「たねパニ! −後編−」


Written by 榎木津巽




4:雨の日でも蛇の目でお迎えする余裕は無い


 気象庁の予報通り、午前三時ごろから雨が東京全域に降り出し、午前八時の段階でも止

む気配は無かった。

 植物が生育していく上で雨というものは欠かすことの出来ないものであるが、この時ば

かりはタイミングの悪い降雨だった。

 眠たげな目をこすりながら乃梨子は、枕元に置いている折り畳み式の携帯電話を開いて

時間を確認する。液晶画面には午前八時五分と表示されていた。

 いつもならば、とっくに家を出ている時間だ。しかし、乃梨子は学校へ向かうそぶりも

見せない。

 昨日は昼で授業が中断され、夕方にはクラスの連絡網で当分の間自宅待機になるという

ことを乃梨子聞いたからだ。それと同時に高等部の校舎が失われてしまったことも。

 その情報に大きな衝撃を受けた乃梨子だったが、館が倒壊したのだからゆくゆくは……

と、心の片隅で思っていたので、薔薇の館が崩れてしまったとき程のショックは受けなか

った。

 二度寝をしようかと思ったが、そんな気にもなれず、倦怠感の漂う体を引きずるように

して自室を出た。菫子は朝の早くに出勤したらしく、居間のテーブルには帰りが遅くなる

という内容のメモだけが置かれている。朝食の用意はされていないようだ。

 乃梨子は目覚ましのためにとテレビのリモコンを手に取り、スイッチを入れた。

 朝のニュース番組が流されている。平常時ならば、グルメに関するコーナーだったのだ

が、四十台ぐらいの男性キャスターがニュースを読み上げていた。

「昨夜未明、東京都武蔵野市に出現した正体不明の樹木は、今現在も成長を続けている模

様です。入りました情報によりますと、現時点で既に市の二割近くの面積がこの木の根に

呑み込まれました。住民らは、自主避難や市の避難勧告に従い退去は完了しているため負

傷者や死者は出ていませんが、根の除去や木の伐採を行おうとした消防隊員十数名が、負

傷したとの情報も入ってきております」

(なんだって!? 街の二割が呑まれた?)

