禁断の僧院・ラルンガル


written by JUN


チベットの仏教と聞くと、何だか非常に神秘的なイメージがどうもパッと頭の中に浮かんでしまい、取っつきにくいもののように感じてしまうかもしれないが、実はそんな世間のイメージとは裏腹に、チベット仏教はかなりユニークな面も持ち合わせている。
一体何がユニークか?
それはまずラマ(お坊さん)だろう。チベットの人々にとってお坊さんは、生きているときも、死んだときも自分を幸せに導いてくれる、尊敬すべき人なのだ。それはお坊さんの位が、上がれば上がるほど、チベタンのその尊敬度や、ありがたや度は上がり、リンポチェ(高僧)や、かつ活仏(仏様の生まれ変わり)のレベルまで来ると、チベタンにとってはかなり身近なスーパースター、スーパーアイドルの領域になる。
こんなチベットの民衆に愛されるラマ達だが、そのラマの中でも一番トップレベルであるリンポチェの一人に、とてもおもしろくオレのハートにヒットしたリンポチェがいる。
そのリンポチェの名前は、『ケンポ・ジグメ・プンツォク』。
おもしろいと言ったが、これは決して名前がおもしろいなどという安易なものではない。このプンツォク師というリンポチェは、恐らくチベットで一番の大僧院である『ラルン・ガル』に住むリンポチェで、東チベットのカムでNo1の人気をほこるスーパー・ラマだ。その人気ぶりは凄まじく、チベタンが乗るほとんどの車や家には、プンツォク師のプロマイドが飾られていたり、プンツォク師が語る説法も美しいらしく、何とその説法にメロディをつけて歌まで出し、カムに住むチベタンのほとんどが、その歌を知っているという、正にスーパーアイドルなのだ!
このプンツォク師の登場で、あの荒くれ者のカムパ達が大人しくなってしまったと言われるほどだ。きっと日本の感覚で言ったら瀬戸内寂聴(聴?)が、歌を出して、オリコンチャートNo1になって、そのおかげで日本のヤンキーやヤクザな兄ちゃんたちが大人しくなってしまうようなものだろう。
おもしろい・・・おもしろすぎる!!
オレは日本にいた頃から、一目でいいからこんなおもしろいお坊さんに会ってみたい!と思っていたが・・・悲しいことにオレが旅立つ4ヶ月前、プンツォク師は逝去してしまった。
チベットでは偉いお坊さんは死んだら、この世に再び人間として生まれ変わる。というチベット仏教習慣がある。と言うことは、オレがプンツォク師と会うためには、その生まれ変わりプンツォクジュニアが再びスターになるまで待たなければいけない。しかし、そんな悠長なことを言っていたら、オレはシニアになってしまう。残念だが、このプンツォク師との対面は20年くらいお預けだ。ならば、チベットでNo1の大僧院であるラルン・ガルだけでも見てみたい!と思ったのだが、プンツォク師の逝去で、トップを失ったお坊さん達の混乱を抑える為か、ラルン・ガルは2004年6月現在、中国政府によって非開放に指定されてしまっている。これでは見たくても見られない。
が、ラルン・ガルは、カムの中のゴンパの一番の見所である。話に聞くそのゴンパのすごさは、プンツォク師の人気で集まった僧達がこっそりゴンパを増築し続け、あまりにもデカくなりすぎたので、中国政府が『あわわ、お・お前達何やってるんだ!』と言って、ゴンパを取り壊して、お坊さんをリストラしたくらいである。
しかし、そんな大ゴンパも非開放でオレ達は入れない・・・
行きたい!・・・でも行けない。でも行きたい!オレは悩みに悩み一つの結論を出した。
(・・・行きたきゃ行きゃいーじゃん!)

