
| 主な法律の変遷 |
| 一口に「らい予防法」といっても・・・ | ||
|---|---|---|
| 法 律 名 | 公布された年 | 説 明 |
| 癩豫防ニ関スル件 | 1907(明治40)年 | これは日露戦争に勝った日本が、ハンセン病は文明国に似合わないと考えて 浮浪患者を救済し取締まる目的で作った法律です。しかしそれが結果として 「患者隔離」を強制する方向に向かってしまうのです。 |
癩予防法 (旧「らい予防法」ともよばれる) |
それから24年後の 1931(昭和6)年 |
これまでは浮浪患者に限られていたのが、全患者を隔離の対象とするようになり、 職業従事の禁止・入所の強制等という行政側の権限も一段と強化されました。 「らい予防は名目で実態は浮浪患者の救護収容」という趣旨から 「らい患者の地域社会からの根絶」へと基本的な思想が大転換したのです。 |
| らい予防法 (新「らい予防法」ともよばれる) |
さらに22年後の 1953(昭和28)年 |
全患協を中心とするらい予防法闘争にもかかわらず、(9項目の付帯決議が 付けられはしましたが)強制隔離政策は踏襲されてしまいました。 |
| らい予防法の廃止に関する法律 | さらに43年後の 1996(平成8)年 |
全患協・日本らい学会・日弁連などの運動の高まりの中で、菅直人厚生大臣は ついに「らい予防法」の見直しが遅れたことなどを全患協に謝罪し、90年に及ぶ隔離を もたらした悪法は、ようやく廃止されたのです。 |
| ハンセン病問題の解決の促進に 関する法律(ハンセン病問題基本法) |
それから12年後の 2008(平成20)年 |
しかし療養所の入所者数が減少していく将来を直視した政府の将来構想は全く無く、 逆に無為無策の侭、放置しようとの姿勢が見られます。それを防止するための新しい法律が 必要となり、100万筆近い署名を集めて、この法律が制定されました。 |
| 法律でたどるハンセン病の歴史 | ||
|---|---|---|
| 法 律 名 など | 公布された年 | 説 明 |
| 伝染病豫防法 | 1897(明治30)年 | 1873年にハンセンがらい菌を発見して、ハンセン病は遺伝病ではなく単なる伝染病 (極めて感染力の弱い感染症)であることが判明しました。それにもかかわらずこの法律では コレラ、赤痢、チフス、ペストなどは書かれていますが、ハンセン病は挙げられていません。 |
| 癩豫防 |
1907(明治40)年 | これは日露戦争に勝った日本が、ハンセン病は文明国に似合わないと考えて 浮浪患者を救済し取締まる目的で作った法律です。しかしそれが結果として 「患者隔離」を強制する方向に向かってしまうのです。 |
| 「癩豫防ニ関スル件」改正 | 1916(大正5)年 | 隔離した患者の取り扱いを容易にするために療養所長に「懲戒・検束権」を与えたものです。 (裁判無しで患者を処罰できるようになったのです) |
| 患者心得(菊池恵楓園の場合) | 1916(大正5)年 | 療養所単位でもこういう規定が作られ始めました。 |
| 患者懲戒・検束に関する 施行細則 |
1917(大正6)年 | 上の法律の運用について「備品の毀損」、「命令違反」などと細かく定めました。 |
| 国立癩療養所患者 懲戒検束規定 |
1931(昭和6)年 | 上の規則を改めて法律化し、「懲戒・検束権」を強化しました。 これで療養所長の一存で患者の人権が左右されることになったのです。 |
| 癩予防法 (旧「らい予防法」ともよばれる) |
1931(昭和6)年 | これまでは浮浪患者に限られていたのが、全患者を隔離の対象とするようになり、 職業従事の禁止・入所の強制等という行政側の権限も一段と強化されました。 「らい予防は名目で実態は浮浪患者の救護収容」という趣旨から 「らい患者の地域社会からの根絶」へと基本的な思想が大転換したのです。 |
| 国民優生法 | 1940(昭和15)年 | これによって断種(優生手術)の対象を遺伝病に限定し、ハンセン病は対象疾患から 除外されましたが、それにもかかわらず療養所内での断種手術は続けられたのです。 |
| 日本国憲法 | 1947(昭和22)年 | 基本的人権が定められたにもかかわらず、「癩予防法」は存続しました。 |
