「Last Selection」


Written by ユラ






 最愛の者を残して自分だけが逝ってしまうということは、「無念」というカテゴリーの
中で、最大級なものだと思う。残念ながら私にはこれ以上の無念は思い浮かばない。
 それはともかく、私、佐藤聖はどうやら死んでしまったらしい。




 聖さまが死んでしまった。
 活字で表せばたった一行なこの事実を、私は未だに受け入れることができない。
 それはあまりにも突然だった。




 夏。日差しがまさに字の如く肌を焼きそうなほどに強い。
 とは言うものの時刻が九時半過ぎともなると、真っ赤に燃える灼熱の塊は別な遠い大陸
をせっせと加熱することに勤しんでいるため、暑さは多少マシになる。
「祐巳ちゃん。夏といえば花火! だからさ、公園で花火やんない?」
 聖さまの提案で、今夜二人きりで花火を楽しむことになっている。現地集合にはいささ
時刻が遅いので、私の隣には聖さまがいる。聖さまの手が握っているビニール袋には山て
んこの花火が入っていた。袋に収まりきらず、その口を覗かせているのは「二百連発マシ
ンガン花火」とかいうなんともアレなネーミングセンスの花火だ。
 コンビニでこれを見つけた聖さまは、
「これは私の為にあるような花火じゃないか!」
 と即買いしてしまった。ちなみにお値段一本千円。私には価格の判断基準が無いから、
この価格が妥当なものかはちっとも分からない。
「花火〜♪ 祐巳ちゃんと花火♪」
 嬉しそうに意味不明な歌を口ずさむ聖さまを見ると、そんなことは瑣末なことだなって
思えてしまう。本人が納得すれば他人がなんと言えどもそれは「良し」となってしまうの
だ。特に聖さまに関しては。
 夜陰を照らす、多少心許ない街灯が公園の姿を浮かび上がらせる。
 入り口を抜けそのまま直進。公園の中央に位置する池が月光を受け、てらてらと鈍く輝
く。その池に沿って歩くとベンチが一つ、クズカゴが一つ、蛇口が一つ置いてあるという
か設置されている。しかも丁寧にブリキか何かで出来ているバケツまで置いてある。ここ
で花火をしろと謂わんばかりの設備。私達以外にも同じ目的なカップル達が訪れているよ
うだ。なんしか同じ花火推進設備がここから見えるだけでも九つはある。
「さ〜てと、やっちゃうよん♪」
「はい。やっちゃいましょう」
 聖さまはどさっと袋を地面に放り、がさごそと中身を掻き出しはじめた。
 うわぁ、それにしてもよくこれだけ買ったものだと感心やら呆れるやら複雑な気分だ。
異様にロケット花火が多いのはなんでだろう?
 派手派手な光がまぶしいのやら、拳銃の発砲音かとビックリしてしまうぐらい音が大き
いのやら、打ち上げてしばらくするとパラシュートが落下してくるのやら、それはもう刺
激的な音と光の一時だった。
「最後はコレ!!」
 聖さまはとっても嬉しそうに、かの「二百連発マシンガン花火」の導火線に火を点けた。
「…………」
 じっと息を殺して見守る。



 パパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパ



「きゃわぁぁ!!」
 う、五月蝿いなんてものじゃないよこの花火!! 過剰な射撃音と共に黄色い花火が次
から次へと空に向かって名の通りマシンガンの如く撃ち出されている。芸が細かいのは発
射とほぼ同時に筒状の小さなプラスチックで出来たケースみたいなのが、花火の筒からポ
ーンと弾け地面を転がる。つまり薬莢を演出してるんだろう。
「すごいすごい!! さすが聖さまマシンガン!!」
 何かよく分からないことを口走っていたようだけど、それは先ほどの「良し」「わろし」
と話が被るので割愛させていただく。それはともかくこれだけ聖さまがはしゃぐっていう
のも何だか珍しいと思う。
 最後の一発が放たれ、作り物の薬莢がコロンと地面を転がった。
「いやぁ、楽しかった。私は大満足だ!」
「そうですね。本当に……」
「もっと俺達と楽しいことしナイ?」
 表現するのも憚られるほど「ちゃちな」男三人が立ってこちらに向けて、それこそ「意
味不明」な音の羅列を放った。服装だけが一丁前な……いやいやこんなことは全くもって
どうでもいい情報だ。
「何だ君達は? お子様は家に帰って寝ている時間だよ?」
「オレら大人だから別に構わないゼ?」
 便宜上バカ1、バカ2、バカ3としておく。そのうちのバカ2が何かを言う。とにかく
どう見積もっても君達は中学生にしか見えないとだけ言っておこうか。
「君達が大人? 精神病院に小児科病棟ってあるのかな?」
「何言ってるんですかお姉さん。そんな下らない事はどうでもいいんですよ」
 バカ3がほざく。このインテリヤクザの出来損ないみたいなのが私の聖さまに向かって
軽々しく「お姉さん」と呼ぶなこの雑種め。
「いやいや。これは重要なことだよ。だって君達が今からお世話になるんだから」
「あんまりフザケてると俺らも怒るよ?」
 バカ1が吼える。
「行こう祐巳ちゃん」
「はい」
 聖さまは私の腕を掴み、大股で歩き出した。
「ちょっと待てよ!」
 バカトリオが先回りする。鬱陶しいことこの上ない。
「消えなさい。私達は君達には用が無いの」
「俺達にはあるんだよ!」
「バカにすんなよ!」
 シュッ。ライターが着火する音。聖さまは袋から、余ったロケット花火に点火した。
 それをバカトリオめがけて放った。
「逃げるよ!」
「うわぁ!!」
 バカトリオの一人に命中したが残り二人は無事だった。
「テメェ! 待てコラ!」
 バカ某が走って追いかけてくる。私達も走って逃げる。
 しかし、バカ某は地面に転がっている拳ぐらいの大きさな石ころを引っ掴んで、あろう
ことかそれを聖さまに投げつけた。
「うっ……」
 ゴッ、という鈍い音がした……
「聖さま!」
 石が後頭部に直撃したらしい。ガクっと膝を折ってよろけ、地面に手を付いたかと思う
と聖さまはドサリと倒れこんでしまった。
 宵闇でも分かるぐらいの出血。聖さまから赤黒い血が流れ出す。
「そ、そんな……」
 声が……出ない。
「オイ。嘘だろ?」
 石を投げつけた本人も呆然としている。何を……言ってるんだこの物体は?
 とにかう、とにかく聖さまを助けないと。
「おい、どうした。人が倒れてる!? 救急車を早く!」
 通りかかったオジサンが自分で混乱しながらも携帯電話で通報してくれた。
 でも聖さまは……




 ヒドイ死に方だ。情けなくて誰にも合わせる顔が無い。そもそも私にはその顔すらも無
いんだけれどね。皮肉だな。
 さて、私佐藤聖は何の因果だか分からないけれども、「視覚」と「聴覚」が残っている
ようだ。あと思考能力もだ。動かせる肉体は無いけれど、どこにでもフワフワ漂って移動
が出来てしまう。
 とうことはつまりアレだ。「魂」というやつなんじゃないのだろうか?
 そして私は「皮肉なこと」というカテゴリーでは文句なしのトップ三に入るだろう状況
に出くわしている。
 なんせ自分の葬式を見てるんだから。
 まさしく『聖さまがみてる』だ。笑えない。ちっとも笑えないジョークだ。こんなこと
考えるだなんてアホか私は。
 祐巳ちゃんが泣いている。喪服じゃなくて制服姿だ。お? あれは祐巳ちゃんの弟ユウ
キじゃないか。君も来てくれたのか。そうか……。
 神様ってのが本当にいるのならば是非とも問い質したい。
 なぜ私がこんな中途半端な存在でいられるのかと?
 祐巳ちゃんが悲しむ様をじっと見てろというのだろうか? それは幾らなんでも酷過ぎ
る仕打ちだと思うよ。あぁほら、指鉄砲でマリア様像を撃ち抜いたのは謝るからさ。
「ゴメン」
 と言ってみた。口も声帯も無いのにどうやってとかという無粋な質問は却下。
 今の私にはやろうと思えば何でも出来る……はず。
 おや? 祐巳ちゃんがこっちを見てる。その視線はどうも私の方に向いてるようだ。
 見えるのかな。私のこと。ちょっと手でも振ってみようか。
「お〜い祐巳ちゃ〜ん!」
 きょろきょろと辺りを見回し誰かを探しているように見える。もしかして私?
 本当に私の動作が見えたり呼び声が聞こえたりするのかな? でもそれを確かめる術が
無い。
 あまり多くは無いけれど、参列者らは志摩子の実家、小寓寺の境内に入っていった。そ
れからしばらくすると私の死体が入った棺桶が出てきた。
「聖さま……。どうして、どうして死んで……」
 祐巳ちゃんが辺りを気にせず無き散らしている。それを祥子が祐巳ちゃんの頭を撫でて
なだめていた。
 私がいなくても祥子がいれば大丈夫かな、と思う。なぁに祐巳ちゃんはそこまで弱くな
いさ。大丈夫。
 さてと、私もそろそろ行こうかな(逝こうかな)。
 それでは、ごきげんよう。




