今朝方見た夢・夢殿
BackNumber 361-400

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←夢殿
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←BackNumber 41- 80
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←BackNumber 121-160
←BackNumber 161-200
←BackNumber 201-240
←BackNumber 241-280
←BackNumber 281-320
←BackNumber 321-360


(361-370)+−−−−+−−−−+−−−−+
一年は12ヶ月でめぐってくる。子供の頃は生
これまで積み重ねてきた伝統を打ち破るのに
東京に住む大学時代の同級生の家に集まって
コミュニケーション能力
コンビニエンスストアで、なんだか巻きずし
多かれ少なかれ後悔することをしでかすこと
なんだかビックリするくらいお金が儲かるビ
自他ともに認める酒好きだからか、そういえ
はるだからかからだがけだるいです
電車の中などで文庫本を読む人を見ると、つ
(371-380)+−−−−+−−−−+−−−−+
要約。髪を切った。
立派な人になりなさい。他人に優しい人にな
さても世の中にはいろいろな人がいて、いろ
あんなことを書いたせいか、またぞろ餃子熱
今年のゴールデンウィークは、普段から土曜
その前の晩に貴方が自殺したことを、おとと
友人が週末に遊びにくるついでに、東京中を
はい、そこちょっと停まってもらえますか。
今日は俺の話ではなくて、元カノの話だと思
異国の地にて 9/3
(381-390)+−−−−+−−−−+−−−−+
おしなべて世はことも無し 9/6
ひとめぼれ 9/5
粋な計らい 9/4
今日の話はクロスする 8/29
オススメ、レストランガイド 9/5-2
きゅうり 9/2
不平、不満、文句、愚痴、懊悩などの記述:
インチ器
本物のカメラ 9/3-2
狭き門 9/1
(391-400)+−−−−+−−−−+−−−−+
ここのところ、更新がさっぱりです。ネタが
あいかわらず正月ぼけがぬけていません。正
昨日の名残り雪もおおかた融けて、日射しば
4月1日、Poisson d'avril。お魚の日
未だ若い展いたばかりの山桜の葉を一枚毟り
はじまりに声は無く、ただ音の響きのみが存
半熟の玉子の黄味のように粘度の高いとろり
梅雨の合間のある晴れた日。昨日は薄いシャ
空を一番近くに感じたのは、自分がとてもつ
気付いたときに、貴方が枕元の椅子に座って
400



━−−−+−−−−+−−−−+−−−−+−−−−+−−−−+−−−−+−−−−400 

 一年は12ヶ月でめぐってくる。子供の頃は生活の中での出会いは、なにかと
新しい発見ばかりだったのだろうが、最近では同じことがくり返されるようだ。
息が白いほど寒い朝に田圃の脇を通りかかって、黄緑の麦の新芽が顔をだして
いたのを見てそう思った。
 はじめて見た風景でもなく、見納めにするつもりもない、あたりまえの風景
で、それなりに感慨はあるのだけれど、あと何ヶ月か経ったときの様子を予想
できない性質のものではない。出会いは一期一会だというし、ふと目に止まっ
た写真に撮りたいような風景は、チャンスを逃すと、次がなかなか巡ってこな
いものでもあるのだが。
 今年はサイトの更新が滞りがちなので、ここ一年の間に書いた本数などたか
が知れている。バックナンバーを整理していると、その都度にいろいろ考えた
ことなどがよみがえってくる。進歩のない生活をしているなぁと思わざるを得
ない。
 一年前には、じゃがいものぬけた肉じゃがをつくっていたり、両親に沖縄へ
行けとすすめていたり、甘いもの食ったり、セールストークとバトルしたり、
友人達とたあいのない話をしたりしていたし、小さなことのひとつひとつに一
喜一憂した。今も似たようなものである。まぁこういうのがたあいのない幸せ
というのかな、なんて思いながら。
 などという文章を、年末に合わせてアップするのが本当なんだろうな、など
と思いながら、円環にははじめもおわりもないわけで、思い立ったが吉日など
ともいうからこうやって書いてみたのだ。それに年末年始休業は、遊ぶ計画で
休むヒマもないくらいなので(誇張表現)、その頃アップできるとも限らない
し。
 ひとつだけ昨年より進展したこと。昨年度、両親に沖縄をすすめたときには、
後込みされてしまったのだけれど、その後、機会あるごとに沖縄沖縄と唱えて
いたら、ついにこの正月に家族そろって沖縄へでかける予定とあいなった。飛
行機と宿だけはとりあえず確保した。さてその後どうなるやら。

(2002.12.03)
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12月27日


これまで積み重ねてきた伝統を打ち破るのには大きなエネルギーと多大な努力
を必要とする。だがしかし、停滞をよしとするものではない。

取り急ぎ雪の装備だけを整え、友人の運転する車に乗り込む。時はまだ卯の刻。
吐く息がほのかに白い。ゲレンデに向かうのである。だがしかし、だからと言
ってスキーに行こうとしているなどと考えるならば、それは短絡に過ぎないと
いわざるを得ない。そう、もうひとつの可能性。それは橇。いや、そりはちが
う、スノーボードに行こうとしているのだ。スノボに行こうよという友人の誘
いに、つい軽はずみで、行く行く、などと応えてしまったのが浅慮としか言い
様がない。スキーならば、いわゆるご幼少の砌より自己流を嗜んでいるわけで、
雪さえついていればどんな斜面でも怪我をせずに、格好などはともかくも、下
りてくる(落ちる、ともいう)だけの自信はあるわけだが、つい億劫になって
いてスノボなるものをやったことがほとんどなかったのだ。正確にいえば、一
度だけある。やはり同じ面子でゲレンデに行ったときに、半日だけ板を借りて
スノボをつけたことがあるのだが、板の上に立っていることさえ恐ろしいよう
な状況で、いったい僕に何をしろと求めているのかおんどりゃあごるぁ、であ
ったのだ。板が一枚か二枚かでこんなにも違うとは。まぁ人間の顔の美醜でさ
え、同じように目が二つで鼻口がひとつでも相当の差があるのだから、まして
や1と2とでは大違いといわざるを得ないのかもしれぬ。特に何が怖かったか
というと、スノボの場合は足が拘束されちゃってるわけで、そんな状況でいっ
たい僕に何をしろと求めているのかおんどりゃあごるぁ、なのであった。

そのような自分が、翌日に出かける用を控えていながら、スノボに行こうとし
ているのは、かなりのどきどきものなのであった。翌日の用事といっても遊び
の約束だし、というのはさておいて、初心者向けのスクールに入って教えても
らうならともかく、この面子で一緒に行ったら一緒にすべることを要求されそ
うだしなぁなどと考えていたのもある。その友人より、だってスノボの教本を
買ったと言ってたじゃない、と指摘を受けて僕は思い出した。前回もスノボを
足にくくりつけてみてのあまりの絶望から、翌日すぐに本屋にて初心者用の易
しいスノボ教本を買ってきたのだった。それでなんとなくわかったのは、スキ
ーとスノボは同じような体重移動で曲がるらしいということだけだが、さも得
意そうに本を買ったからもう大丈夫というようなことをその友人に告げていた
のだった。だって、あの本、その後開いてないんだよね。三日坊主を後悔して
もはじまらないし、まぁ理論だけじゃだめで習うより慣れろっていうしね。あ
はははは。

強がって、行くよって言ってしまってから、やっぱり念のためスキーの板も
(これは自前で持っている。古いんだけどね。)持っていこうかなぁ、なんて
弱気なところを見せてみたけれど、車に積めないからだめ、と却下されてしま
った。いいよいいよ。いざとなれば向こうのレンタルでスキー板だって貸して
るだろうし。でもそれは恥ずかしいよなぁ。まぁきっとスノボをして死ぬとい
うこともなかろうし。いやでも待てよ、初心者が事故をした場合、スノボのほ
うがスキーよりも大事故になりやすいとも聞いたような気がする。もう若くな
いんだし無理はしないほうがいいかなぁ。いやだめだ、だめだ。ここでスノボ
を滑れるようにしておかないと、この先スノボを学ぶ機会なんて滅多にないに
違いないんだからがんばってみようか。でも怪我をすれば痛いしなぁ、年末年
始の予定が全部くるってしまうし。いや、そんなことを言っていたらいつまで
たっても物事を始めるのに適した時期など、永遠にやって来はしないだろう。
車が高速を北上して、徐々にゲレンデに近づいている間も、天使と悪魔が僕の
頭の中でいつまでもバトルを繰り広げていた。さて、どちらが天使でどちらが
悪魔なのかはよく判らないのだが。

家のあたりを出発したころは、雪なんてほとんど降ってもいないし積もっても
いなかったので、なんとなく実感がないから、その声の大きさはさほどでもな
かったのだけれど、北上するのにしたがって、外はだんだん白くなってくるし、
雪は強くなってくるし、僕の葛藤もだんだん積雪量のごとく深くなっていくの
だった。

ゲレンデの脇の駐車場には、まだ数台しか車がとめられていない。雪国ゆえの
特権というやつで、早朝に起きることさえ厭わなければ、日帰りでのスキー
(やスノボ)を十分に楽しむことが可能なのだ。もちろん、自分か仲の良い友
人かが雪道の運転が可能であるとしての話。ただ、車の外は寒い。雪が横に飛
んでいる。きっとこういうのを吹雪というのに違いない。車のドアをあけなが
ら、僕も友人も顔を容赦なくたたく雪に奇声をあげる。いや、雪そのものは嫌
いじゃないんだけれど、風が強くて風上の方角をまともに見ることができない
のだ。せっかくここまできたのだからと嫌々ながらも車からおりてみると、リ
フト券を発行しているはずの窓口が準備中になっている。中には係の人らしき
がいるので聞いてみると、風が強いためリフトの運行を見合わせているところ
なので、券の発行ができないのだと言われた。本来、ここはおおいに残念がる
べきところなのであろうが、なぜか少しほっとしている自分がいたのである。
係の人も、シーズン中に数回あるかないかの吹雪だというし、小一時間待って
も治まりそうに無いので、僕たちは泣く泣くゲレンデを後にしたのだった。

あぁ、残念。

終わりよければすべて良しともいうけれど、この終わり方は果たして一年の締
めくくりにふさわしかったのであろうか。昼過ぎに部屋にもどりついた僕たち
は、ゲレンデ用にと用意した暖かいポットのお茶を飲みながら、まったりとし
たひと時をすごしたのであった。

(2003.01.14)
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12月28日-29日

 東京に住む大学時代の同級生の家に集まって、すでに恒例となった忘年会を
兼ねた鍋会。買い出しもあるから15時には集まるように、との(やはり恒例
となった)メールが来ている。そのため、11時半にはでるつもりだったのだ
が、案の定寝坊。12時半ごろの出発となった。
 昨夜には別の友人と話をしながら、午後からの出発で午前中に時間があるか
ら、映画の1本でも見てから出かけようかな、などと嘯いてみたのだが、なん
ならモーニングコールしてあげてもいいけど絶対行かないほうに300カノッ
サ賭けても良い、と言われてしまった。たしかに朝方、電話をもらったような
気もする。とりあえず支度だけは昨夜のうちにととのえておいた安心感も手伝
って、電話をとったあと、また布団にもぐりこんだような記憶がある。引き込
まれるようにして眠りの世界に足を踏み入れ、気付いたら上記のような時間に
なってしまっていたのであり、かくして、僕は300カノッサを失ったのであ
った。人生はかくもはかないものである。
 今、電車の待ち時間にホームでコレを書いている。とは言ってもモバイルな
んちゃらとかではなくて、ポケット手帳とボールペン。あまりにもシンプルな
組み合わせ。フルキーボードに向かう方が記述速度が速いのだけれど、そのた
めだけにパソコンを持ち歩くのもいささか不便に感じるので、それは却下。シ
ンプルイズベスト。シンプルが一番美しいということにする。充電池切れで書
けないとかいうストレスはないし。まあインク切れだと書けないが。
 まもなく電車が到着しますというアナウンスがあったので、一時中断。向か
いのホームでは、ベンチに座ったカップルが日溜まりに遊ぶハトを眺めている。
そのハトが象徴するかのような、平和な年の瀬。

 4時半頃、友人宅に到着、これも恒例。ぼちぼち人が集まりはじめているよ
うで、奥の方から子ども達の声がする。集まってみると大人11名、子供5人
の大所帯。一休憩して買い出しにでるが、その量たるや半端ではすまない。ス
ーパーのかごにして4杯。酒類を込みにしてひとりあたり約3000円(大人の数
で頭割り)。これでも学生時代の鍋会にくらべたら、食べる量は格段に減って
いる。鍋をするというのに、なぜかかごの中にはカボチャだとかサツマイモが
入っているのは、それを強く所望したヤツがいたから。以前カボチャを鍋にい
れてまっ黄色い鍋になって以来、不評だったのをあまりよく覚えていなかった
らしい。春雨とマロニーと葛切りが、しらたきと別にあったのは多分気のせい。
しらたき以外は乾物だから、きっとそのうち家主が消費するだろう。それか来
年の忘年会に持ち越されるか。
 スーパーの袋を手に戻った僕らはそれぞれのポジションにつく。いつからだ
ろうか、野菜を刻んだりいろいろ準備をするのは僕の役目になっている。なに
もせずにテレビの前に座ってできあがりを待つのはなんだか落ち着かないのだ。
そういえば、何日か前に別の知り合いの家で、そしてほとんどが初対面である
ような面子で鍋会を行ったときにも、僕は僕なりに一番落ち着くポジションに
いて、せっせと白菜やら葱やらを刻んでいたのだったっけ。とりあえず、刺身、
チーズなど、調理をしなくてもすぐに食べられるものをテーブルへ並べる。ク
ラッカーにクリームチーズを塗りつけたりするのは、また別のヤツの役目だ。
大根は皮を剥く。毎年大根をおろす役目の男が今日は遅れているので、下ろし
金とうつわとともに別の男の手に渡す。
 二つ用意された土鍋にはすでに水が張られ、昆布が沈めてある。これは買い
物の留守番組(そして子供のお守り組ともいう)が準備してくれていたもの。
さあ、あとは刻んだ野菜やら肉ものやらをぽんぽん放り込んでは煮ていくだけ。
特にうるさい奉行もいないので、なんでもかんでも適当。適当に煮たやつを適
当にポン酢で食べる。野菜のサイズも適当ならば、同じ鍋で煮られる食材の組
み合わせも適当。鍋のうまさはこの適当さにあるんじゃないだろうか、なんて
思うこともある。はじめは鱈だの鯛だの魚鍋で、次は鶏、次は鮟鱇で、次は豚
で、次はつみれで今度は牛肉で、なんて具合に、鍋は交互に6回か8回にわた
って更新され、だんだん箸をつけるペースも落ちてくる。子連れの組はいつの
まにか脱落し、子供を寝かしつけるために帰っていく。残りはホットカーペッ
トに毛布を与えられてごろ寝。いろいろと話をしていて、寝に就いたのは夜中
の2時を廻ったころだったか。学生時代とあいもかわらぬ莫迦バナシの中に、
時折、仕事の愚痴が混じるようになったのは、まあご愛敬。

 その部屋の構造から、襖を締め切ると旭が射し込まないので、10時すぎま
で惰眠をむさぼる。休みであるが故の贅沢。そして子ども達の笑い声で目が醒
める。まだ保育園に通いはじめの小さな子ども達と、その母親である友人はさ
すがに早起きで、目覚めの鍋を用意していてくれた。昨日残った食材で、朝か
ら鍋。大人6人、子供2人で、豚肉あり鶏肉あり、しいたけあり、春菊あり、
なかなか豪勢な鍋を囲む。さすがに朝からビールやら酒やらは無かったが、蒸
された鮟肝なんてものがでてきたりして。そしてテレビをみたり、子供の相手
をしたり、またうとうとしたりして、贅沢で非生産的なひとときをすごす。毎
日がこれではきっとつまらないのだろうが、こういう時間の過ごし方もある。
(というか、休みの日はほとんどこれに近いというハナシもあるが。)
 16時すぎ、友人たちと遠からぬうちにスキーにでもいくことを検討するこ
とを約束して、子ども達にも別れの挨拶をする。ちょっと前までは別れるとき
に泣いてしまったこの子たちも、分別がついてきてしまったのがなんだか少し
寂しかったりする。
翌早朝には沖縄行きの飛行機に乗る予定なので、空港までそう遠くない兄貴の
部屋に泊めてもらう予定。若干の移動ののち、夕方5時ころに兄貴の家につく
と、少しまえに実家の両親からもう着いたかどうかの電話があったというので、
報告を兼ねて実家に電話をいれる。こんな時間までどこをほっつき歩いている
のか、と怒られてしまうが、ちょっと心外。いい年をした男をつかまえて、し
かも夕方の5時前なのに、それはないだろうと思う。いくつになっても親から
みたら子供は小さくて庇護の対象なんだろう。
 シャワーを借りて、蕎麦とおでんですこし早めの夕食。これは兄貴の手作り。
すっかり温まってねむくなり、珍しくも8時前には就寝。翌朝が早い予定なの
でちょうど良いけれど、こんな時刻に寝付くなどというのはすこしめずらしい。
なんだかここのところ寝てばかり。旅行先では目をぱっちりと見開いてすごす
ことにしよう。

(2003.01.21)
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コミュニケーション能力

袋は透明ですか、と訊かれて一瞬答えに詰まったのであった。

だって、目の前に袋など無い。そもそも会話の中で、継続した話題の対象とし
て挙げられた、なんちゃらの袋ともなれば、それが透明かどうかの見当もつこ
うというものだが、唐突に言いだされた袋である。もしかして僕には見えない
透明な袋がそこにあったのかも知れないが、それならばなお、わざわざ透明か
どうかを確認する必要もないだろう。あるいは、相手もそこに透明な不可視な
袋があるかもしれぬと疑って、そこに袋があるとすればそれは透明ですか、と
いう共通の関心事項の発露としての話題を振ろうとしていたのかもしれないが、
そこまで僕も勘が良いわけではないのである。そういえば、そこに袋が無いと
言っても、たしかにそこには手袋はあった。最近寒いので、外出時に愛用して
いるのである。でも、手袋を袋と言い切る人は少ないだろうと思う。なにせ、
テブクロの4文字がフクロの3文字になるだけで、あまり省エネルギーに寄与
しないのだから。その手袋にしてみても視界の範囲内にあるわけで、相手が盲
人でもない限り透明ではないことなど一目瞭然なのであるが、相手が盲人であ
るようには全く見えなかった。いや、僕が盲人も同然だったのかも知れないが。

そもそも世の中には透明と無色透明を適切に使い分けない人が多いような気が
する。トマトジュースは透明ではないが、赤ワインもミネラルウォーターも同
様に透明である。かと言って、赤ワインは無色透明ではない。ロゼになると近
づくし、白ワインならなお近い。清酒でも樽貯蔵酒である住吉(樽平酒造)は
一見して無色透明ではないが、透明ではある。だから、実験室において試験管
の中の液体が「透明です」と答えるのは不十分なのであって、「無色透明です」
と答えるなどする必要がある。間違いやすいのは、鉄イオンを含む溶液にチオ
シアン酸イオンを加えたときで、血赤色と称される非常に濃い赤褐色に染まる
のだが、依然としてこれは透明なのであって、赤い沈殿が生じましたと答える
と、これも間違いなのである。いやはや、話が専門的になりすぎた。

