今朝方見た夢・夢殿
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(81-90)+−−−−+−−−−+−−−−+
浮力。不思議な力。船や飛行船を浮かせる
チョコレートゲームを読んで思ったこと。
ニュースクリップ 11/24-12-04
ふとみたら携帯用にと数ヶ月前に購入した
ミーミレードーソラ♪
マーマレードの空
目上の人とすれ違うときのマナーって
どんなに忙しくても、朝日が
どんなに忙しくても、君の笑顔が
僕の生活から活字を切り離すことは、
(91-100) −−−−+−−−−+−−−−+
仮想会話
期間限定ですが、さがさないで
長くのびてしまった髭を剃っていて、
人間が幸せであるために。
純血。ハワイ諸島に住む人達のなかで、
ちょっと微熱ぎみで、ふんわりとした
あと何日というカウントダウンの数字を
クリスマスだから、なんていう理由では
ルミナリエなら知っていたのだけれど、
もしも胃潰瘍だと宣告されたら。
(101-110)−−−−+−−−−+−−−−+
電話の同着問題。
駅弁にも持ち込み料金を適用してくれたら
夕食をちと食べ過ぎて、年越しのお蕎麦
なんとなく恒例になっている、高校の時の
正月早々、やるべきこともやらんと、
人間関係って面倒だな、って思うのは、
今日の発見。まつたけ味のカールと
コーヒーをおとした分量が、2杯にわける
善男善女の列かきわけて、寺社に詣る。
まだ学生だった時に、何の機会にだったか、
(111-120)−−−−+−−−−+−−−−+
日曜の夕方から降り出した雪が月曜に
いつもお世話になっている電気ポットに
A Happy New Year! だとか、
年賀状の抽選は、去年まで、たしか、成人の
1984年にジョージ・オーウェルが流行った
性別と色とを1対1で対応させるなら、
もしも個人所有のトイレットが存在しなかっ
3つ目が通る、なんて漫画があった。
洗濯物を干していると、原色が多い
書ける時に書け。
JL120


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浮力。不思議な力。船や飛行船を浮かせる力。
簡単に言えば、あるものを水に沈めた時に、排除された水は、
水面を押し上げるから、それを支える力に等しいのだ。
500mL の空洞を持つ容器を、浮力に逆らって、水に沈めるための力と
500mL の水を持ち上げるのに必要な力は同じだということ。
湯桶の中で実験をするならば、水面の上昇はわずかである。
表面積が500平方センチあったとして、500mL の容器を沈めれば、
1センチの水面上昇がおこる。
表面積が倍になれば、水面上昇は半分になる。
そうやって、表面積をどんどんとふやしてやったら。
イメージは海。大海原。たったひとつの空き缶を水に沈めても
水面はほとんど上昇しない。ならば浮力は生じるのか。
無限大かけるゼロが、無限大でもゼロでもなくて不定であることが、
数学的には言えるのだけれど、それは単に不定だと言っているだけ。
無限につづく大海原は探索の舟を浮かべることを許さないのかも知れない。
いつの間にか飲み終えたビールの缶を片手に、湯船の中で、
おれはそんなことを考えていた。

(2000.12.03)
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チョコレートゲームを読んで思ったこと。
岡嶋二人のファンで、まだ上記作品を読んでいない方は、ネタばれに
なるかもしれないので、すっとばしたほうが良いかもしれないっす。

もちろん違法行為なんだろうが、ノミ屋をするための心得。そいつがテーマ。
つまり競馬を用いて違法な賭博行為をするために気をつけておくこと。
競馬というのは、(宝くじなんかでも、パチンコなんかでも同じなんだが)
胴元が儲かるようにできている。配当金を全部あわせると、平均して、
馬券購入総額金よりもかなり少ない額になる。つまり、胴元が当然儲かるように、
できている。だから、もしあなたが胴元をすれば、儲かるのだ。
オッズは本物の競馬と同じなら、つまり、儲けの割合も同じということになる。
どうです、やってみたくなったでしょう?(個人がやれば違法だけど。)

ここで落とし穴がひとつある。平均して、という文字がさっきあったでしょう。
あれだ。さまざまな事象は、サンプルの数が多ければ多い程、統計的な
振る舞いをする。誤差がある値よりも大きくなる場合と小さくなる場合が
同じ程度に現れて、誤差が大きいほどその確率が小さくなる場合の表現の
ひとつが正規分布で、いわゆる偏差値だとか標準偏差なんていうのも、
これに関連して決められる値である。なんだけど、そういう小難しい話は
ちょっとおいておく。要するに重要なのは、サンプル数が少なければ、
そういった「平均的な」振る舞いからはずれた挙動をするっていうことだ。

これを応用すれば、宝くじの買い方にもつながる。
すなわち、大量に買うのはアホで
(なぜなら、配当額が期待値に近づいてしまうから)
なるべく少量のくじを買うのが良い。そうして、はずれたら、あきらめて、
もし当たったら2匹目のどぜうなんてねらわないで、即、手をひく。
勝ち逃げが肝心なのである。もし、勝てたら、の話だが。

誰かが万馬券をあてたとする。たくさんの顧客がある中で、だれかが
ちょっとくらい万馬券を買ったとしても、JRAは痛くもないだろう。
そもそも購入する人数が少ないからオッズが高くなるのだ。
JRAとしては、オッズが低い馬券を大量に払い戻しても、オッズが高い馬券を
少数だけ払い戻しても、いずれにせよ、損はしないのである。

ところが。もしあなたがノミ屋(飲み屋ではない。念のため)で、
胴元なんかをしているときに、そしてそれがJRAと同じオッズで賭けさせて
いる時に、誰かが万馬券をあててしまったら、それはピンチになる。
それは、その高いオッズの馬券に払い戻すだけの額を、
他のだれかが、低いオッズの(結果的にはずれ)馬券であがなうほど
購入しているとは考えにくいからだ。
つまりあなたは懐からの持ち出しでそれを埋めなければならない。

で、そんなとき、どうしたらよかろうか、というのが、今回の話の本題。
保険に入っておけば良い? ホールインワン保険から成人病保険まで、
いろんな保険があるけど、違法行為をサポートしてくれるような保険があるとは
思えない。そういう類の声が掛かるところにいるあなたは、すでに黒幕だ。
素人さんには無理な話。では、ある程度より高いオッズの馬には賭けさせない?
それは安全策でもあるが、そんな不公平をしていては客はあつまらない(だろう)。
どうすれば良いか。今日はずっとそれを考えていたのである。<アホやん。

で、その結論。ノミ屋をしていて、もしあたったら自分が払えそうにないほどの
オッズの高い馬券に貼る輩がでてきたら、自分で実際にその馬券を同額だけ
買ってしまえば良いのだ。そりゃ、当たる確率は少ないのだから、買わなければ
その分まるまる自分の儲けになるのだから、もったいない気もするだろう。
でも、万が一ということがある。これで、100円が20万を越えるような
当たり馬券がでてしまってもぜんぜんオッケイなんである。平気の平左である。
このシステムでは、高額馬券は、当たってもはずれても、自分の損にも得にも
ならないかわりに、大きな穴が空かない。すなわち、統計的な振る舞いに近い、
低額馬券の売り上げだけで儲かるわけだ。つまり、リスクなしに、儲かる。

というわけで、うまいことを考えついたわけだが、前提からして違法なので、
真似はしないように。そもそもギャンブルするのに、そんな保険行為って、
面白くないような気もするけど、実はギャンブルってモノは、
熱くなったヤツが負けるようにできているのである。たぶん。

(2000.12.04)
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ニュースクリップ 11/24-12-04
すっげぇ量になっちった。

2000.11.24 「空のアメダス」設置始まる 上空の風つかみ豪雨予測 
 空のアメダス。ぷぷぷ。なかなかなネーミングセンス、というか、
 関係者が「まぁこれは、空のアメダスというところですか、わはは」
 なんてコメントしたのを記者の方が真に受けて、『地上の気象観測
 システム・アメダスに対して、「空のアメダス」と呼ばれる。』
 なんて書いちゃったのかなと想像してたんだけど。 …そういえば、
 似たようなのが以前もあったな、とおもって、クリップファイルを
 検索してみたら、でてきたのが、こちら。
2000.06.14 環境庁、大気汚染情報をネット公開 愛称「そらまめ君」 
 大気汚染情報をインターネットで公開するためのシステムなんだけど、
 空をまめに監視するということからつけたそうです。こっちもすごい
 ネーミングセンスだね。

2000.11.26 体の動きを音に変えるヘッドホンを開発 東芝 
 これを読んで、
2000.10.30 人間初の「Gマーク」 兄弟アートデュオの明和電機 
 の明和電機を思い出してしまった。
 閑話休題。『高齢者の活動状況の確認』(生きてるかどうかの確認?)
 やらに応用したい、というのは結構なんですが、『音に合わせてダンス
 するのは当たり前、ダンスに合わせて音を出します』という謳い文句は
 どうかと思う。リズム感のない音は、イヤホンで勝手に聞いてくれ。
 どうか周囲には垂れ流さないで欲しいと思う。

2000.11.26 トルコでポケモン騒動、子どもの飛び降り事故続発 
 良書を良く読むためには読者が経験をつんでいないといけないが、
 テレビアニメもそうであったか。うーん、まじめな感想。

酒飲みの関心として、
2000.11.28 ビールと発泡酒 「味」めぐり議論白熱 
 え?冗談で言ってるのかと思ったが、本気で同じ味だと思っているのね。
 ふむ、ちょっと吃驚、という感じなのだが。ちがうやん。
2000.11.30 発泡酒などの税率引き上げ断念 自民税調 
 結論を先送りしたとのこと。泡と消えたわけじゃないのねん。

2000.11.27 ITマニュアルの需要増で好調 製紙大手5社の中間決算 
 アホやと思いません? ITはペーパーレスの時代を云々なんて言われた
 時代もあったねと、だ。
 すべからくマニュアルなんて、pdfファイルにして、ネットで無料配信
 すりゃいいのに。その前に、マニュアルが無いと使えないようなものを
 平気で売っているコト自体が、なんか問題ありなんだよね。
 よくあるマニュアルは、マニュアルが必要なくなるまで操作に慣れないと、
 そのマニュアル自体が読んでもなにを言っているのかわからないもんだし。

