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株式会社 ( 年表 / 文献 / 論 )
(Corporation/ Company)



●株式会社の特徴
商法52条 本法において会社とは商行為を為すを業とする目的を以って設立したる社団を謂う。

●営利性
事業によってもうけを得ることを目的とする。(友岡[1988:153])
対外活動によって得た利益を直接構成員に分配すること。(宮島[1996:19-23])

●社団性 
一定の目的を持って集まった人々の団体である。(友岡[1988:153])
ある共同の目的を中心として結合した複数の人格者の団体。(宮島[1996:19-23])

●法人性 
法律によって人と同様に権利や義務を持つことができる。(友岡[1988:15]3)
自然人以外の利益主体が形成されることを前提として、その利益主体をめぐる法律関係を整えるために、法律が技術的に権利能力をあたえたもの。(宮島[1996:19-23])
自然人特有の性質を前提とする権利義務はもてません。身体・生命に関する権利などですが、名誉権は認められています。(宮島[1996:33])
会社は他の会社の無限責任社員にはなれません。無限責任社員になることによって、自己の財産を他の会社につぎ込むことは許されないからです。(宮島[1996:34])

●ultra vires(越権行為・権限逸脱・能力外・権限踰越)の法理
民法43条(法人の能力) 法人は、法令の規定に従い、定款又は寄附行為で定められた目的の範囲内 において、権利を有し、義務を負う。 喜多川 [1966:61]

●役員等の損害賠償責任(会社法 第11節)
(役員等の株式会社に対する損害賠償責任)
第423条  取締役、会計参与、監査役、執行役又は会計監査人(以下この節において「役員等」という。)は、その任務を怠ったときは、株式会社に対し、これによって生じた損害を賠償する責任を負う。
2  取締役又は執行役が第三百五十六条第一項(第四百十九条第二項において準用する場合を含む。以下この項において同じ。)の規定に違反して第三百五十六条第一項第一号の取引をしたときは、当該取引によって取締役、執行役又は第三者が得た利益の額は、前項の損害の額と推定する。
3  第三百五十六条第一項第二号又は第三号(これらの規定を第四百十九条第二項において準用する場合を含む。)の取引によって株式会社に損害が生じたときは、次に掲げる取締役又は執行役は、その任務を怠ったものと推定する。

●(役員等の第三者に対する損害賠償責任)
第429条  役員等がその職務を行うについて悪意又は重大な過失があったときは、当該役員等は、これによって第三者に生じた損害を賠償する責任を負う。

●第430条  役員等が株式会社又は第三者に生じた損害を賠償する責任を負う場合において、他の役員等も当該損害を賠償する責任を負うときは、これらの者は、連帯債務者とする。

●社員の責任(会社法 第2章社員 第1節社員の責任等)
(社員の責任)
第580条  社員は、次に掲げる場合には、連帯して、持分会社の債務を弁済する責任を負う。
1  当該持分会社の財産をもってその債務を完済することができない場合
2  当該持分会社の財産に対する強制執行がその効を奏しなかった場合(社員が、当該持分会社に弁済をする資力があり、かつ、強制執行が容易であることを証明した場合を除く)

2  有限責任社員は、その出資の価額(既に持分会社に対し履行した出資の価額を除く)を限度として、持分会社の債務を弁済する責任を負う。

●取締役の会社に対する責任

 まず「債務不履行責任」であるが、これが民事責任のなかの最も典型的な責任類型である。取締役は会社とのあいだで委任契約を結んでいるので、善管注意義務を負っている。善良な管理者としての注意義務を果たさなかったら、取締役はその義務に違反した、つまり、契約に違反したことになる。これが債務不履行責任である。商法266条の「取締役の会社に対する責任」は、基本的に債務不履行的責任である。(奥島編 [1997:64])

 会社と取締役との関係は、委任に関する規定に従う(商法第254条3項)。したがって、取締役は、委任の本誌に従い、善良なる管理者の注意をもって委任事務を処理しなければならない義務がある(民法644条)。もし、委任事務を怠り、故意または過失により会社に損害を生ぜしめたときは、会社に対して損害賠償の責を任じなければならないのは当然である。法令または定款もしくは総会の決議に違反することは、善良なる管理者の注意を書いた市場であり、取締役の忠実義務は、全館義務の別の用語で表したものに過ぎない。(石井ほか責任編集[1967:40])