スーパーやコンビニで買い物をした時に貰うポリの袋も、おおまかに、白、ベ
ージュ、半透明などのパターンがあると思う。少なくとも僕の行動範囲内では、
この3種類に含まれるものが流通しているほとんどである。ただ、ここの3つ
めのカテゴリも、わざわざ半透明と書いたように、それは決して透明ではない
と僕の言葉感覚が訴えている。客観的な透明と半透明との境界というものが存
在するかというと、いわばグレーゾーンで、かなり怪しいと思うから、僕にと
っては半透明だが、またある人にとっては、それが透明なのかも知れない。そ
こまでは譲るとしても、たとえその袋にロゴマークなどが印刷されたとしても、
それがワンポイント程度におさまっている限り、地の色が変化したという認識
を持たないのが普通ではあるまいか。つまり、半透明な袋に何かマークを印刷
したとしても、それはやはり半透明なのであって、その半透明を透明と言い張
るのであれば、そのマーク付きの袋も透明なのではあるまいか。たとえばなに
か、冷やにするか燗をつけるか、という尋ねかたはあっても、地酒にするか日
本酒にするか、などと訊かれると、ええなにかい、この地酒というのは日本酒
ではないのかい、などと絡みたくなるのである。それは絡み酒だからかも知れ
ない。いや、本当のところは僕は単に笑い上戸なのだが。

因みに正しい問いかたは、「袋には無地と地域指定ごみ袋マーク付きがありま
すが、どちらになさいますか」だ。「袋には透明と地域指定がありますが、ど
ちらにしますか」でもまだ許せる。「袋は透明でいいですか」でもかろうじて
許容範囲なのだが、「袋は透明ですか」は無いんじゃないんでしょうか。

とはいえ、ことを荒立てるほどのことでもないような気もして、僕は無難に、
ええ袋は透明で結構です、と答えたのだった。まぁ、こういうように相手が言
わんとしたことの真意を計るのも、コミニュケーション能力ってやつかななど
と、いま清算したばかりの食品を半透明の袋に詰めながら考えたのであった。

(誤字脱字雑文祭にちいさく酸化)

2003.01.29
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コンビニエンスストアで、なんだか巻きずしを食えというキャンペーンをやっ
ている。恵方(えほう)巻きとかいう巻きずしを、恵方とよばれる方角を向い
て丸かじりするとめでたいんだそうだ。んでもって、食ってる途中は喋くっち
ゃならねえんだそうだ。

たしかに恵方(えほう)という言葉を辞書でひくと、「その年の干支(えと)
に基づいてめでたいと定められた方角。その年の歳徳神(としとくじん)のい
る方角。」(goo による大辞林第二版からの検索結果)なんて意味もあるのだ
から、恵方そのものを否定するわけじゃあない。別に巻きずしを食わなくても
いいじゃないかと言いたいんである。

いやなに、日本における14日のバレンタインデーが菓子屋の陰謀であるように、
このキャンペーンも寿司屋の陰謀に違いないと踏んでいるんであるが、2週間
ほど先の行事についてはあまりに声を大にして叫ぶと敵にまわす人も多かろう
が、こっちの方は、寿司業者以外に困った顔をする人も居るまいし、まあよか
ろうと思ってのことである。

僕がはじめてこの恵方巻きなるものを知ったのはかれこれ10年ほども前のこと
だろうか。春節の頃、川道屋の出みせまで年越しそばを食いにでた吉田神社の
参道でのことだ。なんだか巻きずしを丸かじりしろと書いた看板がでていて、
とても正気の沙汰とは思えなかった。そこに一緒にいた友人達も、当時は、こ
んなんしらんわ、きっとVDのパクリやろう、と言っていたのに、10年経った
今、恵方巻きはすっかり有名になり、コンビニが率先してキャンペーンをして
いる。

古来からの習慣だかなんだかしらないが、少なくともそういう意味では10年以
上の歴史があるのは確かである。もっと古いのかも知れないし、せいぜい10年
がところといった歴史しかないのかも知れない。まあ、ある意味どちらでも良
いといえばどちらでも良い。

とはいえ、想像してみていただきたい。たとえばここに20階建てのマンション
があるとする。ひとつの階に10人くらい入居していたとすると、このマンショ
ンだけで200人の人が暮らしているのだ。当然みんな趣味も違えば好みも違う。
ある人は読書、ある人は音楽鑑賞、ある人はビデオをみたり、ある人はフィギ
ュアを組み立てたり、漫画を書いたりする。ある人はネトゲにはまっていたり、
またある人は料理をするのが好きで、ある人は昼間からビールをぐびぐびいっ
ちゃったりする。そんな個性豊かな人々がである。一斉に同じ方向をみながら、
巻きずしをくわえていたら。200人が一斉に、ちょっと上目づかいになりなが
らもごもごやっていたら。そもそも丸ごとバナナよりも太い巻きずしを切りも
せずに食うなんて、人間沙汰じゃねえぜ、と言いたい。

ねえ、えほうまき、って阿呆巻きにきこえませんか。まあいいんですが。

とはいえ、こんな駄文をつらつら書いていると小腹がすくってもんじゃありま
せんか。さきほどコンビニで買ってきた巻きずしでも食いましょうか。いや、
気持ちの上では切ってから食いたいんですがね。まるのまま売ってやがるんで
仕方がないんですな。それにほら、食ってしまえば同じですから。もごもご。

(2003.02.03)
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多生の縁

多かれ少なかれ後悔することをしでかすことがあるのだが、そんな一端には自
分と他人の物事に対する捉え方の差違が原因となっていることもあるのだろう
と思う。

高校生のころにある一人の仲の良かった友人が居た。思い出してみると、小学
生ではなんの憂いもなく、さほどの自我もなく呑気にすごし、中学生では戸惑
いながら、周囲との間に希薄で突っ張った人間関係しか築けなかった自分にと
って、ある意味それは珍しいことでもあった。きっかけはありがちな通り、名
簿番号が隣りあっていたとかそういうことなのであるが、いつのまにかしょっ
ちゅう一緒につるむことになったのは、相手が人なつこい性格だったためか。
かといって、特にべたべたしすぎず、自分にとって程良い関係だったのだ。

あの頃の3年間などという時間は、瞬く間にすぎてしまう。そして卒業してか
ら何年かの間は、互いに音信不通のままだったのだが、久しぶりに会った同窓
会で、その友人があまり変わっていないことを見て少し安心した。もちろん僕
だって大して変わっていなかったんだろうけれど、それは彼からの視点。僕の
与り知るところではない。

やあ久しぶり、元気にしてた。うん、そっちこそ。卒業してからさほど経って
いなかったから、別に仕事に愚痴になるわけでもなく、なんとなく楽しい時間
をすごした。ねえ、住所教えてよ。彼に乞われるまま、僕は住所を教えた。年
賀状書くからさ。彼は続けて言う。

ええ、いいよ、年賀状なんて。僕は少し照れてそう答えた。年賀状だけ出し合
っていれば安心だなんてことは無いわけだし。当時の僕はそう思っていたのだ
ろう。なんだか形式にとらわれるようでいやだったのかもしれない。今から考
えれば莫迦なことを言ったものだ。せっかくの厚意を無碍にするようなことを
言う無神経さはまったく酷いものだ。案の定、彼は少しさびしそうな顔をした。

その後、何年もの間、彼とも年賀状のやりとりのないまますぎた。それから、
ふと思い立って、同窓生名簿で彼の住所をひいて、年賀状を書いたのは、今か
ら何年まえだったろうか。その年賀状は、引越先不明、宛先のわからないまま
差し戻された。そうして今も、挨拶のやりとりを欠いたままだ。

実際のところ、年賀状を書いたりするのを、非常に億劫に感じてしまう。顔を
会わせる人には別にいいや、といって済ませてしまうこともあれば、メールで
やりとりを済ませてしまうこともある。なんだか律儀に年賀状だけしかやりと
りしあわない関係の友人もいて、それもどうなんだろうと考えてしまったりも
する。ただ、何年も昔に袖振り合っただけの知り合いが、いつのまにか年賀状
だけ交換を続けていたりするのは、やはり嬉しい気もするのだということが、
ようやく判りはじめてきた。

高校生の時に親しかったその友人へは、いまだ連絡さえしていないが、時折、
あの時の寂しそうな顔とともに思い出したりする。もしかして彼も僕のことを
覚えていてくれるだろうか。また何年もして枯れてきたころに同窓会でもあれ
ば会って確かめてみたい。年賀状のやりとりだけくり返す知り合いよりも、し
ばしば思い出したりするものだから、互いに連絡もとらない、そんな関係もあ
りだよね、と僕は思う。でもこれは僕の傲慢なのかもしれない、とも思うのだ。

(2003.02.11)
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生徒(S) 先生、今日、某掲示板で変な書き込みをみました。
先生(T) へえどんなやつだい。

(生徒が、その書き込みの内容を紹介する。先生はその話をきいて、その
「書き込み」はいわゆる無限連鎖講に相当するものであると判断したようだ。)

S なんだかビックリするくらいお金が儲かるビジネスゲームだなんて
  書いてあるんですよ。
T それはいよいよアヤシイなあ。
S ええ、その書き込みのすぐあとに、ねずみ講じゃないのか、
  って別の人が書いていました。
T ねずみ講か。ちょうどいい、今日はその話をしようか。
S お願いします。
T ところでねずみ講の講って、なんのことか判るかな。
S ええっと。似たような言葉で、お伊勢講ってのを社会の時間に習いました。
T そうだね。辞書によれば「貯蓄・融資などのための相互扶助団体」つまり、
  みんなでお金を出し合う制度のことを言うわけだ。
S それじゃあ宝くじみたいなものなんですか。
T え? 宝くじかあ。
S だって、先生いつもハズレくじばかり買って、当選者に貢いじゃった
  といって笑っているじゃないですか。
T ううむ、ハズレを狙って買っているわけじゃないんだがなあ。
S 先生は、そんなところで運を使っちゃわない方がいいんです。
  ただでさえついてないんだから。だからまだ独身なんでしょ。
T … それはきっと関係ないよ。それに、宝くじとねずみ講はだいぶ違う。
S そうなんですか。
T 宝くじは合法だけれど、ねずみ講は違法だ。
S なぜ違法なんでしょう。
T それは、ねずみ講の「ねずみ」という言葉にも関係がある。
S えっと… 法律をつくった人がネズミが嫌いだった。
T おいおい、ドラえもんじゃないんだから。
S それじゃあ、わからないです。
T あんまり簡単にわかりませんと言って欲しくはないんだが。
  そうだな、他に算数で、ねずみのつく言葉を習ったろう。
S あ、ねずみ算。ねずみは足が4本で…
T 正解だが微妙にちがう。ねずみは繁殖力が強くて、どんどん子供を
  産んでしまうんだ。
S それで1匹のねずみが子供を10匹ずつ産むとして、複利計算のように
  どんどん増えていくようなものをいうんでしたね。
T まあ、哺乳類は1匹では子供を産めないが、そういうこと。
S それがどう関係あるんですか。
T たとえば家の中でどんどんねずみがふえてしまったらどうなると思うかな。
S 困ります。
T …たいへんわかりやすい答えでよろしい。
S 某遊園地に売りつけるとか。
T いや、ナマモノのねずみでは買ってもらえないと思うなあ。
S そりゃそうですよ、本気にしないでください。
T 家の中がねずみだらけになって、食糧も家具も柱もみんな囓られて
  しまったらおおごとだろう。
S でも、本当にそうなったところなんてみたことないですよ。
T そう、良いところに気付いたね。算数の簡単な仮定では、1匹のねずみが
  2週間で10匹に増えるとしよう。そうすると、ひと月のあいだに2週間
  が2回くるわけなので100匹になる。2ヶ月なら1万匹だ。けれど、現
  実はそう甘くない。ある一定の数になってしまったらその後はもう増えな
  いんだ。なんでか判るかな。
S ええっと。あ、エサがない。
T その通り。食べものや空間が無限にあれば、どんどん増えることができる
  ねずみでも、エサがないからそれ以上増えないようになる。見かけの変化
  が無い状態、つまり定常状態になるわけだね。
S いいじゃないですか、甘くなくても。ねずみは増えすぎることもなく、
  猫もエサに困らない、と。
T 警察じゃなし、いまどきの猫がねずみを捕るのかどうかはアヤシイもんだ
  が、それはそれ。ねずみならば困らないんだが、ねずみ講の話にもどろう。
S あ、そうか、そうでしたね。
T まず、ねずみ講のねずみは何のことだと思うかな。
S どんどん増えるのがねずみだから、ええと…
T ほら、びっくりするほど儲かるって書いてあったんだろう?
S ああそうか。それではねずみがお金で、自分がはじめに払ったお金が
  どんどん子供を産んで、孫を産んで、曾孫を産んで、玄孫を産んで…
  先生、はやくとめてくださいってば。
T あ、いやいやどこまで言うのかなと思って。
S 玄孫の子供をなんて言うかなんて、もう知りませんよ。
T まあ人間ならば20才で子供を産んで90才まで長生きしたとしても、
  その子が70才、孫が50才、曾孫が30才、玄孫が10才ですからね。
  さらにその子供を言い表すことばが必要な状況など、身の周りには
  無いほうが普通でしょうからね。
S 田舎の大家族って感じですね。
T そう、そのおばあちゃんは、きっと毎年お年玉で苦労しますね。
S いや70才の自分の子供には、さすがにお年玉をやらないでしょう。
T でも10才の玄孫だけでもすごい数が居ることになると思うよ。
S どのくらいでしょうか。
T では、数学でありがちなように、ものごとを単純化して計算してみよう。
  まず、先ほどの仮定をそのまま採用して、男も女も、二十歳になったら
  子供を産むことにしよう。あ、なにを笑っているんだ。
S じゃ、先生はとっくに失格。
T いいの。これは計算を簡単にするためのお話なんだから。
  ええと、それで子供の数は3人としましょう。一人産むのに約1年かかる
  んだけど、そこを無視できるように、3つ子の赤ちゃんが、ちょうど親の
  20才の誕生日にうまれるとする。それで、いくら遠縁でも血のつながり
  あった親族の間での結婚は無いものとする。こんなもんでどうかな。
S はい。では、そのおばあちゃんの子供は3人。孫は9人、曾孫は27人、
  玄孫は81人になりました。
T お年玉をあげるどころか、名前を覚えるだけでも大変そうだね。
S どうせ呆けてますから。
T こらこら。そんなことを言ってはいけない。今、どうせ仮定の話をして
  いるのだから、今度は産む子供の数を10人で計算してごらん。
S なんだか本当にねずみ並みですね。ええと、子供が10人、え? 孫は
  100人。先生、曾孫は1千人で、玄孫は1万人になってしまいました。
T 僕なら100人の孫ができた時点で名前を覚えることを放棄するね。
S ご自分のお子さん10人だって危なさそうですが。
T その前に10人も子供を養うだけの甲斐性が僕にはないよ。
S 奥さん一人でもないんですもんね。
T ぐっ。だから、今は仮の話をしているんじゃなかったかな。
S 独身だから、奥さんなんて十分に仮の話でしょうけれど。
T 人の痛いところを突いてくるのも非常に卑怯だと思いますよ。
S 先生、そんなことよりもかなり脱線しました。
T おおそうそう。お年玉が大変だ、というのがひとつの重要な結論なわけだ。
S はあ、そういう話なんでしたっけ。
T そうだよ。一人千円のお年玉でも1万人に渡すためには1千万円を用意
  しなくちゃならない。これは因みに、1万円札100枚の札束が10個
  だから、ちっちゃなカバンに簡単に入るくらいだ。けれど、そんな大金を
  僕は持っていないね。
S 自慢そうにいわなくても。それに、そんなこと期待していません。
T それを毎年だしなあ。万が一自分が100才まで生きてしまったら、
  10万人の来孫に千円ずつでも1億円だからねえ。
  120才になってからは100万人の昆孫に10億円だぞ。毎年正月が
  くるたびに出費が10億。ジャンボ宝くじにあたっても間に合わん。
S だからそんなことありっこないですって。
T そう、それも重要な結論のひとつなわけだ。
S はあ。
T そもそも、同じように、ねずみ講も成立するわけがないんだ。
  人間の場合は、まだ次の子供を産むまでに20年とか3から40年の猶予
  があるが、ねずみの場合、子供を産むまでの間隔がもっと短い。先ほどの
  仮定を活かすなら、2週間で10匹、1ヶ月で100匹、2ヶ月では1万
  匹となってしまって、すぐにエサが足りなくなってしまうんだ。
  ねずみ講の場合はエサに相当するのが、そのもとの掲示板の書き込みをし
  たような人なわけだね。ひとつの書き込みに対して10人ずつ「ひっかか
  る」人が居て成り立つシステムだ。この周期を2週間とすると、誰かがは
  じめたねずみ講に対して、2ヶ月後には新たに1万人の参加者を要求する。
  3ヶ月で100万人、4ヶ月後には1億人、5ヶ月後にはなんと100億
  人。100億人って言ったら、あと50年後の地球の全人口だぞ。しかも
  先進国の全人口は今後ともあまり増えず、11〜12億人のまま推移する
  と言われている。しかも今の計算では、あらたに参加する人数だけで、す
  でに参加している人数は計算に入れていない。一方、地球上の人間が現在
  64億人いることにして、全員64年間くらい生きるとすると、人口が変
  動しないとして毎年1億人、実際には50年であと40億人増えるのだか
  ら毎年およそ2億人しか生まれていないことが計算できるね。
  ねずみ講が成り立つことは絶対ありえないことが判るだろう。
S ええ、でも先生、子供の数を10人なんていわず、もう少し減らして
  3人くらいにしたらどうですか。
T いや、それは、ログというか、指数の怖さをわかっていないね。log3は、
  およそ0.5で、log10(=1)の半分。つまり、3×3は9で約10だ。
  つまり2週間で10倍になるかわりに、ひと月で約10倍になる。
  だから地球上の全人口を上回るのに5ヶ月かかっていたところがそのおよ
  そ倍の約1年になるだけの話、結局どこかで破綻せずにはおかないという
  ことが判るかな。
S 似たようなことをチェーンメールの話でも聞いたよな気がします。
T そうだね。ただ、チェーンメールは、これも限りある通信資源を無駄遣い
  してネットマナーに違反するし、場合により実害さえありうるわけだが、
  やろうと思えば、自分になんどメールが回ってきても別に困りはしないだ
  ろう? でも、ねずみ講で自分が自分の子供や孫のさらにその子供にもう
  一度なることは何のメリットもないからあり得ない。だから、いちどねず
  み講に参加した人は同じねずみ講には再びは参加しないという仮定を立て
  ることもできる。そうすると、ねずみ講にあとから参加した人は損をする
  ことが運命づけられているわけだ。唯一回避可能な解は、子供の数が1以
  下となるんだけれど、これは要するにねずみ講に参加しても儲からない状
  況を述べるわけね。つまり、これも現実にあり得ない。
  ちょっと数学的に解いてみようか。まず、子供の数は3としましょう。
  日本の人口は約1.2億人なので、n世代めの子供の数が1億を越えると
  いう条件で式をたてるとどうなりますか。
S ええと。
  3のn乗、大なり1億(3 > 100000000)です。
T ではその不等式の両辺の常用対数をとってください。
S nlog3>log100000000
  log100000000=8なので、nlog3>8となります。
  この両辺をこんどはlog3で割ると、log3は正なので、不等号の向きは
  そのままで、n > 8÷log3(〜16.8)となります。
T はい、よくできましたね。3の17乗は約1.3億となりますね。
  つまり、ひとつの書き込みに対して10日で3人が新たにねずみ講に参加
  するとして計算して、170日後には日本人の全員が参加することが必要
  になるんですね。その次は国外に眼をむけないといけませんね。だから英
  語も勉強してくださいね。
S ええとなにか違う話題にふられたような気もするのですが、まあ無視と。
  さっき先生が、同じねずみ講には再びは参加しないという仮定を立てる
  ことができるって言っていましたよね。これを考慮するとどうなりますか。
T ほほう、すこし高度になってきたかな。では、このように考えてみよう。
  まず、17世代の人数が1.3億人。ひとつ前の世代はその1/3、二つ
  前の世代は更に1/3で、1.3億人の1/9、三つ前の世代では同様に
  1.3億人の1/27。これを最後に一人になるまでくり返す。
  そうすると次の式がいくつになるか判ればよいことになりますね。
  (1/3)+(1/9)+(1/27)+(1/81)+ …
S 計算かなにかの公式でもあるんでしょうか。
T そうだね。僕はもっとエレガントな方法の方が好きだけどね。
  まあ、この図をみてごらん。(先生は黒板に図を書きました。)
  3のn乗分の一をすべて足した数は0.5になる、つまり、上の式は
  1/2に収束すると表現できる。言ってみれば、ある世代ですでに
  ねずみ講に参加した人間の数は、その次に参加することが求められる
  数の半分であるということだ。
S つまり、それは17世代めが生まれた時には、1.3×1.5〜2.0、
  すでにつまり2億人が関与したことになる、というわけですね。
T そういうこと。ただし、子供の数を3と固定した時の結果だから気をつけ
  るように。2のn乗分の一の和は1に収束するし、4のn乗分の一は今度
  は1/3に収束する。まあ一度に生まれる子供の数が多い方が支えるべき
  親の世代は少なくて済むし、少子化により親の世代を支える負担は重くな
  る、というわけだな。
S なんだかまた話が怪しげになってきたようですが。
T ええと、ねずみ講が違法であることも、はじめの数世代を除いて、
  ねずみ講なんて儲からないものだということがはっきり判ったでしょう。
S ところで今回の話の元になった掲示板の書き込みした人、自分の銀行の
  口座番号とか晒しちゃってますけど、いいんですかねえ。
T 個人情報をそうやって簡単に晒すことに抵抗がないのに驚くけれどね。
  だって興信所とかに頼めば、きっと名前くらい判っちゃうんじゃないかな。
S 掲示板のログにしっかり残っちゃってますものねえ。
T まあログは、かくも恐ろしい、ということが今回の結論だということで。

