@Ho Chi MinhA
2003/3/9〜3/11
  1、最後のバス
  2、怪しい日本人
  3、ホーチミン再び
  4、あれれ?
  5、AGAIN AND AGAIN
  6、バインミーの中身
  7、BUS STOP
  8、かちにてビンタイ
  9、BUYING AGAIN
  10、ベトナム戦争を見つめる
  11、戦争証跡博物館
  12、さとうきびじゅーす
  13、いけてる?シックスティー
  14、ベトナム/最後の晩餐
  15、帰国当日
  16、学習院の2人
  17、ドキドキのチェックイン




*最後のバス・・・

  帰国日が迫ってきたので、ホーチミンへ舞い戻らなければいけない。
  あ〜、もうあと1週間でも時間があれば、ハノイまで行けたのに・・・。非常に残念でたまらない。

  ニャチャンからホーチミンまで、バスに乗ること約9時間。
  今回のバスは、全席満席状態だった。途中、恒例のsightseeing pointに寄ったりもした。
 

  [[[[[バス移動で見かけた風景達]]]]]

   
 
 <ただひたすら広がる何もないビーチ>    <食事休憩で見かけたベトナム猫>

   
 <トイレ休憩の時に見た山の上の遺跡群> <GECKOを見つめる子猫>

 
ファンティエットでトイレ休憩のときだった。
 ホーチミンへ向う我々のバスと、ニャチャンへ向う反対方向のバスがちょうど重なった為、
 レストランは人でごった返し状態だった。

 少し、小腹が減った私は「フォー」でも軽く食べようと思い、シントー(フルーツシェイク)と一緒にオーダーをした。
 ・・・暫く待っていたが、全くオーダーしたものが来ないので、どうなっているのか?と聞くと、
 シントーはもう売り切れだという。じゃ、フォーはどうなったのか?と尋ねると、そんな注文聞いていないという。
 うむむ・・・。なんだよ・・・。もう、何も食べる気がなくなってしまった。
 もう、いい。ビールでも飲もう。「Beer Bar Bar,please」。
 ・・・まっ昼間から、ビールかよ・・・。もうどうでもいい。なんだか疲れてきたのだ。
 
 すると、隣に座っていた西洋人のおじさんが、私に声をかけてきた。
 「日本人かい?」
 「はい。」なんで分かったのかな?
 気づけば、彼は私の手元にある「地球の歩き方」を指差していた。・・・なるほど。

 彼と一緒にいたのは、胸元がスケスケのレースで、ピッタリフィットの黒いTシャツを着た30代くらいの
 ベトナム女性だった。・・・あ、そういえばこの人たち同じバスに乗っていたような気が・・・。
 バスで見かけた時、私が感じたのは
 「この女、ホンダガール(娼婦)とまではいかないが、ちょっとお色気モード?しかし、私的にはいただけんタイプ・・・」
 などとつまらぬ事を考えていたのだった。

 話を少ししていると、彼は、な、な、なんと「アメリカ人」だった。
 初めて、ベトナムでアメリカ人に会った!!!!!
 どうみても彼はベトナム戦争経験者っぽく見えた。
 年齢は恐らく60歳は超えているようだ。
 歩くときは、片足を引きずりながら歩いていた。
 
 私は、彼にすごく興味を抱いた。
 聞きたいことが、頭の中に次から次へと浮かんできた。
 しかし、私の英語力と、それ以上に「ベトナム戦争」という既成事実の壁が私の口を閉ざさせた。
 
 彼は、たまにこうやって休みを取って、ベトナムへ旅しに来るのだと言っていた・・・。 




*怪しい日本人・・・
  ファンティエットでアメリカ人に会ったトイレ休憩の後、もう一度トイレ休憩があった。
  そそくさとバスを降り、トイレへ向った。
  順番を待ち、並んでいると、隣に日本人の女の子が3人やってきた。
  
  あ、日本人の子だ〜★声、かけてみよう〜っと。

  「こんにちは〜。」
  「は、はあ。こんにちは・・・」
  「どちらにいってらっしゃたんですか?」
  「あ、はい、ファンティエットです・・・」
  ・・・・・・・・・・

  話が終わった。
  3人組は、どうやらワケの分からない、怪しい日本人と話をしたくなさげだった。
  一人で浮かれて話している自分が悲しくなった。
 



*ホーチミン再び・・・
  
は〜。やっとホーチミンへ着いた〜。しんど・・・あと少しだ。
  バスの窓から見える「ホーチミン市内の風景」は、私がホーチミンを離れてから見てきた街とは全く違った。
  日本語で書いてあるレストラン。乱立する店・店・店・・・。
  社会主義国家の街には、こんなにもモノが溢れているのか?と改めて疑いたくなってしまうくらいだった。
  市内に入ってから、暫くすると、サイゴン・シンカフェオフィスに到着した。午後6時過ぎだった。
  