 生きる屍。まさに今の私を的確に形容している表現だと思う。
 聖さまが死んでしまっただなんて未だに信じられない。何かの間違いなんじゃないのだ
ろうかと今でも思う。いや、私には一生かかっても納得できないだろう。
 だから、後ろを振り返れば「冗談だよ〜ん」と聖さまがおどけて出てくるような気すら
してしまう。
「聖さま……」
 なんかもう何もかもがどうでもよくなってしまった。
 でもお姉さまである祥子さまがそれを許してはくれないだろうとも思う。
 ポッカリと心に開いた大きな穴は、一生かかっても塞ぎきれない。
「ゴメン」
 聖さまの声が聞こえたような気がした。私の頭上はるか高くから。
 なんでこんな日に限って絵に書いたような晴天なのか恨めしくも思う空を見上げ、いる
はずもない聖さまの姿を必死に探した。
 でもいない。そう、いるはずがないのだ。だって聖さまは……
 私は子供のように泣いた。
「祐巳ちゃん、行きましょうね」
 お母さんが名簿に名前を書いて戻ってきた。
「お〜い祐巳ちゃ〜ん!」
 まただ。また聖さまの声が聞こえた……ような気がした。幻聴なのかな。
 再び私は聖さまの姿を探して虚空をきょろきょろと見回した。
 やはり、誰も何もいない。
「祐巳、もうすぐ時間だから行くぞ」
 これから聖さまのお葬式が始まる。




