今朝方見た夢・夢殿
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(281-290)−−−−+−−−−+−−−−+
飲み過ぎには気をつけよう、と
あきふかしあきふかし
いま、トリ臭い手で本のページをめくって
その猫の名をぼくは知らない。
桜はうす桃色の花をつけるから秋の葉が
ことん。ころころころ。
道路でみつけたもの
今日は立冬(答え、32字)
昼には蕎麦屋へ行って来た
貰い物の紅茶のパックの詰め合わせは、
(291-300)−−−−+−−−−+−−−−+
つごもりのころ夜半更けて
ころがる思考に
生きた化石とも呼ばれる銀杏は
まったく新幹線にも吊り輪をつけるべきだ
バナナを保存するのに、バナナホルダーに
ミントティーのティーバッグを
朝のシャワーを浴びてから、手のとどかない
明日、12/1 は、世界エイズ・デイ
これから雪をかぶる黒い土も雪融けのあとに
Hになると硬さが増す棒なーに?
(301-310)−−−−+−−−−+−−−−+
ミスター・ポインセチア
目の前にさしだされたコンビニのプリン
エンディングは3つ
新しい携帯にしたんだ。そう言って友人は
とてもとてもおなかの中が甘々なのです
みかんの上下ってどっちが上でどっちが下だ
年末年始にやったこと。そしてご挨拶。
サービスしとくよ。持っていきな。
VISAで、というわけではないが草津温泉へ
ここのところやや暖かい日がつづいており
(311-320)−−−−+−−−−+−−−−+
急に思い立って両親に、来月末あたり沖縄へ
先日のテレビで「アポロの月面着陸は、
路地に植えられた水仙が咲き始めていた
オリンパスが一眼レフシステムから手をひく
男と女のジェンダーの差は
白菜畑のわきを通るたびに思い出すもの
一枚の絵を描いてもらっていたのだ
有効期限は6月19日
病気も個性のひとつだから
肉なしの肉じゃがを作ることにした
320
━−−−+−−−−+−−−−+−−−−+−−−−+−−−−+−−−−+−−−−320 

昨日は死んでおりました。
と言ってもそれは比喩的な表現ではありますが。

一昨日の日曜日、若い者たちと飲む機会がありまして、
やや年を考えない飲み方をしてしまいました。
「【口偏に卑】酒」だけだったのに油断しました。
やはり一気呑みのまねごとなどを何度もしたのが、
アルコールの神様の気に障ったのかもしれません。

朝からずっと胃が死んでおりました。
寝る前に戻してしまったのをはじめ、
昨日は一日、なにも受け付けてくれませんでした。
水さえ受け付けないのです。
たまごの黄味のようにまっ黄色の胃液のみを
痙攣した腹から絞りだすように吐き出すのは、
本当に苦しかいのです。

とはいえ、平日ですから、
何もなかったような顔ですごしておりました。
不幸中の幸いともいうべきことには、
胃以外は全く正常でした。
多少の倦怠感はありましたけれども。

夕方を過ぎまして、おそるおそる、
ほんの少量の水を口に含んでみました。
久しく水を絶っていた者が
急に大量の水を飲むと体が受け付けないと言います。
それを思い出しまして、
一口だけ含んだ水を、口蓋で温めて、
おそるおそる飲み込んだのでした。

しばらくまってみても何も異常が無いことがわかりますと、
今度は現金なもので、
空腹感を感じはじめました。
とはいえ、もうかなりな時間です。
ロクな食べものもありません。
仕方がないので、カップ麺に湯をそそぎ、
普段よりも柔らかく戻してから、
その麺をすすったのです。

こんなことばかりしておりますと、
体に悪いことは目に見えております。
そのうちおっ死(ち)んでしまうかもしれません。
その時には線香の一本も焚いてやってもらえれば、
こんな仕合わせなことはございません。


というくらいの気持ちになるので、
飲み過ぎには気をつけよう、と思った。

(2001.10.23)
−━−−+−−−−+−−−−+−−−−+−−−−+−−−−+−−−−+−−−−320 

秋深し秋深し

あっけないほどあっけらかんと雨があがって朝から晴れて
昨日の寒さも気のせいのようにきわめて青い煌めく空から
吹くかぜ襖の隙間を吹き抜け布団も吹っ飛ぶぶっとい風圧
かぜ揺らす木はかさかさと鳴り枯れ枝からから烏も揺れる
白雲映える色彩の妙蕭々たるさま賞するに足る

赤トンボのように吹きぬけたのはあまりに軽い赤色朽ち葉
衣擦れの音に喩えらるには風の立つ音は巨大にすぎる
冬を迎える故郷だけのふるった贅沢ふとした風景
斯くて掻き上ぐ長袖シャツも鬱陶しいほどの好天の下
自然と人の大きさの差に自然としみじみ感じ入るのみ

(2001.10.23)
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いま、トリ臭い手で本のページをめくっています。

出来合いの惣菜で夕飯を済ませようと
今日もスーパーへ出かけたのでした。
惣菜もその時間帯に買いに行くと、
割引の赤い丸いシールが貼られてお得だからです。

そういえば今、牛が安いんだってねえ、だなんて、
肉売場を覗いたのが間違いのはじまりでした。

鶏肉が、もともと1kgで400円なのに、
赤いシールがついて、半額だったのです。
つまり200円。どーんとでかいパックです。
買ってくれと言わんばかりです。
そもそも料理するのが面倒なのでスーパーへ出かけたのに。

頭の中でざっと計算します。
今日はネットをさっさと切り上げてから、
こいつを鍋につっこんで…
できあがるのが何時ごろだから…
ん、よし。決定です。
洗い牛蒡と一緒にその鶏肉を買うことにしました。

粗い誤謬はどこからともなく露呈します。
もっとネットをさっさと切り上げる予定だったのです。
気がついたらとっくに日は変わってしまっていて、
たいそう遅い時刻となっておりましたけれど、
半額の鶏肉は、今日の内に煮てしまった方がよいでしょう。
鶏の胸肉を取り出して、包丁で半分の厚さになるように、
切れ目を入れはじめた時には、もう観念しておりました。

ぶったぎった牛蒡を、うりゃあと鶏肉で巻いて、凧糸でしばれば…
ありゃ、凧糸が見つかりません。
仕方ないから、つまようじを何本かぶっさして、形にとめました。
こういう臨機応変な態度が、ものごとを長くつづける極意でしょう。
いい加減、とも言うのですが。

そうやって作った5つのチキンロール(っぽい)のもとが、
一番でかい鍋の中でぐつぐつ煮込まれております。
当然ながら、手は鶏肉臭くなっております。

鍋からは、醤油と、冷蔵庫の中にあったパイナップルジュースと、
イタリアンハーブミックスとかいう乾いた緑の葉っぱと、
ガラムマサラと、ニンニクパウダーと、それと牛蒡とが、
入り混じった良い匂いをあげています。

さきほど、スープの味見をしてみたら、
すくなくともインスタントのラーメン並には美味い気がします。

そこにあるものを適当に混ぜるのが僕の料理の極意です。
同じ味を再現することは難しいけれど、
大抵まあ喰えるものになるから不思議です。
手の込んだものを作らないから当たり前だという話もありますが。

それはまあいいのですが、問題があります。
まだスープがひたひたにあるのです。
予定ではこれを煮詰めてしまってから、夜の間に冷まして、
朝になってから冷蔵庫へしまっておくつもりだったのに。

したがって、あと数時間は鍋から離れることができません。
というわけでトリ臭い手で文庫のページをめくったりしているのです。

睡眠時間が削られたとしても、まあこういう夜も良いでしょう。
安く鶏肉をゲットしたのですから。
でも待てよ。400円を200円で買ったわけだから、
得したのはたったの200円です。
その得した200円で鶏肉を買っちゃったわけだから、
結局、なにも得していないではないのでしょうか。
いや、むしろ買わなければただだったのに。

何を言おうが、美味しくできれば、
終わり良ければすべてよし、尾張名古屋は城で持つてなもんです。
なんとか美味しくできればよいのですが。
ナマものでしたし、もう煮てしまったのですから、当然返品もききません。
今はただ期待して待つだけです。
失敗してしまっていたら、取り返しもつかないというものですから。

(2001.10.24)
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一夜の情事

その猫の名をぼくは知らない。
仮にジョージとでもしておこう。

夜更け過ぎに、喉の渇きをおぼえたぼくは
近所の自販機まで清涼ドリンクを買いに出た。
コインを入れて、ガタンと、缶の落ちる音がして、
ビャアという声がきこえたのだ。

猫のくせに缶ジュースが欲しいのか知らないが、
ぼくの足にからみついてくる。
まったく人見知りをしない猫だ。
からみつくそいつの耳の間を撫でてやると、ビャオとなく。

部屋の扉の前でぼくは困ってしまった。
いっかな去ろうともせずに、そいつはぼくを見上げている。
扉の隙間から中を覗くようにするのと、
交互にぼくの顔を覗き込むのとで、まるで
こんな寒空に放っておかずにさっさと部屋にあげてください、
とでも言っているようだ。

ここまできたのなら、と腹を決めて、
ちょっと困りながら、さりとて悪い気もせず、
ぼくはジョージを部屋にあげたのだった。

首輪もしていないし、
肉球をきゅっと押したときに出てくる爪の先もカットされていないし、
たぶん野良のままの猫なんだろうけれど、
人なつこいおかげか知らないけれど、
結構毛づやが良い。体格だってかなりなもので、
2本足で立ったときなど、もう少しで扉のノブに手が届くほど。

基本になる色は白で、僅かにコーヒー色がかった耳は、
両方とも外側の付け根の部分が袋になっている。
耳の間としっぽは、そのコーヒー色が白に溶け込んで
ほんのりとカフェオレ色だ。

なかなかの美猫で、
と雄猫に言うのもなんだけれど、整った顔をしている。
水晶体の厚い大きな目がまるでぬいぐるみのようだ。
部屋に上げてすぐ、ぼくを振り返った一瞬だけ、
蛍光灯の光を吸収して、
目の奥の血管の色を写して、真っ赤に見えた彼の目は、
ややグレーがかった薄い色をしている。

玄関にぺたんと座り込んで観察しているぼくを
知らぬ顔で、丸くなって毛づくろいをしている彼も、
ぼくがくしゃみをしたら、さすがに吃驚していたようで、
立ち上がって背中を丸めてこちらを怪訝そうに見ている。
いやいやごめんごめん。脅すつもりはなかったのさ。
彼のそばに揃えて脱いでいた靴の片方は、
彼が立ち上がる動作ですっとんでいる。

一通り身を繕うと、新たな領地をゆうゆうと見回りに立ち上がる。
テーブルの下、本棚のとなりの隙間、冷蔵庫の下。
おっと、そっちは駄目だよ。
万年床の寝室に忍び込んだ彼を持ち上げて、
ぼくは間仕切りのドアを閉める。

風呂場に近づいた彼を、
ひょいと持ち上げて脱衣場の流しにのせてみる。
ほら、手足はちゃんと洗わなきゃ。
本当は、雨に濡れたアスファルトの上を歩いていた彼の足は
そんなに汚れてはいない。
ぬるい湯を出して足を洗ってやろうとすると、
流しからぼくの肩へ飛び移り、そのまま逃げてしまう。

あたかも、嫌がらなかったら
全身をシャンプーしてやろうと企んでいたことに気付いたかのように。
そんな初対面でそこまで体をゆるすなんて思わないでください、
といわんばかりに。

人なつこいのは、もとは飼い猫だったからかも知れない。
体を取り上げても爪を立てないし暴れもしない。
床に座り込んで、腹に抱えるように、彼を抱きしめる。
こんなに立派な毛皮を着ていても寒かったのか、
おとなしく抱かれたままの彼はグルグルいっている。
鼻がつまり気味なのか、呼吸とともに小さな鼾の様な音がする。
しゃっくりのように時たま痙攣する。
ぼくが彼の耳の間の匂いを嗅いでいたら、
ぼくの顔にむかって、きゅうに彼がくしゃみをした。
あはは、さっきのヤツとでおあいこだ。

やがてその姿勢に飽きたのか、彼はぼくの腕の中を逃れる。

うちの子になる気がないのならば、
そろそろ外へお帰り。
ぼくは無情にもそう言い放って扉を開ける。

自由きままに生きるから猫。
間違った愛情で紐につなぎとめることはあたわない。
扉をくぐった彼はそこにお座りしてこちらを見上げている。
その目の前でぼくは扉をゆっくりと閉じる。