「市内の多数の道路が通行不能状態にあるため、市の大部分の交通はマヒ状態です。現在

武蔵野市への交通は規制されております。道路情報には常に注意するようにして下さい。

また、鉄道にも影響が現れ西武新宿線では花小金井と東伏見で折り返し運転を、中央線で

は東小金井と吉祥寺で折り返し運転をしております。都内へ向かう場合は臨時のバスが出

ていますのでそれを利用するようにして下さい」

 一通り読み終えたキャスターに、身をかがめながら素早く寄ってきたスタッフがメモを

渡す。

「たった今現場と中継がつながった模様です。中野さん」

 画面は傘を差しながらレポートしている、中野と呼ばれた二十台半ばの女性レポーター

ーの姿に切り替わった。

「こちら中野です。現在JR中央線の吉祥寺駅に来ております。「木」からおよそ三キロ

程離れていますが、ご覧ください」

 レポーターの指し示す方をカメラは拡大して映し出す。曇天の空を突き破ろうとしてい

るかに見える一本の太い線、全長六百メートルを超えた「木」の威容がそこにあった。

 あまりの巨大さと太さによって大気の流れが変わり、「木」の幹の周りには白いもやが

渦を作っている。天候が悪いせいか頂上部分は緑に薄い灰色を足したような、ぼけた色合

いをしている。両手を広げたままの格好で成長した「木」。背の高さも特筆ものではある

が、青々と茂っている枝や葉の部分が占めている空間の割合も相当に高い。

 枝葉の真下では、悪天候も手伝ってほとんど闇夜に近い明るさしかない。人々は避難し

てしまっているので、明かりが無くて困る者はいないのだが、迫りくる闇に住民達は、死

神が一歩一歩にじり寄ってくるような恐怖を感じていた。

 乃梨子はテレビを点けっ放しにしたまま自分の部屋へ戻り、携帯電話を引っ掴むと通話

履歴から志摩子の家の番号を呼び出し、電話をかけた。

 志摩子の実家のある小寓寺は、「木」から直線距離で二十キロ以上離れているためまだ

大丈夫だったのだが、心配になった乃梨子は、志摩子の無事な声が聞きたくなってしまっ

た。

 八度目の呼び出し音で繋がった。

『もしもし、藤堂ですが』

 受話器に出たのは志摩子だ。乃梨子の体中に巡っていた緊張が瞬時にして開放されてい

く。

「もしもし、乃梨子です。いきなりなんですけど、テレビご覧になられましたか?」

『えぇ。街が大変なことになっているようね』

「うん。志摩子さんが心配になって電話しちゃった」

『私ならば大丈夫よ。乃梨子のお家は?』

「私の方も問題ないよ。ただ菫子さんが朝から仕事に出かけちゃってるのがちょっと心配

かな」

『まぁ!? それは大変なことではないの?』

「うん。あの人ならば大丈夫な気がする。何はともあれ志摩子さんが無事でよかった。何

かあったらまた連絡するね」

『いつでも遠慮押せず電話をちょうだいね』

 通話を終えた乃梨子は再び居間へと戻った。点けたままにしておいたニュース番組では、

また別な情報が入っているようだった。

「事態を重く見た市は、市内全域に避難勧告を出し、道路を塞ぐ根の除去を東京都に依頼、

都のほうでは自衛隊へ災害出動の要請も検討中の模様です」




 十二月一日午前九時十二分、今年で還暦を迎える藤井博内閣総理大臣は早朝から二つの

重大な問題に直面していた。

 そのうちの一つは、武蔵野市リリアン女学園に生息している「木」についてだった。

「現在ターゲットの全長は六百五十八メートル、一時間に五十メートルもの勢いでなお成

長続けており、根の範囲も五百平方メートル程で拡大中です」

 五十手前のぐらいの秘書が報告書を淡々と読み上げる。首相は半信半疑な眼差しを秘書

に向けている。

「この世の中にこんな気味の悪いことが本当に起こりうるのか? 一晩で六百メートルも

成長する木なんてあるわけないだろう……。でも、これが事実なんだな?」

 首相は眼鏡をはずし、手のひらで両目を押さえつけながら問う。

「はい。これが武蔵野市で起こっていることです。都の方では自衛隊に災害出動の要請を

した模様です」

「切り倒せるのか? そんな巨大なものが?」

 眼鏡をかけなおした首相は不安げに尋ねた。

「東京都庁ビルよりもはるかに巨大なものなので、切るのは不可能でしょう。雨の問題は

あるでしょうが、おそらくは焼いてしまうでしょう。周辺の地域には多かれ少なかれ被害

は出ると思われますが……」