(2003.02.22)
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自他ともに認める酒好きだからか、そういえばよくお酒の戴き物をする。酒好
きではあるが、量はそんなに飲まない。とはいえ、美味い酒を呑みたいからい
ろいろと調べてしまうし、凝ってしまう。酒屋のおやじにもいろいろきいて、
あれは美味い、これは美味いというのを教わってくる。どれそれは美味いとき
けば一度は呑んでみたくもなるのが人情で、それで美味いのをみつけると自慢
ついでに他人にも勧めるから、あいつは酒が好きだという印象を強くする。

消費があまり多くないのは、独り酒をあまりやらないからだ。酒を呑むと酔っ
てしまうのがなんだか勿体なくて、というちょっと矛盾した理由によるのであ
る。かと言ってそもそもが呑めないわけでもない。酒の席で勧められればすす
められただけ呑む。はじめから酒の席が嫌いではない。だから、なおさらあい
つは呑んべえだと言われる。

甕にはいったお酒をいただいた。仕事場の先輩が以前にどこかからもらったも
のだという。部屋の整理をしていてでてきたもので、きみはそういえばお酒が
好きだったよね、と思い出してくれたのだ。なかなかありがたいことで、こう
いう時には酒好きで通しておいて良かったと思う。

その先輩は、そのお酒を詰めた日付を見て、ちょっと躊躇した。3年ほど前の
日付となっていたからだ。ありゃ、こりゃちょっとまずいなあ、と引っ込めか
けた。引っ込めかけても一度は差し出されたもの。容れ物も変わっていて面白
いですし、せっかくだから戴きますといって、僕はそれを貰ってきた。

ワイン、ウイスキー、焼酎や泡盛など、貯蔵することでその価値を高めるもの
が多くある一方で、清酒は新酒をありがたがることが多い。だからと言って日
本酒に古酒がないかというとそういうわけでもない。大学をでたばかりのころ
に酒のことをいろいろと教わった酒屋では、大きな冷蔵庫に一升瓶などを並べ
て売っていたのだが、その奥の方に売り忘れたとか言っていたが本当のところ
はどうなのか、やはり3年ほどずっとしまわれたままの日本酒がおいてあった。
酒屋のおやじは、力の弱い酒だとこれだけおいておくと何もかもが抜けて水み
たいになっちゃうんだけどね、これはしっかりした酒だから多分いけるよ、ま
あ賭けだけどね、と笑っていたものだ。随分とふっかけた値段だったから、学
生あがりの僕には興味はあっても手は出なかった。

もちろん、酒屋で売っている古酒というやつは、ただ古くなっていればいいだ
なんて、そんな乱暴な年の重ねかたはしていまい。蔵の管理された環境で取り
置きされ、しかるのち、チェックされて瓶に詰められるのだろう。店先で一度
味見をさせてもらった古酒は、キャラメルのような濃い色にそまり、一種独特
の芳香を放っていた。

その日付をみたときにそんなことを思い出していた。先輩が堀り出してきたそ
の酒が、3年の間酒の熟成にベストな環境でおかれていたかどうかは判らない。
そもそも甕のように広口の容器の中で長期保管に耐えるかどうかも怪しいとこ
ろだ。

清酒はガラスの瓶に詰められていることが多い。神社に奉納されているような
でかい樽なんかもあるが、あれは特殊だろう。鏡割につかう樽酒さえ、木の移
り香があまり強くなってしまわないように直前に樽に詰めるのだときいたこと
がある。甕に詰めた酒なんてものを見たのははじめてで、どんな形で密閉して
いるのかに興味があったのも一つある。

ありがたく家へ持ち帰ってから箱をあけてみると、甕の口にビニールのような
ものを貼って密閉し、その上から木の板で軽く蓋をしてあった。透明なビニー
ルを透かして窺われる甕の中味は、いつか見たのと同じように褐色を呈してい
る。ひとりにんまりして、またそいつを箱に戻した。これは楽しみな賭けだ。
もちろん、中味は呑めなくても容れ物だけいただきますから、といって貰って
きたもので、はずれても文句はない。

さあ、いつ、こいつをやっつけよう。1升を一人であけるのは論外だ。かとい
ってどこかへ持っていくには少し博打がすぎる。だいたい容れ物も重いのだか
らおいそれと持ち運ぶものでもない。気のおけない友人を呼んで酒盛りをする
ときにでも余興として明けることにしようか。そんなことを考えながら、甕を
おさめた箱を眺めては、にやにやしつづけているのである。

(2003.03.31)
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はるだからかからだがけだるいです

最寄りの銀行まで自転車を走らせました。口座の残高が不足していて家賃の引
き落としができなかったという留守番電話が入っていたからです。
最近、桜が咲き始めてきました。雑草と分類されてしまうような野草も、小さ
な花を咲かせています。自転車を走らせながら辺りを見回すと、思っていたよ
りもたくさんの種類の花が咲いていました。

ハクモクレン、コブシ、ナズナ、ユキヤナギ、ウメ
ヒメオドリコソウ、ホトケノザ、ハナモモ、サクラ
タンポポ、キズイセン、レンギョウ、ナノハナ、マンサク
オオイヌノフグリ、ハナダイコン、ムスカリ
ジンチョウゲ、シモクレン、クロッカス、パンジー

まだまだいっぱいです。

こんなにいっぺんにさかなくてもいいのに、もったいない。

天気が良いと気分も良いのですが、埃っぽいのはよくありません。花粉症の対
策として抗アレルギー錠剤をのんでいるのですが、なんとなく目尻が痒くなっ
てきます。そういえば、躯体が気怠いのはもしかしたらこの薬のせいかもしれ
ません。

先日はエイプリルフール、ポワッソンドゥブリル、四月莫迦でした。なんかす
ごいことしようと思って、結局なんにもできませんでした。まるで人生。

ああなんだかぼうっとしています。はるだからでしょうか。

(2003.04.02)
−−−−+−−−−╋−−−−+−−−−+−−−−+−−−−+−−−−+−−−−400 

電車の中などで文庫本を読む人を見ると、つい手元に注目してしまうのだ。

本、ではなく文庫本と限ったのには理由がある。
まずひとつめ。僕自身が文庫本専門だから。フェチシズムというほどのもので
もないが、偏った嗜好であるのは否めない。もちろん、文庫以外が読めない体
質とまではいかないのだが、置き場所を考えると文庫以外を購入するつもりに
なかなかなれないのである。稀に新書や単行本を購うこともあるがそれはほと
んど例外である。一昔前は、文庫ばかり買う理由に値段をも含めていたが、昨
今では文庫も高騰してきており、1000円近い値段のものもざらなのであまり理
由には数えられないようだ。

ふたつめ。文庫はいろいろな出版社から出ていて、微妙に違いがある。たとえ
ばスピネルがついた本ならば、新しければそれは新潮社のものだろうとか、表
紙の紙が独特の青味がかった色だからハヤカワだとか。いや、実際ハヤカワの
文庫を読む人を見かけることは少ないが。そのほか、少々遠目でみても振られ
たページの横に、短編のタイトルだったり章のタイトルだったりする文字列が
書かれているかどうか、などすぐにわかるような差もある。そういった情報、
あるいはさりげなくもう少し近づいてみたときに、ルビの有無、行間隔、フォ
ントの感じなどから本の種類を想像したりできるのである。自分がよく読むよ
うな同じ出版社の本を読む人に出会うと、なんとなく嬉しくなったりもする。
本のもともとの表紙カバーが見えていれば本の種類どころかタイトルまですぐ
に判ってしまうのだが、書店でサービスでつけてくれるカバーがさらに被さっ
ている場合が多いので想像を誘って楽しいなどと言うのもチラリズムに通じる
フェチシズムであるのだろう。

みっつめ。僕自身が文庫を読むとき大抵片手で読むから、である。大きい本は
重いので片手読書には向かない。そのため、他人が文庫を読んでいるのを見つ
けたときにまず注目するのは、どの手で読んでいるか、である。両手だとあま
り興味がない、といえばかなり極端だが、片手だと俄然注目してしまうのであ
る。これもある種のフェティシズムと言ってもよいのかもしれないが、単に自
分の仲間をさがしているだけかもしれない。

僕が片手で文庫を読むとき、面倒なのでページをめくるのも同じ手を使う。そ
のためには、本のホールドの仕方にコツがいるのである。言い換えるなら、片
手で本を持つ場合でも、その型からページをめくる手が予想できるのだ。大抵
の片手読書家は、その同じ手でページをめくるのには困難なようにしか本を持
っていないのだが、たまに自分と同じ本のホールドの仕方をする人を見つける
と、ページをめくるまで目で追いかけてしまうのだ。とはいえ、実際ほとんど
の人がもう一方の手でページをめくってしまうようで、仲間にはなかなかめぐ
り会えないのが現実でもある。

というわけで、どこかに仲間がいることを祈りつつ、片手での文庫の「正しい」
ホールドの仕方をここで布教しておこう。ここで文庫本は縦書きで、従って左
から右へページを繰っていくものであるとする。

まず左手型。手は朝顔の葉のような型に開く。つまり人差し指、中指、薬指の
3本が揃えられ、親指と小指は1本ずつバラバラにおく。文庫の背には、薬指
の付け根から人差し指の指先あたりが添えられる。人差し指と中指は主に本の
背をささえ、薬指は開かれた本の形状に沿って湾曲し、本全体を支える。小指
は開かれた文庫の右側のページの下辺の付け根からまん中あたりをささえ、親
指が左側ページの下辺、左端あたりから左辺あたりをささえるように持つのだ。
親指がページに触れなくても本自身の重みで本が開いた状態をキープできれば
完成である。

次に右手型。これは寝ころびながら本を読むときに適している。右手は卓球の
ラケットを握るような型に構える。開かれた本の手前側を親指と人差し指で押
さえ、本の背の側を残り3本の指でバランスよく支えるのである。僕の場合は、
丸められた薬指、そしてややのばされた中指の2本の指の間に本の背がくる。
もちろん、親指をページに触れなくても本が開いた状態をキープする。場合に
よっては一時的に小指がさらにページの下辺より手前側で開いた状態を補助す
ることもあるだろう。

いずれの型で持った場合も、ページをめくるのは親指の役割になる。目が文章
を追いかけている間に、親指がごそごそしながら紙を一枚だけめくる準備をし
ているのだ。これができるようになると、実際、読書自体かなり楽になる、と
勝手に信じている。少なくとも食事をしながら読書したりする場合には。

どこかに同じ作法で本を読んでいる同志はいないものだろうか。

(2003.04.04)
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要約。髪を切った。

ようやく春になった。春だから、髪を、切った。

別に春につきものの別れだとか、髪を切ったのは失恋だとか、そういう理由じ
ゃない。放っておけば髪はのびる。かといって、寒いうちは髪を切ると風邪を
ひくからいやだったのだ。

最近の若い子たちは男の子でも美容院で整髪するらしいが、どうも僕はそうい
うところが苦手で、いかにもファッションセンスのある美容師さん然とした人
が、あれやこれやと義務でもあるかのように世のなかのよしなしごとを話しか
けてくるのがいやなのだ。床屋といえば昔から浮き世のうわさ話をするところ
と決まってはいようが、そういう気分でない時だってある。なにも金を払って
まで見ず知らずの誰かの話相手をしなくたっていい。だからいわゆる理髪店で
もおしゃれっぽいところは苦手である。

だからいくつかの店を転々としているうちに通うことになった店は、悪くいえ
ばださい、良くいって家庭的な感じのところである。店の名もファミリーカッ
トサロンである。ファミリーなのは良いのだが、本当は事務的に髪を切ったあ
とは洗髪もせず、なんて無愛想なところで十分だと思っているから、カットサ
ロンだなんていうセンスは、僕からみたらギリギリの妥協の線でもある。

そんな店であるから髪を整えてくれるのも、まあいっちゃなんだが、たとえば
スーパーで普通の格好をしている時に会えばもう普通のおばちゃんといった感
じの人であった。とは言え、やはりプロだなあと感心したのは、半年ほどはご
無沙汰していたはずであるのに客である僕の顔をどうも覚えていてくれたよう
だということである。

どのくらい切りますかとたずねられて、かなり切ってください、と僕は言った。
襟にかかるどころか肩まで伸びていた髪をばっさりと刈り上げてもらったのだ
が、そのおばちゃんがしみじみいうには、前に短くしていたという印象がなけ
ればこれだけは一気には切れませんねえ、だそうだ。はあ、そんなもんですか、
ときいたら、そんなもんですよ、とのこたえ。そんなもん、のようである。

ようやく切ってもらうの番になって、要したのが約30分、それまで待ってい
たのが約2時間半。だいぶ待たされながらも、どうしてこんなに混んでいたの
だろうと不審に思って見ていたら、入学式やら始業式の直前でお子さまのお客
様が多かったのだった。分厚い本をポケットに詰め込んででかけて正解であった。

(2003.04.07)
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立派な人になりなさい。他人に優しい人になりなさい。社会の為に尽くしなさ
い。この宗教を信じなさい。ある価値観を尊びなさい。ええい、煩い。俺は俺
の信じたいものだけ信じる。あなたの価値観を押しつけないでくれ。そう叫ぶ
かも知れない。俺は絵を描きたい。俺は音を奏でたい。俺は疾く走りたい。俺
は学問を極めたい。俺は人と仲良くしたい。俺は金が欲しい。俺はのんびりし
ていたい。俺は美味いものが食いたい。こんな価値観に優劣をつけるのは客観
ではなく主観でしかない。俺にとっての優先順位がその間にあるだけで。

何をしたいのかよく判らない。ありがちなこと。大学へ行く目的?それは将来
やりたいことを見つけるため。まあ言ってみればモラトリアム。何ができるか
を知るための時間。価値観に揺らぎの無い人を僕は羨ましく思う。Kよ、君は
なんでそう簡単に物事を選び取れるのでしょう。僕ならきっと考えてしまう。
右手は良い点もあれば悪い点もある。左点も良い点もあり悪い点もある。同じ
物差しで測ることのできないものを比較することはできないのに、どうやって
どちらが良いか選べば良いのだろう。多分に優柔不断なのだ。

悩まない人を羨ましく思う。生きることがずっと楽になるだろう。
タダオレハ、ナヤマナイクセニ、テニシタケッカヲヨソノヒトノセイニスルニ
ンゲンヲアワレム。コレハオレノカチカンニスギナイガ。

資本主義にとって借金を抱える者の存在が必要なように、平均すると全員が負
になってしまって社会主義が結局崩壊したように、自分で選んだ結果の失敗は
自分が容認するように。光のあるところ必ず影が生じるように。社会がないと
個人は生きていけない世の中であるくせに、社会と個人は相容れない性質を併
せ持つのかもしれない、と思う。なりたい人間になれれば幸せなのだとして、
どういう人間になりたいのか、個人の主観でしか規定できないのだとして。た
またま社会という枠に沿った方向に人々の主観が向いているときには、皆が幸
せになれるのに、社会にとっての悪になりたい人は幸せにはなれないのだ。

ダカラ、戦争? オレは戦争に行きたくない。オレは戦争で殺されたくない。
オレは戦争なんてしたくない。徴兵? ごめん拒否させて。国賊って呼ばれて
もきっといい。やりたい当事者だけでやってくれ、オレを巻き込まないでくれ。
これがきっとオレの主観。

あなたの主観はきっと違う。あなたがたの主観もまたきっと少しずつ違う。そ
んなあなたのあつまりでできた社会の全員が幸せになる方法は始めから用意さ
れていなかったのでは無いだろうか。

だからそこにはルールがある。互いに一致できないものの信号整理をするため
に。ルールに従ったものが善でルールに従わないものが悪。ダカラルールハイ
ロイロナカイシャクノユルサレルモノデハモノノヤクニタタナイ。ルールヲ合
意スルコト、ソレガキット社会。

そうか、そう言う意味で国際社会はまだまだ成熟していないのだ。互いにルー
ルを決める能力がないのだ。自分に自信がきっとないのだ。だから暴力でやり
合うのだ。殴れば言うことをきくと思っている。殴られたら殴り返して当たり
前だと思っている。殴るなら殴り返されないだけの力で殴ろうと思っている。
だって反撃されたくないから。みんなが子供同士なのにまとめ役の大人の振り
をしたがるのだ。それだけの器量がないと言って認めないのだ。認めてもらう
器量を示せないのだ。

