Melting with you 第三章
「Melting with you」
Written by ユラ


 第三章

 最近のニュースの話題は凍結した変死体のことで持ちきりだった。
「昨日の午後六時ごろ、下校途中の花寺学院高校二年小田原俊輔君十七歳とリリアン女学
園一年石切可奈さん十六歳の凍死体が発見され、第三の氷結殺人事件として捜査が進めら
れています。三件の事件には主だった証拠が発見されていないため容疑者の特定は難航を
極めている模様です。
 事件に共通しているのは、被害者のいずれも十六歳から二十三歳の若い男女であり、警
察は登下校の際にはなるべく集団で移動するよう学校に指導していますので……」
 この街では既に三件も殺人事件が立て続けに起こっている。しかもすべての事件の死因
が「凍死」という異常極まりないものだ。こんな暑い時期にどうやったら凍ってしまうん
だろうか。動機や方法が全く分からない。
 もし、祐巳ちゃんが昨日言ってたことが本当だとしたら犯人は……いや、こんなことを
考えるのはよそう。今は事件の犯人探しどころじゃない。
 昨日は授業を全て休んでしまったので、今日ぐらいは真面目に行っておこうかな。

 犯人探しをしたいわけじゃないけれど、祐巳ちゃんを安心させたいがために、本人には
悪いが、後を付けさせてもらうことにした。
 ここ数日、祐巳ちゃんは薔薇の館には近寄っていないらしい。やはり祥子に遠慮してい
るせいなのか。
 そういうことで、寄り道することも無く祐巳ちゃんは真っ直ぐ下校する。気取られない
ように後を付けるのは思いのほか気を使う。
 普段は気にならない小さな挙動にもいちいち反応してしまい、傍から見ると私が付けて
るのがもろにバレているのかもしれない。
 バス通学のはずの祐巳ちゃんは、バス停を通過しさらに歩いていく。何処へ行くつもり
なんだろう。方角は一応祐巳ちゃんの家に向かってはいるけれど、油断は出来ない。
 走った。前日と同じように走るのが速かったけれどなんとか後を付いて走る。
 道を一本曲がり、あまり人通りの無い細い路地を駆けていく祐巳ちゃん。やっぱり速い。
置いていかれそうになるのを必死に追走する。
「うわぁぁぁぁ!!」
 突然発せられる男の悲鳴。祐巳ちゃんが曲がった路地を同じように曲がった瞬間そこに
は……
「ちょっと……何やってるの祐巳ちゃん!!」
 祐巳ちゃんは大学生ぐらいの男の首を掴み上げ、見る見るうちに氷結させていった。う
つ伏せに倒れている女の子は、男の恋人だろうか。とにかく止めないと。
 男を氷漬けにした祐巳ちゃんは死体を放り投げ私の方に向き直った。髪は真っ青に染ま
り、目も同じように鮮烈な青、逆に肌は雪のように真っ白で血の気が全く感じられない。
「祐巳ちゃん?」
「あら、見たのね。残念だけどあなたも一緒に彫刻の一つに加わんなさいな」
 やばい、逃げなくちゃ。逃げようと走り出したけれども、青い祐巳ちゃんに先回りされ
てしまった。なんて身の速さだ。
「大人しくなさい。それでは、ごきげんよう」
 さっきの男同様に首を掴まれて持ち上げられる。喉が絞まって息が……。
「はぁいそこまでですぅ」
 場にそぐわない気の抜けた声が聞こえたと思うと、二回の銃声が路地に響く。
「うわっ!!」
 祐巳ちゃんに壁へ叩きつけられ、背中を強打し息が詰まる。
  「あらぁ、はずしちゃいましたねぇ」
 民家の屋根から飛び降りてきたのは中学生ぐらいの少女だった。その少女の両手には、
大きく、いかつい黒の銃が握られている。たしかあれは映画とかで見たことがあるデザー
トイーグルとかいう大型の拳銃だったはず。
 どうしてあんな少女がこんな物騒なものを持ってるんだろうか。
「お姉さん早く逃げちゃって下さぁい」
 私はとにかくこの場を離れようと全速力で走った。倒れていた女の子まで連れて逃げら
れなかったのが辛かった。

 青い祐巳と真正面に向かい合って立ち塞がるのは、腰まで伸ばした真っ直ぐな銀髪に真
っ黒なスーツ、そして両手のデザートイーグルを構える見た目は十四、五歳の少女。
「私の邪魔するなんてどこのお馬鹿さんかしら。名乗りなさい」
「いやですぅ。人に名前聞くときはまず自分から名乗れって知らないんですかぁ?」
 祐巳は眉間に深い皺を刻み、怒りの表情を露にする。空気が一瞬にして氷点下まで低下
し、水溜りが瞬時に凍り付いていく。
「挑発はお止めなさい。あなたの寿命が短くなるだけよ」
 祐巳が左腕を上から下へと振り下ろすと、その手には荒々しく削った細長い氷の塊が握
られていた。さながら氷で出来た無骨な剣のようである。
「やれやれですぅ。私はホワイトっていいます。あなたは何者ですかぁ?」
「私は……フクザワユミ」
 二人の距離はおよそ十メートルほど。両者には会話も動作も無い沈黙だけが訪れていた。
先に動いたのは祐巳だった、姿勢を低くしアスファルトが砕けるほどの力で地面を蹴り一
息で間合いを詰め、ホワイトめがけて閃きのような刺突を繰り出す。
「ん!?」
 氷の刃がホワイトを貫くよりも先にホワイトは真上に飛び上がり、隙を突いて死角から
二丁拳銃による弾丸の雨を降らせ、ばら撒かれた弾丸は祐巳の右太もも、左肩、左腕を貫
いていた。
 傷口から溢れる真っ赤な鮮血がアスファルトに赤黒い染みを作る。
「やるじゃない。少しは遊べそうね」
「無理しないほうがいいと思うですよ?」
 ホワイトの軽口にも祐巳は笑って答える。
「私を倒したければこの程度じゃダメよ」
 祐巳の撃たれた傷はみるみると塞がっていき、瞬く間に撃たれた傷跡さえ残さず、もと
の白い肌へと戻っていった。
「うわぁ、気持ち悪いですねぇ。再生能力なんて反則ですぅ」
 空のマガジンを交換し終えたホワイトは祐巳の眉間に狙いを定め引き金を引く。
「分かってるじゃない。頭を潰せばいいって。でもそう簡単には、ね?」
 デザートイーグルから発射された大口径の弾丸は、祐巳の頭を弾き飛ばすことなく、突
如張られた氷の壁にめり込んでいる。
 撃ち込まれた弾丸の周辺に細かいヒビが走り、派手な音を立てながら氷の壁は粉々に崩
れた。
「この壁を崩すなんて……なるほど、さすが名前のとおりだわ」
「もうばれちゃいましたかぁ。変に頭が切れるんですねぇ」
 ホワイトの特殊な能力によって威力が強化された弾丸は、本来ならば鉄壁の防御力を誇
る氷の壁を粉砕した。
「何時まで遊んでるんだ。早く行くぞ!」
 祐巳の後ろからホワイトに向かって歩いてくる少年は苛立ちながら叫んだ。
「少しぐらいいいでしょう? ブラウンのけ〜ち!」
 ブラウンと呼ばれた少年は、ホワイトと同じデザインの黒いスーツを身に纏い、腰には
二本の刀、背中には一本の剣、合計三本の刀剣をぶら下げている。ブラウンは祐巳の横を
堂々と歩いてホワイトに近づき、そしてホワイトの頬を左手親指と人差し指でつねった。
「そんなこと言いやがるのはこのお口ですか?」
「痛い痛い。つねるのはやめれですぅ」
 祐巳はブラウンの頭に狙いを定めて手に持っていた氷の剣を思い切り投げつけた。
「当たらないって」
 振り返らずに背中にぶら下げていた刀を振り下ろし氷の剣を叩き落す。
「ほら、行くぞ!」
「続きはまた今度ですぅ」
 黒のスーツの二人組みは一瞬にして走り去っていった。複数のパトカーが鳴らすサイレ
ンの音がだんだん近づき、祐巳もまたその場を後にした。
 路地には大小さまざまな大きさの氷の破片、赤黒い血痕、十数個の薬莢と二つの凍死体
だけが残されていた。

