今朝方見た夢・夢殿
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(321-330)−−−−+−−−−+−−−−+
彼女のメガネに叶う人間
ヒトのヒトたる所以にも人それぞれ考えが
週末の土日を使って学生の頃の友人数人を
近所のスーパーにふきのとうが並びだした
じゃんけん必勝法
贈る言葉
早春賦
これどうぞ、と、赤くて小さなトマトを
部屋にあった鯖缶と米とでリゾットを
目に青葉
(331-340)−−−−+−−−−+−−−−+
麦の穂があがりはじめた。
「つくし」を探せ
桜といえば白から桜色の花を
ふじむすめ
矢切の渡し
今日はゴールデンウィークの最後の日だから
ちっさいポシェットをズボンのベルトに
質量をもつ水がおしなべて同じ方向に
暗い夜道を歩いていた。ちょっと飲んでの
知り合いの教員から聴いたハナシ
(341-350)−−−−+−−−−+−−−−+
今日は見ません
赤が緑で緑が青で
あぶり出しにしてメールで送ります
田に水が張られて稲の苗も植えられて
他人のブラで相撲をとる
七夕記念、素数のハナシ
髪の毛を切ってもらいました
血のつながっていない妹が誕生日を迎えた
僕の通っていた中学校には
芸術の秋を気どって、少々
(351-360)−−−−+−−−−+−−−−+
まず痛み出したのは左の歯であった
小さな駅と大きい駅とあなたならどちらを
財布の中から、2500円分の御食事券が
ウェストポシェットにデジカメを入れて
北海道へ旅行してきたという方から
世の中ではリサイクルの重要性が叫ばれて
たまに常識はずれに遅い時間になることも
一説には仙人のくらうかすみとは酒のこと
クリは吸わない
化石を食らう
360
━−−−+−−−−+−−−−+−−−−+−−−−+−−−−+−−−−+−−−−360 

本のほんの1/3あたりの所に書かれていた、たった数行の言葉が赦せなくて、
ずっと追いかけていたはずの作家の、読みかけの本を放り出してしまったと聞きました。

私にとって、こいつはもうクビ。まあ彼にとって私にクビにされても、
きっと痛くも痒くもないでしょうけど。そう言って彼女は笑いました。
ずうっと私を惹き付けていたのに、底の見えてしまうたった一言を
不用意に書いてしまっただけでクビにされちゃうんだから、
作家って、恐い商売よね。そう言って彼女は笑いました。
清貧という思想が、おしゃれなブランドだったように見えちゃったわ。
自分でできもしないことをいかにもかっこよさげに言ってるんだもの。
それでいて、ホームレスの人がわずかばかりの物にこだわることを醜いと言うのよ。
まったくね、自分でホームレスを経験してみればいいのよ。
あんな大層なこと、言ってられないから。

彼女は本気で怒っていました。

彼女のメガネに叶う人間になるには、まだまだ修行が不足しているようであります。

(2002.02.18)
−━−−+−−−−+−−−−+−−−−+−−−−+−−−−+−−−−+−−−−360 

ヒトのヒトたる所以にも人それぞれ考えがあるだろうけれど、
火を使うことだったり、道具を使うことだったり、ことばを使うことだったりする。

ヒトではないけれど有名なチンパンジーのアイやその息子のアユムが、
また他のチンパンジーたちが、コンピュータの画面を利用した言語を学んだりする
様子をテレビなどで見たことのある人も多いだろう。「彼ら」が、
「思考・言語などヒトを特徴づける高次認知機能の進化を比較認知科学的視点から研究」
( http://www.pri.kyoto-u.ac.jp/koudou-shinkei/shikou/about/aboutj.html )
されていることは、よく知られるところとなってもいる。

それまで一つのことばを話していた人々が、神の罰によりそれぞれ異なることばを
話すようになる、というバベルの塔のエピソードも有名だろう。

ことばを話すこと、ことばで思考すること、ことばを読んだり聞いたりすること。

それが人間らしいことだと判っていても、きわめてうざったい時がある。
なんでこんなにことばが通じないのだろう。
どうやってこの気持ちを表現したらいいのだろう。
このことばは本当にぼくのおもっているとおりの意味なのだろうか。

ことばを知らないネコやイヌが、あるいはそういう時には
無性にうらやましくなることがある。
何もよけいなことを考えずに、あるいは感情を分析したりもせずに、
気持ちを曲げたり抑えたりなんかももちろんせずに、ただ感じたとおりに、
にゃあにゃあと、あるいは、ばうばうと吼え、尾を振り、誰かを見上げる。

「思考・言語など」がヒトを特徴づけるのならば、
ヒトでいることに疲れちゃっているのかもしれない。

なんてことを書いたりするのにも、やっぱりことばが必要なのであった。

(2002.02.20)
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週末の土日を使って学生の頃の友人数人を誘ってスキーに行ってきた。
温泉のあるスキー場(どちらも山にあるものだから、そう珍しいものでもないが)
を選んで、滑るのと温泉とを両方楽しもうという趣向である。

おもえば学生の頃は若かった。
ゲレンデについたならばほんの1分だって無駄にしてはいけない。
一日券を買ったらそのモトを取るなんてのは当たり前で、
たとえリフトの頂上についたのが営業終了の5分前でも、
あと1本は乗れるはずだ、と意気込んで駆け下りるのである。
当然、朝だってリフトが動きだす時刻にはその下で待機していなければならない。

スキー場のヒュッテなどでのんびりと昼飯を喰ったり、
あまつさえビールなど飲んでのんびりしているオトナたちを見ながら、
せっかくスキー場に来てもったいないなあ、なんて思っていたのであった。

明日に疲れを残したくないし、第一、体力自体も目減りしてきて
そんな滑り方ができなくなってくると、そういうオトナたちの行動も
自然と理解できるようになってきた。
まぁよくできているのは、体力は減っているけれどそれなりに技術もついてきて、
流して滑るだけならば、それによる体力の消耗というのがほとんどなくなって、
ペース配分が非常にラクになっていることである。

それはさておき、そういう年代になった同士でのスキー一泊旅行だったのだ。
まずは、申し合わせておいて、金曜の夜に仕事が終わってから僕の部屋に集まった。
僕の家はスキー場まで車で数時間あれば行けるところにあるので、拠点になるのだ。
といって友人たちは車で何時間も離れたところに居るし、仕事が終わってから、
ということで、集まれたのは結局のところ、夜の10時をまわっていた。
久しぶりにあわせる顔であったから、当然のこと酒肴も用意してある。
遅くまで話しこんで、翌朝は寝坊とあいなったのである。

もともとが少々朝寝をしてから昼すぎくらいに着いて半日滑って温泉でもはいろう、
という計画だったのだが、現地についたのはもう夕方になっていた。
滑ることに対する執着もあまりなくなっていて、温泉に入れればそれで良いとか、
宿についたら寝てしまおうとか、そんな感じの雰囲気になりかけていた。
しかし、いやいやそんなことを言っていてはいかん、と気を取り直して、
一風呂あびた後に、ナイターで滑りに行ったのであった。

実は、僕はナイターで滑るという体験がはじめてであった。
まあはじめに書いたように、朝一番からゲレンデに出て一日券が使える間は
ほとんど休まずに滑っていたら、夜くらいはゆっくり寝ないと体が持たない。
(夜だって、飲んで騒いで、というより、メシを喰ったら寝てしまうほうだった。)
照明されているゲレンデはおのずと限られるし、大したことはないだろうと
勝手に思っていたのだが、今回で、ナイターというのもだいぶ良いことがわかった。
そもそも泊まりで来ている客以外は帰ってしまっているわけで、だいぶすいている。
照明も均質で、起伏が見づらいわけでもないし、ゲレンデが単調なのを我慢すれば、
それなりに楽しめるのであった。それにリフト券も安いし駐車場代もとられないし。

温泉地の旅館といえば、結構な値段がするところももちろんあるけれど、
インターネットで探しておいたその宿は、民宿風の長期滞在型のところで、
都会のビジネスホテルほどの値段設定だった。特に気に入ったのが風呂で、
温泉の源泉からひいている(その温泉地は湯量が多くほとんどの宿がそうである。
ただし外湯しかないという宿もあるそうである。)という広い石造りの湯屋は、
一度に10人ほども入れる広さであったのが僕たち数人での貸し切り状態であった。

宿を切り盛りしていたのは僕たちとほとんど年齢の変わらない若夫婦で、
いろいろな話も聞くことができた。

いわく、女将さんは嫁に入ったのでそんなにスキーは上手ではなかったのだが、
子供が大きくなる前に莫迦にされぬようにと練習をはじめたら、面白くなって
熱が入ってしまって検定を受けることになったとか、その試験が明日だとか、
でもやはり地元のお母さん達には叶わないだとか。

いわく、この辺りでもどこそこの旅館はちょっと評判が悪いですよ、と。
実は宿を決めようとした際に、一番安いというふれこみの旅館に電話したときに、
いっぱいだからと断られた経緯があって、そのことを話したら、
あぁあそこはね、浴衣を出しましたから追加料金です、タオルを出しましたから
追加料金です、って具合で、以前そちらへ泊まったお客さんが文句言ってましたよ。
その調子じゃ、夕御飯を出したからと言ってまた追加料金をとるんですかね、
などという。さすがに料金に食事込みと書いてあったから大丈夫だと思うが。

女将さんや若主人のあとを、てこてことついて歩いている男の子がいて、
もう3才になるのだそうだ。さすがに客相手が普段の生活なのだろう、
極端な人見知りはしないようで、女将さんが、「この浴衣をお兄さんたち
(僕ら客のことだ)のところへ持っていって」というと、部屋の入り口まで、
てこてこと歩きながら持ってきてくれる。
「はい、ありがとう」と言うと、こくんとうなずいて母親の元へ帰っていく。

さて、土曜はそんなわけでナイターを滑ったあと、湯を使い早々に寝てしまった。
早々にと言いながら、ナイターで9時頃まで滑り1時間ほども湯を使っていたから、
それなりの時刻にはなっていたし、温泉に浸かるのも体力を使うものだ。

日曜はと言えば、早起きして朝食をとったあとすぐゲレンデに出る予定だったのだが、
案の定、目覚めるたのはそれなりの時間になっていた。
廊下の方でざわついている雰囲気で目が覚めたのだ。
他の部屋を若主人が片付けているのであった。
3才になる男の子も一緒にいるようで、きっと子供がなにかを言ったときに、
父親が、お客さんだから仕方ないだろう、とか言ったのに違いなく、
「ねえ、お父さん、お客さんってやだね」とのたまう子供特有の高い声がきこえてきた。
いやいや申しわけありません、朝寝坊なんかいたしまして。
内心で笑いながら部屋の仲間をおこして朝食をいただきにあがったのであった。

その後1日券を買ってゲレンデで2時過ぎまで滑っていたとか、
ゲレンデの上のほうは見晴らしも良かったとか、午後になってからは
こぶ斜面がアイスバーン状態で滑りにくかったとか、
引き上げるときに、ちょうど新たにやってきたグループに、
一日券を譲ろうとしたら、1枚につき1000円貰えてラッキーだったとか
宿の好意でその晩は泊まらないけれどお風呂を貸して貰えただとか、
土産にするべく温泉饅頭を探してちらつく雪の中を歩きまわったとか、
まぁいろいろあって、楽しく過ごせた一日であった。

土日にしっかり遊んでしまうと、翌週がやや辛い。
とは言え、すきなことをしているのだからとても充実していたのであった。

(2002.02.24)
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近所のスーパーにふきのとうが並びだした。

その時々の旬の野菜や果物から季節を感じとるのだろうけれど、
いつでも食べたいときにたいていどんな野菜でも手に入るから、
昔の人が感じたような季節感というものには乏しくなっているのかもしれない。
などと言いながらも、ふきのとうを見てもう春だなと感じたのであった。

ふきのとうは漢字にすれば蕗の薹で、蕗は北海道ではコロボックルが
傘代わりにしている野草だし、「これくらいのおべんとばこ」の中に
最後の一品として添えられている野菜だし、薹は春先に花をつけるために伸ばした
花茎のことで、「薹が立つ」なんてことばは、野菜から花茎が伸びて
食べ頃をすごすことから転じて、時機をすごすことの意味にも用いる。

ちょっと気どった店でふきのとうを天ぷらにして喰わされたことがある。
季節のものを、という心遣いなのだろうが、正直あまり美味いと思えなかった。
ふきのとうには独特のえぐみがあって、それが風味でもあるのだけれど、
丁寧に灰汁抜きをしすぎてしまうとそれが感じられなくなってしまうから
という理由であったかもしれない。さくさくとしたころもばかりを喰うようで、
紅葉の天ぷらなどと一緒で、季節のものを喰ったという満足感しかなかった。

ではどうやって喰うのを勧めるかというと、油味噌がいい。
比較するほど多くの調理法を知るわけではないのだが、小さいころから
喰いつけた味が、結局のところ一番美味いということになるのではないか。
細かく刻んで、油で炒めながら、味噌と適量の砂糖を加えてやるだけの、
非常に簡単なものだが、熱い飯にも、日本酒にもあうものになる。

実家の庭の一郭にわずかばかりの蕗が植えられている。
分譲した時に近くの山からの土を入れたそうで、山のものが案外とよく育つ。
なんの手入れもしないのにその蕗は毎年生えてきて、ほそぼそと茂る。
実家は少し山の地方になるので、もう少し先の話にはなるのであるが、
春先になるとわずかに何個かのふきのとうがあがるのである。
それは天ぷらや汁の実にする程の量はないので、いつも油味噌になるのである。

山からいただいてくればただのものを、店では結構良い値で売られている。
どうも買って喰うようなものの気がしないので、
一人暮らしをはじめてからは却って喰う機会がないような気もしないでもない。
店頭に並ぶふきのとうを、目のごちそうとしてのみ楽しんでいるこの頃である。


土筆について書くつもりがすっかり蕗の薹の話に尽くしてしまった。
その話はまた後日に。

(2002.02.26)
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じゃんけん必勝法

たしかあれは小学校の算数の授業だった。

今となっては確率の勉強だったのか統計の勉強だったのか覚えていないが、
クラスの全員が二人組になって、10回じゃんけんをするように言われたのだった。

じゃんけんをするとその結果は、勝ち、負け、あいこの三種類になる。
もしそれが完全に同じ確率で起こり得ると仮定するならば、
一度の勝負で勝ちを得る確率は1/3である。
引き分けた場合に再勝負をするという約束であれば1/2となる。

以下、引き分けた場合はそのまま引き分けにするというルールで話をすすめる。
2回の勝負をしたならば、1度のみ勝ちを得るというパターンが一番多い。
この確率は4/9にもおよび、実は1度も勝てないという場合の確率と同じである。
(ただし、引き分けた場合に再勝負をするというルールならば話は異なる。)
2度とも勝てる確率はたったの1/9しかない。