  バスを降り、以前泊まっていた宿へ向う。
  実は、仕入した商品を持っての移動はかなりきつい為、必要ない荷物を全て預かってもらっていたのだ。
  
  「ただいま〜。約束どおり、3/9に戻ってきましたぁ〜。部屋はありますか〜?」と尋ねると、
  「ごめんなさい。今日は満室なの・・・その代わり他の宿を紹介するから安心して!」

  暫くすると、何処かしらか女性がやってきて、私を別のホテルへと案内してくれた。
  以前、宿泊したホテルから数件離れたホテルだった。
  PEACE HOTEL:  US$8/1night、衛星TV、シャワートイレ(勿論お湯シャワー)、ファン付き
              address 272DeTham,Dist.1 HoChiMinh
              Tel 84-8-8-372025      e-mail hasanvnn@hcm.vnn.vn


  最上階の部屋に案内されると、そこは大部屋になっていた。
  そこを全部一人で使って良いとのことだった。
  しかし、明日、予約している人が来るので、私は明日までしかココに居られないらしい。
  また、ホテル移動を翌日しないといけなかった。あ〜、めんどくさ〜。
  でも、ホテルの人が又ちゃんと面倒見てくれるらしいから、ま、いいや。
  とても親切そうな人だったし・・・。



*あれれ?・・・
  お腹が空いた。
  人間というものは、特に何もしていなくてもお腹だけは空く。
  生きている証拠なのだ、とアホくさいことを考えながらも、一人で食事に出かけることにした。

  ニャチャンの御父参カフェで出会った旅行者が「ここの揚げ春巻きメッチャウマイっすよ」と言っていた
  場所があった。なんとなく場所は分かっていたので、そこを探して行ってみようと思い、足を運んだ。
  
  おお!ココだな。沢山の人が座っているな〜。
  流石、人気のある店とみた。きっと本当に美味しいんだ〜★
  
  などと考えていたら、
  ああああああっっっっ!!!
  見たことのある連中が椅子に座っていた。
  まさか、こんなところで又会うとは・・・。

  そう!ミーソン遺跡・ニャチャンで会った「タケシ」を発見し、その横には「アライくん」「さとみ」も一緒だったのだ。
  他に、新たなメンバー日本人が2人加わっていたものの・・・
  よく見つけたわ、私・・・って感じ・・・。
 
  結局、そのグループに私も参加。あれやこれや注文してるうちに気が付いたのは、
  この店(実際には外でテーブルを出しているので、店内ではない)、私がベトナムに到着した初日に
  nikoさんと出会った場所だったのだ。
  オーダーをとりにくるお姉ちゃんは、勿論「うちの揚げ春巻き美味しいのよ」と言っていた例の彼女だった。
  この偶然・・・。
  ・・・思わず一人笑いしてしまった。( ´∀`)
  
  もう、こんな偶然の再会にメチャ感動してしまった私は、ビール飲む飲む・・・。
  食後もテンションハイで、「さ〜、次、何処へ行こう〜」みたいなノリだった。
  イヤな酔っ払いだよね、ただの・・・。(苦)

  タケシは調子が悪く、熱があったので、おとなしく宿へ戻った。
  結局、アライくんとさとみと私の3人で飲みなおすことになった。

  
<日本人経営のレストランasian kitchenにて>
  
(左から、アライくん(寝てます、プッ)私、さとみ)
飲みなおすといっても、3人は先ずベトナムコーヒーを
それぞれオーダーした。ちょっとコーヒーを飲んで
冷静さ?を取り戻しつつ、アライくんと私は再び
ビールを飲み始めた。・・・ホント、メチャ飲んだよ。
でも、どんなに飲んでも食べてもせいぜい5〜600円
くらいしかかからない。1,000円以上なんて、どんな
豪華な食事を頂くことが出来るん?といった感じだ。

2人とも、4月から社会人として働かなければならない。
話をしていて、色々な不安と期待でいっぱいの様子の
彼らだったが、まだまだ2人は若い!前途有望なる若
者よ!明るい未来を目指しガンバレ!
(どっかで聞
いたようなセリフじゃな??o(・_・= ・_・)oキョロキョロ)
がしかし、それは本当だ!若いってスバラシイ〜♪


 



