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豆味噌純情物語


創業六百六十有余年 

八丁味噌が受け継がれてきた秘密とは?

こめ・みそ・しょうゆアカデミー準備会


お話:八丁味噌 社長 浅井信太郎さん


6月24日(土)


八丁味噌は、2メートルもある仕込み桶に大豆麹を入れ、5トンを超す重石をのせて3年間熟成させるという、
昔ながらの製法を今も守り続けています。長い間、人々に受け継がれてきた伝統の味の秘密を
まるや味噌店(NHK朝の連続テレビドラマ「純情きらり」の舞台モデル)の
社長浅井信太郎さんにお話していただきました。



<八丁味噌とは?>

 大変貴重な時間を、この会場にお越し頂きましてありがとうございます。
私は愛知県で八丁味噌を作っております、まるや八丁味噌の現在の当主であります、浅井信太郎と申します。現在57歳、昭和24年の生まれでございます。
私のところの味噌蔵は、文献に1337年といった記載もあることから、1337年を創業としています。実際に八丁味噌と呼ばれ始めたのは1500年代、江戸時代のやや前の戦国時代と言われております。創業年から約650年、今日まで八丁味噌を造り続けております。

愛知県岡崎市の旧八丁村で造り続けてきたのは私ども、まるや八丁味噌とカクキュー八丁味噌の2店のみです。

NHKの「純情きらり」の中で石積みを見られましたでしょうか。ちょうど左の方に写真がございますが、これが私の蔵です。石を高く、たくさん積んで二夏二冬寝かせた味噌、というのが八丁味噌です。私どもの商品は、料亭などで使われることが多く、ほとんど一般の市場にお持ちすることはないので、皆様方にはあまりなじみのないものかもしれません。この機会にぜひ皆さんにも八丁味噌を知っていただきたく、後ほど、私が家で焼いてきた味噌をご賞味いただきます。
 






<八丁味噌の作り方> 

ここに味噌蔵が載っております。ちょっとばかり余談になりますが、この蔵の左の通路は、NHK連続TV小説“純情きらり”子どもの頃の桜子ちゃんが、おじいちゃんに蔵に入るなと怒られ、そして逃げて走って行くところです。そこで弟と会うのですが、そこから右の方が桶の中に落ちる所なのです。ここに梯子がかかっていますよね、皆さんにお渡ししたポスターのなかに蔵の梯子が載っている写真があると思いますが。この梯子をゆすって桜子ちゃんが桶へ落っこちる、そういうシーンがここに出てきます。左の方の写真はちょうど200年ほど経っている蔵です。
 
さて、それでは八丁味噌の造り方から説明しますと、原料が大豆だけ、ということです。大豆と塩、そして水だけを使ってできる味噌、これを八丁味噌と言います。これは大豆を全麹にするのですが、この作業は原則冬場に行います。そしてこれから二夏二冬以上の歳月をかけて出荷できる状態になります。かといってすぐに出荷するわけではありません。出荷の状況によってそれが3年になったり、それ以上になったりすることもあります。原則的に約2年から3年半の間に出荷します。
 
味噌組合では、単位を“何ヶ月で出荷”と言いますが、私どもの蔵では春夏秋冬の季節単位が一つの目安です。月数ではありません。冬から始まるということが一つの目安で何年という言い方はしておりません。ただし従来の“足掛け三年”の呼称も不明瞭な言い方、誤解を生じるということで、月数・年数にするよう指導を受けております。これも少し無理な話です。冬に仕込んで・・・というのが私どもの味噌ですから。
 
今も100%木の桶で仕込んでおります。このように私は杉桶を土間の上に置いて固定しております。これは一つの信念でもあります。味噌は生きている、その中には微生物がたくさん世代交代をしながら100年、200年、300年と生き続いておりますので、地のエネルギーと天のエネルギーが交わる所に桶があります。地に近い方がいいということで土間に置いてあります。通路はコンクリが敷いてありますが、桶の置いてあるところは通常土間にしてあります。
 