 全力で走り続け、全身汗びっしょりで息も乱れに乱れまくっている。
「はぁ……もう……大丈夫……かな」
 自身の安全が確認できると、さっきの豹変した祐巳ちゃんの姿が鮮明に脳裏に浮かんだ。
 真っ青な髪に真っ白な肌、そして冷たすぎる青い瞳。いつもの祐巳ちゃんからは想像で
きないぐらい残酷で凶暴だった。
 思い切り走って体は熱いはずなのに、背筋がすうっと寒くなったような気がした。
「あ? さっきのお姉さんだぁ」
 とある民家の塀にもたれかかって休んでいると、私を助けてくれた少女ともう一人見知
らぬ少年がこっちに歩いてくる。
「君は……?」
「始めましてですぅ。私ホワイト、でこれがブラウン」
 「これ」扱いされた、丸坊主に近いぐらい短く茶色い髪をした、見た目は高校生ぐらい
のブラウンという少年はホワイトの頬をぐいっとつねる。すごく痛そうだな。
「人を物みたいに言うのはこのお口かな?」
「痛いってば! 同じところつねるのはやめれぇ!」
 ところで、この二人がここにいるということは祐巳ちゃんはもう……
「ん? あのフクザワユミっていう人は逃げちゃったねぇ。というかコイツが邪魔しなき
ゃ、もっと楽しかったのにぃ」
 複雑な気分だった。祐巳ちゃんが生きていることはとても嬉しい。でも、あの青い祐巳
ちゃんがいる限り被害者は増えていくばかりだ……。
「あんた、あいつの知り合いなのか?」
 ブラウンは騒ぐホワイトの首根っこを掴み自分の後ろへやった。
「あいつって祐巳ちゃんのこと? 祐巳ちゃんは私の後輩だけど」
「そうか。あんたあの子を助けるつもりはあるのか?」
「ブラウン?」
 助けることが出来るならば……。
「当然。何か方法があるの?」
 私の答えを聞いたブラウンは一度頷いた後、こんなことを言い出した。
「分かった。詳しい話は俺達の部屋で話したい。来るか?」
「行くよ」
 私は躊躇することなく即答した。
「じゃあ付いて来てくれ」
 彼らの後ろを付いて歩くこと十五分、そこは十階建てのマンションだった。ここに彼ら
の部屋があるらしい。
 ブラウンの腰と背中には合計三本の鞘が掛けられていて、エレベーターの狭い空間では
鞘の存在がより一層目立つ。何時もこんな物騒なものを持ち歩いているんだろうか。
 最上階の十階で降り、1010号室のドアの前で立ち止まった。
「入ってくれ」
 部屋は質素なもので、必要最小限な物しか置かれていない生活感に乏しい部屋だった。
でも、そんな部屋の中で一際目に付くのは壁に立てかけてある剣や刀だ。その数ざっと数
えて十本はある。こんなたくさん何に使うんだろう。
「どうした? 何かあったのか?」
「いや、別に……お邪魔します」
 床に座ったホワイトは懐から二丁の銃をテーブルに置き、それらを分解しメンテナンス
を始めた。すごく楽しそうに見えるのは私の気のせいなのか。
 彼女の長い銀髪はとても繊細で、人の髪の毛には思えないほど美しい。見かけはやはり
どうみても中学生ぐらいにしか見えない。
 そんな少女がこんなにごつい銃を振り回すなんて違和感があり過ぎる。
 冷房の入り始めた部屋に冷たい空気が回り始め、ブラウンはどっかとソファにあぐらを
かいて座った。
「さて、どこから話をすればいいもんか……。そうだな、まず『珠』の話から聞いてもら
おうか」
「それでいいんじゃなぁい」
 ホワイトは相変わらず丁寧にパーツを磨いている。よっぽど大切なものなんだろうけれ
ど、物が物だけに、感心は出来ない。
「ちょっと話が長くなるけど辛抱な。初めに『珠』について知ってもらおうか。その、何
だあんたの後輩の……」
「祐巳ちゃん?」
「そう、その祐巳って子が何故あんなバケモンみたいになっちまったのかって話な。あれ
は『珠』と呼ばれる、簡単に言えば恐ろしいほど膨大で、高密度、高濃度な魔力の塊が原
因だ。珠よりも力の質が落ちる『石』と呼ばれるものもあるんだが、それは置いておく。
 珠の力は反則的に強力で能力の強さや破壊力が洒落にならない。石とは比べ物にならな
いぐらいに。あの子の戦いを見る限り『色』は青だな。
 実は珠には色が付いてるんだ。当然色によって能力が違うってわけだけど、青は水、氷、
雪や冷気を司る色だ。青い珠の根源は『閉鎖』、そうそう根源っていうのは、『それが持
つ根本的な性質』って意味だ。だから青い珠の性質は『閉鎖』、何もかもが閉じていくっ
てことだな。だからあの子の持っている珠を使うと、この世全てを閉ざすことが出来るヤ
バイ代物なんだぜ?」
 そこまで一気に説明したブラウンは「喉渇いたな」と言って台所へ行ってしまった。
 唐突に「魔力」なんていう非日常な単語を並べ立てられても、理解に困るのだけど、実
際にあの祐巳ちゃんの姿を目で見てしまっているので、納得せざるおえない。
 魔力とか根源とか訳が分からないけれど、そういったものが祐巳ちゃんをあんな風にし
てしまったことは、変えようのない事実だった。
「あんたも飲む?」
「いただくよ」
 ブラウンから差し出されたオレンジジュースの缶を受け取り、プルを引いて開け、ぐっ
と喉に流し込んだ。
「あれぇ? あたしの分は?」
「無い。お前はその銃でもしゃっぶってりゃいいじゃねぇか」
「ブラウンのけぇぇぇちっ!!」
 むぅっと膨れたホワイトは再び銃のメンテナンスを続ける。よっぽど好きなんだ、あの
銃が。
「話の続きだけどな、あんたの後輩があんなんになっちまった原因は分かったか?」
 私は小さくだけど頷いた。
「よし、次はもっと根本的な原因の話だ。普通の人間があんな物騒な物を持っているわけ
がない。自分で作ることも理論上可能だけど、やっぱり普通の人間にはそう簡単には実行
出来ないので置いておく。だから、誰かが渡すしかないけれどじゃあ誰がかってことだな。
 こんなつまらんことをするのは一人しかいない。そいつの名は『アルレン』。自分で珠
を作り出せる本物のバケモノだ。このアルレンって魔女は趣味が悪いオバサンで、人の絶
望が好むんだなこれが。とてつもなく深い絶望を抱いた人間に近づいてはそそのかし、珠
を使わせてさらなる絶望を連鎖的に生み出させ、それを喜んでいる変態だ。
 祐巳って子、最近ひどく落ち込むようなこととかあっただろ?」
 ということは、あの雨の日のこと、それが原因で深い絶望を抱いた祐巳ちゃんは……。
なんてことだ。そんなことになるなんて……。祐巳ちゃん、そこまで思いつめてたのか…
「以上が入手経路。最後に珠の所有者を元に戻すにはって話だ。結論から言うと、所有者
を殺すしか無い。肉体を殺すか精神を殺すかのどちらでも構わないが、どちらにせよ殺す
以外には方法が無い。なんせ珠が所有者と同化してるんだから、取り出してはい終わりっ
てわけにはいかないんだ。
 まぁ条件が揃えば方法が無いってわけじゃ無いけれどな。あんた去年、大阪で起こった
火事って知ってるだろ?」
 今から半年ほど前の十二月に、大阪市の四割が焼けたっていう国内史上最大級に大きな
火災。
 ニュースではこれほどの大規模な火災になった原因は、大量に漏れたガスが引火したこ
とに加え、その日大気はひどい乾燥で、さらに強風が吹き荒れたっていう悪条件が重なっ
たって言っていた。
「あの火事の原因って、赤い珠だ。あれはなんとか止められたけど所有者はどうなったと
思う? 実は生きてるんだ。まぁ奇跡が起きたってやつだけどな。だから所有者を殺さず
に元に戻すことが可能だって証明された始めての実例だけど、そんな奇跡頼ってなんかい
られない。俺達はもっと現実的な方法しか取れない。だからあんたにはあの祐巳って子が
死ぬということを覚悟しておいてもらいたい」
 祐巳ちゃんが……死ぬ? そんなこと想像すら出来ない。
 今の世界から祐巳ちゃんが消えてしまうなんてそんなこと考えたくもない。でも、それ
を現実として受け止めなくてはならない。どうすることも出来ないのだから……。
「ところで、何で彼女がそんなに深い絶望を抱くことになったのか知ってるのか?」
 私は、祐巳ちゃんと祥子とのすれ違いについての原因や経緯、そして現状とあの雨の日
の出来事を説明した。
「マズイな。次のターゲットはその祥子って人かもしれないぞ?」
 次は祥子が……絶対に止めないと!
「おい、ホワイト準備いいか? 今すぐに行くぞ」
「うん。準備できてるよぉ。お姉さん場所教えてくれる?」
 私が祥子の家の住所を言うと、二人は弾丸のように玄関から飛び出していった。
「先に行ってるからねぇ」
 私も後を追って走るけれども、あの二人は、エレベーターなんて使わずにマンションの
屋上から、民家の屋根へ飛び移り、そしてまた別な家の屋根へと飛び移って行った。
 とてもじゃないけれどそんな真似出来っこないから、仕方なくエレベーターで下りて祥
子の家へと走って行った。このマンションから祥子の家までは走って二十分ほど。
 私が着く頃には決着が着いているかも知れないけれど、徐々に薄暗さを増す曇り空の下、
とにかく私は遮二無二走り続けた。