あ、ちょっと待って。
彼の表情がそう言ったかのように見えた。
またいつでも遊びにきてもいいんだよ、
扉越しに声をかける。
ビャオ。

しばらくして扉の外を確認すると、
もうそこには誰もいないのであった。

朝、窓の外から、
ジョージが登校中の小学生と遊んでいる声がする。
ぼくが扉を開けると、彼はこちらを振り返る。
またね、きみがそういう気分だったらまたおいで。
ぼくのところ以外にも寄るところはあるんだろうけど。

(2001.10.29)
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桜はうす桃色の花をつけるから秋の葉が赤いのか。
 いや、それは嘘だろう。春に白い花を満開にする満点星だって、葉は見事に赤い。
桜の樹は空に近いところから徐々に赤味を帯びてきた。
 となりの銀杏も黄色くなってきたけれど、上下で色の差が見られないのに。
桜の葉が、風にかさかさと音をたてている。
 欅の葉はもっと細かくて、より繊細な音をたてている。
桜はそうやって葉を落としはじめる。
 常緑樹である譲り葉にも黄色い葉が散見されるようになった。
桜は春と秋とのほんの一瞬の間に色を濃くする。
 そういえば百日紅の名残花がみっともなく咲いているね。
もうすぐ降るだろう雪は桜の花びらを思わせる。
 何も桜に限った話でもあるまい。
桜餅だって美味いんだぞ。
 あなた、季節感ないねえ。

(2001.10.30)
−−−−+━−−−+−−−−+−−−−+−−−−+−−−−+−−−−+−−−−320 

ことん。ころころころ。

楠の樹の下の、自転車置き場の雨よけの覆いに、
黒く熟した実が落ちて、ころがる。

今おりた自転車にチェーンロックをかけているあいだにも、また、
ことり、と音がする。

拾って手にとってみても、
こんな硬質の音を予想させるほどは堅くなくて、
たくさんのひとたちの足下でつぶされてしまっている。

そんなに風もつよくないのだけれど。
また。

こつん。

光沢のある、まだまだ緑の濃い楠の葉陰では、
数羽の小鳥が遊んでいる。

日射しがあたたかい。
明日から11月。

(2001.10.31)
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道路でみつけたもの

建物の影に浮かんだ大きな丸。

鏡は太古には太陽を模していたという。
それは、カーブミラーが反射した太陽で、
黒い路面に薄く明るく、
夜空の月よりもおおきくて
少しゆがんだ形をしていた。

その前を通りがかった僕の影は、
いつもとは反対の方向に伸びた。

真っ赤な色の耳飾り。

通り過ぎようとして僕は
金具からの反射に眼を奪われて
僕は自転車をとめて引き返す。
近づいてみたら光っていたのは透明な石で、
赤いビーズはつやつやとした木のみだった。

そいつを軽くけ飛ばすと、
ぽんぽんぽんと弾んで側溝に落ちた。

長く伸びた影。

低くなった太陽を背に自転車をこぐ僕の。
追い越していく自動車が、
影を踏みつけていこうとしたけれど、
ひょいとあたまをもちあげて、
自動車の脇腹に写っていた。

早く帰ろうとして、
僕はペダルを強く漕いだ。

(2001.11.05)
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今日は立冬

朝刊には眼を剥くような劇的なニュースもなく、
日常の型の中にニッチを得るに到った剽剥の記録のみ。
刈り込まれ刷り落とされた文字列からは
処刑の銃創も鉄の剣のぶつかり合う音も伝わっては来ない。

美国を抜きでまとめることになったらしいCOP7の話題が
僕にとって今日の刮目すべき話題。
削減目標に対する罰則の制定は先送りのようだがまずは前進。
眼に剰るとまでは言い過ぎかも知れないが、
今の美国は世論を捌くのに絶好の機会との判断か。

外は鋭利な剃刀のような冷たい空気が頬を刺し
眠気を払う清涼剤。

割と呑気に自分はまた別と決めこんで暖かくした部屋で
優雅にリプトンのイエローラベルを煎れて飲む。
そんな朝の一刻。

(答え、32字)

(2001.11.07)
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昼には蕎麦屋へ行って来た。
自分の部屋で、乾麺の蕎麦を茹でて喰うのも、手間要らずなので
よくやるのだが、店で喰う蕎麦も美味いものだ。

その店で出す蕎麦は、暖かい蕎麦と冷たい蕎麦がある。
暖かい蕎麦とは、丼の汁の中にひたされたものであり、
冷たい蕎麦とは、ざる、もしくは盛り、と呼ばれるやつである。
蕎麦に限っては、寒くなっても冷たい方が美味いのではないかと思う。
暖かい蕎麦は、喰っているうちにすぐに伸びてしまう気がするのだ。

そういうわけで、今日もざるの大盛りを喰ってきた。
死ぬ前に一度でいいから、ではないけれど、
少し甘みのある出しの利いた付け汁に、どっぷりと
少し細めののどごしの良い蕎麦をつけて、喰う。

本当は、ざるにふってある刻み海苔は不要だし、
その分薬味の葱を増やしてくれるとありがたい。
その上、本物の山葵をだしてくれればもう文句のつけようもないのだが、
練り山葵でもまあ可としよう、そいつをたっぷりと入れるのが好みだ。

食欲が無かったり、体が元気でないときにでも、
蕎麦ならばつるんと喰うことができる。
食欲が無いことなんて滅多にないのではあるけれど。
それに、カレーもそうだが、蕎麦もまた食い過ぎる。
たくさん喰えるから、ついついたくさん喰ってしまうのだ。

という訳で、今日もまた喰い過ぎるくらいに喰ったのだが、
それでも蕎麦ならば大丈夫なのだ。
蕎麦屋の勘定場の奥に貼ってあった紙に書いてあったのだが、
蕎麦は他の喰い物にくらべて消化吸収が良いのだそうだ。
ほら、こうやって書いている側から腹がまた減ってきたようだ。

(2001.11.09)
−−−−+−−−−╋−−−−+−−−−+−−−−+−−−−+−−−−+−−−−320 

貰い物の紅茶のパックの詰め合わせは、
白い柔らかい木でできた箱枠に3種類のパックが詰められていた。

緑の包装の BREAKFAST
赤の包装の AFTERNOON
青の包装の EARL GRAY

某イギリスのメーカーのセイロンティーなんだけどね、
貰いものの貰いものなのよ。
紅茶をあたしはあんまり飲まないから、あなたにあげるわ。
あ、EARL GRAY だけはケーキ焼くときに使うから、
私がとっておいても良いわよね。

全部飲み終わったら、小物入れにでもしようかと考えている
木の枠はティパックのサイズに3つに区切られていて、
隅の一箇所だけ、貰った時から空になっている。
1つだけちょうだい、といって貰って飲んだ EARL GLAY も、
案外柔らかいフレーバーで、ミルクティにしなくても良い感じ。

朝、昼、と詰められた箱を見ながら、
何も知らずに見たら EVENING TEA が入っていたと思うのかな、
なんてことをふと考えながら、木の箱の EARL GRAY の残り香を嗅ぐ。

(2001.11.10)
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つごもりのころ夜半更けて。

田舎には街灯もなければ窓の灯もない場所がある。
月の出ない夜には、ぬばたまのという形容が似合う、そんな場所。

もう慣れてしまっているから灯りも要らない。
こんな時間だから人も通らない、そんな細い道。

雪明かりのように、下から照り返す、わずかな黄色の光を頼りに、
歩くほどのスピードで、ゆっくり、ゆっくり自転車を漕ぐ。

さわさわさわ。さわさわさわ。
タイヤが落ち葉を踏みしめていく。
アスファルト舗装の上に柔らかく、厚くつもった黄色の落ち葉。

人ひとり居ないこんな夜の風景を、僕は独り占めにしている。
ぶるっとふるえたのは、風が冷たかったから。

暗い空に、いちょうの樹のシルエットが上へと伸びて、
オリオンに突き刺さっている。

(2001.11.15)
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ランチタイむ

詳細は省略するけれど、いやーな感じのことがあって、
気分がむしゃくしゃしたまま昼食タイムになだれ込んだ。
今日の昼飯は、仕出し屋から届けられた一折の幕の内弁当。

親の仇を討つように、とでも書くのがいいのかもしれない。
俺は、がむしゃらに弁当に食らいつく。

形容詞の最上級を表すことばに、鬼のように、というのがある。
鬼のように強い、鬼のように酷い、鬼のように恐い。
仕事が鬼のように溜まっている、あたりから元の意味は薄れだして、
あの子ってば鬼のように可愛いね、なんてあたりでは問い直すのも無茶がある。
いや、ラムちゃんだって鬼だってばよ、というツッコミは置いておくが。

弁当の四角い箱を眺めつつこんなことを考える。
俺は今、親の仇のように弁当を喰ってるな。
え、ちょっと待てよ。
親の仇は、むちゃくちゃ喰うのが早かったのか。

脇差しの武者は親の仇。だけれども早弁な親の仇。
まるで、柿好きな隣の客のようではないか。
なにをそんなに急いている。どんなペースで飯を喰おうが、仇の勝手。
全くもって不当なるプライバシーの侵害。

ころがる思考に可笑しくなって、
いつの間にかにやけた顔で弁当をむしゃむしゃ食っていた。

(2001.11.16)
−−−−+−−−−+−−━−+−−−−+−−−−+−−−−+−−−−+−−−−320 

生きた化石とも呼ばれる銀杏は、起源をたどると2億数千万年前より昔に出現したという。

それにくらべて我々ヒトは、20万年ほど昔にアフリカで生きていたというイブと呼ばれる
1人の女性へとさかのぼれるだけである。さらに原人と呼ばれる時代にまでさかのぼって
も、たかだか500万年の歴史しか持たない。

銀杏の仲間が広く栄えていたと言われる1億5千万年前といえば、ジュラ紀もおわりのこ
ろで、まだ恐竜が闊歩していたころだ。地球ができてから経った時間と言われる46億年の
中の、実に5%以上にもあたる時代を、銀杏は生きのびてきたのだ。

それだけの昔からほとんど形態をかえず、氷河期にほとんどその仲間が絶滅してしまった
中で、中国の奥地でほそぼそと生き残ったのが、現存する銀杏である。だから、銀杏には
近縁の植物はなく、1科1属1種の構成である。

そんな独特の生い立ちを持っているからだろうか、銀杏の黄色に染まった葉が地に落ちた
あとも、長い間形をとどめたままでいるように感じられる。あるいはこれは、街路樹に、
そして神社の境内や公園にと、私たちの生活の場に、多くの銀杏が植えられて、印象的な
ほどの葉を落とすための錯覚にすぎないのかもしれない。

溜まった銀杏の葉は、自動車のタイヤに踏まれ、アスファルトとの間ですりつぶされてい
く。それはあたかも草食動物の歯が草をすりつぶすかのようで、アスファルトのでこぼこ
のあいだの小さな隙間には、形の残されていない、黄色い葉のかけらがつまっていて、そ
の上には、やや形の残った葉や真新しい落ち葉が重なっている。

古くから生き延びている銀杏の体を咀嚼して消化をたすけて大地へ返すはたらきの助けを、
新参者のヒトがしている、と言っても良いのかもしれない。消化器でいえば、これは口に
あたる。胃腸にあたるはたらきをしているのは、大地の中の微生物だと言えるだろう。

(2001.11.21)
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まったく新幹線にも吊り輪をつけるべきだ。

いや、なにも中で体操をしようだとか、大層なことではないのだが、
乗車率が100%を越えるような場合に、
車掌さんが通路に居る乗客にもっと詰めてください、とか言うのであれば、
掴まるところのひとつやふたつあってもいいぢゃないか、というだけの話なのである。
いや、ひとつやふたつでは足りないが。
制動動作の時にでも、通路にすし詰めになった乗客が将棋倒しになって怪我でもしたら、
JRとしては責任を問われ得るのではないかと思うのである。

たとえば混雑解消のために車両を長くする試みをして欲しいと思う。
ホームの長さがそれを律しているのはわかる。
だが、直接ホームへ出ることができない車両というものがあっても良いではないか。
そのために、あと何分で何々駅に着きます、というアナウンスをするのだ。
1号車の前寄りに0号車、マイナス1号車、マイナス2号車とすればよい。
これで自由席の混雑は解消できるはずだ。
さらに言えば、こうやってどんどん車両を増やしてやれば、
そのうち隣の駅のホームに届くかもしれない。
そうなったら、電車が駅に着く前に次の駅に着くことができる。
なんと便利ではないか。ただ、そうなった場合には踏切が開かないので、
高架にするなどの対策が必要ではあるが。あ、新幹線はもともと高架か。

