真女神転生VNocturneに対する考察



(注)一部ネタばれを含みます。御憂慮下さい。



千晶の謎

渋谷や池袋で千晶が出てきますが、悪魔化した主人公が仲魔を連れてなんとか抜けられるような個所―私は数回全滅しましたが―を千晶はどうやら一人で抜けて来たようです。能力的に何か矛盾を感じますが、では千晶は弱いのでしょうか?少なくとも千晶自身はそう思っていないはずです。
 理由は千晶のコトワリです。「強者のための楽園」は強者のためにあるのであって、弱者のためにあるのではありません。ですので、弱者が強者の楽園を作るという事は有り得ません。
―尤もマゾなどの特殊な価値観があれば別ですが・・・―
 上記理由により、千晶は何らかの「強さ」を持つと考えます。


何か違う

私の中ではペルソナは人間の主観、真女神転生は社会など客観を重点としているとの理解です。今回のNocturneは印象としては主観と客観の中間といった印象です。何かコトワリという概念がロウやカオスといった強烈な対立概念と成り得ず、その手前で止まったとの印象があります。また、真女神転生名物の分岐が少ないようにも感じました。

三角にならない?

真女神転生と言えばロウとカオスというのは、ツーとカーのようなある種のお約束です。Nocturneではお約束を破り3つの思想が存在します。「シジマ」「ヨスガ」「ムスビ」です。
元々はシジマとマントラ軍がロウとカオスとなっていたのですが、ナイトメアシステムの前にマントラ軍は壊滅します。ここでまずロウとカオスの対立が消滅します。まず、ここでシジマ一人勝ち状態になりますが、主人公がナイトメアシステムを無力化します。更に先生が守護を受けますが先生はコトワリを持たないので、シジマの敵対勢力には成り得ません。後に「ヨスガ」「ムスビ」が発生しますが、ほぼ終盤です。大部分がシジマ優勢の状態で進むため、3つの勢力があるにも関わらず、それらが敵対するタイミングがあまり有りません。3つの勢力が出来上がった後は、全勢力が主人公に向かう形となります。3点対立だと、対立以外のバリエーションが考えられるので、分岐により幅が出来そうに思えるだけに生かせない事は惜しいです。

氷川君失態続き

「三角にならない?」で述べましたが、シジマはナイトメアシステムを無力化され、「ムスビ」「ヨスガ」の守護が現れるような大量のマガツヒを放置しているのは、どう考えても失態だと思います。氷川君は頭よさそうに見えて、詰めは甘い感じです。冷静を装った激情家と考えると割合しっくりとくるように思います。

マガツヒの色

マガツヒは赤いです。
マガツヒは苦しみです。
余り関係ないかも知れませんが、苦しみを食べる天使は絵的に変です。
宗教的苦悩を食べるなら、まだ解らないでも無いですが、やはりおかしいと思います。 赤は真女神転生では代々カオスの色です。ロウは青や白がイメージカラーです。 そう考えると、ボルテクス界はカオス―物が存在する前の混沌―であるとの定義も 考えられます。だからロウがボルテクス界に存在していない事を示しているのかも知れません。
しかしながら、原初の混沌を示すなら、可能性の海なのでやはりほかの色も混ざっていないとおかしいような気がします。

ムスビの可能性

「ヨスガ」「ムスビ」はコトワリを作った人間の年齢が若いせいか、思想自体が若いように思えます。個人的には、若さは「成長」に代表される「変化」の代名詞と私は思っています。
まずムスビは、他人と関わらない事と定義します。(これで世界が作れるのかとても心配なのですが・・・) 他人と関わらない事は、突き詰めれば「精神体としての自己の保全」を指していると思います。飛躍して、「他人と関わろうとも、揺るがない自分の確立」とすればどうでしょうか?ここまで来ると、最初の「引きこもり」より大幅に格好良くなります。こういったコトワリの進化と共にノアの姿が格好良くなったりする事を想像すると、ちょっと興奮します。 余談ですが、人は単一で社会を築く事はできません。他者との関わりを社会と呼びます。「ムスビ」によって作られた世界がどのようなものか、割合と興味があります。はっきり言って想像が出来ません。

ヨスガの可能性

「ヨスガ」は能力至上主義です。ただ、選民思想、中華思想、身分制度など、生まれ持った性質によって決定するのもではなく、あくまで能力によるものです。この点は非常に好感が持てます。如何せん今回は、マントラ軍のカオスを受け継いだような形になってしまったので、「弱者を弄ぶ権利」のようになっています。捉えようによっては究極の上昇志向となるのですが、そうではないので残念です。
後、ヨスガで最も優秀な者を打ち破ると瓦解する気がします。

終わり続けるシジマ

シジマは永遠の静寂です。個人的には、大なり小なり変化がなければ、それ以上の時に意味は無く、そこで終わりだという論に賛成しているので、シジマは「完成して終わっている」といった感じで捉えています。少し深く考えて、無理やりにこじつけると、「変化の無い完全世界」と取れるかもしれません。
私が理解し辛いのは、私自身の中ではシジマが「魔王の思想」となっているためです。魔王の思想というのは、人類を滅ぼしたり、世界を無に返す事を目的とするような思想と考えて下さい。シジマは人類に停滞をもたらします。
 時に止まる事も重要なのですが、止まり続ける事は難しいのです。 「一生じっとしていなさい」と言われる事に似ているのでしょうか? 我慢できる人間はいないでしょう。
ともかくこのコトワリだけは、個人的に受け入れたくないと思います。

コトワリを混ぜてみる

「永遠の静寂」と「他者と関わらない」は場合によっては交わりそうです。 この2つのコトワリが混ざると、かなりきつそうな世界が出来そうです。 ヨスガが台頭して、敵の敵は味方という論理で、同盟関係になったり
・・・如何にもしなさそうです、勇が。

まとめ

「ヨスガ」「ムスビ」は多分折る事が出来るでしょう。
また、「シジマ」は停滞を示す世界です。
全てのコトワリは、何らかの矛盾を根本に内包しているので、現実世界より劣る世界と 言う事が出来ると思います。
 また、一つのコトワリを選択する事により、その世界は矛盾を許容できる容量が 大幅に減るのだと思います。
 ニュートラルエンディングとして「無い」コトワリ、現実世界の回帰を選択する事は 妥当だと思いますが、「ヨスガ」以外は力で勝っても意味は無いように思います。
根本にある矛盾点を指摘して、その点から崩すとニュートラルエンディングは より綺麗な形でまとまるのだと思います。

先生への不満

個人的には、ニュートラルエンディングは先生がコトワリを作ってほしかったです。先生はコトワリを持たないのではなく、「無い」コトワリに気づいてほしかったです。
それと是非ヒロインになってほしかったです。
コンゴトモ オモドリ