・・・答えは単純だ。そうなのだ。行きたければ行けばいいのである!そうと決まったら・・・
と、よっしーに言って見たところ、慎重派のよっしーはなかなか首を縦に振ってはくれない。
非開放と指定されていれば、当然公安がいる。もし見つかれば逮捕は無いにしろ、多額の罰金はやむおえないだろう。タイの盗難事件で予想以上の金を失い、保険金も未だ手に入らない今、多額の罰金は今後のオレ達の旅で、かなりの痛い出費となる。何もワザワザ非開放の時に行かなくても・・・という意見もあるだろうが、オレ達がつぎにチベットを訪れることができるなんて確証はどこにも無い。
ならば今しかない。
よっしーもチベットに興味をもっている以上。チベットで一番と言われれば、当然見てみたいはずである。オレは何度となくチベットの良さとロマンをを熱く語り続けると、よっしーは悩みつつも、やっとウン。と首を縦に振ってくれた。
今までオレ達は、あっちこっちに行きながらも、何となく観光ルートみたいなのに沿って進んできた。もう、そろそろお決まりの観光ルートではなく、オレ達のルートを決めてもいいと思うのだ。幸いにも、オレ達の泊まった宿にラルン・ガルの情報について書かれたものがあったので、その気持ちは一層強まった。
『大切なのは今を全力で楽しむこと。後で怒られる事なんて、それに比べたらちぽっけなもんだ!』
行くぜ幻草旅団!!

・・・こうして、オレ達は当初の予定を変え、ラルン・ガルのあるセルタ(色達)と呼ばれる街を目指こととなった。
今思えば、このオレ達の選択が、これからのカムの旅を大きく変えた一つのキッカケだったのかもしれない。オレは運命だとか、なるようになるだとかいう言葉が大嫌いなのだが、このセルタから始まった旅はもしかしたら運命だったのかもしれない。



セルタの街は、オレ達が目指す西寧へのルートから、少し外れたところにあるのだが、セルタへ行くためにはルーフォという町からバスが出ているので、まずはルーフォに行かなければいけない。が、しかしオレ達が今いるカンゼの街からルーフォまでは直接のバスが無い。なので、もしバスでルーフォを目指す場合、途中下車という形をとるのだが、バスの便は時間が決まっていたり、数が少なかったりとあまり当てにならない。そこでオレ達がとった方法は、乗り合いトラックというものである。
乗り合いトラックと言っても、ほとんどバスみたいなもので、朝早く適当に客を乗せて、道のりにいる人を拾って目的地まで走るというほとんどミニバスみたいなもので、狭いとかいう欠点もあるが、短い時間なら苦にならず、バスよりも自由にそして早く目的地へ行くことができる。
オレ達はカンゼからルーフォへ乗り合いトラックで向かい、ルーフォで1泊してセルタを目指す予定だったのだが、つかまえた乗り合いトラックの兄ちゃんがやたらブッ飛ばしてくれたおかげで、かなり早くルーフォに着いた。そして、さらにその時に、ちょうどルーフォからセルタ行きのバスがあり、乗り合いトラックで一緒になったチベタンに言われるがまま、オレ達はトントン拍子で、セルタ行きのバスに乗った。
そのバスは、驚くような荷物で敷き詰められていて、バスの通路にバックを置いて、やっとオレ達は座ることができた。
セルタにはラルン・ガルがあるせいか、バスの中はお坊さんがかなり多い。オレはお坊さんに『ラルン・ガルへ行くんだ』と話しかけると、お坊さんはニッコリ笑って『僕らもラルン・ガルへ行くんだ』と言った。
これは心強い!お坊さんが一緒ならうまくラルン・ガルに潜入できるかもしれない。ラルン・ガルの検問はラルン・ガルのゲート近くにあるらしく、それをかわして潜入する方法は二つ。
一つはお坊さんやチベタンの乗る車に紛れ込み隠れて潜入するか、もう一つは公安のはっている検問を迂回してラルン・ガルを囲んでいる丘を越えて潜入するか。である。
もし見つかったら・・・?
・・・その時は素直に謝ろう!
ちなみにこれからオレ達のすることはバリバリの国際犯罪行為である。よい子はマネをしないように!!
こうしてオレは頭の中に『ルパン三世のテーマ♪』を流しつつ、コナンも真っ青になるトリックを考え、ラルン・ガル潜入のイメージ・トレーニングをしていた。
オレは来るべき時に備え、うーむ、うーむ唸っていると、オレの隣に座っていたメガネをかけた中国人の女の子が話しかけてきた。
『あなたこれからセルタに行くの?』
『ああ』
『&%$)”()&%$’”#?>(中国語)』
『うーん、何言ってるか分らない』
『Are You Chinese?』
『おお、英語だ!オレはジャパニーズだよ!』
そう言うと、彼女は納得したらしく、再びグッスリと寝てしまった。どうやら、オレを中国人とカン違いしていたようだ。うーむ、オレの風貌は現在中国人に見えるのか?もしかしたらこれは、チベットに入る前にスッキリするか!と言って入った麗江の床屋で、見るも無残なチャイニーズ・ヘア(角刈り)にされたのが原因かもしれない。あのオバちゃんあれほどカッコよくしてくれって言ったのに・・・
しかし、チベットを破壊しつくした漢族が、チベタンの心のより所いうべき、ゴンパに入って大丈夫なのだろうか?と、オレは少しその娘を心配した。
先にも言ったが、チベットは昔中国人にハチャメチャにやられた。とくに毛沢東が、トチ狂って行った文化大革命(中国国内の文化を一掃しようとした革命)の時は、寺という寺が破壊されて、多くのチベタンが虐殺された。まぁ、中国側はそんなことは無いと言っているが、デカイことはそんなに隠せるもんじゃない。これは旅行記なので、そういった政治とか戦争の話はめんどくさいし、頭が痛くなるので必要以上はカット。ネットで検索すればある程度チベットの悲劇が見えてくると思うので、興味のある人は調べて見て。
・・・そんな、中国人がチベタンの巣窟に入るなんて大丈夫だろうか?自分達が、チベタンからどう思われてるか知っているのだろうか?とオレは色々考えた。4年前にチベットの寺を訪れた時、漢族とオレを勘違いしたお坊さんの憎しみに満ちた目をオレは忘れない。(やっぱり中国人に見えるのかなオレ?)そんなことがあったので、オレはグースカ寝ている彼女を見て、ますます心配になったのだった。