そもそも連休の初日や最後に移動しようと思うのが間違っているのかもしれない。
とは言え、皆が同じことを考えるから招かれる事態なのであるから、
多数決の論理を使うならば、あながち間違っているとばかりも言えない。
安からぬ料金を支払ってJRを利用する身としては早急なる改善を望むものである。
でないと全く感心せん。

(2001.11.27)
−−−−+−−−−+−−−−╋−−−−+−−−−+−−−−+−−−−+−−−−320 

キッチンのシンクの上に、鍋を置くための簀の子のような棚が釣ってあり、
その板の一枚から、環にした紐をさげて、その先にバナナを釣ってある。

バナナを保存するのに、バナナホルダーに下げておくと良いらしい、
ということをきいていた。これにバナナをつり下げておくことにより、
床とバナナの接触面がなくなり、色の黒ずみを防ぎ長保ちするということらしい。
友人の1人は、机の上に置き忘れたバナナがいつのまにか熟して、
自重でつぶれて汁がでてしまい、本が汚れてしまったと嘆いていた。

数本のバナナを買っても、その日のうちに消費してしまう向きには
不要な道具であるが、それでも、バナナホルダーなるものは、
いろいろなデザインのものが市販されているようで、
知る人ぞ知る逸品としてもてはやされているようだ。

いままでは大抵、買ったら数日のうちに消費してしまうパターンだったし、
また、バナナを常備するほどのバナナマニアでも無い自分が、
ただでさえ狭い部屋に、バナナホルダーを備えるべきかというと、
これは疑問符の付くセンテンスである。

そんなつい先日、安かったからという理由で、
青いバナナを一房買ってきたのだった。
試しに一本食べてみたが、皮もうまく剥けないほど堅く甘みも控えめであった。
これは、バナナを釣って置くと良いという知識を活用する好機会である。
そう自分は判断し、環にした紐に、房の半分ほどをくぐらせて、
バナナの房の付け根の部分の指の叉のようになった部分を利用して、
無事、バナナを釣り下げるに到ったのであった。

はじめはそんな感じで青かったバナナも、日を追って色が変化するのも、
なかなか面白いものであった。店より買い求めたタイミングもあるのだろうが、
釣った翌日には、だいぶ黄色くなって、皮も柔らかくなってきた。

また、机の上に無造作に置いておいたならば、
同じく無造作に食べてしまうバナナも、つい大事にして、
なかなか食べないので長保ちするということも、思わぬ利点であった。
だからと言って腐らせてしまうのも勿体ない。
大事にしながらも、一本、また一本と、房からもぎ取っては、
バナナを食べていたのである。

バナナは黄色になったあと、やがてシュガースポットと呼ばれる
茶色の斑点が皮に浮かんでくる。この頃が、もっとも糖度も増して、
バナナの食べ頃なのだ。僕のバナナも、10日ほどを要して、
房を小さくしながらも、この段階にまで達してきた。
きちんと釣っているからだろうか、痛んだ様子もなく房の付け根の、
切り口の部分が少し萎びてきている程度である。
昨日も一本たべてみたが、非常に美味い。

ところが気がついたことがある。バナナはあと2本なのだが、
僕の方式では1本だけのバナナを釣っておくことはできない。
というわけで、今日は美味いバナナを2本喰うのである。
まったく至福である。

(2001.11.27)
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ティーバックでもティーパックでもなくて

缶のドロップの中でもどれが一番好きだったかというと、ミントのやつで、
ハーブティの中でもどれが一番好きなのかというと、やはりミントのやつだ。

ファミリーレストランでドリンクバーを頼んだ時も、
暖かいものを飲みたい時にはかなりの確率でミントティーを飲み、
またかなりの確率で、こっそりとティーバッグを1つ2つくすねてくる。

いい年をした男がなにをそんなことを、とお思いだろうが、理由が無いわけじゃない。
カモミールとかならば、かなりの確率でスーパーで買えるのだが、
ミントティーのティーバッグを売っているところを知らなかったのだ。

せいぜい5種類のハーブティのコンポートの中にミントティがあるくらいで、
僕が飲みたいのはミントティであって他のお茶じゃない、と、そう主張したい。
いや、そりゃ何処でも入手可能なリプトンのハーブティのシリーズは、
唯一カモミールを除いて全部好きだけれど、その中にミントがないのだ。

ちなみにリプトンのティーバッグ式ハーブティは、以下のようなラインナップだ。
アップルシナモン:
 シナモンの風味。ローズヒップなどもブレンドされていて淡い酸味。
オレンジリフレッシャー:
 オレンジピールの爽やかな味。やはりローズヒップも入っている。
レモンスーザー:
 レモングラスかなにかでレモンの香り、酸味はローズヒップ。
クワイエットリィ カモミール:
 ポピュラーなんだけど、特有の青臭みが僕にはすこし苦手。
 ただ、こいつはストレートではないので飲みやすくなっている。
シトラスジンジャー:
 最近みない。たぶん廃版なのでしょう。

ここで、誤解を招いているかもしれないので書いておくが、
本格的な、ハーブとポットとストレイナーでいれるようなお茶じゃなくて、
マグカップに熱湯を注いでおいて、おもむろにティーバッグを投入、即飲む、
という簡単なものが欲しいのだ。

他にも粉末タイプのハーブティーを試したこともあるけれど、
でんぷんを湯に溶かしたような味が残ってしまって、どうもいけない。
手頃でそれなりなものはといえば、やはりティーバッグだと結論づけたのであった。

どこかのファミレスでハーブティーのティーバッグだけ別売りしてくれたら、
きっと買うんだけどなぁ、でもレジで聞くのもなんか恥ずかしいし。
なんて内心もじもじしながら、スーパーへいくたびに嗜好品売場あたりを
探索していたのであった。

ところが、先日、百貨店へ出向く機会があった。
何が悲しくて、ほとんど同じものをわざわざ高く買う必要があるのか、と、
少々百貨店を甘くみていた節があるのだが、品揃えはスーパーより良い。
長年探し続けていたミントティーのティーバッグをみつけて以来、
見方をあらたにすることにした。ミントティーなら百貨店へ。
もっと早く思いついていたら、これほどミントティーにこだわることも
なかったのかもしれないけれど、恋愛と一緒、逃げられれば追いたくなるもの、
この好機逃すべからずと、即購入にいたったのである。

そのティーバッグは、フォトナム&メイソンのもので、
20パック入りで1200円。つまり1パックで60円「も」するのだ。
よほど恋い焦がれていなければ、僕のような貧乏性は見向きもしなかったに違いない。

部屋にもどって扉をしめるのももどかしく、湯を沸かしつつ、
箱を覆う透明な包装をはぎとって、香りを嗅ぐ。おお、これこれ。
ひとつのパックからティーバッグをとりいだし、マグカップに投入。
そして沸き上がった熱い湯を注いで、しばし待つ。薫る。のむ。おお、これこれ。

飲み干して、また湯を足す。おお、まだ色も香りもでるぢゃないか。
優秀、優秀。しばし待つ。薫る。のむ。おお、これこれ。
また飲み干して、また湯を足す。まだ飲める。
さすがにもう一気に飲み干すほど乾いてはいないが、充分楽しめる。
それに、一杯あたり20円なら、スーパーで買うティーバッグと一緒ではないか。

ミントティーはやはりさっぱりして美味い。
ただ、お腹がたぷたぷになるのだけが難点であるようだ。

(2001.11.28)
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朝のシャワーを浴びてから、手のとどかない背中を拭おうとして、
ちょっと力をいれただけなのに、びりっという大きな音がした。

別に携帯するわけじゃなし、大きいことはいいことやんね、
安売りの棚でみつけてきた、ちょっと大きめのバスタオル。
ずうっと使っているうちに生地も弱っていたらしい。
はじめは白かったのに、赤い足拭きマットと一緒に洗われて、
いつのまにかピンク色に染まっていたバスタオル。
そんなバスタオルがびりっといったからタオル記念日。

本当はタオルの日は母の日とおなじ5月の第二日曜なんだけど、関係ない。
背中を拭いているときにタオルが破れたから、今日がタオル記念日。
世界の中で、僕だけのためのタオル記念日。
来年になったら、きっと忘れてしまっている、
一生の中でたった一度だけのタオル記念日。

勝手にそうやって決めて、周囲の誰にも教えてあげたりなんかしないで、
これで今日もいいことが一個あったなあなんて思ったりして、
なんとなく嬉しい気持ちで一日が過ごせたりするのだから、
タオルが破けちゃったことくらい、安いもんだなあ、なんて思う。

(2001.11.29)
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レッドリボン

僕はオフィスのドアに手作りのインジケータを置いている。
スチールのドアに、紙をぺたんと貼り付けてあって、
マジックで行き先をいろいろと書き込んであるのだ。

あとはそこに小さな磁石を一つ置いてやればできあがりなのだが、
僕はその代わりに、手足の先が磁石になったカーミットのパペットをつけている。
その手なり足なりが、僕の行き先を示しているのだけれど、
留守の間に、カーミットのポーズが変わっていることもしばしばだ。
通りがかった人々が、ヨガのようなポーズや逆さ吊りや、
そのほかさまざまなポーズを彼に強いるのだ。

彼はとても誇らしげに、胸に小さな赤いリボンを留めている。
彼を目にした人のなかの何人がその意味に気付いているのか、僕は知らない。
明日、12/1 は、世界エイズ・デイ。

(2001.11.30)
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師走の声をきいて

数日のあいだ留守にしているうちに並木はすっかり葉を落として、
食べ終わった魚のような棘々したシルエットを晒している。
さえぎるものを失って、路面は少し明るいのだけれど、
その分だけ風が冷たく感じられる。
ああもう冬という季節が来ているのだなあとしみじみ思うのはそんな時だ。

毎日少しずつ変化している周りの様子も、
ぱらぱら漫画のとなりあった2枚の絵では大した違いもないように、
昨日から今日、今日から明日への連続性は保たれているのだけれど、
その連続の中でたしかにいろいろなものが変化していっている。
その連続の中で見落としていたものを見つけたときはとても嬉しい。

いつの間にか実った稲が刈り取られて、干されて、
そしていつの間にか空っぽだった田圃の土が、
ここ何日かのお湿りに真っ黒に染まっている中に、
列をなす緑色した麦の淡い芽がもう数センチにも伸びていた。

これから雪をかぶる黒い土も、雪融けのあとにのぞく黒い土も、同じ様に黒い。
そんな当たり前のことに改めて気付いた今朝。

(2001.12.05)
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Hになると硬さが増す棒なーに?  それは、えんぴつ〜。

最近、胃が痛くなるようなことがあったので、紹介しよう。
それは、僕より一回りほど年上の先輩にあたるひとのところに
遊びに行った時のことだった。

… いざいざ、勝負。数字の9を見ながら飲む飲み物は。

へ? きゅうになんですか。
え、えぇと、ミルク。簡単っすよ。

… お主、なかなかやるな。では、4匹のネズミが食べてる食べ物なんだ。

  シチューでしょ。

… 満員電車の中で飲むお茶は。

  もみくちゃ

… 満員電車の中を鳥が一羽飛んでいます。さてその鳥はなんでしょう。

  コンドル

… 閑古鳥が鳴いている店に、もう一羽鳥がいます。その鳥はなんでしょう。

  しじゅうから

… 鳥の足が4本見えますが、この鳥はなあに。

  にわとり

… 今朝の新聞に載っている鳥はなんだ。

  きじ

… 動物園の檻の前で、あるものを飲みながら感動している人がいます。
  何を飲んでいたのでしょう。

  サイダー

… 動物園の檻の中で、何頭もの犀に囲まれてごはんを食べているひとがいます。
  そのメニューはなんでしょう。

  八宝菜

… 逆立ちすると体重が減る生き物はなあに。

  いるか

… 競馬場で太った馬に目をつけました。その馬の成績はどうだったでしょう。

  駄目

… 豆に字を書き込んでいる人がいます。その人の性格は。

  まじめ

… 木の上に立ってあなたを見ている人がいます。それは誰かわかるかな。

  

… 木の棒を90本使ってつくる四角いものはなんだ。

  

… しかくいけれどさんかくなものは。

  口という漢字、カタカナのロ

… お医者さんがある乗物の中で殺されました。さて、その乗物とは。

  寝台車

… ホテルなどには13階がないのが有名ですが、
  ある貸し駐車場には9番がありません。何故でしょう。

  車は急には止まれないから

… 買えば高価なものだけれど、道で拾ってもいちいち警察に届けなくてよいものは。

  タクシー

… 大きくなればなるほど小さくなるものなあに。

  