2000.11.29 PHSで動画配信 ドコモが12月からサービス開始 
 ピッチで動画がみられるのか。個人的には要らないけど。
2000.06.02 特報・遠隔操作:携帯がリモコンに ネット利用で 東電が開発
2000.06.28 ソニー、米で遊び志向の携帯情報端末を発表 
2000.08.06 携帯電話で家電をリモコン操作 東芝が開発 
2000.11.16 試写会入場券は携帯の「画面」 仙台市 
2000.11.27 自販機自ら110番、異常時にPHSで通報 試験運用に 
2000.11.29 携帯電話が定期券、きっぷ代わりに JR東日本が導入へ 
 自販機を守ったり、映画館やJRの切符がわりになったり、大忙しやね。
 でも、JR切符用の携帯と映画館入場切符用の携帯とテレビのリモコン用の
 ピッチの3台もってます、なんてのはごめんだけど。
 そういえば、こんな話題もあった。
2000.08.01 携帯電話: 車両内で電源のオン・オフエリアを区分け 京王電鉄
2000.10.11 奇数車両は携帯メールOK 東急電鉄が「すみ分け」作戦 
2000.11.15 宮殿での携帯電話はダメ エリザベス英女王が命令 

COP6関係はこちら。
ちょっとコメントはないけど、動静を探っておこうか、と。
2000.11.25 CO2森林吸収量で日米加が譲歩提案 COP6 
 と、互いに譲歩案をだすが、歩みよりが足りず、
2000.11.26 COP6、対立埋まらぬまま終わる 
 リオ10にあたる2002年の京都プロトコルの発効は絶望的とされるが、
 妙になれ合った形のみの発効よりはましか?
 来春5月にボン(ドイツ)にてCOP6を再開し、合意を目指す、とのこと。
2000.12.03 地球温暖化による気候変動、災害軽減へ行動計画作り急ぐ 
 国連の国際防災戦略評議委員会が国際的な行動計画づくりを急ぐことに
 んなったそうだ。
2000.12.05 温暖化防止で日米欧が年内にも閣僚級会合 
 森林の二酸化炭素(CO2)吸収量の算定方法などについて、
 先進国間で根回しをしておきましょう、ということ。
 
2000.11.29 岸田劉生の「麗子像」がオークションに 3億円前後か 
 これ、結局3億6千万円で売れたらしいんだけど、麗子像の複製画が
 小学校の図書館に飾ってあって、夜になると笑うんだってさ、
 ってな類のウワサが流れていたものだ。
 
2000.11.29 宝島社が不健全図書指定取り消し求め東京都を提訴 
 コンテンツの一部が「著しく性的感情を刺激する」と判断され、「不健全」との
 レッテルを貼られたわけだけれども、性的感情って不健全なものなのかなぁ?
 性のコトは、子供は知らないで良いなどという考え方のほうが、オレに
 いわせりゃよっっぽど『かえって悪質だ』と思うんだけど。
 性教育は二次性徴の前の幼稚園児や小学生に「きちんと」教えてしまう
 べきだということを主張されている方が居たと思うが、オレはそれに賛成。

2000.11.29 男子高校生をわいせつCD―ROM販売で書類送検 徳島 
 デジタル情報は容易に複製できるのだから、こういう犯罪(なんだよね、
 現行の法律では。猥褻なコンテンツでないとしても、いずれ、著作権には
 ひっかかってくるわけだ。)は、今後増えるだろうね。
 今回のような報道が抑止力になれば良いけど、不十分だろうな。

2000.11.30 「ネプ投げ」などに配慮欠くと見解 放送関連の委員会 
 表現の自由という文脈と常に対となる問題だけに、ムヅカシイものがある。
 まぁ、教育上の観点からのみ言ってしまえば、テレビをまったく見ない見せない
 というのがベストだろうと個人的には思っているけれど。

2000.11.29 札幌市に光の柱出現 大雪やんで太陽柱 
 大気中の氷の結晶が鏡の役目をして日光が反射し、光の柱が立ったように
 見える現象、「太陽柱」(サンピラー)だそうだ。と思ってたら、
2000.12.04 ほんのり赤く夜空染め 北海道でオーロラ撮影に成功 
 だそうで、なんて北海道って豪華なんだわあ、という感じやね。

2000.11.30 「現行憲法を否定すべし」石原都知事、憲法調査会で陳述 
 このヒトもラジカルやねぇ。たとえ公務員であろうと、法にのっとって
 法を否定するのなら合法であるという例。ただ、正当性がないという
 表現はどうかとも思うが。

2000.11.30 時代に逆行と抗議殺到 エア・ドゥが「喫煙席」を導入 
 抗議せんでもええやんと思う。イヤなら乗らなければよい。それが市場原理
 っちゅうやつだっせ。本当は、喫煙シートで喫煙しても禁煙席には煙が
 流れないような(無煙焼き肉みたいな)設備を搭載して、吸うヒトは
 吸わないヒトに迷惑をかけずに吸うことができる、のが一番やと思うぞ。

2000.11.30 不当な差別防止目的の人権教育・啓発推進法が成立 
 『賛成多数で可決、成立した。反対したのは共産党だけだった』そうだが、
 共産党が反対した理由が何か、ということを併せて報道することが、
 公平な情報提供であり、マイナーな意見を尊重する真の民主主義ではないのか?

2000.12.01 土にかえるプラスチック、ソニーがMDの包装材に 
 はじめから紙で包めば?

2000.12.01 福岡国際女子柔道でビデオを試験撮影 誤審防止へ全柔連 
 ばっかみたい、という発想はダメ?
 いっそのこと、判定は全て協議をおこなって試合終了後30日以内に
 選手に試合の判定結果が伝えられる、という方式でどうよ?

2000.12.02 iモードで仮想HIV抗体検査を受けよう 
 ふむふむ、ゲーム感覚で啓蒙していこうというのね。よきかなよきかな。
 ネット上の新聞記事にありがちだった、URLの全角表記をしないのも良し。
 興味おありの方は、こちら。http://www.cai.presen.to/i/

2000.12.02 男性の早熟化傾向がストップ 環境ホルモンの影響? 
 くだらない、を通り越して反吐がでるね、まったく。
 第一。早熟化傾向(精通年齢の低下)が止まったことを、遅延化傾向の
 はじまりと解釈している。早熟化が何処かで止まるのはあたりまえちゃうか?
 第二。生活習慣(食生活、周囲からの情報、そのほか)を含めた
 さまざまな要因をまったく考慮せずに、環境ホルモンの影響が原因として
 考えられる「かもしれない」などと言っていること。
 かもしれない、だの、!?だの、スポーツ新聞だけで充分。
 「原因かもしれない」ことは否定しにくい、というのなら、
 サンタクロース(UFOでも良し)は居るかも知れないと思っている奴
 を相手に、そんなものは居ないことをどうやって説明できるか、考えてみな。
 データを出すのは良し。ただその原因を根拠も無しに類推するのは、
 時により危険で、他の致命的な原因があった場合にそれを見逃すことにも
 なりかねない、なんて一般論は抜きにしてアホが写りそうでイヤ。
 第三。そもそも、研究者たちは、日本内分泌撹乱化学物質(環境ホルモン)学会で
 発表するとのことだから、それなりに内分泌攪乱物質との因果関係とまで
 はいかないまでも、相関くらいはでっちあげ示しているのかも
 知れないが、それすら記事に載せていない。んじゃ、ただの煽りじゃん。
2000.12.02 「仕事重視」より「仕事と家庭両立」 男性の生活調査 
 これもきっと環境ホルモンの影響だから、良い面もあるんじゃない? <アホ 
 ところで、おれが独身なのって、環境ホルモンの影響?
2000.12.03 メスに男性器、オスに女性器 サワガニに生殖異常 
 なんてのもありました。以下同文、って感じ。

2000.12.02 鶏舎が全焼、ニワトリ8万羽焼死 富山・氷見市 
 不謹慎だけど、これがクリスマスだったら…

2000.12.03 師走迎え里心?カナダヤマアラシ、動物園から脱走 秋田 
 コメントがふるっている。『「さびしくて故郷のカナダに帰りたく
 なったのかな」と心配する同園』だそうだが、まさか、本気で言ってないよね?

2000.12.03 PC誤入力で投薬ミス、8日後に患者死亡 高岡市民病院 
 投薬ミスは、あきらかにシステムにも問題があるだろうな。
 まず、名前が似ているというだけで、まったく効果の異なる薬品が
 近くに表示されて選択できてしまうというソフトウェア上の欠陥。
 そして、指示を受けた薬剤師、看護婦は疑問を持っても特に質問はせず、
 指示通りに投薬してしまうという運用上の欠陥。
 患者の最終的な死亡との間に投薬ミスとの因果関係があるかないかは
 証明が難しいとは思うが、欠陥のあるシステムを運用していた罪はあると思うね。

2000.12.04 アイボに勝った! 歳暮商戦に「ロボット店員」登場 
 写真を見て。あーオレの(笑) CDR-3X とこいつを同一線上に並べないでくれ。
 あまりにも陳腐なステレオタイプなロボット。オズのブリキの樵かよ。
 そもそも、真剣に競おうと思った時点ですでに負けていると思うが…。

2000.12.04 写真やURLも表示 ソニーが「電子名刺」発行サービス 
 相手がパソコンを立ち上げた際に表示される電子名刺、って、オレは、
 望んでもいないものを強制的に見せられるのはイヤなんですけど。
 まぁいずれ、こういうのは普及するかどうかが分かれ目だから、今後の
 動静を見守って、どの程度受け入れられていくかを見守ることにしよう。

2000.12.04 16年間でガーゼ置き忘れ5件 新潟大付属病院 
 その対策として、手術後にガーゼの枚数を必ず確認し、X線撮影をする
 対応策を決めたそうです。縫ったあとでX線とっても、ガーゼが万が一
 残された場合に、また開かなくてはいけないんでしょ?