 ごきげんようとは言ったものの私にはまだ見ておきたいものがあるので、もう少しだけ
留まることにした。
 余談だけど、別にあの世へ逝くことを強制されているわけでもなく、またそうしなけれ
ばならないことでもない。極端な話逝きたくなければこの世に居付いても構わないという
こと。誰かに教わったとかのではなく、死んで何日も経ってるのに何も無いっていうこと
は、多分そうなんじゃないかなっていう自己解釈だ。というわけで「なんだ自己解釈なの
かよ!」と怒って石を投げつけないでね。私は石ころが嫌いになってしまったのだから。
 それは置いておくとして、私はというと、あっちの世界へ逝くつもりだった。だって、
いつまでも未練がましく居残っていたら何て言うかそう、据わりが悪いと思ってしまうの
だ。私はここに居るべきではない。この世界は生者のものだから私のような死者が関わる
べきではないのだ。
 でも、逝ってしまう前に志摩子と蓉子の姿を見納めておきたいと思う。それぐらいした
っておそらくバチはあたらない。はず。
 私の葬式が終わり、参列者も帰ってしまった小寓寺。なんか真夏なのにうら寂しい雰囲
気が感じられる。いや、真夏だからこそか。
 志摩子の部屋は寺の敷地奥にある家の二階にあったはず。ふわりと赴き、目線を窓の高
さに合わせ部屋の様子を覗き見た。
 私服に着替えた志摩子は何やら手紙を書いているらしかった。さらさらと鉛筆を走らせ
ては考え込み、そして文章をしたためていく。
「あっ……」
 突如振り返った志摩子と目が合ってしまった。ついで変な声も出しちゃったよ。
 席から立ち上がった志摩子は一直線に私の方へ歩いてくる。もしかして見えてるの?
 視線を逸らさず真っ直ぐこちらへやってくる。あと二、三歩で窓だ。
 そして、とうとう志摩子は窓をそっと開けた。
「ごきげんようお姉さま」
 な、なんだって!? そんなバカな!?
「志摩子には私が見えるの??」
「えぇ。色彩はぼやけてしまっていますが」
 つまり半透明だということか。
「こうやって話が出来ているっていうことは私の声も?」
「はい。声は小さいながらも聞き取れます」
 なんてことだ。マリア様も人が悪いったらありゃしない。
「そうか。私は志摩子にお別れを言いに来たの」
「お姉さま。お別れするのはもう少し後でも構わないでしょう?」
 ん? 何が言いたいんだろう。
「お姉さまを中途半端な形ではありますが、もうしばらくこの世に留めておきたいのです。
これは私自身が興味本位で調べたことなのですが、人が死んでしまうと肉体は滅んでしま
います。肉体の消滅の後に残されるのは魂です。今のお姉さまの状態ですね。ですが、そ
の状態も長くは保ず、せいぜい数日程度らしいのです。ですからお姉さま……」
 志摩子も顔つきが今まで見たことも無いぐらい真剣で真摯なものになった。
「私の命を少し差し上げますから、それでもう少し……」
「断る」
「え?」
「私にはそこまでしてもらう義理が無い。いくら姉妹だったといえどもそれはそれだよ。
その気持ちだけは有難く頂戴しておくよ。ありがとう志摩子」
 私の知る志摩子なら「分かりました。お姉さまがそうおっしゃるならば」と素直に引き
下がるはずだった。
「私の一生に一度のお願いを聞いてはもらえないのですか? お姉さまは仕方ないと諦め
てしまっていても、私や祐巳さんは納得できません。だから……」
 その先は声が涙に濡れてしまって発せられることは無く、ただ嗚咽を漏らしながら静か
に泣いているだけだった。
 参ったな。誰かを泣かせるっていうのは。
「志摩子はそれでいいの? 自分の寿命か何かを犠牲にするんでしょ?」
 はい、とか細い声の返答が帰ってくる。
 大切な妹の命まで削らせてまでこの世に留まりたいかと言われれば……
 ゴメン。嘘偽り無く白状しよう。
 私は死にたくなんてなかった。もう少しここにいられるならばそれはどんなに有難いこ
とか。祐巳ちゃんや志摩子、そして蓉子がいるこの世界に。
「不甲斐ない姉でゴメンね。だからお願い志摩子」
「分かりました。それでは用意がありますので少しだけ」
「待ってるよ」
 志摩子はとたとたと小走りで部屋を出て行った。しっかし信心深いキリスト教徒な志摩
子が、どうしてまたこんな奇妙な知識を持ってるんだろうね。死者に組するなんて罰が当
たるかもしれないのに。もう少しお互いを深く知ってれば良かったなぁ、と遅すぎる後悔
の念が湧いた。
 私から時間の感覚というものが消滅してしまったらしく、志摩子を待つ時間を長いとは
思えなかった。志摩子の机に置いてある時計の針を見ると出て行ってから一時間近く経っ
ていたんだけども。
「お待たせいたしました」
 静々とドアを開けて中に入ってきた志摩子の格好は壮絶の一言だった。
 何もかもが黒い。口紅ならぬ口黒というのか、唇が黒く塗られ、着ている着物も黒一色、
帯も真っ黒、ついでに足袋も同様。ぱっと見喪服なのだが、まとう雰囲気が死者を悼むも
のとは全然違う。儀式的な色合いが非常に強く感ぜられた。
「それでは始めます」
 床の四隅に薬包紙を置いて、そこに床に置かれた四つの小さな壷から鉄粉、水、何かの
骨粉、これまた何かの干からびた肉片を取り出し、注いだりした。
 その後、志摩子は指で印らしきものを結びながら文言を唱え始めた。
「天の理地の理、それ背きても漂い迷いし者を救わん。それが為に己が命を捧げ此処に契
約を。鉄水骨肉我が命。合わせてこの者をいざこの世へ」
 そこまでハッキリと唱え、最後の印を結ぶ。
「魂魄招来!」
 普段の志摩子からは想像出来ないほど活の入った声。その次の瞬間部屋が真っ白な煙に
覆われた。白煙が薄まるにつれてぐったりと身を横たえた志摩子が視界に映る。
「志摩子!」
 私は駆け寄って志摩子を抱き起こした。
「あれ?」
 私が志摩子を抱き起こした? ありゃ? 手がある。足も。そしてこの感覚は……
「私は大丈夫ですお姉さま」
「志摩子。これは……」
「僅かな間だけの偽りな生をお姉さまに授けました。そのように受肉した状態では命の消
耗が激しいので、普段は魂の状態でいらしてください」
 志摩子が話すのに安心したら、ふっと力が抜けてしまった。おや? さっきはハッキリ
見えた手や足が半透明になっている。なんかおぼろげな存在だな。
「お姉さまの力は大切な人の為に使ってあげて下さい。それは私でなくても構いません」
「いや、でもそれは……」
「こうしてお話できるだけでも私は……」
 そこまで言って志摩子は涙を零す。志摩子は今日だけで何度泣いたんだろう。泣かせた
のは私なんだけどね。本当にゴメン。
「それじゃあ何か話しようか?」
 涙を着物の裾で拭い、志摩子は言う。
「いえ、私はもう十分ですから……」
「蓉子や祐巳ちゃんのところに行けって?」
 はい、と小さく頷いた。まぁ志摩子にも色々思うこともあるんだろうと、あえて言うと
おりに従うことにした。
「お言葉に甘えて行ってくるよ」
「はい、行ってらっしゃいませ」
「あ、出来たらまた帰ってくるからヨロシク」
「はい。分かりました」
 じゃ、と私は手を振って志摩子の部屋を出た。