… お化けは腐った卵がすき。何故でしょう。

  黄味が悪い

… ミステリー小説を読んでいたら、酸っぱい匂いがしてきた。何故だ。

  酢入り小説だから

… 煙草に酢をつけるとどんな味になる。

  タバスコだけに辛い

… ある缶詰工場がありますが、いつまでたっても竣工しません。なんで

  みかんの缶詰工場だから

… 大工さんがある失敗をして、ぎくっとしました。その失敗とは。

  釘を逆さまに打った

… 風邪をひいたときに看病してくれるのは誰。

  おかん。風邪にはつきもの

… お尻から入る建物ってなんだ。

  学校

… 点を取るとやめさせられてしまう学校はどこ。

  大学

… 山寺でトイレを借りました。ところが紙がなかったので、
  紙をくださいといいました。その時の和尚さんの答えは。

  何枚だ

… 皿の上にぽたっとおちて染みになったのはなあに。

  

… 血を抜いたときにしびれてしまうのはなあに。

  乾電池

… 間抜けなので謝れない花はなんだろう。

  水仙

… 四角の月を見たと言っている人がいますが、それはどんな月だ。

  うそつき

… 喉がはれて返事ができなくなってしまう病気はなあに。

  扁桃腺

… お腹がすいたひとたちに食べ物を分け与えたえらいお坊さんは。

  空海

… 逆立ちしたまま頭に葉っぱをのせて狐が遊んでいます。何をしているでしょう。

  羽根ツキ

… イカはあるけど、タコはない。鹿はあるけど馬はない。なあに。

  大学

… カエルにあるけどヘビにない。イカにあるけどタイにない。なあに。

  

… 歯科医と小児科医がボクシングをした。どちらが勝っただろうか。

  歯医者の負け

… 果物屋がトラックに、もも、くり、かき、みかん、りんご、バナナを
  積んで高速道路を走っていた。
  急カーブにさしかかったときにあるものを落とした。それはなにか。

ねぇ、まだ続けるんですか?

… そうだな。

何故ですか。

… その所以は言えん。

(2001.12.09)
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ミスター・ポインセチア

ポインセチアの鉢をもらってきた。

とある企業主催のセミナーに出かけたら、いたせりつくせりで、
昼飯の弁当はもちろん、夕方には懇親会までが用意されており、
普段めったに食べないような料理がたくさんでてきて美味しい思いをしてきた。
そして、クリスマスが近いからか、抽選会までもが用意されていたのだ。

参加費と引き替えにもらえる資料の中に、抽選券が入っていて、
といってもそれは名前を書くための罫線がコピーされたB6ほどの紙で、
それに記名して箱にいれておくと、抽選の時に、紙を一枚ずつひいて、
当たりをきめるという方式なのだった。

1等の賞品はデジタルカメラで、2等以下、自転車、カニ、みかん、など、
いろいろなものが揃っていて、100名を越える参加者に対して20ほどの
賞品が用意されていたようだ。

一番下の当たりが6等で、その賞品がポインセチアの鉢だった。
何本かあるその6等の最後で、僕の名前が呼ばれて、
めでたくもお土産をいただいてしまったのだった。

いまその鉢は、日当たりのよい窓際に置いてある。
ガラスにあまり密着させても夜に冷え込んでいけないかもしれないが、
へやのなかで一番明るいのがそこなのである。

とある企業主催のそのセミナーは2週連続なのであった。
もちろん内容は異なるのだが、どちらか一方のみの参加の場合もあれば、
両方ともに参加する人もいる。僕は予め2回分申し込みをしてあったのだ。

2回目は、だいぶ勝手がわかったものだった。
会場となったホテルのホテルマンが弁当を運んできても別段どきどきしなかったし、
休み時間にポットのお茶をのむ余裕さえあった。

同じように夕方のミキサーがはじまると、また抽選会がはじまった。
また何かが当たるといいな、できたら今度はデジカメが欲しいな、
なんて贅沢なことを、内心考えていたのは、まあ当然だ。
でもまあ1週間前にも当たったばかりだし、今日の方がやや参加者も多いし、
6等のポインセチアだって当たったら贅沢というものかな、なんて思っていた。

ら。名前を読み上げられてしまった。
おめでとうございます。6等のポインセチアです。
あ、先週もポインセチアをお持ちになりましたね。
ミスター・ポインセチアですね、おめでとうございました。

いまその鉢も、日当たりのよい窓際に並べて置いてある。
金色のフィルムでラッピングされて赤いリボンを掛けられて、
真っ赤に染まった2鉢のポインセチアが目に眩しい。

あの時、謙虚なことなど考えずに、デジカメ、デジカメ、と念じていたら、
もしかしてこんどこそ1等をもらえたかもしれないな、
なんて思いながらポインセチアを眺めては、
でもやはり欲張らずにこのくらいが俺には似つかわしいのかな、
などと、相変わらず贅沢なことを考えたりするのである。

(2001.12.12)
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疲れたなあ、ちょっと甘いものが欲しいなあ。
聞こえよがしにあたしはつぶやく。

あたしの目の前にさしだされたコンビニのプリンが嬉しい。
え、いいの。ありがとう。そんなつもりじゃなかったんだけどね。
嘘おっしゃい。あたしはそんなつもりでつぶやいたのだ。作戦成功。

ふわふわっとした生クリームがのせられた贅沢なプリン。
王子様や王女様も大好きなプリン。
カスタードプディングなんてしゃちほこばったものじゃなくて、
半透明なプラスチックの容器の中のコンビニのプリン。

ゆるくたゆたう暗い深い海の中でプランクトンの死骸が、
しんしんと降り積んで海底の泥を白く覆っていく。
魚を浮かばせる水の重みを首筋の後ろあたりに感じている私の目に
サーチライトに照らされたそれらが雪のように映る。
どこまで行っても白く覆われて見てはいけないものをすべて隠す。

飾りのついた小さな銀の丸いスプーンよりも
軽くて透明で角張ったおもちゃのようなプラスチックのスプーンがお似合いで、
あたしはそいつでクリームをそうっと小さくすくい取る。

私の顔と水とをさえぎる厚手のガラスの向こうに、
やがてはじめて動く大きなものを視線に捉える。
大きなといってもそれは私のたなごころの上に軽くのってしまうような
色が抜け落ちてしまったような海老の一種だ。
ゆっくりゆっくり歩くそれは、それでも降り積む雪を舞いあげる。

ふわりさらさら。かすかな甘みを残して生クリームは融けていく。
生き返ったここちだなんていうのは大げさなんだけど本当のこと。
あたしもずいぶんと安上がりなもんだわ。

生きているということは常に予測不能なことが起こることを意味している。
照らす光には無関心をよそおっていたその海老は、
伸ばされた機械式のマニピュレータに驚いたように、
さっと身動きして大きく雪を舞いあげて姿を隠してしまう。
滞空時間の長いその淀みが落ち着くころには影さえ残していないだろう。

もう一口。こんどは大きく深くすくい取る。
白いクリームの下のクリーム色のプリン。
つめたくてなめらかでふるふるとゆれる。
落としてしまわないようにあたしはあわてて口にはこぶ。

前進をつづける私の前に、やがていままでとは異なる風景がひろがる。
プランクトンの死骸の大雪原がとぎれて、ごつごつした岩が見えている。
そのあたりでは地熱で沸いた熱い湯が吹き出しているらしく、
視界はふるふるとゆらいでいる。温度計もずいぶんと高い値を示す。
生命とはまったく不思議なほどたくましいもので、空いたニッチがあれば、
予想だにしなかった環境へでも簡単に適応して棲息するようになる。
柔らかななまこのようないきものや海老たちが熱水鉱床のまわりに群がって、
生命の活動をつづけているのが見て取れる。

少し元気を取り戻したあたしは、もう一口、もう一口、と、
夢中になって口へとスプーンを運びつづける。
そうやってあたしは全部プリンをたいらげる。
ごちそうさま。ちいさく手を合わせて唱える。
ああ、おいしかった。こういうのを贅沢って言うのよね。

それからあたしは声をかける。
ねえテレビばっかりみてないで今度はあたしたちの話をしようよ。
それで私も彼女の方をふり返る。

(2001.12.14)
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エンディングは3つ

外はやや暗くなりかけた時刻。
つくりつけの台所のついたアパートの部屋の中で、
男がひとり、なにやら夕飯のしたくをしている。
と、そこに、ドアの呼び鈴をならす音がきこえる。

男は、ガスの火をとめ、なにかつぶやきながら、
玄関のドアをあけに行こうとして、1歩踏み出すが、
思い直したように、奥の部屋の壁にかけられたインターホンに向かう。

男「はい、もしもし」

インターホンの声「もしもし」

男「はい、なんでしょう」

イ「あの、こちら、NHKと申しますが、こちらは以前から…」

男「あぁ、受信料ですね、払っていません」

イ「ええ、その件でですね、伺ったのですが」

男「でも、テレビがありませんので」

イ(意外そうな声で)
 「え、テレビがないんですか。今後のご購入のご予定は」

男(少しむっとしながら、明るい声で)
 「ええ、ありませんよ」

イ「あ、受験生の方がおられるとか」

男「別にそういうわけでもないんですけどね」

イ「え、それじゃあなんでですか」

男「いや、あっても見ないですから」

イ「本当ですか」

男「本当です。いいじゃないですか、見なくても」

イ「ま、まあそうですが。ニュースなどはどうなさっているんですか」

男「インターネットを使えば充分です」

イ「そっか、本当に無いんですね、テレビは」

男「なんなら、部屋の中をお見せしましょうか」

イ「いえ、結構です。すみません、おじゃましました。
  テレビをお買いあげになった際には是非よろしくお願いします」

男は、声の主のいなくなくなったインターホンの受話器を、
しばらく見つめたあと、壁のフックに戻す。


(1)そして、いつになったら憧れのテレビジョンを購入できるかと、
侘びしい食事をとりながら夢想にふけるのだった。

(2)そして、何も音のしない部屋で、パソコンを立ち上げて、
趣味の文章を打ち始めるのだった。

(3)そして、自分の演技に満足したかのように、にっこり笑って、
部屋の中のテレビの音を、少し小さくするのだった。

(2001.12.18)
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音声の文字変換サービス

新しい携帯にしたんだ。
そう言って友人はポケットから携帯電話を取り出した。
へえ、少し大きくないか。
うん、この方が画面も大きくとれて、メールが読みやすいんだ。
それより、見てよ、これ。アンテナが無いぞう。
え?
ほら、アンテナが内蔵なので、外に出てないの。
ああ、内蔵ね。無いぞう、かと思った。
え?
いや、なんでもない。

いちいちパソコンに向かわなくてもその場でできるということで、
携帯電話を使用したメールのシェアが増えてきているということをきいた。
パソコンのキーボードを使い慣れた自分にとっては、
携帯電話のわずか1ダースほどのボタンで文字を打ち込むのは、
途方もない作業に思えるのだけれど、
はじめから慣れているものにとっては、大した手間でもないのだろう。
それに、メールと電話がほとんど平行に使えるような環境であれば、
長い文章をメールで送る必要もあまりないのかもしれない。

時代に逆行したように、携帯電話を持たぬことにしている僕も、
メールの文字が音声でも入力できるようになったら、
そしたらもしかしたら買うかもしれないなあ、などとも思う。

で、それがさあ、音声の解析にはそれなりのハードが要るわけで、
声をそのまま電話で中央の解析センターかなにかに送りつけて、
そこで解析処理の上、文字列になおして、携帯の端末に表示すんの。
それなりに集積回路の処理能力もあがって、
ほとんどリアルタイムで音声データを文字データに変換できるわけ。
でも、それだったら電話するのとあまり変わりがないかもなあ。

オペレータさんがイヤホンしながらキーボード叩いてたりしてね。

(2001.12.19)
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とてもとてもおなかの中が甘々なのです。

ねんまつも近いので、少しはやいけれど大そうじをしようということになりました。
まどをふいたり、ふだんはかたつけないたなをかたつけてみたり、
つくえの上にちらかっているもののばしょをうごかしてみたり、
なにやらへやの中の明るさがいちだんとアップしたようなきになりました。
それで、ひとしごとごくろうさまです、ということで、
上のもののはからいでおかしなどを買ってくることになったのでした。