八丁味噌を造るときに大豆麹をつくります。米味噌は米を麹にしますね。大豆麹はちょっと難しいです。というのは、一定量以上の量を作らないと水分や糖分が少ないために枯れてしまうのですね。野球ボール大の大きいくらいのものに麹を付けるんですが。これは、熟成期間が長いため、麹菌の酵素、大豆菌からの酵素をたくさん作り、pHを低くし乳酸を多く作る状態にするためです。これは、長期熟成に耐えるための麹作りです。そうすることによって大豆の中の約30〜35%のたんぱく質を急ぐことなく時間をかけ、ユックリそしてユックリと小さなアミノ酸類に分解させます。じっくり、じっくり春夏秋冬の時を経る。時間をゆっくりかけてゆくために大きな麹を作るのです。

そして、塩分と水分を極端に少ない状態で発酵させます。こうして仕込みの完了です。できあいは普通の豆味噌に比べて、八丁味噌は硬めで、こくの深さが特徴です。仕込みの過程に多くの蓄積された“八丁味噌の伝統・技”が生かされます。実は、あえて熟成を遅らすために、塩分と水分を少なくしてあります。一般ですと途中、発酵促進のため天地返しというのをやります。八丁味噌はこれをせず、自然に杉桶中の水分が還流できるよう石のピラミッドが綺麗な直線で積まれているんです。
 

<わざと不均一に仕込む理由とは?>

木桶の中へ、大豆麹と塩を混ぜ合わせ、麦を踏むように下段から踏み固めながら、あの木桶の中に下段・中段・上段と3つの層に分けて不均一に仕込みます。仕込を終えてからは、出荷までは一切手を加えませんので、熟成期間の二夏二冬以上過ぎた後に均一になるように仕込んでおります。これはずっと昔からのその仕込み帳の通りに江戸・明治・大正・昭和・平成の現在まで続けております。
最上段に布を一枚敷き、あと直接石を積み上げて行きます。この写真のように石組みがひとつずつ登っていきます。あの下は布一枚のみです。私ども八丁味噌は仕込みのはじめから固いから大丈夫なんですね。
 
こうして冬に仕込み、春から夏と季節が移り変わるに従って、木桶の中で八丁味噌は発酵して、石が次第に登ってきます。夏を過ぎた9月くらいに最高地点に来ます。10・11・12月に従って徐々に降りて行きます。そしてこの、ピラミッドの形が崩れないで降りてくると、これは発酵が十分均一に進んでいることが判ります。そして冬、2月ごろになるとまた元の定位置に戻ってきます。また次の5・6・7・8月で再び昇ってきます。これを繰り返すんですね。石が積んである線が写真で見えますが、線は必ず真直ぐなっていますね、蛇行してはいません。これは非常に細かいことなのですが、桶のあらゆるところ、表面も中も同じように発酵させたい、不均一になってはいけない。不均一に仕込んでありますが、上がったり下がったりすることで、自然に調整できる、合わせてくれる自然の力があるのですね。自然に混ぜ合わせてくれるのですね。

お客様にお分けする時に、スコップで一個一個切り出しながらお渡ししています。今日まで上段と下段と味が違ったと、たとえば長年使っていただいている京都の吉兆さんからも指摘されたことはありません。これこそが不均一に仕込んで均一に作る岡崎独特の八丁味噌特有の製造方法なんです。ここに私たちの日本の国が持つ伝統文化が根ついているんだと自負しています。
 
多くの蔵は今も土壁です。私も土壁の文化と技術を残して行こうと思っていますが、維持費はばかになりません。また、この石を積むには、3人の大人が、約3時間は掛かります。そして5トンの樽の味噌を掘り出すのに矢張り4時間以上は掛かります。今もスコップで手堀りをします、上の方はまだ楽なのですけれども、下の方に行くと自分の背丈より上に掘り上げますから大変です。金属容器にしたりしては八丁味噌の特徴を失ってしまうので杉桶に執着しています。これは先祖が残してくれた600年の歴史の中で大事だと思っておりますから、敢えてコストをかけながら、現在もその商品を作り続けているわけです。







<時の権力に保護された味噌>

この八丁味噌、なぜ岡崎のこの地で生まれたのか、時々聞かれます。それは、三河岡崎一体は米よりも大豆栽培に適した土質で、高温多湿な気候であったこと。米が出来にくい地域であったこと、大豆は土質の悪いところでも出来る、そういう地域であったために大豆が豊富にあったこと。