「分かった。それでまだあるのだろう? 憂慮すべき事柄が」

「はい。まだ予測の域は出ませんが、「異変」が起こる模様です」

 まだ午前中だというのに、首相の体全体へどっと疲労が蓄積されていく。

「起こる規模や時期は分かっているのか?」

「委員会の者によると、詳細を予測することは不可能という話ですが大枠は掴んでいるよ

うです。発生規模は……」

 秘書の言葉は、そこでわずかに詰まる。

「日本列島の大部分に甚大な被害が、発生時期は最悪の場合で一年以内という報告を受け

ております」

「一年!? たった一年でどうしろというのだ……」

 首相が頭を抱え込んでいると、官邸全体が左右に二十秒ほど揺れ続けた。揺れの程度は

震度三程度のものだったが、首相にとってはこれから起こりうる巨大な災厄の前触れにし

か思えなかった。




 練馬の陸上自衛隊駐屯地から出発した「伐採作戦部隊」は、雨の降りしきる中武蔵の目

指して驀進する。

 そして現場に隊員が到着した頃の武蔵野市は、この世のものとは思えない惨状を呈して

いた。

 獰猛な根によって地上の建造物がことごとく倒壊せしめられ、隊員の目前でアスファル

トが発泡スチロールに鉛筆を突き刺すかのように、易々と穴が穿たれていく。ビルや家屋

が倒壊したときに発生した火災は、誰にも消し止められず、雨天の中黒煙を立ち上らせな

がら真っ赤な炎が少しずつ周囲に広がっていった。

 炎があろうとお構いなしに、津波のような根の束が地上を覆い、這い、埋め尽くす。一

軒の住宅が横からの圧力に耐え切れず、ぺしゃんこに潰れた。こういった破壊が市内のあ

ちこちで繰り広げられているのだった。

 冷たい恐怖を押し殺しながら隊員達は機材や爆薬をトラックから取り出し、それぞれ持

ち場に展開していき、伐採作戦が開始された。

 根から若干離れた場所に爆薬を仕掛け、根がその地点を到達するのを安全な場所で経過

を見守る。タイミングを見計らって装置を起動させ、爆薬は閃光と轟音と共に炸裂した。

 しかし……、根は何事も無かったかのように侵攻の手を緩めない。装置は確実に作動し、

仕掛けられた爆薬も残らず燃え尽きていた。それにもかかわらず根の表面に多少の焦げが

見られるだけで、損傷らしいものは何一つ確認できない。

 爆破に失敗した隊員達は八四mm無反動砲を構えるとトリガーを引き、弾薬が発射され、

着弾、炎上する。

 薄暗い街中でいくつもの閃光が迸る。それでも根にはほとんどダメージも与えることが

出来なかった。

 結局、伐採作戦はものの見事な失敗に終わった。




 陸上自衛隊による作戦失敗から三時間あまりが経過した午後三時二十分過ぎには、武蔵

野市の半分は「木」の根に占領されてしまい、「木」の高さはもう間もなく一千メートル

の大台に達しようとしている。

 全長「一キロメートル」もの巨木。橋より長い「木」が、雨天の武蔵野に突き立ってい

る。天候の悪い都内からでも多少輪郭がはっきりしないものの、存在は目視できた。

 この悪夢を具現化したような「木」は、これまでにあることだけはしていなかった。

 それは「落葉」だ。

 背丈は無限に伸び、根は津波のように押し寄せてくるが、一枚たりとも葉っぱが落ちて

くることは無かった。

 しかし、その幸運も長くは続かなかった。

 緑一色だった葉に少しずつ茶色いものが混じり始め、ついに午後四時過ぎには何枚かの

葉が風に吹かれて舞い降りてきた。一枚が畳ほどもある葉っぱが。

 重量自体はダンボールとさして変わりは無い。が、しかし、風吹くたびに数百枚もの葉

っぱが、しかも運の悪いことに風向きは西から東、つまり平方メートル単位の大きさの枯

葉が、武蔵野市周辺のみならず、練馬、杉並、世田谷、板橋、新宿、目黒区へ降り注いで

いった。中には約三十キロ離れた千葉県の浦安市や、四十キロ程距離のある横浜市にまで

飛散したものもあった。

 突然フロントガラスが落ちてきた葉に覆われ視界を失い、そのために発生した事故も五

十件は下らない。また、鉄道も走行中に先頭車両に葉っぱが張り付き、停止位置がずれる

という事故も二十件以上発生した。雨に濡れた車体に張り付いた葉はぴったりと密着し、

高速走行による風圧でもってしても剥がれ落ちることは少なかったのである。

 いよいよ「木」の影響が、東京都心部にまで及び始めたのだった。

 昼過ぎから検討されていた三鷹市、小金井市、西東京市、杉並区の全住民に対する避難