こうしてバスはルーフォを出発し、いくつかの山を越えて、珍しい頭でっかちの木と石造りの村を抜けると、仏塔が立ち並ぶ場所で止まった。周りをぐるりと見渡しても、セルタの街はどこにもない。
すると、お坊さんが『ラルン・ガルに着いたよ。降りよう』と言った。
何と!?これは早くも予想外だ!セルタに行かずこのままラルン・ガル潜入とは!?
・・・これはコナンでも予想できなかった。オレ達はセルタの町へ向かってから、ラルン・ガルへ行くつもりだったので、まったく心の準備ができていなかった。しかし、ここまできちゃった以上、ウダウダ言っている場合ではない。いくら悩んだところで、もう行くことは決まっているのだ。
オレ達と一緒にきたお坊さんは、オレ達と中国人の彼女をラルン・ガルの入口まで連れて行くと、一人の小坊主を紹介した。中国人の彼女の話によると、やはりラルン・ガルは外国人には開放されていないらしく、公安を避ける為に丘を越えて検問を迂回するしか入れないのだそうだ。そして小坊主は、その丘への道までの案内役だ。彼女はそうオレ達に教えてくれると『行きましょ』と言って、小坊主と一緒に歩き始めた。
ここで、オレは考えた。
それは、今さらビビったワケでもなんでもない。ラルン・ガルは『外国人』に未開放のはずなのに、何で『中国人』の彼女はワザワザ検問を迂回しなけりゃいけないんだ?ということである。
そして、オレは一つの考えにいたった!
・・・まさか、ラルン・ガルは中国人を含めて観光開放されていないのか?だから、オレ達と一緒に検問を迂回するのか!?
うーん、なるほど・・・なかなかホネのある中国人だ!気に入ったぜ!

