ハンセン病のリンク集
                                   ふりがな
    
藤 本 事 件



故藤本松夫氏 「ハンセン病資料館」より
  


 1)概要―愛媛県HPの解説

 2)詳細―検証会議 最終報告書より

 3)藤本事件関連年表

 4)新聞報道

 5)衆院法務委員会議事録
  (1962年11月10日衆院法務委員会での坂本泰良議員と中垣法相のやりとりです)
  検索方法
   ①簡単検索
   ②開会日付:上下とも昭和37年11月10日
   ③発言者指定:坂本泰良
   ④会議指定:院名は衆議院
           会議名は法務委員会
   ⑤検索語:坂本委員
   と入力して、[検索]です。

 ※参考
   映画「新・あつい壁」に関して
   
「壁をたたく音がきこえる」について
   
入所勧告(ハンセン病問題に関する検証会議 最終報告書)から
   ダイナマイト事件判決(同上)
   殺人事件判決(同上)
   死刑執行に対する全患協の抗議声明
   藤本事件に抗議する、当時の全患協ニュース
   毎日新聞社説(2007年1月23日)




映画「新・あつい壁」に関して

 中山節夫監督で、この事件の映画化が進行しています。
 現在、制作の基本姿勢・制作費の在り方に関して議論されています。

 「中山監督の映画制作ノート」  
 
 「中山さんちの映画blog」

 シナリオに対する山下峰幸氏の批判
     第三稿批判
     第四稿批判

 映画化の報道



 
※この映画についてのご意見、ご希望などの宛先は・・・

   映画「新・あつい壁」製作・上映実行委員会事務局

     住所:〒862-0950 熊本市水前寺一丁目22-18
                          丸山ビル104号

     TEL:096-381-1214 FAX:096-381-1293

     メール:nakayama2005@dowbow.net

             
 
                                         
                                      (宣伝ではなく推奨です 管理人)

「壁をたたく音がきこえる~ハンセン病患者冤罪処刑藤本事件に再審・無罪をについて

  #
編集・発行 「らい予防法」違憲国家賠償請求訴訟を支援する市民の会
  #2005年9月14日発行
  A5サイズ  224頁
  #1冊 1000円 (送料共)

  FAX・電話・郵便でお申し込みください

    〒665-0823
     宝塚市安倉南1-17-14 パークヴィラ宝塚1F
     「らい予防法」違憲国家賠償請求訴訟を支援する市民の会

                    TEL・FAX:0797-86-1356



                 入所勧告

 

                                      予十七号
                                      昭和二十六年一月九日 熊本県衛生部長

  藤本松夫殿

             国立療養所恵楓園への入所について


 標記の件について先に貴方の病状が如何に進行しているか、又その予防方法等生活状態を恵楓園
医員と係官をして調査せしめたのですが、各人の病状によっては、軽、重症或は全く治癒しているように
見受けられましたが、衛生的、医学的見地よりして、この病気は結核と同じく遺伝性のものではなく、
明らかに伝染病であって、外の急性伝染病に比べて伝染率は弱く然るに何時しか知らずの内に家族内
又は近親者(度々出入りしている者)に伝染しており、その潜伏期も各個人の体質上一概に云えず、
兄弟姉妹間でも体力の弱かった貴方が不幸にして罹患されたのです。
 然るに当方としても貴方々を一時も早く療養所に入所させて療養生活を明るく過ごされるよう努力して
いたのでありますが、御承知の如く財政の緊迫でそこ迄お世話出来なかったのですが、その後厚生省
及び関係官の尽力によって菊地恵楓園が一千床増加せられ、(現在は全部で二千百床)設備としては
患者の希望も入れられて日本一を誇る大療養所として発足している状況なのです。一方貴方々の家庭
に対する事情は当方としても充に分に了解されるのですが、将来の貴方の生活上及び家庭の状況
並びに公衆衛生上を考慮して指示の時日に入所されるため、自動車を附近(希望によっては場所を
変更するので役場まで連絡すること)まで派遣させるので、早く入所して明るい療養生活を営められる
よう希望するものであります。
 御参考迄申添えますが、貴方々としましても、しばしば家族との面会もされたいことと思い、熊本県内の
療養所が好都合と考慮して指示したのですが、おくれれば遠く岡山県へ送られるおそれもあり、又指示
に反すれば強制的入所となるので当方としてもこんな手段は万止むを得ん以上は好ましくないので、
貴方々としても当方の意中を充分御賢察されて健康で明朗な郷土建設に御協賛下さる様お願いします。
 ついては、入所のことは貴町村役場係員が承知しているので連絡のため訪問の際漏れなく聴取されて
準備しておかれるようお願いします。
    