なんだか12月になっていよいよ世紀末が近づいて来た割には
末法思想も広まっていなくてええじゃないかええじゃないか。
それよりジョンレノン雑文祭がかけないんだよお、どうしよう。

(2000.12.05)
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ふとみたら携帯用にと数ヶ月前に購入した時計が10分進んでいた。
携帯用にといっても、ストラップになるほど小さくはない。

ボクが寝起きしている部屋にはあれこれあわせていくつもの時計がある。
完全に止まってしまっているのが、ふだんは使わない腕時計。
ふだん、懐中時計を短かめの鎖でジーンズのベルト用の穴に結び、
つるしているのが、ここ数年の自分のスタイルになっているので、
腕時計はしばらく使っていないので、電池切れになったものを
そのまま放ってあるのだ。そんなのが2つか3つある。
完全に止まってしまっている時計が「一日に、精確な時刻を表す
回数が、一番多い」なんていう冗談もあるが、まぁそれはそれで、
時計としての機能を考えると実際には役にたたない。

昔愛用していた、キオスクで購入の1300円のアナログ腕時計の
ベルトが切れてしまったものを、ベルトを両方ともちょんぎって、
部屋のインテリアと化しているミニタワーパソの正面隅に、
両面テープみたいなので留めている。パソの内蔵時計は当てにならないし、
時刻を知りたいときに、視線を大きくふらないで良いので、
わりと気にいっている。あ、でもこれも今、電池切れ。常に4時20分だ。

メインで使っているのが、コンセントから電源をつないである時計で、
これは目覚ましになっている。少し昔にはやった、数字の書いてある
紙がパタンパタンとめくれるタイプの似非デジタル。
この手の時計、最近見かけないな。液晶やLEDのデジタルより好き。
ちなみに、腕時計でもデジタルよりアナログの方が好みだ。
メインとしての信頼に応え、結構時刻を正確に示していると思う。

単3の乾電池で動く目覚まし時計もある。万が一、夜中に停電しても、
独立した電源で動いてくれるのだから、時刻より遅れたりせずに、
朝、きちんと起こしてくれる頼もしいヤツだ。1000円くらいの
安物だったわりには、こいつも意外と精確で、案外良い買い物
だったのかもしれない。ひとつ璧に傷なのは、寝ているときに、
のびをしたりなんかして、枕元においてあるこの時計を
こけさせてしまって、ショックで電池がはずれてしまうことが
やや頻繁にあることくらいだ。形状はシンプルで、結構気にいっていて、
色違いで2つ持っている。ひとつは別の部屋においているのだけど。

引き出物かなにかでもらった、ティッシュケイスと一体になった
時計もある。ティッシュケイスと一緒というのが、微妙な泣かせどころだ。

朝、見ると、問題の時計以外は、誤差数分のところで同じ時刻を
示しているのに、ソレは10ぷんほど先の時刻を示していた。
時刻を決めるのには多数決とあいなった。もしそいつが独裁者だったら、
他の全ての時計が一律に10ぷんほど遅れていたことになるのだが、
まだ新参者なうえ、携帯用で小さいのが身上ゆえ、存在感もあまりない。
存在感のなさが時刻のずれを見逃させる要因でもあったのだが。
といいながらずれに気がついても補正してない自分もなんだかなぁ、だ。

これだけ時計があっても、肝心な時間はふえちゃくれない。
ちょっとそいつがつらいところだ。とか、結びの言葉を書きながら、
他に時計は無かったかなと、周囲を見回す。鏡をみて、ふと、気付く。
もういっこ、腹時計を忘れていた。腹が減ったときしか役に立たないが、
案外正確だ。

(2000.12.06)
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ミーミレードーソラ♪
横文字の戯詩をむりやり日本語に訳しちゃったふうのもの。
でっちあげですがラップ風に読んでも可。
なんか壊れちゃってますけど、LSDキメテるわけじゃありまっせん。