命令の発令が午後五時過ぎになってようやくなされ、命令の対象となった人の数は、なん

と百万人を超えるものだった。




 都心部が、にじる寄る「木」の根にじわりじわりと圧迫を受けている頃、ようやくこの

大騒動を引き起こした女神――マユラが日本列島上空に姿を現した。

 マユラは盛大な迷走の末、ようやく東京へと辿り着いたのだ。

「ここだ。多分ここ以外に考えられないよ」

 天を覆う雨雲、その下に広がる関東平野。マユラはそこでようやく目的の物の所在が分

かった。

「あちゃぁ……。植えちゃったのか。う〜んこれはどうしたものかなぁ」

 左手であごをさすりながら一人思考にふけるマユラ。

「それはお姉さまに考えてもらおう」

 三十秒ほどで解決策の提案をあきらめたマユラは、地上へ下り始めた。

 やがて高度を地上千五百メートルまで下げると、「木」のてっぺん部分に着地する。

「うわぁ。しっかり育っちゃって。さて、それはそうと、いったい誰が種を植えたのかし

らん」

 マユラは瞳を閉じ、精神を集中させ始めた。「木」の持つ記憶を読み取っているのだ。

「そっかぁ。この子が植えちゃったんだねぇ」

 一通りの記憶を読み取ったマユラは、種を植えた人間――二条乃梨子を探すべく「木」

から飛び降り、いまだ雨の止まない地上、八王子へと向かった。




 マユラが地上に降り立ったその頃、乃梨子は志摩子の実家である小寓寺にいた。

 夕方に菫子から仕事がはかどっていなため、今日は帰らないというメールを受け取った

乃梨子は、菫子が帰るまで志摩子の家でお世話になることになった。

「乃梨子、お風呂が空いたから使ってもいいわよ」

「うん。分かった。すぐに入るね」

 志摩子の部屋で持参した本を読んでいた乃梨子は、志摩子の水気を含んだ艶やかさにみ

とれながら返事を返す。

(女の私でもこれは色っぽいなぁと思っちゃうよ)

 その時、部屋がゆさゆさと横に揺れた。一瞬だけ部屋の明かりが瞬いたがすぐに回復、

天井から吊るした照明が揺れに合わせて左右にふらつく。揺れは十秒ほどで収まったが、

数秒と経たないうちにまた同じ程度の強さで揺れた。

「今の地震だよね?」

 乃梨子は顔を上げて、まだ揺れている照明にわずかに不安げな視線を向ける。

「そうね。大したことは無いみたいだから安心してもいいみたいだわ」

 志摩子は部屋に置いてある自分のベッドに腰掛けた。すると、窓の外でコンコンという

ガラスを叩く音がする。

「何かしら?」

「何だろう……。何が起こっても不思議じゃないけど」

 ベッドから立ち上がった志摩子は机の側の窓を開ける。そこには乃梨子がいた。正確に

は乃梨子そっくりな容姿であるマユラが、真っ白な翼を羽ばたかせながら滞空していた。

「はいはいこんばんわ。ちょっとお邪魔するよ〜」

 窓の外にいたはずのマユラの姿が一瞬で消え去ると、次の瞬間には志摩子の部屋の中に

現れた。手品のように突然部屋に出現したマユラの姿を、乃梨子は声を出せずにただ凝視

していた。

(今の何!?瞬間移動とかいうやつ? まさかそんなことがありえる訳が……)

 そう乃梨子は考えたが、非常識極まりない「木」の存在を目の当たりにしているため、

超常現象的なものに対する免疫が多少付いてしまっていた。つまり、とんでもないものに

対して慣れてきたのだ。

「…………あの、どちら様でしょうか?」

 志摩子は理性を総動員して、この非現実的な来客者本人にその素性を尋ねる。志摩子の

風呂上りで温かかった体の芯が、急速に冷えていく。

「あ、私? 私マユラ。実は女神なんですよ〜。すごいでしょう」

「女神?」

 乃梨子は手から滑り落ちた本を拾うこともせず、目の前に立っている自分そっくりの顔

をした、自称女神に不審な眼差しを向ける。声にはあからさまな不信感が込められていた。

「まぁそんなことよりもですね、あっ、このイス座ってもいい?」

 志摩子は勉強机に備え付けてあるイスをすすめると、マユラはふわりと腰掛ける。乃梨

子は丸いセンベエ座布団の上に座っており、志摩子はベッドの上に腰を下ろした。

「二条乃梨子さん。あなた昨日種植えたでしょう?」

 志摩子以外に知らないはずのことを、いきなり現れた怪しいことこの上ないマユラから

ズバッと尋ねられた乃梨子は、びくっと体を震わせる。

(どうして知ってるんだろ!? 誰にも言ってないのに)