●特別背任罪(刑法247条 他人の為め其の事務の処理する者若しくは第三者の利益を図り又は本人に損害を加ふる目的を以て其の任務に背きたる行為を為し本人に財産上の損害を加へたるときは…」)
 背任罪の成立要件自体には差異はない。其の要件の一は「任務にそむいた」ということである。…用件の二は「自己または第三者の利益を図る」かまたは「本人すなわち会社を害しようとする目的」があることである。この前者については、会社の利益を図ると同時に自己の利益も図った場合などが問題になる。後者については、ある程度の危険をおかして取引をしたときなど、その目的があるといえるかが問題となる。(石井ほか責任編集[1967:31])

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●社員の権利
@共益権 会社自身の目的を達するために社員に与えられた権利 議決権(商241)、株主総会決議の取り消し無効を訴える権利(商247、252)、累積投票請求権(商256-3)、代表訴訟提起権(商267,196,280,280-11,430)、取締役の違法行為差し止め請求権 (商272)、新株の不正発行差し止め請求権(商280-10)、新株発行の無効を訴える権利(商280-15)、設立の無効を訴える権利(商428)、書類閲覧権(商263,282,293-5)、株主総会召集権(商237)、取締役および監査役の解任請求権(商257-3,280)
A自益権 社員自身の目的を達するために与えられた権利 利益配当請求権(商290,293)、残余財産分配請求権(商425)、株式の名義所管請求権(商206)、株券の転換請求権(商227)、株式の転換請求権(商222-2)
B単独株主権 株主総会の召集権(商237)、帳簿閲覧権(商293-6)
C少数株主権 監査役の解任請求権、精算人の解任請求権、整理開始の申立権、特別清算等における検査請求権。

 自益権は、株主が株主自身の目的を達するための権利、ないしは、株主が会社から経済的利益を受けることを目的とする権利であるとされ、また、共益権は、これに対し、全社自体の目的を達するための権利、ないしは、株主が何らかの意味において会社の管理・運営に参与することを目的とする権利であると説かれている。(八木 [1963:] )
服部 [1964:10]

●無限責任
 資本金は信用の基礎としては不十分であり、したがって借り入れに当たっては、人的信用がされた。つまり、負債も、企業が返済不能に陥った場合には出資者個人が責任をもって完済するという人的保証の上に、初めて借り入れられたのである。この人的信用保証を、債務履行に関する無限責任という。小松[1996,2000,2005:19]

●株主の有限責任と権利
議決権(商法241条)、累積投票請求権(商法256条3)、取締役の違法行為差し止め請求権(商法272条)、代表訴訟提起権(商法267条)、利益配当請求権(商法290,293条)

●株式の自由譲渡性

●資本と経営の分離(中村[1980:53])
Difference between ownership and management or Divergence of interest ownership and control(バーリ&ミーンズ)
Segregated management from ownership(ブルッキングス R.S. Brookings)
Separation of ownership and control or Separation of control over access from control over preferential treatment in distribution(バーナム)
Separation of ownership and management control(ゴードン R.A. Gordon)
Seraretes, or least distinguishes, management from ownership (コモンズ J.R. Commons)
所有と経営の分離(平井、占部都美、西山忠範)
資本と経営の分離(古川、山城、国弘、村田)
所有と支配の分離(正木、古賀、河本)
資本所有と資本運動との分離(実方正雄)
資本と経営の分離(松波港三郎)
企業者と経営の分離および企業者と企業の分離(大野実雄)

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所有と経営の分離の真の意味は、出資者が積極的機能的支配を失うことによって、経営者の相対的に独立的な地位が確保され、出資者は消極的、無機能的な支配しかもたなくなる自体にあるといわねばならない。(占部 [1956:57])

●受託者責任
取締役がその職務を遂行するにあたって、受託者との善良な管理者注意を用い(商254)、また法令及び定款の規定ならびに株主総会の決議を遵守し、会社のために忠実に行動しなければならない。(商245U)
八幡製鉄政治献金事件 1961年、元華南銀行頭取有田勉三郎が八幡製鉄の小島新一郎らを相手取って、八幡製鉄が自由民主党に政治献金をしたのは違法であるとして損害賠償の訴えを起こす。1963年に東京地方裁判所は原告勝訴の判決。1966年、東京高等裁判所は原告敗訴の判決。1970年最高裁判所は原告敗訴の判決。「会社は、自然人たる国民と同様、国や政党の特定の政策を支持、推進しまた反対するなどの政治的行為をなす自由を有するのである。政治献金の寄付もまさにその自由の一環であり、会社によってそれがなされた場合、政治の動向に影響を与えることがあったとしても、これを自然人たる国民による寄付と別異に扱うべき憲法上の要請があるものではない」(奥村[1992:132])。

