今朝方見た夢・夢殿
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(121-130)−−−−+−−−−+−−−−+
きんぴかの部屋が何故悪趣味なのか。
林檎の絵を描けといわれてはじめて描いた
賽は投げられた。
コーヒーはインスタントで済ませることが
いろいろなお菓子がある。
「鳥和え酢」と「テキと雲丹」 
99.09.14 友人Tへのメールから抜粋 1
99.09.14 友人Tへのメールから抜粋 2
99.09.16 友人Tへのメールから抜粋 3
ひさびさにニュースクリップなど
(131-140)−−−−+−−−−+−−−−+
獲得形質は遺伝しない。
お箸は何膳おつけしましょうか。
うわぁ42人だと。ガッコの一クラス分。
昨日の夕方より降り出した雨は天気予報や
<font color ="#C0FFEE">水色</font>
きゅうかんば、を漢字で書くと、
音がふと途切れた時に、始めてその音を
スーパーなんかで豆腐とかを買った時に、
平均台なんてものが、マットや跳び箱と
夢はその人の体験や想像の範囲でしか
(141-150)−−−−+−−−−+−−−−+
人のふり見てなんていうけれど、
なまこだのなっとうだのを形容するときの
差別的表現に関する問題は難しい。
僕は煙草を吸わない。
暦の上では春が立ったとは言え、
缶コーヒーを飲んでいて思ったこと。
ぎょうざを手作りしてみた。
<a href="#link">リンクについて</a>
近くの饂飩屋で定食をたのむと、飲みもの
Nipponese Onlyなページ
(151-160)−−−−+−−−−+−−−−+
久しぶりにテレビをつけてみたら思った
うようよ泳ぐハリセンボンという、
伊予柑とグレイプフルーツのお値段が
いーしやーきーもー、、ヤキイモ、、
無造作に開かれた世界。ネットワーク。
きっとそれはブロッコリーの一種
忙しい時ほどのんびりしたいというのは、
シーズンだからいろいろな人がスキーに
春も近いなぁと思うとき。
まともな表紙のついたメモ帖が欲しいと
160
━−−−+−−−−+−−−−+−−−−+−−−−+−−−−+−−−−+−−−−160 

きんぴかの部屋が何故悪趣味なのか。

きんぴかを見せびらかすのは、いかにも成金趣味だと人は言う。
たとえば着る物に金をかけるのは良い。
でも、こっそりと金を掛けるのが上質であり、人に自慢するものではない。
だから表は控えめにしておいて、裏地に金をかけるのが良い。
絹の五色の糸で登り竜の刺繍をするにしても裏地に限る。

金閣よりも銀閣の方が良いと人は言う。
でもあれは、単に箔を貼るだけのカネがなかっただけだと歴史の時間におそわった。
中尊寺の金色堂。あれが悪趣味かどうか。
たとえそれが裕福な層をしか相手にしていなかったのかもしれないが、
見た者に極楽浄土を見せようと企画したのであれば、
あれが金ぴかであることは必要であり、悪趣味ではない。

そもそも、極楽浄土と言って、ジパングと言って、金ぴかの建物が連想される時点で、
すでに民草の欲求はあらわれている。みな金ぴかの家に住みたいのである。

そういう部屋に住みたくても住めないから、
誰かがそういう建物を作ったりすると、やっかみ半分で、あれは趣味が悪い、
なんて言い出すのである。本当は住んでみたいくせに。

だから、人を決して招き入れない、たとえば寝室などを金ぴかにするのは良いが、
客間はあくまでも質素に、そう、たとえば茶室のようにするのが上質である。
というわけで、ボクは客が来ても、金ぴかの部屋も、大理石の風呂も純金製の風呂桶も
見せないし、使わせない。存在すら教えないのだ。

なんてウソ書いてみたけど、やっぱ金ぴかの部屋って、悪趣味だなぁ。
でも、決して手に入らないものをやっかんでいるわけではない。

(2001.01.15)
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林檎の絵を描けといわれてはじめて描いたのは、幼稚園の時であっただろか。

難しくいうならば、林檎の回転対称軸を含む平面で切断したときの切断面の形、
簡単にいうならば、数字の8を横にしてすこしくびれを太くしたような形、
それを赤のクレヨンで描いて、それに軸であるところの茶色の棒を添えていた。
なぜそんなことを詳細に覚えているかというと、幼稚園の同じクラスの女の子が
描いた林檎の姿にいたく感動したからである。それは、赤い丸の上から約1/4の
ところに三日月を舟のように寝かせた線、つまりくぼみを表す線を描き、そこ
から茶色の軸を描いていたのである。なんと立体的にその林檎は見えたことだろう。
紙の上に描かれたその赤い丸は、林檎の軸よりも向こう側の輪郭を表していることが
なんと革命的に思われたことか。その絵を見て以来、自分にとって林檎とは、
赤い丸に窪みを描き、茶色の軸を書き添えた記号が象徴するものとなったのである。

尖った方を下に向けた赤い三角にみどりの蔕を描き添えるといちごであり、
緑色の少し大きめの丸にT字を添えるとメロンになり、やはり大きな丸に、豚の
しっぽを描く時のようなくるんと一回転した柄を添えて、中を縦縞にすることにより、
それは西瓜となる。オレンジ色で少しつぶれた楕円を描いて、そばかすをつけ、
緑色のぽっちを書き込めば、それは蜜柑であり、黄色で両端の尖った卵形をかけば、
レモンであった。そのように写実的というよりも記号的な認識の中で果物の形態は
模写された。おそらくこれは、ある程度、誰にも共通する体験なのではないかと思う。

中学になって描いた林檎は、水彩の絵の具で描かれており、実物よりかなり大きく
描いたことを美術の教師に注意されたけれども、自分なりには、林檎の表面の、
散水して赤くさせる処置をした際の水の流れに由来するような筋もふくめて、
微妙なテクスチャーをうまく表現できたと、文字通り自画自賛している。
その絵がまだどこか押入に残されているかどうかは、探してみないとわからない。

部屋の片隅の段ボールの箱に描かれた林檎の絵は、芸術性を求めるためのものという
より、内容を表示するための記号であるから、写実的に描かれているわけではない。
だから、幼稚園の時に描いたように、真っ赤に塗りこめた丸と、軸から成立している。
ひとつ問題なのは、その軸がT字をしていることである。
ただ、箱には林檎と、文字で明記されている以上、その絵も林檎であることは、
想像に難くないところである。これまでの人生の中で、T字の形の蔓のついた
メロンを見かけたことは数度ならずあるけれども、T字の枝のついた林檎には、
お目にかかった記憶がないのである。もちろん、林檎も樹の枝になるわけだから、
ある種の切り取りかたをすればT字の枝つき林檎もあり得るのではあるが。
勢いのある筆書きのような線で描かれたその絵は、ある種の拘りを感じさせさえする。
この絵を描いた人の頭の中で、林檎のプロトタイプはT字の枝を持つのであろうか。

きっと、やむに止まれぬ事情があったに違いないのだ。
その絵を描いた人は気むずかしい芸術家であり、段ボール箱の林檎の絵など、
普通ならば描くはずの人ではないのである。そんな有名な某芸術家に、何人かの
仲介を経由しながらも、林檎の絵を描くことを頼むことのできた農協の人たちは
すっかり有頂天になったに違いない。そのうきうきした気分は、その芸術家から
絵の原稿が送られてくるまでつづいたはずである。押し頂くようにしながら、
原稿の入った封筒を開け、取り出した時に一気に目の前が真っ暗となっただろう。
なにしろ、間に何人もの人をたてて頼んだせいで、林檎の絵が、いつのまにか、
緑色の美味そうなメロンの絵になっていたのである。芸術家の先生に、無理に
お願いして描いてもらった絵、これを使わないわけにはゆかぬ。締め切りも近い。
かといって、林檎の箱にメロンの絵を飾るわけにもゆかぬ。絶望の淵から
一縷の望みが見えたのは、誰が最初に言い出したのか、この緑を赤く塗り替えて
このまま林檎と言い張って使ってしまおうと言いだした時だ。所詮、描かれた丸と
軸からなるこの絵は、緑を赤に置き換えれば林檎に見えるではないか、と。

塗り込められたその赤色が緑色であったならば、その絵の意味するところはメロン
でしかあり得ない。そう、自分は感ずるのである。それが赤いため、林檎にしか
見えないから、こうやってその理由を想像させられてしまうのである。
どうも農協の人々の機知は、危機をうまく乗り越えたようである。

(2001.01.16)
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賽は投げられた。

「昨日、かみさんと喧嘩しましてん」
  「またあんさんなんぼしよったんか」
「ちょっと要らんこと言うてしまったんですわ」
  「気をつけなあきまへんな」
「それで投げ飛ばされました」
   妻に投げられた
「かみさん力持ちやし、まるで金太郎ですわ」
  「それではあんさん熊ですか」
「いや、どちらかと言うと、犀かな、などと」
   犀は投げられた
「それでまた言うてしまいましてん」
  「なにをまた」
「お前乱暴やな、そんなことやから可愛いないんや、って」
  「あちゃ。そんなこと言うたらあきまへん」
「もいちど、投げ飛ばされましたわ」
   再度投げられた
  「あんさん、なんぼも投げられたらアホになりますえ」
「大丈夫、わて天才やから、少々減っても普通の人ですねん」
   才は投げられた
  「またそう要らんこというて。口から難儀を呼ぶお人や」
「かみさんにも言われましたわ」
  「そりゃいわはるでっしゃろ」
「あんたなんか、もうしらんわ、って言われましてん」
   匙はなげられた
  「あとでようあやまっときなはれ」
「やはりそうやろうか」
  「ぐだぐだ言うのもそのくらいでいいやろ、
   はい、1、2、3、4、5。あ、一回休みね」

(2001.01.17)
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コーヒーはインスタントで済ませることが多い。

休みの日など、時間に余裕があって、
ゆったりとした気分を演出したいときなんかには、
コーヒーメーカーに、頂き物のコーヒー豆をセットして
「豆からいれた」コーヒーを飲むこともある。
そういう時でもサイホンではなくてコーヒーメーカーなのは、
ちょっと軟弱なところかもしれない。