そしてもう一つは、赤穂浪士で知られている吉良に塩田地帯が広がっていたこと。忠臣蔵も塩の戦いであったわけですが、吉良から岡崎まで、矢作川という現在の一級河川が流れ込み、帆掛け舟で塩座が開かれていた八丁村まで物資が運ばれたんですね。そこは物資運搬に大切な水運と、文化が交叉する東海道が交わる重要拠点ですね、それが現在の八帖町です。ここ八丁味噌の産地、八丁町であります。そのため、兵糧としての役割を果たしながら徳川家は、その家臣が岡崎から江戸へ、江戸から各領地へ移り、八丁味噌が次第に拡がっていったこと。 そしてそれが同時に兵糧として必需品であったことで、さらに徳川家に保護されながら存続されたと想像されます。従って東京駅の周りには岡崎に関わる地名がたくさん残っていました。そのことから八丁味噌が徳川家に深く関わり、そして塩の商いが水運と共に栄え、東海道の往来の中心に位置した八丁味噌の味噌蔵元が、時の権力に保護されながら八丁味噌文化が伝承されてきたと思われます。
 


<試食タイム 焼き味噌>

それでは先程申し上げた焼き味噌を、ここで召し上がって頂こうと思います。これは今、石が積んでありますね。あの中で発酵したものを取り出して、それに青しそ・ショウガ・ネギを切り刻んで、そして焼いただけです。どうぞ一つ、木樽から出してきたままの味噌を焼いてきました、遠慮なくお召し上がり下さい。食育という考え方の中では、今日の講演と、ぴったりするものだなと思っています。

味噌を食べるといった習慣はないかもしれませんが、一部の医院では、味噌を焼いてそれをご飯にかけたものを食事療法のひとつに使って貰っています。食べ物の中では、非常に波動が高く、陽性が非常に高いものといわています。熱を加えて焼きますと、波動がさらに上がると言われております。
どんな感じがしましたか?コクがありますか?
 
これは味噌ではありますが、辛くないはずです。すでに塩かどが取れてしまっているのです。それが熟成というものです。熟成というものが塩なれを起こします。そして塩かどが取れて、味噌汁にした時、舌でその素材の味が味わえるのですね。コクがありますので、具の味を引き立てます。これが当社の八丁味噌が専門店の料亭で使われることが多い理由だと思います。この近くですと、京都の吉兆さん等には直接蔵から商品を送っています。






<八丁味噌の危機>

ちょうど今NHKの連ドラは、昭和16年当時の時代に入っていますが、そのときに八丁味噌の値段が統制されました。その当時、私どもまるや八丁味噌と、もう一社のカクキュー八丁味噌の2社は、帝国議会に行きまして、統制価格はおかしいと国に訴えたのです。もちろん、なにをいっとるか、ということにはなるのですが、しかし当時の帝国議会の本会議で、17〜18ページに渡って八丁味噌に対する討議が行われたその議事録も残っています。最終的には、国の大変なときに八丁味噌というぜいたく品を造ることは許せない、どうしてもしたいならそれに塩と水を加え量を増やしてて売れと、国会から指摘され、私ども二社は止む無く八丁味噌の製造は中止致します、・・というのを新聞で発表しました。まもなくテレビの中で放映します。

実際製造と販売を中止しました。これは私どもの先祖がよく決心したものです。塩と水を入れて薄くして売ってしまおう、そんなことをしなかった。当然その時はひょっとしたら八丁味噌が閉鎖されたかもしれません。しかし国は閉鎖をさせないで技術伝承のための策は残してくれたようです。これが今日まで残っているのですが、そういったことを昭和16年に私共の先祖がやってくれたということですので、今の私はその意思を十分尊重し、本物の八丁味噌の製造を忠実にしなければいかん。安易に物は造らないようにと思っています。私らは僅か45人で年商は多くはありません。大きな商いの数字ではないんですけれども、このピラミッド状に積み上げる造り方をやめてしまったら日本からこの造り方と味がなくなってしまいます。
 
ぜひやめさせないで欲しい、名前をとらないで欲しいと、切に訴えております。テレビの中でも、私の八丁味噌の作り方を続けさせて欲しいと、やめさせないで欲しい、名前を取らないで欲しいということを切に切に訴えております。
 