●資本拡充または維持の原則 資本額に相当する財産を常に保有しなければならない。
取締役が不正な価格で新株を発行して会社に損害を与えた場合、取締役は会社にたいして損害賠償の責任を負う(商266 占部[1956:278])

●資本不変の原則 資本額を任意に変更することが許されない。

●資本確定の原則 資本額または資本増加額に当たる株式の総数についてすべての引き受けを要求する。

●不完全競争
 大企業がその製品市場で独占的な地位を確保するとき、大企業の製品価格は、需要側の変動や原価切り下げなど供給側の変動を直ちに反映することがなくなり、伸縮性を失い、固定化してくる傾向がある。大企業の製品価格の伸縮性ということが、また市場の自動的調整力を弱める大きな原因となっているのである。(占部[1956:268])
 労働者が合理的な選択を行なうためには、彼らは自由市場理論の仮定するところに従えば、各工場における賃金、作業環境や経営者の労働関係政策について完全な知識をもたねばならない。ところが現実には、労働者にとって各工場の賃金比較を行なう自由もなければ、まして各工場の作業環境、事故率、失業の危険性を相互比較して雇用を選択する自由もない。労働者はこのような雇用の合理的選択を行う自由のないままに、むしろ習慣や偏見によってもう人的に雇用を選択することを余儀なくされている。(占部[1956:269])

●利益準備金
 毎期、利益処分として支出する金額(配当金・役員賞預金)の10分の1以上を積み立てなければならない(商法288)

●特許会社(chartered company) 普通法(common law)により、国王の有する特許に基いてその勅許によって法人格を認められた、イギリス法における最も知られている最古の形式の会社である。
社員が会社の債務に対して責任をまったく負わないことである。しかし、この点については、その後、ウィリァム第4世(William W,1830-1837在位)の時代にこれを改め、国王が会社を特許するさい、社員に責任を負わせることができるようにした。
特許会社は、その特許状の主旨によって拘束されるが、その活動範囲は広く、普通の会社のように、その行動を定款の範囲内に制限されるようなことはなく、自然人と同様に、相当自由に活動することができる。特許状の趣旨に反するときは、その特許を取り消されることはあるが、なお、無効の行為とはならないのである。(武市 [1961:11])

●国会制定法によって設立される営利法人
 国会制定法によって法人格を与えられるものには3つある。第一に公益事業、例えば運河・ガス・水道及び電気事業など…いわゆる制定法による会社(statutory company)がある。第二の方法としては、国家的重要性を帯びる企業、ことに国営企業の経営を委任された場合もしくは独占的営業権を有する場合において法人格を与えるために用いられる形態であって、いわゆる公法人。(p.ublic corporation)と称するものである。第三には、私的事業を営むために通常設立されるところの法人格を有する企業体を形成する方法である。議会は、会社登記官吏(registar of companies)に設立の権限を与え、…総説された法人は、登記会社(registered companies)とよばれている。(武市[1961:12])

●有限責任組合(limited partnership) 無限責任組合員(general partners)1人以上と有限責任組合員(limited partners)とから成立する。そして有限責任組合員は組合財産として単に一定の金銭もしくは金銭的価値のあるものを出資するのみであって、その出資以外には組合の債務に付いて全然責任を負わないと同時に、有限責任組合員はその業務の執行に当たることができない。ただし、有限責任組合員は、その帳簿を検査し、また、組合に対して意見を述べることはできる。すなわち、会社経営状態とその見通しについて他の組合員に意見を求めることはできるが、これを超えて他のことをすることを求めてはならない。(武市[1961:27])

●Commenda(委託) 1金融業者が一定の金額を、企業の利潤の分け前を請求できる条件で、企業家に前渡するのである。金融業者の地位は、匿名組合員(sleeping partner)のそれに近いものであるが、しかし、前渡した資本額以上の責任をもたない。武市[1961:53]

●societas 各組合員は、他の組合員の代理であると同時に、組合の負債に対しては私的財産の及ぶかぎり責任と義務があるとされた。組合という関係の十分な意味は第18世紀および第19世紀を通じて、わずかに衡平法裁判所(court of equity)によってのみみとめられたのであるが、代理及び無限責任の2つの重要な要素は、当時すでに認識されていた。武市[1961:54]

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◆大塚 久雄 193 「株式会社発生前史の一駒 −近世初期のドイツにおけマグナ・ソキエタスの諸型」,『経済志林』9(2)→1970 『大塚久雄 著作集第10巻』 岩波書店 pp.422-52.