結局どうすればいいかの結論めいたモノさえ考えつくことができないけれど、
やっと戦争している理由がぼんやり判ってきたような気がして。これできっと
村人たちと同じ権利で花見の酒を傾けることができるにちがいない。

(2003.04.09)
−−−−+−−−−+−−━−+−−−−+−−−−+−−−−+−−−−+−−−−400 

さても世の中にはいろいろな人がいて、いろいろなことを幸せと感じている。
最近話をした中でも、美味しいものを食べることにさほど執着がないという言
う知り合いがいた。きいてみると、同じ値段ならば美味しいものを食べるのに
越したことはないが、ちょっとでもお金が余計にかかるなら不味いもので全然
構わないのだそうだ。いや、モノにも限度があって、人の食い物たらざらんと
思われるものはさすがに彼の対象外だと僕は想像するのだが、でも実際にお金
をとる値なしと思われるようなしろものに代価を要求される場合すらあるのだ
から、案外どんなものを食っても平気な顔をしている人間もいるのかもしれな
い。ならば彼は何に価値を見いだすのかきいてみた。彼は、同じ1000円をつか
うならばゲームセンターで使うほうがいいと言うのである。僕は思わずゲーセ
ンで使っても何も残らないじゃんかと反論してみたのだが、よく考えてみたら
その1000円を食ってしまっても何も残らないことには変わりがないのであった。

さて、食うことに限定して考えてみたとしても、さらに人の嗜好はさまざまで、
それぞれさまざまな食べ物に対する偏愛がある。人によりそれはカレーだった
りあんパンだったりさぬきうどんだったりするのだが、自分にとってそういう
食べ物は何かと言われると、それは餃子かも知れないと思うのである。宇都宮
まで食いに出たことはないが、そのうち行ってみてもいいと思うのである。別
に毎日餃子を食っているわけではないが、餃子なら毎日食っても構わないと思
うのである。あ、でもカレーでも毎日食っても、きっと構わない。要するに、
僕は美味いものなら何でも良いのであって、マニアと称するにはまだまだ修行
が足りないのかもしれない。

さいきん本屋に寄っていないことを思い立って、夕飯時にはやや遅い頃合いに
なって自転車を走らせたのであった。ここまでに食い物の話をしておきながら、
いきなり本屋の話題を振るとは何事かと思うかもしれない。種をあかせば、な
んの単純なことである。その本屋のはす向かいに新たに餃子屋ができていたの
を思い出したのであった。

さんざんこれまでに食ってきた餃子の中で、どれが一番美味かったかと問われ
ると、実はそれは店で出されたものではなく手作りを振る舞われたものになる
のだが、それにも劣らぬほど自分にとって美味いと感じた餃子は、横浜中華街
の揚州酒家のものなのである。同じ系列の欧州飯店でも同じ味の餃子を出すの
だが、飯店でのほうが値段設定がわずかに高いこと、蒸すときに白菜やキャベ
ツなどの葉モノを敷いていないこと、などのディスアドバンテージが認められ
るのである。

サラリーを貰う身になってからは、少々の値段の差を重視する必要がなくなっ
た。つまり一皿200円の餃子を3皿食うのと一皿600円の餃子を1皿食うのとど
ちらを選ぶかときかれて、後者を選ぶことができるようになった。むしろ後者
の餃子を即座に3皿頼むかもしれない。大ぶりの蒸したての餃子にかぶりつく
と、驚くほどのスープが幸福感とともに口の中に広がるのだから、そのくらい
の出費は価値があるというものだ。

先ほど話題にした本屋のはす向かいの餃子屋では、前者の値段設定がなされて
いる。高いものが美味いのにはそれなりのわけがあるし、安いものがそれなり
なのも当然である。そういう理屈で考えてみると、その餃子はいわゆるチープ
な味と言わざるを得ないのかもしれない。店の名を挙げてしまえば、しばらく
関西で暮らしたことがある人ならば多分知っているだろう巨大チェーンである。
学生時代にしょっちゅうお世話になっていたのに、こちらに来てからはとんと
見かけずに寂しい思いをしていたのだが、新しく進出してきたその店の看板を
目にしたのがつい数週間前で、その時は腹も減っていなかったのだ。

さあこれは行くしかあるまいと思い立ったのも当然の成りゆきだったのはお判
りだと思う。学生時代にその店で飯を食うときには餃子定食が基本だった。餃
子2人前、飯、中華スープ、そして一品。餃子を食うための単純にして完璧な
取り合わせである。当時は餃子6個1人前が180円だったから、学生の財布に
もその程度の贅沢は可能であったので、餃子定食に餃子をオプションでつけた
こともしょっちゅうであった。餃子2人前を追加したときにはさすがに食い過
ぎと感じたものだが。

さながら常連のような顔をして、ご注文がおきまりでしたらお呼びくださいと
声をかけられるやいなや餃子定食をくれと頼んだ。追加の餃子をつけなかった
のは、以前に比べると若くないからという遠慮のためである。その新しくでき
た店自体にははじめて入るのだが、同じ名を持つ店に入るのはもう幾度めとも
数えやらぬから、常連だというのもあながち間違いとも言い切れぬ。さめやら
ぬ気持ちを抑えながら待つこと数分。やがて焼きたての餃子が運ばれてくる。
以前に食ったのと変わらぬ味に涙して、などと書くとそれはいや大げさなのだ
が、まあそれに似た感慨を持ちながら久しぶりにあの味を堪能した。その店の
レシピで知っているわけではないが、その餃子は生姜を隠し味に使っているの
だと見ている。鍋貼餃子はどうしても油で焼くのだがそのしつこさを感じさせ
ず、そして一口食うごとに体が温かくなる。焼き具合もちょうどよい。香酢を
多めが美味い。夢中になって、あっという間に定食を平らげてしまった。

さすがに満腹になって、ささやかな幸福感につつまれたまま本を立ち読みし、
さがしていた本と気になっていた文庫の新刊を購入し、そうして家に帰りつい
た。それから、さらにこの幸福感を増幅してやろうと、大紅袍をいれた。これ
は中国に詳しい友人からこれはホンモノだから、と分けてもらったもので、ち
ょっとしたとっておきである。まさにこんな気分のときに飲むのにふさわしい。
ゆったりと椅子に構えながら香りたつ岩茶を片手にして、今度はそう遠くない
うちにあの餃子をテイクアウトしてやろうとか考えているのである。5人前を
頼んでも1000円だから、今度はそれに挑戦せねばなるまいなどと考えているの
である。僕にとってそれは、少なくともゲーセンで消費するよりずっと価値の
ある1000円であるはずだ。

(2003.04.24)
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まあ腹が減っていたということでひとつ

あんなことを書いたせいか、またぞろ餃子熱をぶり返してしまった。餃子熱を
冷ますためには餃子を食うしかないから、また餃子を食いに行ってきた。ちょ
うど夕飯時、何人かがすでに待っているようだが、気にせずに順を待つことに
する。関西にあっては並んで待ってまで食うような店ではないはずなのである。
少なくともかつてよく世話になったころはそうであった。

所詮は餃子屋、他にもいろいろなメニューがあってもその店で餃子以外を食う
のは邪道なのである。ラーメン屋でカツ丼を食うくらいの違和感があるのであ
る。まあところがどっこい、僕が待っている間にもいろいろな注文が流れてい
くが餃子はマジョリティになり得ないのであった。もちろん何を食おうとその
客の勝手であるが、僕にいわせりゃ判っちゃいない。もちろん此の地と彼の地
を一緒にするわけにはいかないから、単に僕の勝手な思い込みであるのはもち
ろんである。でも、各種定食の中で餃子定食が一番安いんだよお。

やっと順が来て、当然ながら注文はギョウテイギョウザ。本当はギョウテイイ
イ、イイガーコウテイってところである。コウテイは鍋貼のことで焼き餃子で
あるというのもこのチェーンの常連なら良く知るところであるが、冷静に観察
するもアルバイトとおぼしき店員もこの符帳を使う様子もない。ならばローマ
に入りてはローマ人に従えでギョウザをひとつと追加したのである。もちろん
ベースは餃子定食であるから計3人前の餃子を食らうことを所望したのである。

さて、自分の注文を済ませてから落ち着いて冷や水などを飲んでいると、カウ
ンターであるから当然のことながら隣に別の客がやってきたのであった。どう
も若い学生ほどの二人組である。何を食おまいかと彼らは相談する。やっぱ餃
子かなあ、と漏れ聞くひそひそ声に、内心そうだそうだとエールを送ることし
ばしであったが、やがて店員を呼びつけ、餃子定食2つそれからニラレバ一つ
とたのんだのであった。餃子ばっかりじゃ寂しいしなあ、とか言いながら。

ああすまんすまんおれはぎょうざばっかりくっていやがるよ。しかもついかま
でしてぎょうざばっかり。いいじゃねえかここはもともとぎょうざをくわせる
みせでい。

隣りはなんかすごいねえとかいう彼らのひそひそ声を無視しながらやってきた
3人前の餃子を難なく平らげて、やっとこさっとこ餃子熱もおさまって店を出
たのだった。

(2003.05.06)
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ゴールデンウィークの顛末

今年のゴールデンウィークは、普段から土曜が休みである職場に勤めている者
にとっては、4/29が火曜で、月曜をはさんでの飛び石連休になったほか、5/5
が月曜で3連休になったが、それ以上の長い休みというわけにもゆかず、遠出
しにくい形であった。

景気もなかなか芳しからずではあるが、却ってこういうときくらいは楽しく過
ごしたいと考えるのも人情。各地の観光客の動向のデータが新聞で公表されて
いたが、なんでもそれによると、4/26から5/5までの間に「全国の主な行楽地
やイベント会場を訪れた人は約6600万人に上り、昨年より約429万人増
加した」のだそうだ。天候に恵まれたとあるが、先に挙げたようなことも含め、
戦争やらSARSの影響やらで国外行を避けた人たちも多かったのだろう。

国内で一番人出の多かったのは長野の善光寺だという。オリンピック以来、東
京より新幹線で直接出向くことが可能になってより、便利になっていること、
また御開帳が営まれたこと、などが原因である。

新聞や雑誌、はたまた旅行会社のパンフレットなどで、「7年に一度の御開帳
が」という表現をよく見かけるが、実は、あれは間違いである。長野出身の自
分でもつい最近まで同じ間違いをしていたのであるが、善光寺の御開帳はここ
最近は(と言って明治15年以来なのだが)6年に一度行われているのである。

なぜこういう間違いが横行しているかというと、数のかぞえかたが異なるので
ある。他にも、何回忌などというときにはそうなのであるが、起点とする時点
がすでに1として数える方式を用いる。数え年などというのも同じで、師走も
末に生まれた子供は正月に年をとるから、満年齢でわずか数日のうちに数えで
2才になってしまうのと同じである。きっと、ゼロという数の概念がなかった
頃の名残なのであろう。

いろいろな情報を集めてみると「7年に一度」という明かに誤解だと思われる
書き方の他「7年目ごとに行われる」といった書き方があった。「7年ごと」
だとやはり7年に一度という意味に受け取るのが大勢だと思うが、何年目ごと
という表現はあまりきいたことがないが、なるほど実状をうまく表現した数え
方だと思われる。御開帳の行われた年を1年目と数え、次次と年を重ねて7年
目に至るとまた御開帳が行われ、その年をまた1年目と数えることをくり返す。

一定の年を定めて行う祭りのことを式年祭とよぶらしい。たとえば、伊勢神宮
は20年ごとに新たに遷宮を行うが、式年遷宮祭という。これもネット等で調べ
ると21年目ごとの式年遷宮祭を執り行うと書かれていた。要するに古くからの
ものは昔式の数え方をそのまま踏襲している、ということなのだろう。

さて、善光寺の御開帳では、中日庭儀大法要という法会行事が2回執り行われ
る。天台宗と浄土宗の2つの宗派のもと、それぞれの宗教上のトップが乗った
御輿を中心に、朱傘の列が参道をお練りするというもので、これを山門の上か
ら撮った写真がよく御開帳という行事の紹介に使われるから、御開帳のイメー
ジと直結している人も多いだろう。そんな行事があれば、当然のことながら人
出も多くなると予想される。その1回目は4/26にあり、2回目は5/10であった。

御開帳の行事とは別であるが、長野市ではゴールデンウィークの間、ながの花
フェスタなるものを行い、更に集客を謀ろうとしたものである。フェスタなん
て横文字で言わんでもよろしいと思うが、フェスタは祭であるからとて花祭り
と訳してしまうと、4/8の灌仏会のことになってしまい、甘茶でかっぽれ、都
合が悪いのだろう。残念ながらこの花フェスタの知名度はいま一つだったよう
だが、結論だけいえばそれでも御開帳だけで集客能力は十分であったようだ。

また、花フェスタの一環としてインフォラータなるものも行われたようだ。神
戸電飾祭と書いたほうがらしい気がするルミナリエ以来、ヨーロッパの行事を
取り入れるのが流行っているのだろうか。同じ様な匂いがすると思っていたら、
どうもプロデュースしているのは、ルミナリエ、ミレナリオ以来同じ人らしい。
ともあれ、緑の日とその翌日に、チューリップの花びらやらで道路に模様を描
くという行事を行ったのであった。

前置きが長くなったが、ゴールデンウィークには、自分も善光寺へ参詣してき
たということを書こうと思っていたのだ。自分にとって善光寺は庭の延長のよ
うな感覚の寺である。御開帳ともあれば、まあ行っておこうかという気もある
反面、わざわざ人出の多いときを狙っていくものでもあるまいという気持ちも
ある。しかりして、ゴールデンウィークの間にこれだけ人出を予想させる行事
がくまれていては、いかがしようかと思うところである。

とはいえ、正月は当然として、年に何度かは足を運ぶ機会があるのに、そうい
えば御開帳だからと言ってわざわざ参詣した記憶が無いのである。かろうじて
あるのが、わずか数才の頃に、牛ならで親だか祖父だかに手をひかれて参詣し
たときのものらしい、蓮の花弁をかたどった札、散華の記憶だけである。ここ
は一つ参詣しておいても損はあるまいと思った。

いずれ、ゴールデンウィークの間には顔を見せに来いと親からいわれていたの
もあったので、兄弟とも日程を調整の上、4/26に実家に帰った。端から覚悟の
上であったし、1時間ほども乗っていれば長野に着くので大したことではない
とは言え、高崎から乗った新幹線は、案の定、座れないほどに混んでいた。上
述した中日庭儀大法要の当日であったことも混雑に輪をかけたかもしれない。

結局その日は、そのあとバスと徒歩とで家まで辿りつき、力も尽きて、という
とまあ大げさだが、せっかくのんびりできるのだからと、飯時以外は、だらん
と垂れていたのであった。

翌日は、せっかくだからと声をかけられ、中日庭儀大法要も外したことで、人
出もましだろうと、家族総出で御開帳に参詣することとなった。いそいそとデ
ジカメをポケットにつっこんで、春めいた日射しの中を散歩気分で歩くのだ。
30分もあれば善光寺に着けるから、自動車などを使って、渋滞に巻き込まれた
り駐車場に入れなかったりするよりもずっと効率的である。

さすがに周辺の土産物屋が6年分を一度に稼ぎだす機会と呼ばれるだけあって、
仲見世通りあたりから本殿にかけてはすごい人出で、回向柱に触れるためには
山門から更に下ったところまで続く列に、1時間半から2時間も並ばなければ
ならないのであった。

回向柱というのは本殿前に建立された大きな柱で、糸でもって前立本尊の指と
結ばれていて、これに触れることで本尊との仏縁を結び、極楽往生できるとさ
れている。前立本尊というのは、今回開龕された仏像なのだが、これは、ある
のかないのかわからんとさえ噂される程の秘仏である本尊の身代わりである。

別段改めて仏縁を結び直さなくても、御戒壇巡りで「お錠前」に触れたことも
あるからそれによって結ばれた本尊との仏縁によりすでに極楽往生は約束され
ているし、というのが建前。そんなに並んでられっかよ、というのが本音。さ
っさと本殿で参詣したのだが、ベルトコンベア式に人の波に押されながらの参
詣で、公開されているはずの前立本尊の姿を照らしているらしき光明をちらり
と見ただけで流されてしまった。相手が仏様であらるればわざわざ御確認申し
上げなくても功徳の無いはずも無い、だからそれもよかろう。

そのあと寄った八幡屋磯五郎にて職場の土産用に七味唐辛子を買うために並ぶ
のに一番時間を費やした参詣だったかも知れぬ。結局なにをしに詣ったのやら。
参った参った。

(2003.05.12)
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その前の晩に貴方が自殺したことを、おとといの昼すぎにきいた。

貴方とむちゃくちゃ親しかったわけでもないけれど、けれどまったく兆しを感
じとれなかったことに念いを残す。貴方と親しかった人にきいてみてもそうい
う徴候が見えたわけでもないという。インターネットで情報を得ての、練炭を
使った一酸化炭素中毒による死。プリントアウトがポケットにあったときいた。
遺書もなく、思い詰めた様子もなく、死ぬなんていう大それたことを選ぶなん
て、僕には考えられないことだけれど、もしかしたら、ちょっとした気の迷い
だったのかも知れない。

貴方と親しかった人が落ち込んでいるのを見て、憤りを覚える。告別式で、貴
方に弟がいたことをはじめて知る。またひとつ憤り。誰かの弱さを責めること
がどうなのかは知らないけれど、僕は貴方を責めたいと思う。死ぬ権利をみと
めたらいいじゃない、なんていうことを言う人がいる。でも、ある友達に話を
したら、親には子を育てる義務があるんだから、子供にだって育つ義務がある
んじゃないの、と言っていたよ。

まったく知らない人の葬式があっても、僕はなかなか哀しくなんてならないし、
生まれたからにはいつかは死ぬものだ、なんて割り切ったりもできる。多少と
も関わった人であれば、まして自分の半分しか生きなかった人であれば、そう
もいかない。別段、毎日が哀しくて過ごせないという程でもない。けれど、こ
このところ、頭のどこか片隅に貴方の面影が意識されてしまう。いままでは用
もなければ思い出しもしなかったような時でさえ。

誰かを大切にすることを知らなかったんじゃないの、と僕は責めたい。誰かを
大切にすることを知っていれば、大切に思われていることだってリアルに想像
できるんじゃないですか。ごめん、すこし言い過ぎかもしれないな。でも、ね
えほら、これだけの友達が集まって哀しんでいるのをみれば、間に合うのなら、
きっとそんなことはやめたはずだよね。

長い列にならんで、遺影に向かって献花をすませたあと、棺の中に花を入れる
ための列に僕は並べなかった。寝ているのではない貴方の顔を直視したくなか
ったから。だのに、斎場の窓越しに係の人が押す棺が見えてしまってまた落ち
込んでしまうのは計算外。

死んでしまえば、きっと何も感じない。だからこんなことを書くのは貴方へ向
けてという形をとってはいても、本当は自分の気持ちを整理しておきたくて、
忘れたくないから。僕はね、せめてこの場に集った人たちが強く生きられたら
いいなあと思ったんだよ。

(2003.05.30)
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友人が週末に遊びにくるついでに、東京中を駆け巡って、やっと初入荷のマン
ゴスチンを手に入れてくれた。以前から僕がマンゴスチン、マンゴスチンと唱
えていたのを知っていて、輸入解禁以来ずっと注目していたそうだ。