  彼らにとっては、今回学生最後の旅行だ。2人共、明日の朝、カンボジア、アンコールワットへと向う。

  別れ、再会、そして又、別れはやってくる。
  旅は人生の縮図のようなものなのだ。
 
  
最後に、ヒトコト。
  アライくん、さとみ、こんな私に最後まで付き合ってくれてアリガトウ\(*^▽^*)/★彡



*AGAIN AND AGAIN・・・
 
とうとう、明日は帰国の日。
 今日は、9時にタケシと待ち合わせをしていた。
 私の最終買い付けに付き合って、チョロンまで一緒に行く約束をしていたのだ。
 

 その前に、シンカフェに行って、さとみたちを最後に見送りたい、と思っていた私だったが・・・
 ・・・はあ・・・寝過ごしてしまった・・・。(>_<)
 でも、ひょっとしてまだ居るかもしれない・・・と思い、ダメもとでシンカフェへ・・・。
 
 相変わらず、ものすごい数の観光客でオフィスの前は溢れかえっていた。
 毎日、これほどにも新しい観光客が続々とやってきている。
 オフィスの入り口には、あの日本人ツアーガイドさんが立っていた。
 「あ、おはようございます〜」
 30代・独身と思われるガイドさんは、とてもシッカりしていた。
 ヤリテって感じだ。ヤリテ???うん、とってもスマートな感じだ。
 「プノンペン行き(ボートツアー)のバスってまだ出てませんよね?」
 「あ、それなら、もうとっくに出発しましたよ。」
 
 
・・・残念。やはり、間に合わなかった。仕方ない。

 とりあえず、明日、空港へ行く為の、タクシーの予約をしておこう。
 
 シンカフェでタクシーの予約がUS$4で出来る。
 同じ時間帯に、他の観光客がここで予約していて乗り合いになった場合、
 2ドルのキャッシュバックをしてもらえる。
 とりあえず、今日は4ドル支払って、レシートを受取った。
 国籍のところには「KOREAN」とパンチされていた。・・・な、なんでだ?
 
 そろそろ戻ろうかな・・・と振り返った時だった。
 あれ?ひょっとしてウエダさん?
 オフィスの入り口にウエダさんを発見!ホイアンからのバスで出会った人だった。
 お〜〜〜。これまた偶然・・・。「お〜い、ウエダさ〜ん〜〜〜」と叫んでしまった。
 こんなところで、また会えるとは・・・。
 
 本来ならば、さとみとアライくんを見送るはずだった。
 しかし、ひょんな再会で、プノンペン行きのウエダさんを見送ることになった。
 そして、9時・・・。タケシとの待ち合わせ場所へと走った。

 本当に、ここサイゴン(ホーチミン)では色々な人との出会い・再会があったのだ。 
 



*バインミーの中身・・・
 
タケシの熱はどうやら昨日よりはマシになったようだった。
 ・・・が、病み上がりには変わりない。

 <バインミー(フランスパンのサンドイッチ)の屋台>
そんなタケシと一緒に、私は3度目のチョロンヘ・・・。

と、その前に簡単にちょっと遅めの朝飯をとってから行こう。
腹が減っては・・・である。
定番のバインミーを食べたのだが、いつも食べていたもの
より、中身がちょろちょろでどうも物足りない。
いつもチーズにトマト・キュウリ・ミョウガ・他に肉系のもの・・
なんやかんやと色々なものを具沢山にいれて美味しく頂い
ている。が、今日のは不味かった。(シンカフェ前のシントー屋)

ところで、話はコロッと変わるが、茗荷日本語で「みょうが」
という。(と〜ぜんだ)・・・な、なんと、ベトナム語でも「ミョーガ」
と言うらしいっ!(笑)

  


  実は、違うところで、バインミーを頼むとき、野菜の入っているボールを覗き込むと、茗荷を発見。
  海外で一人ぼっちだと、何かと「日本語での独り言」が多くなる。
  私は、ブツブツ「アレ?これ茗荷じゃん・・・?」とつぶやいていたら、
  バインミー屋のおばちゃんが「ミョーガ、ミョーガ」うん、うんと答えてきたのだ。

  ん?どうやら、ミョウガは日本発のものなのか?それとも・・・ベトナムなのだろうか?