忙しい時にちょっと行き詰まったり、いらいらしてくると、
とりあえずコーヒーカップに(小さめのマグカップ。
小さめでマグだなんて、撞着しているけど、良しとしてください)
インスタントコーヒーをいれている自分がいる。
ほとんど癖になっているので、無意識に、ポットのお湯を
注げば出来上がりのコーヒーをいれてしまうのだ。

時に一日に10パイ以上飲んだときは、さすがに減らそうかと
おもったけど、所詮インスタントだし、まぁいっか、と、
判ったような判らないような理由で自分を納得させた。

手軽なのが良いわけだから、ティーパックの紅茶でも
別に構わないのだろうけれど、コーヒーになってしまう。
紅茶に比べて依怙贔屓しているつもりでもないのだが、
ついいれてしまってから、え、コーヒー(き)か、また、
なんて自問してしまうのであった。

(2001.01.19)
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いろいろなお菓子がある。そりゃ、菓子売場なれば当たり前とも言う。

和菓子、洋菓子、駄菓子。
胡麻あんの串団子、ぼた餅。こういうのもいいなぁ。
日本茶が合うし。でも、まだ正月の餅が残ってるんで、ちょっと重なるなぁ。
ビスケット系でも美味そうなのが。
古典的だけれど、セサミハーベストとかなんとかの商品名の薄焼きビスケット。
紅茶にあうんだよな。
お煎餅もあるよ。お、この真っ黒な胡麻50%というのはどうよ。
一袋で100円という潔さもいいねぇ。お煎餅といったら、日本茶でも紅茶でも、
コーヒーでもいけちゃうんだよね。冷たい麦茶やウーロン茶でもいいんだけど、
でもちょっと寒いから今日はパス。

結局、胡麻煎餅とお茶、という、誰が見ても無難な組みあわせとなった。
おもむろにお煎餅を一枚とりあげて、お茶にジャブっと浸してみる。
トーストをコンソメスープに浸して食べる程のお行儀の悪さだが、
まぁ話の流れ上、仕方がないのである。
しばし待つ。なかなか柔らかくならないお煎餅。
思い切ってビスケットにした方が良かったかなぁなどと思案のしどころ。

今日はちょっとごまかしでお茶をにごしとこう、なんて思ったのが
いけなかった。後かたづけもふくめて、結構大変な作業であった。

(2001.01.21)
−−−−+━−−−+−−−−+−−−−+−−−−+−−−−+−−−−+−−−−160 
<!-- 「鳥和え酢」と「テキと雲丹」 -->
とりあえずは酢の物がでてくる。
さっと湯がいてから氷で締めた
とりのささみと、胡瓜の薄切りとを
三杯酢で和えていただくメニュー。

軽くコースの料理を食べたあと、
ちょっと足りない感じがしたので
何か適当に、なんて頼むと
味噌漬け但馬牛のステーキと
蒸し雲丹の盛り合わせが出てくる。
さすがに適当にといって頼んだだけあって、
常識をはずれた盛り合わせである。
ビフテキも味噌につけてあったので、
牛脂の強い香りはなく、和食として
いただくには丁度良い感じ。

出されたお酒も黒木本店のだしている
なかなかのものだったし、
ちょっといい気分で、店主にむかって、
お愛想お願い、って言ったら、
にっ、と笑っている。
メニューにも何故かスマイル0¥とかかれているので、
それのことだろう。お勘定を、と頼みなおして
その店を後にしたのだった。

(2001.01.21)
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<!-- 99.09.14 友人Tへのメールから抜粋 -->
ボクの持論。
じぶんの魂がおおきなゆがみをかかえていないと
詩人のような言葉をつむぎだすことができない。
じぶんの魂がおおきな悲しみをかかえていないと、
人の心を慟哭させる絵を溢れ出させることはできない。
だからボクは芸術を産み出すより、
単純に平凡に生きていくほうを選びたい。

#幸福な心からあふれ出る幸福な芸術というのも
きっとあるのだろうと希望はしますが。

#オプシミストを気取りながらも根本的なところで
ペシミストなんですね。きっと。

(2001.01.22)
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<!-- 99.09.14 友人Tへのメールから抜粋 -->
ボクは信仰はキライ。宗教もキライ。
誰かが神を信じるのはいいんです、別に。
でも、かんがえることをやめること、それは受け入れられない。
信仰がなくても、やさしくなれたらいいなと思いますが、
でも無条件に自分で考えることをやめることに
甘んずることはしたくありません。

(2001.01.22)
−−−−+−−−━+−−−−+−−−−+−−−−+−−−−+−−−−+−−−−160 
<!-- 00.01.16 友人Tへのメールから抜粋 -->
ボクも神を信じる方ではありません。それは頼むべき神は居ない、という
文脈かもしれない。受験の前に家族で神社かお寺に詣でたときも、
(どうぞ合格しますように)とかというありきたりな文句はイヤで、
(頑張るので見ていてください)というようなことを祈った記憶があります。

といいながらも初詣では、戦争がありませんように
とか、頼んでいるのですから、いいかげんなものかも。
自分の努力と直接結びついていなさそうなところはどうしても神頼みかな。(^^)

(2001.01.22)
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ひさびさにニュースクリップなどしてみようか。

2001.01.15 いじめ認め、加害生徒らに賠償命令 中2自殺で横浜地裁
 いじめで自殺した中学生のご両親が、元同級生や町と県を訴えていたのだが、
 >  元同級生らは裁判で行為の大半は認めたが、
 > 「けんかなどの延長で、いじめという認識はなかった」と反論していた。
 という。これに対し、裁判長は、
 > 「元同級生らによる行為はいじめであり自殺の原因」と認定し
 たとのことである。つまり、これは同じことをおこなっても、
 「喧嘩」であったのか「いじめ」であったのかで、
 受けた傷の深さは異なるというのだろうか。

2001.01.18 愛犬とシュプール、ペットゲレンデ登場 秋田・田沢湖町
 > 愛犬と雪遊びが楽しめる「ペットゲレンデ」が登場した。
 とのこと。
 > 混雑するゲレンデを横目に、犬たちは豪華なバカンスを楽しんでいる。
 とのコメントだが、寒いところに犬をつれていくのが、
 犬にとっても豪華なバカンスなんだろうかとも思ったが、
 犬が自由に走り回れる空間が身の回りから消えていることを
 象徴しているにすぎないのかも知れない。

2001.01.17 長野県庁で阪神大震災への黙とう中止 田中知事の指示で
 > 「1月17日だけ黙とうを行うことで、災害の防止に対して
 > 真摯であるように見せるのは、ポーズ以外の何ものでもない」
 > 「神戸21世紀・復興記念事業」についても、
 > 「空虚なセレモニーをやるような街に未来はないと思う」と批判
 と辛口のことを言っているのだが、
 正論を吐いてマスコミの追い風を受ける人と、叩かれる人がいるのだなぁ、
 というのが正直な感想。

成人式関係では、いくつかの不祥事が取りざたされた。これは、
大人が新成人であるコドモにたいして開催してやっていた成人式ならば
そんなものは要らないという意思表示だったのだろうか。
2001.01.18 クラッカー鳴らし「勇気がある」と香川県議 成人式問題で 
 > 香川県議会文教厚生委員長を務める松本康範県議が17日、
 > 「よくはないが、3000人の成人の前でクラッカーを鳴らしたのは勇気がある」
 と発言したとのこと。たしかに、蛮勇という言葉を辞書でひくと
 「あとさきを考えない野蛮な勇気」とあるように、勇気の一種なのかもしれないけれど。
 というわけで、つっこみ。オマエモナー>>発言者。
なんていう一方で、
2001.01.22 式で騒いだ新成人、橋本高知県知事を訪ね謝罪 
2001.01.22 成人式で飲み物まき散らした6人が謝罪 群馬・太田市
 というように、あとから周りに諭されたのか、
 大人としてのけじめをつけようとしている例もある。
 惜しむらくは、後知恵ではなく、迷惑行為をしないことを思いつかなかったことだ。
2001.01.22 成人式、「廃止」派が優勢 本社世論調査
 朝日新聞社が20、21の両日に実施した電話による全国世論調査の結果について。
 当の年代の彼らが続けた方が良いと挙げた理由が、「はたちになった節目」と
 「同世代との交流」であれば、単なるパーティーのようにしてしまって、
 挨拶等いっさいなし、ということにしてしまっても良いのかも知れない。
 大人側の論理が、大人になったことを自覚させるための儀式の側面を持つのに対し、
 かなり対照的なのではないかと思わされた。式の是非はともかく、
 20才というのは、法律上の節目なだけであり、それまで未熟であった者が
 いきなり大人になれるわけではない。
 得てして、見本になるような立派な大人がいないのがいけないのだ、
 などと括っておしまいにしたくなるが、生きる上での責任を
 個人個人が引き受ける覚悟をさせることがどこかで必要なのだろう。

2001.01.18 ドコモ、ゲーム携帯発売へ パソコンにより近く
 携帯電話にもカラーモニタが搭載され、インターネットも可能になり、
 ゲームもできるようになってきた。おそらく、デジカメなんかも、
 データをやりとりするためにインターネット機能が搭載されていき、
 ついでに携帯電話機能なんかも搭載されるかも知れない。
 モバイルコンピュータ、携帯電話、デジカメ、これらは統合されて
 いくんじゃないだろうか。そんなこんなを考えてみると、
 「電話機能しかついていない」シンプルな携帯電話が欲しい人は、
 今のうちに購入しておかなければならないのかも知れない。

2001.01.22 奄美・自然の権利訴訟、訴えを却下 「権利」には理解も
 以下はあくまでも個人としての考え。
 開発されない自然を残したいという人間がいる、というのならよくわかるから、
 開発されない自然を伴って暮らす人間の権利なら、認めても良い。
 自然そのものが開発されない権利を持つという考え方は、
 ある意味わかりやすいようでいて、たぶんに危険な思想を伴うのではないか。
 あくまでも人間中心主義で考えることはできないのだろうか。
 鯨は賢いから殺すべきではない、という議論もこの延長にあるような気がする。