 私はまず、会社企業の最も本源的な形態を「ソキエタス」(合名会社ないしその端緒的形態)と考えるのであるが、このソキエタスとは、資本集中の必然性が最初に生み出したところの、機能資本=機能資本家(無限責任)相互の結合、そうした会社企業をさしている。ところで、資本手中の必然性はさらに、このようなソキエタス的なものを越えてすすむ。ソキエタス的結合を中核として、無機能なコンメンダ出資=出資群(有限責任)が集中されることになる。この−ソキエタスとコンメンダの結びつきのしかたはどうであっても−ソキエタスを中核としてコンメンダ出資者の集中された会社形態こそが、いうところのマグナ・ソキエタス(合資会社ないしはその端緒的形態)なのである。私の見通しに従えば、こうしたマグナ・ソキエタスが次第にその内部に会社機関を孕み、ついに「株式会社」に転換することになるのである。(pp.422-3)

 ソキエタスを中心に、コンメンダ出資が結び付けられる場合、そこに二つの類型が生じてくる。たとえば(一)ジェノヴァのコンペレ、イギリスの初期のjoint-stock companiesのように、コンメンダ出資が直接にソキエタスそのものに対してなされるばあい。私は、これをマグナ・ソキエタスの「ジェノヴァ型」とよぶこととする。(ニ)オランダ東インド会社のいわゆるvóór-compagnieënにおけるように、コンメンダ出資者がソキエタスへ直接にでなく、ソキエタスのメンバーの一人一人に出資をなし、表面上は彼の背後に隠れる。そして間接に、ソキエタス社員の名において会社へ出資する場合、私はこれを「オランダ型」とよぶ(ヘックシャーのいわゆる大陸型)。(p.423,注※※※)

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◆大塚 久雄 1937 「講義草稿 企業集中論」,立教大学経済学部における講義ノート,未発表 →1970 『大塚久雄 著作集第10巻』 岩波書店 pp.317-68.

 会社企業の第一の形態は合名会社であって、その本質においていわば個人企業に最も近いものである。すなわち、それは少数の機能資本家たちの出資からなる共同企業であって、企業の支配はそれぞれ企業職能を持つところの全社員の合議制によって行われ、また、各社員はその経営に関してそれぞれ会社を代表する。そして、そのことに対応して、各社員は会社企業の負債に対して無限責任を負う。ところで、このような合名会社の形では、資本結合、つまり出資者の範囲が極めて狭いものとなるほかはない。それはなぜか。各社員は企業職能を持っているが、企業職能は、いうまでもなく、「競争の情熱」によってささえられているものであり、その情熱は会社企業すなわち資本結合の内部にもちこまれると、いまや「企業支配への欲求」となってあらわれてくる。各社員が企業支配への欲求を持つとき、資本結合が広範囲に拡大されると、社員たちの支配への欲求は必然的に衝突し、その結果結合は逆に分裂への危機をはらむ。こうして、機能資本家だけからなる合名会社形態は利益共同体関係が容易に成立しうるような少数者のあいだにおいてのみ成立しうることになる。合名会社がしばしば家族設立であることの理由もここにあるといってよかろう。(p.348)

 ともかく合資会社形態においては、このように無機能出資の組み入れによって、支配と矛盾することなしに資本結合の範囲が拡大しうる可能性が生じた、その結果として、集中の必然性はますます多くの持分資本の組み入れを促し、会社企業の規模もいよいよ厖大となってくる。ところで、こうして会社企業の規模がある程度まで拡大されてくると、そうした莫大な持分資本の組み入れが、こんどは、無限責任を負う少数機能社員団の人的支配にとって堪えがたい重圧となりはじめる。したがって、またここで結合は支配と再び矛盾するにいたり、より以上の資本結合を押しとどめることになる。そして、集中の必然性はさらにこの矛盾をのりこえて、第三の会社形態を生み出すのである。(p.349)

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◆大塚 久雄 (1938,1947) 『株式会社発生史論』 中央公論社 →1969 『大塚久雄 著作集第1巻』 岩波書店



前編 株式会社発生史論の基本問題
第一章 問題の基本的考察
第二章 株式会社発生史論の諸型
第三章 前期資本的集中過程としての株式会社発生史
補論
第一章 船舶協同組合の企業的構造
第二章 Joint-Stock Companyと株式会社
後編 株式会社形態の発生と展開
第一章 株式会社発生の実態的基礎 −マグナ・ソキエタス、特に先駆会社形態の二,三の実例
第二章 ジェノヴァのコンペラ、特にサン・ジョルジオの企業形態
第三章 オランダにおける株式会社の発生とその限界
第四章 イギリスにおける株式会社形態の展開 −特に東インド会社における会社形態の発達を中心として