  因みに、以前、オーストラリアに居た時の話。
  スーパーへ買い物へ行くと、野菜売り場に「おくら」が売っていた。
  おくらの上にある看板には「OKURA」と記載されていた。なるほど、「おくら」は「オクラ」というらしい・・・。




*BUS STOP・・・
  
私達はチョロンまでバスで行くことにした。
  ななちゃんに教わったデタム通りのバス停で、バスを待つこと数分。
  
  その間、私はななちゃんから聞いた話をタケシにしていた。
  
  この辺りも、本当に数年前まではかなり怖いところだったらしい。
  ・・・というのは、バス停で平気でヤクを打っていたらしいのだ。
  注射器・針は、そこら中に当たり前の如く、捨てられていた。
  そしてヤク漬けになっている連中は、ちょっと頭が狂っているので、
  遊び半分でフツーの人を脅してくる。
  半分、狂気の沙汰になっている人間に、間近に迫られたら、マジ、びびりもんだ。
   
しかし、公安の取締りが厳しくなって、ココ最近は落ち着いている
とのことだった。
別に、実際そういった問題が解消されたわけではなく、
ただ単に、場所が移動していっただけの話なのだ。

←気が付くと、なんと!バス停にはリアルにも「注射器」が落ちていた。
:w(゚Д゚;)w:おお、まいが〜っ!




*かちにてビンタイ・・・
 
チョロンにあるビンタイマーケットは終点の筈だった。
  ・・・にも関らず、何を思ったか?バスから見る外の光景を見て、私は思わず下車してしまった。
  下車した瞬間、「あ、しまった〜〜〜〜!(泣)」
  バスはそのまま行ってしまった・・・。

  ご、ごめん。タケシ・・・。
  タケシは病み上がりで、この燦燦と照りつける日差しは、彼の体力を確実に消耗させていた。
  わ、わたしの不注意です・・・。う、ぐ、っっ・・・。
 
  多分、この方面だろうと思われる道へとひたすら進んだ。
  道を英語で尋ねても、中国語でも尋ねても、どうも通じない・・・。
  ご、ごめん。本当にごめんなさい、タケシ・・・。
  途中、西洋人のおじさんに出くわした。どうやら彼もビンタイに徒歩で向っているらしい。
  もう一度、道を尋ねると、もうあと少し行けばビンタイマーケットだということが判明。

  よかった・・・(ほっ)。




*BUYING AGAIN・・・
  
ビンタイに到着すると、ななちゃんに紹介してもらったお店へと足を運んだ。
  あそこのお店には、結構いいものが揃っていたからだ。

  お店の人は、どうやら私の顔を覚えていてくれたようだ。
  ななちゃんはどうしたんだ?と聞いてきた。
 
  早速、交渉開始。
 
  タケシもお土産用にバックを数点購入。

  暫くすると、同じような雑貨買い付けの日本人がやってきた。
  時間がないらしく、ものすごい勢いで買って去っていった。
  私の欲しいものも買っていったので、値段の目安が検討できたので助かった。
  先回、ななちゃんと買ったときよりも、更に値切って仕入れることが出来た。ウフッ★(^-^)V
  
  商品の不良がないか、出来るだけ細かいところまでチェックをする。 
  そして、お金の支払い時に、半端金額を更に値切る。
  お金を支払った後に、おまけを頂く。
  これも、ななちゃんのご指導?の賜物だった。('◇')ゞ

  
ところで、ここはチャイナタウン。
  ずっと拙い英語で交渉ごとを進めてきたのだが、ひょんなことで中国語が口に出た。
  あれ?中国語が通じた・・・。
  向こうも、ビックリして「な〜んだ、中国語、しゃべれるのね〜。」と言った感じで
  その後、ずっと中国語でやりとり。
  
  でも彼女達「華僑」ってスゴイっていつも思う。
  中国語(標準語)・広東語・英語・そして現在住んでいる国の言葉。
  たまに観光客相手の日本語もある程度出来たりなんかする。
  ほんのちょっぴりだけど、コミュニケはちゃんと図れているのがスバラシイ!
  スゴイ適応力だ。本当に敬服してしまう。(`-´ )ゞ


  またもや、荷物が増えてしまった・・・。
  すごい量の雑貨だ。
  今まで買った分と併せたら・・・持って帰れるだろうか???かなりアヤシイ・・・。
  やはり船便か何かで送らなければいけないか???
 
  正直、あまりお金は使いたくなかった。出来るだけ、ハンドキャリーして帰りたかった。
  
  それをお店の人に相談したら、ダンボールに入れて行けば安くつくのでは?とアドバイスしてくれた。
  市場内でダンボールを売っているというところに案内してもらった。

  なんと、それは使い古しのダンボールだった。
  ケースの概観には、中国から貿易で来たと思われる、中国語が書かれていた。
  一枚6,000ドンだった。
  本当にその値段なのか?ちと怪しかったが、文句を言わずに支払った。
  彼が言うには、ベトナムではダンボールは本当に貴重なものだという。
  こうやって、使用済みのダンボールでも何度か使いまわして利用するというのだ。