解禁されたとはいえ、日本へは入ってきていなかったのだが、彼が僕のところ
へ遊びにくる約束になっていた日程と、やっとはじまった輸出とが、ちょうど
重なった。そこで、いろいろな店を歩き回ってさがしてくれたのだという。

どの店頭にもならんでいないので、せっかくだからと美味そうなマンゴーを買
い、ついでに店の人に、さがしているけれどなかなか無いんですよね、と話し
かけたところ、奥からひとつだけ出してくれたのだという。

なんでもその店の割り当てが1ダース余りしかなかったらしく、すぐに売り切
れてしまったのだが、予約をしておきながら取りに来ない客がいるので、そん
なに欲しいのなら、と、その分を廻してもらえたらしい。

留守電に、うれしそうな彼の声で、あったよー買えたよー、という声が入って
いて、愉快に感じるとともに、彼の心がとても嬉しかった。

初入荷のマンゴスチンは、食べるためあがなわれたものだが、いざ目の前にし
てみると食べるのが勿体ないように思えてしまう。ようやく意を決して、赤い
殻を剥いてでてきた白い身を囓ると、まぎれもなく台湾ではじめて食べた生マ
ンゴスチンと同じ濃厚な味であった。

手の平にのってしまうような小さい果物ではあるが、友人と半分ずつ食べて、
なんだかとても満腹してしまった気がした。

(2003.06.02)
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はい、そこちょっと停まってもらえますか。

白と黒とに塗り分けられたセダンから降りてきた二人組の男が僕に指示をだし
た。はじめ、自分に対して発せられた言葉だなどとは露と認識できず、自転車
でそのまま通りすぎてしまいそうになった。

暗い道でねえ、まったく貴方の姿が見えませんでしたよ。

彼らは僕にそんなことを言う。その暗い道のさらに脇道に頭をつっこんで闇に
擬態していた者たちの発することば。いわゆるねずみとりというやつだ。あは
は、残念でした。こちらにはちっとも後ろ暗いところなどありはしない。暗い
のは点灯されていない自転車のみ。僕は無邪気を装って応える。

あ、すみません、ちょうど電池が切れちゃって…。

乗っている自転車はいわゆる街乗りのマウンテンという自己撞着したようなや
つで、フロントフォーク部が少し太くてこれに合うダイナモが見あたらなかっ
たので、仕方なくバッテリー式のやつをハンドルバーに取り付けてあるのだ。
ダイナモ式は、ライト点灯時に若干走行抵抗が増すという欠点もあるが、所詮
街乗りではさほど問題になることもない。従って自分の好みからいうと、電池
交換の手間の要らぬこちらが好きなのだが仕方がない。面倒くさくて、かれこ
れ1年ちかくもバッテリーがあがったままにしているのだが、あたかもつい最
近切れたのに気付いたばかりというように、頭を掻いてみせる。

ところで、ちょっと確認させてもらっていいですか。

毒気を抜かれたように、けれど停めた以上何かしないといけないような顔でき
いてくる。そういえば、昔も似たようなことがあった。まだ学生時代、国鉄
(だったか、すでにJRだったか、失念)の駅窓口で、若干複雑なルートの切
符を購入しようとしていた。切符を買う上の制約として同一ルートを重複して
乗ることができない、だったか何だか。詳細は忘れたけれど、ルールに抵触し
ないよう念を入れてルートを設定したはずだったのに、駅員にこのルートじゃ
切符は発券できませんね、と言われてしまった時のことだ。僕は食い下がった。
買えるはずだ、調べてくれ、と。結果は彼の間違いで、そして彼は思いついた
ようにこう言ったのだ。学割で買うんでしたら、学生証を見せて下さい。それ
まで窓口で学割にて切符を購入する際に、学生証を確認されたことなどなかっ
たのだが、学割には購入時に学生証を提示する旨が書いてあったものだ。所詮
ガキの浅知恵で勝ち誇った顔をしていても、これですごすご帰るはずだと思っ
たのかもしれない。けれど、たまたま学生証を持っていた僕の勝ち。勝ち負け
で言うというのも浅ましいことかもしれないが。

運転免許証など身分証明のできるものはお持ちですか。

いえいえ持ってないです。ここは日本でIDの携行を励行されているわけでも
ないですし、そもそも自転車は道交法で取り締まられると言っても運転免許が
ないと乗れないものでもないですし、なんてことはもちろん言わない。

えっと、それではちょっと確認させていただいてもいいですか。

ダメっていう選択肢はおそらくないのに、形式的にはいいかと問われる。まあ、
世の中得てしてそんなものだが。二人組の男は自転車のペダルの付け根のとこ
ろを携行していた懐中電灯で照らして番号を読み取っている。ああ、車体番号
というのはココに彫金されているのか。ひとつ無駄な知識で無駄に賢くなった
気分。つづいて防犯登録の番号を控えている。この自転車が盗品ではないこと
を確認したいのだろう。

これって、マウンテンバイクってやつですよね、いくら位したんですか。

ひとりの男がセダンの中に消えたのち、もうひとりがそうきいてくる。二人の
会話から察するに、僕を引き留める役が上司であるらしい。自分で買ったのな
ら、値段くらい覚えてるだろ?そう言いたげだととったのは僕の読みすぎか。
別に僕だって非協力的態度を見せるつもりもないから、ちょっとくびを傾げて
から、およその値段をこたえる。かれこれ5年ちかく前ですけどね、安売りで
買ったんですよお。いつも高いでしょ、っていわれるけど、ママチャリと同じ
くらいですね。あ、そうそう、そのあとサドルが壊れちゃいましてね、あたら
しく変えたんですよね。ほほう、格好いいサドルですね、と彼が言うのは、サ
ドルに入っているカラーラインを見てのことだ。店で置いていた品揃えが少な
かったのが、そのサドルを選んだ主たる理由だし、自転車に乗っているときに
は僕の臀部に隠されていて見えるものでもないのだが、まあそこまでは言わな
いでおく。

ところでその腰につけているのはなんですか。

いやあ、ウェストポーチですよ。中味はデジカメとかメモ帳とか。吉備団子だ
ったら家来になってくれるんだろうか、わんわん。いやまあ、別に家来なんて
要らないんだけど。じっと彼の目を見て(やはり相手が自分の目を見て話をす
るタイプだと、目が合うためか、自分が相手の目を見ていることを意識するも
のである。)話をするのに好感をもたれたのか、つゆ非協力的なところを見せ
ないためか、相手もだんだんうちとけてきて(すくなくともそのように装って)
、警察官でもデジカメを持ち歩くのが増えてるんですよ、などという。メモ代
わりにつかうんですね。ただ、証拠写真としてはまだ認められていないんです
けどね。そのあと不思議そうな顔をした僕に、彼は理由を説明してくれた。ほ
ら、デジタルだと合成ができちゃうじゃないですか。頭の中でアイドルコラー
ジュのようなものを想像して僕は納得する。まあデジカメ写真のプリントでも
十分な解像度があれば銀塩写真と見まごうばかりだし、銀塩写真だって、拡大
すれば着色された粒子に帰着するわけだから、画像改造に必要な技術力だけの
差のような気もする。それともプリントとともにネガフィルムを添付しなけれ
ばいけないのだろうか。話題は横にそれていって、デジカメとかメモ帳の中味
まで見せろとは言われなかった。さすがにそれはプライバシーの侵害なのだろ
う。言われたらそういって断ったら、きっと心外そうな顔をするのだろうか。

あ、お名前を教えていただけますか。

セダンから戻ってきた若い方がきく。やっと確認がとれたらしい。一文字ずつ
発音するようにして、僕はひとつの名前を告げる。向こうの手元のデータと同
じはずの、防犯登録をした者の名前。だから僕は、なにも畏れることはないの
だ。

はい、ありがとうございました。

すべての嫌疑から開放されて、二人組に対して愛想よく職務ご苦労様です、な
んて声をかけて、僕は街の暗がりにまた溶け込んだのだった。

(2003.06.27)
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今日は俺の話ではなくて、元カノの話だと思ってきいて欲しい。


ちょっとしたことが原因だった、と今になってみれば思う。なめらかで冷たい
肌の感触がとても好きだったのに、ずっとエネルギーを注ぎ続ける中で保たれ
ていた愛のカタチが溶けてしまったのは。

言い訳じゃないが、すこしばかり暑すぎる日だった。別に忘れていたわけじゃ
ない。けれど誰にだって他にも大事にしていることがあるわけで。キミにだっ
て、そういう瞬間ってあるだろう? ちょっとしたことに気をとられていただ
けで、それは浮気なんて言葉じゃ普通いわない、と俺なら言うだろう。放って
おいたのは、そのこと自体が落ち度だと責められれば、それを否定するすべを
知らないのは、とても残念なことだとは思うのだけれど。

ずっとそこで待ってくれていたに違いないことに、やっと思いが至ったのは、
かなりの時間が経ってしまった後だった。やばいかなあと思って、お前の待つ
部屋のドアを開けるけれど、お前が口もきいてくれないのは、まったく当然の、
非常に理にかなったことでもある。まったく文句も言えないよ。

崩れてしまったカタチを元通りに戻すことは結局できなくて、そのどろどろが
冷却期間を経てやっとそれなりになってきて、けれど、とても冷たいままのお
前に唇を触れる。ちょっとチョコレートのような甘い香りがただよう。

赦してもらえたのだろうか、と自問するのはとても馬鹿げたことだ。ときめき
を伴ったあの出会い前の、あるいは、欲望にも似た胸の高鳴りとともに一緒に
すごしたこともある、あの時のカタチを取り戻すことは所詮不可能なのだから。
あきらめきれなくて、冷静になれなくて、自分を責め続けた時間のあとで、や
っと、その残酷さをともなう非可逆性を受け入れることができるようになって、
心の中で、「元」という字を添えてお前を呼ぶことが可能になる。元ピノ、と。

ね、俺の元カノって莫迦みたいだろ。たかがアイスに。

(2003.07.16)
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異国の地にて 9/3


In my dream, I was a serpent.

蛇になった夢を見た。賢くて滑らかで素早く動けて、そしておびえている。人
の姿をしているときは人の群の皿の縁の近くに居て、皆が向こうをむいた隙に、
脱皮するように服を脱ぎ落とし素早く逃げる。そして、それ、も、やはり人の
姿をしているけれど、本当は人ではなくて、かといって仲間でもなく、僕を小
屋の屋根裏に追いつめた。薄い壁を貫きぬけて、それ、の毒牙がつきたてられ
て、僕の目の前で尖った先端から滴がしたたる。

I opened my eyes, but I was left not to know good and evils.

滑らかな白いシーツの中に埋もれて僕は目を醒まし今朝方見た夢の意味を考え
る。そういえば昨日の晩は寝付けなくて、部屋に備え付けられていた本の活字
を追っていたのだった。

(2003.09.09)
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おしなべて世はことも無し
日溜まりに雀砂浴びしをるを眺めり 9/6


日程も消化してしまい、あとは午後の便で空港に向かうだけとなった朝、我々
はとある公園のベンチに座ってジョギングする人々を眺めていた。荷物はとい
うとチェックアウトを済ませたホテルのフロントで預けてある。昼飯を摂って
から荷物を取りにゆき、その足で駅へ向かうつもりなのだ。

市内を歩き回るくらいの時間はゆうにあったけれど、目星をつけたところはま
あ一通り見てしまったし、最後の最後まで忙しなくうごき回るのも悪くはない
のだけれど、こうやってのんびりするのも悪くない。曜日を数えてみると安息
日でもないはずなのだけれど、たくさんの人たちが同じようにのんびりしてい
る。どうせ戻れば忙しいんだから、こういう時くらいのんびりしましょうよと
言い出したのは誰だったか、とにかくそういうことになったのだった。

たとえば僕は何もしない時間があれば文庫本を開いて活字を目で追うのが好き
なのだが、たまたまその時はポケットにそういう本を持ち合わせていなかった。
一緒にいた友人も耳に音を届けるような装置を持ち合わせていなかった。ただ、
ぼうっと座っているだけの時間、それは案外長いものだ。

日本人は休むことが下手なのかもしれないけれど、はじめは12時をまわった
らお昼を食べにでもいきましょうということになっていたのが、11時をすぎ
たあたりからなんとなくそわそわしはじめていた。少し空が曇ってきて、やや
涼しげな風が吹きはじめると、おもわず身震いしてベンチを立ってしまった。
互いに顔を見合わせながら、ちょっと早いけどお昼にしようということになっ
たのだった。あのまま座っていたらちょっと寒いし、と言い訳しながら。

(2003.09.16)
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ひとめぼれ 9/5


立ち寄ったデパートで、とても美しい金赤のグラスを買いました。買ってしま
いました。これで毎日ビールを飲んだとして、およそひと月分のビール代に相
当する値段ですから、グラスとしては十分に贅沢な値段なのですが、なにしろ
一目惚れしてしまったのです。

高級品を揃えていることでも名の通ったデパートなので、ちょっとしたお土産
を買ったあとは、ウィンドウショッピングに徹しようと思っていました。はじ
めにそのグラスに見入ってしまった時にも、店員に声を掛けられた時に、ジャ
ストルッキングだ、ありがとう、と断ったのですが、ここで買っておかないと
一生会えないかもしれない、という友人の形をした悪魔のささやきに負けて、
再び足を運んでしまったのです。

とても深い赤色をしているのです。かつて、琉球ガラスの赤を探した時にも、
ここまで濃い赤は見なかったように思います。先日は、値札を見てから、なん
とか理性を取り戻して、かろうじて無事に生還したはずなのに、いつの間にか、
また目の前に赤いグラスが居て、僕を誘惑しています。

先日の店員がやってきました。
ジャストルッキング… バット… 、いえ、見てるだけなんですけどね、いや、
その、ちょうどこれを見るために来ちゃったんですよ。とても綺麗な色ですよ
ね。ええ、見てるだけです。ところで、この赤は何の赤ですか。

ところで、赤いガラスというのは、発色させるために、金や銅、カドミやセレ
ンなどをまぜているのです。金の微粒子が入って赤やピンクに発色したガラス
を金赤ガラスと言います。金を使っているせいもあり、また、きれいに発色さ
せるのが難しいせいもあり、とても高価です。

あ、ああそうですか、金赤ですか。ところでガラスの種類はどうなりますか、
ええとほら、デュラレックスとかパイレックスとか。(強化ガラスだとか、耐
熱ガラスという言葉が思い出せなかったので、こういう聞き方になりました。)

へえ普通のガラスなのですね。熱湯を入れてはいけない、ああ判ります判りま
す。なるほど、こちらのシャンパンフルートはクリスタルですか、でもこっち
のタンブラーの方がいいなあ。

シンプルな形の方が色の美しさが映えるように感じたのです。ありがとうと言
ったあと、しばし手にとっては戻し、また眺め、また手にとっては眺め、そん
なことをくり返している僕の横で、店員さんは礼儀正しく別の方を向いていま
す。決して買えなんて言わず、そこにいて、そしてにこにこしています。

一緒に足を運んだ(というか、そもそもそそのかした張本人でもある)友人に、
一応、どうしようねえ、と言ってみました。まあ好きにすればいいよ、でも。
彼は言います。あとで後悔しても知らないよ、と言い添えることも忘れません。

そう、明日は機上の人となり帰国してしまいますから、今日の機会を逃すと、
もう会えないかもしれないのです。今思えば、食べてしまってなくなるもので
もないし、このグラスで毎日水を飲むのにつかえば、一日あたりで考えたら安
いものじゃないか、と友人に言われたのがダメ押しになったのでしょうか、結
局、そのグラスを連れて帰ることになってしまいました。

ホテルのベッドの上で、丁寧にくるんでくれたプチプチをそっと剥がし、また
眺めてしまいました。まるで陽に透かした熟したワインのようです。なにかの
悲しい事故で壊れてしまっても、その破片を棄てることさえできないかもしれ
ない、などと考えてしまいました。きっと、それが、一目惚れというものです。

(2003.09.17)
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粋な計らい 9/4


カンファレンス会場では休憩時間にクッキーと飲み物が出されました。いくら
地元の名物だからと言って、ウィスキーまではでません。飲み物と言ってもも
ちろんノンアルコールで、コーヒーかお茶、もしくは冷たい水です。水は隠し
に少しライムを絞ったもので、そんなに高価なものではなかったのでしょうが、
すっきりしたシルエットの瑠璃色の玻璃のゴブレットで供されておりました。

バランスの良い頭部は、小さめのマグほどの容量もあるでしょうか、そしてそ
の下にはすっきりと長いステム。シンプルだけどいいよねえ、という言葉が似
合う形です。そして友人が気に入ったのは、その色でした。先日ロンドンの某
デパートで赤いタンブラーに魅入られてしまったのは自分ですが、今度はその
青のゴブレットに友人がやられてしまったようです。

これいいよねえ、と何度もため息をついています。とうとう、近くにきた会場
の係の女性に、どこでこのゴブレットは入手できるか、と訊いてみたようです。
けれど、明るく笑顔で肩をすくめられてしまいました。それもそうで、物品の
調達をする人と、コーヒーを配ったり空いたカップを片付けたりの人では担当
が違うというものでしょう。

思いついて、もしかしたら売ってくれるかもしれんじゃん、訊いてみれば、と
けしかけて、コンシエルジュのところに行ってみました。そこでは、スコッチ
用のフラスコだのカシミア製品だの、ちょっとした土産物もならべてあったか
らです。

こいつは我々の手に入らないか。
買いたいというのか。
そうだ。
いや、残念だがここでは売っていない。
どこか買えるところをしらないか。
いや、わからない。わからないけど…

恰幅の良いコンシエルジュは、なにやら上着の胸ポケットのあたりに手を入れ
るような仕種をしています。え。友人と僕は目を見合わせてしまいました。え、
本当にいいのか、と問うと、コンシエルジュ氏は悪戯っぽくウィンクをしてう
なずきを返しました。この時のコンシエルジュ氏が、さながら薔薇の名前(ウ
ンベルトエーコ)のショーンコネリーのようにハンサムに見えたのは言うまで
もありません。

大変喜びながら、友人は、彼自身の分そして僕の分と称して、2客のゴブレッ
トをカバンの中にナイナイして、大事に持ち帰りました。微妙に罪悪感がない
わけじゃ無かったですが、許可を貰ってのことですから、いいですよね。後で
きいた話では、友人はクッキーの盛られた揃いの青い皿も欲しかったそうです
が、さすがにそこまでは言い出せなかったのだそうです。

(2003.09.18)
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今日の話はクロスする 8/29


ヒースロー空港からパディントン駅に辿りつき、ホテルに荷物をおいてからは
じめにしたことは、切符の予約だった。

その切符ならあちらで買えと言われて向かった窓口には、長い髪をドレッドロ
ックにまとめた強面の黒人が座っていた。その隣はターバンの男性で、日本な
どはるかに足もとに及ばない、本当の国際性というものをまざまざと見せつけ
られたわけだ。待ち時間の短そうなそのマルコムX氏の列に僕らは並んだ。

駅の構内のそのあたりにもパディントンベアのぬいぐるみのならべられた店が
あり、さすがは本場と感動する。一緒にいた友人は知らなかったとはいえ、パ
ンプルムース氏のシリーズ(東京創元社からでている)も書いたマイケル・ボ
ンドの代表作でもある絵本のシリーズの登場クマ物なのだ。