こうして、中国人1人を加えた幻草旅団は、ラルン・ガル潜入ミッションを開始し、小坊主の後につづいた。
小坊主はこのヒミツのルートを案内するのが楽しいのか、楽しげに歩きながら、ラルン・ガルのゲートを大きく迂回して、ラルン・ガルを囲む丘の外側へオレ達を連れて行ってくれた。その道には民家が数件あり、チベット犬が大きな声で吠えていたが。そんな、チベット犬に小坊主が石を投げつけ威嚇をしながら進んでいく。この小坊主、小さくてもなかなか頼もしいボディガードだ。小坊主は丘のふもとまで連れて来てくれると、『ラルン・ガルは向うだよ!後は自分達で。』と言って、丘の向うを指さした。
うーむ・・・オレは丘を見上げた。
・・・こりゃ丘って言うより、山だな。
オレはよっしーを見て『シャングリラで、勢いまかせに山登っといてよかったな!』とよっしーをからかいつつ、丘を登り始めた。
登り始めた最初は快調に足が進んでいたのだが、丘を登るにつれて傾斜がどんどんキツくなり、もともと道なんてない所を登っているので、たまにロッククライミングばりの傾斜にぶち当たる。そして、ラルン・ガル周辺の高度は約4000m。・・・こんなに自分の身体が重たいと感じたのは初めてだ。しかし、これはめったにできないトレーニングの機会である。オレは重力増幅装置で修行する孫悟空のようにズシズシ自分の身体の重りを受け、その足を前に進めた。
しばらく登って後ろを振り返ると、中国人の彼女はヘロヘロになっている。無理も無い、生れてこのかた、ひたすらスポーツをやり続けたオレでもこれだけキツいんだから、きっと彼女はもっとキツイだろう。
オレ達はしばらくヘロヘロになりながらも必死に登ってくる彼女を待っていると、追いついた彼女は大きく深呼吸すると、『行きましょ!』と力強く笑い、『チョコレート食べる』と言ってカバンの中からチョコレートを2つ出し、オレ達にくれた。・・・たいしたもんだ。ネを上げるのかと思ったのに。
『君の名前は?』
『ビビ。あだ名よ。』
オレ達はさらに奥へと進んでいった。

ビビは大学生で、今は3ヶ月の長期の休みらしく、北京からはるばるここまでやってきた中国人バックパッカーだった。
オレは中国人と聞くと、どうして昆明のなめくさった態度の中国人や、4年前の旅で見た、チベタンに罵声を浴びせていた中国人の姿が思い浮かぶので、どうも好きになれない。最初ビビを見たときは、一体何しにゴンパに行くんだ?と少し不快に思っていたが、話をするにつれてビビはそんな中国人とは、まったくかけ離れたヤツだということが分ってきた。
彼女はとても頭が良く、英語はすごい流暢だし、難しい単語がたくさん出てくるので、オレ達の方がついていくのが大変だ。彼女の力で是非この英語を中国に広めて欲しいと思った。そして意外や意外、彼女は宮崎駿のとなりのトトロが大好き、というかなりの日本通だということも分った。これに驚いたオレ達はビビとバカなことを話つつ、やっと丘の頂上の辺りまで来る事ができた。そして、その頂上辺りをみるとに2人の赤い服を着た人影が歩いているのを見つけた。
オレ達は一瞬身をすくめたが、よくよくみると・・・
それはラルン・ガルお坊さんだった。