  私は、いつも日本で自分がしていることを改めて省みてしまった。
  毎月、セールが終わると、不要なダンボールはガンガン捨てている。・・・燃やされるのだ。
  かと言って、全部が全部大切にとっておいても邪魔になるだけ・・・。
  
  こういった「モノの価値観」というのは基本的に同じ地球に住んでいるわけだから
  一緒であるべきだ思うのだが、実際のところ、かなりの点で違うことが多い。
  本当は資源は大切にされるべきなのだ

  自分の心の中に矛盾が生まれていた。

ビンタイから再びバスでデタムまで戻った。
タケシが、私の煩わしいダンボールを持ってくれた。
アリガトウ。

このまま、別れるというのは、あまりにも淋しいし、
申訳がなかったので、最後にカフェでベトナムコーヒー
でも飲むことにした。

コンデンスミルクがたっぷり入った、あま〜い「ベトナム
コーヒー」は、疲れた体を少し癒してくれた。

<カフェにて/タケシと>




*ベトナム戦争を見つめる・・・ 
 戦争証跡博物館へ行った。
 ここでは、ベトナム戦争の歴史を少し垣間見ることができる。
 ベトナム戦争がどうして起きたのか?どんなことが、ここベトナムで起こっていたのか?・・・
 「ベトナム戦争」の名前は知っていても、どれだけの人間が中身まで知っているだろうか?

 美味しいベトナム料理をたらふく食べるのも良い。
 カワイイ雑貨を探し、買物に没頭するのも良い。
 でも、折角ここまで来たのなら、ここは誰もが必ず来るべき場所だと私は思う。




*戦争証跡博物館・・・
 ミトー・メコンデルタツアーの日本人ガイドさんの一言で、今回必ず行こうと思っていたところがあった。
 「戦争証跡博物館」だ。
 
 タケシと別れてから、一人でてくてく徒歩にて博物館を捜し求めて歩いた。
 入り口で10,000ドンの入場料を支払うと、日本語と英語で書かれたパンフレットが渡された。
 英語と同様に書かれた第2言語は「中国語」でもなく「韓国語」でもなく、まさしく「日本語」が書かれていた。
 日本人観光客の数が、どれだけ多いかが伺える。

 博物館は大きく6つに分かれており、外には米軍が使用した飛行機や戦車も展示してあった。
 1号館〜6号館まで順に見てゆくことで、心の変化を自分自身でも感じとることが出来た。

 ・・・初めは、ベトナム戦争中の写真。
 (これらの写真は、日本人フォトグラファー(故)沢田教一氏(享年34歳)をはじめとする多くのカメラマンが
 命を落としてまでも撮影し、現在私たちに「戦争の愚かさ」や「むごさ」を伝えてくれている。私たちは、その
 遺志を継いでいかなければならないのだ。)

 「ナパーム弾」「枯葉剤」(あまりにも有名)で体に影響を受けた人たちの様々な写真が続いていた。
 ナパーム弾と言うものが、一体どんなものなのか私は詳しく分からないが、
 ハッキリ言って広島・長崎の原爆被害者の人たちと近い状態のように見えた。皮膚は焼けただれ、形を
 とどめている人はまだ救われている方だ。顔のパーツは一体どうなってしまったのか分からない人の写真もあった。
 枯葉剤(ダイオキシン)の影響で、体中が熊のように真っ黒な毛で被われてしまった女性。
 そしてホルマリン漬けの瓶には、奇形児の子達が眠っていた。 
 べトくんや・ドクくんのように、体が一体化してしてしまっていたり、頭部が異常なほど肥大してしまっていたり・・・。
 それは、この世に「生」を与えられた筈なのに、産まれてくることが出来なかった子達。
 折角、命を与えられても、同じ状態で今現在も生きている人たちの写真もあった。
 
 どこで?どうして?こんな子が出来てしまったのか?と、奇形児を出産して、すぐに子供を捨て病院を逃げ出した
 母親がいるのも、まだまだここ最近のことだそうだ。

 1975年4月30日、サイゴンが陥落してから28年。
 まだまだこの過ちは記憶に新しい。
 

 ・・・博物館の片隅には、白紙のノートが備え付けられていた。
 ココヘ来た人たちは、自由にそのノートへ書き込みが出来るといった具合だ。
 各国からやってくる観光客が、自らのお国の言葉でそれぞれコメントをしている。
 日本語で書いてある箇所を目で追うと、「アメリカ人くそくらえ!」的なコメントが多いのが目に付いた。
 現在、イラクとの問題があるだけに「ベトナムxアメリカ」のこの戦争の諸々の結末が、
 重なって見えてくるかのようだった。
 「アメリカ人はどうやら戦争が好きらしい。ブッシュよ!ホーチミンへ、いやこの博物館へ一度来るがいい!」
 という人もいた。
 確かに、アメリカ人の自己中心的な考え、過去の過ち・経験の忘却・・・一体、何を考えているんだ!学習能力が
 なさ過ぎる!などと、単純に腹立たしく私も感じていた。

