認めないというのは無理ですが、国民から嫌われるのはしょうがないですね。
    英国王室の一員、ケント公妃はオーストリア出身のカトリック教徒なので王室内で鬼っ子扱いされています。
    :02/11/10 15:23

    top

    フランスのヴァロワ朝が断絶したとき、ブルボン家のアンリがカトリックに改宗して即位して王位を継ぎましたが、ヴァロワ家から王位を継ぐまでのブルボン家は何故改革派を信仰していたのですか? ブルボン家はヴァロワ家の分家であり、赤の他人のような関係ではありませんよね。ヴァロワ家はカトリックなので、そこが不思議でなりません。

    ブルボン家から入って、フランス王になったアンリ4世の母はナヴァール女王のジャンヌ・ダルブレですが、新教徒です。祖母のナヴァール王妃マルグリットはフランソワ1世の姉で、新教徒の擁護者として有名でした。当時のフランスの大貴族には新教徒も珍しくありません。
    それで起こったのがフランス宗教戦争です。
    フランスの新教徒の最後の砦が、ナヴァールで、アンリ2世を事故死させたスコットランド傭兵隊長も、ナヴァールに身を寄せています。
    2005/05/25(水) 18:18:08
     
    top

    コンスタンティノープルがオスマントルコに陥落させられたあと、ビザンチン帝国のギリシャ正教の総本山の地位は、どこに移ったのでしょうか?
    またオスマントルコの占領後、コンスタンティノープルにはギリシャ正教の教会は残ることを許されたのでしょうか?

    コンスタンチノープル総主教庁は、いまでもトルコのイスタンブールに存在する。そもそも、イスラム教は他宗教に寛容な傾向があったので、総主教庁を移転させることはしなかった。これはインドにおけるヒンズー教との融和策とも似ている。

    ギリシャのアテネにも独立した正教会があるが、総主教庁の影響下にある。東方正教会では教会同士の立場は、あくまで「平等かつ同位」であり、総主教庁の総主教も名誉職的立場なので、カトリック教会の教皇とは全く異なる地位。

    したがって「ギリシャ正教の総本山」という表現は、カトリックにおけるヴァチカンという意味なら、それは当てはまらない。
    04/01/08 18:02
     コンスタンチノープル陥落後から現在まで数回移転しています。
    1453年から1587年までは金角湾付近にあるパンマカリストス修道院(現在のフェティエ・モスク)で、その後ワラキア貴族低やとある修道院(いずれも現在では正確な所在地不明)、聖デメトリオス修道院(在クシロポルタ)へと移転。1599年からはまた別の教会を利用したが1941年に焼失し、現在地に至ります。

    一部写真はこちらで
    ttp://www.jetro.go.jp/turkey/japan/5/5_46/5_46.html
    レリン ◆0UjkSmThNE :04/01/08 22:53

    top

    コンスタンティノープルにいた東方正教会の総主教って今もいるのですか?
    いるとしたら、どこに?イスタンブール?

    イスタンブールに世界総主教がいることはいますが、今は国ごとに総主教がいます。
    335 :世界@名無史さん :04/03/21 20:30
    昔からのコンスタンティノープル、アレクサンドリア、アンティオキア、エルサレムの他に現在ではロシア、グルジア、セルビア、ルーマニア、ブルガリアに総主教座があります。これらはピラミッド型の組織ではなく、相互に独立した自治を保っているのが特徴です。>>335も言っていますが、コンスタンティノープル総主教は今もコンスタンティノープルにいて、名誉的な意味で「世界総主教」と呼ばれています。
    04/03/21 20:50
    エルサレム・アンチオキア・アレクサンドリアの総主教も現存しまっせ。
    04/03/21 21:13

    top

    正教信者たちはイスタンブルではなくてコンスタンティノープルって言うんですか?

    「イスタンブル」はオスマン帝国が占領してから付けた名前だから、敬虔な正教徒はそんな名前は口が裂けてもいえないよ。
    04/03/22 19:51

    top

    植民地獲得時代のキリスト教をどのように考えればいいのでしょうか?