コップ片手に壁際に登場、 ミポリン、ジョージにメアリの3人。 3人そろって盗聴ですかい。 何耳そろえて聞いているんかい。 いらいらしながら問うのはジョン ろくないらえも返ってこないじゃん。 ひとりジョン、暖簾に腕押し。 ひどいじゃん、ノリがわるいじゃん。 誰かが答えていうことにゃ、 大事にしていた金管楽器、 壊れて出ない音がある。 どの音壊れて出ないって。 ドの音じゃなくてレの音さ。 ジョン、レの音が出ないとさ。 ミとミとレの音が出ないとさ。
(2000.12.07) −−−−+━−−−+−−−−+−−−−+−−−−+−−−−+−−−−+−−−−120 JL マーマレードの空 マーマレードの空というタイトルで文章を書けというお達しがあって、 (いや別に、個人的に言われたわけぢゃあございませんが、 駆け出し売り出し中の新人さんといたしましては、あらゆる 企画事に顔を出して、覚えていただく、なんつうのも大切かと 勝手に思い立ちました次第でございまして。) わたしゃ、ジョンレノン様のことも、マーマレードの空も なぁんにも知らないってことに思いいたりましたわけでして、 ネットで検索なんかしてみちゃったんでございます。そうしましたら、 でてくるのがチャゲアスの、青春の鼓動とかいう歌ばっかりなんですね。 あんれまぁ、ジョンレノン様ってば、いくらワタシがものを知らないとはいえ、 チャゲアスではなくて、ビートルズのメンバだったよなぁ、 おかしいなぁ、なんでかなぁ、なんて思っておりましたんでございます。 :マーマーレードの空がジャムに変わる頃 :高架線の駅で待ち合わせした なんて、その歌詞はつづくわけなんですが、マーマレードって、 そもそもジャムじゃございませんでした? なんてつっこみは禁止ですかね? ジャムといえばいちごジャムということにしておきますと、 夕景がひろがって、空が淡い橙色から赤味を増していく様子が いかにも美味しさうに表現されている曲なのだそうです。 待ち合わせのお相手が遅れちゃった場合はブルーベリージャム なんでございます。それでも間にあわない場合はイカスミジャム。あるんか? まぁ、そんな風になんにも知らないわたくしは、このタイトルの由来を JL雑文祭の方の公式掲示板のMICK様のカキコ9を見て、 はじめて理解しました次第でございます。LSDの唄(って略すな)を 聞いたこと、そういえばございました。でも歌詞を覚えていなかったんです。 るしいnだsかいうぃざだiaもん、というシャウトしか記憶にないのです。 でも、きっとチャゲアスは、そのあたりの歌詞をおぱくりになったんですね。 おぱくりになるくらいだから、きっと元も唄も素敵なんだろうな、と 想像いたしまして、次の機会には是非とももう一度聴いてやろうなどと 決意した次第。さていつになりますやら。(オチがないぞ、オチが) (2000.12.07 JL雑文祭) −−−−+−━−−+−−−−+−−−−+−−−−+−−−−+−−−−+−−−−120  目上の人とすれ違うときのマナーって 正式には知りませんが、ありますよね。 そりゃ、遠くからまず一礼し、 近づいてまた深く一礼、後ろ姿をお送りして、 なんてモノモノしいのはやりませんけど、 会釈するとか、ポケットに手をつっこんでいたら、 手をだす、とか。いや、キヲツケまでは、 しなくても良いと思いますよ、まさとは。 キヲツケを求めてくるような御方とは 知り合いではありませんしね。 お互いに気持ちがよければいいんです。 で、今日の本題は、自転車ですれ違うときのマナー。 堅苦しいのだと、まず相手を見かけた時点で、 自分がまず、自転車をおりて、一礼し… などとなるのかしらんと想像してみたけど、 そんなこと、まさとはようやらん。 そんな暇はないし、やってるヤツも見たことないし。 だから、ふつうに会釈か挨拶くらいして、 さっとすれ違って終わり、なんてことが 多いのですわ。話はコレで、ハイおしまい、ではなくて… 問題は、手の置き場所なんです。 自転車のハンドルに両手を掛かけているときは、 そのままでいいんでしょう。 ちょっぴり頭悩ますのは、 手放し運転をしているときなのだ。 ハンドルを握るのが面倒くさいから、 ちょくちょく両手放して自転車を漕ぐのです、まさとは。 で、もって、そんなときにふと誰かに あってしまったりする。 そういうときに、まさとは無意識に 手を自転車のハンドルに添えてしまうのである。 おかしいと思いません? 両手を揃えてキヲツケのようにしてしまうのなら、 ソレっぽい気もするんですが、逆に、 だらーっと両手を下にさげていると、 歩いていてポケットに手をつっこんでいる ときに誰かにであったときのような 気はづかしさを感じてしまうのです。 一体なんでなんでしょうね。 両手はキヲツケの形で背筋を伸ばして、 足だけはシャカシャカとペダルを漕ぐってのも、 それはそれで、見た目に違和感があるようにも思うけど。 (2000.12.08) −−−−+−−━−+−−−−+−−−−+−−−−+−−−−+−−−−+−−−−120  どんなに忙しくても、朝日が煌めいたりするのを みていると、ぽかぽかとした気持ちになってきて、 生きていて良かったなんて思ってしまう。 書いてみて思ったが、うーん、キザ。 (2000.12.08) −−−−+−−−━+−−−−+−−−−+−−−−+−−−−+−−−−+−−−−120  ソースを覗け(笑) どんなに忙しくても、君の笑顔が輝いたりするのを みていると、ぽかぽかとした気持ちになってきて、 生きていて良かったなんて思ってしまう。 書いてみて思ったが、うーん、キザ。 (2000.12.09) −−−−+−−−−╋−−−−+−−−−+−−−−+−−−−+−−−−+−−−−120  僕の生活から活字を切り離すことは、すでにできない。 夜眠るのと同じように、毎日の食事を採るのと同じように、抜くことは 可能だけれどそれをずっとは続けられないカラダになってしまっている。 東京創元社のウェブサイトでだったか、 復刊フェア(11/7〜)で、デューン(こちらはハヤカワ)の作者である F.ハーバートのジャンプドアシリーズを重版するとのニュースを読んだ。 僕が中学生の頃(ERBやスミスに傾倒していたころだ)に手にとって、 一読して、なにがなんだかさっぱり判らなかった記憶がある。あまりに なんだか判らなかったので2度目を読み直し、その面白さにはまって しまった。作者はさまざまなコトを露わには書かない。行間にかかれた という表現がこの場合に良いのかどうかわからないけれども、文章に されなかった作者の創作した世界のイメージが、一度つかめてくると、 なるほどこれはそういう意味か、あぁあれもああなのか、と、芋づる式に 広がっていったのである。これを判るヤツは少ないよな、なんていう ちょっとした優越感とともに、ジャンプドアは面白い、と認識したのだった。 ナボコフのタイトルは覚えていないテキストを、大學の英語の授業で用いられ、 「読み飛ばしてしまうと気付かないようなちょっとした仕掛けが沢山 しかけられているんですよ」との言葉を聞いた。鏡にうつった文字のNは、 ナボコフの故郷であるロシアの文字Иに対応していて、英字のHを暗喩して いる、とかそういったような趣旨の講義であったように記憶している。 今思ってみると、あの先生がナボコフに傾倒したのも、そういった隠された 暗喩を探し出す楽しみと、ひそやかな優越感(こんな難しい文学を私は理解する) に後押しされていたのかも知れない。 それはさながらだまし絵やトリック絵を見る楽しみに似ているかも知れない。 そうして、その楽しみは、あからさまなだまし絵をみて、その奇抜さに驚く よりも、一見して普通の絵のなかに、こっそりと塗り込められたトリックを 自分だけが偶然に発見してしまったときの、断然大きなドキドキ感でもある、と思う。 日本の古典にさほど詳しいわけではないのだが、かきつばたのアイウエオ作文をした 短歌を習ったことがある。きっと枕詞や掛詞だって、遊び心の産物だろう。 もちろん、現代のさまざまな作品群の中にも、そういった遊びの入った作品は 存在する。袋とじされた文庫を、その袋とじを切らずに(したがってページは とびとびに)読んだときのストーリーと、袋とじを開いて読んだときのストーリー が違っている本(タイトル、作者、ともに失念)も然り。僕の愛読するキッド・ ピストルズのシリーズのような見立てミステリーも然り。さまざまなレベルの 遊びがとじこめられた作品があるのだろうが、残念ながら高尚すぎて自分には 理解できにくいものもあるし、そもそも気付かないものさえ多いだろう。 良書は良質な読者を選ぶというけれど、遊び心だって判ってくれる相手がいなければ たんなる自己満足にすぎないのだろう。バランスの難しい話だと思う。 大人になった今、件のジャンプドアを再読したとしたら、昔とは 違った読み方ができるかも知れない。ただ、現実生活に少々つかれたり すると、もっと単純なジュブナイル小説や、書いてあることをそのままに 受け取れば良いような小説を好んで読む機会が多くなったような気もする。 エネルギーを要するような本の読み方から、しばらく離れてしまっているのだ。 (2000.12.10) −−−−+−−−−+━−−−+−−−−+−−−−+−−−−+−−−−+−−−−120  仮想会話 > なぁ、知ってる? うちのオヤジに聞いたんだけどさ、 > 昔はパソコンって高級品で、貧乏人には手がでなかったらしいぜ。 へぇ、そりゃ困っただろうな、カネないヤツ。 > でさ、学校とかでも、無理して人数分をそろえて、 > ひとつの部屋に置いたりしたらしいよ。 あんなものを? > うん、昔のパソコンってでかくて、コレくらいあったんだってさ。 へぇ。いまじゃ単なる文房具なのにねぇ、パソコンなんて。 > 昔は紙を使ったノートなんてのが、文房具だったんだって。 紙を、ってボディを紙でつくるの? > いやさ、紙を何枚も綴じるんだって。 > 昔は紙は使いすてにできるほど普及してたらしいぜ。 ノートっていうからノートパソコンかと思ったよ。 辞書にのってるノートの原義ってことね。 そっか、知識としては知ってたんだけど、思いつかなかったよ。   :   : なんて具合で、きっと小さくて高性能なパソコンが普及してるんだろうな。 …というわけで、もうすぐ21世紀ですね。 どんな未来がボクらを待っているのだろう。 願わくば明るからんことを。 (2000.12.11) −−−−+−−−−+−━−−+−−−−+−−−−+−−−−+−−−−+−−−−120  <!-- 2000.12.12 --> (トップを経由せず夢殿へ直接おいでのお客様用に、こちらにも掲示、と。) 期間限定ですが、 さがさないでください!! たびにでまっす。 すみません、せっかく最近、お客様や 書き込みとかしてくださるかたも ぼちぼちとふえてきたところをツライのですが 更新と書き込みへの返事等、 しばしお待ちくださいませ。 戻ってくるのは 12/22 の予定っす。 とかいいながら、数日おくれたりしてみて、 えへへ時差ボケで…などと見栄をはってみる予定。 (2000.12.12) −−−−+−−−−+−−━−+−−−−+−−−−+−−−−+−−−−+−−−−120  長くのびてしまった髭を剃っていて、ふと思った。 髭がのびる体質の方ならご存じだろうと思うが、のびてしまった髭は電気剃刀 ではうまく剃れない。うちには、床屋が使うような本格的な剃刀などないので、 T字のものを使うことになるのだが、本当にのびてしまった髭は、T字の剃刀でも 一度にはうまく剃れないのだ。最近、横滑りしても肌を切らない剃刀というもの の電視箱での宣伝をみた。よくよく見ると、刃に垂直に糸が張ってあるように 見える。きっと、アレを開発したおっさん(と勝手に決めつける)は、のびすぎた 髭を剃っていて、すぐに目詰まりして切れなくなる2枚刃の剃刀をいらいらしながら 使っているときに発想の転換が訪れて思いついたに違いない(単なる想像)。 そうか。どんなことにも無駄はないということだ。 それを生かす機会と才能さえあれば。ただ、そいつが一番むつかしい。 (2000.12.21) −−−−+−−−−+−−−━+−−−−+−−−−+−−−−+−−−−+−−−−120  人間が幸せであるために。 ひとは、それぞれ自分を幸せにしなければならない、と思う。 これは結構難しい。幸せであることにはエネルギーがいるから。 幸せであることにエネルギーを注がずに幸せな人もいるようだが、 これは心底うらやましい話であると思う。 あるサイトで、下のような文章を読んだ。 勝手に引用させていただいた。(○○は、まさとが勝手に置き換えた。)  ○○は水泳と同じだ。 休むと身体が沈んでしまう。  また浮かせようとすると大変な労力と時間が空費される。 そこに勝手につづきを作ってみた。  もがけばもがくほど、カラダに力が入って、  なにもしないと沈んでいく。  ところが、やがて上達してくると、  力を入れなくてもできるようになる。  力を抜いていると、自然にカラダは水に浮く。 幸せに生きることを、自然に行っている人を見ると、颯爽として、かっこよい。 そんな風になりたいと思う。 とりあえず、今の自分ができること。 チャーミングだな、と思う人をちょっと真似てみること。 (2000.12.22) −−−−+−−−−+−−−−╋−−−−+−−−−+−−−−+−−−−+−−−−120  純血。ハワイ諸島に住む人達のなかで、純粋なハワイアンの血の人は、 人口の1%ほどしかいないのだ、という話を聞いた。 そういった話を聞いた自分の反応に、あとから愕然とした。 そんなに少ないと、純粋なハワイアンという人種はそのうちいなくなって しまって、皆、混血になってしまうのだ。純血を守るために小さな遺伝子 プールの中で結婚をくり返すことになると、劣性の遺伝子のホモ接合が起きる 機会が増えて、遺伝病などが出やすくなる。だが、そもそも血が薄まるとは 言ってもハワイアンの遺伝子は混血の人の体の中に残っているのだ。 と、そう考えてしまったのだ。ハワイアンという言葉を、白人でも良いし、 ゲルマン民族でも良いし、他の言葉に置き換えてみると、これはレイシズムに 違いない思想である。そもそも、血が混じることに抵抗を感じるということに、 人種差別の芽は潜んでいる。日本は単一民族国家であるという(間違った)教育を 受けたせいにしてしまっては、あまりにも無責任だろう。 血という言葉は、もともと近しい集団であったこと(同じ地域の出身であること) という意味を含むのかもしれないが、誰か個人が別の誰か個人と知り合って、子孫を 残していくことに、なんの抵抗があるはずがあろうか。肌の色が異なろうが、 出身の国が異なろうが、何が問題であろうか。文化的な相違はあるかもしれないが、 それは二次的なものと考える。だから、いろんな人達の血が混ざっていくことは、 水に砂糖が溶けていくように、自然な、エントロピー増大的な作用なのであり、 それを拒んだり惜しんだりすることは、不自然で、差別意識を産む元凶なのであろう。 だから、純粋なハワイアンの血の人は、人口の1%ほどしかいないのだ、という 話をきいたら、さすがに楽園の国の人々だと感心したかった、と今、思う。 (2000.12.22) −−−−+−−−−+−−−−+━−−−+−−−−+−−−−+−−−−+−−−−120  ちょっと微熱ぎみで、ふんわりとした空気につつまれている。 これはこれで気持ちいいかもしれにゃい。うふふ、なんだか 語尾もふんわりしているにゃ。なんだか酔っぱらったみたい。 酔っぱらったついでにお酒の話でも。(酔ってないけど。) まさとはいろいろなお酒を適度に飲みます。 日本酒ならば、純米の二級酒にきめてます。そういう枠組み は、いまは無いんだけど、そういったら判る人もいると思うから。 特に銘柄にはこだわらないけど、美味しいのがいいにゃ。 二級酒と書いたけど、高いお酒でも来る物なら拒まず。 ひどいおさけは、たまぁに来る物でも拒むことあり。繊細なのにゃ。 天狗舞山廃とか菊姫とか真澄とかそういう系統のお酒がんまいと思う。 王禄も、もう一度のみたいなぁ。岡山の雄町米を使った酒一筋もオススメ。 焼酎も勉強中。高校生の頃に飲んだ純なんてのはコークハイ専用の 単なるアルコールかも。白波の安いヤツで、多分ロクな管理をして なかったヤツを飲んで以来、焼酎は苦手と思っていましたが、昨今の 焼酎ブーム(え?知らない?笑。ひそかにブームなんすよ。)の煽りで、 いろいろ飲んでみてから、また世界は変わりはじめました。 きっかけは百年の孤独。ある酒屋で試飲させてもらって、焼酎とは こんなにんまいものかと思ったのがきっかけ。 そういうきっかけですから、焼酎の好きなタイプは芋。できれば 黒麹のものなんか、とても好き。百年の孤独を水で薄めたような 中中もなかなかいけるし、魔王とかも、焼酎はあまりしらない、 ちょっとお酒の好きなオンナノコに勧めるにはとても良いのだけれど、 今の一番のお気に入りはハナタレなんです。初垂れ、という字が もとの意味なんだけど、蒸留したときの初留にあたるぶぶん、沸点の 低いエステル成分なんかがギュッと入っています。冷凍庫の中でも 凍らない透明な液体を、とろんと、小さなグラスに注いで、つるん、 と飲む。冷たい感触がやがてぽうっと暖かくなって、いい香りが 口の中に広がっていくのだ。ちょっとしたラム酒くらいの度数が あるんですが、割ったりしないのが個人的にはベスト。 おいしいバニラアイスにちょっとかけてもいいかも、なんて思います。 なかなか見かけないんですが、酒飲みの友達に勧めたら、たいてい おいしい、っていってくれるから、見かけたらゲットしてみては? (あんまり有名になって自分が入手できなくなるのはイヤなんだけどね) 近くに百年の孤独を扱っているお店があれば、そこで相談してみるのも よいかも。 百年の孤独といえば、苦労してゲットした1本を、仲のよかった 友達へのお祝いにあげたことがありました。あとで聞いてみたら、 そいつったらお湯割りにしたり、レモン垂らしたりして飲んだんだって。 うーむ。いいんだけどね、あげたもんだから。良いお酒は ストレートで飲むのが好きなのは単にまさとの趣味なだけだからねぇ。 でも今度あなたにお酒を上げるときは洋酒にして差し上げましょう。笑。 なんだかまさとはすっごい酒呑みだと思った方。間違いだにゃ。 だって飲まないときは飲まないもん。 酒を飲んで楽しい条件は1に友達2にうまい肴だもんね。 さぁまだ忘年会もあるし、体調をととのえておかなくっちゃ。 (2000.12.24) −−−−+−−−−+−−−−+−━−−+−−−−+−−−−+−−−−+−−−−120  あと何日というカウントダウンの数字をみかけた。 それは、新世紀を迎えるためのものだった。 いつのまにか一桁となってしまっていた、 その結構小さな数字にちょっと吃驚した。 本当に来世紀が来るのだろうか。いま、なにも現実感がない。 明日の朝は来るんだろうか、さぁ、多分くるだろうね、 なんていうのと同じような曖昧さで、新世紀を迎えるだろう。 さぁ今日から新世紀だ、なんていう感慨もなく、ひとつの平凡な 朝として、そいつはやってくるに違いない。 そこに新たな意味をもたらすのは、周囲にいる人々である。 クリスマスしかり、誰かの誕生日しかり、新年しかり。 わざわざそこに何か特別な意味を見いだそうとしなければ、 それはくり返す毎日の平凡な営みのひとつに埋もれてしまうのだ。 新しい世紀を迎えるにあたって、どんな意味を見いだしてみようか。 新しい世紀は、うすうす皆が気付いているように、 おそらく、人類の種としての寿命があと300年でつきるのか、 それとももっと長らえることができるのか、 それを決めることになる世紀であろう。 食料やエネルギーの問題をどのように解決していくか、地球上で今の 2倍弱にも膨れ上がる過密な人口からくる種としてのストレスに どう対処していくか。それらを持続可能なカタチで行うこと。 その課題が解決されて、はじめて我々は生きながらえる。 今の技術では対処不可能な問題が立ちはだかれば、きっと ブレイクスルーがあって、階段を登るように、新しい技術が生まれ、 我々を明るい未来へと導いてくれるだろう、そのように真剣に信じている。 技術楽観主義と言うならば言うが良い。単なるオプチミストなのではなく、 ペシミストであるからこそ、そう信じなければ未来を信じることが できないと感じてしまっているのである。 大きな慣性をもって動き出した塊は、方向転換をするのにさへ 大きなエネルギーを必要とする。せめて、早いうちに、 どちらへ曲がっていけば良いのか、それだけでも教えて欲しい。 世紀末などという言葉に誘発されると、 どうも世も末な事ばかり考えるらしい。 (2000.12.25) −−−−+−−−−+−−−−+−−━−+−−−−+−−−−+−−−−+−−−−120  クリスマスだから、なんていう理由ではないのだけれど、 ナイフを買ってしまった。ちょうど友人達ととある 濃いお店の立ち並ぶところへ連れて行かれて、一目惚れしてしまったのだ。 ハモノに一目惚れとはちと危ないのだが、以前からアーミーナイフをひとつ 欲しいなぁなんて思っていたのである。アーミーナイフといっても、 十徳ナイフみたいなのではなくて、サバイバルというかアウトドアでも 使えそうな、木を切って火を起こしたりに使えるような、グリップの しっかりしたヤツが欲しかったのだ。アウトドアなどしないんだけど。 そういう訳で、ちょっとアーミー系の雰囲気を漂わせた姐さんが 手は後ろでに組んで立っているすぐ横にディスプレイしてあった、数々の 折り畳みナイフに目が行ってしまったのだ。 刃渡りは数センチの小さいものから8センチほどのものまである。 ディスプレイ上には「安全のため、係に声をかけてから手にとってください」 とある。お姐さんに、手にとっていいですか、と聞いて手に取ってみる。 まず、ナイフの閉じ方と開き方を教わる。ポケット携帯用の、 折り畳みナイフなのだ。ただし、栓抜きもコルクスクリューもついていない。 折り畳まれた刃の背中付近に付いた小さなぽっちを、親指で、ぐるっと 押し出すと、刃は開かれてナイフとなる。これを閉じる時は、 柄の付け根付近のストッパーを、やはり親指で抑えて、今度は人差し指で、 少し刃を倒すようにする。そうしたあとおもむろに刃を柄の中にしまうのだ。 言うは易しであるが、なかなか難しい。ナイフのサイズに手にジャストフィットする こともこの一連の動作がうまくできるために必要だ。 お姐さん曰く。慣れれば私のようにうまく扱えるようになるよ、とのこと。 なるほど、見かけだけではないのですね、お姐さん。 ナイフを購入することになるなどとは夢にも思っていなかったので、 下調べもなにもない。いろいろとそこで聞いてみることにした。 どんな用途に使えるんですか。コレ一本で、全ての用途に使えますよ。 全ての用途といわれてもなぁ。聞いてみると、裾からほつれた糸を切ったり、 封筒を開いたりできるらしい。それはそうだろう。ハモノなのだもの。 木の枝を切ったりとかに使えるか、キャンプなどで使えるか、を知りたかったの。 そういってみたら、キャンプなどをされるんですか、と。あーむ。 いいえ、あまりいたしませんです。これで引き分け。 はい、お姐さま、あなたと同じタウンユースです。せいぜい。 なお、緊急の時にいつでも使えるように、このナイフはポケットに 入れておくように、クリップがついていてポケットから落ちないようになっている。 なんてステキ。しかもお姐さんは、ひとつのナイフが不具合があったときに 困らないようにもう一つあわせて2つのナイフを持っているという。 その気持ち、よく判るです。カメラ使いのまさとは、長めの旅行にでるときで 余裕がある時はサブカメラを含めてカメラ2台持っていきますもの。 大抵は予備の方は不要なままですみますが。 で、ちょっと聞いてみる。これまで、緊急の時で、ナイフが役にたったこと、 ありますか。ちょっと考えたあと、ないね、という言葉をいただいた。 はい。緊急なことは無いに越したことはございません。ボクも緊急時に使いたい などとは思いません。もし緊急時になって、欲しくなったら、あったほうが 良いけれど。 片手でのナイフの扱いは慣れておいたほうが良いそうだ。ヨットに乗る人など、 ロープが首に絡んだらすぐにロープを切らなければならないから、ポケットに いつも入れておくどころか、首からかけている人もいるとのこと。 なるほど。ヨットに乗るまでにはしっかりと使えるようになっていましょう。 それに、そういう用途にも使うなら錆などにも強そうだし、いい感じかな。 というわけで、ハモノを購入してしまいました。今もポケットに入れて 温めてます。でも刃渡り8センチの折り畳みナイフ、人のいるところで 抜くわけにもいかず、これで削る鉛筆もなく、さて何に役立てようやら、です。 (2000.12.25) −−−−+−−−−+−−−−+−−−━+−−−−+−−−−+−−−−+−−−−120  ルミナリエなら知っていたのだけれど、似たようなミレナリオというモノの 案内を見かけた。去年からやっている行事らしい。 クリスマスから元旦まで、皇居近く、丸の内仲通りを会場として、電飾が煌めく。 やっていること、ルミナリエもミレナリオも同じちゃうの?