2001.01.23 首相「支那事変」発言に抗議の手紙 東京の中華料理店主
 また森氏が何かやったんかいな、と思ったが、自分にも同じ間違い
 をする土台はあったことを認識したニュース。
 チャイナという音から来た言葉であろうシナという文字。
 そこに蔑称の感覚があるとは気付かなかった。
 呼ばれる側がその言葉を嫌うのには歴史的な経緯があってのこと。
 シナチクだの、支那事変だの、半分固有名詞化している言葉であろうと、
 被差別者が厭うのであれば、それはその気持ちを汲まなければならない。
 もしこの記事を読まなければシナという言葉を厭う人の気持ちをしらないままに
 いたかもしれないところであった。

2001.01.22 繊維リサイクル制度、法制化視野に検討へ 経済産業省
 > 衣料など繊維製品のリサイクル制度の導入に向け、法制化を視野に検討に入る。
 いっそのこと法律で、衣料は全てニット製品に限ることにして、
 高齢者の雇用対策も兼ねて、おばあちゃんを大量に雇用して、
 リサイクル編み物工場を作って再製品化する、なぁんちゃって。

2001.01.23 有明海ノリ問題「水門開けることも検討」 谷津農水相 
 > ノリ養殖が黒く色づかずに「色落ち」し、
 との表現だけど、色づかなかったのなら、色落ちじゃないだろう、
 と本質と違うところでつっこんでみる。
 ノリだけに色ノリが悪かったんでしょう。

(2001.01.23)
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獲得形質は遺伝しない。

そのおかげで、太った大人は自分の健康についての責任以上に、
ダイエットをしなくても良い。怪我をして傷を持つ親からも、
傷ひとつない、たまのような赤ちゃんが生まれる。
たとえ親父が指を詰めていても、子供はその秘密を周囲に隠しとおせる。
美容整形をして整った顔をつくっても、生まれた子供は
もとの土台を持っていることになってはしまうけれど。

学習した結果も獲得形質だから、高等動物において、それは遺伝しない。
いくら親が勉強してくれていても、子供は子供として、また千里の道を
一歩から歩みはじめなければならない。
過去の英知は本などの知的財産として蓄えられてはいるけれど、
その全てを再発見する旅をたどるには、人生はあまりにも短い。

もし。実際とは反するけれど、もしもの話、子供が親の記憶や学習成果を
受け継ぐことが可能であったとしたら。
子供は勉強なんかに一生懸命にならなくてもすむかもしれない。
いわゆるマナーとかも知って生まれてくるわけで、ちょっと老成した
ガキばっかりになって気持ちわるい気もするけれど、
人類はもうすこし速く成熟することが可能だったのだろうか。

でも、そうではなかった。
ひとりひとりが、生まれてきてから、自分自身の世界観をみつけ、
好奇心に導かれて、新たな一歩を踏み出すことが、さだめられている。
非常に遠回りなのかもしれないけれど、過去にしばられず、
変化し続ける外界に対応し続けるためには、必要なことなのだろう。
だからこそ人類は少しずつ進歩してきているのかも知れない。

自分の日常の思考や行動においても、硬直した行動規範や概念から
自由になって、常に白紙に戻りたいものだ、と思う。

(2001.01.23)
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お箸は何膳おつけしましょうか。
たづねられて、とっさに一膳でいいです、と答えてしまいました。
あちゃぁ、レジのおねいさん、二膳用意しているじゃありませんか。
1つをそっともとにもどすと、お箸を一膳つけてくれました。

レジのおねいさんが二膳も箸をつけてくれようとしていたのには、
ちゃんとした理由があります。ぼくが買おうと思って
かごにいれておいたお総菜やお寿司の量が多かったのです。
きっとお客さんがいらしていて、ビールなんか飲みながら
2人から4、5人でつまむんだろうな、なんて思ったに違いないです。
そのくらいの量があったのです。

おねいさんたら、心の中で、4膳とか5膳とか云われたら、
どうしよう、店長さんには、お箸のサービスはひとり2膳までだよと
きつく云われているのに。でもお客様に対するサービスは
してさしあげたいし、と葛藤しながら、何膳おつけしましょうか、
って訊いてきたのに違いないのです。

あぁそれを無惨にもうち破ってしまったぼく。罪深いです。
そもそも買い置きの油揚げを買いにいくついでに、夕御飯も仕入れておこう
なんて思って店内をまわっているうちに、閉店間際の3割引、5割引のシール
に惹かれてたくさん買い込みすぎたぼくが悪いのです。
あのおねいさんたら、どう思っているだろう、妄想は膨らみます。

きっと、本当はあの人は割り箸を使わないエコな人なんだわ。
でも、初めにわたしが箸をおつけしましょうか、なんて訊いたから、
あの方(勝手に敬語にしてます。妄想ですから。)はお箸の用意は
別にあるのに、勢いでお願いしますって云ってしまったのに違いないわ。
だから、何膳って訊いたときに一膳って答えたのね。

なんだか都合が良さ過ぎです。間違っても、

きっと、あの人は見かけによらず(この時点ですでに間違ってます。
まぁ、妄想ですから。)大食いなのね。おどろいたわ。
これだけの量を夕御飯にひとりで召し上がるなんて。

などとは思っていては困るのです。いや、困らないけど。

本当の所は、2人分あるお寿司は、1人分のお寿司の、
1.5倍の値段だったので、単価割りするとこちらのほうが安いな、
なんてしみったれたことを考えちゃったんです。
このくらいなら、今日はお腹すいてるから食べられるな、って思って。
で、たくさんあるお総菜は、余分に買っておいて冷凍しとこ、
って思ったんです。だって3割引、5割引なんだもん。
幸い冷凍庫あいてるし。

というわけで数人分の食料をかかえて帰ってきました。
この文章書きながらリッチにも寿司なんかつまんでいます。
調子にのって食べてます。おっと、食べ終わったのに
まだ袋に手を伸ばしています。あ、お総菜まであけています。
冷凍するはずじゃなかったのか。むしゃむしゃ食べています。
あ、そっちはせめて残しておけ… あぁぁ遅かったか。

結局たくさん食べ過ぎてしまいました。
買うと買っただけ食べちゃうんだよな、よくないこってす。
おねいさんの予想があたってしまったようで、なんか悔しいです。
妄想なんですが。

(2001.01.24)
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うわぁ42人だと。ガッコの一クラス分。
まったくプレッシャーを感じてしまうではにゃいか。

リードミーのサイトは、別にアクセス解析サイトなわけではないのだけれど、
何人くらいが見てくれているかの目安にはなる。今まで、
だいたい20人くらいが見てくれてるくらいで上下してたのに、
昨日から今晩にかけて、急に見てくれている人が増えてしまったのだ。

今日はもう、更新さぼって寝よっなんて思ってたのだけれど、
この潮の流れを逃してはいけないから、やっぱ更新しよっかなぁとか、
いやいやまてよ、ここで無理してつまらないものを書いてしまったがために、
一斉に潮がひいてしまってはいけないから、いっそすっきりした頭で
ちょいおもろいものを書くために更新は明日にしたほうが良いだろうか、
なんて欲をだしてみたり。(たいして変わらないのにね)

かくして、どうしようか迷っていたところなのだ。
でも、迷ったらGO!というのが自分の信条なので、
後先考えずにキーボードをたたきはじめてしまったのである。

以前にもジョンレノン雑文祭に参加したときに瞬間風速がひとときだけ
上がった記録があるのだが、今回は誰かが宣伝してくれたんだろうか。
(もしそうなら、お礼言いにいきますんで、掲示板かなにかに一言くださいませませ。)
あるいは、単純に次のような理由なのかもしれない。
昨日報告した雑文速報のコメント(煽り文ともいう)に、
「おねいさんたら、心の中で、」なんて書いてみたのだ。
昨日アップの雑文を読んでいただければ意味は判る通り、
別にエロでもシモでもないんだけれど。ちょっとエロ系を期待した
お客様が来てくれただけだったりして。うーん、ありがち。

残念ながら、自分は、エロ系の話をうまく書けないのである。
さながら星新一である。濡れ場を描いたつもりが、おむつの吸水ポリマーで
水分を全部吸い取ってしまったような、ドライなものになってしまうのである。
っちゅうわけで、エロ系、シモ系は、人様が書いたものを楽しむだけにして、
無理な努力はさっそくやめちゃおう、ということになっているのである。
ほら、今だって、おむつ、なんていう扱い様によってはエロエロにできるネタを
さりげなく取り入れながら、さらっと爽やかおしりすべすべになってしまうのである。
てなわけでエロ系の話を期待してたかた、ごめんなさい。

(2001.01.25)
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昨日の夕方より降り出した雨は天気予報やおほかたの予想を裏切って、
夜更け過ぎに雪にも幸恵にもかわることなく、しとしとと降り続いた。
もう一週間も前になるか、一度まとめて降った雪が、屋根のひさしから
落ちて山のようになっていたところだけが、ここ数日の好天気にも耐え、
小さくなりながらも抵抗を続けていたのであったが、
つひに昨日の雨でほとんど姿を消してしまった。
目に入ってくる白という色が減ってしまって、世の中がほんのちょっとだけ、
明るさを減少させ、ちょっとだけ色彩が豊かになった。

新聞で知ったニュースによるとまた寒気団が近づいているらしく、
せっかく消えた雪を補充するように、また降るかもしれないとのこと。
天候は人がおいそれと変えること能わぬもの、天の意思。
しんしんとふる雪に天の音信をきく。
などとひとりごちてみたが、未だ雪は降り始めない。
白いベールで覆うことなく、広く世の現実を直視せよ、とのことか。

(2001.01.26)

    
    あのあと朝になって、ときおりばさっばさっという音とともに
    ひさしから塊の雪が落ちてくる音で目を醒ました。
    深夜からずっと降り続いたようで、世の中は優しくも柔らかな
    20センチもの深さの真っ白な雪に覆われていた。