 でも、最終の6号館を見る頃には、その感情は「アメリカ」に対してではなくなっていた。

 ベトナム戦争時代に、アメリカの若い青年達も沢山亡くなった。
 その時に、アメリカ国内で、そして世界各国で「戦争反対」を訴える人たちが
 数えられないほど居たという事を知った。
 結局、戦争は、わずかな一部の人間のエゴで、何も罪のない民が巻き込まれ、
 多くの犠牲を負ってしまうだけなのだ。
 例えば、アメリカ人だからとか、ドイツ人だからとか、そういったことは全く関係ないのだ。
 そんな言葉はよく聞くことなのだけれど、それを本当に心から実感した。

 それにしても、ベトナム戦争が終結して、アメリカに勝ったはずのこの国がどうしてこんなに貧しく、
 アメリカに負けた日本は現在こんなに裕福で、のほほんと幸せに暮らしているのか?
 生まれた国がたまたま違っただけで、こんなに違う生活を送っている。
 日本人として生まれただけなのに、今、私は自由に色々な国を旅したりすることが出来る。
 日本での生活を考えると普通かもしれないが、経済的にも彼らよりは余裕がある。

 しかし、日々つまらない事で悩んだり、文句を言っている自分が、本当に恥ずかしく感じる。
 どんなに貧しくても、ベトナムの人たちの笑顔は本当にステキだった。
 この2週間、私は沢山のベトナムの人たちから笑顔をもらった。
 かつて旅をしていて、現地の人からこんなに沢山の笑顔をもらったことはなかった。

 シンプルすぎる表現だけれど、今回ベトナムに来れて本当に良かったと思う。
 日本人として生まれてきたことに改めて感謝して、これらの気持ちを常に忘れないようにしていたい!




*さとうきびじゅーす・・・
  サトウキビのジュースを売っているのを見かけたのは何度もある。
  中国留学時、マレーシア、インド・・・アジアなら何処でも見かけることは出来そうだ。
  しかし、私はかつて飲んだことは一度もなかった。
  なんだか、「甘さ」だけが口に残る、原始的な飲み物に思えたからだ。
  だが、それは私の想像だけに過ぎなかった。

  実は、フエで会った日本人の子に「ニクマン」を薦められ、
  そして「サトウキビジュース」の話も聞いていた。
  その旨さは、メチャ感動級だったらしい。

  ここホーチミンへ来てからそれを思い出し、ま、たかが5,000ドン(=約40円)程度の飲み物なのだから、
  生きている内に一度くらい試してもいいか・・・と、街のいたるところにある屋台で飲んでみることにした。
  

    
    <サトウキビを圧搾機に何度もかけて     <搾られた汁はホースからボールに流れ出てくる。
     汁を絞り出す>
                    ついでにライムの汁も混ぜる、ここがミソ>

  どれどれ、いかなるお味がするのかな?
  ぅ、ぅ、ぅ、ぅ、ぅ、う、う、、う、う、う、、、、うますぎるぅぅぅううううう〜〜〜〜〜!!!激・ウマだ!!
  飲んでよかった、生きてて良かった。
  こんな美味しい飲み物に出会えることが出来たなんて!ヾ(≧∇≦)ノ"
  更にお代わり!ぐぐっと、もう一杯飲んでしまった。

  どこの御国でも同じ味なのだろうか?
  ここでは、ライムの汁が混ぜてあるのがポイントだと思った。
  甘さの中に、柑橘系のさっぱりした風味がたまらない。
  いや、きっと、ライムを入れるのはこの国ならではなのではなかろうか?
  今後、アジアの行く先々で、サトウキビジュースを見かけたら、必ずトライするべき一品だ。



*いけてる?シックスティー・・・
                                
サトウキビジュースを飲んでいると、横にベトナム傘をかぶった、
物売りのおばちゃんが座っていた。
耳掻きや、くし、ゴム、ピンなど
ちょっとした小物を路上で売って
いる。話し相手が欲しかった私は、
おばちゃんに声をかけようとした。
・・・が、何語で話すべきか?
ベトナム語なんて分かんない。
英語?まさか英語が通じる歳でも
なさそうだ・・・。
でも、分からないぞ・・・。

 