マトリックスのモーフィアスばりの威圧感を持つくせに、彼は親指の爪を噛み
ながら、とてもゆっくりと話をする。こちらが英語に慣れていないことを見て
とってのことかもしれないし、もとよりそういうテンポで生きているのかもし
れない。はじめのちょっと怖いという印象は、偏見を抱いたことに対する軽い
後悔とともに流れ去る。

赤い館の秘密(これまた東京創元社からでている)の著者でもあるA.A.ミ
ルンのクマのプーさんと同じくらい、僕にとっては、クマといえばプーであり
パディントンなのは、小学生の頃にパディントンベアシリーズを読んだからだ
ろう。当時は本の内容よりも、冊数をこなすことに夢中になっていたから、読
みやすいというのが選んだ理由だったのかもしれない。

3人でエジンバラまで往復したい、行きは明後日で、ええと、戻るのは来月の
5日。ちゃんと正しく伝えられているかどうか不安になりながら僕は言う。行
きも帰りも朝10時くらいの電車がいい。よしよしわかった、というように彼
はうなづく。よし、じゃあ少し待て。彼の躯体にくらべて心なしか小さく見え
るキーボードを、彼はゆっくりとした動作で押下する。確実に。

毎日1冊ずつ、1年で200冊を図書館から借りて、とにかく読むために読ん
だ。だいぶ昔のことだからかもしれないし、そんな読み方をしたからかもしれ
ないけれど、本の内容などは、今はもう忘れてしまっているのだけれど、名前
だけ覚えていたはずの、その帽子をかぶったクマのキャラクターのぬいぐるみ
になんとなく見覚えがある気がしたのは本当のことだ。

僕らが見守る中、作業を続けていた彼が、突然顔をしかめて爪を噛む。ああ、
3人というのを忘れていた。やり直しだ。だが、3人だと帰りは朝の7時の電
車しか空きがない。それでもいいか。僕らは顔を見合わせる。午後でもいいの
だが。それでも無い。無いなら仕方ない、それでOKだ。僕らはうなづく。

今、目の前にいるこの男は、パディントンのクマと言っても、どちらかという
と絵本のキャラクターというよりも、本物のクマに見かけは近いよなあ、など
と考えるのは、無精ひげの伸びきった自分の姿をさしおいているにすぎない。

よし、これでいい。こちらが行きの分で、こちらが帰りの分。ここに時間が書
いてある。けして乗り遅れてはいけない。出発はキングスクロス。ほらここに
K−Xと書かれているだろう、これがキングスクロスだ。OKか。彼が問う。
うん、ありがとう。そう礼を述べた僕たちに、彼はグッドラックの仕種をして
くれる。両手をコブシに握って、顔のあたりの高さで手首あたりで交差させる。

あまりに自然で格好よくて、思わずなにも返せなかった。

(2003.09.19)
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オススメ、レストランガイド 9/5-2


地下鉄パディントン駅の近くに、結構安くておいしいレストランがあります。
駅をでて、南西の方向にちょっと進んだところにある Raffles という店です。
イギリスは物価が高い感じがするのですが、店を選べばそれなりにリーズナブ
ルなところもあるという一例でしょうか。ロンドンに来た初日はこの店に入っ
て結構安くて美味かったので、日程も最後に近づいて、所持金が残り少なくな
ってきて、昨日、今日と計3度、この店に来てしまったわけです。

Craven 通りの南に面していて、いかにも大衆食堂という感じの店で、少し舌
足らずな感じのしゃべり方をする優男風のウェイターがいます。マグで出され
る紅茶は0.6ポンドなのに、缶のソフトドリンクやミネラルウォーターを頼
むとそれより高い0.9ポンドなのは、イギリスという国柄でしょうか。料理
は、概ね5〜6ポンドからで、メインの他、たくさんの野菜とチップスと呼ば
れるフライドポテトが溢れんばかりにして一つの皿に盛られて出てきますので、
スターターやデザートを頼まなくても十分な感じでしょう。

野菜は、モルト酢と少量の塩でさっぱりと食べます。日本のとは違ってキュウ
リが大味であまり美味しくないのは仕方ないところでしょうか。あと、人参も
もっと切れるナイフでカットすれば、舌触りがもっとよくなって食味が増すの
にと思いましたが、このあたりの事情は今回の旅行全般を通して感じたことで
す。いずれにしても、生野菜の量が多いのは、連続してフライドポテトばかり
食べさせられてきた身にとっても嬉しい感じです。ああ、もちろんチップスも
たっぷり乗っていますから、お腹は十分ふくれます。ただ、ステーキなんかを
頼んでも、同じ調子で野菜やらチップスの上に肉がどんと乗せられてでてきま
すから、ナイフで肉を切るためには、下のチップスを食べたりして、皿の上を
整理しないと難しい感じです。

始めに入った時は、僕はハンバーガーを頼みました。ハンバーガーでも野菜と
チップスがついてくるのはどうも基本のようです。隣では、フィッシュケーキ
というものを頼んでいました。でてきたのは揚げ物で、魚肉をつかったコロッ
ケのようなものだそうです。ちょうどトンカツソースのようなものが机に乗っ
ていたので、それをかけてたべていました。今日は、ラムステーキを頼んでみ
ましたら、どう焼くのかと訊いてきました。試しにミディアムレアと応えてみ
ましたが、驚いた貌をして注文を受けていましたが、案の定ウェルダンに焼か
れて肉が出されました。んな、だったら始めから訊くなよ。他にはチキンケバ
ブもオススメです。肉はやわらかく、和風の味に餓えている時に食べると、ま
るで醤油で炒めたようにも感じる味で、日本人ごのみの一品でしょう。

最後に実際にこの店を訪れようという方、このウェブサイトで見ましたよ、と
言ってみてください。飲み物が無料でサービス…、なんてことは無いですって。

(2003.09.23)
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きゅうり 9/2


ランチできゅうりのサラダが出された。ビュッフェ形式で好きなだけ取ってよ
い形式で、生の野菜に餓えていた感がある自分は、たっぷりと自分の皿によそ
ったのである。パスタだのポテトだのを添え物として食わされる機会は多かっ
たのだが、意図して摂ろうとしないと、生の野菜や果物(ホテルの朝食の果物
も缶詰のものがほとんど)を食う機会はあまりない気がする。

見た目はごく普通のマヨネーズ和えのようであった。薄く輪切りにして胡麻油
と醤油をかけたり、醤油をたらしたマヨネーズで和えたりしたものは、夏の暑
い時の飯のおかずに結構むいていると思う。戻したワカメとともに三杯酢で和
えたやつも美味い。僕がきゅうりのサラダといわれて思い浮かべるような、そ
のような輪切りではなくて、日本のものよりも太くて大味なきゅうりを、すと
んすとんと拍子木に切ってあったのは、まあご愛敬かと思われた。そんな些細
なことが僕の餓えを満たす上でなんの支障をきたそうか。茄子とズッキーニの
パスタの油分を拭おうと、爽やかなグリーンの味を予想して、きゅうりをさし
たフォークを口に運ぶと。

  !

期待した通りの、というよりも期待を通り越した爽やかさに、僕は思わず箸を
(フォークを)止め、辺りを見回して、そして笑い出してしまった。はじめは
クリーム和えかと思った。こちらで食べるマヨネーズは酸味が少ない場合が多
いので、あれもマヨネーズだったかもしれない。まあそこまではかまわないの
だが、アクセントに何かの香りがある。はじめは紫蘇かと思った、その妙に青
くさく妙に爽やかな香りは、紛れもなくミントであったのだ。

テーブルにあった塩を振ってなんとか食べきったそのサラダは、醤油の味にと
らわれた島国根性の焼き付いた僕の舌に、半ば強制的に国際的な文化の豊かさ
を身を持って知らしめた独創的な味付けだったと言えよう。やや口の悪い知人
に言わせると、あれはきゅうりのはみがき粉和えだったのだそうなのだが。

(2003.09.24)
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不平、不満、文句、愚痴、懊悩などの記述:
列車の乗り合わせたおばさんら、あんたら喧しいぜ 8/31


不安いっぱいのまま予約した切符を片手に、駅のホーム案内の掲示板の下でた
むろしている。そもそもK−Xに辿りつくまでだって、大変だったのさ。始め
の予定じゃ地下鉄乗り換えなしの数駅って感じだったんだけど、パディントン
駅に行ってみたら、地下鉄の一部が止まっちゃってるってんだ。ロンドンじゃ、
しょっちゅうあることなのかも知れないと思ったのは、今日の運転状況なんて
感じのホワイトボードがあって、慣れた感じでマーカーで塗りつぶされた「こ
この区間は止まってます」という表示がでてるんだ。ロンドンの地下鉄は網目
状に縦横に走っているから、一部だけが止まってもちょっと回り道をすれば済
むらしい。東京で山の手線が止まったらニュースものだと思うんだけど、きっ
と茶飯事なんだね、誰もが別段困惑したふうでもなく、落ち着いて迂回の線に
乗り替えている。だけどこういう時に困るのは、慣れた地元の人じゃあなくっ
て、我々みたいなよそものだ。しょうがなく地下鉄のメンテナンスをしている
っぽい作業服の兄ちゃんに声をかけて、どうやったらK−Xへ行けるのか教え
ておくれ、なんて情けないことを尋ねたんだ。あとから考えたら、そのあたり
にだって車輌の中にだって路線図はあるんだから、それさえよめりゃあ猿でも
わかることを何きいてやがるんだいこのド素人が、なんて思ったに違いない。
そりゃあ、こっちはド素人なのは間違いなくて、8番のプラットホームからサ
ーキットほにゃららって言われたのを、ようやく聞き取れたサーキットという
単語をくり返したら、親切なことにも、オクスフォードサーキットっちゅう駅
だよ、って教えてくれた。そのあともなにやら言ってくれたんだけど、もうわ
かんないから大げさにありがとうありがとうって英語で言って、とりあえず8
番のプラットフォームへいきゃあわかるよ、って言って仲間と一緒にそっちへ
向かったんだ。僕が道をきくときはだいたいそんな感じで、あんまりたくさん
のことを一度に言われても困ってしまうから、始めの部分だけよく覚えておい
て、またあとで別の人にその続きを教えてもらうために聞き直したりする。だ
いたいいつだって迷いそうになった時には、思いこみで間違った方向へ動いて
しまうよりも、こまめに人にきいたほうがいい結果になることが多い。まあこ
んなことを言ったって、鳩みたいに方向感覚をするどく備えた人たちにはわか
んないことだ。幸い、大した回り道をする必要がないことは、8番ホームの路
線図からすぐに見てとれた。ほうら、かりに全部がわからなくたって、なんと
かなるだろ。おでんのこんにゃくが三角形に切られているとして、その斜めの
辺の両端がパディントンとK−Xだとすると、乗り替えるべきナンチャラサー
キット駅は、直角の角のところにある。ええと、ルート2だから、1.4倍の
周り道。でも料金は一緒。損したんだか、得したんだか、よくわからない。こ
れで目的の列車に乗り遅れたりしたら、それこそ目もあてられないんだけど、
やっぱりはじめての所だから余裕を持って動こうということもあって、15分
もあれば着くようなところを2時間も余裕をもってホテルをでたんだ。だから
こういうアクシデントにあったとしてもまだまだ余裕はたっぷりあるわけで、
いわゆるこういうやつを、先んずればなんとやら、あれ、備えあれば憂いなし、
だろうか。まあ、いい。結局、1時間以上も余裕があるのに、別段なにかでき
ることがあるわけでもないK−X駅の構内で、ぶらぶらしながら列車を待つこ
とになった。どうせ始発だから、はやく列車に乗っていればいいって?あまい
あまい。出発の15分前にならないと、どのホームから出るのかの掲示がでな
いんだ。だから電光掲示板の下は、結構な人だかりになっていて、みんな上を
見上げたりしている。ちょっと後ろを振り向いた僕は、しめしめと思った。ち
ょうど乗ることになっている列車の会社名のついた情報案内所が目に入ったか
らだ。わからないことがあったら訊いてみるに限る。こういうのを百聞は一見
に如か… あれ、これも違うような気がする。おそるおそる制服のおねえさん
に訊いてみる。10時のエジンバラ行きの列車はどのホームからでるんでしょ
う、って。だいたい駅の運営を考えたら、何番のホームのどこからどこ行きの
列車がでるかなんてのは、決まってるはずだと思うだろ。優秀な日本の列車の
時刻表なんかじゃ、ホームの番号まで書いてあることだってある。まだ電光掲
示板に表示されてないからって、知らないたあいわせねえぜ、くらいの勢いで
訊いたわけなんだが、そのこたえときたら、まったくふるったものだった。出
発予定時刻の15分前になりましたら電光掲示板で案内さしあげますんで、そ
れまでお待ちください、だって。抗議するほどの語学力があるわけじゃなく、
すごすごと引き下がる僕。電光掲示板の横に書いてあった15分前にホームを
案内します、なんていう文字も読めない莫迦か、って思われたに違いない。ま
あいいや、旅の恥はかきすて。これはあってる?

駅のはしからはしまで歩き回ってみたり、ベンチに腰掛けたり、やっぱりおち
つかなくてうろうろしてみたり、そういえば着くのは昼を大きくまわるんだっ
たなあなんて思い出して、バゲットにハムとトマトとベーコンを挟んだサンド
イッチを買い込んだりしながら時間が来るのを待つはめになったあとで、掲示
板にお前は何番のホームへいけってのがでると、ようようそっちへ向かう。列
車じゃあ、乗る時にチケットを見せないといけないシステムになっていて、入
り口ごとに係員が立っている。指示されたホームにとまっている列車のドアに
いた係員に、これはエジンバラ行きでいいのか、と念のためにきいてみた。よ
もや違うなんて言われるとは思ってもみなかったのだけど、ホームの奥のほう
を指さされて、あっちへ行けといわれる。あぶないあぶない。まったく油断も
隙もあったもんじゃない。これまた後から気付いたことだけど、途中で切り離
しちゃう車輌の入り口できいたからこういうことになったんだけどね。そうや
って僕たちは、一昨日マルコメじゃねえや、マルコムX氏(仮称)にとっても
らった車輌に乗り込むのに成功した。日本と違ってね、予約席には背もたれの
ところにカードが挟んであって、そこにこの席はホニャララからホゲホゲまで
予約が入ってますよ、って情報が書いてあるわけさ。もうひとつ違うのは、車
輌の進行方向によっても席の向きが変えられないってこと。車に酔うようなた
ちの人が、後ろ向きの席にあたったりしたら結構たいへんなんじゃないかな、
なんてどうでもいいことを心配してみたりする。それと、もう一つは、その車
輌が静粛車だったってことだ。切符を予約したときには、禁煙車とも静粛車と
もなんにも言わずにとってもらった。あれ、禁煙車はそう頼んだんだっけか。
くわしいことは覚えてないや、毎日の生活が新しいことだらけで、新しい刺激
でいろんなことをすぐに忘れてしまう。でも、その車輌が静粛車だってことだ
けは、すごく鮮明に覚えているんだ。それは何故かって。それが本当は言いた
かったことなんだ。まあきいてくれよ。

確かに、車輌には携帯電話とイヤホンのマークに丸と斜めの禁止マークがあっ
て、その下に Quiet Coach って書いてあった。日本じゃあんまり見たことな
い制度だなあなんて思いながら感心してたんだけど、途中で喧しい連中が乗っ
てきたんだ。まあうるさいのなんのって、一言で言えたもんじゃない。たまた
ま運悪く(僕にとっては、って意味だよ)車輌のまん中辺りに座ってた僕の席
のすぐ後ろから、向こういっぱいまでが、その酔っぱらいの陽気で下品で恥知
らずなおばさんたちで占められてしまったわけだ。ビールなんかの瓶を片手に
飲みながらの、本人達にとってはいとも楽しい時間。すぐ後ろでがあがあがな
られてるこっちにとってはただのいい迷惑。絶対あれはお下品な冗談にちがい
ないってやつを誰かがぶちかまして、みんなでどっと盛り上がる。それが果て
しなく際限なく続くわけで、どんな下らないことや下品なことを言っているの
かがわかって一緒に楽しめればそれはまあともかくも、やっぱり横文字で喋っ
ているわけで、こっちとしてはいらいらが募るばかりである。あえて不躾にも、
ふり返った上で一番うるさいおばさんの顔をじっと見つめてみたけど、きっと
顔の皮が特製で厚く作られてるんだろう、あるいは何かの事情で壁を塗ってい
たのかもしれない。僕の視線なんて象にとまった虻か蚊ほどの威力しかなく、
なんだか首が疲れて僕はあきらめたよ。ねえ、きみたちだって、こんなことが
あれば、その車輌が静粛車だったなんてことは忘れないに決まってる。ねえ、
そんなものだろう?