    僕は外出のためにマフラーを準備した。
        
	(2001.01.27)

−−−−+−−−−+−−−−╋−−−−+−−−−+−−−−+−−−−+−−−−160 
<font color ="#C0FFEE">水色</font>
コーヒー色って、水色だったんです。
いえ、紅茶の用語の「すいしょく」じゃなくって、
恋い(コーヒー)は水色のみずいろ。
なんてオチでもなくって。

(2001.01.28)
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きゅうかんば、を漢字で書くと、辞書に依ると胡瓜なのだけれど、
僕はずっと木瓜だとばかり思っていた。
家紋の木瓜(もっこう)がきゅうりの切り口を表していると思っていたためである。
ちなみに一番オーソドックスなもっこう紋というのは、
花菱紋の周囲を4本のソーセージで(ちがう!)囲ったような形のヤツである。
ほら、いよいよ判らなくなってきたデショ。
自分でしらべてください。(それでいいのか!?)
家紋のウェブサイトで調べてみると、もっこう紋は、どうもキュウリやボケの実の
切り口であるという説の他に、神殿などの御簾のふちにつけた絹のへり、
すなわち帽額(もこう)につけた模様からきているとの説もあるとのこと。
必ずしも植物由来ではないということらしい。
知らなかったことをウェブサイトで調べるといろいろと勉強になる(笑)

ちなみに、ボケも木瓜と書く。惚け茄子のボケではなくて、
バラ科落葉低木でピンクや白の花をつけるやつだ。
そしてなお驚いたことに、パパイヤも木瓜と書く。
ただし読みは(もっか)なのだそうだ。
木瓜牛乳とはパパイヤミルクのことで、
台湾などでは非常にポピュラーな飲み物らしい。
というわけで、このボケが、と罵倒を浴びせられたら、心の中で
パパイヤパパイヤと唱和して薄ら笑いしてみようかと思ってみたのであった。

(2001.01.29)
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音がふと途切れた時に、
始めてその音を聴く。

例えばいま耳元で鳴っている音はどれだけあるかというと、
空調のごうごうという音、
机の上のパソコンのモニタが出す基調音と高調音、
時計が刻むかつかついう音、
風になる窓のびゅーっという音、

澄まさない耳には届かないけれど、
確かにたくさんの音が存在している。
聞こえていた杜の木々のざわめきが
消え果ててはじめて僕の不安を誘うように、
慣れてしまってそこにあるのが当たり前で、
意識にものぼっていなかったものが、
無くなった時にはじめて意識されるのは、
本当に不思議だ。

全く光の無い世界を
想像することが難いように、
唯ひとりで生きているつもりでも、
沢山の音がそこには存在している。

来るかもしれない全く無音の世界を
僕は恐れる。

(2001.01.29)
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スーパーなんかで豆腐とかを買った時に、レジで精算を済ませたあとに、
かごから袋に詰め込むわけだけれど、ロール状になっている小さな
ポリエチレンの袋を使ったりする。
あれは、どうも使いにくい。ただでさえ、口をあけにくいのに、
良く注意しないと口がどちらなのか、すぐに判らなくなる。
寒いときに手のひらをこすって暖をとるような格好で、口の所を
もみくちゃにしてやると、あっさりと口を割るのだけれど、
こいつは口が堅いぞ、なんて思ってみたら上下が逆だったりするのである。

小さい頃には、自由になるナイロン袋なんて、あまり手に入らなかった。
ほとんどの場合、手に入っても所詮使い古しだったのだが、
ある時、数枚の新品のナイロン袋を手に入れたのであった。
それはかなりの快挙であったように覚えている。
今の感覚でいったら、クリーニングから戻ってきて、
アイロンをかけたばかりの真っ白なワイシャツを着るような喜びで、
そのナイロン袋に手をかけた。
ところが、何処が口なのか判らなかったのであった。
何度にもわたる試行錯誤の結果、ナイロン袋を無事に開くことに成功した自分は
一仕事を終えた気分であったように思う。
無事にその中に小物をしまったのであったが、ついでに、
次に袋を開くときに同じ苦労をしないようにと閃いて、
マジックペンで、袋の口のところに黒々と矢印を書き込んだのであった。

今にして思えば当然のことであるけれど、2度目にその袋を開こうとしたとき、
自分はかなりがっかりしてしまった。袋の口が何処にあるかは、
その黒々とした矢印などなくても一目瞭然であったし、更に悪いことには、
なんの苦労もなく袋を開けることができてしまったのだ。
それは、袋の中味を外にあけてしまっても、事情は変わらなかった。
一生懸命に、平らになった袋を手のひらで床の上でアイロンをかけるかのように
何遍もこすったけれど、微妙な皺もとれなかったし、はじめて目にした時の
それのようには、ぴったりとは口を閉ざしていなかったのである。
思えばひとつの喪失の体験であった。

ナイロンの袋の中にわずかに残った空気が、2枚の膜が密着するのを
妨げているのであり、潤滑剤として働いているのである。
大気中では2つの金属の歯車が、接着してしまうことなく接しながら
かみ合うことを許されているものが、高真空中では、間に挟まる
空気の分子がないために、くっついてしまうのと似たような原理だろう。

小さい時分の自分にはそんなことは理解のしようもなかったことである。
スーパーで袋をもみくちゃにしながら、ポリエチレンの袋の口をさがし、
昔、幼かった自分に思いを馳せたのであった。

(2001.02.05)
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平均台なんてものが、マットや跳び箱とともに、小学校の体育館に常備されていた。
といっても、オリンピックやらで見かけるような高度な技が、小学校の生徒に
できよう筈もない。体育の授業なんぞでも、あまり使用した覚えがない。
ただ、1つだけよく覚えていることがある。今日はそのことについて書いてみようと思う。

平均台などと言っても小学校にあったそれは、たかだか30センチくらいの高さに、
足の2本ついた、幅が8センチばかりの木の棒を固定したようなものでしかなかった。
だから、バランス感覚の涵養のために、その上を走らされたりとか、
そんな程度のことにしか使われなかったように思う。もしかしたら、
クラスを2分して、順に、お互い両端からその上を走ってきて、出会い頭に
じゃんけんをして、負けた方はまた自分の列の最後に付く、といったような、
いっしゅの陣取りゲームのようなことをしたかもしれない。
なんとなくうっすらと、そうしたような記憶もある。

当時、平均台の上をバランスを崩さずに歩いたり、小走りに駆けたりする
くらいのことは、皆、できるようになっていた。
体育の時間であったのだが、先生が無理難題を言い出したのであった。いわく。
けんけんで(つまり、片足跳びで)平均台を端から端まで跳んで渡ってみろ、
というのであった。皆、挑戦した。ことごとくバランスを崩してしまって、
途中で落ちてしまっては列の最後尾に並び直す羽目になるのであった。

これが、口でいうのは易しいようだが、実はそうでもないのである。
30センチしかない高さであっても、落下の恐怖というものはつきまとうのである。
何度も挑戦しては、失敗をくり返していたのだが、ふと、体育館の床を見た時に、
閃いたのであった。体育館の床は、当時、木貼りで、幅がやはり8センチ程度の、
長さ数メートルの板の目が縦にならんだ模様をしていた。
雑巾掛けの時には板の目にそって掛けなさいなどと指導をされたのは、
また別の話であるけれど、その板の目は、高さがゼロでありながら、
さながら平均台と同じような幅であった。

体育館の床の木の模様に沿って、けんけんをしてみた。
当然ながら、別に怖くもなんともない。しかりして、曲がってしまって
板目からはずれることもなく、余裕で平均台の長さくらいの距離を
けんけんで跳ぶことができたのであった。

それは、床の上に置かれたロープの上ならば、バランスをとりながら
どのくらいの距離であろうと渡ることに躊躇もなく、また成し遂げて
しまうのに、いざそのロープがわずか10センチであろうと高さをもって
しまったならば、もう渡ることが不可能になってしまうのと同じ心理である。

今日の無理難題は、理屈ではクリアが可能である。まだクラスのだれも
成功はしていないけれど、体育館の床の板目で実験してみた限り、
理論的にはできる筈である。そう、自分に言い聞かせた。
いざ列が短くなってきて、自分の番が来たときに、さぁ、これは
床の上の板目と、同じなのだ、とイメージしながらけんけんをはじめた。

学校の授業の中で体育ばかりはあまり得意な方では無かった自分は、
運動神経にあまり自信が無かった。過去形で書いたけれど、今でも、運動は
得意な方ではない。特に球技など、技術を必要とするような運動は苦手である。
むしろ、ただ走るとか、ただ泳ぐだとかの方が、まだましである。
今になって考えると、運動は得意ではなかったけれど、平衡感覚だけは
当時から人並みにはあったのかもしれない。
なにしろ、その平均台をけんけんで渡るという難題を、クラスで最初に
クリアできたのだから。それは、ものすごく嬉しい体験であり、
我ながら頭脳プレイだな、と自己満足した体験でもあった。

なぜ、こんな話を思い出したのか。それは、自転車で道路を走っていた時であった。
側溝には、コンクリートの蓋がしてあるのだが、そのぎりぎりの所を走って、
遊んでいた時に、この側溝に蓋がしてあるから平気でこんなことをするけれど、
蓋がなかったならば、あと数センチ脇へハンドルを切っただけで落ちるような
危険なことは、毛の頭ほどもする気にならないなぁなどと考えていたのだ。
でも、まだバランス感覚も衰えちゃいないよな、なんてことも思いながら。