この辺りの計算はややこしいので省略することにして、
小学生の時に行ったじゃんけん大会の結果の期待値を次に示すことにしよう。
すなわち連続して10回のじゃんけんの勝負を行った時の、
 勝ちが0回の確率 0.0173415
 勝ちが1回の確率 0.0867076
 勝ちが2回の確率 0.1950922
 勝ちが3回の確率 0.2601229
 勝ちが4回の確率 0.2276075
 勝ちが5回の確率 0.1365645
 勝ちが6回の確率 0.0569018
 勝ちが7回の確率 0.0162576
 勝ちが8回の確率 0.0030483
 勝ちが9回の確率 0.0003387
 勝ちが10回の確率 0.0000169
となるのである。

10回連続のじゃんけんをして、10連勝することができるのは
10万人に1人か2人だけだと、上の確率は教えてくれるのである。

たしかあの時、担任の先生(が算数も教えていた)は、
おしなべてこの世のものごとは確率というものに従っていて、
10回のじゃんけんの結果、10回かける1/3で、平均しておよそ3度しか
勝てないのが普通であって、運がよくて4度、5度と勝てる時もある。
そう教えようとしたのではなかったか。

たしかに上の確率を見ると、20人に1人は6度は勝てることに
なっている。でも7度も勝てるのは330人に1人であるから、
クラスの中にはまあいないだろう、と思っていたはずである。

本当のところは、じゃんけんなどというのは伏せたカードをひいたりするのとは
おおいに異なって、心理だの癖だのに左右されるから確率になど従わない。
当時、僕はじゃんけんの必勝法を編み出していたのである。

必勝法と言っても、実は1度のみの勝負では役に立たない。
連続でなんどかじゃんけんをするときに、はじめの勝負で負けた方の手をだすと、
不思議と2度目は勝てることが多いのを、経験的に見いだしていたのである。
あるいは無意識では、グーとパーがその場にでていれば次はチョキを、
グーとチョキが出されていれば次はパーを、とその場に無い手を選びがちなのだろう。
僕はその必勝法を、負けるが勝ちの法則と呼んでいた。

さて、小学生当時の、そのじゃんけん勝負での僕の相手は、
西やんというあだ名のすこし猪突猛進型の性格の子であった。
1回目のじゃんけんで僕が勝てたのは、これは偶然であった。
(性格によりはじめの一手が変わるとも言うが当時はそこまでは考えていなかった。)
2回目は、僕は負けるが勝ちの法則に従って次の手を選び、そして勝った。

じゃんけんぽん、じゃんけんぽん、じゃんけんぽん、じゃんけんぽん、…
負けたことが悔しかったのか、どんどんそのリズムは早くなっていき、
そして僕は勝ち続けた。8連勝。

ちょっと待てよ、おかしいよ、ちょっと冷静になろう。
そう西やんは言って、手をとめた。そりゃそうだろう、
早いペースで無意識に手を選べば選ぶほど、負けるが勝ちの法則には勝てなくなる。
結局、のこり2回は一息いれた西やんの勝ちであった。

はい、じゃんけんは終わりましたか。
先生がそう問いかける。では、手を挙げて下さいね。
一度も勝てなかった人。はい、居ませんね。
では1回だけ勝った人。はい、これも居ませんね。
では2回だけ勝った人…
クラスのほとんどが3、4回の勝利で、5回勝った生徒はわずかだった。
6回勝った人。ああ居ませんか。では居ないと思いますが、7回勝った人。
これも居ませんね。念のため聞きますが、8回勝った人。

僕は内心勝ち誇って、手を挙げた。
クラスの中に、おおっ というどよめきがおこる。
いやいや、単に必勝法をこっそり編み出していただけで、
そんなに感心するほどのことでは…。

僕をふくめて2人が手を挙げていたのであった。
ええええっ。

彼が必勝法を知っていたのか、純粋に偶然8度の勝利を得たのか、
そのあたりはその後も確認していないままではあるのだが、
当時、かなり悔しい思いをしたのであった。

とかく、物事は予定通りには行かないものである。
もしかすると当時、担任も悔しい思いだったかもしれない。

(2002.02.27)
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贈る言葉

これから社会の中へ出ていこうとしている皆さんにこの言葉を贈ります。

実際には、進学してまだ他の学校で何年かをすごす仲間もいますし、会社の中
でばりばり活躍していく仲間もいます。進学する皆さんは、まだ社会へ出てい
くという意識はあまりないかもしれませんが、これからは、実際に「大人」の
一員としてあつかわれ、また社会人としての自覚を求められていくでしょう。

皆さんの目の前にある社会は、けして明るいだけのものではありません。世の
中のどこかでおきている紛争が、いつ目の前に迫ってくるかもしれないし、地
球上の人口が、地球が養うことができるぎりぎりいっぱいの人口だといわれて
いる100億人に達するのも、あと数十年のことです。その時に、食料やエネル
ギーが充分にあるでしょうか。さまざまな環境問題も、いくつかは解決に向か
っているでしょうし、いくつかは解決のためにさらなる努力が必要でしょう。

今後10年の間に、世界がどうなるかといった問題には、皆さんにはほとんど責
任はないかもしれません。けれどその先の10年、そして更にその後の10年の間
に、社会がどう変化していくか、ということは、皆さんの肩にその責任が負わ
されてくるのです。それが、社会人としての自覚の意味だと思います。

話の冒頭から、夢のない暗い話のようになってしまいました。もし皆さんが、
すべてのことに受け身で、なるようにしかならないと思っていたら、社会もよ
くなっていかないし、人生もつまらないでしょう。是非、貪欲であって欲しい
と思います。何かをやりたい、何かを達成したいと思ったときに、努力が必要
な時もあるでしょう。すぐさま手に届くものよりも、知恵を絞り、努力をして
勝ち得たものの方が、手にしたときの喜びはきっと大きいはずです。自分の限
界を自分で決めないで欲しい。貪欲に目的を達成して欲しい。いかで夢とし終
わるべき、とは、どうして夢のままで終わらせようか、いや終わらせはしない、
という強い決意なのです。意志あるところに途は通づる、とも言います。なに
か目的があったら、疲れるから、しんどいから、なんていう理由によっては手
抜きをしないで欲しい。

まだ若い皆さんのことですから、たった一度の人生なんていう言葉の意味がわ
からないかもしれません。まだまだ失敗や回り道もできます。失敗や回り道を
した分、それだけの経験が得られます。みなさんの人生においては、皆さんこ
そが主人公です。人と同じことをする必要はありません。自分の納得のいくよ
うに、なんでもやってみて欲しいと思います。

最後に、社会の中で暮らしているからには、人と人のつき合いが大事です。友
人を大切にしてください。上の者から受けた恩は、必ずしも上の者に返す必要
はありません。下の者の面倒を見ることで返してあげてください。

それから、たまにはまた遊びにきてください。皆さん、ご卒業おめでとう。


…こんな感じでいいっすかね、先生。

…ホント、お前、作文が上手いから助かるよ。
 プリントアウトしといてくれ。

…いいっすけど、卒業する学生にこんなの書かせていいんすか。

…まぁ、ほら、欲しいものは直接相手に訊けっていうだろ。

(2002.03.18)
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早春賦

いつの間にか春になっていた。

春の色といえばパステルカラーで、遠くに咲く菜の花の黄色と黄緑だったり、
やっと咲き始めの頃の淡い桜貝の色だったり、空に近いところから咲いている
ハクモクレンと同じような色の雲だったりする。その辺りに咲き出した花を数
え上げはじめたら、じっさい、きりがないくらいだ。

沈丁花の匂いがしてますね、と人に言われてから、ああほんとうだと思う。花
粉症であまり鼻がきかないせいもあるけれど、なんだか悔しい。枝に手をかけ
て顔を近づける。空気を吸い込む。大丈夫、この花の花粉じゃくしゃみはでな
い。梅の花の香りも本当は好き。

ずっと惰性でおんなじ格好をして歩いているときに、ふとコートが邪魔に思え
る。冬が来たときにはいつまでも薄着をしていて元気だと思っていたら今度は
春には厚着なんだね、と笑われた。外をひと歩きしてきたら、少し汗ばんでし
まった。そろそろコートを脱ごうかとおもっていたら春の風邪にやられてしま
ってちょっと喉がいがらっぽい。

スーパーのお刺身コーナーで、ホタルイカをみかけた。ホタルイカは季節が短
いらしい。きっと、春の味なんだ。そういえば学生の頃に無理して入った飲み
屋で活き作りのホタルイカを食べたっけ。あれは透き通っていて、透明な砕か
れた氷の上で小さな小さな腕をにょろにょろと動かしていた。半額シールの張
られたスーパーのホタルイカは茹でられいて、酢味噌がついていた。一緒に菜
の花を買ってきて湯がいてたべた。

何人かで笑いながら歩く。気の合うひとたちといると、何気ないことでも楽し
い。ちょっと小腹がすいてたこ焼きを買ってたべる。ねぎがたくさんはいって
いて、外側がぱりっとして、中がとろっとして、そしてあつあつ。一口にほお
ばるとなかなか飲み込めない。皆なにかを言おうとしているけれど誰も言葉に
なっていない。熱いたこ焼きを飲み込みかねたまま、皆で笑い転げる。

ふとカレンダーを見て、今月は11日の月曜は休みだったっけ、と思う。先週は
連休だっただろうか、と考え込んで、明日が休みの赤い文字になっていないの
に気付く。そうか2月のカレンダーをめくりわすれていた。曜日が同じだから
悪戯心をだしてわざとめくらなかったのに、自分でひっかかっていたらまった
くお話にならない。

春からいなくなる人の机の上が雑然としていて、もとからそんなに整頓はされ
ていなかったのだけれど、物が減ってきて、それがなおさらめだっている。皆
が帰ったあと、部屋の灯りをおとして僕も帰り支度をする。

春だから、というだけの理由で、なんとなく浮ついた気分でいる。

(2002.03.20)
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これどうぞ、と、赤くて小さなトマトをいただいた。
たなごころにすっぽりと入ってしまうほどの大きさで、
つんと尖ったへその、可愛い形のフルーツトマトだ。

ブリックス・ナインという商品名だそうで、
その名の意味するところは「糖度9」。
二口ばかりで食べてしまえるほどのそれは、
甘酸っぱくて、いちごを食べているかのようだ。

へえ、こいつは美味いや、と言ったら、
それじゃあと3つほども持って行ってよ、
と言われて、ありがたく頂戴してきた。

パクパク食いながら、ネットで検索してみて吃驚。
結構有名なトマトだったのだ。
なになに、一つ140円もするって。

げふっ

思わずむせ返る。
気管支にトマトが…

(2002.03.22)
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外へ出ると花粉がとんでいるからそこにあるもので済ませてしまおうと冷蔵庫
を漁ったが、見事に何もないので、かろうじて部屋にあった鯖缶と米とでリゾ
ットを作ってやらんと思い立った。

リゾットだのピラフだのというものを作るからには、お粥さんや焼きめしでは
断じていかんのだ。ただ、お箸の国に生まれ育ったがゆえに、米と言えば炊か
れた飯を思い浮かべる。そんな自分が、横文字の洒落たものを、よっしゃ一丁
つくってやろうかと思ったのだが、何しろその手順を知らないので、適当につ
くることにしたのだった。

たしか聞き及んだ話によれば、米を炊く前に炒めるという作法があったはずで、
それがなければおじやかお粥さんで、或いは炒めるにしても炊いた飯を炒める
のではそれは焼きめしなのだ。合っているか間違っているかは知らないが、そ
れが唯一の手がかりなので、それに従って炊爨に取り組んだ。

フライパンに米と、混ぜたときに米を濡らす程度の少し多めの油を入れ、加熱
をはじめる。せっかくだから、水煮の鯖をほぐしたものを加えて一緒に炒める
ことにした。米はもちろん生米を使う。それがゆえに、火が通ったかどうかは
なかなかわかりづらいのが難点でもある。まぁ喰えないものができるわけでも
なかろうと、一生懸命フライパンをゆすりつづけた。もちろんそれは、横文字
のリゾットを作るのであって、おじややお粥さんとは差別化をはからねばなら
ないからである。

しゃらりしゃらりとフライパンの上で米が踊る。ほぐされた鯖の水煮も良い具
合に水気がとんでいる。鯖を入れたからだろうか、風味を増そうと油にごま油
を用いたからだろうか、米はややきつね色を帯びている。火が通ったかどうか
確認するために米をすくって食べてみたが、はたしてまだ芯があるようで、も
う少し炒めることにした。

だんだんできあがってきたものに、なにか見覚えがあるような気がしたが、程
良く炒りあがったその米は口の中でかりかりと香ばしかった。となりのバーナ
ーで沸かしておいたインスタント出しを含む湯の中にその米をいくらか加えて
鍋で煮はじめる。醤油と日本酒を一差しして味を調えておく。米は煮上がるの
に結構時間がかかるようで、その間に片づけものなどもしておく。

炊きあがったそれは、果たしてリゾットと呼んでよい物なのか、どうも判断が
つかなかった。香ばしく、そして美味い。炊きあがる前に冷凍庫にあった刻み
葱を落としたのがよい塩梅だ。だが、どうも何処か洋食屋以外で喰った覚えの
ある味であった。思い出してみれば、玄米茶の茶殻の中のあの米を拾って喰っ
たのと同じではないか。どうも米を炒めすぎて霰にしてしまったようだ。

残った霰は茶漬けでも作るときに散らすとしよう。横文字の料理を作ろうとし
てした失敗もまぁ、お箸の国の人だからと言っておけば、まぁ取り繕えるか。

(2002.03.25)
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目に青葉

ここ数日胃の調子があまりよくない。コーヒーの飲み過ぎか、あるいは不規則
に思い立ったようにメシを喰ったりメシを喰ったりメシを喰ったりしていたの
がよくなかったのだろう。どうも後者のような気もするが。今週末には花見の
予定もはいっている。それまで花が散らでおるとは期待できないけれど、花を
見るだけではなくて酒も飲むだろうから胃の調子を戻しておかないとならない。
そんなわけで医食同源ということばを思い出しながら豚ガツを買ってきたのだ。

豚ガツ(てんでトンカツなどではない)とは豚の胃のことである。胃が悪い時
には胃を喰えばよかろうという理屈である。何故ガツなどという名称なのか知
らぬが、ガツガツ喰うからか、あるいは単にガットから来ているのであろう。
gutとは内臓のことで、ラケットに張るガットなどもこの語源のはずだ。ハツ
がハートから心臓を指すのと同じである。

さすがに普段喰い慣れぬものゆえに取り扱いもよく判らぬので調理済みのもの
を購った。生食用と書いてあるし、レイベルには「豚ガツ刺し」と書かれてい
るから、もしかしたら非加熱なのかもしれないが、喰ってみた感じでは、それ
は湯がかれていて一味とポン酢で和えられたもののようだった。ホルモン独特
の臭みがややあるもののそれもまた風味なるべし。歯触りもこりこりとしてな
かなか美味だった。