| 優生保護法(「旧優生保護法」とも) | 1948(昭和23)年 | 患者の優生手術(断種・人工妊娠中絶)は、「本人及び配偶者の同意が有れば実施できる」 と明文化されました。(第三条 第1項参照) |
| 三園長の国会証言(法律ではない) | 1951(昭和26)年 | 園長達は完全収容や断種の徹底、懲戒検束権や罰則の強化を求めました。 光田愛生園園長は「今度は刑務所もできたのだから、逃走罪というような罰則が 一つほしいのであります」などと述べたのです。 |
| らい予防法 (新「らい予防法」ともよばれる) |
旧法から22年後の 1953(昭和28)年 |
全患協を中心とするらい予防法闘争にもかかわらず、(9項目の付帯決議が 付けられはしましたが)強制隔離政策は踏襲されてしまいました。 |
| ハンセン氏病予防法(琉球政府制定) | 1961(昭和36)年 | ローマ会議の趣旨を受けて、当時米軍の統治下にあった琉球政府はこの法を定め 治癒患者の退所規定・患者の在宅治療規定を明文化し、患者発生を減少させ効果をあげました。 |
| らい予防法の廃止に関する法律 | 新法から43年後の 1996(平成8)年 |
全患協・日本らい学会・日弁連などの運動の高まりの中で、菅直人厚生大臣は ついに「らい予防法」の見直しが遅れたことなどを全患協に謝罪し、90年に及ぶ隔離を もたらした悪法は、ようやく廃止されたのです。 |
| 「らい予防法の廃止に関する 法律」附帯決議 |
1996(平成8)年 | 国会議員が謝罪と反省の決議文を出しました。 |
| 母体保護法 | 1996(平成8)年 | 1948年の優生保護法が改正され「癩疾患」の条文と「優生手術」の項がなくなりました。 |
| 感染症の予防及び感染症の 患者に対する医療に関する法律 |
1998(平成10)年 | 前文に「過去にハンセン病等の感染症の患者等に対するいわれのない差別や偏見が存在した という事実を重く受け止め、これを教訓として今後に生かすことが必要である」と記されました。 |
| 熊本地裁一審判決(骨子)(法律ではない) | 2001(平成13)年 | ついに厚生大臣と国会議員の違法性と過失が裁かれたのです。 |
| ハンセン病療養所入所者等 に対する補償金の支給等 に関する法律 (ハンセン病補償法と略される) |
2001(平成13)年 | 国は「ハンセン病の患者であった者等に、いたずらに耐え難い苦痛と苦難を継続せしめた」 と謝罪し、入所者等の被った精神的苦痛を慰謝するための補償金を支払う法律を定めました。 |
| ハンセン病療養所入所者等 に対する補償金の支給等 に関する法律第二条の規定に基づき 厚生労働大臣が定める ハンセン病療養所 |
2001(平成13)年 | 上の法律の施行対象になる療養所を定めた告示です。 |
| ハンセン病療養所入所者等 に対する補償金の支給等 に関する法律(一部が改正された) (改正補償法と略される) |
2006(平成18)年 | 上記「ハンセン病療養所入所者等に対する補償金の支給等に関する法律」では 海外の療養所において強制収容した患者を考慮に入れていなかったので、 この点が改正されたものです。 |
| ハンセン病療養所入所者等 に対する補償金の支給等 に関する法律第二条第一号 及び第二号の規定に基づき 厚生労働大臣が定める ハンセン病療養所 |
2006(平成18)年 | 上の法律の施行対象になる療養所を定めた告示です。韓国と台湾の療養所が追加されました。 |
| ハンセン病問題の解決の促進に 関する法律(ハンセン病問題基本法) |
2008(平成20)年 | 療養所の入所者数が減少していく将来を直視した政府の将来構想は全く無く、 逆に無為無策の侭、放置しようとの姿勢が見られます。それを防止するための 新しい法律が必要となり、100万筆近い署名を集めて、この法律が制定されました。 |
| ※その他の関連ある法律は「法規集」をご覧下さい ※注:法律は采女研究室のHP・モグネットHPほかからリンクさせていただいています |
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