…とまぁ、この辺で話を切り上げておくのが良いのだろうが、実は。
雪が降ったくらいで右往左往して、こけまくった上にあまつさえ骨折なんぞ
してしまう東京の都会モンを、内心で馬鹿にしていたのだが、
雪もほとんど融けてしまった昨日になって、つい、やられてしまったのだ。
小学校の時の内心得意な気持ちを思い出して、慢心していたのだが、
ある交差点でスピードをさほど落とさずに曲がろうとしたのであった。
丁度、その路面のその部分だけ、融けかけた雪が凍っていた。
そういうシチュエーションでは、本来ハンドルを切ってはいけない。
いくらマウンテンバイク(ただし市街地仕様で山乗り不可、という似非モノ)で、
少々タイヤの幅が広くて地面への食いつきが良いからといって、氷の上では歯がたたぬ。
みごとに自転車は横へと吹っ飛び、手にしたコンビニ弁当だけはかばいながらも、
(そしてバランス感覚のおかげで?笑)頭を打つこともなく、
ずべぇっとこけてしまったのだった。右膝負傷。あいたたた。
といってもズボンの内側で2センチほどの直径の円形にすりむけていただけだが。
ひさびさにやらかしてしまった。誰も見ていなかったのが救いであるが、ここで
ばらしてしまっては意味がないのかもしれない。

というわけで、今日の(昨日の?)教訓。慢心創痍のもと。
っていうか雪が降ったら公道くらい雪かきしやがれ。

(2001.02.06)
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夢はその人の体験や想像の範囲でしか見ることができないという。
いわゆる突拍子もない夢は見ることができない。
もし、夢が突拍子もないと感じたのであれば、その人は自己認識が甘いか、
あるいは潜在的な才能がまだ眠っているだけなのだろう。

今朝見ていた夢の中で自分は眉毛を剃っていた。
たぶんどこかのページで、ぼうぼう眉毛のお手入れをどうのこうの、
と書かれた文でもよんだ記憶が片隅に残っていたのだろう、
どんな脈絡だったか覚えていないけれど、とにかく、眉を剃って、
整えなければ、なんて思っていたのである。
T字のカミソリで眉毛をジョリっとやって、たぶん全部剃っちゃったような
映像がある。それに違和感をまったく覚えていなかったのも不思議だ。
まるで夢でも見ていたかのようだ。いや、夢の中の話だった。

自分は実際、眉毛の手入れをするどころか、肌の手入れさえしないし、
不精ひげも許される環境なので、それすら気にしない。
なんで眉なんか剃っていたんだろう。自分が一番しそうにないことだったから、
眼が覚めてから、しばらく可笑しくてたまらなかった。

(2001.02.07)
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人のふり見てなんていうけれど、どうも他人の中傷をしているのを聞くと、
げんなりしてしまう。かと言って、他人の悪口なんかを言ってないかというと、
どうもそうでないことに気付いてしまった。
いわゆる鬘疑惑の人なんかがいるわけだが、ついその本人のいないところで、
髪の毛絡みの冗談を言ってしまったりしたことがある。
よくないこってすな。反省。

ハゲてる人、ちょっと昔に流行ったポリティカリ・コレクトな言い方をすれば、
トクトウショウな人?特等賞ではなく、禿頭症。いや、それではまだ
ハゲという漢字が入っているから、頭髪の少ない人びとくらいか。
薬缶愛好家とか、潜在的帽子需要の高い人だとか、体毛の分布がより均一な人だとか、
泳ぐ時に抵抗が少なくて便利な人だとか、揶揄をこめた言い方ならいくらでもあるが
それはさておいて、本人が望んでやっているわけではない身体的な特徴にすぎない
のだから、他人があれこれいってはいけないのだ。ましてや、電気代が浮くだろう、
だとか、あなたのおかげで世の中明るく暮らせますなどとは言ってはいけない。

うむ、いけないことのオンパレードをしてしまった。
で、今日、なにを決意したかというと、誰かのハゲやカツラをネタに冗談や
悪口を言ってしまったら、そのたびに自分の髪の毛も4本ずつ抜けちゃうつもり
になる、ということである。あんまり人の悪口言っていると自分も同じ目に
あうよ、っちゅうことである。あくまで「つもり」なんで、無理矢理抜いたりはしない。
人のハゲ見て、なんて書き出しではじめたこの文章もあわてて書き直したのであった。
でも、なんちゅうか、読み直してみて手遅れであることに気付く。
髪の毛何本抜けますかね、今日のヤツで。

(2001.02.07)
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なまこだのなっとうだのを形容するときの決まり文句に、
はじめてそれを食べた人は何を考えていたのだろう、というものがある。
言ってみれば、一見して人の食う物とは思えないということだろう。
それを食べたということは、果たして非常に勇気の要ることだったのだろうか。

僕たちはいま、特に食べるものに困ったりしない。
すごく美味しいものがすぐに手に入るかというと、そうでもないけれど、
そこそこ美味しいものはいつでも手に入る。
だからわざわざ危険を犯してまで、わけのわからないものを食べなくてもよい。
そういう物をたべたがる人を下手物食いなどと呼んだりもする。

だから、なまこやなっとうをはじめて食った人が、
何を考えていたのかなんて問題に対していろいろな説がある。
第一。飢えていて、他に食べ物がなかったなんて説。
第二。出来心というか、好奇心。いろいろな物に食べ飽きて、
変わったものを食べたかった。人がやることと違うことを
やってみたかっただけ、食ってみたら意外に美味かったという説。
でも、ぼくが思うに、きっと、なまこやなっとうを食べることに
そもそも何の違和感もなかったのではないだろうか。

タコとなまこ、どちらが気持ち悪いだろうか。
デビルフィッシュなどと忌み嫌われている蛸を見て、こんなものを
よう食うな、などと思ったことはありますか。
海老や蟹をみて、蜘蛛と同じような姿形をしていて、こんなものを
よう食うな、などと思ったことはありますか。
蝗の佃煮をみて、海老と同じような姿形をしているのに、こんなものを
よう食うな、などと思ったことはありますか。
なまこを気持ちの悪いものと思うのは普段見かけないからにすぎない。
それが身の回りにごろごろいたならば、山で狩ったししを食らうように、
海で拾ったなまこを魚とおなじように食らうことに、何故不思議を
感じるのだろうか。

木の上で熟しすぎた果物を食うことと、発酵した果物を食うこと、
そして発酵した豆を食うこと、どこに違いがあるのだろう。
そもそも腐ったものが毒である、といった発想は、
スズランや福寿草や南天やある種のキノコが食えないのと同じように、
食っては吐き、倒れ、を繰り返しているなかで、
人間が世代を掛けて培ってきた文化に過ぎないのだろう。
赤ん坊は食える食えないなど考えずに何でも口に入れてしまう。
そもそも昔は、腐ったものが食えないという発想を、
持たなかったとしても、不思議のないことだと思う。

虫食う人々にとって虫食らうことが自然であるように、
なまこやなっとうを食らうことに抵抗がある人というのは、
そのような文化を背負っているのにすぎない。
それをあたかも人間の本来の姿であるかの様に思いこむのは、
思い上がりも甚だしいといったところではなまころうか。

(2001.02.08)
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差別的表現に関する問題は難しい。

ハリーポッターは、日本語の翻訳本を読んだ。だから、
 > 児童書「ハリー・ポッター」に差別的表現 出版社が削除 
なんていう記事を見つけたときにも、興味を持った。

「表現を無くしても、差別は無くならない。」
「差別表現は、使用者に差別的意識があるかどうかのみが
問題なのであって、言葉自体を禁忌としても何も変わらないんだ。」
という論旨がある。そこについて、少し思考してみたい。

「ヒノマル」や「キミガヨ」を国旗、国歌として用いることを是としない人がいる。
それらがその背景にぶら下げている天皇中心思想や、それを利用した戦争行為の
記憶といったものと、旗、歌とを切り離すことが、人によっては難しいからだと思う。
ボクは戦争を知らずに育った。
そんな世代には本当のところはよくわからないのかも知れない。

同じように、特定の差別的表現とされる言葉、例えば「みつくち」を用いると、
それが「先天性口蓋裂症」であるという事実を表すよりも、
『「先天性口蓋裂症であること」を根拠に「揶揄の対象とされた」』場合がある
ことを思い起こされる人が居る、ということなのだろうと思う。

言葉自体を禁忌とするより前に、差別的意識そのものをなくさなければならない
という思想は正論ではあるけれど、人によっては「言葉」=「差別意識のあらわれ」である
という捉え方をする場合もある。だから、耳慣れない学術用語ならば、比較的
ニュートラルな意味合いになる。その背景にぶら下がっている部分が無いからである。

だから、そもそも「先天性口蓋裂症であること」イクオール「揶揄の対象であること」
という意識が「先天性口蓋裂症」に対する差別意識であるのだから、ココは、
魔女を揶揄する文脈の中で「魔女が先天性口蓋裂症であった」ことを言わせてしまえば、
どのような表現を使用しようとも差別意識が顕れている事実は変わらない。

だからといって書き換えるという作業が意味を持たないかというと、そうではなくて、
例えば「〜魔女はヒトデナシだった。」などと書き換えれば済む事だ。たぶん。
ヒトデナシという言葉は、本人の意思に関わらない身体的特徴とは異なって、
特定の個人がヒトデナシであるかそうでないかは、明確ではないから、
ヒトデナシという言葉に揶揄がこめられているからといって、きっと問題はない。

それとも、オレはヒトデナシである、というアイデンティティを持っている人が、
魔女風情なんかと一緒にしてくれるな、と言い出すかもしれない。
念のため書いておくと、ここで魔女風情という言葉を使ったけれど、
魔女であるということが一般的に問題点を含むと考えているわけではなく、
ある文脈の中で揶揄の対象とすることを目的に創作された魔女を示そうとして
そのような言葉で言っただけなのだ。

なんちゅうことを気にしだすと大変で、きっと、
> 66刷以降は問題部分を削除することなどを決めた。(asahi.com 2/8)
などということになったのだろうと思うのである。

 (追記)「〜魔女はヒトデナシだった。」への書き換えは、
     原文の「口蓋裂症」を「ヒトデナシ」と訳すことになり、
     問題を生じる可能性もある。

(2001.02.09)
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僕は煙草を吸わない。
ただでさえ不健康な生活をしているのに、
これ以上自分の不健康を求めるつもりもない。

