S君の避難日誌

2011年4月5日(金)
復興へ
アトリエは間一髪無傷でした。
しかし母屋は立っているものの内部は津波に洗われ、畳や家具はすべて使用不能に。
豊間の町はほとんどガレキの山に変わっていました。

これから復興の作業が始まりますが、なかなか見通しは立てられない状況です。

これで一応「S君の避難日誌」は終了致します。
復興の報告はまた別のかたちでさせて頂きます。

ありがとうございました。

2011年3月31日(木)
いわきへ
おはようございます。いわきにもガソリンがそろそろ入って来たようです。

一昨日、一緒に避難しているHさん夫婦が、朝早くここを出て豊間に行き、様子をみて、夕方に帰って来たのでいろいろ話しを聞きました。

一緒にいる7人で相談した結果、4月2日にいわきに帰ることになりました。

放射能はまだ止まらず、アトリエには電気も水道も通ってないけど、家の片付けもあるし・・・


2011年3月28日(月)
ハイキング
今日は朝からいい天気で、数日前に画廊喫茶店の主人の提案があったハイキングに行って来ました。高さ248メートルほどの山で、避難している人7名とボランティア10名が参加しました。

心地よい汗をかいた後、昼食に焼き肉とビールをご馳走になりました。いろいろな心遣いに感謝です。

原発の放射能放出は止まらないけど、仕事のこともあり、昨日は近くに陣どっていた2グループがいわきに帰って行きま した。私達もそれぞれ仕事のこともあり今月いっぱいには帰る話しをしています。


2011年3月26日(土)
四ッ倉のグループ帰る
今日(26日)は、いわき市の四ツ倉から避難していた5人ほどのグループが帰って行きました。

お昼には近くの中学校の生徒による野菜のたっぷり入ったカレースープの炊き出しがありました。美味しかったです。


2011年3月24日(木)
小雪の夜
夜、小雪がちらついていました。

体育館内でフルートの独奏会があり、「春よこい」や「時代」「川の流れのように」など聞きました。

小さかった体育館のテレビが大型に変わり、洗濯機が設置されました。

2011年3月23日(水)
温泉
近くにある「さくらんど温泉」の無料入浴券が配られ、皆で温泉に入ってきました。

露天風呂もあり近くに雪山もみえ最高でした。大広間で久しぶりにビールも飲んでしまいました.。

原発事故もなんとか最悪の事態にはならないようだけど、すでに相当の放射能が放出し、いまだに放出が止まる見通しがたたないようで・・・困ったもんです。

2011年3月22日(火)
村松公園を散歩
今日は天気が良かったので、午前中近くの村松公園というところを散歩してきました。

ひんやりとした外気の冷たさが快く感じられました。

午後はコインランドリーで洗濯をしてきました。
体育館に帰ると訪ねて来た人がいた、と言うので 誰かと思って確認してみると、一昨日洗濯に行ったとき立ち寄った画廊喫茶店のオーナーとのこと。

電話してみると、お話しがあると言うので、Hさん夫婦と私の3人で喫茶店に行ってみると、

「私達がよく行くそんなに遠くない所に150メー トルほどの山があるのだけど、気分転換に一緒に山登りしてみませんか?」

と誘われました。

避難所生活での運動不足と気分転換を配慮した提案に、有り難く参加することにしました。

ここ五泉市はとても水が美味しいとのこと。まだ断水が続いているいわきに帰る時には、ポリタンクを買って水をお土産しようと考えてます。

ここは22時消灯です。おやすみなさい

2011年3月21日(祭)
いわきに残った姉からのメール

今日の姉からのメールです。

「・・・・・・・・

原発の問題も、東北大学の名誉教授でいわきに住んでいる先生の話では、これからも政府、東電、アメリカの軍隊で対処し、最悪の事態になったとしてもいわきは大丈夫だろうと言ってました。それを信じて頑張ります。

今日の朝、水道がでました。さっそく風呂に入って十日ぶりに頭を洗い、水のありがたみをつくずく感じました。

こちらも今日は雨です。外に出ない様にしてます。

四時から植田(うえだ)公民館で在宅避難の人に食料を配るそうです。我家はまだ間に合っているしマルト(スーパー)に行けば買えばるので行かないけど。

とりとめのない文になりました。では又

                       ・・・・・・・・」


2011年3月21日(祭)
新潟は雨です

今日は朝から雨の為、私達のグループの軽い糖尿病のHさんは、体育館内を5キロほどウオーキングしたそうです。

トレーニングルームでもバイクを漕いだりする人も多くいました。

昼食は玉子丼ぶりにとん汁の差し入れがありました。美味しかったです。



2011年3月20日(日)
避難先での人情

朝食後、グループの4人で、車で5分ほどにあるコインランドリーに洗濯物を持って行ってきました。

乾燥機で乾かしている間、コーヒーでも飲もうと近くにあった画廊喫茶店に入りました。
店主や常連客二人とコーヒーを飲みながらいわきの災害について話したあと、精算をしようとしたら「いいです」と言うので、甘えさせてもらいました。おまけに飴やチョコレートももらって帰ってきました。

4時頃隣接する老人福祉センターの風呂に入って体育館に入ろうとしていたら、60才ぐらいの男が近づいて来て、おそるおそる私に「避難された方ですか?」というので「はい」と答えると、「実は皆さんにと思って・・・」と、ストロー、手袋、スリッパ、タオル、湯タンポ、防災頭布など持ってきたので使って欲しいとのこと。
いわきの被害状況などをかいつまんで話したあと、品物を受け取り別れました。