 真っ暗闇の中、私の目の前にはもう一人の私が立っている。とにかく、自分を取り戻さ
ないと、また誰かが犠牲になってしまう。
「私を返して」
「何を言うのかしら? もともとこれはあなた自身が望んだことなのに」
 もう一人の私はそんなことを言う。私が……人をあんな……殺したいなんて望むわけが
無い。
「もういいわ。消えなさい」
 私の意識が消えていく。そんな、私は何も出来ないまま消えるだけなの。そんなの……。

 狩りの時間だ。ようやく無駄な抵抗を続ける「私」を押さえ込むことが出来た。さっさ
と譲り渡してしまえばよかったのに手間ばかりかけさせるんだから。
 これから先の全ての時間、私がフクザワユミとして活動することが出来る。まずは私が
完成したお礼に小笠原祥子に挨拶をしに行こうかしら。
「待っててね、お姉さま……」

 夕暮れ時の曇天の下、ブラウンとホワイトは軽やかな身のこなしで民家の屋根伝いに、
小笠原邸へと最短距離で突き進む。肌に張り付くような湿度の高い空気。もう間もなく雨
が降ることだろう。
 閑静な住宅地に一際大きな敷地を誇る、一見すると公園のような大邸宅、それが小笠原
邸であり、そこまでの残す距離は直線距離にしておよそ五百メートルほど。彼らの進む速
さならば三十秒とかからない距離である。
「ブラウン、今の音ってぇ?」
 突如響き渡る破壊の轟音。音の発生源は小笠原邸からであり、敷地から粉塵が巻き起こ
っている。
「……急ぐぞ」
 さらにスピード上げ、二人は歩道に降り立ち矢のように走り抜けた。
「間に合うか!?」
 小笠原邸へ近づくにつれ、二人の目には奇妙なものが幾つも目に入る。
 巨大な氷の柱が何本も屋敷に突き刺さっていた。
 二人は一気に塀を飛び越え、その先は酷い有様だった。街路樹のように立ち並んでいた
木々は、大部分が氷の矢が突き刺さりへし折れ、整えられていた公園のような庭は瓦礫や
氷の欠片に埋もれている。
 祐巳は半壊した屋敷の玄関に前に立っており、掲げた右手の上に浮かぶ巨大な氷柱を振
り下ろそうとしていた。すかさずホワイトは二丁のデザートイーグルで射撃を始め、ブラ
ウンは、状態を低くしながら一気に間合いを詰める。
「せっかくいいところなのに……」
 屋敷へ振り下ろそうとしていた氷柱をホワイトへと振り下ろした。巨大な衝撃音と共に、
無数の砂埃に氷の欠片が舞い上がった。
「危ないなぁもう!」
 横幅一メートル、長さ十メートルほどの電信柱のような氷柱を、ホワイトは地面を抉る
ぐらい強烈な踏み込みをもって左へと横跳びしてかわす。
 その間に祐巳へと接近したブラウンは、腰から刀を一本引き抜いて刺突するが、刃は祐
巳の体を貫くことはなく氷の壁にその刀身を埋め込んでいた。
「今私はあなた達と遊ぶつもりはないの。また別な機会にしなさいな」
「ふざけるな」
 ブラウンは力いっぱい刀を引っこ抜き、後ろへ跳んで間合いを放す。
 デザートイーグルから放たれた大口径の弾丸が祐巳の右腕を貫き、残りの弾丸は、弾丸
が飛んできた方向へ向かって咄嗟に張られた氷の壁にめり込み、ブラウンの刃を受け止め
た氷の壁にも流れ弾が着弾し、二つの壁は音を立てて崩れ落ちた。
「私は忙しいと言っているのに……いいわ。あなた達からまず先に片付けてあげる」
 二の腕からの出血は瞬く間に止まり、祐巳は青いツインテールをなびかせて、自分の邪
魔をする敵に向かって、青い眼に敵意と殺意をたぎらせた視線を飛ばした。
 祐巳とブラウンとホワイトの立ち位置はさながら二等辺三角形である。祐巳と二人の間
合いはおよそ八メートルほど。彼らの身体能力では一、二歩で詰めることが出来る「至近
距離」である。
 祐巳両手の掌をブラウン、ホワイトに向けたのと、ホワイトが二丁のデザートイーグル
の引き金を引く、ブラウンが背中の剣を引き抜く動作は同時だった。
 祐巳の両手からマシンガンのように、人間の拳大の大きさの氷の塊を高速で連射する。
「おっと」
「うわぁ」
 二人は素早く回避行動に移るも、祐巳の正確な氷の連続射撃になかなか反撃の隙を見出
せずにいた。
 二人が回避すれば庭の折れた木に氷の塊が連続してぶつかり木片を巻き上げ、地面の土
に穴が空き、屋敷の壁が剥がれ落ち、柱が砕け、ガラスの砕ける音が痛ましく響き、ただ
でさえ損傷の酷い小笠原邸にさらにダメージを与えていく。
 これ以上の損傷は建物の崩壊を招きかねない危うい状況である。祥子の安否が不明なた
め、屋敷の中に逃げ込んでいる可能性も大いに考えられる。よって、崩壊は絶対に避けな
ければならない事態である。
「埒が明かねぇ!」
 ブラウンが腰の刀を抜き祐巳めがけて全力で投げつけようとした瞬間、祐巳の掃射が止
み、祐巳が左手の拳を地面に打ち付けるとブラウンの足元から円錐形の氷柱が生えてきた。
「ブラウン?」
 鋭い氷の刃に背中を切られたブラウンはうつ伏せになって倒れている。黒のスーツの背
中部分が破れ、そこから溢れる血がスーツを赤黒く染め上げていく。
「残るはあなただけよ。さっさとやられなさいな」
 白い歯を見せて祐巳は微笑んだ。

