びっくり箱 別館
横丁の隠居部屋

隠居の寝言
「合理的」



 或る意味では手品の定義として『定説』に近いものとされているのが厚川昌男さんのものでは無いかと思います。

『奇術とは、合理的な方法によって、観客の知覚を誤らせ、不思議の世界を体験させることを目的とした芸能である』

 私はこの定義に対して表現上の差はあるものの大筋では賛成ですが、『合理的な方法』と言う部分では同意出来ないのです。
 手品に於いて不思議さを作り出す方法がどうして『合理性』という枠を嵌められなければいけないのでしょうか?
 或いは、どういう方法が『合理的でない』方法だとお考えになっているのでしょうか?

 手品という芸には再現性が必要だと言うご意見も耳にしております。しかし、一回限りの偶然を利用して観客に楽しんで頂くことも立派な『芸』だと私は考えています。
 昔誰かから聞いた話ですが、或るマジシャンが演技を行なっている時に、その会場が火事になったのだそうです。そのことを知らされたマジシャンは観客に「次の演技はこの会場の外で演じます」と言って会場から安全な外部に誘導をして大惨事になるのを防いだそうですが、こうした演技は余り再現して欲しいとは思いませんが、これは素晴らしい芸と評価しても問題ないと思います。
 これと同様にたまたま遭遇した天変地異を利用した手品だって再現性が無いと言う理由で否定することは出来ないと考えます。

 合理的でないものとして考えられるのは、いわゆる超能力者が実在したとして彼等の秘められた能力を使って不思議を作り出した場合でしょうか。
 しかし、それは我々超能力を持たない者がそう思うだけの話で、多分彼等超能力者にとっては極めて『合理的な』方法で不思議を作り出しているのだと思います。

 こうして考えると私には不思議を作り出す方法として『合理的』でないもの、と言うものが思い浮かばないのです。
 手品と言うものは刺繍を裏から見た様なものだというお話も昔伺った記憶が有りますが、どなたから伺ったかは定かでは有りません。
 皆様もどんな簡単なものでも結構ですから刺繍を手にとって裏返して見て頂きたいと思います。実に一見意味の無いような模様(とも言えないような)がそこにはあると思います。しかし、反対側にはまさに全く無駄の無い美しい模様が描かれているのです。
 これはまさに私達が演じている手品と同じ状態では無いでしょうか。

 『独り言』の方でも既にお話致しましたが、私は手品を『不思議さという性質を持った芸』であると定義しております。『芸』という広い領域の中で『不思議さ』という性質を持った部分が手品だと考えており、その不思議さを作り出す方法には全く制約を加えておりません。





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