ビビとオレ達は『おーーい』と手を振ると、その2人のお坊さんはラルン・ガルはこっちだよ!と大きく腕を振って手招きをした。
オレはゼーゼー息を切らせて、ようやくその2人の元へたどり着くと、大きく肩で息をして『ここはラルン・ガル?』と聞くと、『こっちよ、着いてきて』とお坊さんはオレ達をラルン・ガルまで案内してくれた。
オレ達を案内してくれるその2人は尼さんで、ビビはその尼さんと楽しそうに話をして、互いに笑いあっている。どうやら心配していた漢族とチベタンとの険悪の事態はは避けられそうだ。
オレ達が登った丘を下りながら、尼さんは自分達の家にオレ達を案内してくれた。ビビの話によるとお茶をご馳走してくれるらしい。その国の人の家に案内されると言うことは今まで無かったので、それを聞いたオレは途端にウキウキしてしまった。
家は木で作った掘っ立て小屋のようなところで、家の中は小さな釜戸がある台所と、低いベットが2つあるだけのとても質素な家だった。オレ達5人が入ると、もう身動きがとれない。
窓が小さく真っ暗な中、尼さんのカァキとショウチンはオレ達の為に、暖炉兼釜戸に薪と、メチャクチャ豪快にヤク(高山に住む毛長牛)の糞をワシづかみして釜戸に放り込み、火を焚いてくれた。そして、さらにそのヤクの糞を触った手でゴシゴシ、コップと皿を洗って?オレ達にツァンパとバター茶作ってくれた。
オレ達は招かれている客である。そしてここは草原の遊牧民の末裔が住むチベットである。この際細かいことは気にしてはいけない。
カァキとショウチンが作ってくれたこのツァンパと、バター茶というものは、チベットを代表する料理で、日本で言えば、ご飯と緑茶みたいな感覚のものである。これがなきゃチベット人ではいられない。
が!このツァンパとバター茶は、外国人のオレ達にとって、実はかなり問題がある。それはなぜかと言うと・・・このチベット料理はとてつもなくマズイのである!
オレは4年前のチベットの寺でこれをご馳走になり、まさに死ぬほど食わされた経験がある。が、このことは他の2人には黙っていた。
もし、皆さんがたった今、コップ1杯の中国茶を作ることができるのなら、そのお茶に無塩バターを大さじ2,3杯入れてみよう。バター茶の完成である。それを飲みながらこの東チベット編を読んでもらうと、きっと気分倍増である。(嫌だって??)そして、もう一つはツァンパなのだが、これはどんな料理かと言うと、『粉』である。これは調味料でも、これから料理を作り始めるのでもない。この『粉』がチベットを代表する食べ物なのである。ツァンパは大麦(たぶん)を挽いたモノで、その粉を器に入れて、バター茶を入れて、手でコネコネしながら食べるのである。ただし食べるときには口で呼吸をしてはいけない。粉が肺に入って、ムセて実験に失敗した博士のようになってしまう。そして、このツァンパは異常に腹がふくれる。これも、空腹をまぬがれる遊牧民の知恵なのだろうか、オレ達はそのツァンパを小さい洗面器いっぱい分ご馳走になった。オレ達は何度と無く手を止めながら何とか完食したが、ビビは真っ青な顔をしてダウンしていた。チベット料理のただ一人の経験者であるオレは、みんなのゲンナリする顔をみてクスクス笑っていると、カァキとショウチンがこれから読経の時間だから一緒に行こうと誘ってくれた。
オレ達はまだラルン・ガルには入っていなかったのだ。

オレ達は再び、カァキとショウチンに案内され、丘の谷間を奥へと進んだ。ラルン・ガルの入口には山の一面を覆う大チョルテン(カラフルな旗)がはためいていて、その大チョルテンを越えるとついに、丘に隠されていたラルン・ガル・ゴンパが姿を現した。
・・・デカイ!
デカすぎる!こりゃ公安もビビって近づけないワケだ。
ラルン・ガルは山の斜面一面に広がり、山3つ分くらいがゴンパで埋まっていた。そんな豪快な景色の中、オレ達はカァキ達に連れられて、読経が行われるお堂へ入った。ラルン・ガルへ入ってオレは一つ疑問に思ったのだが、このラルン・ガルのお坊さんはほとんどが尼さんだ。これもプンツォク人気のせいだろうか?読経も尼さんの声なので、男のお坊さんの低い迫力のある読経とは反対に、何かかわいらしい読経だ。
オレ達は読経を聞き終わると、カァキ達と別れ、メインのゴンパを足早にぐるりと回った。時間は18:00そろそろ帰らないとマズイ時間だ。オレ達はラルン・ガルまでの道のりを2日と想定していたのだが、まさかその日にたどり着くとは思わなかったので、宿の確保をしていない。オレは今まで一緒にゴンパを見て回っていたビビにセルタへ宿を見つけに行くことを告げると、ビビは『このラルンガルに宿があるのよ』。と言った。
何!?
さ・さすがゴンパNo1!まさか観光客が泊まれる宿まであるとは!?ここでオレ達は一安心し、ビビと一緒にラルン・ガルの丘のてっぺんにある白壁のアパートのような宿に泊まった。実はオレはチベットのお寺に泊まることが昔からの夢だった。予想通りの汚いベットと部屋。でも、それがいい。
やがて日が落ちると、丘の一面に広がるラルン・ガルのゴンパ一つ一つに夕御飯の火が入って、いろんな色のカーテンの色にゴンパが染まっているので、頂上の宿から見下ろす風景はかなりメルヘンチックである。4000mの高度のせいか、曇っているせいか、部屋はクソ寒いが気分は最高だった。
オレ達はその夜、ビビと熱く語り合い夜をあかした。オレ達は今、禁断の僧院にいるのだ!




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