 「おばあちゃん、いくつ?」英語で尋ねると、な、なんと答えが帰ってきた!!
 「60。」
 ええ?!英語が分かるんじゃん!私の母と同じくらいだった。(なのにもっと歳に見える・・・。)
 でも、英語は分かる!!60だよ、60歳!やるじゃん〜!スゲーーー!!
 「私の母と同じくらいの歳だね。お子さんやお孫さんはいるの?」
 「ノー」・・・と返ってきた。
 え?まじ?一人ぼっちなの?
 それとも結婚はしていたけれど、戦争で身内を失くしてしまったの?
 私はそれ以上、聞けずにいた。
 すると、「ケッコン、ヨクナイ。ナニモヨクナイ。」・・・と一言。
 「そっか・・・。」

 それにしても、英語が理解できるなんて。スゴスギルぅ〜!なかなかイケテル60だ。
 
 そして、私はジュースを飲み干し、おばあちゃんにサヨナラを言った。



*ベトナム/最後の晩餐・・・
 明日になれば、帰国の途。
 今日がベトナム最後の夕食となる。パ〜っと一杯飲んで、ご馳走食べて・・・
 と、やりたいところだったが、仲間も居ないし、今日チョロンで買ってきた雑貨のパッキングが何もやってない。
 酔っ払って、ちゃんとパッキングせずに寝てしまい、翌日、おおわらわになるのも大変だ。
 と言うワケで、最終日だけど控えめにして食事は済まそう・・・
 (正直なところ昨日飲みすぎて胃の調子が万全でなかったのだ(;´д`)ゞ)

 う〜ん。軽く済ますにしても・・・何を食べようかいな?
 ま、夜だけど、フォーくらいなもので簡単にすまそう!と、その辺をウロウロ探索。
 なんか結構、人の出入りが多そうな屋台を発見!

 とりあえず、もう面倒くさくなってきていたので、そこで済ませることにした。
 なんと!メニューが日本語で書いてあった!ビツクリ!ここでも日本人旅行者の数の多さを思い知らされた。
 「ヤキソバ」と書いてあるものがあって、それをオーダーしている最中に、
 背後から日本語で声をかけてきた人物が居た。「イクミさん」だ!

 「こんばんは〜。お一人ですか〜?良かったら一緒に食事してもいいですか〜?」
 なんだかスゴイ自然体だったよ。彼女。う〜ん、上手く言えないんだけど、初めて会ったわりには、以前も
 会ったことがあるような・・・そんな感じ?
 彼女も卒業旅行。カンボジア:アンコールワットをまわり、
 ホーチミンから明日(実際には今日の夜中)帰国ということだった。

 でも、まあ、よく私に声をかけてくれたなあ〜って感心!
 というのは、実は私はこの日、まともな食事をしていなくて(炭水化物は、ブランチにバインミーを食べただけ)
 メチャお腹が空いてて、フラフラこいてたんだよね。で、モノスゴイギョーソーをしてたはずなのだ・・・。
 ま、でも、声をかけてくれたお陰で、私はとても楽しい夕飯になったから、結果、良かったのだけど。
 それに、なんと言っても「ホビロン」を初めて食すことが出来たのも、イクミさんのお・か・げ★サンキュ〜!


   <イクミさんと、ホビロンを食す@屋台>       <コ、コレがホビロン拡大写真でっす!>
                ↓                      な、なまなまし〜い・・・・・赤黒いスジ
         一個2,500ドン=約20円             が見えるのは、血管・・・。||||

  ホビロンとは何ぞや?
  無知な私は、知らなかった・・・。
  アヒルの有精卵で半分ふ化しかけの卵だ。
  イクミさんはゲテモノ制覇を目指していた。(笑)
  そんな「今日のゲテモノ」を、私も興味津々、恐る恐る食させてもらった。
  
  まず、卵スタンドにのった卵を、スプーンの平たい部分でカンカンと叩く。
  ヒビの入った箇所を取り除くと、右上の写真の状態になる。
  それをスプーンですくって食べるのだ。

  お味は・・・。
  う〜〜〜む。
  なんだか、ゆで卵を食べているような?鶏肉を食べているような?中途半端な不思議な味だった。
  不味くはなかった。
  ただ、見るからにグロテスクだったのは言うまでもない。
  殻を割った途端、血管がはりめぐらしているのだ。
  時折、羽のようなものがあったのは気のせいだろうか?いや、ある筈だ。
  だって、半分、孵化しているんだもん。

  私は少しだけ試食させてもらったのだが、イクミさんは最後までイッテシマッタ〜〜。
  「あれ?コレって何?ひょっとして、く、くちばし???」
  と言う場面があったが、「まさか・・・」で過ぎていった。
  イクミさんは完食してしまった。(驚?!)
  