という疑問を抱く。 なんかわからんので、ウェブサイトで、検索してみる。 神戸ルミナリエ:http://www.luminarie.com/ 12/12 〜 12/25 イタリアの「電飾」の意味に由来する、アートディレクター、ヴァレリオ・ フェスティ氏と神戸市在住の作品プロデューサー、今岡寛和氏による “光の彫刻作品”です。 東京ミレナリオ:http://www.millenario.com/ 12/24 〜 1/1 光の彫刻「パラトゥーラ」は、イタリアの世界的に著名な芸術家 、ヴァレリオ・ フェスティ氏と作品プロデューサー 、 今岡 寛和氏が、16 世紀後半の祭礼祝祭 を研究する中で創作した光の彫刻作品の名称です。 なるほど似ているわけだ。同じプロデューサーと同じアートディレクターなんだもの。 公式ウェブサイトの構造もそっくり。なんだかほとんど一緒じゃないか。 自分の近場を選ぶか、時期で選ぶかして(どちらもクリスマスは外していないところが なんとも。)お好きなほうのどちらかを見ればヨイナリヨということらしい。 (2000.12.26) −−−−+−−−−+−−−−+−−−−╋−−−−+−−−−+−−−−+−−−−120  もしも胃潰瘍だと宣告されたら。 医者「心を落ち着けてきいてください。あなたは胃潰瘍です」 おれ「どうりで胃が痛いよう」 医者「………」 と言おうと思う。 (2000.12.27) −−−−+−−−−+−−−−+−−−−+━−−−+−−−−+−−−−+−−−−120  電話の同着問題。 それは、今考えてみればたいしたことはない問題でも、 小さかった時には真剣に悩んだものである。 あまつさえ子供電話相談室にでも電話してみようかしらん、 などと真剣に思ったりもした。実行こそしはしなかったが。 ご存じの通り、電話というのは遠く離れた2人の コミュニケーションを助ける道具である。 しかしそこには制約が存在する。2人が電話機の近くに 居ること。今でこそ携帯電話などというものが 普及しているが、そのような状態に至るまで、 ボクがさまざまなちょっとしたことに 好奇心を抱きはじめる年齢を迎えたその時代からは、 しばらく待たなくてはならないのである。 その点、メールというのは便利である。メールを送った からと言って、受信側は居眠りを妨げられるわけでもなく、 仕事の邪魔になるでもなく、あとから好きな時に内容を読むことができる。 ただ、相手がそれを確実にうけとったという保証が無い。 だから、さっきメール送ったけど、読んでくれたぁ? などという馬鹿な電話をする羽目に… あ、いや話がずれた。 片方のひとりが思い立って電話をかけるとする。 もうひとりの電話のベルが鳴って、受話器を取り上げる。 この時点で回線はつながり、楽しいお話ができるようになるのである。 では。偶然にも、2人が思い立って、お互いのところへ電話をしたら、 どうなるか。それがかつて幼かった自分の抱いた疑問であった。 そりゃ、ちょっとでも先に電話した方が相手を呼び出す形になるだろう。 では、それが同時だったら? 周囲の大人にきいてみた。まったく同時なんてのはありえないよ。 そういう答えだったように記憶している。でも、実際問題のことなど、 どうでも良かったのだ。知りたかったのは、仮に、万が一でも もっと小さな確率でも、まったく同時だったら、どうなるか、 実際には起こり得ないことでも構わないのだ。 大人になったいま、その答えを知っている、と思う。 やはり、同時というのはあり得ないのだ、というのが、その答えでもある。 ただし、確率が非常に小さくて、ほとんど起こり得ない、というのと、 理論の裏付けがあって確実に起こらない、というのでは、意味が異なる。 だから、子供の時に聞いた答えは、やはり正しくはなかったのだろう。 まず、実際問題から考えてみよう。相手に電話をせんと欲す。 しかりて後、受話器を取り上げて相手の電話番号をダイヤルする。 この間に相手も自分にダイヤルしたらどうなるか。 受話器を取り上げているから通話中になるだけであろう。 はい、おしまい。 仮想的な条件を考えてみる。受話器を取り上げなくても 相手をコールできる電話をつかっているとする。これは、 あながち無理な注文でもあるまい。実際、今の携帯電話は、 これに合致した仕様である。コール信号は、交換機に達する。 達した信号に応じて誰かの電話機のベルをならす信号を送り、 相手が通話状態になったら回線をつなげる。ならば、交換機が どのように判断するかが、ボクの疑問の全てである。 2人がお互いに電話を掛け合うことを約束する。時報にあわせて、である。 彼らは約束を守って電話をかけようとする。果たして、彼らは 無事通話できるのであろうか、そのときの料金は誰が持つのか。 これはすべて交換機がどうしようとするかにかかっている。 電話だからかかっているにかけるをかけているつもりでもないのだが。 太郎さんの花子さん呼び出し信号を優先するか、花子さんの太郎さん 呼び出し信号を優先するか、の問題である。だんだん話が単純化されてきた。 ええい、もっと単純化してしまえ。それが科学者のやり口である。 それに倣って単純化してみる。Aという信号とBという信号の どちらを優先するか、ただし、優先順位則は、早い者勝ち。 なぁんだ、そんなことか。そんなことなんです。 そして問題は、Aという信号とBという信号が同時だった場合に、 どうなるか、ときいているに過ぎない。 同時というのはあり得ない、と先程自分は言った。ただ、2つの信号が ほとんど同時に届くことはあるだろう。それがうんと近いこともあるだろう。 精確さを求めると難しいかもしれないが、2つの信号を同期させることは 技術的に不可能ではない。では、なぜ同時というのことがあり得ないのか。 それは、交換機が2つの信号を同時に見ることができないからである。 Aの方向とBの方向を代わる代わるに眺めている。一度に1つずつである。 信号がやってこなければ、それをずっと続ける。信号がくるとアクションが 開始される。ただ、その代わる代わるというのが非常に速いサイクルで くり返されている。だから完全に同時に2つの信号が送られてきても、 偶然その時に見ていたのがAの方向なのか、Bの方向なのかによって、 起こるアクションは決まってしまうことになる。のだと思う。 以上、大人になった今、想像で考えついた答えである。正しいという保証は ないので念のため。嘘でもいいから、小さいときに、こういう答えを 聞きたかったのだ。じつにませていて理屈っぽいいやなガキである。 (2000.12.28) −−−−+−−−−+−−−−+−−−−+−━−−+−−−−+−−−−+−−−−120  駅弁にも持ち込み料金を適用してくれたら嬉しいなぁなどと。 サンドイッチを駅の周囲のコンビニやキオスクで買うとする。 だいたい200円とか300円とかの値段がついているのであります。 ところが、乗車時間ぎりぎりに駅に駆け込んだりしてしまったりして、 仕方なく新幹線の車内販売かなにかでサンドイッチを買ってしまうと、 目が飛び出しそうになってしまう値段がついているのですよ、実際。 みなさん、どう思いますか。あぁだこうだ言っても始まらないけど。 ひとつの考え方として、モノがちがうんだから仕方ないわい、 とあきらめよう、というのがあります。 でも、はたして本当にそうなのか。値段の格差分の差のあるサンドイッチなのか。 200円のサンドイッチの具がハム玉子なのが、300円になるとヒレカツになる、 そのくらいは納得できます。でも、新幹線の中の700円のサンドイッチには 何が入っているというのでしょう。タラバガニでも入っているか? 蟹がクラブといっても、クラブサンドに蟹は入っていなかったとおもう。 きっと、あの値段は、所場代だったり、カートを押すおねいさんの 人件費だったりするわけなんだろうな、と考えざるを得ません。 えぇ。それなら納得はするのですよ。席までわざわざ売りに来てくれる のだから、コンビニで買うのよりも高くても仕方がないというものです。 そんなことを考えていて、重大なことに気付きました。 駅弁です。こいつは、キオスクで買おうが、車内で買おうが 値段が一緒じゃないですか。ついでに言うと、 スーパーとかの企画でいろんな駅弁売っていても、あまり安くない。 今時、宅配便でさえ、コンビニに荷物を持ち込んで申し込めば、 持ち込み料ということで100円安くなるじゃありませんか。 駅弁にも車内価格とキオスク価格に格差があってもしかるべきだと 思うわけであります。キオスクで弁当を買う場合は、 持ち込み割引として100円引きで是非売って欲しい。 きっと新幹線にのろうなどというヤツがぐだぐだ言うな、 というのがホントのところなのかもしれないですがね。 それから。 話題からぜんぜんずれてしまうんだけど。 今日車内アナウンスで、「職人が焼き上げたしっかりとした チョコレートケーキに生チョコをはさみ…」と読んでいた 車内販売のお姉さま。しっとりとした、の間違いだと、 思うんですよ。きっと、たぶん。 万が一、これ、読んでおられたら、次からお気をつけくださいませ。 (2000.12.30) −−−−+−−−−+−−−−+−−−−+−−━−+−−−−+−−−−+−−−−120  夕食をちと食べ過ぎて、年越しのお蕎麦なんぞ、はいりませんや、 という感じでごろんとこたつにあたって、新年、そして新世紀を むかえました。今年もどうぞよろしくお願いします。 お約束のように紅白と行く年来る年をテレビで見ておりました。 海外の中継地点から、こちらはもう新世紀です、という言葉に 耳を傾けます。新世紀は一日かけて、ゆっくりとやってくるのですね。 やがて日本にもその順番はやってきて、除夜の鐘と、 テレビの画面から聞こえる花火の音や船の汽笛に、 やっとやってきた新年と新世紀を迎えました。 新年を迎える瞬間というものに、なにか特別な意味を持たせようと カウントダウンをしたりしている人、寒い中出掛けている人、 いろいろですが、所詮、去年から今年へは連続しておりました。 テレビのチャンネルがカチっと変わるように、新しい世紀には 皆が幸せになれる未来が用意されていればよかったんですが、 いままでと同じように地道な生活の中で一生懸命生きていかなければ ならないんです。でも、皆が、新しい世紀だと思って、 なにか特別なことがあるといいなって思うことで、その何かが 実現していけばいいな、って思います。 年末年始早々、なにやら暗いニュースが多くていやな感じでしたが、 2日から降り積もった雪に世界は白くなり、新しい出発を 象徴しているようでもありました。 なにとぞ、みんながたのしい幸せな世紀になりますように。 (2001.01.03) −−−−+−−−−+−−−−+−−−−+−−−━+−−−−+−−−−+−−−−120  なんとなく恒例になっている、高校の時の濃い友達との初詣を兼ねた 正月の集まりにでかけてきましたが、正月にもかかわらず、いつもの むさい格好で出掛けましたら、K2にでも登ってきたのか、とからかわれました。 前世紀の最後あたりに出掛けた旅行でも、ちと焼けておりましたし。 まぁいつもどおりになんということもなく時間は過ぎたのですが、 ひとつ、一番ダメージの大きかった会話を採録しておきましょう。 話はロボットの会話です。 : ホンダのアシモ、動きが滑らかだよね。 : でも、あれ、背中にしょっているバッテリーで、   40分しか動けないらしいよ。 : あ、それならエヴァより長いじゃん。 はい、そういう友人たちです。高校の時にだしていた部誌をネット上で、 再現しようか、と冗談でいったら、昔のことは昔のこととして 忘れたいようなことを言っておりました。なぜそう抵抗があるのか、 あまりディープなところまではふみこんでおりませんでしたまさとには よくわかりませんが、彼ら、抵抗しても、きっと普段の会話の端々で、 周囲にはばれているんだろうな。少し時間があるからといって、 ゴジラの映画でもみるかどうか、討議してしまうようなメンツですから。 なんか皆、表面上はいやがりながら、誰かが強力にプッシュしてくれる のを待っていたようにも感じましたが、だれもプッシュする勇気がなくて、 ゴジラはお流れになりました。まさとも、ちょこっと残念だったりして、あはは。 ちと時刻ははやいけれど、次会うのは来年の正月だろうということで、 互いに良いお年を、と挨拶しながら解散しました。元旦のできごとです。 (2001.01.03) −−−−+−−−−+−−−−+−−−−+−−−−╋−−−−+−−−−+−−−−120  正月早々、やるべきこともやらんと、他のサイトを覗きに行ってたんですが、 いくつか初夢ネタの文章を見かけた。