 志摩子のおかげで多少の猶予が与えられた私は、蓉子の家へ行くことにした。
 日が暮れ、家庭に明かりが灯る。魂という中途半端な状態の私には、人間を縛る物理法
則やら何やらから解放され思うままに飛んでいくことが出来る。だから行きたい時に行き
たいところへ行ける。こりゃあ便利だ。
 小寓寺から蓉子の家へは、本来ならば電車で三十分ほどかかるけど一っ飛びで到着。
 私は今、蓉子の家を見下ろしている。二階に明かりが点いているってことは誰かいるの
は間違いなさそうだな。ふわりと木の葉の如く緩やかに高度を落とし、明かりの点いた部
屋を窓から覗き見る。
 やはりこの部屋は蓉子のだった。喪服のまま蓉子はベッドに横たわっていた。
 視線は定まっていないのか虚ろな感じが否めない。まぁピンシャンされていても、私と
しては心情複雑だけどね。
「はぁ……」
 蓉子らしくないでっかい溜息。
 ふふふ。ちょっと驚かしてやろうかな。
「お〜い蓉子」
「…………」
 蓉子の表情が氷結し視線が一箇所に固定される。と、硬い表現を使ったけどつまるとこ
ろメッチャ驚いて声が出なかったということなんだな。
「や、ごきげんよう」
 努めて明るく声をかけた。死人が朗らかに話しかけてくるっていうのも変なシチュエー
ションだね。蓉子にとって。
「せ、せ……」
 がばった身を起こした蓉子は私を指差す。
「そう。あなたのよく知る佐藤聖だよ」
「どうして……」
 普段冷静な蓉子がこんなにも動揺し狼狽するのは始めて見た。いい絵が見れてよかった
よかった。
「志摩子のおかげでね、もうちょっとの間だけこうして話が出来るようにしてもらったん
だ。いいでしょ?」
「あぁ……なんてこと。そんな、もう一度会えるなんて……」
 蓉子は声を震わし、泣いた。涙が本当に滝の如く流れ出ている。私は蓉子の部屋の中に
お邪魔することにした。とは言っても窓からすり抜けてきただけなんだけどね。
「あぁもうそんなに泣かないの」
「だって! だって!」
 駄々っ子みたいだな。可愛い。そんな蓉子に特別サービス。
「分かったから泣かないの。いい?」
 私は半透明な状態から実体化し、蓉子の横に座って彼女の髪を撫でてあげた。
「聖?」
 うわぁ。今日の蓉子はいつもより十歳ぐらい年齢が退行してるみたいだ。きょとんとし
た瞳で私を見詰める。くっそ〜可愛いじゃないか!!
「聖?」
 声のトーンが変わった。不安げなものへと。そう。私は実体化を解いて元の半透明状態
に戻った。結構体力?が要るんだよ実体化には。気になるなら君達もやってみればいいよ。
「ちょっと待って! 行っちゃダメ!」
「もう少しここにいるから落ち着こう。ね? 」
「分かったわ……。ところで志摩子に何をしてもらったの?」
 詳細を語るのは止そう。なぜなら蓉子なら己の寿命の大半を差し出しそうだし。流石に
それは私の方が困る。というか後味が悪すぎて蓉子の顔を直視できないだろうからね。
「教えない。蓉子には私の分まで生きていて欲しいから」
「無茶言わないで。そんな長生きするつもりはないわ。ましてや二人分だなんて」
「そうなの? ちょっと意外」
 蓉子ならば米寿まで迎えそうな気がしたのだけどね。綺麗なままで死にたいとかいうこ
となんだろうな。
「事件の犯人中学生だったのね」
 あぁ、私に石つぶてを食らわせたバカ餓鬼のことか。
「みたいだね。私も迂闊だったというか貧弱だったというか」
「あんな卑劣な人間……」
 それ以上先の言葉を蓉子に言わせてはいけない。
「ストップ。貴女の口からそんな言葉は聞きたくないから」
「でも聖……」
「いいの。あ、でも納得したとかそんなんじゃないから。だからね、後でお礼参りに行こ
うと思うの」
 私は精一杯の小悪魔的なスマイルを浮かべた。上手く笑えてるかな。
「思い切りお礼してやりなさい」
「そうこなくちゃ」
 そう言って私は笑った。蓉子も笑った。
「じゃあ私は行くよ」
「……分かった。ごきげんよう聖」
 蓉子は少し泣きながら微笑んだ。蓉子は綺麗だった。本来は申し訳ない気持ちを持つべ
きなのだろうけれど、儚げな美を纏った蓉子の表情、出で立ちや立ち振る舞い、そういっ
たものに魅了されてしまった私にはそれどころではなかったというのが実情だった。
 私はこの至上の美を私の意識がある限り、決して忘れることは無いだろうな。それほど
までに蓉子は美しかった。
 かけがえのない存在(ひと)に向ける最後の言葉として私は、老婆心ながらな忠告を遺
しておくことにした。
「蓉子。あのね、どうしてもっていうのならばコッチの世界へくることを私は止めないよ。
それは蓉子自身が決めることだからね。未来を捨てて過去に縋るのか。それとも過去を抱
いて未来を受け入れるかは蓉子、貴女が好きに選べばいい。私はどちらでも蓉子の味方だ
から影ながら応援するよ」
「……ありがとう」
 蓉子は礼だけを述べ、後は何も言わなかった。
「じゃ、またね。ごきげんよう」
 蓉子は去って行く私の姿をいつまでも、それはそれはいつまでもずっと見ていた。
 私は蓉子の家から今度は、あのバカ餓鬼がいる留置所へ足?を運んだ。詳細は諸般の事
情により割愛さていただくが、とりあえずバカ餓鬼一人一人の枕元に立って
「おどれこの恨み絶対晴らしたるから覚えとけよコラァ!!」
 とデッカイ釘をさしておいたからちょっとは懲りたと思う。私の声に飛び起きたバカ餓
鬼どもは、揃って恐怖のあまり失禁してたから効果はあっただろうしね。
 別に呪い殺すとかいう野蛮なことは言ってないからアリでしょ? ダメかな?




