研究内容

     高等動物は、個体を構成・維持するための体細胞と、全く異なった役割を担う生殖細胞より成りたっている。種を維持するためだけに特殊化した生殖細胞は、半数体の配偶子である精子と卵子に分化し、その受精を通して次世代の個体に遺伝子の伝達を行い、種としての恒常性を維持している(図ー1)。一方、この分化過程の一つ減数分裂では、両親から伝えらた遺伝子を交雑し、かつ各染色体を無作為に分配することによって、配偶子に無限の多様性を生み出している。これらの生活環は、生物のもつお互いに相反する保守性と革新性という性質を具現化する最も有効な機構であると考えられ、今日、進化した高等生物が地球上で、環境とのバランスの上に繁栄するために獲得した重要なメカニズムであると考えられる。 これを支えている生殖細胞の分化は、生物を知る上で極めて重要な対象である。マウスでは、後に精子及び、卵子となる始原生殖細胞は、妊娠7ー8日目の胚胎外中胚葉に初めて認められ、分裂増殖を繰り返しながら生殖隆起に向かって移動し、そこに定着する。その後、雌では減数分裂前期に入るが、雄では生殖隆起での増殖は生殖腺の完成と同じ頃(13ー14日目)に停止する。精巣において精細胞は、生後間もなく精子への分化を開始する。精巣における生殖細胞の増殖分化は、精細管と呼ばれる細い管の中で行われる。精細管の管壁には、およそ外側から順に精原細胞、精母細胞、精子細胞と次々に分化段階の進んだ生殖細胞が、ほぼ同心円状に配列されており、管腔中心部には産出された精子が存在している。その他、精巣には支持細胞としてセルトリ細胞や、テストステロンを産生するライディッヒ細胞などが存在している。このような環境のもとで、精細胞は増殖分化期、減数分裂期、形態形成期を経て成熟精子となるが、形態形成期においては減数分裂によって生じた半数体精子細胞は、核の凝縮、細胞質の消失、尾部の形成など、球状の細胞から運動性のある精子へと著しくその形態を変化させる(図-2)。この特異的な細胞の分化が進行する間、様々な精細胞分 化段階特異的な遺伝子の発現をともない、精細胞分化の特徴や、体細胞分化との差異は、これら遺伝子の働きを解析することによって明らかにされるものと考えられる。

  我々は、精子形成のメカニズムを分子レベルで理解するために、すべての分化段階の精細胞を持つ35日齢マウス(C57BL/6)精巣cDNAライブラリーから、精子細胞を持たない17日齢マウス精巣のものを差し引いたサブトラクッティッドライブラリーを作成し、精子細胞の形態形成期において特異的に発現している遺伝子群の解析をおこなってきた。


サブトラクテッドライブラリーの作成と遺伝子のクローニング

   マウス精巣で見られる精細胞の分化は、生後間もなく進行する。生後17日目には、減数分裂前期が完了し、二回の分裂の後、生後18日目には、半数体精子細胞が出現する。さらに特異的な形態分化を行いながら35日目頃には精子形成が完了する。従って、生後17日以前には半数体精子細胞は存在せず半数体特異的遺伝子の発現も見られない(図-3)。そこで成熟マウス(生後35日目)の精巣cDNAライブラリーから幼若マウス(精子細胞分化直前の生後17日目)精巣mRNAを差し引くことによって半数体特異的サブトラクテッドライブラリーを作成した。減数分裂後出現する 半数体精子細胞は,劇的な形態形成を行った後、特異的な形態と特殊化した機能(運動能)を持つ精子に成熟する。そのため、この解析に、そのような分化を行うことのないイースト等の単細胞生物のモデル系とすることはできない。このメカニズムを理解するためには、半数体精子細胞特異的に発現する全遺伝子をクローニングし、そのコードする蛋白質の機能を解析することが重要である。そこで、このライブラリーから順次cDNAをクローニングし、特異的発現を確認しつつ、これらの解析を進めてきた。

  従来半数体精子細胞に分化した後、新たに起こる転写は精子の等価性を保つ上でも、非常に少ないと考えられていた。しかし実際にサブトラクテッドライブラリーを作成し、その各クローンを調べて見ると、半数体精子細胞特異的に発現が見られる遺伝子はかなりの数存在する事が明らかとなった(現在80種類以上の新規遺伝子を単離した)(図-4)。我々のライブラリーには既知の 精細胞特異的遺伝子も多数含まれており、半数体精子細胞特異的遺伝子をほぼ網羅しているものと考えている。またcomputer data base に登録されたtestis EST libraryから各臓器のEST libraryをsubtractし、germ cell-specific ESTのみを拾い上げ、我々のサブトラクションクローニングで得られた結果と比較してみると、testis ESTのみに存在する半数体精子細胞特異的遺伝子は、今の所ほとんど見つからず、我々のsubtraction cloningが優れている事を示していた。

 

精細胞特異的新規遺伝子の解析

         サブトラクテッドライブラリーから得られた遺伝子について、全長cDNAを決定し、そのmRNA、蛋白質の発現、各遺伝子のコードする産物の性質、細胞内での特異的発現を明らかにした(図―5)。

その結果、精子細胞特異的遺伝子には、転写調節因子、細胞内信号伝達因子、特異的な細胞構造遺伝子、mRNA調節因子、クロマチンたんぱく質など 多岐に渡って含まれること、さらには、精子細胞には特異的な代謝系遺伝子群が発現していること、などが明らかとなってきた。これら遺伝子群は、特定の染色体に存在するのではなく、様々な染色体に分散していることも明らかとなった。

 