胃の調子が戻ったら次は時のものでもあるし初ガツオなどを山ほど買ってきて
喰ってやろう。今度は心臓と胃が同時に強くなってきっと長生きできるに違い
ない。

(2002.04.02)
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麦の穂があがりはじめた。

初夏から秋にかけては水田であるところにみっしりと生えていた青い草を、
これはみな雑草なのかねぇととある友人がつぶやいていたのは、
まだわずか2週間前のことである。

僕と同じくらい、下手をするともっと長くこの辺りに住んでいるのに
そういう勘違いはいくら何でもないのじゃなかろうかといささかあきれて、
こりゃあ麦だよほらこの辺りは讃岐ほどではないけれどうどん文化じゃないか、
と言いついで、麦が実っているところも見たことがあるだろうと問うてみると、
秋の稲穂は覚えているのだけれど麦の秋は覚えていないなあと頭を掻いていた。

メシを喰いに出るときなど普段の生活の中に通らぬはずのない田の端の道で、
目に入っていても見えていなかったりするのだろう。
かくいう自分も、毎日見えているはずのものが昨日と少し違っていたときに、
果たして本当に昨日と変わっているのか、あるいは一昨日あたりからすでに
その変化が現れていたのだろうかなどと問われれば、そこまでの自信はない。

2週間ほど前にはまだ雑草然としていた麦も穂を出す茎が伸び始めて、
ところどころ葉の付け根の節が露出しだすと穂がまだでも麦然としてくる。
何故なのかはわからないけれど舗装された道路に近い一列が一番成長がはやく、
まだ若緑色の穂をあげていたのにはじめて気づいたのは今日のことだ。

ちょっと日射しが夏を思わせるほどで、麦酒なんて単語を思ってみたり。

(2002.04.03)
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つくし

ひからびた筆先の甲羅模様がすっかりひらいていて、青大豆のきなこのような
胞子もおちきった土筆が土手の草むらから覗いているのを見て、そういえば土
筆の話を書くつもりだったのだと思い出した。

小学生の時の同級生にN君というのがいて、生まれつき耳が悪くいつも補聴器
をつけていた。子音のはっきりしないやや聞き取りにくい言葉を話す男の子で、
そのせいか内省的で引っ込み思案な性格だったし、何かを注意されるとすぐに
涙をこぼした。当時の僕から見ると甘えているように見えたものだが、それは
人にすべからく強くあれかしと言わんとするような傲慢さであったのかもしれ
ない。とはいえクラスの仲間はみな、彼はつまりそういう子供なのだと個性と
して受け入れて、それなりに仲良くやっていたように思う。

そんな彼は絵が得意だった。別段すごい絵を描くだとか油を描くだとかという
わけでもないのだけれど、素描にしたってあんなに気の弱い彼の描く線は実に
のびのびとしていた。低学年のときの図画の時間だっただろうか、休みか何か
の宿題だったのだろうか、ケント紙に鉛筆で絵を描いたことがある。その時に
自分が何を描いたのかは覚えてもいないのだけれど、N君が描いた土筆の絵は
口惜しさの思い出とともにまだ覚えている。その線画の土筆はネプチューンの
持つ槍のように、三つに分岐して空を見上げている。いかにも春を思わせる素
直な雰囲気がうつくしい。それはたしかに認めるのであるが、当時の僕には納
得がゆかなかったのだ。三叉に別れた土筆などみたことがなかったからだ。

でも土筆が途中で枝分かれするなんておかしいよ、僕はそう抗議した。実のと
ころ今でもまだ分岐した土筆の実物を見た覚えはない。一番それに近いのが木
賊で、全体が緑色をした木賊は土筆とは明らかに異なるけれど、その先端に胞
子嚢穂をつけると幾分かの相似点もある。これもそう頻繁には分岐しないのだ
が袴にあたる部分で枝を出す場合がある。だが、気が弱いはずのN君は珍しく
強気で、そういう土筆もあるのだと言い張るのだった。

遠巻きに見ていたクラスの中の何人かがN君の土筆の絵をみて、そういえばこ
ういう土筆も見たような気がすると言い出した。なにかの存在を示すのは比較
的簡単であり、ひとつでもその例を示せばよい。しかしなにかがまったく無い
ということを示すのは容易ではない。でも、ないものはないんだと食い下がる
僕に、その時の担任の先生が助け舟をだした。そういうことならひとつ民主的
に多数決を取ろうじゃないか。そして多数決の結果は、そういうものもあるか
もしれないということに落ち着いた。僕は激しく驚愕していた。真理の世界に
多数決がなんの役にたつのだろう。小学生の胸にそんな高尚な言葉はなかった
だろうけれど。まあそれが悔しくて雀ひゃくまででもないけれど、その時のこ
とを忘れないのだ。

大人になって、そういうことがありえないとも言い切れないと言うだけの余裕
もでてきた。それに別にあってもなくても言ってみれば大した問題じゃない。
植物学的な正確さなんていうものはその絵の中の大した要素ではなかったのだ。

あたりを見回してみたけれど、とうに季節は過ぎていて、ひからびたような土
筆しか見あたらない。これじゃ摘むほどでもないなぁ、と思いながらその草む
らの脇を通りすぎる。

(2002.04.04)
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桜といえば白から桜色の花を思い浮かべることが多いのだが、近くの学校の敷
地には、一本の緑色の桜が咲いている。教育機関らしい心配りなのか、幹には
その樹の園芸名を書いた札もさげてある。御衣黄という品種らしい。

いくつもの品種の桜が植えられていて、少しずつ時期をずらして一本ごとに花
が咲く。同一の品種をたくさん植えて一面の花盛りを楽しむのも良いけれど、
一本一本がすこしずつ違っているのもまた面白い。桜の代表といえば染井吉野
というのがどうも相場のようだけれど、僕は、真っ赤に萌えた葉の間に清楚な
白い花をつける山桜が一番好きだ。とはいえ、他の種類の桜でもそれぞれに見
るたびに嬉しくなるのは同じである。

今年はどうも温かくなるのが早かったようで(だからといって、すぐ地球温暖
化だとかに結びつけるのはどうかとも思う。だいたい、すべてが例年並に過ぎ
る一年なんてないんじゃないだろうか。)入学式を待たずにすっかり散ってし
まった樹さえある。とはいえ、遅咲きの八重などは、まだまだ見頃で、てのひ
らの上にちょうどのせられるほどのぼんぼんの、フリルのような縁取りのとこ
ろが僅かに緋色を帯びていて、どれをとっても互いに同じ形をしていない。風
に散らすのが勿体ないほどであるが、崩れかけた空からの雨に混じって冷たい
風に舞い落ちる舞い落ちる舞い落ちる花びらも、クローバーの緑の上にてんて
んと流されて、花は果てには散るもので本当に良かったと思い知らされるので
ある。

花が花であるひとつの所以は美しくあることで、人目を引くからこそその存在
価値があるともいえる。野にこっそりと咲く花でさえ、人の目とは限らず、虫
や鳥にその存在を知らしめている。それを見る目があるからこそに存在する風
景のように。もっとなまなましく言ってしまえば、生殖活動を行うための器官
であるから、それを助ける虫や鳥を招かねばならないのだ。緑色の花があまり
ないのもその理由によると思われる。葉に間違われてしまうようでは花の存在
価値がないのだろう。

インターネットを使って調べてみると、御衣黄という「とても珍しい」桜に関
するページが山ほどひっかかったので吃驚した。これは珍しい、とだれでも思
うからこそこぞって記事にする。そうやって溜まっていく情報からは、普通の
あたりまえのものに関する知識が案外抜け落ちていくのかもしれない。そもそ
も「緑の花は珍しい」という観念が僕にはあったけれどそれも思いこみに過ぎ
ないのかもしれない。イネ科、カヤツリグサ科、スゲ科などのように花弁を持
たない花はいわゆる緑の花であるが、それ以外の例は少ないのだと思っていた。
調べてみたところによれば、実際には、緑の蘭、薔薇、牡丹、梅などにはじま
って多くの品種があるようである。園芸植物という人の手の入った植物にとっ
て、生殖のための花という位置づけはさほど重要ではないらしい。そういえば、
白がかったうす緑色のオオデマリの紫陽花にも似た花序が近所の塀の上からの
ぞいているのを目にしたばかりであった。

(2002.04.17)
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ふじむすめ

近くの公園はろくに手入れもされていなくて、芝なんだか雑草なんだかわから
ない草に覆われているのだけれど、片隅にちょっとした立派な藤棚がある。雨
に晒されてくすんだ角材で組まれた棚に、二本の藤が絡められているのだ。そ
のひねくれた幹の太さから想像するに、その辺りで遊んでいる子供らの親たち
と同じくらいのよわいを重ねているのかもしれない。花色もそれぞれ異なって
いて、白と薄紫の房をつけ、ソフトクリームのチョコやイチゴ味とバニラ味の
ミックスと同じように、棚を二つの色に染め分けるのだ。そういえば、北海道
へ遊びに行ったときにラベンダーの香りのソフトクリームを食べたことがある
のだけれど、それと同じような色をしている。

昼休みなんかにちょっと厚着をしていると、風が恋しいほど暖かかったりする。
もう5月の声をきかんとするのだから、暖かという形容もないかもしれない。
藤の若葉の緑と周囲の木々、これはケヤキだったりカエデだったりするのだけ
れど、瑞々しい葉を伸ばしては木陰を作りはじめている。それが風が一吹きす
るごとに揺れる。音もなく。仮に擬音を充てるなら、しゃららら、しゃららら、
という感じだろうか。そして重なりあった葉やつぼみの隙間を通り抜ける。同
時に小さな光の粒も通り抜けて飛沫をあげている。

つい先ほどから、それぞれお茶かなにかのペットボトルを手にした女子高生く
らいの女の子が二人、藤棚の下に佇んでいる。お昼ご飯を食べにいくまえに誰
かを待っているのだろうか。お弁当を広げるでもなく、とりとめもなく話をし
ているようだ。和服を着ているわけでもなんでもない、いかにも今風の女の子
たちなんだけれど、ふと、藤娘という単語が僕の頭をよぎる。色づきはじめた
白と紫の花房が、簪の花飾りのように見えたのか、それが揺れる音がきこえた
気がしたのか。木々の葉から放出されるというフィトンチッドによって藤棚の
周囲が近寄ってはいけない聖域にまで清められてしまったかのように錯覚され
る一瞬。そして待ち合わせていた友達がやってきて、彼女らは立ち去ってしま
う。

相変わらず天気が良くて、太陽が少し眩しい。誰もいない藤棚からの咲きそめ
の花の淡い匂いが、ごくごくわずかに風に運ばれてくる。

(2002.04.23)
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矢切の渡し

卒業式のおわった日のことだった。もう十年以上も前のことだから、細かいこ
とまではあまり覚えていないんだけれど。謝恩会なんていう名目でクラスのみ
んなが集まって、一応恩師なんかも呼んだりして、開放感とともにおおっぴら
に酒を酌み交わす催しがあった。公式には初めてお酒を飲むはずだったけれど、
みんな飲み方をすでに知っていたりするのは、きっとよくある話なわけで。あ
まり大きくない旅館でぼくたちの他には客もいなかったから借り切ったような
形になっていて、けっこう夜が更けてからもなんの遠慮もなく騒いでいたりし
たのも、これまたよくある話なわけで。幹事によってそれぞれに割り当てられ
た部屋になんかほとんど誰ももどっていなくて、めいめいが好き勝手なことを
していたりして。ぼくはそこではまだウィスキーか何かを飲めるらしいという
話をききつけて、たとえば廊下に足を投げ出して何人かが話し込んでいるのを
すり抜けて、玄関の近くのホールにむかう。そこでは小さなカウンターがあっ
て、誰かが勝手に好きな濃さの水割りなんかをつくっていたりする。いくつか
のかたまりになって話をしていたり、そこにあるカラオケセットで歌を歌った
り、ぼうっと椅子にすわったりしている。そんな中でぼくの興味は俄然ひとり
の女の子にむかった。もともとクラスの中でもおとなしい感じの子で、なんと
いうかいつもはあまり存在感がないというか。痩せているくせに丸い顔に浮か
んだほんのり上気した下まぶたの見慣れない表情にちょっとどきっとしたのと、
もうとっくに部屋にもどって寝てしまったかと思っていたのもあって、ついな
んどもちらちらと横目で見たりしてしまう。ぼくは向かいの席のやつとコップ
に入った水割りで乾杯なんかを何度もくりかえしているうちに、その女の子が、
つとカラオケシステムに向かうのを目の端で捉える。へえ、やるじゃんよ、僕
は相方にいう。そしてはじまる熱唱。ちょっとおぼつかない足取りでマイクを
握りながら、予想外によくとおるでかい声で歌う矢切の渡し。連れて逃げてよ。
ついておいでよ。やあやあ、田へしたもんだよかえるのしょんべん。いやはや
まったくそう来るとはね。気持ち良さそうに歌い終わって、ふうっ、と頬をぬ
ぐって席へ戻る横顔を、思わず見つめてしまう。僕の頭の中では100人にも増
殖したその女の子が野菊の花を抱えていたりする。ははん。そういってうなづ
いたのは僕の向かいにすわっていた男で、急にだまっちゃったと思ったらそう
いうわけなのか、なんて大真面目な貌できいてくる。ちょっと意外だったから
ついね、ととぼけてみてもお天道さまはお見通しだと。とはいえ、結局何もな
かったこと以外は、まあくわしくは語るまい。昔にあった、淡い色の思い出。

(2002.02.26)
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今日はゴールデンウィークの最後の日だから、あたしが美味しいものでも作っ
てあげよう。彼ったら、いつも偏った食事をしてそうなんだもの。

牛や豚よりも鶏肉が食べたいっていうから、スーパーへ鶏の腿肉を買いに行っ
た。どう調理しようか、いろいろ思い悩む。オーソドックスに山賊焼きとかガ
ーリックステーキなんてのもいいけれど、いろんな食材をバランスよく食べて
欲しくって、炒め物にすることにした。なぜだかタマネギだけは冷蔵庫にあっ
たわね、あたしは思いだして、他の食材を物色する。茄子はあたしが好きだか
ら入れることにして、青いものも必要だから、ピーマンでもいれよっか。香り
が強いけれど、炒めてもしゃきっとした歯ごたえが残るからこれも入れよう、
と1本だけのばら売りのセロリも買う。あと、ボリュームもあった方が喜ぶわ
よね。それならば、フレンチフライもいっしょに炒めよう。野菜炒め系の料理
にフライドポテトを入れるというと驚くひともいるのだけれど、結構あうもの
なのだ。ちょうど冷凍食品が4割引きの特売だし、これなら余った分も手間を
かけずともレンジであたためて食べてもらえるし。