<地域ブランドで再びの危機>

NHKではこういった日本の伝統や文化を残しておきたいという社風があるようです。ちょうど今回の食育フェアのような思いがありますので、大変心強く感謝しています。
 
米の味噌、麦の味噌、各々特徴と役割があります。八丁味噌は岡崎の旧八丁村に産する独特の歴史を持ったものを、敢えては八丁味噌と呼んでいます。豆味噌とはその製法・用途も異なります。また、米味噌と西京味噌も一緒にしてしまわないで分けて欲しいのですね。八丁味噌と豆味噌も一緒にして欲しくないのと同じように。豆味噌は、そこから日常生活に適合させた目的で重要な役割を果たしています。そのように分類してもらいたい。

京都の米味噌も同じなのですが、京都の白味噌も単に米味噌の一つとしてしまいますと、京都の文化が崩れてしまいます。そんなわけでぜひ、米と麦と大豆だけに分けないで欲しいなと思っております。それが先程、お話ししました名古屋のブランド問題ともなっております。愛知県の豆味噌はすべて八丁味噌と呼びます、と偉い方が決められましたが、やや乱暴な気がします。私は負けないように八丁味噌は岡崎の名、岡崎市民の商標ですと、肝に命じております。各々の味噌には各々の役割があります。これを無理やり一緒にしてしまっては文化が崩れてしまいます。習慣が崩れてしまいます。物質文化が繁栄する中で、精神文化をないがしろにしないような企業を目指したいと願っています。
 




大豆の麹

ところが、この頃テレビで、地域ブランド問題で八丁味噌が話題になっているのをご存知でしょうか。愛知県で作られる豆味噌を全て八丁味噌として商標を登録しようという考えが一部の大手メーカーにがあります。これにより、岡崎の2社が数百年かけて培って、守ってきた商標をその名のみ拝借ということです。岡崎の八丁味噌から八丁味噌の名が盗られてしまう可能性があります。国がそういう制度ならばやむをえないかもしれません。今回NHKの連続ドラマで岡崎は八丁、八丁は岡崎ということをしっかりうたって貰ったので、大変心強く思っております。地域ブランドの登録制度は、日本の伝統文化を残すために導入されたものと思いますから、各企業責任者は法律の設定意思を謙虚な姿勢で理解に努めてほしいですね。曲解のみ終止せず、真正面から当たるべきものだとも思っています。社会教育と同じです。

NHKが“連続TV小説”として取り上げてくれたおかげで、このところ観光客が非常に多いのです。今、私ども岡崎に2社があるのですけれども、今年はおそらく40から50万人ほどの人々が来て頂けるのではないかと思います。NHKが放送していただき、日本にもこんなものがある、こんなものを大事にしたいというきっかけを作ってくれました。私も岡崎市もこれにとても感謝しています。取材の中でも、私たちを残そうとする姿勢がありありと見える取材をしてくれましたし、各報道機関も日本の伝統文化を残す、こういった報道をしてくれています。


<欧米で先行して有機味噌を販売>

私はさらに八丁味噌を極めたいと思いまして、有機・オーガニックの八丁味噌を1989年に造り始めました。当時、これを作って日本で販売しようとしましたが、皆さんから拒否されてしまいました。期が熟していなかったんですね。実は私は24から30ごろまで、ヨーロッパでヒッピー風な生活をやっておりました。その時の知人がいるのですが、それが現在、世界のマクロビオティック運動を推進しているスタッフです。ヨーロッパとアメリカに分け全量、それを全て販売する。この目標を設定し、それを数年間続けました。ありがたい事に欧米の自然食に理解を示す人達は正しく本質的生きることに熱心であったから、私も真正面を向きながら真意に沿ってオーガニックの理解に務めたわけです。私はその間ハンブルグ大学の哲学科に入学許可入され、ほとんど授業に行くことはなかったのですが、その時に知り合った知人が、今、私の相互の理解者です。今日焼いた八丁味噌は、そのヨーロッパへ輸出しているオーガニック八丁味噌です。この商品を日本で販売しはじめたのは丁度2年前のことです。販売できる機会に至らなかったのもですから、販売していなかったのです。そのような商品を世に出せる機会があるのは嬉しいなぁと思います。
 