    2面性あると思います。1面は侵略の手段。2面は被抑圧民の心の支え。この2面性で広まったと言えます。
    カトリックの積極性の背景に、反宗教改革運動があるといえます。イエズス会を例にします。
    「反宗教改革のにない手となったイエズス会は,イグナティウス・デ・ロヨラが起こしたもので(1540認可),これは〈戦闘部隊〉という意味でカンパニアと称された。1558年の会憲によれば,総会長の上に教皇が絶対の首長となり,会士はその命令に絶対に服従しなければならない。また特別な神学的訓練と徹底した霊操(心霊修行)が要求された。イエズス会は各地でプロテスタントに対抗しただけでなく,〈神の栄光のために〉の一念をもって海外に多くの布教師を送り,この点ではプロテスタントに一歩先んじた。日本伝道のザビエル,中国伝道のマテオ・リッチ,インド伝道のノビリなどが著名」

    ロヨラは元軍人です。ザビエルはバスク人で苦難の子ども時代です。ただ、誠実度は高かったらしく、ザビエルなどはオーラを日本人に感じさせたようです。
    03/05/10 22:13
    この頃のスペインでは一般に、インディオ擁護=キリスト教サイド。"奴隷化"推進=人文主義者です。キリスト教で中心的な役割を果たしたのがドメニコ会です。(ビトリアのサマランカ大学での講義、ラス=カサスの「インディアス破壊についての簡潔な報告」は有名ですね)キリスト教サイドは"人間は神の前に平等である"の例のテーマを前面に出し、人文主義者サイドはアリストテレスに発する"劣ったものは、優れたものに従うべきである"にその根拠を見出しました。
    両者の主張が最も整理されているのは、インディアス新法をにらんで開かれたバヤドリード審議会でしょう。ターゲットになった問題は"人身御供"カリバニズム(=人食い)"インディオは文明人?or野蛮人?といった所です。(これ以上は自分で調べてください。解釈の問題が出てきますので)

    この時代のキリスト教をどう考えれば良いか?ですが、人文主義/キリスト教ともに大航海時代によって、古典時代以上の知識を得たことで"古典を紐解けば答えが見つかるという時代が終わった"という方向と"神の考えられていることは人間の知っていることを遥かに超える"という2つの心性が起こったといえるでしょう。
    いずれにしてもヨーロッパ人が自分の今現在の目と頭で物事を判断し始めた。といえると思います。
    第20軍団兵 03/05/11 03:01

    top

    どのような人が宣教師として新世界に行ったか

    出身身分を貴族とブルジョワに持つ人がほとんどです。
    托鉢修道会(ドメニコ会&フランチェスコ会)とはブルジョワに支えられた組織ですし、イエズス会も司祭として叙任されるまで長期の勉学を要求されます。まあ、読み書きする階級に生まれないと、そもそも新世界くんだりまで宣教に出ようなんて考えない訳です。
    目の前には新教の危険が迫っている訳ですから。
    第20軍団兵 03/05/11 03:11

    top

    イエズス会の人たちは奴隷商人だったんですか?

    イエズス会が直接奴隷売買に関係していたことはありません。南蛮貿易で日本人奴隷が売買されていたのは事実です。ただし、日本国内でも戦国合戦の影響で奴隷売買的な行為が行われていたことは事実です。
    具体的には、上杉謙信が関東遠征で奴隷狩りに近いことをやり、厩橋(現 前橋)で毎年奴隷売買が行われていたことや、武田信玄が佐久往還を征服したときに、奴隷売買を行ったことは歴史的事実です。
    また、逆に日本に奴隷が輸入されていたこともあり、織田信長の側近に黒人奴隷出身と思われる人もいました。
    :03/08/08 17:44
    奴隷貿易の手引きはしなかった。そういうのに好意的でもなかった。
    しかし止めもしなかった。
    :03/08/09 15:19

    top

    救世軍って何者ですか?

    救世軍はボランティア団体ではないよ
    きみ、charity という言葉知ってる?
    辞書引いてみたら?w
    ちなみにそれでも救世軍はcharity 専門団体でもない
    charity work に力を入れているプロテスタントの一派
    キリスト教の denomination これも辞書引いたら?
    04/09/13 20:25:58

    top

    キリスト教はユダヤ教を母胎にしていると聞きました。同じくイスラム教の母胎もユダヤ教と聞きました。ユダヤの経典のようなものであるモーセの十戒では偶像崇拝を否定しているはずです。
    これをしっかり受け継いだのがイスラム教、中途半端に受け継ぎしばしば堕落したのがキリスト教、だととても強引に解釈していたのですがこの考えはおかしいのですか?