ただ、他人が煙草を吸うことに関しては、
ことにそれが成人である場合には、
最低限のマナーさえ守ってくれれば、
まったく構わないことだと思っている。

なにをもって最低限とするかは人次第だろうが、
とりあえず、吸い殻のポイ捨てをしない、
というのが自分の価値観の中で一番大きい。
次には、煙草を嫌がっている人が居るときには、
一応気をつかって、尋ねてから吸うとか、
そんな類のことになる。
だって、喘息やアレルギーの人がいるかも知れない。
そこまで気をつかってもらって、
吸っても良いですか、なんて言われたら、
ぜひぜひどうぞ、なんて言ってしまう。

世の中には煙草を嫌う人がたくさん居る。
ことに最近、その勢力が力をつけてきたかのように見える。
嫌煙権なんてものがあるからである。
その理由は、煙草の煙には、生き物をガンにさせる
力があるという説が、どうも本当らしいと、
認められてきたからだと思う。

伏流煙だか、煙草の先端からでている煙は、
フィルターを通していない分だけ、
吸っている本人が体内に取り込むよりも、
大量の発ガン性の物質(イニシエータやプロモータ)が
含まれているという。

なるほど、それは他人が煙草を吸う自由(喫煙権)を
制限するための、ひとつの理由になるような気がする。
でも、ふと思ったのだけれど、嫌煙権を主張する人は、
まず自分が自動車に乗ることをやめるべきだと思う。

そんな理屈は通らないだろうか。
まぁけむたい議論には他ならない。

(2001.02.13)
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暦の上では春が立ったとは言え、
まだまだ寒い日がつづいている、そう信じていた。
ちょっと前に積もった雪も完全には融けてはいない。

空気はまだ冷たいけれど陽射しはずいぶんと暖かく
遠くの垣のむこうの梅に、数輪の花が咲いていた。
柳の枝も、冷たい風をきってゆれているけれど、
なんとなく青めいている。
よく見たらオオイヌノフグリが黒土の間に青い花をつけていた。
ホトケノザも葉が柔らかそうだ。

そうか、首を縮めて歩いていたから見えなかったけれど、
確実に春は近づいてきている。そう思った。

(2001.02.14)
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缶コーヒーを飲んでいて思ったこと。
コーヒーに限らず、缶飲料は皆おなじだけれど、
飲む時に、鼻がぶつかるのがちょっとじゃまだ。
プルタブからステイオンタブに変わって特にそうだけれど、
飲み終える最後のほうなんて、
思いっきり顎を突き出すようにしないと最後の方が飲めない。

というわけで、缶の形を変えてみたらどうだろうかという提案。
缶の飲み口のついている、円柱の上底面が、現状では
水平であるところを、すこし角度をつけてやったらどうだろうか。
極端な言い方をすると、かぐや姫の入った竹を斜めにすっぱり切ったような形。
その斜めな底面の、上の端の方に小さめの飲み口を付けてやる。
そうするとリコーダーを吹くときのように、かなり自由な角度で
飲料の缶を口につけたまま傾けられるのではないだろうか。

もちろん、いくつか欠点はある。
缶の形が少し複雑になるからコストが掛かるという点。
上底面のみが斜めになっていると、上下逆に置きにくいという点。
開口してそのまま置いてもあふれないように、斜めの面についた
飲み口よりも下にしか液体を入れられないから、内容量に対し、
ほんのちょっと大きめの容器にして、空気または窒素を
パージしておかなければならない点。

それを考えるならば、下底面も同じ角度で切ってしまえば良いよね。
要するに、缶の横から見た図が、いままでの縦長の矩形だったものが、
平行四辺形になった感じ。
あまり角度を付けすぎると立たなくなるので、ちょっとにしておく。
これによって上底面も床と水平になるし、良い感じではないだろうか。

ん?こうやって考えてみると、結構おしゃれかも。
どっかのメーカーの人、これよんでたら採用してみません?
CMのコピーは「世の中、斜(はす)に見ています」なんて感じで。

(2001.02.14)
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ぎょうざを手作りしてみた。生まれてから2度目か3度目。
作り方をきいたのは、もう何年も前なので、
思い出しながらつくったのだけれど、
うまくいったので、そのレシピでも載せておこう。

皮は、中力粉を使うのか、強力粉を使うのだったか
忘れちゃったので、一存により強力粉を用意した。
ほら、むちむちした皮の方がおいしいやん。
いわゆる男の料理なので、秤なんてものは家にない。
500グラム入りの粉を買ってきて減り具合からみて、
約200グラムの粉をドンブリの中でこねる。
水の量は適当。でも、たぶんおおかたの予想より、かなり少ない。
とにかく、わっしわっしとこねて、こね上がりが、
耳たぶくらいならオッケイ。
よくこねる。これでもか、というくらい、こねる。
親のカタキのように、こねる。親は生きてるけど、こねる。
で、こねあがったものは、まとめておいて、ちと置いておく。

具を準備する。これも、好きなものを好きなだけ。
つくりすぎたら冷凍しておくか、つくねみたいに、
スープの具にしちゃえばいいから、細かいことは気にしない。
自分の場合は、ニラを一束、乾燥マイ茸をもどしたものひとつかみ、
以上を細かくきざんでおく。気分で胡麻も、がさっといれてみた。
それと合い挽きの挽肉。150グラムくらい?
これを良くまぜる。しょうゆ少々、ダシのもと少々、
ごま油少々を加えてよく混ぜる。たぶん、好みにより、
ニンニクだの生姜だの、中華調味料だの入れても良さそうだ。
こいつらを混ぜるのに、容器がなかったもんで、
ごつい鍋をつかった。で、混ぜおわったら他の容器に移し、
この鍋にはヒタヒタに水をはって、湯を沸かしはじめる。

具にキャベツや白菜を入れるのもわりと一般的なんだけど、
僕はいれなかった。ニラぎょうざにしたかったんだ。
キャベツや白菜でも甘みがでて美味しいかもね。
干し海老なんか入れると高級になったりするかもしれない。

先ほどの粉は、親指でまん中に穴をあけてドーナツ状にしてやる。
でもって、指でぐるぐるってやって、伸ばしてやると、
径が2センチほどの紐状になる。これを2センチほどずつちょんぎる。
で、お団子に丸めてやるのだ。なかなか粘土細工みたいで
楽しいのである。つぎ、こいつを平たく伸ばしてやる。
テーブルの上にうどん粉をばらまいて、ひっつかないようにして
さいぜんのお団子を麺棒で伸ばすんである。でも、麺棒なんて
高級なもんはうちにはないので、細目のガラスのボトルをつかった。
なんか形も透けて見えるし、結構いい具合で使いやすいぞ。あなどりがたしだ。
んなわけで、8センチ程度の円にのばしてやるのだ。

先程の具をスプーンですくい、皮のまん中にのせる。
皮の周囲のところにちょっと水をつけてやって、
皮の手前をつまみ、襞をつけながら向こう側にくっつけていく。
作りたての皮だと水を付け忘れても、ちゃんとくっつく。
野菜とお肉中心の具は火が通ると縮むので、
大量にいれたほうが美味しい。でも大量すぎると、ちゃんと包めない。

んなわけで、どでかぎょうざが20個ほど包みあがると、
お湯も沸き加減である。煮立った湯が冷めないように、
ぎょうざをひとつずつ順に放り込む。
いったんは沈むんであるけれど、少し経つと浮いてくるのである。
浮いてくればできあがり。すくいあげて余分な湯を払ってやって、
好みのたれで食べるんである。ビールなんかにも合うんである。

僕にいわせれば、やっぱ本格的なぎょうざの王道は
茹でたヤツであって、こうていちゃおずぅではない。
鉄鍋に貼ったやつも美味いことは美味いけれど、
美味しく焼く(鍋で茹でてから焼きに移る)のは
テクニックが要りそうなんで、やめておいたというのがホンネだが。

なんつうか、ひさびさに手のこんだことをしてしまった。
でも、やっぱぎょうざは自分で包んだ方が美味いね。自画自賛。
道具なんか何にもないのに、なんとかなるもんだ。また作ろうっと。

(2001.02.15)
−−−−+−−−−+−−−−+−−−−+−−−−+−−━−+−−−−+−−−−160 

<a href="#link">リンクについて</a>
<a href="#ring">リングについて</a>
<a href="#pink">ピンクについて</a>
<a href="#ping">ピングについて</a>
<a href="#kink">キンクについて</a>
<a href="#king">キングについて</a>
<a href="#sink">シンクについて</a>
<a href="#sing">シングについて</a>
<a href="#wink">ヰンクについて</a>
<a href="#wing">ヰングについて</a>
<a href="#zink">ジンクについて</a>
<a href="#zing">ジングについて</a>

<a name="link">冬になったら氷が張ってスケートできるところ。ふうん。</a>
<a name="ring">輪だよ、輪。小説でそんなタイトルがあった? ふうん。</a>
<a name="pink">赤色と白色の絵の具を混ぜるのだ。桃色との差? しらん。</a>
<a name="ping">なんかそういう名前の粘土のペンギンがいたね? しらん?</a>
<a name="kink">それを言っちゃあお終いよ、ってやつ。ハゲとかデブとか。</a>
<a name="king">でっかいもの。キングサーモンとかキングコングとか。</a>
<a name="sink">熱湯とともにごきちゃまを流し去る穴。あるいは動脈血。</a>
<a name="sing">傘をささずに手に持って雨の中うたう。あるいは抱き枕。</a>
<a name="wink">字が読めないなんていわないでね。ぱち。ヰンクのつもり。</a>
<a name="wing">しんしんと降る雪。仕舞い忘れた飛行機のヰングにつもり。</a>
<a name="zink">Cやったら会えんよ。亜鉛は牡蠣とかに豊富らC</a>
<a name="zing">明治神宮くらいしか思いつかないな。無理あるらC</a>

<p>さて、本物はどれでしょう。:-p</p>

(2001.02.16)
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近くの饂飩屋で定食をたのむと、
飲みものがお付きになりますが、どれにいたしましょう、
と訊いてくる。
よっぽど偉い飲み物に違いないのだが、
その実、ホットのコーヒー(夏はアイスになる)か、
薄まった壮健美茶やオレンジジュースしかない。

お飲みものが付きますが、どれにいたしましょう、
飲みものをお付けしますが、どれにいたしましょう、
のどちらかなら違和感がないのだが。

同席した人に、お付きになります、って変ですよね、
って言ってみたのだが、首を傾げていた。
この辺りじゃ普通の言い方なのかしらん。

(2001.02.19)
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ちょっと右寄りな発言。
旧称ビルマを現在ではミャンマーと呼ぶようになったし、
金大中氏も、「きんだいちゅう」ではなく「キムデジュン」氏である。
姓と名の表記も、ようやく日本式の
姓が先とする方法が認知されはじめてきてもいる。

なのに、何故日本は Japan や Japon であって、
Nippon や Niffone や Nihon ではないのだろう。
紙幣やら切手やらには、NIPPON の文字が大きく刷られ、
国際的な認知度が特に低いとも思われない。

たとえば、ページの頭に次の様に表示してみるのも、
ちょっとした悪戯として、楽しいかも知れない。

Nipponese (a coinage: the nation of Nippon (Japan) or their mother tongue) only.