その他の食材もひっくるめて手に提げてスーパーからもどると、あたしの気分
はねじりはちまき、かっぽう着にたすきがけだ。もちろんかっぽう着なんても
のがこの部屋にあるわけでもないし、はちまきだって、しない。一応腕まくり
だけはしたけれど。そういえば炒め物を美味しくするコツのひとつは、素材の
大きさや形を揃えることだって聞いたことがある。大きさの決まっちゃってい
るフライドポテトに合わせていろんな素材をカットしていく。鶏肉も、少し解
凍しかかっているうちぐらいがカットしやすい。それから他の野菜も同じよう
なサイズにカットしていく。

バーナーとか鍋とかの数が制限されている中で、どれだけうまくいろんな料理
を同時に仕上げるか、そのときに使った道具の洗い物が丁度おわっているか、
それが腕の見せ所なんだけれど、まだまだ不慣れなあたしはなかなかうまくい
かない。いつも作るような品数の料理ならばそれなりに勘がはたらくのだけれ
ど、今日のようにちょっとがんばって皿数を増やしてみようとすると、とたん
に頭がついていかなくなってしまう。悩んでいても仕方ないので、とりあえず
みそ汁をつくりはじめる。だって、簡単なんだもの。具には小松菜と薄揚げ。
薄揚げは手揚げ風の豆腐の少し厚手のもの。5枚100円とかで売っているよう
なスポンジのようなお揚げさんよりもずっと美味しい。出しは昆布か鰹節で、
なんてめんどうなことはあたしには、ようやらないので、部屋の調味料ストッ
クの中にあったインスタント出しを入れる。手をぬくところは抜いて、その分、
べつの所に愛情をこめておけばいい。

そういえば、この海草サラダというやつは水で戻すように書いてあるから、後
回しだとまずいわよね。ボール代わりの小さい鍋に水を張って、そこに海草サ
ラダのモトというものをさらさらといれる。あれ、160円もしたのにこれしか
ない。水で戻すと増えるのか、一緒に入っている蒟蒻でできた麺風のものやド
レッシングが高いのか。まあ、いい。きゅうりも縦に3本のすじのように皮を
むく。皮の固くなったきゅうりを美味しくたべるためだ、と母に教わったこと
があるのだけれど、あたしはこの時にたつきゅうりの香りが好きだから、いつ
もこの飾り切りをいれるのだ。そして、斜めにうすく切ってから皿に並べてお
く。2本のきゅうりは、カレー皿くらいの皿の半分くらいになってしまった。
戻った海草は、ほとんどがワカメで、赤とか白のがあんまり入っていないので
ちょっとだけ損をした気分。それと細めのきしめんのような蒟蒻の麺と一緒に
皿に盛る。本当は食事の直前まで冷蔵庫できりっと冷やしておくといいのだろ
うけれど、冷蔵庫がいっぱいなので断念する。

そういえば餃子が好きだって言ってたわよね、なんて思い出して買ってきた生
餃子も、あたしが焼いておかなければ、食べてもらえる日が来ないかもしれな
い。テフロン加工なので少し遠慮気味にあたためたフライパンにすこし油をさ
して、餃子を並べる。さっきのみそ汁の鍋のフタをちょっと借用して、強火の
フライパンにコップに半分ほども水を注ぐ。水がとんでしまうころに弱火にし
てからきれいな焼き目がつくまで焼いてできあがり。こんなに簡単なのにな。

1本しかないフライパンをつかうから、炒め物と餃子の順番を迷っていたのだ。
でも、一応今日のメインは炒め物だから、そちらは出来立ての熱々を食べて欲
しいと思って、餃子を先に焼いてしまった。ようやく空いたフライパンで炒め
物にとりかかる。先ほど刻んでおいた食材をいれていく。先ずは鶏肉からいく
のがあたしの流儀だ。野菜は生でも食べられるけれど、とりばっかりはちょっ
とね。それからタマネギとかセロリとか、香りの強いものを入れて、火の通り
のはやい茄子とかピーマンが最後になる。さっき手のあいた間にみそにインス
タント出しと日本酒を加えて練っておいたものを味付けに加える。それぞれの
野菜はそれほどの量でもないのに、いろいろな種類を入れているうちにフライ
パンにいっぱいになっちゃっている。ありゃりゃ。それと、味噌がちょっと多
かったのか、ちょっとしょっぱいかしら。でも、ご飯のおかずだし、いいこと
にしてもらおう。

はい、できあがりよ、と一度言ってから、あたしは気付いた。他のおかずをつ
くっている間、とりあえず冷凍庫に避難しておいたフレンチフライを炒めもの
の中に入れ忘れたのだ。冷凍庫にいれるときに、これを忘れないようにしなき
ゃと、自分に確認しておいたのにまったくなんたること。冷静に冷静に調理を
すすめているつもりだったのに、案外いっぱいいっぱいになっていたのだろう。
うーん、どうしよう。炒めものにフレンチフライというちょっと意外っぽい組
み合わせが、あたし的にはちょっとポイント高いかなあなんて思っていたのに。
味付けがすこし塩辛いなあと感じたこともあって、無理矢理あとから加えるこ
とにした。やばいかなあなんて思いながら冷凍食品のポテトを、出来上がりだ
ったはずの炒め物の中に投入する。フライパンをゆすったその直後に、レンジ
で温めてからさくっと混ぜればよかったのにと気付くけれど、時すでに遅かり
し由良の助。船頭が100人もいれば船は陸をゆくことができるとも、ちょっと
独特なスープを作ろうとしたらたくさんのコックさんがいるともいうけれど、
さしづめあたしの頭のなかでは100人のへぼコックが調理しているような、わ
やわやした状態だったに違いない、なんていうのはちょっと言い過ぎかもね。

とりあえず凍っていたポテトもあたたまって、何故かラーメン鉢に鶏肉その他
炒めを無事もりつけて、炊きあがった(炊飯器が炊いてくれていたのだ。無洗
米だったし、あたしは何にもしていない。スイッチをいれただけ。)ご飯のほ
か、たっぷりのおかず(だって、この炒めものの他に、もたもたしている間に
やや冷えかけた餃子、海草蒟蒻サラダ、みそ汁、漬け物なんかまであるのだ)
の、しかも野菜たっぷり、一日20種類の食材もほとんどクリアな夕御飯ができ
あがったのだ。

ウーロン茶もポットで入れて、さあ、一緒にたべようね、遠慮しないでどんど
ん食べてね。ちょっと量が多いのは気にしないで、全部たべてね。残したりし
ないでね。残したりしたらわかっているわよね。ねえおいしいでしょ。これた
べて元気になってね。それでまた忙しい休みあけも乗り切ってね。

…なんてことを、考えていたのかどうか、定かではありませんが、デザートに
買ってきてくれていたイチゴの入るスペースがまったくありませんでした。や
れやれ。あまっていたその他炒めは、その後数回にわけて温めなおしておいし
くいただきました。

それから。
調理のあいだ、相方がずっと鼻歌を歌っていたのは、ご賢察なる読者諸氏には
すでにお気づきかもしれませんが、某雑文祭参加未遂作品ということで、割愛
いたしました。あしからず。

(2002.05.09)
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ちっさいポシェットをズボンのベルトにつけておりまして、その中に小さなメ
モ用の手帳とやはりポケットサイズのスケジュール帳とを入れています。モバ
イルなんちゃらなんていう面倒くさいものではなく、ほんとローテクなわけで
すが、(ペンがないと書けないけど、読むことはできる。電池切れなんていう
心配はない。停電するとつかえないのは据え置きがたのパソコンだけれど、モ
バイルならそれは関係ない、はず。)最近、ポシェットの中身としてデジカメ
が仲間入りして、すこし文明度が高くなりました。

このサイトの写真館の方へおいでになってくださる方にはお目にとめられたか
もしれませんし、なんどか文章にしたこともあったように覚えておりますので、
お気づきの方もおられるかと思うのですが、僕は一眼レフのカメラを趣味とし
てやっております。かつて大学生になってから旅行になんども出かけることが
ありまして、それでカメラが欲しくなったくちなのです。一番はじめには、ま
るでおもちゃのようなカセット式のフィルムを使うカメラを譲り受けて使った
のですが、写りもまったく良くないしすぐ嫌になってしまいまして、ほとんど
一度くらいしか使わずに別のちゃんとしたカメラを買い求めました。

ちゃんとしたと言いましても、いわゆるバカチョンのカメラでしたけれど、
フィルムも35ミリのもので、写りには非常に満足していました。キヤノンのオ
ートボーイの2世代目くらいのやつで、これは後に兄貴に譲ってしまったので、
今手許にないのですが、かなり愛着のあるカメラです。写真を撮らないひとで
ある兄貴に、このカメラなら簡単だし非常に使い勝手もよいから、といって
(ちょっぴり自己満足から)譲ったのに、その後ほとんど使われていないのを
見て、少々かなしく思いつつも、かと言って返してくれというのも変なもので
す。これを譲った時には、現在の一眼レフのシステムを入手していましたから、
自分にとって両方をもつ必要はないだろうとの判断があったわけなのですが、
フルマニュアルの一眼レフシステムと、フルオートのコンパクトカメラではそ
れぞれのニッチというか用途が微妙にずれていて、手放してしまってから、
微妙に不便な思いをしていたのでした。

そもそも僕の一眼レフシステムとは、いまは生産中止の憂き目を見たオリンパ
スのOMなのですが、結構軽くて小さいし、なによりも手の中で機械然としてい
るのが楽しいのです。オートボーイが手許にあった時には、つい手軽さからそ
ちらを使ってしまっていましたが、ほとんどそれとおなじくらいの感覚で使え
るシステムでもあります。ただ、マニュアルフォーカスなので、そして絞りや
シャッター速度を手動で設定するので、一枚の写真を撮るのに掛ける時間は少
し長いのです。僕はその時間が好きです。仕事としてならば別ですが、素人が
趣味で一眼レフシステムを持つのに、重い高性能な自動のカメラを使うなんて、
僕には理解できません。高いカメラを持っているという物欲は満たすかもしれ
ないけれど、被写体に向けたカメラのスイッチを押すだけだなんて、なんて勿
体ないんだろう、と思ってしまうのです。果物のたくさんとれる南国に住みな
がら缶詰やらジュースやらしか飲んだり食べたりせず、ナマのフルーツを味わ
わないようなものだと思うのです。と、また少々自己満足ですが。まぁ、それ
はともかく。

フルマニュアルの一眼レフシステムは、趣味で楽しく撮るには良いのですが、
実際には若干ながら機動性にも欠ける場合があるのです。なにより、写真が失
敗したときに、カメラのせいにできない、という致命的な欠点?もありますし。
そんなわけで、かすかに不便な思いのする中で、サブカメラを買おうか買うま
いか悩んでいたのではあります。例えばリコーのGシリーズだとか、フジのテ
ィアラだとか、かなり買ってしまいそうになったカメラもたくさんあります。
こういうものは買おう買おうと考えているうちが華なのだと自分に言い聞かせ
てなんとかこらえていたのでもあります。とかいいながら、じつはAPS式のカ
メラを買ってしまったという前科もあります。でも、結局つかってないんだな。
大々的に売り出した割には、ダメだねあのシステムも。ディスクカメラとかと
同様に消え去る運命なのかもしれない。おおっと余談。

デジカメなるものが巷に出回り始めた頃は、はっきりいって、性能がいまいち
でした。いや目的を限れば充分な性能だったのかもしれませんが、僕が欲しく
なるような性能は業務用の高価なカメラにしかなかったりしたのです。それが
最近、カメラのコストパフォーマンスが、かなり成熟しつつあるように思いま
す。で、買っちゃいました。フジのファインピクスです。金属の筺なんです。
きらきらしてるんです。これがうれしいんです。軽くて小さすぎず丁度手のサ
イズなんです。これもうれしいんです。軽快なんです。おおすばらしい。僕の
需要としては、ニコンとかキャノンとかからでている何十万円するような一眼
レフより重そうなカメラをデジカメとして持つ必然性はなかったので、そうい
うやつは選択肢にありませんでしたが、それよりちっちゃいデジカメがいつの
間にかいい感じになってきてるじゃないですか。

ポシェットの中に入れっぱなしではつまらないので、機会をみては取り出して
ぱしゃぱしゃとっています。フィルムを使わないので、失敗すれば消去すれば
よろしい。パソコンの画面いっぱいにのばしても問題ないサイズの写真でも
300枚近くとれるので、どんどん撮れるのです。それで、言われました。なん
でそんなにきゅうに写真を撮りだしたんですか。答えました。買ったばかりで
ついうれしくて。そうなんです。ついうれしくてこんな文章まで書いてしまっ
たのです。ええ、自慢です。不肖の孫ではありませんが可愛いんです。しばら
く写真館の方の写真はこのデジカメで撮ったものにしよっと。えへへへ。

買って数日で、300枚近い写真を撮ってみて、デジカメを使う上でも、一眼レ
フのマナーが生きていると感じると同時に、自分には一眼レフカメラでしかと
れない呼吸の写真もあることは痛感しておりますが。でも、銀塩カメラのシス
テムというものが、これからどんどんマイナーになっていくだろうなあという
予測はつきます。カメラを勉強したければ、単焦点レンズで始めるべきだ、な
んていいながら、おおかたの人は便利にいわゆるズームレンズ(バリフォーカ
ルっていうんでしたっけ)を使っていますし。今更、カメラの基本は銀塩だよ
ね、と言ってもそのうち通じないようになるんじゃないかと。ま、デジタル時
計より針式の時計が好きなくちですから、しばらく浮気したのちに、また一眼
レフのシステムに心が揺れ戻るのかもしれませんが、しばし、あたらしいおも
ちゃに熱中してみます。

(2002.06.05)
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質量をもつ水がおしなべて同じ方向に動き出すのが流れであり、うねりである。
水に浮かべられた木の葉は波に翻弄され流れにのる。その脈動を遮るようなも
のがあれば力いっぱいに抵抗し、場合によっては押し流し、また場合によって
はひどく器用に迂回してしまったりもする。海原のただなかに相対する二つの
流れがぶつかると渦となる。右からやってくる流れは左からやってきた流れに
惹かれるかのように互いに一点をめざしてうねる。やわらかい粘土のようにこ
ねられて返されて泡立ちながら、水はその流れの下へともぐりこむ。上からみ
るかぎりにおいて吸い込まれるように見える水も別段消えたわけではなくて、
透明なはずの水流の下でぬくぬくとあばれつづけるのである。

そんな水の渦の中に辛くも浮かんでいたそれは、渦の回転に逆らうすべももた
なかっただろう。渦の中心に引き込まれそうになりながらも、辛くも、その浮
力をもってわずかながらの抵抗を示していたのには違いない。あきらめわるく
も浮かびつづけようとしていたそれを、とうとう引き込んだのは、ケルプのよ
うな濡れた布。重くぶんぶんとまわりつづける水と同じほども重さをもつ布の
端にからみつかれてそれは、とうとう沈んでいったのに違いない。後から後か
ら加えられる捻りの力は、水の質量と布の枷のしつこさをもって、大いなる破
壊力となった。そもそもそれはそのような力に耐えるようには作られてなどい
なかったのだ。