で、結局どう片づいたかって? なにも解決なんかしちゃいない。車掌だって
そのうるさい集団に注意してくれるわけじゃないし、勇気をふりかざして酔っ
ぱらいを静まらせようなんて正義の人がたまたま乗り合わせるわけでもない。
人生そんなに甘くはないってこと。仮に自分の国でだって、僕だってそんな連
中にわざわざかかわるのはいやだからね。きっとしかめツラだけして、口をへ
の字にして上むいてすわってるさ。僕と仲間はっていうとね、何駅かして、少
し離れた席が空いてたんで、そっちへ避難しただけ。たったそれだけの顛末。

(2003.09.25)
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インチ器

かわった定規をみつけた。
一見してはごく普通のアクリル製の透明なものさし。
片方のへりには30等分が更に10等分された目盛り。これはセンチとミリだ。
そしてもう一方のへりはほぼ同じ長さに対して12等分されている。

…へえあまり見ない定規ですよねえ、こっちの目盛りはなんでしょう。
 メートル尺貫法ではないですよねえ。

…尺貫法、おお、それだよきっと。
 一尺の1/10が一寸だろ、ほらこの目盛り間隔はだいたい3センチくらい
 じゃないか、たしかそのくらいだったはずだぜ。

…正確にはどのくらいでしたっけ。

…ええと、ほら計算してみようぜ。
 だいたい40センチを12等分だから、40割る12で、ええと3.33。
 そうそう、そんな記憶の感覚の数字だったよなあ、たしか。

…あっ。

…なんだなんだ、なにかあったのか。

…ええ、ここを見てください、小さい字で 12 inch って。
 寸とインチって同じ長さなんでしたっけ。

…おお、きっとそうだ。だってさっき計算しただろ。


なにやらいつのまにか、一寸と1インチが同じにされてしまった。
きっと一寸したまちがい。

(2003.09.27)
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本物のカメラ 9/3-2


僕がデジカメを買った理由は、気軽に持ち歩けるからだ。だから、本当はデジ
カメじゃなくても、フィルム式のコンパクトカメラでも構わなかった。けど、
ここでデジカメにしたのは、フィルム式なら一眼レフを持っているから、銀塩
の解像度がいるときはそっちを使えばいいのだし、こうやってウェブサイトな
んかをはじめてしまって、コンテンツの一部としてたいしたものじゃないなが
らも写真を公開しはじめたりすると、現像してもらって、プリントをスキャン
したりフォトCDをつくってもらうなどしたりして、というステップがうざっ
たくなってきたりするのだ。その点、デジカメは速いもので、その日に撮った
写真をその場で見ることもできるし、その気になれば同じ日のうちに即アップ
することもできる。もともとレンタルサーバをつかっているから、あんまり大
きな解像度の写真は載せるつもりもないし、そこそこの写真がとれればいい。

だが、ここ一番というときには一眼レフのカメラも持っていく。とくにそれが
滅多にない海外旅行のチャンスであれば、それは当たり前の話で、必然的に荷
物のかなりの部分がカメラやフィルムで占められてしまうことになる。飛行機
に乗るときに、カメラ関係だけは手荷物として持ち込みたいから、それ専用の
肩掛けのカバンを用意することになる。以前にも、そうやって飛行機に持ち込
もうとした時に、手荷物検査のX線の透過モニターの前でたくさんならんだ金
属の筒状のものに殺気立っていた検査員がいたっけ。荷物をあけて直接見ても
らってやり過ごしたけど。あの時はまだデジカメを買う前だったから、一眼レ
フのボディーは2台、大きめな望遠レンズも含めて交換レンズも何本かあった。
フィルムだって36枚撮りのを20本ほど消化した。合計しめて800枚弱。

今回はその時に比べると可愛いものだ。サービスサイズ程度のプリントには難
がでないように、デジカメの設定で少し解像度の大きな写真をとれるようにす
ると、128メガバイトのメモリーで200枚程の写真が撮れる。そのメモリカード
は、追加で購入した分と友人に借りた分であわせて5枚用意した。予備の電池
と充電のためのアダプターなんかをあわせても、フィルム1000枚分に比べると
圧倒的にコンパクトで済むし、手荷物検査のX線かぶりなども心配しなくて済
む。今回はこちらがメインの機材だ。35ミリフィルムの一眼レフは、だからボ
ディーは1台きり、メインで使用するレンズはデジカメの範囲外のもの。デジ
カメはだいたい35ミリから100ミリくらい相当の画角をカバーしているので21
ミリのレンズをを選んだ。あとはデジカメが動かない場面に備えて、35ミリと
100ミリを1本ずつ。僕の一眼レフはフルマニュアルだから、電池を必要とし
ない。一方デジカメは電気がなければ冷蔵庫と一緒、ただの箱だ。レンズの選
択が広角側に寄っているのは、スナップの多くなる旅行だとその方が便利な場
面が多いと判断したから。フィルムも10本しか持たなかった。

以上、前置き。今日は昼飯を食ったあと、ツーリストになって城をまわろうな
んて話になっていた。ここだけの話、僕がツーリストになったのはなにも今日
の午後だけじゃなくて、昨日の午後も一昨日の午後もそうだったんだけど。だ
って、いろいろなものを見聞きしておかないと損じゃないか。エジンバラから
合流してきた知人も誘って一緒にまわることになった。

エジンバラの街は小高いところにある城を中心に成り立っているように見える。
チェスのルークを思わせるいかにもそれらしい石造りの城で、日本のそれとは
まったく趣が異なっている。地震のない国だからこそ残っている豊かな過去の
遺産。ヨーロッパはそういうものがいたるところにころがっている。カメラマ
ン魂の刺激される所以。そういう景色の中では街を歩く人でさえすばらしい被
写体に見えてきてしまう。

気に入った景色を見かけると、僕は当たり前のようにデジカメのレリースボタ
ンを押す。その頻度は、一眼レフを使用しているときよりも高いのは、フィル
ムと違っていくらでも撮り直しがきくからだ。1本撮り終わったら新しいフィ
ルムに交換しなければいけないわけでもないし、その場で確認して気にいらな
ければ撮りなおすことだってできる。そんな様子を一緒に城をまわっている知
人も見て笑っている。彼は以前にも海外旅行を一緒しているので、僕のカメラ
好きを知っているのだ。

小高いところから街を見下ろすアングル、ここは広角のほうがいい、僕は判断
して肩にかけたバッグから広角レンズのついた一眼レフをとりだした。あれ。
一緒にまわっていた知人が少し驚いたような声をあげる。あれ、本物のカメラ
も持ってきていたんだ。そう彼が言うのも仕方の無いところで、たしかにコン
パクトなデジタルカメラにはその手の上での重さも含めて存在感が乏しい感は
ある。レンズだって単焦点をつけた一眼レフに比べたら描写が劣るのは否めな
い。ええ、こっちのほうが便利なもので。今回はフィルムも4、5本しか使っ
ていないんですよ。僕はそう告げる。彼は驚いたように、へえ、前回よりだい
ぶ少ないね、と言う。そのかわり、と、僕は笑っていう。そのかわり200枚撮
れるデジカメのメモリがもう4枚目ですけどね。彼もそれをきいて声をたてて
笑ったのだった。

(2003.09.28)
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狭き門 9/1


スコットランドを記念してスコットモニュメントというのかと思ったら、サー・
ウォルター・スコットを記念しているらしいそれは、プリンシーズ通り、老舗
デパートであるジェナーズのほぼ向かいにあたる位置にある。黒々とした印象
の、葉の開きかけたアスパラガスみたいな建物で、通りからはそうは見えない
が、ガイドブックによれば上までのぼることができるらしい。

通りから見えない反対側に入り口があり、そこで料金を払い、内部へと進む。
黒い石はわりと滑らかな手触りで、石ゆえに冷たい。その石を右手で撫でなが
ら螺旋階段をのぼっていく。のぼる間にも目をまわしてしまいそうなほど細く
しっかりと巻き付けられたワインのコルク抜きのような階段だ。それもそのは
ず、塔をささえる4本の足のうちの1本の中をのぼる構造になっているのだ。
当然リフトは備えられていない。自分の足でのみのぼることが許されている。

天の国に至る道は狭き門に喩えられたが、やはり天を指す尖塔にのぼるには狭
い階段をのぼらねばならないらしい。高さはわずか60メートルほど。足の部
分をのぼりきると中程の高さのところで広くなった部分にでるけれど、それ以
外のところでは降りてくる人とのぼる人とがすれ違うこともできない程の幅し
かない。階段の途中で上を見上げても一つ上のピッチの段があるだけ、わずか
な灯り取りの隙間からもれる光を頼りに、足下をみながらもくもくとのぼる。

一番上にまでのぼるには、上に行くほど狭い300段近い螺旋をのぼりきらね
ばならない。ようやくのぼりきって顔を出したテラスは、石で積まれた故に風
にも揺らがぬ安心感がある。眺望や良し。ただ黒い石に刻まれた心ない日本人
達の白々とした名前の落書きが心に痛い。

たった今くぐったばかりの階段へ通じる口の方から声が聞こえてくる。下から
別の客がのぼってきているようだ。これから降りたとしても途中すれ違うこと
も能わず、かと言って、ここにもさほどのスペースはない。最上階のテラスは
人がふたりすれ違うことを許さないほどの幅しかなく、塔の周囲をぐるりとま
わっているだけで、わずか片手の指の数ほども人がいれば身動きがとれなくな
ってしまいそうな広さしかない。

どうしよう、などと案ずることも忘れたまま友人と僕は遠くに見える浮き世の
景色を眺めたりカメラに収めたりしていた。登山と同じで、こういう場所では
くだり優先となるのは当然のことだろう。ならば下から人があがってきたのち
場所を譲ってから僕たちは下りれば良い。どうせ途中ですれ違えないのだから。

いつまでたっても最上階まで人がのぼってくる気配がない。先程の声は聞き違
いだったか。景色にも飽いてしまうと僕たちは階段を降り始め、そして僕は友
人に声をかける。さきほど誰かがのぼってくるような声がしていなかったか。
彼はよく聞いていたようで、ことの真相らしきことを教えてくれた。いわく。
途中までのぼって道の狭さに諦めたのか、階段の勾配に怖じ気づいたのか、オ
ウ、ノー、というような悪態をついてから声は降りていったよ、と。

(2003.10.14)
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ご挨拶

ここのところ、更新がさっぱりです。ネタがないワケじゃないんですが。

たとえば。昨日、自転車で暗い夜道を突っ走っていて、車道から歩道へ移ろう
と思って、ギァっとハンドルを切ったとたん、実はそこは僕が見間違えていた
ような歩道と車道の段差がなくなっているところではなく、10糎はギャップ
があったわけで、自転車からふっとばされて、一瞬、息ができずにうめいてい
ました。無惨にも乾電池式のランプがピコピコいっている自転車も、ハンドル
があっちのほうを向いてひっくり返っていました。いや、壊れてなかったです
が。幸い、打ち所も大したことなく、ちょっとジーンズの下の右膝が赤くなっ
た程度ですみましたが、ヤレヤレ。たまたま本屋帰りだったのですが、散らば
ってしまった文庫本を、震える手でまた袋に詰め直し、自転車に乗ろうとする
と、ばさっという音が。ありゃりゃ、袋の口が二つになって(要するに、袋の
横にでっかい口があいて)しまっていました。しばらく自転車もキコキコ言っ
ていましたが、自分の身にはなにもなく済みました。やってることは、単なる
阿呆ですが、ああこんな失敗をしているなんて俺って結構若いかも、なんて思
っている時点でアイタタですな。

たとえば。先日、不動産屋からすげえ失礼な電話がありました。要するにアパ
ート暮らしをしている人達に、家を買えと勧める電話なわけですが、相手のド
キュンなことこの上もない。いや、思い出すだに不快になるんですが、これか
らそれを書こうと思うんですが、不快になるんで読まない方がいいですよ。あ、
不快なのは俺だけか。始めは相手の言いたいことがよく判らなかったんで、い
ろんな質問にこたえてたんです。結局、すぐに家を買わなくてもいいから、会
って話を聴けということだと判りました。俺はそういうのイヤなんですよね。
別に今、欲しくもないもののために、時間を約束して会うのって、拘束になる
じゃないですか。だから断ったんですね。向こうの話の進め方が、いやに搦め
手ばかりで、会って話を聴けというその結論に至るまで2時間近くかかってま
すし、あとから友人にきいたところによると、セールスでは30分以上電話し
て顧客に会いさえできないときは上司にすごく怒られるんだそうですが、そん
なことこっちの知ったことではない。向こうさんは憤慨するわけですな。いわ
く、お宅はわがままだと。いわく、断るのはかまわないんだが、今住むところ
が無い(要するに住所不定ってやつ)だとか、借金で首がまわらないとか、そ
ういう理由なら判るが、時間が拘束されるからイヤだとか、そんなのは理由と
して認められないと。それを理由として認めてくれないんなら別に理由なしで
もいいから、会いたくないっていうと、今度は火をつけるって脅しだしたんで
すよ。大笑い。ええ、どうぞどうぞ、そっちが何しようとこっちは止めること
もできませんし、そちらの責任で勝手にやってください。それに、ここ、アパ
ートで僕のもんじゃないの忘れてますね。ギクっとしたような間のあと、彼は
こう言いました。あはは、いやだなあ、あんたの実家の方ですよ、だそうです。
その間はなんだ、その間は。その他にもいろいろと笑えることはいっぱいあり
ました。筋モンを用意してあるんです、なんて言って、電話機のダイヤルボタ
ンをピッポッパと押してから(向こうとすれば、電話口の相手が変わったつも
りなんですね。)急に声色をかえて、脅し文句をかけてくるわけです。でも、
声を低くしただけなのがバレバレで、思わず苦笑いです。また、ピッポッパっ
とやったあと、すぐアパートまで押し掛けてくるなんて言っています。いいで
すよ、警察呼びますから、って言いかえしましたけど、いや、こっちで警察を
つれていきますからと向こうがおっしゃって、(たぶん、誰もいない後ろの壁
に向かって)じゃ○○警察に電話いれといて、うん、すぐ○○さんのアパート
に向かうから、って科白を喋ってるんですね。それで、警察の方を手配しまし
た。ついてはそちらへうかがって、すぐ警察には帰って貰いますから、って言
っています。こっちはあきれて、もうため息しかでません。もう、勝手にして
くれよ、です。はあそうですか、ごくろうさまです、って言って、電話を切り
ました。そしたら、すぐまた電話がかかってきて、なに電話切ってんですか、
って怒ってます。だって、警察つれてこっちくるんでしょ、って言ったら、そ
っちへ行くのに、どうせ調べればわかるけど時間の節約のために、って言って
家賃だとか部屋の間取りだとかきいてくるんですね。駐車場も家賃に込みだっ
て情報を教えたら、僕はランクルに乗ってんですけど、お宅は何乗ってんです
か、なんていやにフレンドリーな会話をしてくるんですね。あれだけこっちを
恫喝しておいて、どういうつもりだろうと思って、もう、いい加減いやになっ
ていましたんで、もう個人情報は教えませんから勝手に調べてください。それ
に押し掛けてきたって、こっちは何の話もききませんから、って断言しました。
あとでよく考えたら、こっちのアパートへ来てこっちが話をきく形の約束にと
れるような言質がとれれば向こうはよかったんでしょうけど、それも断っちゃ
ったんですね。向こうがさらに脅してくることには、こっちは不動産のプロだ
からなんでもできるんですよ、あなたが一生家を買えないようにするための書
類を持ってセンセをつれてうかがいますから、判子を用意して待っていてくだ
さい、だそうです。冗談じゃない。あほか。絶対くるわけないし、本当に来た
って判子押すわけないじゃないか、警察ほんまに呼んだるで、もう勝手にしろ
と言った感じでしたね。…結局その後、誰も訪れてきませんでしたけど。

たとえば。…


あぁ愚痴書いてすっきりしてしまいました。ごめんなさい。初心にかえってみ
ると、何が書きたかったかっていうと、年末年始のご挨拶でした。

本年もご愛顧ありがとうございました。また来年もよろしくお願いします。そ
れはそうと、年賀状に猿の絵ばっかりでオリジナリティがないような気がしま
せんか。いや別に無駄なオリジナリティを発揮する必要もないんですが、ごく
偉いセンセへの年賀状はともかく、意味もなく来年はネコ年にキメさせていた
だいてネコの絵でも描こうかしらん、と企んでおります。年賀状は新年になっ
てから貰った方だけにお返事で書くつもりです。でわみなさまよいお年を。
にゃんにゃん。<おっさんが不気味だって言うな。笑

(2003.12.26)
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ご挨拶

あいかわらず正月ぼけがぬけていません。正月とは1月いっぱいのことを言う
のだから、たぶんまだぼけていてもかまわないんでしょう。このまま惚け老人
まで一気にいってしまいそうなのが怖いですが、本人にとってはそれも幸せだ
ったりして。

正月そうそう、初夢が仕事絡みの嬉しくないやつで、無かったことにして葬り
さりたかったんですが、やな初夢だったなあと感慨してしまったが故に忘れら
れなくなってしまったんですな。いやあ参った参った。逆夢であることを祈り
ましょ。そうそう、やなことといえば正月あけに駅に停めといた自転車からラ
イトを盗まれました。なんだか明るい未来が見えにくい日本の世相を反映して
いるのかしらんと妙な感慨に耽ったり。いや、自転車のLEDのライトひとつ
くらいじゃ日本の未来は照らせませんが。

それと、今年は自分の似顔絵の年賀状をたくさんいただいたんですが、今、鋭
意お返事を作成中です。予告どおり、ネコにしたつもりなんですが、絵を見た
周囲が亀だとかいってます。おっかしいなあ、まあいいや。えっと、抽選会い
つだっけか。あ、18日ですね。もうちょっと先だから、それまでには書けるで
しょう。安心安心。そんなわけで、ではまた来年、良いお年を。

(2004.01.07)
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昨日の名残り雪もおおかた融けて、日射しばかりは3日前までの温かさの中、
細い道を用事のために自転車を走らせていた。

風はつめたくて手袋をせぬまま飛び出してきたことを少々後悔しながらも、黒
いジャンパアで集める太陽光線で背中が焙られることに快感を覚える。黒い土
を覆ういまだ短い麦は、少しその色を増し、天を指す白木蓮の色の水気たっぷ
りのみぞれをかむっている。中庭の気の早い桜が開きかけていたのを思い出し
た。柔らかくなった土を踏んで木の根元までいってその枝を手にとったとき、
わずかに山桜のように薫ったのは気のせいだったか。今年の桜ははやいときく
が、あと数日留守にした後戻るのを待っていてくれるだろうか。

最近、眉間にしわを寄せたような表情をしていることが多く眉の根が固まって
しまいそうで、気候がゆるんできて咲き始めた雑草の花にも目を向ける余裕さ
えなかったものだと反省し、稀釈された沈丁花のにおいのする風を呼吸したら
少しばかりはきつくなってしまった目つきも戻るだろうかと思案した。自分の
卑小さ、俗人ぶりにいやになる。けれど、こういう悩みも飽食しての贅沢なの
だろうか。あわてて深呼吸をする。ペダルをゆっくりと漕ぎながら。そういえ
ば最近なにに驚いただろう。先日、鳳梨を切ったときにその黄色い断面に黒い
胡麻のような種があったのを見つけた時以来だろうか。ウェブもしばらく更新
していなかったことを思い出す。

そこは種蒔きを待つ平らに均された茶色い畑で、茶色いのは昨日の雪が融けた
ばかりでまだしめっているからで、草一本生えていないからだ。太陽光線によ
り温められて立ち上った水蒸気が、わずか1尺ものぼらぬうちに今度は風に冷
やされて身を白くしている。それは地面から生えた作物が収穫されるのを嫌が
るように或いは風の気まぐれに逃げまどっているように見える。真昼の陽気な
ゴーストたち。車輪を止めて見慣れぬ風景に見入ることしばし。毎年おなじこ
とをくり返すようでいて、タイミングという気まぐれさえ許してくれれば、こ
うやって新しいものを見せてくれる。ここは100ミリのレンズで抑えたいと
ころだな、と考えてから、そういえばここのところディジタルのコンパクトカ
メラにすら触れていなかったことを意識して苦笑いする。

だから、少しだけ自分を融かしたくなって、こうやって久しぶりに文字を残し
てみた。

(2004.03.23)
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4月1日、Poisson d'avril。お魚の日


 グランド・ピアノの周りに朱に塗った板をめぐらせてカウンターに仕立てた、
ときけば趣味が良いと思うだろうか。その天板の上にはむしりとられた赤いバ
ラの花びらにスプレーで滴の演出がされていて、鱗のおおきな魚とともに壁に
おおきく描かれた半裸の女性と同じように肉感的なシャンソン嬢が、少しはず
れた調子でうたっている。日本語のリズムがメロディラインとそぐわないのは
きっとご愛敬。ひとつ曲がおわるたびに僕はお愛想で手をたたく。奥からは合
コンらしき学生たちの一気呑みの囃し声と拍手が聞こえてくるけれど、慣れた
様子で気にもとめていない。シャンソン嬢というより、店のマダアムとでも呼
ぶべきか。鯰のように大きな口でにっと笑う。

 これじゃゆっくり話もできないし場所を変えようか、と言い出したのは僕だ
ったのか彼女だったのか。二人ともまあ悪くない肴と強い酒とでそれなりに酔
っていた。はじめての彼女の前で格好をつけたくて、ちょっと化粧をなおして
くるねと席を立っているあいだに支払いをすませ、グラスに残った酒をちびち
びと舐めて待つ。僕の後ろからついてきた彼女が店の人の前でバッグに手をか
けた時に、もうお済みですから、と言っているのを後目にさっと外にでると、
春らしからぬ冷気にちょっとばかり酔いがひく。ごめん、次は私が奢るからも
う一軒どう。きっとどちらにとってもお望みの通りの展開。