                               記
 収容の日時及び場所は町村役場に指示します

                                      ハンセン病問題に関する検証会議 最終報告書から




ダイナマイト事件判決(1952.6.9 熊本地裁)


(罪となるべき事実)

 被告人は、
第一. 小学校入学後間もなく父と死別し家計も貧しかったので僅かに一年終了後退学し、その後は熊本県
菊池郡水源村大字××番地の自宅に於て専ら弟妹の子守等家事を手伝い、一三歳の頃には実母を扶けて
百姓仕事も一人前となり、爾来農業に勤しんでいたものであるが、昭和二五年一二月二六日頃突然同村役場
を通じて熊本県衛生部より被告人に対し癩病疾患の為翌二六年二月七日より国立療養所菊池恵楓園に収容
する旨の通知を受けるや愕然として、自己の悲運を痛くなげくと共に実家の将来事とも強く懸念され家族とも
ども悲観にくれているうち、遂には恵楓園に這入って生きんより寧ろ死んでしまおうとまで覚悟したものの、
思案の末今一度右病名を確かめんと思い立ち、同年一月一五日頃無断家出し転々として北九州方面の皮膚
科医の診断を受けて廻り、右疾病に非ざる旨の証明書等三通貰い受け、これを以って世間の疑惑を晴らし
得べしと考へ、喜び勇んで同年二月一〇日頃帰宅し祝宴まで催して人々にその旨伝え、心気一転して再び
農業にいそしみ始めた矢先同年二月二四日頃更に県衛生課より村役場を通じ、五月までに右恵楓園に入園
せよとの通知を受け再び悲境に陥るに至ったが、之より先右収容手続きは嘗て同村役場の衛生係をしていた
近所の同村大字××番地Fがその如く聞込み、かかる悲境に陥ったのは、総べて同人(F)の隠密の仕打ちに
よるものであると邪推し、同人を深く恨み性来気が荒く執着深い性格なため同人に対する痛憤は日を経るに
つれて昂り其の仕打ちに対する怨嗟の情はいよいよ深刻となり、遂には同人及びその家族を殺害し以って
この怨恨を晴らさんと企て、その機会を狙っているうち同年八月一日午前二時二〇分頃右F方玄関に至り玄関
に通ずる表六畳板張りの蚊帳の中に右F及びその妻子五名が就寝しているのを見るや、この機に同人等六名
を殺害すべく決意し直ちに長さ二米四〇糎余の竹竿の先端に茶色縞黒布切れ及び紙紐を以て縛着せる
ダイナマイトに雷管を装填しこれに接続する導火線に蚊取り線香を以て点火したところ表側から二女・・
(一五歳)、長男・・(一二歳)、二男・・(五歳)、右F(四九歳)、三男・・(一歳)及び妻・・(四二歳)の順序に
就寝せる該室の右Fの枕元附近をめがけてこれを差入れ、同人の頭部より約三〇糎の処に於て突如右
ダイナマイトを暴発せしめて同人等の殺害を図ったが、その使用方法拙劣の為、爆発力弱く、右Fに対し右
顔面、右腋窩部、右前膞内側等に治療約七日間を要する爆創及び次男・・(当時五歳)に対し顔面部に治療
約一〇日間を要する爆創を与えたに止まり、殺害の目的を遂げず、
第二. 法令上許された場合でないのに、前記日時場所で爆薬である前記ダイナマイトを擅に爆発させた
ものである。


                                       ハンセン病問題に関する検証会議 最終報告書から 




殺人事件判決(1953.8.29 熊本地裁)


(犯罪事実)