無惨にもへし折られた断片は白い断面から赤い染みを移した。やっと静かにな
り、ひいていった水に残されて、からみついた布地の中に。撥ねたスプリング
が、からからと鳴る。ゆっくりとゆっくりと染みだしながら、最期の存在の証
明をおこなわんとして。次いでやってきた日の光の中で、褪せることのない印
として、くっきりと痕を残す。洗濯をするときはポケットの中味に気をつけよ
う。ボールペンのインクは洗っても落ちない。

(2002.06.07)
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暗い夜道を歩いていた。ちょっと飲んでの帰りで、繁華街をはずれると、とた
んに暗い道ばかりになるのは、田舎ゆえ仕方のないことである。春になって、
夜道もそんなに冷えなくなってきて、酒気をおびた躯体に外気が心地良いくら
いだ。自転車だって飲酒運転になるから、というより本当は、自転車の調子が
よくなかったので、飲み会にいくときにはひとに車で送ってもらっておいて、
さすがにこんな時間では人に頼むわけにもいかなくて、帰りをぽてぽてと歩い
ていたのだった。

歩道も車道もない舗装された道のまん中を歩いていると、後ろから自動車の音
がきこえてくる。自分のことは棚にあげておいて、こんな時間に外出している
バカは誰だろうといぶかしがる。それから慌てて端に避けると、かなりのスピ
ードのままぷおーんと自動車が通りぬけていく。こんな時間に人影のあろうと
は予想もしていない跳ばしかたである。やああぶないあぶない。

自動車のヘッドライトは、暗闇を切り裂いていく。暗闇の中に浮かびあがる黒
いアスファルト、そして路肩。丁度、俺の横を通りぬけるとき、畑のすみに植
えられた花にライトがあたる。赤紫色の、左右対称な花弁を持つ単子葉植物。
蘭の花は、じっと見ているとなんだか貌のように見えてくるような気がする。
もっとも、何をみても人の貌に見えるのは、それが人間にとって一番関心の高
いものだからだそうだが。俺にとっても人が関心の的であるということか。そ
の花の名は、紫蘭も、たぶん少し赤い貌で、笑う。

(2002.06.09)
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少年老いやすく

知り合いの教員から聴いたハナシ。

化学の試験の中で、専門用語の英単語を答えさせる問題を作ったそうだ。
たとえば、こんな具合だ。
次の言葉に相当する英単語を答えよ。
a) 三重結合  b) 結合角

a) は、四日市市ではなく津市が県庁所在地である三重県とは、何の関係もなく、
隣りあった炭素同士が三本のウデで結合しているようなものを言う。
その知り合いの教員の上司の、これまた教員が本を書いたときに、
「結合というのは原子同士が手をつなぎあったような状態をいいます。
二重結合というのは、両手をつなぎあったような状態をいいます。
三重結合というのは… 読者の皆さんのご想像にお任せいたします。」
などと書いて、読者から非難の葉書をもらったことがあるそうだ。
どういう意味で非難されたのか、よく分からないが。

その答えは triple bond であるのだけれど、学生の一人が、
triple pond と書いていたらしい。三重沼。地名にもありそうなのが笑える。
ただし、Yahooで検索してみたが、三重沼ではヒットしない。
三重池でかろうじて数件のヒットがあったが、
中尊寺だの平泉だのと書いてあったから、三重県とは関係がなさそうだ。

b) の結合角というのは、3つの原子が並んでいるときに、その作る角度のことだ。
そういえば、水はまっすぐな分子ではなくて… というのを習ったことがある。
曲がっていようがまっすぐだろうが、目に見えないものを云々するのが、
化学というやつなんである。とりあえず僕にとって、水は冷えていれば充分だ。

結合角という専門用語を知らなくても、これは英訳できる。
結合が bond であるというのは a) で分かったから、それを用いて、
bond angle とやればいいだけのハナシなんである。

また別の学生が、bond anger と書いたそうだ。
立ち上がれ、そして、怒りを結集せよ。
その教官はいたく rage だったという。
こんな答えもあったそうだ。bond angel。
ボンドガールを想像してしまい、ガクっときたそうだ。

そのハナシをきいて、学生はボンドガールなんて言っても
きっとわかるまい、と僕は思ったけれど。

(2002.06.13)
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弄れないなら触るなとおっしゃる人がいましたので、敢えて触れてみる。
弄(いじ)れないなら、と読ませたいのでしょうが、どうも僕の頭の中で、
もてあそばれないなら、と読んでしまいます。それなら送り仮名が違うのですが。

…世界杯、日本が決勝へ進めるかどうかかかってる試合だよ。

…えぇ〜、でも、俺、興味ないし〜

…だめだよ、今日のうちに見とかないと。

微妙にすれ違ってます。明日も見ません。
まぁ、勝ったそうで、よかったよかった、らしいです。

(2002.06.14)
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以前、<font color="#C0FFEE">コーヒー色</font>は水色であることを発見
して喜んでいたのだが、今回は、赤が緑であることを発見した。
更に、赤が青でもあることがわかったのでここに報告したい。

なお、赤が緑であり、赤が青であることについては、これはブラウザにイン
ターネトエクスプローラを用いている場合に観測できる事象であった。ネス
ケ6では再現できなかったのである。残念ながら。