    あまり間違ってはいないでしょう。
    が、キリスト教で最も偶像崇拝を禁じた東方正教ってのもあるよ。
    : 01/10/12 23:46
    コーランはモーゼやイエスに神から伝わったときは
    真正なる信仰であった教えは時代を経るにしたがって堕落した。
    それがユダタ教やキリスト教である、とみなしているそうです。

    でも結局イスラム教だって民間信仰は取り入れてるけどね。
    シーア派のイマーム信仰とか、聖者崇拝とか。
    その民間信仰的な要素を取り払おうとするのが「原理主義」だ
    : 01/10/12 23:57

    top

    ギリシア・ブルガリア・ルーマニアなどの国へ西欧から迎えられた君主たちはその国の正教に改修したのですか?

    そだよ。
    同じように例えばカトリック国のフランスから新教国スウェーデン国王に行ったベルナドットはプロテスタントに改宗してたり、類例は珍しくないんじゃない?
    :03/06/04 00:09

    top

    バラモン教とヒンドゥー教はどう違うんですか?

    極大雑把に言うと、
    バラモン教は、かつてはバラモン階層にしか身につけることができなかった。 乱暴に要約すると、バラモン以外の階層に人物は、バラモン僧の司る祭儀にあずかることしかできなかった。

    ヒンドゥー教は、バクティ(熱烈な信愛の情を伴う帰依)などの教義思想があり、様々な階層に信徒が、比較的礼拝に参加し易くなっている。

    やはり、極大雑把に言うと、改革されたバラモン教がヒンドゥー教だ、という要約もあたらずと言えど遠からず。
    : 02/12/27 23:48
    どちらも特定の教祖をもたない自然宗教を 便宜的にそう呼んでいるものなので定義が難しいが 古代インド人の宗教習俗がすなわちバラモン教、そこから仏教やジャイナ教が生まれて分かれていったあとで全インドに広がりながら民間信仰を取り入れつつブラフマー・ヴィシュヌ・シヴァを主神に立てるなどして 変化を遂げたものがヒンドゥー教、というように理解してよいと思われ。
    : 02/12/27 23:53

    top

    「宗教と権力が結びついて不可侵の存在となり、やがて権力が暴走したときに取り返しのつかない事態となる」
    という事柄の最も分かり易い例ってなんでしょう?十字軍とかでしょうか?

    十字軍は様々の意味で当時の政治的事情が大きく関与しているので,必ずしも宗教と権力の暴走という一面のみから見ることはできない。

    取り返しのつかない事態,というのがどういう意味か,なんだよなぁ。人がたくさん死ぬ羽目になった例,というだけであれば,魔女狩りとか,宗教改革とか,キリスト教史の多くのテーマがそれに関連するだろう。

    でも長い目で見れば、取り返しのつかないことなんてないんだけどね。ウマイヤ朝の暴政と迫害はアッバース家によって打倒されたし,教皇庁の圧倒的支配力も絶対王政と宗教改革によって崩された。
    :02/12/19 20:11
    中国の元朝の王家がチベット仏教に耽溺した,なんていうケースも宗教が権力と結びついたという例の一つで,たしかにこれによってモンゴル支配階層が暴走し,国費の濫用を招いて政権を衰退させ,最終的に国家の滅亡という取り返しのつかない事態を招いた,などと説明することもできなくはないが,だからどうだというものでもない。

    ちなみにカルト教団はあれはあれで危険な存在だが,あの程度では「権力と結びついた」というには値しない。つーかむしろ,こ(以下略
    :02/12/19 20:16
    宗教戦争期ドイツ北部の再洗礼派なんかそうじゃないかな。
    ほとんどカルトみたいな教団が、都市をいくつか支配してやりたい放題。

    あと、イタリアのサヴォナローラとか。
    :02/12/19 22:00

    top