買い出しに行ったのは、ぼくではなくて、甘いものだいすきくんでした。
そのだいすきくんは、あづけられたおかねのありったけで、
いろいろなものを買ってきたのでありました。
これはまことにおごられるもののおこないとして全く正しいしせいといえましょう。
ただひとつごさんがあったとすれば、それは、
しょくばのちかくにあるシャトレーゼでは、ケーキもアイスクリームも、
ひとつづつのねだんがそれほどたかくはないのだということでしょう。
というわけで、人の口のかずにくらべてきわめてたくさんのおかしが、
そこにならんだのでした。

そこに山があるから山にのぼるという名言をのこしたのはだれだったか、
もうおぼえていないのか、はじめから知らないのか、とにかくわかりませんが、
そこにケーキがあって、きっとあしたまで保ちはしないというじたいがおきますと、
せんたくしはひとつしかのこされていないのです。

というわけで、ぼくはゆうごはんの代わりに、甘いものをたらふく食べました。
たらふく、というのは、腹に足りるといういみなのではないかしら。
ケーキがふたつ、クリームのはさまったドーナツがふたつ、
大きなシュークリームがひとつ、カスタードパイがひとつ、それから、
アイスクリームもふたつ、です。
すごいねえ、なんて言われると、ついきょせいをはってしまうのもわるいのですが。
いま、胃のあたりから口の中まですっかり甘々なのです。

しかたがないので、胃の消化をたすけるというだいこんを、
なんにちかまえからことことと、ぎゅうすじとおしょうゆの味付けで
なべいっぱいににこんでいるものを、ふたつみっつほど、
たべておこうかなとおもうのであります。

(2001.12.20)
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両親が車で遊びにきた。
ふだん自転車を中心にした生活をしているぼくにとってこういう時はチャンスだ。
使えるものは親でもつかえ。自動車をだしてもらって買い物にゆく。
いつもならば、買い物の上限を決めるのは帰り道に手でもてるかどうかなのだが、
今日こそは思う存分買い物ができるのである。

立派な大根2本で120円。ほうれん草4把で100円。小蕪が4把で120円。
なんていうか産地直売じゃないかと思うくらい野菜の安い店があるのだ。
どれも取れたて新鮮なもの。田舎の八百屋あなどるべからず。
こういうところで買い物すると、スーパーで買うのが申し訳なくなる。
3Lサイズだけれどみかん1箱650円。ええい、これも買った買った。

ほうれん草のお浸し2把分、皿に大盛り。根元の赤い部分なんて、とても甘い。
小蕪の葉っぱは、だしと砂糖醤油で甘辛く炒める。ちょっと苦みがアクセント。
小蕪は皮をむいて櫛に切ってからイタリアンハーブと塩で軽く揉んでおく。
普段不足しがちな野菜を補うのに充分な量の野菜たち。
色を添えようと買ってきた刺身と、買い置いてあった純米の吟醸酒。
久しぶりの出番の電気炊飯器で炊かれたあつあつのごはん。そんな夕食。

箸もすすみ酒もすすみ、ひさびさにわいわいと囲む家族の食卓。
同じものを食べるのでも味の異なる気のするもので、またついつい食べて飲む。
食べることができて暖かいところで寝ることができて、それで幸せ、そういう気分。

すでに日本酒から甲類焼酎にきりかえていた母親なる人がいう。
ね、せっかく買ってきたみかん、味見するからひとつとってちょうだい。
ぼくは段ボールの箱をあけ、手のひらに余るほど大きなみかんを一つ手渡す。
あら、なかなかおいしいわよ。安かったけど当たりみたいでよかったわね。

ひとつ思い出したことがある。職場で目上の女性の人と話をしていたときのことだ。
みかんを人にあげるときどちらを上にするのかということが話題になったのだった。
だんぜんぼくは木になっている時のスタイルのまま蔕のついた方を上にする。
ところがその女性の人は逆だと言うのだ。蔕のついている方は下にする、と。
その話を思い出したので、母親なる人にその話題をふってみたのだった。
ねえ、みかんの上下ってどっちが上でどっちが下だと思う。

なにそんな変なことを訊くの、という顔で母親なる人はみかんをもうひとつ所望する。
ほら、こうでしょ。
すとん、という音とともにそのみかんをテーブルの上に置く。
みかんの蔕は下側に隠れてしまっている。
えええええ、こうじゃないの。僕は、とすんと音をたててみかんをひっくり返す。

あら、こうよ。すとん。
でもこの方が絵にやるよ。とすん。
柿なんかも蔕を下におくでしょ。すとん。
リンゴは柄の付いた方が上じゃない。とすん。
でもそれは、その方が置きやすいからじゃなくて。すとん。
でも、それじゃみかんのお尻が上になっちゃうじゃん。とすん。
みかんのお尻は、こっちの蔕のある方だと思うわよ。すとん。

お互い確たる理由のないままに信じ込んでいるみかんの上下に、
相手を納得させることもないまま、みかんは上下を入れ替え続ける。
みかんの話だけに話は終わりを迎えない。

いつのまにか結局むかえた結論は、どちらが正しいかを決めるのは難しいね、
というような曖昧なものだったような気がするのである。

翌朝、納豆とごはんとみそ汁の簡単な朝食をすませて、
コーヒーを飲みながら、母親なる人はいう。
ね、せっかく買ってきたみかん、味見するから一つとって。

味見ってまあ、昨日食べたことをお酒に紛れて忘れてしまったのかしら。
はい、どうぞ。とすん。

(2001.12.21)
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久しく留守にしておりました。また更新のペースを徐々に戻していこうと思います。
今年もどうぞよろしくお願いいたします。

12月の最後の夢殿更新をおこなったあと、実はいろいろとのんびり遊んでおりました。
ひとつめは九州にいる遠方の友人が上京するというのにあわせての東京での飲み会です。
あそぶために移動するのをさほど苦とも思いませんので、さらには大阪にまで出かけて
友人どもとまた飲んでおりました。そして戻ってきて、クリスマス雑文祭参加作をひと
つでっち上げ、年内最後の更新といたしました。そのあと時間がとれればひとつふたつ
はなにやら書こうという心づもりがなかったわけでもないのですがダメでした。ははは。

大阪から戻ってきてから「ハ○○○○○ーと賢者の石」((C)赤ずきん板)の映画も見
に行きました。レイトショウで割引になるからと思い、夜の最後の興行で見たのですが、
あとから気がついたら、その日は実はメンズ・デイで、もとから割引だったのでした。
なんとまあ、帰りみち寒いし眠いしだったのに。でも映画が面白かったからゆるす。

そして新幹線で帰省。軽井沢の辺りから空の色が暗くなりこゆきがちらつきはじめます。
群馬は寒いところだと常々思っていましたが、長野はもっと寒かったです。

正月休みの間は実家で、実にまたゆったりのんびりしておりました。
まず帰省する時に手土産以外に、なにも持たずに帰ったことが勝因でしょう。
なにかやりたくてもやる道具がないので、テレビをみるか、本を読むか、何か食べるか、
寝るか、そんなことしかすることがないのです。あ、風呂にも入ったか。

この間に読んだ本はざっと漫画が16冊(「大使閣下の料理人 11」西村ミツル原作 か
わすみひろし漫画。なんだか忘れたけれどラーメン蘊蓄漫画1冊。「こちらグリーンウ
ッド」那州雪絵、白泉社文庫版全6冊。「オトナになる方法」山田南平、白泉社文庫版
全8巻)。その他の本が6冊。映画を見た影響で2年ぶりに読み返したのが「ハリー・
ポッターと賢者の石」。改めて映画がいかに本に忠実であったかを思い知らされました。
それからとりこさんおすすめの「サムライ・レンズマン」は当然読みました。中学生の
ころに創元文庫で読んだレンズマンへのパスティーシュで、ニヤニヤしながら楽しみま
した。東京創元社では、レンズマンを新訳に改訂するそうでこれを機会にブームになれ
ば嬉しいなあ。それから、メディアワークス電撃文庫から出ている「リングテイル」円
山夢久著、1〜4。これもハリポタやら指輪物語(ロードオブザリング)の効果でファ
ンタジーがもてはやされている現在、もっと売れても良いと思われるのですが。という
わけで、読みに読みまくったのでした。実はテレビで「速読」を取り上げていたのを見
たのですが、速読をマスターすると、文庫1冊を読むのに30分かからないらしいです。
速読の練習しようかな… とちょっと本気で悩んでしまうこのごろ、読みたい本はたく
さんたくさんあるのです。

この休みはのんびりしていましたが、初詣にもでかけました。行き先は善光寺です。実
家から片道30分ほどで歩いて行けるので、無謀にも自動車で初詣をしようなどという浅
はかなこともせず、家の近くからすでにほとんど動いていない道路上の自動車たちを後
目にとことこと歩いて詣でたのです。ところが甘かったのは、元日の人出の多さです。
三門のあたりまで並んだ参拝客の後ろに並んだならば2時間待ちは固いところです。結
局、また来ればいいや近いんだし、ということに決定され、その日は参拝もせずに戻っ
たのでした。なんか、元日からだめじゃん。

2日には高校のサークルの友人と飲み会がありました。これもずいぶん長いこと続いて
いる、年一度の恒例の集会です。善光寺の仁王門に集合して参拝したのち、面子の一人
の経営する居酒屋に陣取って何やら話をしたりするのです。毎年、正月に集まるのです
が、正月にしか顔を合わせませんので、別れるときの挨拶は「では来年も良いお年を」
なのです。

3日には全国ニュースでの「名古屋で記録的な大雪」という報道を見ながら、ネットで
知り合った人たちに思いを寄せて、日本のいろいろな地域の人と知り合いになれること
の不思議を感じておりました。長野も当然のことながら、大雪でした。朝の時点で30セ
ンチほども積もっていたのです。雪は一日ふりつづいたのですが、その夜遅くにこちら
へ戻ってきたときには、また軽井沢あたりをすぎたところから天候がかわってしまって
群馬の自分の家付近には雪がまったくなかったことにはまったくびっくりしました。

4日には職場の賀詞交換会にでて新年の挨拶をしたあと、早引けし、東京の友人宅へと
向かいました。新年会で鍋をするのです。この会合も大学を卒業以来かれこれずっとつ
づいているのです。鍋をしながら酒を飲んで、積もる話をしていると夜も更けていきま
す。そのまま雑魚寝で、翌日の昼頃おきだし、のこった鍋にうどんなどをつっこんでそ
れをすすります。これまた美味いんだな。

さて、夜遅くに東京から戻ってきて、おもむろにスキーウェアーなどを引っぱりだしま
す。6日は朝から友人の車でスキーへと行く約束になっているからです。早朝から熱い
茶を沸かしてステンレスのデュアー瓶に詰めて車の迎えを待ちながらうとうとします。
若干出る時間が遅くなったので高速での渋滞に掛かってしいまいましたがゲレンデには
9時過ぎに着きました。このシーズンの雪はさらさらのパウダーなので最高です。友人
達の何人かはスノボ、僕はスキーです。僕はスキー板を履いてならばどんな斜面でも、
とりあえずは降りて来ることができるので、スキー初心者と一緒に滑りに行った時には、
上級者コースへと連れていくことにしているのです。そうすると斜面に慣れるので、初
中級者コースでの恐怖感が無くなるのです。まあ、連れて行かれた方はちょっと迷惑か
もしれませんが、断然上達は早くなります。そんなわけなのですが、今回、昼食を喰っ
たあと、友人とスキー板とスノボの板とを交換してみたのです。スノボは初挑戦です。
こえーよう、まったく。ほんの平らにしか見えない斜面も恐い。ああ、初心者とはこん
なに恐怖を感じるものだったのか、と初心に還りました。いやあ今までホント悪いこと
をしていたかもなぁ。

と、休む間も無いほどのんびりとした正月をすごしてしまった僕は、7日からのフルタ
イムの仕事の日々にようやく適応しつつあります。でもね、まだ年賀状書いてないのは
内緒なのです。さすがに13日の抽選会までには届くようにしないとなあ。ということは、
今週末の連休も温泉に浸かりにいく用事が入っているから明日か明後日の夜が勝負だな。
はぁ、のんびりするのもまったく忙しいことだ。

(2002.01.08)
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昼休み、お金をおろしに自転車で郵便局まで出かけた。
風は強い。その風に逆らってペダルを思い切り踏む。
厚手のハーフコートに身を包み、息をはずませる。