では、さっそく実物をみていただくのが良いだろう。

<font color="red"  >赤</font>
<font color=" red" >赤</font>
<font color="  red">赤</font>
すべての環境で今回の発見を再現できるわけではないようなので、左の部分 には僕の環境でIE6が表示した様子の画像を示し、その右にはhtmlタグを表 記した。(この区別は、ドラッグしていただければ一目瞭然だが。) htmlを使ってウェブページのソースを記述する場合、色の指定の仕方には2 種類がある。一番簡単で、直感的にわかり易いのが、色の名前を書いてしま う方法だ。color="red" なんて書くのがこれに相当する。 もう一つには、C0FFEE色の時(オーではなく、ゼロを使っているので、正確 にはコーヒーではないかもしれないが。)と同様に、"#"ではじめた6桁の 数字を用いる方法である。数字と言っても、0〜9の他に、A〜Fまでを含んだ、 16進の数字である。この6桁を2桁ずつ3つにわけて、それぞれがモニター 上の色の三原色に相当するred, green, blueの明るさを決めることにより色 が表現されるのだ。 はじめの方法が直感的だが、欠点もある。予め約束されていない色名を解釈 してくれないのだ。さもありがちな、Red やら Blue やらは良いけれど、他 の色はどういう色があるのか知らないと記述できないのだ。そういう時のた めに、色名とその色との対応をコンテンツとしたウェブページなんかもあっ て、参考になる。また、色名のスペルを一つ間違えるだけで、正しく認識さ れなくなってしまう危険もある。 今回の発見もそのような誤解釈に起因するものだろう。IMEによる予期せぬ単 語の誤変換といいコンピュータもなかなか味なことをしてくれるものである。 おそらく、次のようなことが起きているにちがいない、と僕は推測する。 まず、IEは、記述された色名を参照して、「red」という文字列が、「#FF0000」 という色(すなわち、赤)であることを知り、1行目を赤文字で表現する。 これはhtmlの仕様通りの動作である。問題は2行目だ。「 red」という、 空白文字から始まる色名は登録されていない。人間がこれを見た場合にはこ れを「余分な空白」+「red」と認識して解釈することができるのだが、コ ンピュータでは登録された通りの操作からひとつでもはずれるとうまくはた らかないのだ。そこで、エラー回避の処置がなされることになる。 ネスケ6は、この場合に空白文字を削る処置をして、正しい色名になるかどう かの判断をしている。したがって、2行目も3行目も「余分な空白」+「red」 として認識し、赤い文字で表示してしまうのであるのだが、そのあたり、IEは 期待どおりにやらかしてくれるのである。 登録された色名に無い文字列は、「"#"ではじめるべき6桁の数字であるが、 "#"を書き忘れたものである」と解釈してくれるらしいのだ。これは、html の仕様では、color="#FF0000" と書いて初めて赤色を表すように決められて いる(と思う)のに、実際には、color="FF0000" と書かれていても赤色を 表示してくれることからも予想がつく。この過剰な?サービスは、なんとIE だけではなく、ネスケ6にも共通していた。しかも、A〜F 以外のアルファ ベットは、勝手にゼロと解釈してくれるのである。(だから、前述のC0FFEE (シーゼロエフエフイーイー)を、COFFEE(シーオーエフエフイーイー)と 記述しても、どちらでも差がないということにもなる。)更にもうひとつ。 6桁よりも短い文字列には後ろにゼロを補い、長い文字列は削ってくれる。 …のだと、推測されるのだ。 というわけで、「 red」という文字列は、「#00ed00」という色に、すなわち これは緑色(厳密には "Green"は「#008000」、"Lime"が「#00FF00」)とし て表現されてしまうし、「  red」は「#000ed0」と読まれてしまう。 00-0e-d0と3つに区切った場合の2番目は十の位がゼロだから、ほとんどゼ ロに等しいので、すなわち青(同様、"Blue"は「#0000FF」)として表現され てしまうのだ。 そうやって原因の予想がついてみると、当たり前のような気もする。しかし、 red と書いても緑や青になってしまうのを初めて見かけたときは本当に吃驚 したのであった。間違った記述がなされていても、それをなんとか解釈して なるべく期待に沿うようにしてくれているのだろうが、ここでわざわざエラー 回避処置をしていなくても、せいぜい色指定が無効になるだけだろうに勝手 な解釈をして、それは間違いだと言ってくれないのは、却って迷惑で、余計 なお世話ではないかという気もするのである。 自分では初めての発見であったから、こんなことをデミックな雰囲気を装っ て長々と書いてしまったが、ガイシュツでしたら済みません。ホント。 (2002.06.17) −−−−+−−−−+−−−−+−−−−+−−━−+−−−−+−−−−+−−−−360  僕は、一体どうしたらいいでしょう? ----- Original Message ----- 送信者 : 宛先 : <shinakaji@geocities.co.jp> 送信日時 : 2002年6月28日 20:31 件名 : ごめんあそばせ > 前略。 > > まさとさま。 > > 先日お話していて、そのあととても素敵な冗句(あえて漢字で書かせてい > ただきますね)を思いついたんですよ。ただで教えてさしあげるのは勿体 > 無い(失礼!)ので、あぶり出しにしてメールで送ります。下の枠内をプ > リントアウトしてから、紙をあぶってみてくださいな。 > > ┌───────────────────────────────┐ > │                               │ > │                               │ > │                               │ > │                               │ > │                               │ > │                               │ > │                               │ > │                               │ > │                               │ > │                               │ > │                               │ > └───────────────────────────────┘ > > #どんな内容が出てきたか、後でこっそり教えてくださいね。 > >                              かしこ > (2002.06.28) −−−−+−−−−+−−−−+−−−−+−−−━+−−−−+−−−−+−−−−360  田に水が張られて稲の苗も植えられて、ようやく初夏らしくなるかとおもい きや、なんだか肌寒い日が続いていた。葉の数も増える間もなくひょろひょ ろと水面を割る早苗は、黄韮のように黄緑がかっていて、今年は不作になる んじゃないかと要らぬ心配をしてしまったりする。 元気がないといえば近くに生えている毎日見上げる銀杏の木もそうだ。ゴー ルデンウィークもすぎたあたりになってから、せっかく芽吹いた若葉をこそ げおとすかのように枝打ちされてしまったのだ。茂りすぎた枝や落ち葉が近 所の住人の迷惑になるからということで、思い切った剪定がなされたのだが、 周囲の木々が青々と茂るなか、ほとんど丸坊主のまま、電柱のようにつった っていた。つい最近になって、どこにその芽を隠していたのかしらないが、 ようやく今更ながらの若葉を展開しつつある。 夕方、ふと木を見上げた。なんだがんばってんじゃん、こいつも。たとえス タートが遅れても、少しばかり条件が悪くても、文句を言っているヒマがあ ったら葉の一枚でも余計に開けよ。そう言われた気がする。ちょっとばかり 古くさくても魯鈍で辛抱強い方が1億年以上生きのびてるんだよな。 ごめんなさい。今日の昼間すこしいらいらしていました。ようやく自分をふ り返る余裕を見いだしてから、いらいらしていた自分が莫迦らしくなりまし た。田に水の張られた翌日にはすでに煩いほどに鳴いていた蛙の声を聞くに つれ、こういうしぶとさっていいなあと思ってみたりしました。 (2002.07.03) −−−−+−−−−+−−−−+−−−−+−−−−╋−−−−+−−−−+−−−−360  他人のブラで相撲をとる one little, two little, three little indian, four little, five little, six little indian, seven little, eight little, nine little indian, ten little indian boys. (この音楽が頭の中を駆け巡っている。Wカップも終わったのに。) ten little, nine little, eight little indian, seven little, six little, five little indian, four little, three little, two little indian, one little indian boy. あたまの中で曲が流れる。 歩きながらついつぶやいてしまう。 ”理想と現実だいぶ違うから 夢から醒め… ” (あぁ、いかんいかん。  これもそれもあれもどれも某Oさんというサイトオーナーが  教えてくれたフラッシュが原因なのだ。) あのオッサンは一体なんやねん どれが好きかと訊いておいて 素直に答えた子供の答えに いちゃもんつけるのでーす。 (そもそもあれはいかんよ、と僕などは思う。  ねえ、まったく。) なんのことやらわからないって。 いいんですいいんです。わからなくっても。 なんだか結構話題になってて テレビでも紹介されたらしい、し。 ちなみにちょっと痴性^H^H知性のほうを ほんの少しだけアッピールしておくと、 そもそもブラっていう単語は フランス語の bras(腕)からきてるんでーす。 ワールドカップとブラの間の 関係を熱く語るサイトもある。 お気に入りの猫星通信とかで ブラ祭開催中。 ワールドカップの収束とともに、 ひとつの季節の終焉をむかえるのが ほんのすこしだけさみしいような 気もしたりするんでーす。 なんだか今回の文章の中での ブラの扱い、中途半端。 書いた本人がへたれすぎるから ”そんなの微妙すぎ〜” ラーララ、ラーララ、ラーララ、ラーラ ラーララ、ラーララ、ラーララ、ラーラ ラーララ、ラーララ、… fade out. (2002.07.05) −−−−+−−−−+−−−−+−−−−+−−−−+━−−−+−−−−+−−−−360  七夕記念 2や3は素数だけれど、非常に単純な数であるような気がする。5はその次の 素数だけれど片手の指の数であるから、これも基本的な数字であるという認識 がある。それで7という素数が神秘的であると感じたのかもしれない。1週間 は7日間と決められている。 週が7日であるということは、考えてみれば実に便利な面があるのだ。 例えば週が6日しかなかったとしよう。もし僕がネクタイを2本しか持ってい なくて、それを日替わりで使用したのだとする。日替わりにすることで外にお 泊まりしたわけではないことをアピールしているわけである。毎日毎日、顔を あわせる上司の人には、僕がネクタイを2本しか持っていないことはすぐにば れてしまっているだろう。まあ上司の人はどうでもいいことにして、日曜ごと に(週6日にしたとしても日曜は残してもらうという強い希望のもとに話をす すめるのであるが)逢う人がいたとしたらどうであろうか。毎回毎回、いつも 同じネクタイをしているのね、になってしまうのである。たなぼた的に、それ でもって、いいわあたしがネクタイを買ってあげる、という塩梅になって、ネ クタイが3本に増えたとする。それでもって毎日ネクタイを交替でしたとする。 けれど、なんと恐ろしいことに6は3でも割り切れてしまうのである。でもっ て、あたしがせっかくネクタイを買ってあげたのにまたいつも同じネクタイな のね、になってしまうのである。 ところが7は3で割り切ることができない。2でも、4でも、5でも、まして や6でも。ビバ。3種類の日替わりにしたとしても、最初の日曜にAがあたっ たとすると、次の日曜にはB、次の日曜にはCがくることになる。このすばら しさがお判りだろうか。 というわけで、スクランブルエッグとゆで卵と卵焼き、ソーセージとベーコン とハム、ひじきときんぴらと煮染め、全部一緒に並べなくてもいいと思うので、 朝のバイキングのメニューをせめて3日交替でいいから少しはバリエーション をつけた方がいいと思うのです。>某食堂。 (2002.07.07) −−−−+−−−−+−−−−+−−−−+−−−−+−━−−+−−−−+−−−−360  髪の毛を切ってもらいました。 4ヶ月ほど無精しているうちに、モップのごとく伸びていた毛を、そりゃあも うばっさりと切りました。いい加減、風通しがわるくて鬱陶しくおもっていま したので、横と後ろは刈り上げてしまいました。一方では、無精ひげを口のま わりから顎まわり、もみあげにつづけて伸ばしていますので、見る人が見ると、 短髪・髭のスーパーガッカリ系に見えなくもないような容姿なわけです。 そんな風に髪を切ってもらっている最中に、牛乳とか飲むと髭が白くなるんで すか、と美容師さんに尋ねられました。正直いいまして、無精ひげの中に白い 房が混じっていて、少々気になっていたもので、牛乳を飲むことと、髭が白髪 になることの関係があったのかどうか考えてしまいました。いやあ、関係ない と思いますよ、というのがその時の僕の答えだったのです。 美容師さんが笑っていいました。いや、そうじゃないんです。ほら牛乳を飲む と、口のまわりに…。ああ、なるほど、でも僕は牛乳は紙パックのものをスト ローで飲みますからねえ、あまり髭は白くならないですよ。ええ、そうなんで すか、似合わないですねえ、牛乳なんかほら、ジョッキでぐいぐい飲んでいる イメージだったんで。笑。 ビールなら判るのですが、何故、牛乳だったのでしょうか。そんなに僕が健康 そうな骨太に見えたのでしょうか。まぁいいや。見かけは頑丈そうな割に、お 約束のように髪の毛を切ったあと決まって体調を崩すのはなんとかしたいと思 いました。ジョッキで牛乳でも飲んでみようかな。でもきっと今度はおなかを こわすのがオチなので、やめておこう。 (2002.07.17) −−−−+−−−−+−−−−+−−−−+−−−−+−−━−+−−−−+−−−−360  血のつながっていない妹が誕生日を迎えたのがつい先日のことである。別に継 父や継母の連れ子だとか、そういうややこしい事態なわけではなく、言ってみ れば赤の他人なのだが、年の離れた、いわば妹格なのである。 その彼女が、四捨五入したら「ハタチではなく」なってしまった、と嘆いてい たので、あることを教えてあげた。それは、四捨五入について一般的に社会か ら受けている誤解についてである。 たとえば、ある数字を小数点以下第一位を1の位まで丸めるときに、ほとんど の人が、深く考えずに四捨五入を行うだろう。例えば12.3は四捨五入により12 になるし、12.7は四捨五入により13になる。12.4は四捨五入により12にするが、 12.5は四捨五入により13とされる。この四捨五入という操作は、本当は、ある 意味で正しくないのである。 ある意味で、と限定したが、それは、この操作により数値に系統誤差を生じる 可能性がある、ということの意味だ。詳しい話は他へ譲るが、本来、12と13の 丁度まん中であるはずの12.5を、必ず切り上げるという約束が、数値の取り扱 いの上での偏りの原因となるのだから、場合によっては13ではなく12にしよう じゃないかという話なんである。 ここで都合良く登場するのが、日本工業規格、JISであって、その中の Z8401 という番号のついた「規格」では、通常の四捨五入による欠点を取り除いた方 法が示されている。簡単に骨子だけ述べよう。もしあなたが四捨五入しようと している(丸めようとしている、の方が正しい言い方だろう。なにしろ、「四 捨五入」ではないのだから)数値が5であって、その後ろになんの数字も続か ない場合、常に切り上げることはやめて、その1つ上の桁の数値が常に偶数に なるように、切り上げ、または切り捨ての動作を選択しなさい、ということだ。 つまり、11.5は、その丸めによって12になるけれど、12.5は同じ方法により、 やはり12になる。13.5は14になるが、14.5は15ではなく、14にされる。もし、 丸め処理をしようとしている数値が充分に多くあれば、5の切り上げと切り捨 ての回数はほぼ同じになるので、丁度まん中である数値については、半々の確 率で切り上げたか切り捨てたか、になり、すなわち偏りのない処理をした、と いうことになるのだ。 ならば、丸め処理後の数値が偶数ではなく、奇数が現れるように処理する約束 でも良いではないか、35才の人は思うかもしれない。ところが、ここでは奇数 より偶数の方が好ましいのは、丸めたあとの数値になるべく5が現れないよう にした方が便利なのだからである。 そもそも、数値を連続して丸めてはいけない。つまり11.46という数値を、ま ず小数点以下第2位で丸めて11.5としたのちに、更につづけて小数点以下第1 位で丸めて12とするような操作は、正しい処理とは言えないのであるが、まる めた後に、最後の桁が5になる場合をなるべく避けることにより、「まちがっ て」2回連続で丸め処理をしてしまったときに数値に載ってくる誤差がなるべ く小さくなるようにしているのである。 というわけで、25という数を丸めるときに、30になると考えるのは、どちらか というと正しくなく、20にするべきなんである。というわけなのだ。この辺り の議論は45は40にするべきであるということにも等しく言えるわけだ。しかし、 35は残念ながら40にしなければならないし、55も60にしなければならないのは いかんともしがたい部分である。また、中には年上に憧れる人も居るだろうか ら、そういう場合は普通に四捨五入して25は30だと嘯けば良いのだ。 というわけで、「20才と30才の丁度まん中」の誕生日を迎えた、僕の血のつな がっていない妹は、いわゆる四捨五入(本当はJIS規格による丸め処理)を しても、まだハタチであることが保証されたわけだ。 