そういえば、自分、初夢を見たかしらん。 うちのサイト、サイト名に夢をうたっているのに、初夢を見ない だなんてちょい格好悪いのだが、見た覚えがないのだから、仕方ない。 初夢、書き初め、初詣、いろいろ初の字がつくものがあるけれど、 別に松の内にしなきゃぁいけないってものでもあるまい。初雪だ って年の瀬に降ることもあり得るわけで、神社仏閣への詣りも、 大晦日にはじめてお詣りすればそれでもきっと初詣なんだろう。 というわけで、初夢はそのうち都合の良いときにきちんと見るつもり。 できれば縁起の良い夢が良いなぁ。 初夢は後回しにするにしても、そろそろ松がとれる前に年賀状の 返事を書かないといけないなぁ、と思いだすのであった。 (2001.01.04) −−−−+−−−−+−−−−+−−−−+−−−−+━−−−+−−−−+−−−−120  人間関係って面倒だな、って思うのは、いまちょうど、やれ年賀状だの、 やれ年始の挨拶だの、って、いろいろと気をつかわないといけないからだろう。 中には気の置けない関係の友達なんかも居て、別に挨拶がおくれようと、 なにしようと、互いに互いが判っちゃってる場合なんかにはいいんだけれど、 なかなか全てがそういうわけでもないらしい。 誰かのことを考えることに時間をかけること、それがつき合いってものだと 思うんだけど、それをきちんと形にしていかないと、わかりあえないことも あるのかもしれない。 自分は、別に普段から連絡もとらないけれど、そいつのことを考えたり、 いまごろどうしているだろうってふと思い出すような友人を持っている。 自分はそいつのことを大事に思っているのだけれど、向こうはどう思って いるのか、わかったものではないのである。また、向こうも、 こちらがどう思っているのかを(おそらく)まったく知らない(だろう)。 そんなわけで、オレはあいつに手紙を出したのに返事が来ないから、 あいつはオレのことはどうでも良いに違いない。もうオレもあいつのことを 気にするのはやめよう、だ、なんてことにもなるのだろうか。 んでもって、人間関係は整理されていくのだろう。 なんか判らないけれど、そうやってぐずぐずしているうちに、自分とペースの 合う人たちだけが自分の周囲に残っていって、数は多くないけれど、 気の置けない友達だけが残っていったら、そういうのって、もしかしたら、 ステキなのかもしれない。 でも実際は社会の中で仕事とか家族とかしがらみの中で生きているので、 なかなかそういうわけにもいかないんだよな、これが。 ぐだぐだ言っていないで、一年に一度くらいの挨拶をしとくってのも、 昔からの知恵なんだろうな。 (2001.01.04) −−−−+−−−−+−−−−+−−−−+−−−−+−━−−+−−−−+−−−−120  今日の発見。 まつたけ味のカール(信州限定土産)と、 マカデミアナッツバタークッキー(ハワイ土産)を、 一緒に喰うと、カルピスの味がする。 いや、カルピスというよりヤクルトかな? かなりレアなシチュエーションでしか起こり得ない組み合わせだが、 もしよろしかったらお試しください。 (2001.01.05) −−−−+−−−−+−−−−+−−−−+−−−−+−−━−+−−−−+−−−−120  コーヒーをおとした分量が、2杯にわけるには少ないのに、カップに注ぎきるには ちょっと多い時に、もしかしたら全部入りきるかもなんて思って注いでみるの だけれども、やっぱり少しだけ余ってしまう。入りきらないことが判っている のに、わずかな期待で、あふれるほんの直前まで注いでしまうものだから、 そのカップを持ち上げることもできず、口で迎えに行って犬飲みすることになる。 おっとっとっと、なんていいながら、その熱いコーヒーをすすって、思わず やけどしそうになって、苦笑している自分。 (2001.01.07) −−−−+−−−−+−−−−+−−−−+−−−−+−−−━+−−−−+−−−−120  善男善女の列かきわけて、寺社に詣る。懐より取り出したる小銭を、 列の最前にたどり着くのも待ち遠しく、賽銭箱へと放りなげる。 こんな大それた望みをかなえてもらうのに、これつぱかりの小銭では、 ききいれて貰うことも能はぬかもしれぬと思いながら、いや、金をとるのは、 坊主たちであり、望みをかなえてくれるのは神仏ならば、額の多い少ないは 関係もあるまいと思いなおす。所詮、正月だけの信心ならば、金の額 だけ多いのも、地獄の沙汰もなんとやらと同じで金でかたをつけようと しているようで気持ちの良いものではない。あまた居る善男善女どもは 何を願って居るのだろうか。知るすべとてないのだが、それを聞き分ける 神仏も、さぞご苦労なことであろうと要らぬ心配などしてみる。 とりあえず願いごとを心の中で申し上げ、よろしうお頼申しますなどと 付け加えて、人の流れにおされつつ境内を離れるのであった。 (2001.01.08 :正月2日のできごと) −−−−+−−−−+−−−−+−−−−+−−−−+−−−−╋−−−−+−−−−120  まだ学生だった時に、何の機会にだったか、ほとんどはじめて背広を着た。 そのときに仲間と歩きながら、なんとなく背伸びをしたような気分であり、 また、借りてきた衣装を身につけているような面はゆさを感じていた。 互いに普段せぬ格好をしているので、なんとなくうわずった会話をして いたような気がする。そんな中で一言いわれて、おや、と思ったことがある。 背広姿が一番しっくりきているよ、と言われたのだ。自分ではまったく そんなふうには思ってもいなかったし、予想外の友人の発言であった。 酒は呑む人と呑まれる人がいるように、服もまた着る人と着られる人が いるのかもしれない。もしかして、オレにコレは似合わないかもしれない、 背広を着るなんてなんか恥ずかしいなぁなどと考えているようだと、 きっと服に着られてしまうのだろう。それが、今のオレなりの結論である。 金持ちが高価なブランドの服を着て似合うものが、オレなんかが着ても 借り物のようになってしまうのも、そんなところに原因があるのだろう。 逆に似合う似合わぬは別として、堂々としてさえいれば、それなりに きまるんじゃないだろうか。だから普段着を着ている人をみると、たとえ それがコンビニにどてらを着てやってきたのであれ、あまり違和感を おぼえない。ただ、TPOというものもあるから、ある程度までにしないと、 いけないのは確かである。 自分は当時、そんなことを意識していたわけではないが、おそらく、 人にどう見られようとかまわんわい、という開き直っていたのだろう。 というわけで、上の友人の発言とあいなったのだろうと思われる。 今日はハッピーマンデー法により、成人の日。きっと晴れ着なんかを着て お出かけしているリトルレイディおよびリトルジェントルメンが多数だろう。 そんなところから連想して昔のことを思い出してしまった。 (2001.01.08) −−−−+−−−−+−−−−+−−−−+−−−−+−−−−+━−−−+−−−−120  日曜の夕方から降り出した雪が月曜にかけて本格的に積もって、火曜の今も 外はまだ白い。融けかけた雪がまた凍った道を自転車でざりざりいわせながら 走るのも、ハンドル操作にさえ気をつければ、なかなか爽快なものである。 普段ならば真っ暗な時間帯でさえも、雪が一面に積もっているだけで、 いわゆる雪明かりというヤツで、ほのあかるい。 案外明るくて、もう道なんかなくなっているが、静かであおい雪明かりだよ、 と誰かが言ったようなことをそのまま思い浮かべちゃったりする。 たんぼなんかに一面に積もった雪はその境界をあいまいにしている。 こんなにも世の中は広かったのかとあらためて思わされる一瞬である。 雨よりは雪が好き。上空の温度は雪の時のほうが確実に低いのだろうけれど、 なんとなく雨よりも暖かいし、白いし、落ちてくるのを見ているだけで、 うれしくなるし。融けかけたべちゃべちゃの雪よりは、しん、と締まった さらさらの雪が好き。傘も要らない。ふうわりとつもった雪をさくさくさくと ふみわけて、新しい足跡をのこしちゃったりして。肩に積もった雪もぱっぱと 払いのけて。靴を履いていても気分だけは一面のアスピリンのような雪野原に スキー板を履いている気分。一歩踏みしめるたびに、きゅう、きゅう、 なんて音がしちゃおうものなら、そりゃあもう歓喜だ。 (2001.01.09) −−−−+−−−−+−−−−+−−−−+−−−−+−−−−+−━−−+−−−−120  いつもお世話になっている電気ポットに、沈着物がだいぶたまってきた。 それを見かねて100円ショップで買ってきたという、清掃用の白い粉を さらさらとポットに投入するSくん。 へぇ、それってクエン酸かなにかかな、って聞いたら、 食べられませんって書いてあるから、きっとそうでしょう、とのこと。 (2001.01.10) −−−−+−−−−+−−−−+−−−−+−−−−+−−−−+−−━−+−−−−120  A Happy New Year! だとか、 A Happy New Century! とかいう横文字を良く目にするこのごろ、 皆様いかがおすごしでしょうか(修辞的な疑問文)。 日本語だと、無事に年が明けておめでとうだの、つつしんでお祝い申し上げたり、 ちょっと奥ゆかしさの演出があるわけだけど、英語のメッセージはいいね。 幸せな新年を!とか、楽しい新世紀を!ってダイレクトな感じがする。 そっか、ハッピーに生きなきゃね、あと100年ほど。 ところで、もう世紀の幕開けも済んでしまったのに、今、生きている世紀って、 やっぱり新世紀? Happy This Century! って言ったらやっぱ変かな。 (2001.01.10) −−−−+−−−−+−−−−+−−−−+−−−−+−−−−+−−−━+−−−−120  年賀状の抽選は、去年まで、たしか、成人の日におこなっていたのに、今年は ハッピーマンデー法のせいで、成人の日そのものが1月8日になってしまった。 さすがに8日に抽選じゃ早すぎるとの判断だろう、年賀状の抽選は14日と 年賀はがきに書いてある。やっぱり抽選大会で盛り上げなきゃいけないから、 休みの日におこなうんだろうけど、来年以降、何日に抽選をおこなうことになるのか、 ちょっと心配なのである。別に郵政省のウェブサイトとかをまじまじとさがして みたわけじゃないんで、以下のこと、すべて憶測で書いてます。 第2日曜という形で定義すると、早くて8日、遅くて14日だ。でも今年のように、 8日を避けて14日にした今年の先例があるから、たぶんコレちがうんじゃないかな。 もし8日でもいいのだったら、今まで通り「成人の日」に執りおこなうことにすれば それが一番簡単だと思うのである。 となると、早くても9日、遅ければ20日の範囲がありうるだろう。 今年の14日の例より1週間おそい21日というのは考えにくいからである。 どうやって決めるんかなぁ。どうでもいいといえば、どうでもいいのだけれど、 あまり抽選日がはやいと、遅く来た年賀状の返事のさらに遅い年賀状が、抽選に 間に合わなくなってしまうので、微妙に困るのである。 たぶん、これは、潜在的にはかなり共通度の高い問題なのではなかろうか。 というわけで要らぬ心配ながら、来年以降の年賀状抽選のスケジュールを考えてみた。 案その1、14日から20日の間の日曜になった日。 案その2、10日から17日の間の日曜になった日。 どちらも従来の15日をはさんでいて、しかも10または20という切りのよい数字を 含んでいるのが、いかにもありそうな感じなのである。 でも一番ありそうなのは、今年の分はとりあえず14日が日曜だったんで、 去年と1日しか違わないから14日に抽選することにしといて、来年以降の話は あとで考えようとおもっているパターン。年賀状を印刷する直前になって、 そういえば抽選日いつって書くんでしょう、なんて印刷所から問い合わせがあって、 別に法令で決まっているわけでは(たぶん)ないし、誰が決める責任者なのかも わからないから、だれかが英断してしまったという説。 そのパターンの思考ルーチンに沿うとなると、15日に一番近い日曜日、 という決め方になるのかも知れない。つまり12日から18日の間ということになる。 でも、よく考えたらハッピーマンデー法(1月の第2月曜日が成人の日)の定めだと、 成人の日というのは、もう1月15日という日はあり得ないことになる。 成人式の都合を考えると1月の初頭に近いほうがよさそうだし、 学校なんかでは正月休みからの連休がありえるからというので、15日にもなり得る 1月の第3月曜という形にはせず、10月の体育の日とそろえて第2月曜日と さだめたんだろうから、それでぜんぜん構わないんだけれど、一番遅いパターンでも 14日なんである。