株式会社現代芸術社


 現代芸術社の創設者,編集(一部を除く)兼発行人である長嶋武彦様に,会社設立の経緯,沿革などをご教示頂きました.


 
 
 私がいろいろな人たちと 現代芸術協会という(五七年末)ものを作り、雑誌「テレビド ラマ」というものを月刊でだし、中野に「テレビドラマ研究所」 というものを作り、テレビドラマの教室ですが、いろいろ、例えば 岡本愛彦、とか佐分利信とか沢山の人たちを講師にして、 研究生の教育機構を作っていました。同時に出版社です から、そこで、世界民謡の音楽集をフォノシートでだしました。
 それが六〇年の五月です。
 
「テレビドラマ」(左)創刊号.59年8月25日印刷,59年9月1日発行.(右)第9号表4.本文には研究生募集要項もある.
 大変よく売れたので、六〇年一〇月一日、現代芸術協会をやめ 新宿西口にフォノシート(当時はソノシートと云っていました。朝日 ソノラマがソノシートを商標登録したのでフォノシートになりまし た。)出版をはじめました。三名ではじめたのです。
 SONO-JOURNAL1.「最新映画音楽集」と「山岳歌曲集」 です。余りに良く売れたので次々に出版しました。社内の仕事が 間に合わないので四谷に移り社員も増えました。最初の出版 は六〇年十二月です。それから数限りなく出版しました。 年末また手狭になり千代田区に移りました。その頃、社内社員は 十五、六名ぐらいでした。翌々年六三年新宿区左門町に移り 社員も三十名を超えていたと思います。直接お客への通信 販売もやりました。
 
「SONO−JOURNAL」(左)創刊号「最新映画音楽集1」.60年12月25日印刷,61年1月1日発行.(右)第2号「山岳歌曲集」.61年1月5日印刷,61年1月10日発行.ともに日本エンゼルレコード製シート4枚付.表1では「PHONO−JOURNAL」と表記.
 しかし、六五年頃から、フォノシートにかげりがでてきました。 大きくなった世帯を維持するために、いろいろなものを出しました。 六七年六月の終りに「少年現代」というマンガ雑誌を出版 しました。テレビの連続マンガをそのマンガ家本人に更にそ の話の展開として描いてもらった。大変な売れ行きで、外の 月刊マンガ誌(当時週刊はなかった)を圧倒しました。
 ところが二号配本して、取次店最大手(図書問屋)東販に 集金に行ったとき驚きました。現代芸術への支払が止め られているのです。「支払停止」何ごと。
 東販も日販も、大株主は既成大出版社だったのです。出版社は東 日販の課長人事にまで口を入れていました。
 経営不能、倒産、朝日、毎日、読売の三大新聞に三面 に、二段、三段で報導されました。
 
「少年現代」(左)8月創刊号.67年8月1日発行.(右)9月号.67年9月1日発行.発売は前月の6日.
 その当時、左門町だけでは足りなくなり、麹町にも事務所があ りました。左門町を引き払い、麹町に数名の残った社員た ちと、芸術出版の名前で仕事をしました。そのご、七〇年 に頼まれて木馬座(児童演劇)の社長になり、その 木馬座の中で、現代芸術は細々とつづいていました。
 
芸術出版刊(左)「録音 吉田茂」.67年12月25日印刷,68年1月1日発行.音源提供文化放送/TBS/理研映画.ナレーションTBS五味陸仁アナ.(右)「ベ平連のうた」.69年10月25日印刷,69年11月10日発行.ともに17cmLPレコード2枚付.
長嶋武彦