全く新潟の人達の温かい心情に触れた1日でした。


2011年3月20日(日)
温かい食事

朝食は写真の鮭弁当が出ました。

町のスーパーにも十分商品があり、そこでちょっとした副食品を調達できます。


2011年3月19日(土)
体育館に移りました

今日、午前中に移動完了しました。

村松体育館「さくらアリーナ」。

できたばかりの体育館で500人ぐらい収容できるそうです。いまはスペース全体の8割は空いてます。
体育館に隣接して老人福祉センターが新築されていて、そこの風呂が午後2時半から午後7時まで利用できます。

食事は朝昼晩・二個程度の軽食が出ます。
町では買い物も食事も出来ます。
一週間ぐらいなら十分滞在可能な環境です

布団を敷いて寝れます。今日の夕食はホカホカの海苔弁当でした。


2011年3月18日(金)
体育館に移動

今夜8時、市の担当者から明日は体育館の方に移動する旨話がありました。
避難者がどんどん増えている為500人ほど収容できる体育館を避難場所にしてお世話するとのこと。

近くにここと同じような老人福祉センターがあり、そこの風呂を利用でき、寝具はここの布団を持って行っていいとのこと。高齢者用のベッドも用意します。と言うわけで明日朝食後ここから車で15分ほどの新しくできた体育館に移動することになりました。

今日は近くのコインランドリーで洗濯をし、その間マックでコーヒーを飲みスーパーにも行ってきました。生鮮食品もいっぱいありました。
今日の夕食には、野菜の煮物の差し入れもあり有り難く美味しくいただきました。
2011年3月18日(金)
五泉市へ
 
平工業高校の体育館を午前9時半、隣組のHさん夫婦と私達の車二台で新潟に向かって出発し好間インターから磐越自動車道にのりました。

いわきからの避難者は高速道路の通行・料金無料でした。天気は晴れ・路面に雪も無く通行車両もあまりなくドライブ出来ました。
安田インターで降り、五泉市の老人福祉センターというところにに4時少し前に着きました。

一週間ぶりに風呂に入って、五十畳ぐらいの畳の部屋に布団を敷いて寝れます。
夕飯として・二個とワカメの味噌汁をいただきました。

ただこれから避難者が多くなってくると、ここには長くは居られないようです。原発事故の状況をTVで見ながら今後の行動を考えています。

母は元気でおります。


2011年3月16日(水)
不安な日々

いわき市平の平工業高校の体育館に現在250人ほどがに避難してます。
こちらは7人グループてすが、昨日早朝一人が娘さんの居る横浜へ行きました。親戚の夫婦もすぐ近くの娘の家に行っていて、今は4人です。

昨日は家に行って来ました。
奈々にえさをやっていたら、地震の後姿が見えなかったヤヤがミャーミャー鳴きながら来ました。

地震直後は辛うじて立っていた倉は、度重なる余震で完全に潰れていました。

原発事故はまだまだ予断を許さない状況で、20キロ以内の人達もいわきの避難所に避難しているようです。原発事故の最悪の事態は避けられると思いますか?

2011年3月15日(火)
原発事故

今朝も爆発があったようで、かなり深刻になっていますね!ここは原発から40キロほど離れてますが最悪の事態になっても避難しようも無いと思っています。

地震津波原発事故のトリプルパンチ・ですね。


2011年3月15日(火)
兄が来る
 
昨日からようやく電話もメールも通じるようになり、兄達がオニギリを届けてくれました。

先輩のKさんたちも無事だとのメールを、東京の同級生のYさんからもらいました。

2011年3月14日(月)
避難所の暮らし
 
避難所では、食料はこの3日間おにぎりが1日に一人一個しかありません。他にはカマボコとペットボトル一本ぐらい。
1日目の夜はもらったペットボトルのお茶と、せんべい、チョコレートでしのぎました。

とにかく平工業高校の体育館に避難しても、お茶は1日一人一個といった状況で、みんなめいめい調達したお菓子などで何とかしのいでいます。

いまここには250人ほど避難してます。灯油の備蓄もあまり無いので、大きなヒーターが2機あるのですが先ほど2時ごろからようやく火を点けました。
私はダウンジャケットを着たまま毛布にくりまってますが寒いです。

トイレは断水のためプールから水を運んでバケツで流してます。2箇所あるトイレの一つは詰まって使えなくなっています仮設トイレはまだ設置の見通しもない。


2011年3月14日(月)
時雄(鶏)と奈々(猫)は無事
 
時雄は翌日朝家を見に行ったら、瓦礫の散乱した庭で鳴いていました。

昨日午後また家に行ったら奈々がいました。

えさを探して洗面器いっぱいえさをあげてきました。
時雄にはモミを与えてきました。

ヤヤの姿が見当たらなかったです。

2011年3月13日(日)
平工業高校の避難所へ
 
昨日3時ごろ、塩屋崎カントリーから平校の体育館に避難してきました。Tさんたちと一緒です。

昨夜は毛布にくるまって体育館の床に寝ました。

豊間、薄磯の海岸から100メートル一帯は、津波で家屋はほとんど流され壊滅状態、Mさんは行方不明。

原町も7割ぐらいは津波で家屋が流されました。

我が家は大屋、納屋は立ってますが、中はめちゃくちゃです。倉と木小屋は傾いてます。

アトリエは無事。