 巨大な何かが建物にぶつかるような音が聞こえる。建物を解体しているときに聞こえる
ような音だ。
 祥子の屋敷まであと二百メートルほど。時折、大気を震わすような、何か巨大なものが
落下する音が耳朶に響く。
 ぶっ通しで走り続けた体は汗びっしょりで、Tシャツは絞れそうなほど汗を吸っている
し、ジーパンも湿気を含んでべたつき動きにくい。全身で息をしながらもようやく祥子の
屋敷の門の前まで辿り着いた。
 悪趣味なオブジェのように屋敷には大きな氷の柱が何本も突き刺さっているし、門も内
側から何か硬いものでもぶつけたのか、ところどころが膨らんで門全体が歪んでしまって
いた。
 祥子は無事なんだろうか。
 連続して何か塊が地面や木にぶつかる音が鳴り止まない。これは何の音だ。とにかく、
正面から入るのは危険だと判断し、ぐるっと外周を回って敷地の裏側まで走り、裏口の塀
を掌を擦り剥きながら、なんとかよじのぼって敷地の中へ入った。
 屋敷には何本も氷の柱が突き刺さり、壁は到る所にヒビが入り、窓ガラスはほとんどが
割れ、建物は何とか形を保っているものの今すぐにでも崩れ落ちそうな危うい状況だった。
 縁側から中に入ったけれども、氷の柱が天井を突き破り廊下を貫いていて動ける範囲が
極めて狭い。
「祥子!! 大丈夫? いるなら返事して!!」
 叫んでみたけれども何の返事も無く。建物が軋む音や、天井からコンクリート等の欠片
が落ちてくる音しか耳に入ってこない。
 ここでじっとしていても何も始まらないので、動きにくいが、屋敷の奥へと進むことに
した。
 キッチンも天井が破れ、瓦礫がそこかしこに散乱している。そしてそこには瓦礫に埋も
れたお手伝いさんの姿が――
 床を血で染め上げていて、動く気配が全く無く、残念ながら既に事切れているのだろう。
 こみ上げてくる吐き気を必死に抑え、むせ返る血の匂いに気がどうにかなりそうになっ
たけれども、掌でばしっと自分の頬を叩いて気をしっかりと保たせた。
 本当に祥子が屋敷にいたかどうか定かではなかったけれど、万が一の状況を考えると、
ここで引き返せそうにはなかった。
 キッチンを通り抜けたいところだが氷の柱がそれを邪魔をする。
「邪魔だよ!」
 蹴りつけてみても丸太ぐらい太い柱が壊れるはずも無く、蹴った自分の足が痛かっただ
けだった。この氷の柱のせいで、外の暑さとはうって変わって屋敷の中は寒いぐらいに冷
えていた。
 汗を吸ったシャツがきんきんに冷え、寒さに震えそうになってきた。
 行ける場所から行くしかないので、柱が遮っている場所はあきらめるけども出来る限り
捜索の範囲を広げていく。
 今年の元旦に祐巳ちゃんや祥子達と一緒に布団を並べて眠った部屋までたどり着くと、
そこには清子小母さまが壁に背を持たれていた。
「清子小母さま! 大丈夫ですか!」
「あら、聖ちゃんお久しぶり」
 こんな状況にも関わらず小母さまは呑気に挨拶してくれる。
 小母さまは一見特にひどいキズを負っているような様子はない。それならば自分で動い
て逃げることも出来たと思うけど、そうしなかったのは……。
「どこか怪我されてませんか?」
「ちょっと足を捻っちゃって動けなかったの」
 部屋のど真ん中を氷の柱が貫いていて、それを中心に瓦礫が散らばっている。小母さま
が無事ならば祥子は大丈夫なんだろうか。
「小母さま、祥子は何処にいるんですか?」
「祥子さんは二階の自分の部屋にいると思うわ」
 二階!? この崩れそうな屋敷の二階になんて行けるのか。でも、放って置けるわけが
ない。とにかく小母さまに肩をかして、ぎしっと建物が軋む音に怯えながらも、なんとか
私が入ってきた縁側まで辿り着くことが出来た。
 今度は冷や汗をびっしょりかいて、喉がひどく乾いてきた。暑かったり寒かったりと、
自分の体調が少し心配になってくる。
「小母さまは出来る限りここから離れて下さい。もしそれが無理でしたらここで待ってい
て下さい。私は祥子を捜してきます」
 私は何時崩れてもおかしくない屋敷へと、再び足を踏み入れた。頼むから無事でちょう
だい、祥子。