エネルギー代謝酵素のアイソザイム

 精子細胞にはグルコースからアセチルCoAまでの解糖系のほとんど全ての段階に関与する体細胞型酵素とは異なった精子細胞特異的アイソザイムが発現する(Welch et al., 1992) (図−6)。また最近、脂質代謝系に関与するスクニシルCoA3-Oxo acid CoA transferase (SCOT)の精巣特異的アイソザイムSCOT-tが同定され(Koga et al, 2000)、精子の運動にはケトン体がエネルギー源として利用できる事が明らかとなった。また、ケトン体は射出後の精子の成熟、機能にも関与することが分かってきた(Tanaka et al., 2004)。精子は成熟した後、体外に射出されるまで活発な運動状態にはいらず、その動きを止めている。また、交尾後は、排卵の時期をうかがうように輸卵管内でトラップされることが知られている(Troedsson et al., 1998)。この間、精子は体細胞とほぼ同様な環境にさらされることになるが、体細胞とは異なったエネルギー代謝を行うためにエネルギー代謝系のいくつかのステップが精細胞特異的な酵素によって触媒されるのかも知れない。これらの生理的意味については今後の解析が持たれる。

 

遺伝子構造

レトロポジションは遺伝子創出の重要な機構の一つで、哺乳類ゲノム中の多くの機能的な遺伝子を創出してきた。ゲノム・プロジェクトにより、ヒトおよびマウス染色体上にはおよそ100の機能的なレトロトランスポゾン遺伝子が存在し(Emerson et al., 2004)、その多くが半数体精子細胞で発現している事が明らかになってきた(表)。また、X染色体から常染色体へ遺伝子がレトロトランスポジションしやすく、またその逆も起りやすいことが示された(Emerson et al., 2004)。常染色体上にあるイントロンレスの2つの遺伝子、ホスホグリセリン酸リン酸化酵素phosphoglycerate kinase-2(PGK-2)(McCarrey and Thomas, 1987)とピルビン酸脱水素酵素サブユニットe2α pyruvate dehydrogenase subunit e2α(Dahl et al., 1990)は、X染色体上の祖先遺伝子の常染色体への逆転写によるトランスポゾンに由来すると考えられ、精子形成過程でのX染色体不活性化を回避するために、転移したと説明されている(McCarrey and Thomas, 1987)。一方で、精原細胞で発現する25の遺伝子がX染色体に存在するという報告がされている(Wnag et al., 2001)が、半数体精子細胞で発現する遺伝子は様々な染色体上に存在することが報告されている(Fujii et al., 2002)。生殖細胞の分化にはすべての染色体が関与していることは間違いない。また、レトロトランスポゾンで生じたと考えられる多くの精細胞特異的な機能的イントロンレス遺伝子は必ずしもX染色体上に祖先遺伝子が見当たらず、常染色体にも散在する(表)。それではX染色体とレトロトランスポゾンの関係はどのように説明できるか。性染色体は新しい遺伝子の創造に重要な役割を果たしていると考えられている(Skaletsky et al., 2003)。雌性生殖細胞では常染色体と同様に2本のX染色体内での相同組み換えにより体発生途上に起きた変異やレトロポジションした遺伝子を修復可能で、これにより危険な変異を排除することができる(図−1。しかし、雄性生殖細胞内でのXとY染色体は、その違いが大きくほんの小さな相同領域を除いてほとんどの領域で相同組み換えを起こさない。従って個体発生途上に起きた遺伝子の変化を容易に次世代に伝播してしまう。この様にして、レトロトランスポゾン遺伝子は、性染色体では組み替えられることなく雄性生殖細胞経由で次世代に受け継がれ、最終的にさまざまな染色体に広がったのかもしれない。

アセチル化を含むヒストンの修飾が遺伝子発現をコントロールしていることが示されてきた(Fischle et al., 2003)。精子細胞分化過程において一般的なヒストンはプロタミンに置き換えられ、ヒストンを介した遺伝子発現制御は機能しにくくなる。精巣ではORFを含まないパラサイティックな遺伝子を含む多くの遺伝子が発現しているといわれている。このことは、精細胞分化過程ではヒストンのアセチル化等を介した遺伝子発現制御が機能にくいことを表しているのかもしれない。精細胞分化過程のクロマチンの特性は、レトロポジション遺伝子が不活化することなく半数体特異的遺伝子として数多く発現することと何等かの関係があるかもしれない。今後さらなる半数体精子細胞特異的遺伝子の詳細な研究がこれらの問題を解決すると考えられる。

 

あとがき

 生殖細胞は胚発生の初期に決定され、テロメアの維持や、母、父型の染色体を示すインプリンティング、減数分裂などの生殖細胞特異的な過程をへて、最終的に配偶子である精子や卵子に分化する。これら分化過程は、多細胞生物が各々の種としての特異性を保ちつつ、環境に順応しえる子孫を残すために用いてきた方策であろう。この生殖細胞の分化のメカニズムは、生物を知る上で非常に興味深い対象である。

 最近の遺伝子工学、発生工学の進歩はめざましく、体細胞核から作り出したクローン羊ドリーが誕生し、サルにおいてもクローンを生み出すことができ、またヒトにおいても、精子になる以前の細胞を用いた人工受精をも可能としている。これらの技術は、生物が用いてきた進化のメカニズムを含む生殖にまで踏み込む技術である。この技術を有益に利用する為にも、精細胞の持つ意味を理解することが重要である。また、人が作り出し環境中に放出された様々な物質の中にはホルモン様作用をもち、生物の性や生殖に様々な影響を与えているものが多く存在する。そのメカニズムは不明であるが、ヒトにおいては、精子数の減少と不妊カップルの上昇が指摘されている。このような現在の状況は、生殖細胞分化のメカニズムを解きあかし、この意味を知ることがよりいっそう必要とされている。

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