Thanks for your visiting!


トップページへこのサイトについて掲示板メール
花京院を探る
花京院典明データ
性格分析
スタンドの特徴
花京院はなぜ死んだのか

荒木世界検証
奇妙な例え
遊び心
作風の変化について

短編を読み解く
デッドマンズQ

登場人物
キャラクター紹介
「無駄無駄」を分析する

作品紹介
連載作品
短編作品

その他
編集後記
本の紹介

掲示板

Mail

Link  

デッドマンズQ

「ジョジョの奇妙な冒険」第四部の最大の敵である吉良吉影のその後の生活を描いた作品。彼は現世(この世)で生活しているが死んでいるので肉体を伴わない。つまり意識の集合体、霊魂だけで存在している。ぞくにいう幽霊である。吉良は死んだ後も心の平静を望んで日常を送る。見晴らしの良い部屋、誰にも邪魔されずに本を読んだり音楽を楽しめる環境を探して過ごす。

 『デッドマンズQ』を読んでまず気がついたことは荒木氏の幽霊に対するものの見方である。幽霊を題材にした作品は別段珍しくもない。この作品で特徴的だったのは幽霊の行動規制である。霊魂だけの存在である主人公はひとの住む部屋に入るのに四苦八苦する。これまでの一般の幽霊は肉体を持たないから窓でも壁でも自由に通り抜けて出入りしてきた。そこに障害は存在しない。ところがこの作品では幽霊が誰かが居る部屋に入ろうと思ったならばそこにいる人間(または幽霊)に入ってもいいという「許可」を得なければならない。主人公・吉良は目的の部屋に入るため配達員のふりをしたり部屋に実際に電話したりと工夫をこらす。作者・荒木氏は巻末で「死後の世界、もし魂が残っているのなら、それはなんでもありの世界ではなく、この世と同じ『ルール』があるはずだ。幽霊も生きている時と同じか、それ以上に苦労しなくてはおかしい…という発想で描いた」。と作品の着想を書いている。

 この作品の中では幽霊は他人のいる限られた空間に入る場合にはその場にいる者の魂の許可を得なくてはならない。居住を目的とした家や建物、部屋への侵入は許可がいる。電車も他人の後にぴったりついて出ていることから通り抜けは出来ないようだ。お金をきちんと支払って新幹線に乗っていることからも課金して初めて通行可能になる場所は、それなりの対応が必要そうだ。本屋のように入店に規制のない場所は自由に入れるようである。死んだ者も生きている時と同じように社会規範の枠組みの中で生活している点が面白い。



 そしてもう一点気にかかったのは幽霊の物への接触である。主人公はひとのいる部屋には任意で入ることはできないが一度入ってしまえば、その部屋の中にある物を持ち出すことも出来るようであるし壁のどの部分からも出て行くことは可能のようである。実際彼は侵入した部屋でナイフを頂戴している。また奇妙だったのは女性と偶然接触した際、吉良の体が女性と触れた部分からぶつりと切断されてしまったことだ。「こっちから生命に触れるのはいい…しかし触れられるのは魂がヤバイ」と彼は言っているが一体これはどういうことだろうか。どうやら幽霊にとって他の魂との接触は至極危険なものらしい。ただ意識だけの存在ゆえか他の魂に意図せず触れると体はその安定を失い、ちぎれてしまう。幽霊が他人の居る部屋に侵入できないのもその部屋の中に部屋の住人の魂の影響が及んでいるからと考えられる。部屋を支配しているのがその場の人間の魂や意識であるなら作者の持つ人間の魂・意識のイメージは偉大で尊いものとなるだろう。「ジョジョの奇妙な冒険」のスタンドに見られる”はっきりとした強い意思で動かせる”という理念に共通する。物体は吉良がどのように認識、受け取るかによって実際の取り扱いも変化してくる。ナイフが棚に掛けてあるとき吉良がそれをナイフと認識し握ろうと意思を持てば実際にナイフを握ることができる。ところが同じ状況でも吉良がそれをただの壁またはそれを装飾する物としか認識しなかったならば彼はなんなく通り抜けて隣の部屋に移動するだろう。これは物には魂が宿らないといった価値観が側面に存在して初めて成立する(吉良が家や建物を形成する素材にも魂が存在すると考えていたならば、彼はどこにも出入りできなくなってしまう)。こうした考え方は西洋において一般的だ。東洋では例えば日本は古くから物には神が宿るとされてきた。石にも山にも河にも八百万の神が宿り、人々はそれを拝み畏れて生活していた。これに対し西洋では神を自然の中に見るような考えはしない。部分的ではあるが作中の物の捉え方、スタンドの定義の仕方どちらも荒木氏の価値観が西洋的であることを物語っている。

 私は荒木氏の作品を読む度に西洋的なにおいを感じていた。どことなく西洋的な風が作品中を吹いていると感じていた。そのかすかな感触が決定的なものに変化したのはDIOに倒されたジョセフの魂が外に出てきた場面だ。日本人の多くは肉体自身が生命の証のように考えることが多い。ひとが死んでもその遺族は死者が気の毒だからと、死体の解剖などをひどく嫌う場合が多い。死亡事故などが起こっても遺体の状態が悪いと遺族の悲しみはより深くなる場合もある。これらは肉体と魂とが同じであるからという価値観が背景にある。これに対し西洋では魂は肉体とは離れてもしっかりと存在すると考えることが多い。日本人とは対照的に遺体の解剖などにもさほど抵抗はないようだ。魂と肉体の別存在を信じるゆえの反応の差だろう。このジョセフの魂が現れる場面にしてもそれは同様に見られる。このような死者が光に包まれて天に昇ってゆくというのは西洋において強いイメージとして受け入れられている。荒木氏の死に対するイメージが窺える重要なシーンだ。荒木氏が西洋的な価値観を身につけたことは氏が洋画やロックミュージシャンの影響を受けていることと無縁ではないだろう。外国の地を多く旅行することによって西洋に広く受け入れられている現実的、合理的な価値観を得たのかもしれない。なんにせよ西洋的な観点から作品が創作されている点が非常に興味をひかれた。




画面上へ
home
Copyright(C) 2004-2005 荒木飛呂彦論 All Rights Reserved