「痛ってぇ……」
「ブラウン大丈夫?」
 背中の傷はけして浅くはなかったが、ブラウンはよろめきながら立ち上がる。
「意外にしぶといわね。今度こそ確実に葬ってあげる」
 祐巳悪意に満ちた顔を二人に向け、両腕を天にかざすように掲げると、家一件分に相当
しそうなほど巨大な氷の塊が現れる。
「さようならお二人さん」
 祐巳が両腕を降り下げると、隕石のように氷の塊が二人を押しつぶさんと落下した。
 が、しかし、
「あらよっと」
 ホワイトの持つ二丁の銃が真っ白な光を発し、ホワイトが引き金を引くと鉛の弾丸の代
わりに太く白い光の束が放たれ、この二つの白い光の束は巨大な氷の塊を粉々に撃ち砕い
た。砕かれた氷の塊は小さな破片となって地面に降り注ぎ、その中で若干大きめの塊が、
ブラウンの右即頭部に命中した。
「くっ……。あなたの色ではそんなことが出来るはずがないのに何故!?」
 ホワイトの砲撃のような射撃に祐巳は愕然としている。
「応用次第よフクザワユミさん。私が『白』だからって甘く見ると痛い目に遭うよ〜」
 余裕な表情のホワイトは狙いを祐巳の頭に定め、引き金を絞ると再び白い光の束が放た
れる。
 祐巳は咄嗟に氷の壁を張り防御に回ったが、白い光の束は氷の壁ごと祐巳を吹き飛ばし
た。
「なんてこと……」
 吹き飛ばされ、泥に汚れた祐巳は怒りと屈辱に顔を歪ませて、ホワイトを見据える。
「もう降参した方がいいよぉ?」
 ホワイトは祐巳の頭に照準を合わせたまま一歩ずつ間合いを縮めていく。祐巳が右腕を
掲げ指をパチンと鳴らしたのと、ブラウンが叫びながらホワイトに駆け寄ったのは同時だ
った。
 不意に現れた雪で出来ている、全長三メートルほど巨人が拳を振り上げ、ホワイトを叩
き潰そうとした。ブラウンは全力で地面を蹴り、後ろからホワイトに飛びついて抱きすくめる
ように地面を転がり、巨人の一撃を回避する。
「痛っ!」
 地面を転がるとき、背中の痛みにブラウンは声を漏らした。直ぐに体勢を整えたホワイ
トは引き金を引き巨人を光の束で消し飛ばす。
 雪の巨人の上半身はことごとく吹っ飛ばされたが、今度は祐巳が拳大の氷の塊をマシン
ガンのように連射する。
「ブラウン!!」
 体勢がまだ整えられていないブラウンに襲い掛かる氷の塊を、今度は鉛の弾丸で撃ち落
し、ブラウンを抱きかかえて祐巳から間合いを離した。
「ちょっとぉ、ブラウン大丈夫なの? しっかりしてよねぇ」
「済まない。さて、オレももうそろそろ良い所見せないとな」
「じゃ、私はあっちに言ってるよ?」
 ホワイトは崩壊寸前の小笠原の屋敷を指差す。
「頼んだ。しっかりやれよ」
   ブラウンは腰の携えた刀と、背中から抜いた剣の二本を両手に構え猛然と祐巳向かって
走り出した。

 縁側から再び屋敷へと足を踏み入れた私は、二階にある祥子の部屋を目指す。
 この縁側から最も近い二階へ通じる階段には、氷の柱が突き刺さっていて二階には行け
そうにないので、別な階段を探さなければならなかった。でも、この家にまともな階段が
残っている保障はなく、そこは運に任せるしかない。
 夕方という時刻と曇天のせいで明かりに乏しく、さきほどよりも見通しが悪くなってい
る。屋敷の中の明かりは絶えてしまっているので、携帯電話を懐中電灯代わりに階段を探
した。
 軋む音が聞こえるたび、瓦礫が崩れる音が聞こえるたびに寿命が縮む思いがした。
 怯えながらにしてようやく、氷の柱に貫かれ、一部が破損しているがなんとか上れそう
な階段をようやく見つけた。
 何十分も探していたように思えたけれど、実際には五分ほどしか経過していない。この
五分の間に、何人かのお手伝いさんの遺体を目にし、胸が詰まる思いがしたけれど、今は
とにかく祥子を救い出すことだけを意識した。
 階段を上りきり、辿り着いた二階は、階全体が一方向に向かって沈み込むように歪んで
いる。埃っぽく、そして寒い二階を祥子の部屋を捜して歩く。
「祥子!! いるの? 祥子!!」
 大声で呼びかけると、小さい声ながらも祥子の声が聞こえた。その瞬間、私の真後ろに
崩れた壁が倒れこんでいた。
 あと一歩後ろだったらと思うと冷や汗が止まらず、心臓の鼓動が耳に聞こえそうなぐら
い早まる。
 傾いているため、平衡感覚が狂い気分が落ち着かないけれど、祥子の部屋にやっと着い
た。この部屋以外ほとんどの部屋が氷の柱に貫かれていたので、ここが無事だったのは奇
跡としか思えなかった。
 建て付け自体が歪んでいるドアを開けるだけでも一苦労したが、部屋の隅で震えていた
祥子の姿を見つけ、少し気分が落ち着いた。
「やぁごきげんよう祥子」
「せ、聖さま!?」
「とにかくここから出よう。この家はもうもたない」
 座り込んでいた祥子の手を引いて部屋を出た。ぐらっと屋敷が揺れ、さらに沈み込みが
ひどくなり、よろめいて倒れそうになったけれどなんとか壁に手をついて踏ん張った。
「危ないなほんと…」
 さっきの階段はまだ、形が残っていたので細心の注意を払いながら衝撃を与えないよう
に下りた。薔薇の館の階段とは全然比べ物にならないぐらいに崩壊の恐怖が付きまとって
いる。
 携帯電話を祥子に持たせて先に行かせ、私は後から付いていく。
 もうすぐ縁側だと安心した瞬間屋敷全体が揺れだし、天井が崩れ、壁が剥がれ落ちてい
く。
「祥子! 先に行って!!」
「聖さま!!」
 倒れてきた壁の下敷きなった私は、祥子の持つ携帯電話の明かりがなくなったことを確
認すると意識が薄れていった。祥子、祐巳ちゃんのことは任せたよ……。

 間断なく発射され続ける氷の弾丸を、ブラウンは疾走しながら刀で切り落とし、剣で薙
ぎ払っていく。三十メートル以上あった両者の間合いはみるみるうちに縮まり、もう間も
なく剣の射程距離へと近づいていく。
 超人的な剣捌きの速さに圧された祐巳は、ブラウンが迫る直前に氷の壁を張った。一方
ブラウンは祐巳の氷の壁には気にすることも無く間合いを狭め、走りながら逆手に持った
右手の剣を振りぬくと、氷の壁がバターのように綺麗に切断された。
「そんな……」
 切断した氷の塊を飛び越えて左手に持った刀が祐巳の右鎖骨から袈裟に斬り払った。リ
リアンの制服が鮮血に濡れ、祐巳は鋭い痛みに顔を歪める。
「くそっ! 浅かったか!」
 止めを刺さんと右手の剣で祐巳の首を刎ねようとしたブラウンの右腕は、祐巳の首を刎
ねることはなかった。
「甘いわね」
 口の端に血を零しながら祐巳は嘲るようにそう言うと、祐巳の流した血溜まりから現れ
た雪の塊が拘束具のようにブラウンの体を締め付けていた。
「うおっ。何だこれ!」
 強烈な再生能力のおかげで、キズが癒えた祐巳は、まだ雪に固められて動けないブラウ
ンを青く冷たい瞳で見つめ、左腕を振るい、具現化した氷の剣を手に無表情のまま振り下
ろした。
「何故!?」
 祐巳が振り下ろした氷の刃は、ブラウンを守るように盛り上がった土の塊が受け止めて
いた。やっと雪の拘束具を破壊できたブラウンは二本の刀剣を構えながら祐巳に告げる。
「あんたの力は強いが経験が足りない」
 それだけ言うと、土の塊が兜、鎧、小手、具足を形作り瞬時にブラウンに装備される。
そして、二本の刀剣を祐巳へ振り下ろした。