 さて、最後に祐巳ちゃんに会いに行こうかなと思ったときそれは起こった。
「おや?」
 東京湾の向こうの彼方闇夜と黒い海面との狭間で、雷のようなものがいく筋も光った。
そしてそれらが消えた瞬間……空気が振るえ大地が揺れた。
 かなり強い揺れらしく、真下に見下ろす市街地に立ち並ぶ建造物の輪郭がぼやけて見え
る。点在する人工の明かりとは異質な赤い光がまるで花火のようにパッと光っては散って
いき、すぐさま巨大な爆発音が上空にいる私の耳元にも届いた。まだ揺れている。
 足元に見えていた高層マンションが膨大な量の粉塵を巻き上げながら倒壊する。同様の
倒壊が見える限りの範囲で何十と発生しているように見えた。揺れが収まった。
 ひどく大きな地震だった。遠くに見える都心部からはいくつもの煙柱が聳え立っている
のが確認できる。何かが炸裂なり爆発なりした音が耳をつんざく。
 爆発や炎上によって発生する煙とは全く違うものが、街のあちらこちらから浮かび上が
ってくる。それは人の形をしていた。もしかして死者の魂とやらなんだろうか。今の大震
災で犠牲となってしまった人達の。
「ごきげんよう」
 ふいに後ろから声がした。私は街を見下ろす位置、つまり空にいるわけでそんな私に声
をかけることができる存在というのは、私と同質な存在だ。
 私を知る人物のうち、いったい誰が死んでしまったのだ?
「お久しぶりね。聖」
「江利子じゃないか……」
「どうやら私は今の地震であっけなく死んでしまったようね。そしたらあなたがこんなと
ころでうろついていたものだから、ちょっと声をかけてみたの。驚いた?」
 驚いた。声をかけられてビックリしたことも事実なんだけど、江利子の様子がかなり冷
静だったのが殊更だった。自分が死んだってことに自覚があるのかな。
「江利子。今の自分の状態を楽しんでる?」
「まさか。いくら面白いことを好む私でも死んでしまっては楽しむも何もあったものじゃ
ないでしょう? はぁ。憂鬱だわ」
「それは私もだよ。ところでこれからどうするの? さっさとアッチへ逝くの?」
「そんなわけないでしょう? 今から由乃ちゃんと令を脅かしに行くわ。二人が生きてい
ればの話だけれどもね」
 イヤな姉を持ってしまったようだな。あの二人。ホント性質が悪いったらありゃしない
ね。口ではああ言っていたけど、本当のところ自身が置かれた状況を楽しんでるように私
には見えた。 「聖、あなたは?」
「私は蓉子と志摩子、祐巳ちゃんの無事を確認してから逝くことにする」
「そう。分かったわ。またどこかで会うこともあるでしょう。それじゃ……」
 ごきげんようと、軽やかに弾むがごとく江利子は行ってしまった。私も急いで確認しに
行こう。
 確認の結果、自宅は半壊ながらも蓉子自身は無傷、志摩子の実家は損傷が酷かったけれ
ど志摩子本人は偶々用があって家の外にいたためこれまた無事だった。
 そして祐巳ちゃんの家は……崩壊していた。一階部分が二階に押し潰されている。もし
祐巳ちゃんやその家族が一階にいたのなら……。
 私は薄情ながらもまず祐巳ちゃんの生存の確認を優先した。
「うぅぅぅ……」
 祐巳ちゃんの呻き声が聞こえたような気がした。救急車や消防車、パトカーのサイレン
の音や、未だに断続的に続く余震の低く重たい振動音、パチパチと焼ける木材が爆ぜる音
など種々雑多な音にまみれいるる状態だったから、聞き間違いの可能性が高い。
   それでも私は間違いには思えなかった。
「祐巳ちゃん!」
 多少原形のを残している二階の部屋に入った。この部屋は祐麒の部屋なんだろう。男の
子な部屋は、無残の一言だった。粉々に砕け散った窓ガラスにひしゃげた窓枠、ベッドに
は天井の一部が落下していて、その部分だけベッドが陥没していた。本棚も倒れていて差
し込まれていた本が流血したかのように床へ散らばり、壁にはハッキリとした日々が何本
も走っている。部屋の主の姿が見えなかった。
 そんな状況であっても私は祐巳ちゃんのことだけを考えた。
 部屋を出て、傾いた廊下を二三歩横切るとそこが祐巳ちゃんの部屋だ。ドアをすり抜け
て中に入った。
 祐巳ちゃんの部屋は祐麒のよりも損傷が酷かった。壁は崩れ落ち、天井も半分ほど崩落
し、隙間が出来てしまっていてそこから夜の闇が見える。部屋は瓦礫や散乱した家具や私
物で埋もれていて、ベッドには崩れた天井の一部が覆いかぶさっていた。
「うぁ……」
 まただ。今度こそ間違いなく聞き取れた。祐巳ちゃんは……この瓦礫の山の中に埋まっ
てしまっている。
「祐巳ちゃん!」
 大声で呼びかける。聴覚に神経を全力で集中させ、声のする方を探る。
「聖さま……!?」
 祐巳ちゃんの声はベッドのある方からした。ということはこの元は天井だった木の板や
ら何やらの下敷きになってしまってるんだ。私はすぐに実体化して、瓦礫をどかそうとし
た。でもそれは阻まれた。祐巳ちゃん自身によって。
「聖さまそこにいらっしゃるんですか?」
「そうだよ! 今すぐ助け出してあげるから待ってて」
「待ってください聖さま! なぜここに……」
「それは後で話すから。このままじゃ祐巳の命が危ない」
「聖さま。どうか私の話を聞いてください」
 邪魔な瓦礫のせいで祐巳ちゃんの表情おろかその姿すら全く見えず、声だけが耳に入る。
声だけではちょっと真意がはかれない。こんな時に祐巳ちゃんは何を私に語ろうとするん
だろうか。
「聖さまが死んでしまって私はどうしようもぐらい悲しかったんです。だから、こうして
またお話が出来ることが嬉しくて嬉しくて」
「嬉しい気持ちは私も一緒だよ。だから後でじっくりと」
「聖さまはずっとこちらにいられるのでしょうか?」
「いや、それは……残念だけど時間は限られているみたい」
「そうですか。聖さま。お願いです……」