「どうなの? 植えたんでしょう?」

「……植えましたけど」

 力無くうつむきながらぼそっと答える乃梨子。

「あ、いや、別に責めてるとかじゃなくて確認したかっただけだから。さてさて、話の本

題に入りましょうかねぇ。えっと、乃梨子さんが植えたあの種って『世界樹(ギガンティ

ア)の種』っていう名前なんだけど、本来こいつはね、神族達が宮殿や神殿の建築材料に

使うものなんだ。だからとても頑丈」

 乃梨子達が見たニュースでは、「木」を火薬で焼こうとしても、爆薬で爆破しようとし

ても失敗したということを伝えていた。そのため、二人はなんとこの時点でマユラの話に

何となく納得しかけていた。

「神様達が暮らす場所だから当然広くて大きいものを立てるの。だからとっても沢山の材

料が必要になるのよねぇ。そういう理由から『世界樹の種』は非常に都合のよいものだっ

たの。私がうっかり落とさなければ、こんなことにならなっかたんだよね。本当にゴメン

ナサイ」

 深々と頭を下げるマユラ。彼女は小寓寺へ来る途中、「木」によって人間の住んでいる

地上が甚大なる被害を受けていることを知った。マユラは少なからぬ責任が自身にあると

いうことは自覚していた。だからこうして抵抗無く人間に頭を下げ謝罪しているのだった。

 どうしたものかと顔を見合わせる乃梨子と志摩子。

「えっと、まぁ……」

「頭を上げてもらえるかしら」

「え? 許してくれるの?」

「私は許すとか許さないとかっていう話じゃなくて、あの「木」が何とかならないかって

いう話がしたい」

 乃梨子が率直な思いを述べると、マユラは無言で頷き、「世界樹の木」についての話を

続けた。

「あの木の頑丈さは私達神様らのお墨付きだから、人間がどうこうできるってものじゃあ

ないの。そこで出てくるのが、私達神族がエーテルコーティングした道具。あっと、エー

テルコーティングっていうのは、私達がその道具が決して壊れないように保護の加工を施

すことなの」

「それじゃあ、あなたがエーテルコーティングとやらを施した斧があれば、あの「木」を

切ることが出来るということなのね?」

 乃梨子が確認すると、マユラは「そうだよぉ」と返す。

 ぐらぐらとまた、志摩子の部屋が揺れる。

「なんか今日地震多いよね」

「そうね。どうしてなのかしら」

 地震は数秒間ほど部屋を揺らすにとどまり、何かが壊れたといった被害はまだ無い。

「あのね、この地震というやつの話もあるんだ。近い将来この国にとっても大きな地震が

起こるの。多分この島が砕けちゃうぐらいに強力なやつが。それでね、まだ決まったわけ

じゃないけど、私のお姉さまに頼んであなた達を救うお手伝いをしようと思うの。迷惑料

って感じかなぁ」

「ちょっと待って、なんかよく分からない」

 乃梨子は武蔵野で猛威を振るっている「木」と、大地震とがどう関係あるのか話が見え

ないでいる。

「そう? じゃあもうちょっと突っ込んだ表現をすると、あのね……あなた達の時間換算

で一年ちょっとで、日本列島にかなり激しい地殻変動が発生し、地上はすべからく壊滅し

てしまうの。間違いなく大勢の人間が死ぬことになる。それを私達が助けましょうという

こと。ここでようやく「世界樹の木」と話が繋がるのだけど、あの木は神族の連中ですら

加工に手間がかかるぐらいとっても頑丈なの。だから、この「木」切らないで置くほうが

安全だと思うなぁ。地震ぐらいじゃびくともしないだろうし。そして、あなた達の生活基

盤をあの木に移してしまえばいいんだよ。あの木は成長力もすごいけど、繁殖力も激しい

から、この国が世界樹の木で覆われるのも、そう時間はかからないと思う」

「私達に、あの「木」の上で生活しろとおっしゃるのですか?」

 困惑しきりな表情の志摩子は、おずおずと尋ねた。

「うん。そう。こんなひ弱な岩盤の上で生活してちゃあ心許ないでしょう? これ私の案

なんだけど、結構いい感じだと思わない?」

「つまりあなたは「木」を切ることも可能だが、一年後に襲い掛かってくる事を考えるな

らば、切らずに置いておく方がいい、と言いたいのね」

 マユラは「そうそう」と大きく頷いた。

「どうするかは種を植えたあなたにお任せするよぉ。あの「世界樹の木」って植えた本人

じゃないと切り倒すのがすんごく面倒なんだよねぇ」

(なんとまぁメルヘンちっくな提案なんだろう。街を木の上に移すってことだから。でも

そんなこと本当にできるかなぁ)