いや、ちょっと待てよ、本当の本当のことをここで白状してしまおう。誕生日 を迎えた当日のあの日一日くらいは、この理屈を言い張ることができたのだけ れど、それを次の誕生日がくるまで通すことはできないのである。つまり「25 才と何日」という年齢は「20才と30才の丁度まん中」よりも30才に近くなって しまっているので、厳密にいえば同じ丸め処理により30才としなければいけな いはずなのだ。 実際のところ、そのあたりは自分に都合のよいように物事を解釈していくのが 好ましいと思う。僕だって永遠に10代のつもり(ただし、本人のみ)だし。っ ていうか、僕みたいなオッサン(前言に抵触しているが、気にしないように) からしたら、そもそもなんにもしなくても20代っていうだけで充分なんじゃな いかと思うんだがね。それに、年齢は、その重ねようでますます若返っていく 先輩達をたくさん知っているし、最近がんばっているあなたは、年を重ねるこ とでますますステキなレイディになっていると思うのだ。 (2002.07.23) −−−−+−−−−+−−−−+−−−−+−−−−+−−−━+−−−−+−−−−360  僕の通っていた中学校には「唯一心」と書かれた額が掲げられている。何事に も心から専念しなさい、とか、そういったような意味のことだと習ったような 気がする。たしか当時の自分は、この文字を「ただいっしん」と読んでいた。 気になって調べてみると、華厳経の中に「三界唯一心(さんがいゆいいっしん) 心外無別法(しんげむべっぽう)」という言葉があるらしい。この世のすべて のことは自分の心に端を発するものである、というような意味のことばのよう である。おそらく、これがその額の書の言葉の大本なのだろう。 先日、NHKの「課外授業ようこそ先輩」という番組の再放送をみた。現代書家 の岡本光平氏を招いて、小学校の6年の生徒に字を書かせるのだ。自分の想い を墨跡として表現しなさいと言われて、はいそうですか、と表現できる人はそ う多くはないのではないか。 文字の役割には、読み手になにかを伝えるということがある。同じ役割は絵に もあるのだろうが、記号としての文字は、その形が少々違っていても同じもの と認識すべきものである。私が書いた文字もあなたが書いた文字も、かたや金 釘流でかたや達筆だとしても、同じことばを書きつけたのであれば、上手下手 はあったにしても、同じように読まれなければ役割を果たさないからである。 僕がその中学の生徒でいる間に、新しい体育館を建てるために、古い講堂が取 り壊されることになった。随分と古い木造の講堂の10センチほどの幅の床や壁 の材を30センチほどの長さに切ったものが配られたのは、美術の時間だっただ ろうか。それまでお世話になった講堂に感謝の気持ちを込めて、と、そんな能 書きがついていたと思う。彫刻刀を用いてそこに「唯一心」の三文字を彫り込 んで、記念の壁掛けをつくりましょうという課題が与えられた。 手本にできるように、額の中と同じ書体で「唯一心」の文字の外郭が薄い白い 線で書き込まれていて、あとはそれに沿って刃を使うだけでよかった。美術の 教師は自分の文字でそこにその字を彫り込んでも良いと言っていた。クラスの 中で、一人だけ、Y君という生徒だけが、その白線を消して、自分のレタリン グで文字を書き込んでいた。僕は、なるべくオリジナルと同じほうが格好良い と思って、与えられた白線に沿ってなるべく上手に文字を彫りつけた。 彫刻刀の使い方を学ぶという面はあったかもしれない。でも、今にして思えば その時は、単なる物真似にすぎないなにかを嬉々として作っていたのではなか っただろうか。 岡本光平氏は、子供たちの既成概念をひとつずつ崩していく。そのとき生徒に 求められるのは、上手な字を書くことではけしてないのだ。こう有らねばなら ぬ、というただ一つの正解は無い。その字は読めなくたって構わない。筆だっ て、自分の表現したいことに合わせて自作するし、キャンバスも、幟、石、木 片、とバラエティーに富む。 書きたい文字をひとつ決めて、その想いを込めた墨跡を、型にとらわれずにの びのびと染め付け、その意図に沿った生活空間の中に置いたとき、その文字が どれほどの説得力を持っていただろうか。お手本帖に書かれたような上手な字 では表現できないようなものを、たった3日の間にその小学生達は作り上げて しまっていた。 僕はその小学生達がとても羨ましかったのだ。 (2002.08.19) −−−−+−−−−+−−−−+−−−−+−−−−+−−−−╋−−−−+−−−−360  急に秋めいてしまって、それでもまだ昼間は暑いのだけれど、夕方をすぎると 半袖では二の腕あたりがすうすうするなあと思いながら自転車を漕ぐ。思い立 って本屋へ寄ろうというのだ。 何冊かの本を選んで片手に下げて家路をいそぐ。とっぷり暮れて、時折り交差 する車はヘッドライトを光らせている。 茹でたばかりの蕎麦を冷水できゅっと締めるかのように、冷たい風の中で、ゆ るゆるに緩んだ自分が少し引き締められたような気がして、すこし楽しい。 見慣れたはずの景色に、ふと自転車を漕ぐのをやめてたたずむ。名も覚えてい ないような小さな川にシルエットで浮かぶ橋。そこに掛かる丸い月。 芸術の秋を気どって、少々、短歌のまねごとなどをしてみたくなる。   買ひものを片手に下げて差し掛かる架からる橋に掛かる望月 (2002.08.22) −−−−+−−−−+−−−−+−−−−+−−−−+−−−−+━−−−+−−−−360  まず痛み出したのは左の歯であった。左の下奥の、一度治療した臼歯の金属の 詰め物が3ヶ月ほども前にとれてしまったのだ。嫌なことは後延ばしにしてい るうちに(歯をきちんとみがけばきっと大丈夫、などと根拠もなく思いこみ、 というよりも自分に言い聞かせつつ)いつの間にか穴が深くなってしまってい たらしい。ある日、どうも肩が凝っていかんなぁ、などと思っていたら、翌日 の夜に歯が痛み出したのだ。冷や汗がでるほど痛むので横になっても寝付けな い。かといえ、歯医者に急患もなにもあったものではないだろう。何か鎮痛剤 でもあれば良いのだろうが、元来、なるべく薬に頼らないようにしているのが 裏目にでて、こういったときにろくな薬の備蓄がない。あるのはせいぜい風邪 薬と正露丸くらいだ。鏡に向かった四六の蝦蟇もかくやと思うほどに冷や汗を たらしながら考えたすえ、はたとおもいだして正露丸の効能書きを読んでみる と、そこには光る「むし歯痛」の文字がある。ああよかった糖衣錠にしていな くて。鏡に向かって奥歯に開いた大きな穴にまるまる1つぶ正露丸をつめこん で、しばらく経つと、安心したせいか正露丸のおかげか、痛みがひいて一夜を やりすごすことができた。僕はこのときほど正露丸の偉大さを思い知ったこと はない。 翌日も、正露丸を歯につめて出勤。職場で皆から正露丸をのんだでしょう、と 指摘されたのはもちろんのことで、あらためて正露丸の偉大さを再認識する。 休み時間にさっそく歯医者を予約する。そのころには正露丸の味と匂いに慣れ てしまっていて、なんだか美味しい気もしてきたくらいだ。そして少し仕事を 早めに切り上げて歯医者に行くと、さっそく医者におこられた。痛くなる前に 来ないとねぇ。でも…。だって、嫌だったんだもの。レントゲンを撮って、そ れを見せられる。ほら黒い影がここまで来ちゃってるでしょ。神経を抜かなく ちゃね。奥歯で麻酔が効きにくいところだから、しっかり麻酔するけど痛いか も知れませんよ。あぁ、そんなに脅かさなくても。医者は注射器をとりあげて、 歯茎に注射を打つ。1、2、3、4。身構えながら数えていたら4回注射を受 けた。実のところ、正露丸で虫歯の周囲が麻痺してしまっていたためか、ほと んど痛みはなかったのが救いだが、いくつになっても注射は好きになれない。 麻酔がききだすまでしばらく放置されたあと、恒例のドリルプレイとなる。き ゅいーん。きゅいーん。痛くはないのだが、顔をしかめて痛そうな表情になっ てしまう。いくら痛そうな顔をしても手を抜いてはくれない。そんな神経では 医者がつとまらないのだろう。ピンセットのような器具も持ち出される。時折、 歯にかりかりとあたっているような感じがある。はい、うがいをしてください、 歯医者ではよく聴くそのことばがどれだけ嬉しかったか。椅子の背もたれが戻 るのももどかしく背筋と腹筋を駆使して起きあがり、さっそくうがいをする。 舌先でそっと例の場所をさぐってみる。ひゃあ、大きい。ついでに腫れた歯茎 も大きくなっているみたい。 いつまでもそうしているわけにもいかず、また上を向いて口をあけさせられる。 塩素系の漂白剤のような味のするものが振りかけられ、むせそうになる。医者 の手が僕の口のなかでなにかやっている。歯の穴に何かをつめているらしい。 麻酔が効いているせいだろうが、自分の口の中のこととはいえ他人事のように しか感じない。頭の後ろに立つ看護婦が医者になにかを手渡し、医者がそれを 口の中に入れると、なにやら口の中から煙が立ち上るではないか。それがなん どかくり返される。もしかして消毒がわりに熱した金具で歯の内側を焼いてい るんじゃあるまいか。いやいや、ここは医者を信じるしかない。というより俎 上のお魚さん状態なのだ。視界の下の方から立ち上がる煙を見ないようにしっ かりと目を閉じて、口をくいしば…るわけにはいかず、じっと我慢する。しば らくして、なにやらコンパウンドのようなものを歯に詰められて、当面は左で ものを食べないでくださいね、と言われて無罪放免となった。よし、まだ麻酔 は切れていないから痛くはない。会計でもらった鎮痛剤を大事にしまってその 日は帰宅したのであった。 そののち、約ひと月にわたりその歯科医に都合5回通いながら、4本の歯の治 療をうけることになってしまった。最後の治療がおわったのがつい先日のこと。 おそらく10年以上ぶりの歯医者なのであった。あぁ、歯医者なんておそるるに たらず、さっさと行っておけばよかったものだ。  喉元すぎて熱さ忘るる。 (2002.08.30) −−−−+−−−−+−−−−+−−−−+−−−−+−−−−+−━−−+−−−−360  小さな駅と大きい駅と、あなたならどちらを選びますか。 小さな駅までは歩いて40分、自転車ならば15分程度の距離にある。けして近い とは言えないけれど、僕の住んでいる借家からの最寄り駅である。ちょっと県 外へでも出かけようという時には、駅まで行かなくてはならないのだが、歩い ていくにはちと遠すぎるきらいがある。もちろん高々1時間弱ほど歩くことを 厭うわけではないが、いざ出かけんとするに至っては時間の節約を考えざるを 得ない状況にある場合がほとんどである。ま、要するに寝坊するんだな。雨が 降ってでもいれば、それを大義名分にして、タクシーを呼ぶなどという贅沢を 自分に許すこともあるが、晴れていたら、自転車を飛ばして駅に向かうのだ。 そして自転車置き場に自転車を預けて、切符を買うために窓口へと走るのだ。 さて、この自転車置き場というのがひとつの問題なのである。いやなに、問題 というほどの問題ではないのだが。最近建てなおしたのでひどく立派になった その自転車置き場は、10円の値上げにより、自転車を1日置いておくために 110円を支払わなくてはいけないのである。今時の缶の清涼飲料より安いでは ないか、と鼻で笑ってはいけない。なぜならば、もし110円しか支払わずに自 転車を停めて出かけてしまったら、その日のうちに戻ってきて自転車を取り戻 さねばならないからだ。そう、恐るべしはその料金体系であって、1日という のは停めてから24時間などでは全くなくて、日付けのかわるまでということに なっているのである。だから、夜遅くに預け入れて翌朝すぐに取り戻す場合で も、2日分の料金がかかってしまって、なんだか損をした気分になるのだ。い や、一晩だけならばまだ良い。どうせ2日分をきちんと支払っても、タクシー をつかって千いくらかを支払うのに比べれば安いものだ。けれど、1週間ほど 自転車を置きっぱなしにすれば、片道のタクシー代に近い料金が掛かってしま う。これでは、汗水たらして自転車を漕いでおきながら、もの凄い損をしてし まった気になってしまうのである。ああね、どうせ損をするんだったら、タク シー呼べよ、とつぶやいた人は正解である。自分で車運転すれば、と思ったや つは不正解。すみません、自転車しか持っていないのです。 大きい駅までは自転車で40分、歩いたならば2時間以上はかかる距離にある。 けして歩けないとは言えないけれど、それは避けたいような距離にその駅はあ る。ちょっと県外へでも出かけようという時には、結局この駅が乗り継ぎ駅に なるので、直接この駅に来るならば便利なのだが、いかんせんちと遠すぎるき らいがある。もちろん高々1時間弱ほどだから、自転車ならばそれを厭うわけ ではないが、いざ出かけんとするに至っては時間の節約を考えざるを得ない状 況にある場合がほとんどである。ま、要するに近い方へ行ってしまうんだな。 本当に時間がない時には、その近い駅での待ち時間の節約を大義名分にして、 大きな駅までのタクシーを呼ぶなどという贅沢を自分に許すこともあるが、そ こまでは滅多にしない。晴れていたら、自転車を飛ばしてその駅に向かうのだ。 そして自転車置き場に自転車を預けて、切符を買うために窓口へと走るのだ。 さて、この自転車置き場というのがひとつの問題なのである。いやなに、問題 というほどの問題ではないのだが。駅の高架の下にあるひどく古ぼけたその自 転車置き場は、自転車を1日置いておくために100円を支払わなくてはいけな いのである。今時の缶の清涼飲料より安いではないか、と鼻で笑ってはいけな い。なぜならば、もし100円しか支払わずに自転車を停めて出かけてしまった ら、その日のうちに戻ってきて自転車を取り戻さねばならない、というのは実 は建前なのである。そう、恐るべしはその管理体制であって、2日間停める人 は2日分の料金を予め支払うことになっているのだが、停めてある自転車に日 付けのわかるような表示をつけるわけではないのだ。だから、朝早くから預け 入れて翌日の遅くになってから取り戻した場合でも、1日分の料金だけで誤魔 化してしまうことができて、なんだか得をした気分になるのだ。いや、一晩だ けならばまだ良い。どうせ2日分をきちんと支払っても、タクシーをつかって 千いくらかを支払うのに比べれば安いものだ。けれど、1週間ほど自転車を置 きっぱなしにすれば、片道のタクシー代に近い料金が掛かってしまう。これで は、汗水たらして自転車を漕いでおきながら、もの凄い損をしてしまった気に なってしまうのである。ああね、どうせわからないんだから誤魔化しちゃえよ、 とつぶやいた人は正解である。駐輪代くらいちゃんと払えば、と思ったやつは 不正解。すみません、そんな良心しか持っていないのです。 先週の半ばより、出張でおよそ1週間の間、県外へと出かけてきました。近い 方の小さい駅へ自転車で向かうには、駐輪代とタクシー代のバランスがなんだ か微妙なこの1週間という期間。雨でも降っていれば文句なしに小さい方の駅 へタクシーで向かったのだけれど、外は晴れていたのです。それに40分くらい なら余裕はあったので、結局、一番安上がりな方法に訴えることにしたのです。 遠いけれど大きな、そして自転車置き場の料金が少し安い方の駅へと向かった のでした。 ええ、出張、楽しうございました。なにがって、週末が。ご存知の通り、敬老 の日とその振替がうまく重なって、土曜から月曜までの3連休なのでした。こ れを目一杯遊んできたのです。ちょっぴり遊び疲れましたけれども。 少々ぐったりしながらもその駅に帰りついたのは、夜も更けてからのことでご ざいました。蕭々とした小雨がぱらついておりまして、木々の葉についた水滴 は、黄色い街灯に照らされて晶々と輝いていたのでございます。私はすでにひ と気の失せた自転車置き場に向かいました。これから40分以上もかけて、涼し く暗い夜道を自転車で帰らねばならないのです。けれどもそれは、みっちりと 遊び疲れた体に、最後の締めくくりとしてなんだかふさわしいように思え、私 は小さな笑みを浮かべます。けれどその笑みはやがて無惨にもうち砕かれよう としておりました。薄暗い通路の奥に、やっと見つけた1週間ぶりのその自転 車は、なんだか後輪がふにゃふにゃなのです。折り悪しくも誰かに悪戯でもさ れたのでしょうか、空気の抜けきった護謨のタイヤを指で押しながら、私が呆 気にとられてしまったのは無理もないことではありますまいか。どうすること もできなくて、私は背に負う1週間分の荷物に重い思いをしながらも、自転車 を片手に押しながら、2時間以上の道のりを悄々として歩いてもどったのです。 善悪報応因果覿面の天理彰彰たり。駐輪料金を誤魔化してはいけませんね。 (2002.09.18) −−−−+−−−−+−−−−+−−−−+−−−−+−−−−+−−━−+−−−−360  財布の中から、2500円分の御食事券がでてきました。 あれは、まだ暑かった夏のさなか、僕は普段はあまり足をのばさない町まで出 かけていったのでした。まぁ、ありていに言えばそれは仕事の関係でしたので、 普段は身に付けないスーツやらネクタイやらをして、地図を片手に出かけたわ けです。普段は近場ですませている昼飯も、その出先の近くで食べることにし たのです。 初めての場所で、なにも土地勘がありませんので、適当にその辺りを歩いて探 しました。今日はいつもより暑いし、いつもより仕事もしたし、ちょっと豪勢 に張り込んでもいいかな、なんて思っていましたから、喫茶店はパスです。牛 丼もパス。ハンバーガーもパス。そうやって見つけたのが海鮮系のレストラン チェーンでした。店の外でひらめいていた「鰻」の文字の入った幟が決めてで した。これだ、暑が夏いから鰻だよな、なんて言いながら(もちろん周りに誰 もいないのは横目で確認)その店に入ることにしました。 暇つぶしにネットなんかでぶらぶらブラウジングを楽しんでいると、さまざま なコンテンツに出会います。美味そうなもの、というのも、僕の興味をひくも ののひとつで、かねてからヒツマブシというものを食いたいと思っていたので した。ヒツはご飯をよそっておく櫃のことで、マブシは鰻をあらわす蝮だとも 読んだような気もしますし、混ぜるという意味の塗しだったかもしれません。 ご飯の上に刻んだ鰻の蒲焼きが盛ってあって、更に他に薬味と出汁が添えられ たメニューなのです。ご飯と鰻を混ぜてうめしにして食って、薬味を添えてま た食って、今度は出汁を注いで鰻茶漬け風にして食って、という食べ方をする そうなのです。特に、わさびをたっぷり利かせた鰻茶漬け、というやつに憧れ ていたのです。 頼むメニューは決まっていましたから、席に案内されるとさっそく注文を伝え ました。ええ、昼メシなのに1500円近くも払っても、たまにのことだからきっ と許されるはずです。雑誌をめくりながら僕は待ちます。ほどなく、美味そう なそいつがやってきました。