 被告人は熊本県菊池郡水源村で生まれ、年少にして父を失ったあとは妹の子守等により農業を営む母を
助け、長じては一家の支柱として母、妹とともに農業に従事し、居村における中程度の生活を平穏に続けて
いたところ、昭和二五年一二月二六日頃、突然被告人を癩病患者として国立療養所菊地恵楓園に収容
すべき旨の通告を受けるに至って被告人の平穏な生活は崩壊の端を発し、なんとしてもこの通告にあきらめ
兼ねた被告人の自己がらい病患者に非ざる旨の診断書の入手等についての奔走努力も甲斐なく、同二六
年二月二〇日頃再度前記恵楓園に収容せらるべき旨の通告を受けるに及び被告人は将来に対するすべて
の希望を失い、事は自分ばかりでなく、母妹はもちろん、親類縁者一統を悲運の底に突落したものとし悲観
に暮れていたが、一方かねて被告人を癩病患者として当局に報告したのは嘗て同村役場衛生係であった
同村大字××番地居住のFであることを聞及んでいたので被告人をこの悲運に落とし込んだのは全く同人の
仕業に他ならずと邪推し、深く同人を恨み、同人に対する復讐を堅く心に誓い、尚被告人の親類のうちにも
被告人のこの態度に同調し、被告人と共にFを恨み、被告人及び右親類等は時折Fを殺すとか、やっつける
とか村人にもらしていたので、Fも村人の注意等により、その気配を察知し、薄気味悪く身の危険を感じ、警察
に対し保護警戒方を願い出るような事態にあったのであるが、丁度その頃の同二六年八月一日午前二時頃F
及びその妻子の就寝する同人方六畳の間にダイナマイトを仕掛け、これが爆発すれば、同人一家全部惨死
の結果を招くに十分な企をしたが、ダイナマイトの使用方法が拙劣であったため、完全な爆発を見ず、ただF
及びその子一人に傷害を蒙らせたに過ぎない殺人未遂、火薬類取締法違反の刑事事件が起きたが、この
事件において被告人は犯人として起訴せられ、同二七年六月九日懲役一〇年に処する旨有罪の第一審
判決を受け、これに対する被告人の控訴申立は棄却せられ、現在上告中であるが、これより先、被告人は
右第一審の有罪判決を受けた直後、看守等から刑事事件についての第一審判決はほぼ確定的なもので
これにつき控訴、上告するもほとんど変更されない旨を聞くや、被告人としては権威ある科学的診断により
癩病患者と断定せられた上は素直にこれに応じ、他方前記刑事事件については法定の手続による裁判所
の審理の結果を静かに待つの態度に出て、何れにしても現在のところ、医師の適切な治療に身を任せ、
その間の精神的、肉体的の苦痛に耐え、健康快復による幸福の一日を早く来らんことに希望を持ち、一意
療養に専念することこそ被告人に残された唯一の更生の道であるに拘わらず、被告人はこの事に寸毫の
反省を傾けることなく、却って被告人の生来の偏屈と執念の深さの徹底するところ、ただ一途に、自己、母、
妹、親類、縁者の将来に救うべからざる暗影を投げかけたのは、あくまでFの仕業なりと思いつめ、一〇年
もの間懲役に服し又は期間未定の療養生活に身の自由を束縛せられるより、むしろ未決監を脱走して前記
水源村に走り、Fを殺害して同人に対する憤懣を霄さんものと決意するに至り、
第一、 先ず右決意実行の第一段階として、前記被告事件により、勾留状により拘禁せられている熊本刑務所
代用拘置所である前記恵楓園内で、秘かに脱走の時及び方法を計画していたが、結局囚人が毎日日光浴の
ため監房から出される機会を利用することに定め、同二七年六月一六日午後〇時過ぎ日光浴のため監房から
出るに当り、当時の気候には不釣合な元陸軍用国防色毛冬上衣、元軍隊用本綿国防色夏ズボン、白色襟付
本綿肌着二枚を着込み、かねて修理していたゴム草履を履き、たとえ数日の野宿をなすもこれに堪えるに相当
と思われる服装に身を固め、日光浴を兼ねて洗濯をしているうち、右洗濯に気を許した看守渡邊健一の油断に
乗じ同月午後〇時三〇分頃同監房裏門に到り、そのカンヌキをはずし、門を開いて同所より前記水源村方面に
逃走し
第二、 次で同月一八日朝右水源村に達し、当局の鋭い捜査の目を避けながら農事小屋、山小屋、はては山林
の樹蔭に雨露を凌ぎ、萩の茅農作物の生食い又は他から盗んできた鶏、食料等に飢を免れ、溜水、湧水等に
渇をいやす等の言語に絶する労苦を嘗めながらも辛忙強くF殺害の適当の場所と方法を模索しその機を窺って
いたところ、遂に同年七月六日午後八時三〇分頃、同村大字原字迫口の山道で開拓団の会議に急ぐFに
遭うや、やにわに所携の短刀(領第一一号)を以て同人の頸部その他を突刺し或は切付け、因って同人の
頸部に頸動脈の大部を切り、頸静脈を切断し或は左肺上下葉を穿通する刺創三個を負わせた外頸部、顔面、
胸部、上肢に大小二〇数個の切刺創を負わせ、右頸部に負わせた刺創に基く失血により同人を死に到らしめ、
以て殺害の目的を遂げたものである。