 はじめての店だけど、とためらいながら入った店の、一番奥の大きな窓際の
止まり木に二人ならんですわると、何種類もの洋酒が丁寧に拭われた棚に並べ
られているのが目に入る。僕はサファイアベースでジントニックを、彼女には
血塗れのメアリーを。それを飲み干したあと彼女はりんごの蒸留酒を所望する。
カルバドスは置いてあるの、と訊いた僕に、バーテンダーは笑ってこたえる。
お二人の目の前の棚の2本だけですね。こちらは36年もののビンテージで、
こちらはかなり若い、どちらにしますか。彼女は甘いのがいいという。

 氷をピックでまん丸に削るのは大層技術がいるのだときいたことがある。飴
色の液体の中で揺れるたびに硬質の音をたてながら運ばれてきたグラスに彼女
が口をつける。あら、あまり美味しくないわ。僕は女王様に傅く家令のように
うやうやしく、けれどとても断定的に彼女のグラスを取り上げて僕がいただく
ことにする。まだ若くてどこか険の残ったわずかな渋みを残した甘めのカルバ
ドスを、氷の音を愉しみながら口に含み、愉悦の笑みを浮かべる。

 花のような果実のような、との曖昧なオーダーでできあがったトールグラス
のカクテルは、淡い色をしていて小さなオレンジ色のバラの花びらが載せてあ
って、その味に彼女は満足したようだ。ライチのリキュールを使ったというそ
の酒の名前をきくとオリジナルのカクテルなのだという。酔っぱらいならばこ
れ幸いと彼女にささげてカクテルに情熱を命名するのだろうけど、あいにくそ
こまで酒には酔っちゃいない。互いのグラスを交換しあったり、二の腕に肩の
体温を感じたり、互いの恋愛話をうち明けたり、二人の視線が交差したり。夜
もだいぶ更けたせいかは知らないが、酸素の不足した水槽の中の金魚のように
他の客達はいつのまにかいなくなっていた。

 はじめてのキスで舌を入れてきたからびっくりしちゃった、フレンチは私も
嫌いじゃないから良いんだけどね。そんな会話は、川沿いの部屋で魚になった
あと。目覚まし代わりの携帯の振動で目をあけて、共犯者のシンパシーで視線
を交わしたあと。それからふたり身支度をして、それぞれの待つ人の元へ帰っ
ていく。小さくて赤くてぴちぴちと泳ぐ魚のような、一見罪のなさそうな嘘を
それぞれの胸に抱えながら、二人で二台のタクシーをつかまえて全く異なる方
向へと帰っていくのだ。

(2004.04.01)
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4月29日

未だ若い展いたばかりの山桜の葉を一枚毟り取って翳してみる。花にしろ若葉
にしろ透過光で見るのが一番美しいと思う。細いけれど聢りとした脈が柔らか
な色の中で太陽の力を借りて幽かに輝いている。歩を止めて見入っていると後
方より葉擦れの音が届いた。足下の弛んだ地面も雛霰のように萌え膨らんだ枝
も須くは緩衝材として働いて此の世の音を吸い取ってしまうと思われたのに。

嗚呼、初夏の日射しだ。全ての良き物は太陽の方を向いていると言ったのは誰
だったろう。永い冬の時間も迂闊にやり過ごすだけではなく、着実に準備を重
ね、時が来ると蕾は弛み新芽は爆発的に展く。花の一つ一つ、蕊の一本一本、
若葉の一枚一枚に至るまでが決して同じでは無いのに、一つ一本一枚に至るま
で決して手の抜かれたるはなく、それぞれの場所に堂々といる。

この風に色があれば屹度柔らかい薄い桃色の線で表されるだろう。葉擦れの音
に色があれば屹度水色に光っているだろう。初夏の馨に色があれば絵の中に檸
檬のように活き活きとした黄色に塗り込めるのに。こんな日は全てが優しく貴
方の為にあり、全ての美しい物は貴方に属している。

桜の葉の特有の馨は塩漬けにして初めて生じるものだときく。掌に摘んだ若い
葉に貌を近づけてみても矢張り青臭いだけで桜餅の馨はしてこない。悪戯心か
ら山葵と同じ様に細胞に傷をつけて見たら薫ってくるだろうかと考えて葉の中
心あたりを千代紙から五芒星を切り抜く時の如く折り重ねていく。然うして少
しばかり強く揉んでから展くと、青い中に桜と言うよりは河原撫子の様な紋様
が灼然として顕れている。軈て乾いた葉は仄かに薫っている気もする。

何となしに愛おしくて何一つとして無駄の無い事に嬉しくて、その葉をポケッ
トの文庫本の間に挟み込むと、前を向いて木漏れ日の間をまた歩み出した。


(2004.04.30)
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はじまりに声は無く、ただ音の響きのみが存在していた。

湯が高みより鼕鼕と滝壺に流れこみ、湯気を巻き上げて辺りの風景を白けさせ
ている。ひらけた方角を見るに、遠くまで靄の広がっており、さらにその向こ
うには、萌葱を帯びた山肌の隠され、立ち上りながら岩の貼りつき、昏い雲へ
と連なっている。

どうどうと音す水の流れによりて、周囲の空気の震わされ、それにつれて昏い
雲も、一部厚くなり一部薄くなりを繰り返し、幢幢とゆらめいて、空気の振動
はその周波数を増し、やがて可聴音となりて空間を満たす。それは吽の音であ
り、同時に阿の音であった。

子音を伴わぬ音は、上方の雲と響きあって、圧縮され開放されて粗密波をなし、
ひとえ、ふたえ、とえ、はたえとその密度を増すと、やがて水音をも凌駕する。

湯壺の中でその様子を見上げ、呼応するかのように呼気に響きが重ねられ、唸
りをなし、体内と体外の境界を消し去るに、雲の昏さと相まって、閉塞された
唸りは強暴に出口を求め、口蓋を押し上げんとする。やがて上唇が破れると、
有声両唇鼻音を為し、周囲に満ちた阿音とあわせ、一つの単語を醸し出す。

あめ。それは天である。立ち上る山肌より昏い雲を集めてそこにあった。
あめ。それは雨である。集められた昏い雲は、凝縮され、水の粒をつくりだし、
自らの重さに堪えかねて地へ還らんとする。
淵に棲む河童か、あるいは木立に遊ぶ烏天狗か、童子の声が言の葉を告げる。
あめがふってきたよ。あめが。あめが。あめが。あめ。あめ。あめ。あめ。

昏い雲のすっかり落ちてしまうと、明るくなった空が残されていた。

(2004.05.07)
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半熟の玉子の黄味のように粘度の高いとろりとした空気の中でゆらゆらと揺れ
ている夢を見ていた。まぶたを透かしてくる光は、太陽の金に細い血管がまと
わりついたような色をしていて、血を送り出すポンプの脈動にあわせて膨張と
収縮をくり返し、波は満ちては引いて、細い管の中の浮き輪のような形の小さ
な粒を押し流し、運んでくる。

聞き慣れた声が、ブレーキとともにかたんと揺れて停まった自動車の助手席の
目を覚ました僕の貌を覗き込んで、よう寝てたね、あんまり気持ち良さそうだ
ったから起こせなかったよ、と言って笑った。いやあ、ごめんごめん、最近ち
ょっと疲れ気味だったのかもね、僕の声が答えている。とりあえず外へでよう
か、せっかく来たんだし。そうだね、天気も良いことだし。

自動車を停めた空き地の近くの道路を渡ったところよりそれは見えた。遠くか
らも霞むほどに染め付けられた黄色の雲海。ずっと一面に菜の花を植えた畑。
少しばかり興奮して黄色の海の汀まで土手を駆け下り嘆息する。へえ、すごい
ねえ、口をついてでてくるのは平凡な言葉ばかり。きれいだねえ、耳に入って
くるのも聞き慣れた声ばかり。


ぴんと張られた鋼線をはじいてできる定常波のように、丈のある花は、わずか
な風にも揺られて揺れて、そうして波面をつくりだす。音のないざわつきが右
を向き、左を向き、光の金が波の表面で泡だつ。かつ消え、かつ結びて、久し
くとどまりたる例なし。反射されてしまうのか、溶け込んだのか、光は目に黄
色く眩しいばかりだ。

ふと風向きがかわると、波はこちらに向けて一斉に押し寄せてくる。海に溺れ
てしまいそうな錯覚をおぼえ、わずかに僕は身構える。風に運ばれてきた、か
つてこんなにも濃密に感じたことのない花粉の香りに、僕の抵抗は何の力を持
つだろう。いつの間にか眩惑されて、花を渡る紋白蝶になり、月を巡る大水青
になる。光に向かって一定の角度で飛翔しているつもりが、青白い水銀灯の周
りをぐるぐると廻りつづけ、地球に向かって永遠に無重力の自由落下を続ける
人工衛星となり、海を渡ろうとして花の香の束縛から逃れられなくなって、離
れては連れ戻され、飛び立っては舞い降りる。

海面につきささる光を踏み台にして空を目指す。眼下に広がる一面の波を見下
ろしながら、脆くも薄い翅脈を風にのせる。花粉の香りが上昇気流に混ざって
いるあいだは、それにのって昇ってゆける。やがて空気さえ希薄になり、黄色
の雲海も霞んでしまうにつれて、束縛も弱くなるかと思えども、やはりそれは
そこに厳然として存在し、その庇護の下を離れんとすることを許さない。だか
らまた、仕方なく、花の海に溺れてしまうことを承知で、むせ返る花粉の香り
に溺れるために落ちていく。


そろそろ帰ろうか。聞き慣れた声が聞こえてくる。もうちょっとだけいいかな。
じゃあと少しだけ。風も冷えてきたからね、先に自動車に戻っているよ。
置いて行かれてしまわないように、ちょっと小走りで追いかけながら、僕は、
最後にもう一度、ずっと一面に菜の花を植えた畑をふり返ったのだ。

(2004.05.26)
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梅雨の合間のある晴れた日。昨日は薄いシャツだけでは少々肌寒かったから、
と羽織った半袖の上着が鬱陶しいほどの気候で、それは夕方になっても大して
変わりもしなかった。僕が普段すごしている個室は、ずうっと長い廊下に面し
ている。たまにナースが通る以外はあまり人の声の聞こえてこない部屋で、ど
うせ遠くにいけるわけでもなし、たまに廊下にでたりするくらいの自由はある。

背中に枕を押しあてて、いつもと同じように本をめくったり、それに疲れると、
栞も使わずに読みかけのページを下に枕元に逆さまに伏せて、ちょっとうとう
としたり、相変わらず変わり映えのしない部屋の中を眺めたり、定時の巡回を
待ったり、そんなことをして時間を過ごしていた。だから、貴方にとってはき
っと些細なことかも知れない小さなことが、僕にとってかけがえなく思えるこ
ともある。

入り口のドア、これは白に近いクリーム色に塗られていて、僕の顔くらいの高
さのところに、手を一杯にひろげた時の小指の先から親指の先までの丁度2倍
くらいの長さの正方形の磨りガラスがはめ込んである。そろそろ夕方になると、
建物の外の雰囲気が変わるから、なんとなく分かるのだけれど、そういった時
間帯だった。僕はいつもとはちがう雰囲気に惹かれてドアを開けはなった。

廊下に面したドアの向こうにあったのは、長い長い影。廊下のつきあたりの西
側の窓から夕日が差し込んでいたのだ。空はもともと青い色をしているのに、
朱色の夕焼けが重なると、さて何色になるでしょう。小さいころに習った単純
な足し算だ。青と赤をまぜると紫になります。紫色が好きな子供は情緒に問題
がありますか。単純な赤や青が好きでなくてはいけないのですか。

廊下のつきあたりの、開けることのできない冷たい窓ガラスにおでこを押しつ
けて、手の届かない空を掴み取りたいと思った。こんな綺麗な空を僕だけのも
のにして、好きなときにこっそり眺めたい。造花ではなく本物の花だけが持つ
のと同じようなきめ細かさを逃してしまいたくなくて、やがて空の色が薄暗く
なってくるまで、しばらくおでこをガラスに押しつけたままにした。まだ十分
に視界は届くのに、窓の下の駐車場では、緑色の水銀灯が光を放ち始めていた。

翌朝、頼み込んで駐車場までの短い散歩をした。昨日の名残がなにかみつから
ないかと思ったのに。水銀灯の下に落ちていた大水青も、昨日の空を見たのだ
ろうか。朝の空はすっかり新鮮で、昨日の気配など残ってもいなかった。

(2004.06.15)
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空を一番近くに感じたのは、自分がとてもつまらないものに感じていた時でも
あった。あとで周囲をさわがせることになったのでもあったが、その時にはそ
んなことに構う余裕もなく、ただ、高みを目指して登りたかった。乗り越えよ
うと思えば物理的には簡単に越えられたであろうフェンス越しに、地上の光は
ただ遠く、聞こえてくるのはただフェンスの隙間を抜けていく風の音ばかりで、
かなり気温も低かったはずなのに、不思議と寒さは感じなかった。


そこそこの都会であるはずなのに、地上の灯りが案外少なかったのは、先頃の
不景気の所為だろうか。昼間ならば見えるはずの桜の列が、暗い列として見え
ていた。今宵も脇を通ってきたあの疏水沿いではもう少したてば蛍がでるはず
で、馬鹿なカップルどもが我が物顔で闊歩するのだろうということに思いあた
ると、なんだかそれまで悩んでいたのが馬鹿らしく感じて、僕は服が汚れるの
もかまわず、空を見上げて寝ころんだのだった。

背中に冷たいものを感じながら、そして、そこにあるのが植物の茂みであるに
しろ、人間により作られたフェンスであるにしろ、自分の目の高さよりも上に
モノがあるだけで、自分はいま大地の上に居るという安心感がある。今でも何
故泪がでそうになったのかは判らないが、誰が見ていなくても同じように光っ
ているはずの、とりたてて存在を主張してくるでもない星を見て、その静けさ
に圧倒されていた。


空気の薄い山の上から夜空を見上げたことのある者でなければ、天の川が何故
に河であるのか判らないのではないか。未だ学生にもならず、生徒だった頃に、
大人たちに率いられて夏山に登ったことがある。雪渓を越えていくそれなりに
本格的なコースだった。もうすぐ下山という日に自然に湧出している温泉の近
くの山小屋に泊まり、無邪気にも夜遅くまで湯の中で満天の空を見上げてすご
した。それは輝かしいほどの光の量であり、未来ある僕たちを祝福していた。
非常食にと缶詰を持って登ってその重さに辟易していた友人は、朝方まで湯に
浸かっていて湯当たりを起こし、翌日の下山路ではへろへろだったのだが。


山といっても、その時に比べれば大した高さではない。昼間はサンダル履きで
も登れるハイキングコースにもなっている。しばらく夜空を見上げ、かろうじ
て名前のわかる星座をみつけたりしているのにも飽き、周囲に人気の無いのを
確認して、虚空に向かって大声をあげてみた。何を叫んだのか、今となっては
覚えてもいないが、だんだんと大人の事情というものに縛られはじめていて、
かと言ってさほど権限もない、学生という不安定な時期特有の焦りだったのだ
ろう。しばらく吼え続けるうちに疲れてきて、ようやく落ち着いたような気が
して、僕は山をおりることにした。空はもう白けはじめており、早朝の散歩な
のか道の脇にあるお地蔵さんに手を合わせているお年寄りにであった時には、
たとえようもない気恥ずかしさを覚え、少し足早に通り過ぎたのだった。


地は遠くにあり、空には近づいたはずなのに、やはり遠いままである。そして
同じように侘びしく光を放っている。地上と空と、そのどちらからも拒絶され
て、その疎外感が気持ち良かった。その事により、遠いはずの空に近づいたよ
うな気がして、少し嬉しくなった。いつかよりも少ないけれど、数えるには多
すぎる星をながめ、そして、あの時と同じように空が白けてくるころ、気恥ず
かしさを覚えながら高みより今度は地を目指したのだ。


僕の今いる施設では、垣にどうだんつつじが植えられている。秋の紅葉が好き
だという人も居るが、僕は春先の花のシーズンが好きだ。終わりではなく始ま
りの象徴だから。ひとつづつでは目立つ程でもないが、夜目にも白く小さなベ
ル型の花は、誰に媚びるでもなく、下を向いて咲いている。ずっと白一色の小
さな花が、秋に刈り込まれたドームの形に集まって春の星空を為している。漢
字で書くと満天星。僕はもはや地上にしばりつけられているからと言って絶望
はしないつもりだ。結局、太陽の助けを借りずに光っている星だって孤独なん
だし、手の届く地上にも星はあることを知ったのだから。

(2004.06.20)
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気付いたときに、貴方が枕元の椅子に座っていた。顔をみたら笑っていたので、
少し安心することができる。今日は外の天気がいいから湿気が少なくてすごし
やすいね、と貴方がいう。エアコンをかけていたら、そんなことわからない、
と僕が口を尖らせ、そうだったね、と貴方は苦笑する。水滴のつく程きーんと
冷えたオンザロックのグラスを考えながら、僕はひとつ質問をしてみた。

ねえ、この世の中で、一番透明なものって何だと思う?

… なぞなぞあそびか。そうだなあ、空気でどうだ。

ふうん、なんだかありきたりだな。つまらない。

… つまらんと言われてもなあ。正解ってあるのか。

いいや、ない。貴方が思う一番透明なものってなにか、教えてほしい。

… じゃ、オレの心。

たしかにそうなんだろう。自信に満ちた彼にとっては、未来は洋々と拓けてい
て、すこぶる見通しの良いものなのだろう。もしかしたら、だからこそ彼は輝
いて見えるのかもしれない。そういえば、未来に疑問を感じたりしないだろう
子ども達も、いきいきと輝いて見える。

貴方って子供だね。

… わるかったな、ガキで。

いや、誉めてるんだけどな。

… そうかい、それはありがとう。

ガラスの破片のように、時に透明なものは、僕の心に受け止めるには鋭利すぎ
ることがある。それは内包しているものたちを、容赦なく外にさらけ出してい
る。棲む魚を隠す淀みも時には必要なのに。ただ純粋であるよりも、琥珀だっ
て、小さな生き物を閉じこめている方が価値がある。悠久の昔からの植物の血
液の化石。溢れでた樹液に足をとられたとき、その小さな生き物たちは何を感
じてもがいたのだろう。焦り。絶望。その宝石の中に僕たちは誇らしいまでの
恒久の時の流れを感じ取り、焦り、羨望する。

話したいことがある。

… いったい、なんだ。

貴方は僕が黙っていると、ただ笑ってそこに居てくれる。話しかけたときには
返事を返してくれる。本当にそこに居てほしいときの、100回に1回くらい
はそこに居てくれる。だから、それから、僕はとっておきの秘密をひとつ、貴
方にうちあける。

… ふうん、そうなんだ。

それだけ?

… まあね、だって他に言いようがない。

もっと何か言って欲しい。

… 今までと同じように、今できることを今やる、それだけだよ。

ねえ、タバコをちょうだい。

… オレからはやれん。自分で買ってこい。

僕がタバコを買いに行けないのを、ちかくの自販機には僕の好きな銘柄を置い
ていないのを、貴方はちゃんと知っているのだ。

(2004.07.01)
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