 聖さまのお葬式が終わってから私は自分の部屋にずっと篭っていた。電気も点けずにじ
っとベッドでうずくまっている。
「祐巳。晩飯だから降りてこいよ」
 祐麒の声がしたけれども返事すらしなかった。
 あの日以来私から大切なものがすっぽりと抜け落ちてしまったみたいだ。何と言えばい
いのだろう。「生きる力」とでも言えばいいのかな。
 現実に脳の処理が追いついていないとかではなく、ただ、事の大きさにどうしてよいの
か分からないだけなのかもしれない。
 私は動く抜け殻になってしまった。
 だからここ数日間私は自分が何をしていたのかサッパリ分からない。オーバーヒートし
た脳みそは、とうとう物事を記憶するということも出来なくなってしまったようだ。
 時間だけが無情にも過ぎていき、時計の針は夜の十時を少し過ぎたあたりを指し示して
いる。今日一日何も摂っていなかったので、台所に行って飲み物でも探そうとベッドから
身を起こしたその瞬間だった。
 床が跳ねた。それから家が上下左右に激しく震動する。揺れが大きすぎて私は動くこと
もままならず、ただひたすらベッドの上でじっと耐えていることしか出来なかった。
 窓ガラスが弾け飛び、本棚は勢いよく倒れ、壁や天井は音をたてて亀裂が走り崩壊、崩
落を始める。ぼろぼろと天井が崩れ、私の真上の部分も落下した。そして体に重い衝撃が
奔った瞬間意識が消えてしまった。
 どれほどの間気絶していたのか分からないけれど、私はまだ生きているようだった。
「痛っ!!」
 天井の下敷きになっているみたいだ。破片が大きくてベッドに立てかけるように落下し
たらしく、私の体はその僅かな隙間にある。その大きな破片が私の左半身に圧し掛かって
いて、体を動かそうとするとその左足や肋骨、左腕に強烈な痛覚が。
 瓦礫は重くて、体が痛むし私自身腕力なんて全然無いものだから、ちっとも動かせなか
った。このままでは命が危ないかもしれない。段々呼吸がし辛くなってきたし。
 私は死んでしまうのだろうか?
「うぁ……」
 心の痛みと体の痛みに思わず呻き声が漏れてしまった。
「祐巳ちゃん!」
 今の声は。絶対に聞き間違えることの無い、そう、聖さまの声だった。でもそんな馬鹿
なことがある訳が無い。聖さまは死んでしまったのだから助けに来てくれるなんて絶対に
有り得ない。でも、もし今の声が本当に聖さまのものだったらと思って呼びかけた。
 本当に聖さまだった。
 聖さまは私のピンチには必ず駆けつけてくれる。死してなおそれは変わらなかった。
 これほど嬉しいことはない。
 どんな奇跡の賜物で聖さまが私の前に現れてくれたのかは分からないけれど、いつかは
逝ってしまう時が訪れるのだろう。聖さま自身の口からも「時間が限られている」と告げ
られた。
 私はあの日以来ずっと思っていた。
 聖さまのいないこの世なんて生きていても仕方ないんじゃないのかと。
 だからせっかく助けにやって来てくれた聖さまに私はお願いをした。