 祐巳の相手をブラウンに任せたホワイトは何時崩れてもおかしくない屋敷へと向かった。
玄関は比較的無事だったが、視界には太い氷の柱が占めており、奥に行くのは困難である。
 ホワイトは素手で氷柱を砕きながら祥子の居場所を捜し始めた。時折、崩れた天井がホ
ワイトに降り注いだが、白い光がそれらからホワイトの身を守り、本人はキズ一つ無く捜
査を続けている。
 ホワイトは応接室で倒れていた三十台半ばの使用人を見つけた。
「もしもしぃ? 大丈夫ですかぁ?」
 主だった外傷も無く、ただ気絶していた使用人はホワイトの声で目が覚め、自身を抱き
起こしてくれている銀髪の少女を見る。
「お? 気が付いたみたいですねぇ。あの、いきなりで悪いですけど、祥子って人この屋
敷にいるんですかぁ?」
「祥子お嬢様の部屋は、この部屋を出た廊下の突き当たりにある階段を上って直ぐの所で
す」
 この広い屋敷の内部を把握していた使用人は、祥子の部屋の場所をすらすらと言う。ホ
ワイトは聞いた道のりを何度か復唱し一人で頷いていた。
「あなた一人で逃げられるですかぁ?」
「は、はい私は大丈夫です」
「じゃ、悪いですけど一人で先に逃げちゃって下さい。私はその祥子って人を捜しに行く
んでぇ」
 使用人と別れたホワイトは教わったとおりに屋敷を進むが、その途中天井から氷柱で貫
かれている廊下を、柱を拳で何度か殴って破壊しながら進んで行く。
 ホワイトが氷柱砕く度に屋敷に振動が伝わり、すっかり脆くなった天井や壁、柱にダメ
ージを蓄積させていった。
 二階へ通じる階段は、氷柱に貫かれ上れなくなっている。ホワイトが、また素手で氷柱
を砕こうとした瞬間、屋敷全体に大きな振動が走り、みしみしと音を立てて柱がへし折れ、
天井が破れ、壁が崩れていく。
「うっわ、マズイですぅ」
 いよいよ屋敷が本格的に崩壊し始めた。
「祥子! 先に行って!!」
 聖の叫び声、続いて壁や天井が崩れ落ちる音を耳にしたホワイトは、声のした方へ向か
って駆け出した。邪魔な氷柱や瓦礫を、殴り、蹴り飛ばしながら突き進んだホワイトは、
崩れた壁の下敷きになっている聖の姿を発見した。瓦礫に埋もれた聖は、頭と左手だけが
露出しており、体の大部分が埋もれている状態だった。
「もしもしお姉さん?」
 ホワイトが声をかけても何の返事も無い。
 ホワイトは左手を握ると、聖に覆いかぶさる瓦礫の塊を大急ぎで取り除いていった。塵
や埃と血で汚れた聖の体を背中に背負ったホワイトは縁側に走り出て、屋敷から脱出した。
「聖さま!!」
 聖の姿を見つけた祥子は目を赤らめながら、聖をおぶった銀髪の少女へ走り寄って来る。
「あなたもしかして祥子?」
「へ?」  見知らぬ少女に名前を呼ばれ面食らった祥子は、普段の祐巳のような間の抜けた返事を
し、それに気付いた祥子は恥かしさに顔を逸らしながらホワイトの名前を尋ねた。
「わ、私が小笠原祥子ですが、あなたはどなたなのかしら?」
「私はホワイトって言います。あ、このお姉さんに早く救急車をお願いですぅ。もしかし
たら色々とやばいかもしれないですからねぇ」
「わ、分かりました。聖さまを助けていただいてありがとうございました」
 深々と頭を下げた祥子に少し照れたホワイトは、頬をぽりぽりと掻いて照れをごまかし、
おぶっていた聖を丁寧に地面へ下ろすと、直ぐにブラウンの元へと駆けていった。

「はやく消えてしまいなさい!」
「そうはいかねぇよ!」
 祐巳の雪や氷による攻撃は壁のように現れる土の塊に防がれ、斬撃をしかけたいブラウ
ンも祐巳の死角からの奇襲攻撃のために迂闊に手を出せず、こう着状態に陥っている。
「ブラウ〜ン!」
 戦いの場には相応しくない呑気な声を発しながら、さらに二丁のデザートイーグルを乱
射し、祐巳に威嚇射撃を行いながらブラウンの元へ駆け寄ってくるホワイト。
「おいホワイト、一気に終らせるぞ!」
「りょうかぁい」
 祐巳は祈るように両手を胸の前で組み合わせ、瞳を瞑った。
 すると両手が強く青い光に覆われ始め、祐巳の周囲の空気が一瞬にして凍り付く。やが
て祐巳は冷たく青い瞳を開き、すぐさま膝をつき両手を地面へと押し当てると、次から次
へと氷柱が植物のように地面から突き出し始めた。
「これで終わりにしましょう」
 みるみる足の踏み場を奪われていく二人。
「やれ!! ホワイト!!」
「やっちゃうよ〜」
 ブラウンは目前に生えてきた氷柱を剣と刀でぶった切り、ホワイトの為に視界を広げ、
全身を真っ白な光に覆われたホワイトは一丁のデザートイーグルを両手で握り締め、確実
に祐巳に狙いを定めた後、特大の白い光の束を発射した。
 氷柱を瞬時に破壊しながら祐巳めがけて直進する白い光は、まさに光速の勢いで祐巳に
直撃した。
 光の束をもろに食らった祐巳の周りの地面は、その衝撃で直径数メートルのクレーター
を形成し、濛々と砂塵が舞い上がっている。
 砂塵の中から青い光の筋がいくつも現れた。
「私の……私の邪魔する者はみんな『閉じて』しまえ!!」
 祐巳の怨嗟の混じった、悲鳴にも似た叫び声が轟くと、小笠原邸周辺数百メートルの空
気が急速に冷却され、祐巳のいた場所には巨大な円錐形の氷柱が大木のようにそそり立っ
ていた。
「まずいな……」
「仕方ないや。一旦戻ろうよブラウン」
 土の鎧を解いたブラウンはホワイトと共に小笠原の屋敷の塀を飛び越えて、すっかり日
の落ちた住宅地を駆け抜けて行った。

 現場に駆けつけた警官や、救急、救助隊員は現場に残されたあまりに強烈な破壊の痕に
驚きを隠せずにいた。特に彼らの目を引いたのは、敷地の右中央辺りに聳え立つ奇妙で、
巨大で異様な氷柱だった。
 高さ二十メートルを超えるビルのような高さの氷柱に冷やされた空気は、真っ白なもや
となって地上へと柔らかく落下する。
 付近の住民から通報があった時、警察はこれを経ちの悪いイタズラだと思い込み相手に
しなかった。
「本当なんです!! 小笠原さんの家に大きな氷の柱が刺さってるんですってば!!」
「まぁまぁ、落ち着いてください奥さん。見間違いか何かでしょう? この暑い時期に、
氷の柱なんてあるわけないですよ」
 同じような内容の通報が相次いで寄せられたため、警察もこれをただのイタズラだと、
切り捨てるわけにもいかなくなり、さらに小笠原家の娘祥子から119番通報が入ったた
め、いよいよ真実味を増した通報の内容に警察は大慌てでパトカーを派遣し、救急車や救
助車も合わせて現場へ急行した。

「聖さま……」
 この声は祐巳ちゃん? 祐巳ちゃんの声に意識を覚ましたけれども、目に映るのは真っ
暗な深い闇ばかり。でも私の前には制服姿の祐巳ちゃんがいるのは確認できる。
「どうしたの?」
「聖さま、ご免なさい。私、そんなつもりじゃなかったんです……」
 祐巳ちゃんは何を謝っているんだろう。それはともかく今の祐巳ちゃんの姿は、さっき
のような青い髪、青い目じゃなくて、いつもの祐巳ちゃんだった。でも表情はとても悲し
げで、そして苦しそうに見えた。
 今にも消えてしまいそうな弱々しさに、私はそっと抱き寄せようと手を伸ばしたけれど、
「来ないで下さい!」
と、左手を前に突き出して私の接近を制する。
「私はもう……」
「祐巳ちゃん?」
 祐巳ちゃんの姿がふっと音も無く消えた。後に残されたのは何も無いただの闇。祐巳ち
ゃんの姿が消えて数秒後、再び私の意識も闇へと落ちていった。