ご飯と鰻を混ぜてうめしにして食って、薬味を添 えてまた食って、今度は出汁を注いで鰻茶漬け風にして食って、という食べ方 をするための、刻んだ鰻が載せてある小さなお櫃のご飯、これは別の茶碗によ そってからいただくのですが。小皿に盛られた何種類かの薬味、もちろん山葵 も生っぽいやつです。なんと出汁は、ちいさな土瓶に入っていて、蝋の火のと もされた、旅館の夕御飯でついてくるような小さな焜炉にのってやってきまし た。なんだかとても豪勢な気分です。 ええ、とても美味かったです。で、食べ終わったあとに気付くと、盆の端の方 に、恥ずかしそうに一枚のスクラッチカードが添えられていたのです。僕はヒ ツマブシに夢中になっていて、食べ終わるまでそれに気付きませんでしたが。 そのスクラッチカードは、なんたらのサービスキャンペーンとのことで、これ を削って2等があたると携帯のストラップが貰えると書いてありました。1等 は豪華賞品です。ははん、携帯電話も持っていないのにストラップは要らんし なぁ、ハズレてもよかろう、と、とても無欲にカードを削りました。そういう 時に限って当たるものなのです。いえ、ストラップではなく、1等の方が。 その1等の賞品が、今財布の中にいる500円綴りが5枚で計2500円の御食事券 なのです。ええ、おめでとうございます次回またお使いくださいね、と言われ て渡されたやつなのです。1500円の食事をして、2500円の食事券を当ててしま ったから1000円の浮きだなどと、ちょっと喜んでしまったのが迂闊だったので す。 だって、滅多に行かない所なのに。しくしく。それに、ご来店1回につき500 円の券を1枚ご使用可、ただし1500円以上の御食事をした時限定、なのでした。 斯くしてその券は使われずにずっと財布に入ったままになっているのです。… というわけで、誰か欲しい方いましたらさしあげます。「海鮮三崎港」の御食 事券、2500円分(限定条件あり)。 えっと、あと、有効期限は2002年8月31日って書いてあるんですが。それでも よろしければ。 (2002.09.30) −−−−+−−−−+−−−−+−−−−+−−−−+−−−−+−−−━+−−−−360  ウェストポシェットにデジカメを入れて持ち歩いていると、街灯にてらされた 木の葉だとか、帰り道に見上げた一番星だとか、雨上がりの蜘蛛の巣だとか、 きっと一期一会の瞬間を記録することができる。本当は、中望遠の単焦点マク ロレンズなんかをつけた一眼レフで撮りたい写真だったりもするのだけれど、 そういったシステムを普段から持ち歩く気にもなれない。 先週の夕焼けきれいだったよね、という話になって、そういえば僕は窓から見 えた真っ赤な雲をデジカメにおさめていたんだということを思い出した。 いつものウェストポシェットからデジカメを取り出して、その画像を見つける ために、カメラ附属の小さな液晶画面で画像を再生した。さっき撮ったばかり の雨粒のついた逆光の窓ガラスの写真、そしてその前が… あ、ごめん、と僕は言ってカメラを自分の手の中に取り戻した。見覚えの無い 写真が写っていたのだ。そういえば、この週末に悪友が遊びに来て泊まってい ったっけ。デジカメを僕は机の上に無造作に置き放しにしていたっけ。 あ、あったよ、とさりげなさを装って、一枚更にもどしてでてきた夕焼けの画 像を見せてから僕はデジカメを厳重にしまい込んだ。だって、その次の画面は 人にはあまり見せられない画像があったのだ。寝ている僕の、なんというか、 もろだし画像。 そろそろ涼しくなってきているのに何故かはだけていたお腹は、見せたくない けれど、やはり丸かった。 (2002.10.23) −−−−+−−−−+−−−−+−−−−+−−−−+−−−−+−−−−╋−−−−360  先日、北海道へ旅行してきたという方から、生ラーメンセットをいただきまし た。塩味、味噌味、醤油味がそれぞれ4食ずつ、計12食のセットです。個包装 された生麺と、鍋で湯で伸ばすだけのスープです。非常に簡単かつ美味しそう です。僕の食べることに対する情熱をご存知の上でのお土産の選択だったと思 われます。毛蟹なんてのせれば、もっと北海道らしくなるかもしれません。コ ーンとバターの組み合わせも美味いです。とっても美味い厚切りチャーシュー でもいいですし、ベーシックに茹でたもやしだけでも構いません。しかし、そ ういったものは残念ながら一切ついていませんでした。海苔やらナルトやらさ えありません。カップ麺ではないので、そういう素材は自分で用意しなければ ならないもののようです。 いただきものにケチをつけてはいけません。感謝しながら美味しくいただくこ とにしました。包装をあけてみて判りましたが、賞味期間が1週間しかありま せんでした。ところが残念なことに僕は一人暮らしです。毎日ラーメンばっか り食え、ということなのでしょう。売られた喧嘩、もとい、なされた挑戦には 受けて立たねばなりません。朝からラーメンを食べたり、麺だけ茹でて密閉容 器に移して弁当として持ってゆき、ポットの湯で溶いたスープで食べたり、な んせラーメン三昧ですごしました。 そして先日、最後の1食の生麺を持ち上げると、その下にはなにやら注意書き の書かれた小さな紙がでてきました。麺を茹でるときは、ほぐしながら茹でて 下さい。これは当たり前のことでしょう。冷凍保存した場合は解凍せずにその まま茹でて下さい。え。冷凍保存… そんな手があることには全く気付いてお りませんでした。お土産ラーメン道も、極めようと思えば深く険しいようです。 (2002.10.31) −−−−+−−−−+−−−−+−−−−+−−−−+−−−−+−−−−+━−−−360  世の中ではリサイクルの重要性が叫ばれているとか。 ・.・.・.・.|・.・.・.・.|・.・.・.・.|・.・.・.・.|・.・.・.・.|・.・.・.・.|・. これを区切り線などと呼ばずに、強弱のついたリズムと思って欲しい。 1.2.3.4.|1.2.3.4.|1.2.3.4.|1.2.3.4.|1.2.3.4.|1.2.3.4.|1. こんな具合に。縦の区切り線が小説の区切りをあらわすこととしよう。 アンドウトロワカトウ、アンドウトロワカトウ、いわゆる4拍子。 この約束に従って、ある有名な曲を書くとこんな感じになる。 ・.・.・..サ|カナサカナサーカ|ナーーーーーサカ|ナーヲータヘール|トーーーーーーア|タマアタマアータ|マー 最近はそれでも聴く機会の減って喜ばしいことだと思っているが。 4拍目のウラに、本来強勢のある単語の語頭がきているのが味噌である。 休業日前で安くなったいきつけの八百屋で、山ほどの野菜、 きゅうり10本、チンゲンサイ2つ入り×4袋、小松菜1束、モヤシ4袋を 袋2つにわけてぶら下げながら自転車を漕いでいた。 なぜか鼻歌は20円のモヤシの歌であった。 三連符がうまく表せないので、…であらわす。 […]は三連符で[ヤシモ]と言って欲しい。 ・.・.・..モ|……ヤシモヤ|シーーーーーモヤ|シーヲータヘール|トーーーーーーサ|カナサカナサーカ|ナー サカナの場合は3匹しか居ないのにモヤシは4袋あるのが味噌である。 鼻歌までリサイクルしてしまう御時世なのである。 延々エンドレスにサイクルしまって、家へ帰り着くまでモヤシであった。 ところで、サカナが良くなってどうするのであろうか。疑問である。 (2002.11.01) −−−−+−−−−+−−−−+−−−−+−−−−+−−−−+−−−−+−━−−360  比較的時間に自由な職場にいるのだが、たまに常識はずれに遅い時間になるこ ともある。夜の11時すぎまで会議があり、そのあと翌日の午後に必要な書類を 作っていたら午前様になってしまった。幸い午前中にすませねばならぬ用事は ないので、翌日は寝坊がすでに決定。とはいえ、さっさと寝れば良いものを、 もうこうなると目がさえてしまって眠れそうにない。運動の後の整理体操のよ うに、体の調子を休眠モードへと移行させてやらねばならぬ。コンピュータを 立ち上げてしょうもないゲームなどしているうちに、ようやく高揚していた気 持ちが落ち着いてきた。外が若干あかるいのはいかがなものか。 ひとり暮らしの若いうちだからこそ許される生活だなあとしみじみ思う。とこ ろで、毎日毎日を、まったくの無駄もなく詰めて仕事をしているわけではない けれど、だからかもしれないけれど、僕より遅くまで仕事をしている人は、周 囲にはいない。どうなのだろうか。周囲の人は僕よりも効率よく仕事をしてい るのだろうか、とふと思った夜であった。 (2002.11.20) −−−−+−−−−+−−−−+−−−−+−−−−+−−−−+−−−−+−−━−360  かすみをくらう。一説には仙人のくらうかすみとは酒のことらしい 週末には無駄な時間を無駄に過ごせるのが楽しい。今日も夕ごはんまで少々時 間があったので、趣味の自炊をすることにした。趣味なのでやりたいときだけ する自炊。面倒なら外で食べるか、出来合いを求めるかする。出来合いの惣菜 や弁当を買ったりするスーパーで、今日の素材を物色する。 まず目に入ってきたのが鶏モモで、僕はけっこうこれが好きだったりするので、 とりあえず籠に放り込む。備蓄してあるトマト缶(イタリアンハーブ入り)と 一緒に煮込んでみようかと思ったんだけれど、昨日2本もトマトジュースを飲 んだので却下。結局いつもと変わり映えせずチキンロールにすることにする。 次の鮮魚コーナーで、まず目にとびこんできたのが半額シール。趣味の自炊な んだから高いものでもかまわず買ったらよいのに、でも目に入ってしまう半額 シール。それは、鮭のしらこに貼られていたのだった。魚の肝といえば、鍋。 何人かで鍋を囲むのは美味い楽しい安いと3拍子そろってお得、けれど一人で 鍋をするのは美味いけれど面倒だし虚しいしと2拍子そろって損なんである。 けど、なんか肝が食いたいキモチになっていたので、とりあえず籠に放り込む。 いいや、なんとかなるだろう。 賞味期限が今日までだったので、僕はスーパーの展示台では小さくみえた2パ ックのしらこをやっつけることにした。一口大に包丁をいれられた8腹分のし らこは、ザルに山盛りあり、ぽいぽいと沸騰している湯の中に放り込まれる。 なんだか初めの方にいれたやつと最後の方にいれたやつとでは火の通り方に違 いがあるような気もするけれど、趣味の料理だから気にしてはいけない。きっ ともっとでかい鍋を使えばよいのだろう、いちど冷めてしまった湯が再沸騰す るまでしばし待つ。その間に、長ねぎの青いところを10センチ分ほど小口に 切り、さらに微塵に切る。そういえば山葵のスライスも冷凍してあったので、 これもみじんにして加える。茹で上がったしらこはザルにあげ、薬味をいれた でっかい保存容器にいれ、だし醤油1、黒酢3の割りの酢醤油をだばだばと掛 けまわし、味をなじませてやる。 せっかくだからししゃもを焼こう、と、やはり賞味期限が今日までだった子持 ちししゃもをひとパック全部焼いてしまう。ふん、ふん、ふん。網にならべて しまえばあとは放っておくだけ、らくちんらくちん。 野菜もたべなければならない。冷蔵庫にあった大根の葉を小口に切ったものを ごま油で炒める。醤油とか塩とかを入れると水気を呼んでしまうので、この時 に塩味をつけないのがポイントだ。できあがってからポン酢をかけて味を調節 する。大根の白い部分もサラダにする。サラダといっても千切りにするだけ。 グリルを覗き込むとほどよい加減にししゃももやけてきていて、時折腹の卵が はじけた音がしはじめて、火をとめてやる。できあがったもの。焼きししゃも 9匹。その他には、しらこのポン酢和えボール一杯。大根の緑で熱いのと冷た くて白いサラダ。どう見ても酒の肴のような気がするが、気のせいだろう。ど う見てもひとりぶんじゃないがそれも気のせいだろう。とりあえずオナカはい っぱいになったから、ご飯を炊くのをすっかり失念していたが、きっとそれも 気のせいだろう。 (2002.11.30) −−−−+−−−−+−−−−+−−−−+−−−−+−−−−+−−−−+−−−━360  クリは吸わない < こんなこと書くとエロみたいだ たっぷりとした重さの水蜜桃にかぶりつくときに、余所行き用の服など着てい てはいけない。どうしたって、桃からでた甘いしずくが肘をつたって垂れてし まうからである。小さい頃には、ほっぺたをぐちゃぐちゃにしながら顔を半分 ほどもうずめながら桃にかぶりついていた。まだかりかりとした固さをのこし た桃を刃物でむいて食べるのも好きだけれど、ゆるいゼリーのようにやわやわ な桃にがぶりとかぶりつくのも良いものである。 果物が好きでよく食べていたからかもしれないけれど、いつしか食べ方も上手 になった。水気の多い果物にかぶりつくときには、汁気が垂れないように、少 し吸いながら食べるのだ。これを気をつけるだけで、顔も手もべたべたになら ない。派手に吸い付いて音をたてたりしては下品になるが、それも吸い方の程 度では大丈夫である。 そんなわけで柿をたべていたときのことである。柿も桃といっしょで固いまま のも美味いし、熟柿もうまい。たべていたのは、半熟と称すべきだろうか、皮 のオレンジ色も濃くなり、身もやわらかくなりかけているところだった。柿の 実にかぶりつきながら、いつものように汁気をたらさないように吸い付いてい た。そうして何口かした時である。なんと説明しようか、吸盤のつくところと つかないところの違いといったらよいのだろうか、口で吸っても空気の漏れて しまうところがあったのである。柿の実の回転対称軸のところで、その軸にそ って空気が流れ込むのであった。目にみえる穴があいているわけではないが、 組織が少しゆるいのかもしれない。もう少し食べ進んでいくと、蔕にちかい部 分は、どこでも空気を通すようであった。たしかにまだ固い柿を丸かじりする ときも、蔕にちかい部分はすこしふがふがした歯ごたえだったりする。どうも 面白い現象を発見してしまったようだ。もしこれが本当だとすると、柿の実の 蔕にちかい部分は組織がゆるいわけで、密度も小さいに違いない。水に入れた ならば蔕が上になるに違いないとおもったのだが、もう食べてしまったので実 験ができないのであった。 (2002.11.30) −−−−+−−−−+−−−−+−−−−+−−−−+−−−−+−−−−+−−−−360  化石を食らう 現在の私たちの生活で利用することのできるエネルギーは、その大部分を石油、 天然ガス、石炭といった、いわゆる化石燃料に頼っている。しかしながら、化 石燃料は有限であることや、化石燃料の使用により地上で循環される炭素の量 が増え、ひいては温室効果による温暖化の原因となると考えられているなど、 その使用にあたってはいくつかの問題がのこっている。だから地球環境の問題 を考えるときのひとつの柱は、どうやってエネルギーを確保するかということ になる。 代替のものとして、ひとつには、再生可能エネルギーを利用しようとしている。 ここで再生という言葉をつかってはいるが、真の意味で再生されるわけではな く、太陽光、風力などのように利用しても減らないものをさす。化石燃料を燃 焼させるのとは違って、二酸化炭素などの排出がないのもメリットになる。そ のためのインフラ整備が進んでいないことも含め、未解消なままな問題もある が、今後、全エネルギーに占める割合は少しずつ増えていくはずである。 代替手段のひとつとして、割と初期に注目されたものに原子力があるが、これ は完全な解とはなっていない。まだ核融合により大規模なエネルギーを取り出 すすべを持たないので、エネルギーを得るための過程を核分裂に頼らなければ ならないから、放射性の廃棄物の処理など、さまざまな問題をかかえており、 現在、この方法に頼ることに対しては、世界的にみても向かい風である。今後 の見通しとしては、せいぜい実験プラントを生き延びさせて、核融合によるエ ネルギー確保の道を残すことに一縷の望みをたくすのが精一杯といったところ だろうか。太陽などの恒星がエネルギーを生み出す過程としているのが水素か らヘリウムを生じるような核融合であり、幸い水素は水の構成成分として膨大 な量が地上にある。宇宙空間に一番多く存在する元素もまた水素であるから、 燃料に困ることは無くなると思われる。それを考えると、いつか核融合が人類 の手に入るならば、それはプロメテウスの偉業にも匹敵し、われわれの生活が 大きく変わる可能性を持つのだが。 宇宙に漂う原子の塵が、それ自身の重さによる重力場に互いに引き寄せられ、 やがて生じた濃いガスは、密度を上げ温度を上げていった。核融合の開始のた めに必要なまでの高温に達したものは、原子の火がつき、星として燃焼をはじ めたのだが、そうではなかったものはやがて冷えてしまった。原始太陽系の中 では、ほとんどの質量が太陽になったため、周囲の質量のかたまりには原子の 火がつくにはいたらず、やがて冷え、太陽の周囲を巡る惑星となった。人類の 運命もこれと似ていているように思う。たとえからくも人類が滅びなくても、 新たなエネルギー手段の獲得には、やはりエネルギーの投資が必要なのである から、それが可能である期間は、おそらく今だけだろう。太陽となれるのか、 あるいは燃えはじめることなく冷えてしまった星のなるのか、それを決めるの は我々の今後の行動にかかっているのだ。 やがて十分なエネルギーを確保し、地球自体を月の潮汐力によりあたためるこ とすら必要なくなれば、月を解体しダイソン球を構築することさえ、人類は着 手するかもしれない。それは、いまもなお建築をつづけているガウディの聖家 族教会にも似た、気も遠くなるような計画であり展望であるが、そのような未 来では人類は何を思い、何を生きがいとして生きているのだろうか。案外、今 の僕たちの生活とほとんど違わないかもしれない。それでも、生きるうえでの 制約も違えば社会も違っているだろうから、まったく想像もできない生活なの かもしれない。 しかしながら、現状では、先にものべたように、私たちの生活は大きく化石燃 料に依存している。ところで、石油、石炭、天然ガスといったものが化石燃料 と呼ばれるかというと、大昔に生きていた動物や植物の遺体などの有機物が、 地下の高温高圧の条件下で変性して生じたものだからである。動物が成長でき るのは、食べ物としての植物があるからであり、植物は太陽の光を得て育つ。 だから、いってみれば、化石燃料とは、太古の時代の太陽の光エネルギーの化 石である、ともいえるのである。 昨日のつづきで、チキンロールを煮ながら、SF小説を読んでいた。香ばしいに おいで我にかえると、火が強すぎたのか、鍋の底が焦げ付いて真っ黒になって しまった。鶏肉から出た油で、黒いダイヤのように輝いていた。かろうじて生 き残っていた、端が炭になってちょっとほろ苦い鶏肉をかじりながら、上記の ようなことを考えていた次第である。 (2002.12.01) −−−−+−−−−+−−−−+−−−−+−−−−+−−−−+−−−−+−−−−+