用事をすませてからの帰りは気楽なものだ。
正面から顔に吹き付ける風はいやなものだが、
後ろからの風ならさほど気になどならない。

美味そうなみかんが売られている。苺も安い。
郵便局からほど近い個人商店に自転車を停める。
風邪予防にはビタミンCを摂っておかなきゃなあ。

これとこれ、ください。みかんと苺。
250円と150円で消費税いれて420円ね。
あ、ちょっと待った。これもください。

目に留まったのは、揚げ物のつめあわせ。
コロッケ3つとメンチカツ2つのパック。
昼飯に喰おう、なんだか美味しそうだし。

これね、昨日の売れ残りだから、
サービスしとくよ。持っていきな。
えぇ、どうもありがとうございます。

行きつけの店で顔を覚えられているとかでは無いのだ。
大した金額ではないのだけれどなんか嬉しい出来事で、
おかげで今日は午後いっぱい、ずっとハッピーだった。

(2002.01.09)
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VISAで、というわけではないが草津温泉へ遊びに行ってきた。

改正祝日法、通称ハッピーマンデー法が成立したのは1998年10月で、
一昨年の2000年より成人の日が1月15日から1月の第2月曜となった。

もう3年めなのになんとなくまだ慣れぬ気がするのは、
社会の変化について行けておらぬ証拠で、
それだけ年をとったということなのかもしれない。
ただ、今年は14日と、慣れ親しんでいた日付よりも1日しか異ならないので、
さほどの違和感は無かった気もする。

改正祝日法では、2000年より成人の日と体育の日が
それぞれ1月と10月の第2月曜とされているのだが、
昨年6月に公布された法律によると、来年2003年からは、
海の日と敬老の日とがそれぞれ7月と9月の第3月曜となる。

連休を増やし、レジャーなどの機会を増やすことで、消費の拡大を謀るのが、
この法律の当初の目的のひとつであったという。
ならば、というわけでもないのだが、連休に友人が来たのにあわせ、
泊まりがけで草津温泉まで遊びに行ってきたのであった。

機会をみつけては遊んでばかりいることにばちがあたったのか、
出発を前にしていくつかトラブルが発生したが、そのトラブルも無事にクリアして、
土曜の午後、少し時間を遅らせてではあったが、
夕方には無事に草津温泉へと着いたのであった。

因みに草津温泉は群馬県にあり、JR吾妻線を利用する。
滋賀県の草津市とは、たぶん関係はない。
なお、新宿からは4時間弱の直通バスもあるようである。

一泊したのち、日曜には、スキーが初体験であるというその友人を引き連れて
宿泊地からほど近いゲレンデでスキーを堪能してきた。
レンタル店もチケット売場も、夏の海であればきっと
芋を洗うような、という形容を使うだろうほどに混雑していたし、
リフト乗り場も長い列ができていたのは連休中のことゆえ仕方の無いことだろう。
ゲレンデの一番高いところ、すなわち眺めのよい上級者コースへ
その友人を連れていくのは時間的に無理であったが、
曲がりなりにも中級者コースをこけながらも降りて来られるように
なったのは初体験にしては上出来だったのではなかろうか。

リフトを何本か乗り継いでたどり着いた、
石楠花コースという名の3キロほどの初級者コースを滑りはじめたとたん、
その友人がコースの脇に張ってあるネットに突っ込んでしまい、
ゲレンデに居合わせた数人に引き上げてもらったのも、
きっと本人にとって「良い思い出」になっているに違いないと確信している。
まあとにもかくにも、またスキーをやりたいと言わしめたので、まあ良い。

草津温泉のシンボルに「湯畑」がある。温泉街の中心に位置し、
わき出た源泉を木の樋を通すことにより、温度を下げるとともに、
硫黄分(湯ノ花)を沈殿させている施設である。
実は僕は以前にもここを訪れたことがある。その時は昼であったのだが、
今回はスキーをした帰りに、ゲレンデから宿まで歩いての帰りに
通りがかったので、ライトアップされた湯畑を見ることができた。
もうもうとたちあがる湯煙と透き通るような照明が、印象的な空間を作っていた。

そうやって土日をすごしてもまだ月曜に休みを残しているのが、
ハッピーマンデーの名前の由来だろう。
その喜ぶべき月曜には、湯畑周辺のほか、西の河原公園を散策し、
500円の露天風呂を満喫した。この露天風呂は広く、実に気持ち良い。
湯畑周辺から西の河原公園へ到る道筋には、温泉饅頭をはじめとした
土産物屋がならんでいる。行きも帰りもかならず温泉饅頭の試食を勧められる。
いくつかの店でそれぞれ蒸したてのあつあつをいただくと、
それだけでなんとなくおなかがいっぱいになってしまうのである。
さらにこの界隈には、つくりたての温泉卵を食べさせる店もあれば、
地ビールを特製のグラスで飲ませるところもある。
名の通りハッピーな一日であったと思う。

だがどうも週の頭から遊んでばかりいると、
なかなかエンジンが掛からなくていけない。
エンジンが掛かる前に今週も半分以上がすぎてしまった。
そろそろスイッチをオンにせんと。

(2002.01.16)
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ここのところやや暖かい日がつづいており、テレビのニュースは東京ではもう
梅が開花したと告げていた。

梅は咲いたか桜は未だかいな。聞いたことのある節だが実は良く知らぬ。調べ
てみると有名な端唄(はうた。三味線小曲)の中のフレーズであった。梅も桜
も同じバラ科サクラ属の樹木であり、梅と桜、と並べると美しいものの並びい
る様のたとえに用いられるし、どちらも花札の意匠にも用いられている。古来
より生活の場において私達の目を楽しませてくれた身近な花なのだ。

梅と桜では梅が先に咲く。実はその理由は花の構造にあるのだときいた。その
ちょっとした違いが気温の変化に対する感度に影響して、梅は流行にさとく、
桜は慎重肌なのだそうだ。すなわち梅はわずかな温度の変化に敏感で、数日で
も暖かい日がくるとすぐに咲き始めてしまうのに対し、桜は暖かい日が何日も
続かないと花を咲かせないのだという。

わが故郷では梅も桜もほぼ同時に花を開かせる。寒い地方ではわりと一般的に
聞かれる話であるようで、わが故郷も多聞に漏れない。いくぶんか標高の高い
ところに位置し、彼の地にては桜前線も、単に緯度で引いた線よりもへこんで
いて、梅も桜も4月の中旬を過ぎてはじめて咲き始めるのだ。

現金なのは、自分の家の周囲の梅や桜が、何軒か南に下ったところにある庭先
に植えられた花よりも何日かの開花の遅れを示すことである。桜も梅も南から
北へと咲いてゆくものだと、テレビの天気予報の桜前線の報道で聞き及んでい
たから、小さい頃はその影響だろうと思っていたのだが、よく考えてみると歩
いて行き来できる範囲にどれほどの差があるものだろうか。とはいえ植物はほ
んのわずかな環境の違いにも敏感に反応しているのかもしれないし、そもそも
品種の違いなど、別の原因に由来する問題なのかもしれない。

遅く訪れる春は待ちわびる時間が長いだけしみじみと迎えられる。そういう地
で育った自分にとって、梅の香りはやっときた春の象徴であり、うわついた春
の先触れを教えるものではなかったのだ。とはいえ、故郷を離れいくつかの地
ですごしてみるにつけて、まだき春に咲く梅にも、寒さにちぢめられた肩の力
を抜いてくれる力のあることを知るようになった。

三寒四温などということばもあるように気候はおよそ1週間の周期で変わるか
ら、数日の寒さが続いたあとに暖かい日がくるのもごく自然なことなのだろう。
だとすればまだ冬であることであるし遠からぬうちにまた寒い日がもどってく
るのかもしれぬ。冬の雪遊びも楽しみにしながらもそれでも、少しでもすごし
やすい天候を望んでしまう。ゲレンデでは雪ぞふれかしと思い、平地にては暖
かくあらまほしと願うのは、山間地方で暮らす人々の生活を無視した勝手なる
考えであるのかもしれない。

冬来たりなば春遠からじ。いずれ本格的な春はきっと訪れる。

(2002.01.17)
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急に思い立って両親に、来月末あたり沖縄へでも行ってこないかと誘ってみた。

すでに仕事もリタイアして悠々自適の生活を送っているのだから、週末以外に
でも自由に動ける。需要の多いだろう休日を避けてさがせば、格安チケットな
どを利用してかなり安く遊びに行けるはずなのである。案の定、週末に掛から
ないように日程を組めば、羽田からの飛行機の往復とリゾートホテル3泊4日
程度でも一人あたり4万円ほどからパックツアーがある。自動車をよく運転す
る父親がいるのだから、レンタカー付きのプランも悪くない。

年を重ねるということは自分のライフスタイルを確立するということでもあり、
そのレールからはずれることに対するバリアが高くなることでもあろう。

もう何年も前になることであるけれど、有名ファストフード店のフライドチキ
ンが美味しいらしいという話を母親がどこかで耳にしてきたことがあった。節
約の為にそのようなものを食べることの許されぬ生活をしていたわけでもない
が、たとえば旅行先で必要に迫られるなど、特別な理由がなければ外食をしな
いというライフスタイルのもとに暮らしていた両親には、フライドチキンを買
ってきて食べる、あるいは食べに行く、ということにある種の抵抗を強く感じ
ていたようである。

それでも美味いらしいから一度食べてみたいという話になった。ならば堂々と
そのファストフードの店に入れば良いものを、と今の僕ならば思う。世の中に
は何の抵抗もなくファストフードの店に入れる人が多くいて、その人達がそう
いった店を支えているのだ。しかし何故か父親は、そのファストフードの店に
入って注文するのに頑固に反対したのであった。ファストフードでものを食べ
ることは、考えてみれば両親にとってはじめての体験で、一種わけのわからな
いものである。自分のテリトリーをはずれたことに対する恐怖感はわからぬも
のでもない。結局、ドライブスルーで3片のフライドチキンとハンバーガーを
2つ注文し、最小限の時間で買い物を済ませたのであった。

フライドチキンなどは温かいうちに食べなければ美味くない。とは言っても買
い食いのできぬタイプだからであろうか、車の中で食べるなどという選択肢は
まったくないままに、家に持ち帰ってからそれらを食べたのだった。強めのス
パイスはそのままだったけれど、とうぜん冷えてしまったそれは、やや油っぽ
い感じであり、世辞にも劇美味とは言い難かったのだ。揚げたてを喰ってもら
えないという不当な比較条件のもと、そのファストフードのフライドチキンも
さほど美味いものでもないという結論が強制的に導かれたのだった。

ファストフードの味のよしあしを云々したいわけではなく、慣れぬことをする
ことの難しさを言いたかったのではある。以前にも、渋る両親を無理に説得し
てハワイへ連れていったことがあるが、その時もいざ参加してしまったあとで
はすっかり気に入ってしまって、またこようねなどと言っていた。慣れぬこと
でもやってみてはじめてその良さを知ることもあるはずなのだ。

両親には気ままに2人だけで海外でも何処へでも跳びまわって行って欲しいの
だが、いきなり海外へ2人だけで行って来いというのも、言葉の問題もあって
抵抗は大きいだろう。その点、沖縄であれば国内であり言葉の壁はさほど問題
にならぬはずで、飛行機を使うような長旅の良い導入になるだろう。とはいえ、
慣れぬことを勧めるのだから、きっとはじめは渋るだろうが、行ってみれば気
に入るはずなのだ。そんなこともあり、冒頭の言葉にはやや矛盾するようであ
るが、実は数年前からある作戦を実行している。盆や正月に両親と顔を合わせ
るたびに、来年の正月は沖縄ですごすのも良いね、だとか、次の海外旅行はど
こへ行きたいか、などと尋ねて、こっそりとイメージトレーニングを重ねてい
たのである。

そろそろ大丈夫かな、と思って冒頭のように両親を誘ってみたのだ。電話口に
でた母親に、こんな安い旅行見つけたし、切符の手配とかはネットをつかって
こちらで簡単にできるから、是非2人で行ってこないか、と勧めた時には、な
らば父親と相談するから、との返事であった。4日間となれば平日に掛からな
いようには日程をとることもできぬから、僕自身も僕の兄弟も両親について行
くわけにはいかないのだが、飛行機で行くとはいえ国内でもある。あっさりそ
の気になるだろうと予測していた。

レンタカーで沖縄の道を運転する自信もないし、また次の機会にするよ。父親
から掛かってきた電話の声はそう言うのだった。信州から山陰まで自動車で往
復することはやぶさかではないくせに。あまり年寄り呼ばわりしたくもないの
だが、全くもって侮りがたし翁は、といった感なのである。