今日、持ってきたもう一つの商品、浜納豆は、私が作っているわけではないのです。浜松で浜納豆というものを作っている人たちがいるのです。この人たちも、小規模で作っているのです。ほとんど販売先がないのです。紹介できる機会に恵まれていないんです。ですから、私がパックして、浜納豆として今日お持ちしたわけです。これも日本人があみだした一つの文化で食べ物なのですね。おそらく10年も経つと日本の市場から忘れられてしまうかもしれません。この商品は是非大切に残して行きたいと思います。私の商品ではありませんが私が販売しております。そういった理由で今日お持ちしました。
 
私たちの八丁味噌のことをみなさんにも興味と関心を持って見て頂けるとありがたいなと思っております。岡崎の蔵元までは、名鉄名古屋駅から電車で約30分です。私どもの工場の前は岡崎公園駅です。ここから歩いて30秒ですので、名古屋へ来られた時にはぜひお立ち寄りください。
お子さんの教育にも役に立つと思います。ぜひそんな機会に、私どもの工場もご観覧して頂きたいと思います。
ご静聴頂き、ありがとうございます。もし何かご質問あれば、あと数分ございますのでお受けしたいと思います。
 
質問:赤味噌とか赤だしと、八丁味噌の違いを教えて頂けますか?
 
浅井社長:赤味噌とは、全体に米の味噌の色の赤い味噌を、赤味噌と呼びます。それから仙台味噌、越後味噌、これも赤味噌と呼ぶ人もおりますし、豆味噌も赤味噌と呼ぶ人もおります。これは色が赤ければ赤味噌ということです。味噌の業界では、麦味噌、米味噌、豆味噌と分けております。それから赤と白と、黒とわけるかもしれません。白味噌は京都、これがやはり代表です。京都のあの味を出すためには5%塩分のものが、白味噌でしょう。そしてもう少し淡色になってくると越後の粒の味噌、麹味噌ですね。そして赤味噌といえば黒っぽい秋田味噌の、寒い地域の味噌を赤味噌と呼びます。そして豆味噌が中部のもの、その一部の個性派が岡崎の八丁味噌でしょう、そんな分類でしょうね。
 
質問:赤だし、というものは、八丁味噌に少し何かがあわさった味噌のことを言うのですか。
 
浅井社長:大豆だけで作ったものに米味噌をあわせて汁にしますと赤い色が出てくるので、赤だしと呼びます。だしが入っているので赤だしと呼ぶのではないです。米味噌と八丁味噌があわさったとき、あるいは米味噌と豆味噌が合わさったとき赤だしといいます。で、私どもの場合は、八丁味噌と米味噌をあわせておりますので、赤だし八丁と呼んでおります。赤だしというのは、2つのものを合わせたものを言います。ただし、今度のブランド問題をきっかけとして、今度から赤だし八丁という単語をやめようかと思っています。単に“赤だし”と統一しようかと考えております。八丁味噌に米味噌が合わせられたときには既に“赤だし”みそでこれはもう八丁味噌ではない。これを八丁味噌と呼ぶことが消費者に誤解を与える。“赤だし八丁”という呼び方は近い将来検討しようと思います。
 
八丁味噌という名前の由来は、岡崎のお城から距離が八丁(町)にあるところ、約870mの距離に位置しているからです。現在、私たちの地域がかつて八丁村と呼ばれていて、そこの蔵元の2軒が、今も昔も2軒きりなのですが、そこで造っているものが、八丁味噌と呼ばれています。地名からきたものと言われております。
 
司会:八丁味噌は実は2軒しかお作りになっていらっしゃらないということ、今日来た方には驚きかなと思いました。そしてその2軒が、実は600年前から、同じ製法・同じつくり方をされて作られて、今日まで伝えられているものなのだ、そして今回その熱い思いを浅井社長の方からお話し頂いた、ということになります。
他にご質問ありますか。ないようでしたら、社長に向かって大きな拍手を一同お願いしたいと思います。どうもありがとうございました。
 
*地域ブランドとは?
2006年4月から商標法の一部が改正され、「地域団体商標登録制度」として地域団体商標登録の出願の受付が開始されました。地域の名称および商品(役務)の名称などからなる商標について、一定の範囲で周知となった場合には、事業協同組合などの団体が地域団体商標として登録することを認める制度。





撮影:ローカル・ジャンクション21
 



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