 祥子は聖の眠るベッドの側で窓越しに外の宵闇を眺めていた。
 救急車で運ばれた聖の容態は、肋骨の骨折が三本と、右足親指の骨折、打撲や擦り傷、
裂傷が数箇所あったものの命に別状は無いという診断を受けた。
 祥子は目線を今度は命の恩人へと向けた。妹の祐巳を可愛がってくれ、あまつさえ自分
の救出のため危険も顧みず崩れ行く屋敷へと飛び込んでくれた命の恩人。
 祥子より先に聖に助け出された母親の清子の怪我は左足首の捻挫だけで済み、後に助け
出された祥子が無傷だったのは僥倖としか言いようが無い。
 結局あの家で助かったのは、小笠原母子と、二人の使用人の四人だけであった。犠牲者
は六名にのぼる。
 祥子の父親と祖父は現在警察署で、事情聴取を受けていた。屋敷の破壊についての事情
や原因を尋ねられているのであるが、現場にいた祥子や母親の清子でさえ状況が全く把握
出来ていなかったので、調書の作成にはさらに時間を要することになる。

 小笠原の屋敷の一角にそびえる巨大な氷柱。その中心に祐巳は体を丸めて、母親の胎内
で眠る赤ん坊のようであった。
 祐巳が氷柱と化しておよそ十時間が経過し、氷柱から半径一キロメートル以内の気温は
既に五度まで下がり、六月の梅雨の時期には異常な低温であり、気温の低下はまだまだ治
まりそうに無くまた、気温が低下している地域も刻一刻と拡大を続けていた。
 このことは夜七時ごろのニュース番組でも取り上げられていた。
「東京都武蔵野市にある小笠原グループ会長宅が謎の崩壊をし、屋敷には突如巨大な氷柱
が出現している模様です。現在警察では、事件、事故の両面から捜査を進めていますが、
氷柱が現れた原因は未だ不明とされています。さらに、小笠原邸を中心に異常な気温低下
が発生しその範囲も拡大中ですので、付近の住民のみなさんは防寒対策の準備を怠らず、
各地方自治体の指示に従ってください」

 部下の報告を武内警部は煙草をくゆらせながら聴いていたのが夕方の六時頃。報告の内
容の異常さにそう簡単には納得できないでいた。
「小笠原の屋敷が何らかの理由でぶっ壊れたというのは理解できても、その氷柱ってどう
いうことなんだ。お前、それ本気で言ってるのか?」
「本気も何も、住民からの通報が十五件もあるんですよ。そのどれもが同じようなことを
言ってるんですから、イタズラとして無視はできません」
 その時武内警部のデスクの電話が鳴った。部下をそのまま待たせ、ゆっくりと受話器を
取り上げる。
「はい、武内です」

 電話で上司から現場へ調査に行くよう命じられた武内警部は、それから十数分後数人の
部下を率いて現場へと赴いた。時刻は六時半手前もうすぐそこまで夜の闇が迫っている。
 武内警部は例の氷柱を目の当たりするや口にくわえていた煙草がぽとりと地面に落ちた。
「何だこれは? この辺りが急に寒くなったのはこいつのせいなのか?」
「それがまだ何も詳しいことは分かっていないんです」
 隣にいた井上巡査部長はメモをめくりながら答えた。
「一応聞き込みはしているのですが、これが出現した大まかな時間帯以外主だった情報は
得られていません。周辺の住民の話ではどうもこれは、いきなり何の前触れも無く現れた
ようですね」
 地面に落とした煙草を足で蹴飛ばし、ポケットから代わりの煙草を一本取り出した武内
警部はそれに火を点け、深々と肺に吸い込んでゆっくりと紫煙を吐き出した。
「で、その大まかな時間帯ってのは?」
「大体夕方の五時半頃です」
「夕方の五時半頃にいきなり現れた……これ本物の氷なのか?」
   武内警部はずかずかと氷柱へ歩み寄り、それに触れようとした瞬間氷柱から発せられた
青い光の帯がその手を弾き、突然の衝撃に面食らった武内警部は再び煙草を地面に落とし
てしまった。
「おい……今の何だ?」
 周りで現場の調査をしていた警官たちは異様な光、そしてそれに右手を弾かれた瞬間に
戦慄を覚え、立ち尽くしている。
「今のは何かの間違いだ。もう一度」
 結果はさきほどと同じく右手を弾かれた武内警部は、信じられないものを見つめるよう
に自身の右手をじっと見つめていた。
 武内警部はズボンのポケットから携帯電話を取り出し、通話を始めた。
「もしもし、武内だ。例の妙な氷柱の現場に来てるんだが、あれはどうも普通じゃないぞ。
いや、それはまだ試してない。撤去準備にどれぐらい掛かりそうだ? そうか、分かった。
俺達は一度署に戻る。また後でな」 
 氷柱から離れた武内警部は部下達に調査を続けさせ、自身は乗ってきたパトカーで署に
戻っていった。
 署に戻った武内警部は自分のデスクに戻ろうとしたその時、入り口に設置している自動
販売機の側で缶コーヒーを飲んでいる上田警部補の姿を見つけた。
「通報のあった氷柱とやらを見に行ってたのかい?」
 上田警部補も武内警部に気付き、やぁと片手を挙げて挨拶する。
「そうだ。あれは普通の氷じゃない」
 自動販売機に小銭を入れ、ホットコーヒーを缶を取り出しながら答えた。
「どんな風に? 何か特徴でもあったのか?」
   飲み終わった缶をくずかごに放った上田警部補は、武内警部が口にくわえた煙草にライ
ターで火を点けながら訊く。
「あれに手を触れようとしたら、青い光に弾かれたんだ。二回も」
「弾かれた? しかも光に? それはどういうことなんだ?」
 腕を組み、左手に煙草を挟みながら武内警部は現場での出来事を詳細に話し、それを上
田警部補は下を俯いてじっと聞き入っていた。
「今の状況ではよく分からないが、とにかく解体してみれば何か分かるだろう」
「撤去準備はもうしばらくしたら、あと二十分ぐらいで終ると思う。武内君も一緒に行く
のかい?」
「いや、行かない。というより行けない。担当してる仕事が忙しくてな。今日行ったのは
たまたまだ」
 吸殻を灰皿に押し付けた武内警部はそれだけ言ってその場を後にした。
 氷柱を解体するためのショベルカー、そして破壊した氷を乗せるための大型トラックに
撤去作業を実行するための作業員数名がそれらに乗り込み、付き添いの警官の先導のもと
現場へと向かって行った。
 屋敷の解体作業は明日に行われ、まず先にこの奇妙な氷柱の撤去から始められることに
なった。
 調査中の警官を一時現場から離し、撤去作業にあたる作業員達が現場で作業を開始する。
 ショベルカーに乗り込んだ作業員が、鋼鉄のショベルで氷柱を削り取ろうとしたその時、
氷柱から発せられた強烈な青い光がその場に居合わせた人間を、ことごとく悪趣味な氷の
オブジェへと変えていく。
 みるみる凍り付いていく同僚の姿に恐怖した作業員や警官は一目散に逃げ出すが、彼ら
もまた同僚と同じ末路を辿るのだった。

