熊原岩見の観光大使

魅力を語る

 

実は私は大学に通いながらも諸事情で熊原岩見の観光大使というものをやっております

念願の自分のページということで精一杯魅力を語りたいと思います

第一回目は熊原岩見を語る上で切っても切れないもの

「ローラースケート」です

 

まずは熊原岩見がローラースケートの町として全国的に注目されたのは

80年代、バンドブームのころでしょう

 

90年代のアイドルグループ「光GENJI」の先駆けともいえる

ローラースケートグループがここからデビューしたのです

その名は“情熱のミュージックギャング”グレートバスターズ

伝説のバンドである

(※ グレートバスターズのリハーサル風景)

 

彼らは熊原岩見という町で生まれ ローラースケートに囲まれて育ってきた

ゆえに彼らが話す少年期のエピソードには必ずと言っていいほどローラースケートが出てきた

しかしそんな彼らがテレビで話すエピソードは普通の人には驚きだっただろう

なにしろ「体育でローラースケートがあった」「専門店があった」などのエピソードばかりだったのだ

 

しかしそんな彼らの話から 熊原岩見の特殊性が話題になりローラースケートの町は全国区となった

それ以来 毎年5万人いじょうの観光客が熊原岩見にはやってきている

(※日本最大のローラースケート店が軒を連ねる通称“ローラーストリート”)

 

 

その後グレートバスターズは方向性の違いにより解散

リーダーのジュンヤさんは現在、熊原岩見にてローラースケート店を経営している

 

 

ではなぜ熊原岩見はローラースケートの町となったのか

その起源は戦時中にまでさかのぼる

 

ここには主に15歳前後の若者を集め兵士として育成する防衛学校のようなものがあった

そしてここにいた一人の教官が熊原岩見の歴史を動かすことをやってのける

その人の名は狭山隆弘 格闘術の担当教官である

 

彼は生徒達に格闘術を教えながらもその完成度に不満を抱いていた

このままでは自分の生徒は戦場で死にに行くようなものだ、と

彼はより完全な格闘術を考案するため寝食を忘れ研究した

その結果自分が若いころ留学中に一度だけ目にしたローラースケートを使ったものが頭に浮かんだのだ

これが接近輪闘術のはじまりである

(※ 狭山氏の当時のメモ書き これが輪闘術の基礎となっていく)

 

その後かれは生徒に輪闘術を教え始めた

しかし生徒が戦場に出る前に戦争は終結 かれは残念な気持ちと安堵の気持ちを持っていたという

 

終戦後 生徒達はそのまま熊原岩見に住み 市民たちにローラースケートを広めていくこととなる

その結果熊原岩見の人たちは日本では異常ともいえる速さでローラースケートと接することとなり

登下校 かけって 買い物 日常生活のあらゆる場面で活用していくのだった

(※ 終戦直後 登校中の少年)

 

 

そのまま熊原岩見はローラースケートの町として現在に至っている

 

 

さて これから熊原岩見の名所に触れていきたいと思います

まずはなんといっても「聖ローラー像」

熊原岩見風土記に名を残す三輪若大和根子日子(ミワノワカヤマトネコヒコ)は

渡来人「聖ローラー」の和名であるといわれており この「聖ローラー像」は遺跡が見つかった際に記念に立てられたものである

(※ 聖ローラー像 最も観光客に人気のある場所)

 

 

 

 

次におすすめしたい場所は「ワールドローラーパーク」

ここはローラースケートをモチーフとした数々のアトラクションがあるテーマパークである

ベクターとベニ− さらにはダグラスやチョンパなどのかわいいキャラクターが待っています

一番のみどころはエキセントリックマーチ

すべてのキャラクター達が音楽にのって踊りながら練り歩く幻想的なものです

(※ みんなの人気者 ベクターくんとベニーちゃん)

 

このように熊原岩見は非常に魅力にあふれた町です

 

みなさん ぜひ一度お越しください

 

 

トップへ