                                         ハンセン病問題に関する検証会議 最終報告書から




社説:横浜事件 裁判所も歴史を清算すべきだ
(毎日新聞 2007年1月23日 東京朝刊)

 「横浜事件」の再審裁判の控訴審で、東京高裁が控訴を棄却した。無罪を示唆した1審の説示も批判しており、弁護側には後退したとも映る内容だ。

 高裁判決は、公訴権が消滅した場合は免訴とする、との最高裁判例に忠実に従っている。弁護側の証拠を採用しなかったので予想された結果でもあるが、1審に続く門前払いである。誤判からの救済が再審の理念として、実体審理に踏み込んで無罪を引き出そうとした弁護側の主張は、受け入れられなかった。

 この事件では戦後、元特高警察官の特別公務員暴行傷害罪での有罪が確定しており、再審開始決定では自白は拷問によるものと認定されている。また、終戦直後に司法当局によって訴訟記録が焼却されたため、再審開始が遅れたともいわれている。それだけに高裁の判断が注目されていたが、弁護側は肩透かしを食った格好だ。

 法的には免訴が妥当だとしても、裁判所が戦中戦後の司法の過ちを直視する好機を逸したのは遺憾と言わざるを得ない。司法も戦争遂行に協力し、悪法の極みとされる治安維持法を無批判に適用、戦後まで有罪判決を出し続けた。「横浜事件」はその代表例なのに、有罪とした理由や訴訟記録が廃棄された経緯などに言及しないままでは、世論を納得させられまい。

 実は最高裁をはじめとする司法府は、いわゆる“みそぎ”を済ませていない。多くの政治家や官僚らが公職を追放された際も、ほとんどの裁判官が戦前、戦中の地位にとどまった。しかも、戦後も諸事情があったとはいえ、自白を偏重した誤判を繰り返したり、少なからぬ過ちを犯している。

 多くの関係者が猛省を迫られたハンセン病問題も、裁判所は無縁ではない。1951年に熊本県で起きた「藤本事件」と呼ぶ、ハンセン病元患者が死刑に処せられた爆破・殺人事件の裁判も尋常ではなかった。感染の恐れはないとされたのに、裁判官はハンセン病療養所内に特別法廷を設置し、白い予防服にゴム手袋姿で、証拠書類をピンセットでつまみながら訴訟を指揮した。当然、審理は不十分だったと批判されており、冤罪(えんざい)の可能性が指摘されている。厚生労働省が設置した「ハンセン病検証会議」の報告書でも「憲法が要求する裁判ではなかった」と指弾されている。

 ハンセン病の強制隔離政策については熊本地裁が違憲とする判決を下した後、政府をはじめ関係各界が検証作業を進め、反省の意を表したが、潮流を変えた司法府自体は過去に向き合おうとしていない。同様に、戦中戦後の人権侵害についても口をつぐんだままだ。

 司法が真に国民の信頼を得ようとするならば、自らの過去を謙虚に見直し、その結果を公にすべきではないか。市民が裁判に加わる裁判員制度のスタートも、2年後に迫る。法の支配を盤石なものとするためにも、清算すべき歴史は清算されねばならない。その意味でも、この事件の再審裁判での最高裁の判断に注目したい。




注:この事件は「菊池事件」(国賠弁護団)とか「F事件」(映画「新・あつい壁」製作・上映実行委員会ほか)とも呼ばれています。
  これはいずれも故藤本松夫氏やそのご遺族の人権面を十分に考慮した結果であります。当サイトでは「分かりやすさ」を最優先して
  「藤本事件」という古くからの呼称を使っています。決して人権面を軽視しているからではなく、先ず「分かりやすさ」を第一と考えた
  結果ですので、ご理解頂きたく、お願い致します。   管理人 リベル


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