「志摩子さん、私は……残しておいた方がいいような気がする」

「落ち着いて乃梨子、まだ絶対に起きるとは決まったわけじゃないのだから。ほら、今も

聞こえるでしょう」

 耳を澄ませば、遠くの方で建造物が倒壊する――ガラスが割られ、木材がへし折られ、

コンクリートが大小様々な大きさの塊に砕かれ、鉄筋が飴のようにひん曲げられていくあ

りとあらゆる破壊の音が、この小寓寺にまで響き渡ってくる。

 あの最大級に迷惑な「木」のもたらす被害により、百万以上の人々が避難する羽目にな

っているのもまた事実だった。

 乃梨子の心の天秤では片方に、目前の平穏が、もう片方には将来の安定が乗っている。

天秤は将来の安定に傾きつつあったのが、均衡している。

 前触れも無くドン、と下から突き上げるような縦揺れが起こった。今日何度目かの有感

地震では一番大きな揺れだ。

「まただ!」

 乃梨子は床に手を着いて揺れに耐える。棚や机の上に置いてあるものが、がたがたと音

を立て何冊かの本が床に落っこちた。

 揺れが収まった直後、乃梨子は「木の保存」を選ぶことをマユラに告げた。




5:上空二千メートルの世界


「それじゃあ、この国で一番偉い人に来てもらいましょう」

 マユラはにこやかにそんなことを臆面も無く言い放つ。

 目を閉じたマユラは両手をパンと叩くと、乃梨子らの眼前に初老の男性がイスに座って

いる格好で現れた。当然彼の座っていたイスなんてものはないので、どしんと尻餅をつい

た。

「痛たたた。ん? ここはどこだ!?」

 ずれた眼鏡を直し、男はきょろきょろと辺りを見回す。

「志摩子さん……もしかしてこの人」

「藤井首相……よね?」

 首相は驚愕しきりな面持ちで、乃梨子と志摩子、マユラの順に目線を移していく。

「何だ君達は? どうして私がこんな所にいるんだ」

「大切なお話があるので、お越しいただきましたぁ」

「は?」

 マユラは自分が座っていたイスに首相を半ば無理やりに座らせると、乃梨子達に話した

ことをもう一度語って聞かせた。

「どうして君はそのことを知っているんだ」

「地震のこと? そりゃあ私が女神だからに決まってるじゃない」

(それ、理由になっていないような気がする)

 乃梨子はそう突っ込みを入れようかと思ったが、部屋を占める雰囲気がそれを許しては

くれそうにない。

 マユラは引続いて、生活基盤を世界樹の木の上に移すように提案した。

「このまま「木」の成長と繁殖を放置し、日本全国に根付かせ、国民はこの巨大な木の樹

上で都市を築き生活をする」と。

「そんなこと不可能だ! そもそもこの東京だけで千二百万からの人が住んでいるだぞ。

都民全員を避難させるだけでもどれほどの時間と費用がかかるか分かってるのか!」

「だぁかぁらぁ、その苦労を私たち神族が引き受けてあげるって言ってるじゃないですか。

神様のお話はちゃんと聞いてくださいよ」

「まず、君が信用に値するかどうかの証拠が無いし、事が大き過ぎて私一人ではどうにも

ならん」

「あぁもう、面倒だから私があなたに付いてって話してあげる」

 今までのやり取りが幻だったかのようにマユラと首相は、忽然と部屋からいなくなって

しまった。

「何だろうね、あの神様。なんか神様らしくないよ」

「とても不思議な方ね」

「私、お風呂入ってくるよ」

 どっと疲れが押し寄せてきた乃梨子は、ふらふらとした足取りで部屋を後にした。

 マユラが首相と共に姿を消してからおよそ一時間後、またもや志摩子の部屋の窓が叩か

れた。どうしようか、とお互い顔を見合わせる乃梨子と志摩子。

 志摩子は先ほどと同様に窓を開けてやった。窓から中に、するりと身を滑り込ませるよ

うにして入ってくるマユラ。

「ふぅ。疲れたぁ」

 開口一番マユラは大きなため息を付いた。

「あの、結局どうなったんですか?」

「ちょっと強引にだけど分かってもらったよぉ」

(強引に? 何したんだろう……怖いから聞かないでおく方がいいかもしれない)