(2002.01.18)
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先日のテレビで「アポロの月面着陸は、当時ソ連と宇宙開発をめぐって競争し
ていたアメリカが国の威信をかけてついた嘘だった」という特集をみた。何度
かにわたるアポロ月面着陸は実際には嘘で、単に地球を周回したのちにもどっ
てきただけで、月面の映像はすべてねつ造されたものだというのだ。例えば月
面上で(光源が太陽1つだけのはずなのに)異なった角度の影が伸びているだ
とか、カメラの仕様上写り込んでしまうはずの照準のような十字線が写真のな
かの被写体に一部が隠されているだとかから、地球上の別地点でとった写真や
合成写真をもって月面の写真だと偽っているのだという。面白かったのは、月
面をふわりふわりと歩く宇宙飛行士の映像を、倍速送りでみると、地球のどこ
かの砂地を小走りに駆けているかのように見えるのだ。月面車の移動映像も早
送りすると単なる荒れ地を走るバギー車にしか見えない。月面上では重力加速
度が小さいので物がゆっくりと落ちる(あくまでも同じ高さから落とした場合)
はずであることを視聴者の皆が知っていることを利用したトリックなのだとい
う。空気がないので風は当然吹くことのない月面に星条旗をたてる際に、旗が
はためいて見えるとも言っていた。たしかにそう言われてから映像をみるとそ
のようにも見える。

ねつ造なんてものは実際にはその辺りにいくらでもころがっている。遺跡の発
掘でマジックハンドと呼ばれた人もいた。卑近な例では領収証の宛名を空白に
してもらってあとから都合のよい名を書き込むなんてのもありがちである。ち
ょっと友達に知ったかぶりで本当はよく知らないことを滔々と述べてしまうな
んてのも似た例か。人間関係の潤滑剤として上手に嘘をつけば、嘘も方便など
とも言う。

昨年の10月15日の掲示板への書き込みの中で、ろうさんに勧められた本がある。
半村良の「闇の中の系図('74 初版)」、「闇の中の黄金」、「闇の中の哄笑」
(いずれもハルキ文庫に再録、'98年)がそれだ。政治的な理由などのために
隠れた職業として嘘をついていた嘘部とよばれる人々が居た、という虚構にも
とづいて、半村氏のイマジネーションのみごとな広がりに、読者は自然とだま
されていく。3冊からなるシリーズの最終話では、日本の国の威信をかけてあ
る嘘をでっちあげることになる。僕がつたない記述でいろいろ述べるよりも実
際に読んでもらうのが良い。本を読んだ時にはその世界に引き込まれながらあ
まりにも壮大な嘘に感心さえした。だがあくまでもノベルの世界。本当にそん
なことがあるなどとはこれっぽっちも思わなかった。

そんな本を読んでから数ヶ月のうちにくだんのテレビである。事実は小説より
奇なりとはまさにこのことかと感じ入った。やはり小さな嘘だとすぐにばれて
しまう。どうせつくならば大きな嘘をつかなければならないということか。

(2002.01.19)
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路地に植えられた水仙が咲き始めていた。

襟巻きをして外にでた。
手はポケットに突っ込んで首を縮めた。
濡れた地面に小さな青い雑草の花をみつけた。

ここのところ、すこし、
余裕がなかったな、と、反省した。

風さえなければ日射しはぬくい。
硝子の窓の内側でぬくぬくと空を見上げた。
昨日の雨のあとでぬけるように青かった。

(2002.01.22)
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OMシステムへの追悼文

オリンパスが一眼レフシステムから手をひくらしい、と知った。
正確に言うならば、35mm一眼レフの銀塩カメラシステムとしての、
「OMシステム」を販売終了にする、という記事を読んだのだ。

一眼レフカメラを供給している日本の大手カメラメイカーには、
オリンパス以外では、代表的なところでは、ニコンキヤノン
京セラ・コンタックスペンタックスミノルタといったところがあげられる。

その他にも、シグマのような、レンズメイカーと呼ばれる
主にカメラのレンズを作っているところで出されたカメラボディもあるし、
かわったところでは、趣味が高じてカメラをつくってしまった世界最小の
カメラメイカー、安原製作所の一式、二式といったカメラ
(ただし、一眼レフとは異なるレンジファインダーとよばれる形式のもの)
もある。国産という縛りからははずれるが、高級カメラの代名詞の感のある
ライカの名もあげないわけにもいかないだろう。

一眼レフというのは、レンズを通して入ってきた光を、
フィルム面とレンズの中間に置かれた鏡を使って光路をまげてやって、
ファインダーと呼ばれる接眼窓から覗くことのできるシステムである。
ほとんどの一眼レフカメラでは、撮影の瞬間に、この鏡がもちあがり、
レンズを通して入ってきた光がフィルム面にあたることによって
フィルム上に像が焼き付けられる。

そのような仕組みになっているため、ファインダー上で、
レンズを通してフィルム上に写るのとほとんどかわらない像を
見ることができるのが特徴である。

その他に一般的な特徴として、自由にレンズを交換することが
できるシステムであるということがあげられる。
これは、望遠レンズや広角レンズなどさまざまなレンズを用いた場合にも、
ファインダー上でフィルム面と同じ像を確認することが可能な
システムであるからこそできることなのである。

実は、オリンパスの一眼レフシステムには「OMシリーズ」のほかに、
「L-シリーズ」というものもある。

レンズの交換という操作は、趣味で写真を撮る人の一部にとっては、
非常に楽しい操作であるものだが、同時に面倒なものでもある。
望遠から広角までを1本で兼ねてしまうようなズームレンズの性能が
単焦点レンズにくらべてさほど遜色をみせぬようになってくると、
カメラのボディ1台に対して、ズームレンズが一本だけあれば良い
と考えるような人も増えてきている。

それをさらに押し進めたのがL-シリーズで、このカメラは、
そもそもレンズ交換をすることができないシステムになっている。
レンズ交換のメリットを切り捨てるかわりに、
OMシリーズにとっての弱点であったAF(オートフォーカス)を
搭載したのであった。

オールインワンで、必要なものはとりあえずすべてついている、
という方向性は、手軽に高性能なものを使いたいというユーザーには
向いているだろうと思う。けれど、僕が敢えてレンズ交換可能な
システムにこだわっているのは、不必要なものまでカメラに
つけてしまうことの無駄が、美しくないと感じるからである。
カメラは手で持ち運び、機動性をもたねばならない。
であれば要らないものはつけたくない。けれど人によって異なる
欲しい機能は、自分で選んで組み合わせることができる。
それがカメラ遊びのひとつの醍醐味でもあると思うのだ。

いまカメラは不必要なまでに高機能化しようとしているのではないか。
被写体にレンズをむけ、とりあえずレリーズボタンを押せば、
レンズの焦点あわせ、絞りおよびシャッター速度の選択、
そういった面倒な操作をすべて自動で代行してくれる。
大きくて重いけれど、すべてを任せる信頼性を備えたカメラへと。

もちろん、他メイカーからもMFの一眼レフカメラ数機種が、
主に入門機としての位置づけで残されてはいる。
定評のあるツァイスレンズを使用できるコンタックスのシステムも
長らくMFのみであったのだが、ついにAF化された機種が登場し、
さらには従来のレンズとの互換性のないAF機(N-シリーズ)が
発売されるに至っている。

オリンパスのOMシリーズは、時代に乗り遅れたシステムであった。
各社のカメラがどんどんとAF化されていく中で、
有効なAF機構を取り入れることができなかったために、
結果的にMF(マニュアルフォーカス)にこだわった、
小さくて、軽くて、静かなシステムとなっていた。

カメラに求めるものは人それぞれである。
写れば良い、というレベルから、仕事に使う人までいる。
僕は趣味で使いたい。だから楽しく使いたい。
しかも、自分の意志を反映させることのできるカメラが欲しい。
そういうことを考えると、フルマニュアルのカメラを使いたくなるのだ。

自動車の運転はオートマではなくミッションの方が良い、などと
仰有る人には、僕がカメラにAFを求めない、その理由を納得してくださるだろう。
機械まかせではなく自分の設定した通りの、焦点、絞り、シャッター速度。
たまには失敗することもあるが、後に理由の判らない失敗はない。

これからカメラをはじめるひとがいたら、お願いしたい。
ただ簡単に一律に良く写るだけのカメラが欲しいのではなく、
趣味として、自分の意志を反映させた写真をとりたいのであれば、
MFの、そして絞りやシャッター速度を自分でセットするような
時代に逆行するようなカメラを是非使ってみて欲しい。

ファンには寂しいことだが、オリンパスがOMシステムを販売終了することで、
またカメラの一つの時代が終わるのだろう。

(2002.01.23)
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「…そのたびに、女が男に近づくときには誠意ある結婚の意思を
 持たねばならないのだと自分をいましめたが、…」
 (キャサリン・アサロの小説より一部抜粋)

先日読んでいた空想小説の冒頭に近いところで描かれるある登場女性の科白。
その舞台が男と女のジェンダーが入れ替わった世界であることを示している。
この世界では、男が守られるべきものであり、一度性を体験したあとは結婚により
その相手によって保護されなければならない。女は、往々にして本能には相反する
ある倫理に基づいた誠意のもとで男性を獲得するようにしなければならない。
この科白の中の男と女の文字を入れ替えて読んでみたら良いだろう。
男と女が入れ替えるだけで、随分と古めかしい世界観でもあることが暴露される。

実は、さらにこの本を読み進めていくうちに、この世界設定が物語の進行上で
根幹に関わるような必然のものでもないということに気付く。女性である著者が
現実へのアンチテーゼとしてさりげなくちりばめられた設定の一つなのだろう。

ふと、ページから視線をはずして考える。
物語のストーリー展開とは離れた思考ループの中に入り込んでいく。
こんな科白を吐く人の暮らす社会とはどんなものなんだろう。
男と女の役割というものを規定するつもりもないし、既存の古い価値観を
昔からあるというだけの理由で擁護するつもりもないのだけれど、
このような世界というのは偶然に生まれ得るものなのだろうか。
言ってみれば自然発生したジェンダーが現存のステレオタイプと
逆転するためには、どういう要請が必要なのだろうか。

この社会の中では、男と女のジェンダーの差は、
子どもを産ませる側か産む側かにもとづくものであると思われる。
性交渉の後、受精がおきれば、女性は子供を体内で育み、
産み落としたあとも授乳等をおこなう。育児は他人に任せることが
可能かもしれないが、出産までは他人に任せることができない。
すなわち出産のための物理的なコストを支払わなければならない。
それが女性にとって自己の遺伝子を残すための唯一の方法であった。
育児を男性と女性のどちらが受け持つかという点において、公平にしたとしても、
払うべきコストは女性に多い。また社会の成立しはじめた初期の頃には、
人工ミルクなどはなかっただろうから、育児において授乳することのできる性
すなわち女性の払うべきコストがより大きかったことは充分に予想される。

また、女性にとっては性交渉の相手がだれであろうと、
出産育児という機会により自己の遺伝子を残す確率は変化しないが、
男性にとっては、相手には浮気をさせず、自分は浮気をするのが
播種の戦略という点では一番効率がよい。つまり、結婚という制度は、
女性には出産・育児にかかるコストを男性から補償されるもの、
男性にとってはそのコストを自己の遺伝子の繁栄に支払うかわりに
女性が他の誰かと性交渉を持たぬように契約するもの、
であったのだろうと考えられる。

オトコのウワキを肯定する目的ではないことを明言のうえ、
誤解をおそれず、こう言いきってしまおう。
女性にとっては結婚は自己に有利な取り決めであり、
婚外性交渉による自己遺伝子の存続可能性はほとんど変化しない。
男性にとっては結婚は、逸脱することにより自己遺伝子の存続の可能性を
大きくすることができる、配偶相手には守らせ、己は破るべきもの。

もちろん、現在の世の中では、育児は女性の仕事に限るわけではないし、
女性の産まない権利も認められている。従って先にのべたような結婚観が
けして今風なものでも、正当なものでもないのは承知しているつもりだ。

このようなことに思い到ったときに、冒頭で述べたような、
ジェンダーの逆転した社会というのは、かなり特異的なもの
なのではないだろうかと思われてくる。

何らかの原因により、女性の数が男性の数にくらべて、定常的に少ない
世界だったらどうであろうか。モノガミーを前提とするならば、
数の上で有利な女性に選ぶ権利が生じるだろう。
それはあたかも蜂や蟻の結婚飛行のようなものかもしれない。

しかしそれだけで、男性が「性交渉のあとは結婚という制度により
保護してやらねばならぬ対象」になりうるだろうか。否である。
受精、育児に掛かるコストを多く支払うのは女性である点に
変化がないかぎり、この点の逆転はあり得ないだろう。
わたしできちゃったの、産もうと思うんだけど。
その一言を言い出すのはいつも女性であり、
結婚することで相手を「保護」しようと思うのはいつも男性なのだ。