つまりこれまでの慣例に縛られてはいない、とも言えるのである。 ああ、そんなどうなるともわからない来年の話を考えていたら、どんどん ややこしくなっていく。それでいて建設的なところはみじんもないのだ。 まったく鬼が笑うとはこのことである、と反省。 (2001.01.10) −−−−+−−−−+−−−−+−−−−+−−−−+−−−−+−−−−╋−−−−120  1984年にジョージ・オーウェルが流行ったように、 今年はアーサー・C・クラークがブレイクするだろう、 なんて言ってしまうには、クラークは有名すぎて、 へぇそんな人もいたんだ、などという発見が無いような気がする。 むしろ、再来年にむけて手塚治を「再発見」させるために、 水面下でちゃくちゃくと準備がすすめられているという予想に1票。 (2001.01.11) −−−−+−−−−+−−−−+−−−−+−−−−+−−−−+−−−−+━−−−120  性別と色とを1対1で対応させるなら、男が青で女が赤。 そもそも赤と青は、補色の関係ですらないのに、 対をなしているような扱いを受けている。 色の三原色のうちの2つだからであろうか。 動脈血と静脈血からの連想だという説もあろう。 だが、それがどんな経緯で性別と組み合わされてきたのか、 興味があるところである。 小さいころに、プラスチックの橇を買ってもらった。 今、赤色と青色のどちらが好きかと問われても即断はできないのだけれど、 小さかった当時の自分は、赤い橇を買ってもらった。 たぶん、暖色であることに惹かれたのかもしれないし、 小さいころに愛用していた半ズボンが赤かったからかもしれない。 いつしか、赤は女の子の色であり、男の子の色は青であることを知った時の、 あのときの違和感は何だったのだろう。 大きくなった今、誰が、私は赤色が好きですと宣言しても、 誰からも不思議にも思われないだろうことは承知するに至り、 たとえばトイレの入り口のマークの色分けのようなものは、 単に記号としての意味しか持たないことも理解できる年齢になったのだが、 あのころは、なにかひどい間違いをしてしまったような思いがあったのだ。 どんな根拠が、色と性別の間にあるのだろう。 生まれた時は、まだ区別もなく、新鮮な、若葉のように生まれたての、 あおい実のように熟していない、みどりごであり、血色の良い、あかごであったのが、 いつのまにか性の分化とともに、色までも赤と青とに分けられてしまったのだ。 女の子はやさしく、男の子は強く。 それが女の子には暖色系の赤、男の子には寒色系の青、 と対応づけた社会心理なのかもしれない。 生きるのがつらかった時代、男は強くなくては生きていけないなどと言われ、 生きていく資格としての優しさなど、顧みられなかったのだろうか。 鯉ののぼりの緋鯉のほうはお母さんであるとされるが、緋色の「ひ」という発音が 「姫」に通じるため、赤が女性を表すようになったのかもしれないし、 定期的に血を流す宿命の女性が血の色である赤を勝ち得たのかもしれない。 どんな社会心理がそこに働いたのかは、推測しかできないし、 その推測も、力不足で表面的であり、一面的でしかない。 自分が子供であったあのころと現在とでは、また様相が変化しているかもしれない。 ただ、おそらく子供心とは、オトナになって慣れてしまっているような 些細なことにも敏感に反応してしまう繊細なものであったのだろう。 ねがわくばその繊細さを少しだけでも保ちつづけていられますように。 (2001.01.11) −−−−+−−−−+−−−−+−−−−+−−−−+−−−−+−−−−+−━−−120  もしも個人所有のトイレットが存在しなかったら、この世の中はどうなるか。 変な妄想だが、今日はそんなことを考えていた。バーチャルな人間や アイドルだけで世の中できているわけじゃないので、誰もが、用を足す必要性を持つ。 となれば、公衆トイレの数が異常に増えるだろうことは想像に難くない。 田舎などの、人口密度が低い地域に住まう人々は用を足すために遠くまで でなければならないかもしれないので、かなり大変かもしれない。 冬の積雪の時など、いちいち外へ出るは寒いだろうし、しっかりとした証拠が 残ってしまうから誤魔化すのも難しいし、大変だろう。 そんなことをちと考えている中で、ふと疑問に思ったのが、立地条件としての トイレットの立場である。わかりやすく言うと、トイレに近いほうが、 家賃が高いのか低いのか、ということなのである。 あまり近いと臭いのが目立つし、遠すぎると不便なのだ。 なにか人間関係と似ているような気もする。 (2001.01.12) −−−−+−−−−+−−−−+−−−−+−−−−+−−−−+−−−−+−−━−120  3つ目が通る、なんて漫画があった。結構好きな漫画のひとつである。 ほかにも、ほぼ額の中央に、みっつめの目がある絵や漫画や小説は、 思いの外多いような気がする。大抵の場合、それはたびたび、 超能力と結びつけられて扱われるモチーフでもあると思われる。 チャクラなどというもののひとつも、頭の天辺近くにあるらしいし、 ムカシトカゲだかなんだかいう動物も、あたまの天辺に、神経節だかが あって、受光器官、いわば目のようなものであるとも聞いた。 仏様の額にもなんかついてるし。あ、あれは目ではないか。 まぁどうでもいいんだけど、ちょっと気になるのが、みっつめの目の 瞼が、縦なのか横なのか、という点なのである。 斜めだという説やら絵やらは寡聞にしてきいたことも見たこともない。 だから縦か、横かという選択になるのだけれど、そう単純な話でもない。 目という漢字の成り立ちは目の形であったというが、目という漢字も、 実は遠目ほど対称性が高くない(まぁフォントにも寄るが)のと同じように、 実際のナマの目の形も単純ではない。瞼は上と下とで異なるし、 左右にしても、鼻よりのほうと、耳よりのほうで形が違っている。 みっつめの目の瞼を考えるとき、その、実際の目の持つ 非対称性をどうしてやろうか、というところにおおいに考慮の余地が残るのだ。 瞼なんかとってしまって、シュンマクで覆ってしまえばいいんだという案は却下。 眠るときに外部情報を遮断しがたいので、あまり好ましくない。 寝るたびに絆創膏を貼るという手もあるが。 額の目の瞼を縦割れに配置すると仮定してみよう。まあ涙腺は機能的に、 下方の端では困るだろうから、上端に配置する。顔は正確にではないが、 ほぼ左右が対称だから、上瞼と下瞼(右瞼と左瞼というべき?)の形も おそらく互いに左右対称になるだろう。ところが、われわれが瞬きをするとき、 どうやっているか考えてみてほしい。下の瞼を動かしているだろうか。 少なくともボク個人の問題とすれば、上瞼の寄与が圧倒的に大きいのだ。 だとすれば、左瞼と右瞼は同じで良いのだろうか。まぁ良いのかもしれない。 事実、縦割の瞼が描かれている例のほうが、横のものより多い気がする。 統計をとったわけではないので、たんなる主観にしかすぎないけれど。 横にする場合は、そもそも、目の構造の左右非対称性が問題になってくる。 左右対称にするために涙腺を目の両側に配置しようか。でも、 同じような3つの目の中で、ひとつだけ特別扱いもおかしいような気がする。 でも、今、われわれが持っている目の瞼は横なのだし、顔についている口という穴もまた、 横割れであることを考えると、額のもうひとつの目も瞼が横になる可能性も高い。 あぁいろいろとかんがえていたらわけがわからなくなってきた。 3つ目のみっつめの目についてなど、考えるのは大変やっかいである。 だから神様はヒトをおつくりになるときに、2つの目しか与えてくれなかったのだ、 という結論に、長い考察の末あいなった。 (2001.01.12) −−−−+−−−−+−−−−+−−−−+−−−−+−−−−+−−−−+−−−━120  洗濯物を干していると、原色が多いのに気付く。 一人暮らしをしているから毎日なんて洗濯していられなくて、 まとめて洗っているんだけれど、干したものが満艦飾の体である。 原色系は、実際の分量が少なくても、目に飛び込んでくるから 目立つ部分もあるけれど、自分の場合、多い理由がある。 理由がなんて偉そうにいってみたが、要するに派手なのが好き、 っちゅうかそういう感じなのだ。派手なのが好きな理由は、 気分が落ち込みそうなときには、ダークな渋い色の物を着るよりも、 色だけで元気がでそうな感じなものを着たいからである。 それだけの理由なので、Tシャツなどを含んだ下着類なんかが ちょっと派手な色なのである。装いとしては、白いワイシャツに ブルージーンズなんてのも嫌いではない。 特に派手に着飾りたいというわけでもないのだ。 まあ他人の目にどう写っているのかは知ったことではないけれど。 (2001.01.12) −−−−+−−−−+−−−−+−−−−+−−−−+−−−−+−−−−+−−−−120  書ける時に書け。書けに懸けるを掛けているのではない。 駆け抜けるように書き続けてほぼ3ヶ月。ようやく自分のウェブサイトの 構造というものが見えてきたし、文章のスタイルも判りかけてきた。 一つの雑文あたり、一つのテーマで書くこと、それが自分のスタイルのようだ。 なるべく毎日書いてみたけれど、その日にあったことの報告のつもりではない。 読む人に書いた時との同時性を求めるつもりはないからである。 普遍的なもの、などという仰々しいものを書いたつもりはないけれど、 ひとつき前に書いたものを、今日読んでもらったからといって、 書いた時に読んでもらうのと違いがあるとは思ってはいない。 ただ、他人さまの書いた文章に、たくさんの面白いモノがあって、 わざわざ自分で文章を書く必然性ってないんじゃないかなぁなどとも、 よく思ってしまう。わざわざ自分で駄文を生産しなくても、 世の中には読まれるべき文章というものが山と積もっているのだ。 それに、他人さまの書いた文章を読んでいると、自分でも、 そのうちなんとなく満足してしまって、書こうという意欲が減ってしまう。 というか、他人さまの文章の巧みさに溜息をついている間に、 自分は何を書こうと思っていたのか、忘れてしまうのである。 だから、書きたいことがあるときは、読む前に書かなければならない。 自分が読みたいような面白い小説がないから自分で書いた、などとのたまってしまうのは、 時の車輪のジョーダン氏であるが、そこまで言い切るのもさすがだと思う。 オレはそこまで言えないにしろ、書きたいから書いた、とは言えるような気がする。 書きたくて書いている人、書きたくないのに書いている人。 前者はわかりやすい。後者はたとえば書かないと食えない人、書かないと眠れない人、 書かないともてない(と思っている)人、書かないと手が震え出す人、などだろうか。 面白いものを誰かに読ませるために書く人もいれば、自分の書きたいものを書くひともいて、 自分の読みたいものを書くひともいる。誰かが書きたいことを代わりに書くひとも いるかもしれない。オレは、2番目のひと。結局、自分にとってモノを書くのは 人に読ませるためというより自分のために書いているにすぎないのだ。 これはある意味幸せなんじゃないかと思う。もし売文家になったとすれば、 自分の意に染まぬといえども文章をしたためなければたつきがたたない。 でも幸せな人もいて、書きたい文章が他人の読みたいに合致している場合もあるだろう。 残念ながら、自分はその域に達していないようだ。もう少し書き続ければ、 少しは近づけるだろうか。 もちろん、オレの書いた文章読んで欲しい、気に入ってくれる人が居て欲しい なんていう願望はあるのだけど、世の中には、まるで趣味で書いた文章なのに、 オレの書いた文章なんだから読めよ、といわんばかりである人がたまにいて、 自分の趣味とは懸け離れている。仮に、そこまで文章に自信があったとしても、 読む方の好みは十人十色。相当に売れているプロの文章でも、自分の好みではない場合も 多いのだから、素人の場合、なにをかいわんや、である。 でもって、こっそりとサイトをはじめるにあたって、実生活の知り合いには 例外の何名かを除いて、ナイショにしている。もちろん、ハンドルネームも、 このサイトのためのものを新調した。 自己満足にしか過ぎない、利益にもならないことをやるのは、 それが趣味の王道なのだから、つまらん雑文書くのも立派な趣味と言えるのかも知れない。 というわけで、もうしばらく、雑文書きを趣味として続けてみます。 お時間のあいまにでもおつきあいいただけると幸いであります。 (2001.01.12) −−−−+−−−−+−−−−+−−−−+−−−−+−−−−+−−−−+−−−−+