「さぁて、私は一度帰ってお姉さまにお願いしなくちゃ」

 マユラは音も立てずに部屋から掻き消えた。




 翌日の十二月二日の午前名七時時点で、武蔵野市は完全に「木」の根に覆い尽くされ、

周辺都市の一部も根に占領されていた。

 全長二千メートルにまで成長した「木」は、橙色した大輪の花(まさに「大輪」という

文字のごとき大きさの)を咲かせ、中には紫色の果実を実らせるものある。

 天候は快晴だったが、街は暗かった。「木」の枝葉が空を覆っているせいだ。外に出て

いる人々が天を見上げると、枝や葉っぱが網の目のような密度で空を占めているという奇

妙な光景を目にすることが出来た。

 政府は、正午に重大な発表を行うことを、早朝から新聞やラジオ、テレビにインターネッ

トなどで広告していた。

 そして十二時ちょうど、藤井総理から国民に向けて、そう遠くない将来に日本が破滅す

るほどの地震が発生すること、国民の救済手段として今もなお東京で拡大している「木」

に生活拠点を移すということを公式に発表した。

「今現在、成長を続けている「木」は、やがて東京のみならず他の都道府県にも繁殖する

と予測されています。つまり、今皆さんが住まれている街や村が地上二千メートルほどの

高さに移される、そう解釈していただいて結構です。退避行動は来年より実施されますの

で、出来る限りの準備を行ってください」




 首相の発表から五日後、「木」に実っていた無数の果実が熟れて地面に落下していった。

 紫色の一見リンゴのように見える果実の直径およそ十メートルほど。熟しきった果実は

宇宙では無限に漂う隕石のごとく地上へと降り注ぐ。

 落ちてきた果実は、人のいなくなったビルや家屋を轟音と共に粉砕していった。東京に

は果実の雨が降り注いでいるのだ。

 地面に落下した果実からしばらくして、果実の大きさからすると極めて小さな種が芽を

吹き、双葉に別れすくすくと育っていく。

 こうして「木」は成長と繁殖を繰り返し、二月中頃には関東平野中に「木」が生息して

いた。

 マユラを初めとする女神達は避難活動に少なからぬ手を貸し、彼女達の後押しもあって

「木」には着々と都市が築かれていった。




 乃梨子が薔薇の館の横で、プランターに「世界樹の種」を植えてから一年後、日本の国

土の大部分に「木」が生い茂り、青々とした葉を空へいっぱいいっぱいに広げていた。

 乃梨子と志摩子は、樹上に建設された新たなる日本の首都「新東京市」で生活を送って

いる。そして本日、十二月十五日に「破局地震予知情報」なるものが日本中に発表され、

マニュアルに沿った避難行動が実施されていた。

 日本列島に甚大な被害を与えるほど強大で広範囲な地震でも、「木」は倒れることはな

いとされているが、樹上でも相当な揺れが予測されている。そのため、樹上に都市を築く

ときには防災を主眼に置いた設計がなされていた。

 十二月十六日午後四時八分、猛烈な揺れが関東から九州南部までの極めて広い地域で、

それも同時に発生した。

 地上二千メートルの高さに作られた都市でも、震度五弱程度の揺れが十分近く続き、揺

れが収まった後でも、木の幹がゆったりとした揺れを続けた。しかし、一本の「木」も倒

れることも傾くこともなかった。

 地上に残っていた数少ない建造物はことごとく崩壊、倒壊し、地震発生から十数分から

三時間後に襲ってきた高さ二十メートル以上の大津波が、列島沿岸部を総なめにし、内陸

の奥深くまで海水が侵入してきたのだった。

 地震発生から半日後、人工衛星から撮影した日本列島は、沿岸部の地形がまるで変わっ

てしまっており、山間部でも数え切れないほどの土砂崩れが発生し、山の形が大きく変わ

ってしまっていたところも少なくなかった。

 多くの日本人は、地震の威力に鳥肌が立ち、もしこの大きな木の上にいなかったらと考

えると底冷えのするような感覚が体を奔った。

 破局地震が日本を襲った次の日、マユラ自身はすっかり忘れていたオシオキを、長女の

リーストからたっぷりと受ける羽目になった。

「もう絶対に落し物なんて……落し物なんてしないんだからぁ……」




後編 了
◎この作品はフィクションです。