これだけ書いちゃってから、もしやと思って検索してみました。
Nipponese という単語を goo で検索したら、96件ヒット。
すでに、a coinage ではないのかも知れない。
なんか面白いことを思いついたと思ったのだが、
どうも、発想に独自性が無いようだね、反省。


以下、勝手に無断リンク。goo検索で見つけたサイトの一部のご紹介。
ただし、内容には、一切関知いたしません。あしからず。
(リンクおいやな場合は、サイトを閉じるなり、連絡をいただくなりお願いします。)

(日本語のページ、Nipponese Onlyなページ)
http://www1.odn.ne.jp/~cbg51940/ サイト名(更新は停止中?)
http://k340.zone.ne.jp/ Nipponese only
http://pcwave3.ee.uec.ac.jp/Kishi/  Clich here for Nipponese pages.
http://satkmt.hoops.ne.jp/Default.htm  Nipponese only
http://contest.thinkquest.gr.jp/tqj1999/20224/  This document is written in Nipponese. 
http://phe.phyas.aichi-edu.ac.jp/~cyamauch/  Nipponese only
http://www.catv-mic.ne.jp/~okishima/  Nipponese only
http://aq.webtech.co.jp/main.html  Nipponese (trueName o' Japanese)

(NDC、図書館学など)
http://www2.ll.chiba-u.ac.jp/~yamamoto/link.html 
http://www-tsujii.is.s.u-tokyo.ac.jp/~mitsuisi/slung/
http://www.library.osaka-u.ac.jp/guide/ndc9-e.htm
http://www.tulips.tsukuba.ac.jp/memb/hayashi/cls.html
言語分類 NDC(Nippon Decimal Classification) 9th Edition でも使用されている。

(英文の中で単語として普通に使用しているサイト)
http://www.maximumwarmaster.com/armies/Nipponese/nipponese.shtml
http://www.ew.com/ew/review/movie/0,1683,1421,pokeacutemonmovie2000.html
http://www.roadracingworld.com/issues/dec98/decjap.htm
http://www.beoscentral.com/
http://www.yoshiyuki.com/faq1.htm
http://www.aa.tufs.ac.jp/~mshuji/MOBILIS/kaanabi1.html
http://www.keidanren.or.jp/english/policy/2000/053.html
http://dreamcast.ign.com/news/25306.html
http://www.faqs.org/faqs/japan/

(主張)
http://www.sankei.co.jp/databox/paper/9802/25/paper/today/seiron/seiron.htm
http://www.wakate.com/histry/nakamatsu/nakama2.html
http://www.nh.jiyu.net.np/index.htm

(その他)蟻に例えられることも在りし日本人には…
http://www.affrc.go.jp/etc/Ant/Ant.WWW/Taxo_E/F40901.html
に、T. nipponese という蟻(シワアリ属)に関する記述があるけれど、
http://ant.edb.miyakyo-u.ac.jp/SPECIES/40905.HTM
を見る限り、nipponense のtypoミスの様です。なぁんだ残念。笑。

(2001.02.19)
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久しぶりにテレビをつけてみたら思ったことがある。
それは(僕にとっては)過剰なまでの効果音とBGMが、
結構煩いな、と感じたことだ。

それは、バラエティー系の番組だったから、
よけいにそうだったのだろうか。
スポーツニュースならともかく、今日のできごと系のニュースで、
為替市場の話をするたびに、レジスターの音を思わせる
チンという効果音が入ったり、不祥事系のニュースを流す
時に悲しげな音楽をBGMで流してもらっても、なんかイヤだ。
そのニュースを聞いた時に感じる感情まで、
あなた方に決めてもらわなくても結構です、と僕なら言う。

一時期から、日本のバラエティでもよくみられるようになった
アメリカのドラマで多様された、笑い声のスーパーインポーズ
なんてのも、実はあれを聴くとかえって醒めてしまう人なので、
そういう感想を持つのかもしれない。

また、テレビの番組からコマーシャルタイムになると、
とたんに音量が上がったように感じるのは、
五感の中でも聴覚が人の注意を惹きつける上で重要な
役割を果たしているからだろう。
とはいえ、嗅覚や触覚に訴える映像は、まだ開発途上であり、
実用化まであと少し(おそらくは予想より短い期間)待たなくては
ならないという事情もその理由の一つであるのだが。

昔、マメカラだったかハンディカラオケだったか、
商品名は忘れたけれど、カラオケの伴奏機能付きのマイクロホン
が売られていたことがあった。
その応用で、BGM機能付きの演説用マイクロホンなんていかがだろうか。

ネット配信で、あらかじめ各種効果音やBGMをダウンロードして
おくことが可能で、設定によって話の語尾に自動追従(ついしょう)機能もある。
〜円也、なんていうと、その語尾に反応してレジスターのチンという音が入ったり、
ボタン一つで「なんでやねん」とつっこんでくれる簡単操作も売りにする。
もちろん、話手の声の基調トーンを登録しておけば、声のトーンの変化から
感情の変化を類推してそれにあわせてのBGMの自動選択も可能である。
おお、書いていてなんか欲しくなってきた。誰か作ってくれ。(笑)

主に見込める需要先としては、まずは政治家。
テレビっ子世代が成人してくるのに従って、
ただの演説では彼らの注意力を十分にとらえることが
できなくなるかもしれない。そんな中で、話の内容に応じた
適切なBGMを流してやることにより、より訴求力の大きい
演説となるであろう。
たとえば、こんなに儲かりまっせというような話なら、
軍艦マーチをBGMに選んで、金額の数字が出るたびに、
例のチンという音を鳴らしてやるのだ。
これさえあれば、少々中身の薄い話をする時でも
聴衆のこころをぐっとつかんで離さないこと請け合いだ。

同じ談でいくと、塾や学校の先生たちにも良いかもしれない。
BGM付きの授業ってなんか楽しそうじゃないですか。
少なくともテレビ世代にはウケるかも。
でも、授業がつまらない(=従って潜在的にBGMの
助けが必要な)先生に限って、どうせセンスがないのだろうから
ロクなBGMを選ばないんだろうな。
で、BGMアドバイザなんていう職業が流行っちゃったりして。

ただでさえ雑音の多いこの世の中、さらに雑音を増やして
いったいどうすんねん、という話も無いではない。
情報をいかに取捨選択し、いらないものを切り捨てる能力が
求められる時代になりつつあるのだろう。

とりあえず、今日書いた文を読んで、なるほど、なんて
感心してくれた方がいたら、不必要な情報を切り捨てる
能力を疑ったほうが良いかもしれない、とご忠告申し上げておく。

(2001.02.20)
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うようよ泳ぐハリセンボンという、絵的にステキな映像を
今朝のニュースで見てしまった。たしか島根のあたりの話題だった。
asahi.comにも、19日のニュースで15日に(カニで知るヒトは知る)香住に大量の
ハリセンボンが打ち上げられたという記事があった。

ハリセンボン好きなんだよな。大きなおめめ。
あのツートンカラーでありながら、あの派手派手な形。
ホネガイみたいというか、スーパーサイヤ人みたいというか。
心をくすぐる何かがある形だよ。

あれを全部、下関のハリセンボン提灯に仕立てたら
ちょっと壮観かなぁなどと考えてにんまりしてみるのだ。

定置網の中でうようよ泳ぐハリセンボンは、水揚げしても、
ほとんど価値がないのだという。あぁ、なんてもったいないことを。
出現頻度の激ちっさいポケモンの出現情報を電話で連絡貰って
すごい釣り竿で釣ってみたら、いやんって言うほど釣れちゃって、
せっかくのレアポケ、逃がすのも忍びなくて
かといって山ほどかかえていても意味なくて、なんて状況に似てないかい?
なんか激マニアックなたとえになってしまったけれど、
要するになにか利用価値でもないかな、なんて考えてしまったわけだ。

なんか食べるところも少なそうだしな。
せいぜい乾燥させてすりつぶして、
漢方薬代わりに嘘つきに飲ませるくらい?