「臨時ニュースです。小笠原邸の氷柱の撤去作業にあたった作業員五名、現場で調査中だ
った警官六名の計十一名が凍死するという事件が発生しました。原因は現在調査中ですの
で、付近の住民の方のみならず、一般市民のみなさんは大変危険ですので、決して近づか
ないで下さい」

 聖は病室で眠っており、側で看病していた祥子は近くのホテルで夜を過ごしていた。
 時刻は午後十時。院内の消灯時間はとうに過ぎており、全ての病室は人の動く気配の無
い静かな夜に満ちている。
 がちゃりとドアノブの音で目が覚めた私は、誰かが部屋に入ってくる気配を感じた。
「誰……?」
 常夜灯の薄い明かりに照らされた影はブラウンだった。そして彼の後ろにはホワイトの
姿もある。私のお見舞いに来てくれた、とはちょっと思えないけれど。
「お姉さん大丈夫ぅ?」
 この場にはそぐわない軽い口調のホワイトで体調を気遣ってくれた。
「あんた体の方は大丈夫なのか?」
 私はホワイトやブラウンの気遣いに少し照れくさかったけれど答える。
「まぁ体のあちこち痛むけど命に別状はないって。でも自由に動けるようになるには一ヶ
月ほどかかるってさ」
 私は痛みを押し隠して苦い笑みを浮べた。
 ホワイトにイスを勧めたブラウンは、壁にもたれかかり、ホワイトはちょこんと座った。
 そして私に向かって囁くような小さな声で話し始めた。
「あのねぇ、お姉さんは怪我して気絶したから知らないかも知れないけど、あの祐巳って
人ネ、氷の柱になっちゃったの」
「氷の……柱?」
 私は表情が凍りついてしまい、ホワイトの顔をまじまじと見つめる。祐巳ちゃんが、氷
柱になってしまった?
「うん。すご〜く大きな氷の柱。それでね、これのせいでどんどん寒くなってるの。普通
六月のならばもっと蒸し暑いのに今は全然暑くないでしょ? これは、氷の柱のせいなの
よ〜。これからね、もっともっと寒くなるの。この世全てが凍りつくぐらいに」
 ブラウンの「この世全てを閉ざせるヤバイ代物なんだぜ」という台詞が頭をよぎる。つ
まり、このままではこの世の中が凍って閉ざされてしまうと。
「ということはそれを破壊しなければならない……」
「簡単に言えばそうなんだけどぉ、これがなかなか難しいのだからね、私達お姉さんに逃
げてって言いに来たの〜」
 非日常的な話に多少の免疫が出来てしたっていた私にも、ホワイトの話にはまるで実感
が湧かず、混乱した頭の中には「なぜ?」「どうして?」「どういうこと?」といった、
疑問文が飛び交っていた。
 さっき見た夢の中に出てきた苦しげな祐巳ちゃんを救う方法はもう無いのか、そんなこ
とを考えているうちに、私にはどうすることも出来ないという無力感が体の奥底からせり
上がってくる。
「あのねホワイト、私はただ逃げることしか出来ないの?」
 そう私が訪ねると、悲しそうな顔したホワイト後ろのブラウンに振り返った。
 ブラウンはつかつかとベッドまで歩み寄り、私の顔をじっと見る。
「あんた人間やめる覚悟あるのか?」
  「人間を……やめる? それってどういうこと?」
「俺達と同じ様に珠の力を使う側になる覚悟はあるのかってことだ」
 私がホワイトやブラウンみたいな力を使う側になる。本当にそんなことが出来るんだろ
うか。もし、それが可能ならば私は祐巳ちゃんを……。そのためならば、捨ててやろうじ
ゃないか人間なんて器を。
「覚悟? あるよ。だからどうすればいいの?」
「本当にいいんだな? 俺達のような珠の力を行使する、守護者(ガーディアン)になっ
てしまえば後は、珠や石を乱用する奴を討ち倒すだけの日々。後戻りなんて出来ないぞ」
 私はブラウンの目を見てはっきりと告げた。
「それも覚悟のうち。だから、どうすればいいのか教えて」
 ブラウンとホワイトの二人は目をつむり、何か集中し始める。
 数秒後、ブラウンの体からは茶色い光が、ホワイトからは真っ白な光が溢れ出し、視界
が茶色と白の二色で占められる。目を開けていられないほど強い光を発し続ける二人。
 それから数十秒後、ふっと光が消え病室は元の闇に包まれていた。
「これを受け取れ」
 ブラウンの掌にはゴルフボールぐらいの透明な水晶みたいなものが乗っかっている。そ
れを指で摘んで受け取った。
「詳しい説明は後で必ずするから、要点だけを今話す。これはまだ珠じゃない。珠か石の
どっちになるのかはあんた次第だ。だから、場合によっては俺達を超える力が手に入るか
もしれないが、逆に遠く足元にも及ばないほどちっぽけな力しか手に入らないことも有り
うるってことを理解してくれ」
 手にしているこれは、人をやめて得られるものがどれぐらいあるのか分からない博打的
なものってことなんだろう。だから、事の運びがやたら慎重なのか。
「分かった。それも受け入れる」
「お姉さんホントにいいのぉ? ホントに後戻り出来ないんだよ?」
 何時に無く真剣でそして悲しげな表情をするホワイト。この子がこんな顔をしてしまう
ぐらい、これを受け入れるって事は大事なんだろう。
「まぁ、ちょっとどころかすごく恐いけれどね……」
「あんたの意思は分かった。これから、鍵(トリガー)となる言葉を言うから復唱してく
れ」
 私はブラウンに向かって一度だけ大きく頷いた。
「我、己の器を捧げ、天上天下に遍く覆いし星の力を受け入れん。新世界の開闢(エンタ
ー ザ・ワールド)」
 私は堅苦しく言い難い鍵を復唱すると、透明だった水晶のようなものが赤や白、青、黄、
緑というように様々な色の光を次々と発した。
 私の掌からは色とりどりの光が発せられ、やがて金色の光を放ち続けるようになった。
「なっ、金色? ホワイト……」
「うわぁ、私、金は初めて見た」
 二人は囁くように何か話しているけれど、この金色の水晶がどんなものかさっぱり分か
らない。そもそもこれは『珠』なのか『石』なのかすら判断が付かない。
 そんな私の不安に構わず、水晶は掌に吸い込まれるように消えていった。すると心臓が
一度、ドクンと回りにも聞こえそうなぐらい大きな鼓動を打った。
 そして暖かい力が体全身にみなぎっていくのが嫌でも実感できる。ぎしぎしと痛む肋骨
や、擦り傷のひりひりとした痛みも波が引いていくように治まっていった。
「あぁっと、悪い。あんたのそれは紛れも無い『珠』だ。そして色は『金』だ。さて、あ
んたには色々と話をしなければならないことがあるんだが、今日はこれぐらいで終わって
おく。今夜はゆっくりと回復に努めてくれ。じゃあな」
 じゃあな、と右手を軽く上げたブラウンは静かに部屋を出て行く。
「また明日ねお姉さん」
「うん、また明日」
 ホワイトは部屋を出て行くとき、一度私の方を振り返り、何かいいたげだったけれど、
彼女の口からは何の言葉も出てこなかった。


To be continued→