 祐巳ちゃんの口から発せられた言葉はあまりにも意外なものだった。
「お願いです。どうか私をこのまま死なせてください……」
「何言ってるんだ! そんなこと出来るわけが無い。いくら祐巳ちゃん頼みといえども、
そんな願いは聞き入れられないね!」
 「考える」というプロセスをすっ飛ばし衝動的に私は姿の見えぬ祐巳ちゃんに言った。
言った途端に、蓉子へ向けた言葉と正反対な発言内容に私自身が驚いた。状況が違うから
なのだろうか。
 分からない。この矛盾をどう解釈すればいいのか。いや、解釈なんてしなくてもいいん
だ。どちらも私の本心なのだろうから。
 大切な人に生きていて欲しいと思うのは当然な気持ち。でも本人がそれを望んでいない
のならば、思いを無理強いするのは筋違いだ。ならば私は祐巳ちゃんの願いを聞き入れる
べきなのか? 目の前で滅びを願う最愛の人を死なせてあげることが正しいことなのか?
「聖さま……」
 ひゅうひゅうと息が漏れる音がイヤに聞こえる。祐巳ちゃんの息遣いは徐々に荒くなっ
ていく。早く助けないと本当に命に関わるんじゃないのか。
「ごほっごほっ」
 祐巳ちゃんは水気にむせかえったかのような堰をした。もしかして血を吐いたのか?
 ならばもう時間が無い。私は……



 死なせてあげることにした。


 願いを聞き届けることはできなかった。