  帰国後、ホビロンについて調べたら、嘴は当然出来ているとのことだった。
  おおお・・・(||゚Д゚)ひぃぃッ!(゚Д゚||)
  
  
  実は、ここでイクミさんとあ〜だこ〜だ盛り上がっている時だった。
  
おお〜〜!タケシじゃないか〜!
タケシと再・再・再会を果たしたのだった。

タケシもここで合流し、ホビロンを注文!
そして一気に食べてしまった・・・。



<ホビロンとタケシ>


  

*帰国当日・・・
  昨日の夜は、2時くらいまでパッキング等の帰国の準備で起きていた。
  目覚ましを持っていない私はユックリ寝ることが出来ず、朝5時半には目が醒めてしまった。

  6時に外に出ると、もう街はすでに動いていた。

  最後の朝食を近くの屋台で済ませた。
  昨日食べるつもりだった「フォー」だ。
   
      <PHO:フォーの屋台>                     <PHO:フォー>

  朝食を済ませて、宿に戻った。

  おとつい泊まった「PEACE HOTEL」とは違う、その正反対の裏通りにあるホテルだった。
  1ドル安かったものの、ものスゴイ扇風機だった。
  プラグのカバー(ハード部分)が壊れていて、新しいものと取り替えてくれと言ったら
  外出中に直しておいてくれたらしい・・・。
  部屋に戻ると、直したのではなく、銅線をそのまま、コンセントに差し込んであった(||゚Д゚)ひぃぃッ!(゚Д゚||)。
  知らずに触れてしまったら、お、おぞろじや・・・。

  ま、そんな、こんなだったが、親切な人たちばかりに出会えたほうだと思う。

  恐らく30kg以上あると思われるアノ「ダンボール」をシンカフェまで一緒に運んでもらい、
  空港へ向うバスを待った。
  シンカフェの前は、相変わらずスゴイ人込みだった。

  どうやら、私と同じ時間帯に空港へ向う旅行者がいるらしい。
  2ドルのキャッシュバックをしてもらい、車に乗り込んだ。

*学習院の2人・・・
  同乗したのは、日本人の男の子2人だった。
  大人しそうな感じの2人は、学習院の心理学を勉強する1年生だった。
  
  しかし、話し出すと、そうでもなかった。
  2人はちょくちょく海外に旅に出ることがあるらしかった。
  大学一年生のうちから、イロイロな世界を見れるというのは、本当に幸せなことだ。
  彼らは、時間が許す限り、いろいろな国を見ようと、飛行機でラオスまで飛ぶと言うことだった。
  帰国ではないが、同じ国際線だった。

  
  
*ドキドキのチェックイン・・・
  搭乗までは、彼らと一緒にいた。
  そろそろ緊張の時がやってきた。
  というのは、問題の搭乗手続きだ。
  
  私の手荷物はフツーではなかった。
  同じ方面へ(名古屋)まで帰る人が、その場にいれば問題はなかったのだが、そんな人はいそうにもない。
  もし重量オーバーすれば、最悪、そういった人に荷物を少し預かってもらおう!と安易な考えをしていたのだ。
  
  ああ、神様、どうか、スルーで行けますように・・・。

  自分なりに、最大限の努力をした。
  かさばらず、重さのあるものは、バックパックにいれ機内持ち込みに。
  かさばって、軽いものは、ダンボールに詰め込み荷物預かりに。
  そして、入りきらなかった服は、出来る限り腰に巻きつけ、小物関係はポケットに押し詰めた。
  はっきり言って、ハイジが初めて山へ行く時の状態だった。(苦)
  見た目、小さくなりスッキリしたバックパックはまるでデイパックのように変身していた。
  学習院の彼らの心の協力を得て、私はチェックインをした。
 
  私は緊張のあまり見てはいなかったが、
  荷物(ダンボール)を重量計に乗せた瞬間、35kgは軽くいっていたと言う・・・。
  エコノミーの重量上限は20kgまでだ。それ以上は追加料金が課せられる。
  かなりいい加減?ぶっ壊れている重量計なのか?徐々に重さは減り、最終的に26kgに落ち着いた。
  メチャ、ドキドキだったが、涼しげな顔をして、やりとりを続ける。
  ・・・そして、搭乗券を渡された。

  あれ?
  問題ないようだ。
  ふ〜〜〜〜〜っ。良かった〜〜〜〜。セ〜〜〜フ。

  かくして、私は学習院くんたちと別れ、
  一路、マレーシア・クアラルンプールへと向った。
 

  初めてのベトナム!
  良かった!
  また来るよ・・・


  
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