「わからへん」から書くのだけれど


  なんともならんと言うほどでもない けれど、体がだるい時がある。

そんな時、夫が、「あとかたづけやろうか?」 と言う。

これは正直ムカツク。きもち があるなら、言う前に動いてよ!

気 の弱い私は、「いや、だいじょうぶ」 と言ってしまう。

「やろうか?」のむ こうがわには、めんどくさいが見え隠れする。

でもそれは誰だって同じこと。

きも ちを見つけたり探したりするのは、みんなめんどくさい。

ましてやそのきもちを動かすとなれば…

できればやりたくない。そしてたいていの場合、そのままやり過ごしたとしても大した影響はない。

『信号機のきもち』になれなくても、

『かさのきもち』になれなくても、

こ の本の主人公さかまきはちろう君は、立派な大人になれるだろう。

『かびんのきもち』にいたっては、そもそも、かびんがあるからめんどくさ いので、

最初からなければいいじゃないかと言えなくもない。

それでは、きもちなんてどうでもいいのか、ということになってくる。

「どうなんだ? 村上しいこ!」

と問われれば、「わからへん」と答えるしかない。

そして、 「わからへんから書いてんねん」 と言いわけするしかない。。

言いわけしながらそれでもやっぱり 大事なようなきがする。

どうしてだろう。

いろんなもののきもちになれずに育 った『さかまきはちろう』より、

いろんなもののきもちになって育った『さ かまきはちろう』のほうが、

きっと楽しくておもしろいやつに成長すると思う。

その生き方にもちがいが出てくる。

けっきょくきもちというのは、いろんなものと交わり合うことで、 生命を獲得していく。

そして自分のきもちにエネルギーを与える。

それはきっと、生きいく自信になったり、道標になったりするのだと思う。