ならば、出産、育児にかかるコストが、男性、女性ともに、
ほぼ同一であったならどうであろうか。これまでの前提に従って考えるならば、
そのような世界ならばジェンダーの差は比較的小さくて済んだであろう。

育児のコストが男女ともに平等であるためには、
母乳により子供が育つというシステムは適していないかもしれない。
また受精から出産までの期間が長いのも、女性のコストのみが
大きくなる原因であるから、これも避けるとしよう。
ならば鳥類や爬虫類のような生殖のスタイルを持てば良いのである。

タマゴから生まれたあとは男性が育てるのであれば、
コストの計算から考えて、男性が結婚により保護されるべき性になるだろう。
そうなると、もう哺乳類とは言えないかもしれない。
だが、もともと授乳の役割分担は、配偶子の大小とは関係なくても構わない。
卵を産んだ性が授乳するのではなくても、産卵に立ち会った男性の
体内のホルモンバランスの変化により体液が変化し「父乳」が分泌される
というシステムであっても構わないわけだ。
もちろん、実際には、より確実性を高めるために、立ち会う必要性をまたず、
体内に胚が定着した女性の体内でホルモンのバランスが変化する。

確かに産む性である女性の担ってきたジェンダーの一部を
男性に負わせることに成功したように見えるが、結局それは
産むことのコストをさげ、育てる必然を持った性として男性を設定した
だけであるから、思考のパターンとして、本質的にはなんの進歩もない。
なんだかいろいろと書いてみて、
自分が酷い性差別主義者なのではないかという気がしてきた。

人間はタマゴで子供を産むことができない以上、
女性は出産というコストを支払わなければならない分、
男性は育児においてよけいにコストを支払わなければ、真の意味で
男女平等というものは実現できないのだ、というのが今回の結論である。
ほんまか。

因みに、くだんの科白を吐いた女性もタマゴを産んだりはしなかった。

(2002.01.24)
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alien and chinese cabbage

整然と植えられた白菜畑のわきを通るたびに思い出すものがある。
今から20年以上も昔の映画、エイリアンである。

宇宙船ノストロモ号が救難信号と思われるものを受信し、現地へと向かうが、
そこで待ち受けていたのは人類の存亡に関わる危険な異星人であった。
ギーガーのデザインによる、生物的な曲線からなる内臓のようなイメージの宇宙船。
床一面に整然とならんだ楕円形の、大きめのラフレシアの蕾のようなもの。
なにも知らず救助すべき人を探し歩くノストロモ号の乗り組み員の一人の顔に、
突如そのエイリアンの卵から飛び出てきたフェイスハガーが貼り付いてしまう。
外科手術で取ろうとするが、体液が濃硫酸なため傷をつけると周囲が溶けてしまう。
そうこうしているうちに、ソレはいつのまにか剥がれ落ちるが、
じつは乗組員の体にエイリアンが寄生してしまっていたのであった。
普段の何倍もの食事をぺろりとたいらげるその乗組員。
そして腹を破ってとびだしていくすばやい動きのエイリアンの幼生。
なかなか全貌を見せぬエイリアンに次々と殺される乗組員達。

手に汗をにぎるホラー小説を宇宙という舞台へと持ち込んだエイリアン1、
何故か大群のエイリアンとのアクションバトル映画だったエイリアン2、
ターミネーター2(91年)とラストシーンがかぶっちゃったり、あまり良い
評判はきかないけれど、造形が嫌いではなかったおバカ映画エイリアン、
エイリアンについてウェブで調べなおしていて出てきたけど、
見たかどうか記憶が定かではないエイリアン4、などとシリーズ化され続けたのも
それなりに人気があったからなのだろう。

後に映像も見たのだが、エイリアンのノベライズをはじめに何度も繰り返し
読んだのは、ぼくのSF歴の中でもごく初期のころだった。
これだけ時がたってまだ印象が強いのはそのせいかもしれない。
自分の記憶の中でいくつかのシーンは実際とは異なるものへと熟成されただろうが。

さむざむと開けた畑の一郭に藁でしばられて少し枯れた葉に囲われた白菜が
一定間隔でならんでいるその様子が、エイリアンの卵のシーンに重なるのである。
そんな畑のわきを通るたびに、一方でいつかあの中から大きな蜘蛛のような姿の
フェイスハガーが飛び出して来はしないかとドキドキし、他方では理性が、
そんな非現実的なことは有りえんと言う。僕は少しオトナになった。

(2002.01.25)
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日曜に昼過ぎまで惰眠を楽しんでいたら、宅急便の業者から午後の在宅予定を
問う電話が掛かってきた。土曜の夜から降り出した雪のせいもあって外出する
気もなかったので、その旨電話口でつたえると、なんだか大きな荷物が届いて
いるのだという。しばらく待っていると、なるほど、不在のために一時的に持
ち帰るには大きすぎる荷物が届けられたのであった。

その大きな荷物とは絵であった。何ヶ月か前に四国方面へ旅行したときに、は
じめて出会った画家業を営む人から絵を書いてもらう約束になっていたのだ。
そう書いてしまうとちょっとかっこうよすぎるかもしれない。実際のところは、
道後温泉で一風呂あびていい気持ちになりながらぶらぶら歩いているときに偶
然にみかけたアトリエで、硝子越しにちと気になる絵が飾られていたのをみつ
けて足をとめたことに端を発する。僕は自分で絵を嗜む方でもないし美術に関
する知識がある方でもないので評論めいたことは書けないのだが、まあなんと
なく飾られていたその絵が気に入ってしまったのだ。旅行先であるということ
もあって、普段よりもよけいに積極的になっていたためかもしれない。それで
声をかけて中を見せてもらうことにしたのだった。まあなににせよそうやって
縁がひとつできたのだった。

はじめは、その飾られた絵のモチーフの絵葉書くらいでも貰えないものかなあ
なんて思っていたのだけれど、実際に絵を見せてもらっているうちに欲もでて
くる。そこは相手も絵でたつきをたてている人であって、気に入ってもらえた
のなら是非手元に絵を置いて欲しいといつのまにか説得されてしまったのだっ
た。僕も僕でふだん文化的というにはほど遠い生活を送っているのを、ひとつ
生活に潤いを求めてみる良い機会かもしれないなどと思って随分とその気にな
っていたのもある。とはいえ、もちろん只でというわけにはいかない。ここで、
パソコンや腕時計のようにこのたぐいのものはだいたい幾らぐらいという基準
があるものは良い。その値段で欲しければ買うし、不要ならば買わないとはっ
きりしている。ところが絵などというものはきっと欲しがる人が居て値のつく
もので、絶対的な値段の基準などというものはおそらくないに違いない。まし
てや美術に関してはドの字のつくほどの素人である。だから言われた値段が安
いのか高いのかの判断が正直言ってまったくつかないのだ。もちろん、売る側
としては随分と安くしたつもりなのだろうし、かといって一食で喰いきってし
まえるような値段でもない。いくら考えても結論は出そうにないから、自分が
無理せずに払える金額であったこと、普段の生活の中でその程度の額の買い物
をしたことが何度もあったこと、という自分なりの基準もあり、これも勉強と
納得したのであった。もちろん投機対象などとして考えているわけではないか
ら、転売などはおそらくしないので、その絵に他人が幾らという評価を出すの
かを聞く機会は無いだろう。その画家がとてつもなく有名にでもならないかぎ
り、幾らで絵を買ったのかは僕の胸のうちに隠し通しておこうと思う。

その時の打ち合わせに従って一枚の絵を描いてもらっていたのだ。トロ箱に水
揚げされたばかりの何匹かの青い魚といった感の絵である。その他に、ずっと
テーマとして描き続けているという様式化された鰉魚(エンペラーフィッシュ)
という魚の小さな絵も描いてもらった。宅急便で届いたのが大きな荷物であっ
たと書いたけれど、その絵は畳一枚の2/3ほどもあるサイズの絵なのである。
何重にも重ねられた段ボールやエアクッションを取り除いてようやく姿を現し
たその絵を、何処に掲げるべきかまた悩んでいる。異な縁で入手することにな
った絵であるが、まずは自分の部屋の様相を思い浮かべるべきであった。とり
あえず今は万年床の枕元の壁に魚の絵の額縁が起てかけてある。縁起の良い夢
でも見ることを願っておこう。

(2002.01.29)
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田舎ゆえ田に囲まれた中にたつ近所の焼き肉屋は、
会員になると会計のたびに点数を加算してくれて、
それがある一定の点に達するとさまざまなサービスが受けられる。

何度か目下のものを連れていって飯を奢ったら、途端に点数が貯まる。
そんなわけで、いま、財布の中に一枚のお食事券がはいっている。
ロース一人前を無料でお召し上がりいただけます。有効期限は6月19日まで。

熱く焼かれた鋼鉄の上で音をたてて焼ける肉の香ばしいかおり。
ああ、近いうちにまた訪れよう。奢ってやるのもやぶさかではない。
ただし、値段の高い肉ばかり頼むヤツはNoGoodで一時拒否だ。

次の時間には奢ってあげるから予算は心配しなくていいよ。
そんな旨をぼくも言われてみたいものだ。

(2002.01.31)
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「病気も個性のひとつだから」

あなたは、100%健康で、100%健全ですか。
もし、ハイ、と自信を持って答えられる人がいれば羨ましい。
僕にはすでに虫歯もあるし、軽い乱視持ちでもあるから
それだけでだってもう不合格だ。
皮膚だっていい年してアトピーの気があるし、
匿名雑文祭ではないけれど、春になると花粉症もでる。
いつだって眠たいしいつだって餓えている。
それも全部含めて僕の個性ということだ。

風邪なら薬を飲んで症状を抑えられる。けどすべてがそんな具合じゃない。
どうしようもないことだってあるけれど、そんなときどうするの。
100%を求める必要なんてないじゃない。完璧である必要なんてないじゃない。
ね、病気を治すんじゃなくて、病気とうまくつきあってく方法をさがすんだよ。
はたからみると深刻に見える人が、明るくそう言って笑う。

自分を客観的に知って、
自分が完璧ではないからもうだめだなんてあきらめてしまうんじゃなくて、
手の中の駒を最大限活かしながら欠点と共生する方法をかんがえること。
それができてはじめて言っていい言葉かもしれないけれど。

一日に何分かよけいにすすんでしまう腕時計をしていながら、
これもこいつの個性なんだよな、と再認識をする。
正確さだけを求めるならば味気ないけど精巧なデジタル時計を買えばよい。
こせこせせずにおおらかに、おおらかに。

(2002.02.01)
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久しぶりに米を炊くと、おかずも作らなければならないという気になる。
とはいっても、冷蔵庫に常に備蓄があるわけでもない。
しかたが無いから肉なしの肉じゃがを作ることにした。

鍋をコンロにかけて、少量の湯を沸かすのである。
その中にさらさらっと、かつお風味のだし調味料をいれておく。
調理酒用に買い置いてある紙パックの日本酒をとぼとぼとぼっと注ぐ。
そうそう、タマネギがあったよな。これが甘みをだしてくれるから、
砂糖なんて入れる必要もない。ざくざくざくっと櫛に切って鍋に放り込む。

よく煮てくたくたになった方が美味しいよな。
でも煮物は火をとめてから冷えるときに味が浸みるとも聴いたぞ。
一度、思いついたように火をとめてみたりなんかするのである。
でもなんだか気になるから、またすぐにとろ火で炊きはじめるのである。

そして、味の決めてはこれ。
ちょっと反則技かもしれないけれど、先日に豚の角煮を煮たときの
煮汁が勿体なかったので冷蔵庫で保存してあったものがあるのだ。
良い具合にゼラチンも出ていて、冷やすとぷるぷるしている。
飴色というのか琥珀色というのか、脂身を除けて容器に入れてあるので、
煮こごりのような感じになっている。
これを投入しよう。これで肉の買い置きがないけれど、
ばっちり肉の味がするに違いない。

なんてやっているうちにご飯が炊けてきた。
ご飯を炊くときに、冷凍庫から引っぱりだしてきた
牛蒡の炊いたやつなんかを一緒に入れたから、味付けご飯風に僅かに黄色い。
牛蒡と、それを煮た醤油の香りがわずかにうつっていて、ちょっとごちそう。
ふうわり薫るご飯と、煮上がったばかりの肉じゃがで
ちょっと気持ちだけ贅沢な手作り夕ご飯とあいなった。

肉じゃがに肉が入ってなかったのは残念だけど。
あと、じゃがいもも入れ忘れたんだけれど。

(2002.02.12)
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