(2001.02.21)
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伊予柑とグレイプフルーツのお値段がだいたい同じだったから
6個で400円のいよかんと5個で400円のグレイプフルーツとを
選び兼ねて、結局、重い思いで両方買ってきた。

伊予柑は、当たると美味しい。はずれるともうすかすかで、苦みがあって
イヤなのだけど、ジューシーで甘いものはかなりの高得点である。
そりゃ、他の柑橘類でも例えば、でこポンは美味しいけど、高すぎやで。
いわゆる蜜柑も好きだけれど、香りでは伊予柑に太刀打ちできない。
そんなこんなで、結局コストパフォーマンスが良いのは伊予柑なのだ。
それに伊予柑の種の周りのゼリー状の感触がなんとなく好きだったりもする。

一方、グレイプフルーツも負けて劣らぬ美点をもつ。
そもそも舶来であるところが高得点である。先日買ってきたのは、
ピンクグレイプフルーツの方なので、ちと酸味が強いが、果肉が美しい。
いわゆるサンキストのネーブルオレンジも好きだけれど、当たり外れが
激しいしなぁ。というか安いものを狙うと大抵はずれるし、哀しい。
その点グレイプフルーツで大はずれだった記憶ってないのだ。それにあの、
一口ごとに顔の表情を変えながら食ってしまうほどの味の濃さも好みである。

買って来た柑橘類たちを、冷蔵庫に両方いれておいた。
ふと気付くと、手軽に食えることもあって、先に伊予柑が無くなった。
味も優しいから、いちどに4つくらい簡単に食えるし。
ついでグレイプフルーツに取りかかってから、
味が濃いので、一度に1つ食うのが限界だと気付いた。

すぐに食ってしまったほどの伊予柑の方がお得だったのか、
なかなか食えないグレイプフルーツの方がお得だったのか。
微妙な問題で、判定はなかなか出ない。未完のままとしておこう。

(2001.02.22)
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いーしやーきーもー、、ヤキイモ、、
半角文字が使えれば「ヤキイモ」半角表示にするのに。
15拍子くらいのリズムで芋売りの屋台は流れる。

もう結構暖かくなってきたのに、
しかも朝っぱらから、芋売る声がきこえてきて目を覚ます。
日曜日だから朝っぱらからイモを買う客がいるのだろうか。
はーやくしなーいと、いっちゃーうよっ。
さようですか、どうぞどうぞおかまいなく。

夜泣き蕎麦は、ドレミーーレド、ドレミレドレー、
だったかな、などと寝坊を決め込んだ布団の中で考える。
なんとなくレの音が1/4音か1/8音ほど低いのがミソのような気もするが、
その夜泣き蕎麦のチャルメラと、ヤキイモ売りの声って、
音程が何となく似ていることに気付いたのだ。
おおまかに3つの高さの音から成っているところが共通だし。

永遠のコマーシャルソングの必然として、
曲が単純で誰でも覚えやすくないといけないのかしら。
たかが芋売りの声に余計なことを考えているうちに目が覚めてしまう。
想像のチャルメラの音に合わせてイシヤーキイモ、
イシヤキイモーっとつぶやいてみる。ちょっと中華風のヤキイモ。

なんとなくお菓子食って可笑しくって、
お腹もすいたし、諦めて起きることにした。
そんな平和な日曜日の朝。

(2001.02.26)
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無造作に開かれた世界。ネットワーク。

知らない間に共有しているフォルダの中に、つい個人的な
画像なんかを入れて置いて、気恥ずかしい思いをしたり。
繋がってて外から見えるところに置いておくのがいかんのだよ、
なんて言いながら、何があるかな、何があるかな、なんて探索したり。
どきどきの世界。

ちょっと品のよい風景写真がたくさん入っているフォルダを見つけた。
砂漠だの断崖だの絶壁だのとタイトルのついたjpgファイルが
並んでいたのでなんだろうと思ったら、
デスクトップに使えそうな画像ばかりが数葉入っている。
どこのサイトで探してきたのだろうか、なかなか良い感じの写真ばかりだった。

蒼い色をした山肌をバックに、澄んだ空気がある。
大きなタンネだろうか、針葉樹と、その下に
寄り添うように建てられた古い木の小屋。
屋根は緑色の地衣類に覆われている。
あかり取りのためだろう窓は
切妻屋根にあわせたのだろうか、縦と横を対角線に持つ正方形だ。
扉も背の高い草に覆われてしまって開きそうにない
その古い小屋は、もう使われてはいないのだろう。

自然の中にぽつねんと在る人工物も、
その素材と、送ってきた時間によっては、
周囲との違和感を失い、一幅の絵となることができる、
そんな例しにもなるような写真である。
アルプスで撮ってきた写真さ、と言われれば、
僕はそれを信じるだろう。
その写真のファイルのタイトルは、納屋.jpg

ちょっとだけ、出来心で。
ほんのちょっとだけ考えただけ、思っただけなのだけれども、
湯気たつご飯の上の納豆の写真と入れ替えておいたら…。

(2001.02.27)
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きっとそれはブロッコリーの一種なんだろうけれど、
茎の部分がひょろっと伸びた、ちょっと珍しい野菜を食べた。
軽くゆがいて食べたのだけれど、アスパラガスのようでおいしかった。

こんな野菜が世に出るまでには、
実は大変な過程を経たのではないか。

よそと違ったものは、基本的には、集団の中では嫌われるのに、
その他とは異なる個性を、誰かが見出して、
商品になるところまで手をかけて改良してやって、
やっと人前に出せるところまでいったならば、
次には農家に売り込んで、栽培してもらって、
最後には流通を経てスーパーに並べてもらって。

その途中のどこか一箇所ででも挫折していたなら、
世に出ることは叶わぬことだったのに違いないのだ。

みかけはひょろっとしたヤツだけど、
なかなかやるじゃん、と思ったのであった。

(2001.02.28)
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忙しい時ほどのんびりしたいというのは、
多分、わがままやへそ曲がりなのではなくて、
心にゆとりをもたなあかんよ、という、一種のカラダの
自己防衛のようなものなのだと思う。

けっこうやるべきことを溜めてしまっている割りに、
昼飯くらいゆっくり喰わせてくれと云って、
えらいことのんびりと遅い昼飯をとってきた。
普段の3倍くらいもかけて、また戻ってからも
おちついてコーヒーなんぞ啜ってみる。

やはり心に余裕が無いとね、なんて独り言をいいながら
すべきことのチェックをしてみる。
余裕を出した甲斐があってか、今までのチェックから
もれていた事項があることに気付く。

ああら、お金を振り込んでおかなくてはいけなかった。
やばい、窓口が閉まるのは3時だっけ、4時だっけ。
焦りながら自転車に飛びのって、息きらせ、
信号待ちの時間さえ惜しみながらとばしまくる。

なんとか、間にあいました。
かくのごとく、自転車操業を地でいっているのでありました。

(2001.03.01)
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シーズンだからいろいろな人がスキーに関連した
報告なんかをしているのだが、そういうのを読んでいると、
うずうずしてきてたまらなくなるのである。
そんな時、古い友人がスキーに誘ってくれたのは、
まさに渡りに舟であった。

ゲレンデでは、あらためてその様変わりに目がいく。
ボーダーが多いこと、多いこと。
かくいう誘ってくれた友人も
数年前からボーダーに転向しているのである。

そんな軟弱は許すまじ、と、あえて自分はスキー一本である。
というか2本であるけれども。
ショートスキーまでは体験してみているが、
流行のカービングなど、乗ったことさえない頑固モノなのである。

自分の所有の板はもう10年以上も経つだろうか、
先端以外はずっと同じ幅の板で、いまや少数派だろう。
古いため、たわみも無くなっちゃってきているのである。

そろそろ新しい板が欲しいのだけれど、
年に数回しか滑らない板を新調するのに、
慎重になってしまうのである。
たぶん、けちなのである。

カービングスキーに乗らないのも、
ボードをやらないのも本当はそのせいなのである。
もう好きーにしなさい、と言った感じなのである。

(2001.03.05)
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春も近いなぁと思うとき。

スーパーの野菜コーナーに、蕗の薹や山独活が並ぶとき。
土や肥料の香り、いわゆる田舎の香水が漂って来るとき。
キャベツを繊に刻んだらほのかに黄緑色をしていたとき。
ふとみた田の跡地が仏の座でうす赤く染まっていたとき。
まだ寒いのにと思っていたら精霊ばったをみかけたとき。
アスファルトの上が温かいのか七星天道をみかけたとき。
風邪でもないのに鼻がぐずついて目がかゆくて困るとき。

(2001.03.06)
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まともな表紙のついたメモ帖が欲しいと思い立って本屋に行った。
文具屋に行っても良かったのだが、
どうせ本屋へはここのところ何日か行ってなかったし、
そこでは文具等も扱っているから、それで良かったのである。

年末にも覚えがあるのであるが、年度末ということで、
システム手帖やら、ポケット日記やらが山のように積んである。
でも自分が欲しいのは、日付のはいっていない、
ごくシンプルなメモ帖なのだ。それも、卓上用ではなく、
携帯できるようになっているもの、というのが条件だ。

このサイトをはじめてから、思いついたことをメモしておく、
という習慣が少しずつできてきた。
これはきっと良いことに違いない。
その割りに、中味の無いメモばかりであって、
これはいかにつまらないことばかり考えているかの証明でもある。
おまけに字が汚くて、他人には言うにおよばず、自分でも
時には何を書かんとしたのか判らないことがある。

それはさておき。

積んである山をかき分けて、ようやく一冊だけ、
日付の入っていない、シンプルなノートを見つけた。
ソフトビニールの表紙も、なかなか手になじんで良い感じである。
これにしようか、と決めかけて、値段を見て躊躇してしまった。

700円。

大学ノートの方がずっと安いではないか。
ポケットに入るサイズの小さいノートを、
文房具の専門店で探した方が、ずっと良いのではなかろうか。

一度は手にとったその小さなメモ帖を山にもどすと、
新たにそのあたりを物色しはじめた。

そこには、システム手帖が並べられている。
こういうのも、ちょっといい感じだろうか。
なににしろ少しは知性的に見えるかも知れない。

大きくて携帯に不便なのは、せっかく買っても
絶対に持ち歩かないから、買うなら一番小さいのが良い。
表紙はシンプルな色とデザインのモノが好みである。
それに、あまり堅くなくて、開きやすいのが使い良い。
財布と兼ねているようなデザインで、良さそうなものもある。

いろいろ見ている中で、ちょっと気に入ったのは
ドイツ製のなんとかというところのブランド品のようだった。

どうせしょぼいノートに700円払うのなら、
奮発してしまっても良いかも、などと考えて値段を確認する。

えー。この値段って、常識なんですか。
なんでたかがバインダファイルに
アルプス一万弱のお金を払わなければならないんですか。
文句があるなら買わなければいいですよね。
いいですとも、買いませんとも。

というわけで、システム手帖の購入は断念したのだった。
それで。つい700円のさっきのノートが安く思えて、
そっちを買ってしまったのであった。

(2001.03.07)
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