 すなわち、会社形態の範囲内において資本集中の程度を段階づけて見れば、合名会社はもっとも低き集中の程度を示し、合資会社はより高き集中の程度を、そして株式会社は最高度の集中を具現している。株式会社は集中形態としての会社企業の最高の形態である。(p.19 中央公論社版 p.10)

 しかしいま株式会社をば之にもっとも近似せる株式合資会社と対比せしめるならば、必ずしもしからざることが明瞭であろう。即ち、右の中のこの両者を決定的に区別するところのエレメントは「全社員の有限責任制」のみであって…かくしてわれわれは、株式会社の発生を識別すべき決定的指標が、ほかならぬこの「全社員の有限責任制」に存することを、しるのである。(中央公論社版 p.16)

 補注2 …後にくはしく述べるであろうが、「全社員の有限責任制」こそ集中を促進し以て株式会社をより高度な集中形態たらしめる決定的契機であって、たんなる法律上の形式であるどころかすぐれて経済的内容たるものである。(中央公論社版 p.18)

…利潤追求・蓄積衝動たる資本主義精神は「競争の情熱」としてあらはれ、個別資本の集積は之によってますます拍車をかけられ、信用によって速度を速められている。更に、この競争信用は個別資本の「集中」なる新たな面を展開し、一挙に大資本が形成せられ[企業の集中]、以て巨大経営が生み出される[経営の集中]という関係におかれているのである。(中央公論社版 p.24)

 「機能資本家」funktionierende Kapitalistenとは出資をなせるにとどまらず、それについての企業職能をも、自ら把持している資本家であって、いわば彼においてはいわゆる「企業の所有」と「企業の経営」とが合一している。そしてこのことに対応して、かかる「あらわな姿の」機能資本家の損失のばあいにおける責任は無限責任である。いうまでもなく、彼は最も本来的な姿の、従前なる資本家である。これに対して「無機能資本家」とは、単に企業に対して出資をなしこれについて利潤の一定部分の分前にあずかるのみであって、能動的なる企業職能はこれを喪失している資本家である。彼はその資本を機能資本家に貸付・委託するなり、機能資本家の出資と結合するなりするが、この自己の出資に対して何らの企業職能をも留保しない。かかる無機能資本家の徹底せる形態は利子付資本家である…。(p.20-1)

 まず株式会社においては中心的機能資本家集団の責任形態もまた「出資を限度とする有限責任」であり、したがって全社員の責任が「有限責任」である。…つぎにこの事実にまさに対応して、株式会社においては中心的機能資本家集団の企業職能・「企業支配」の形態は、合資会社における「無限責任的人的支配」と異って、株式総会・取締役団・監査役団などの会社機関の中に客観化せられ、内在化せしめられている。すなわち、中心的機能資本家集団としての「大株主」は、株主総会において議決権の多数を制することによって、機能職能の主体たる取締役団および監査役団における地位を自己のために獲得し、これによって企業全体を支配する。「人的支配形態」に対して、これは「物的支配形態」とも名づけえよう。かくして、株式会社において社員の個人的なるものが全く団体制のなかに吸収されるという外形(現象形態)が生ずるのである。これはいわゆる株式会社の「法人性」Rechtperson, corporation の問題に外ならぬ。(p.22-3)

 商業資本の自己撞着的な法則性は、より具体的には、競争によって媒介せられ、競争による利潤の激減となってあらはれる。なぜなら、前期的商業資本の利潤は不等価交換による利鞘にほかならなかったから。かうして諸個別商業資本間の競争によって共倒れ的破滅という結果が惹起される。しかしながら、商業資本は唯々諾々としてこの運命に服従するものではない。かえって自己の法則性に向かって反撃する。すなわち、商業資本は相互間の競争を排除し、買占的独占を結成してもって旧来の生産および流通事情を反動的に維持せんとする。ここにいわゆる商業資本の「独占」なる事実が発生するのである。かかる、「独占」は、最新型の独占がそうであるように、種々の形態をとるが、しばしば「独占的合併」がおこなわれ、かくして極めて大規模な会社企業が生まれるのである。この事実は株式会社発生史上きはめて重要であって、後述のように株式会社の起源といわれる「和蘭東印度会社」はまさにかかるものとして設立せられたのであった。(p.38 中央公論社版p.32)

かかる「独占」について、一言しておくべきは、それと封建的公権力との関係である。というのは、かかる「独占」がきわめてしばしば封建的公権力によって「特権」として賦与せられ、時に単に公権力によって創出せられたかに見える場合があるからである。にもかかわらず、その必然性は第一次的に上述のような経済的事情に由来するものであることが注意せられるべきである。(p.39 補注1)

 第一に、封建社会における商業は、先にも触れておいたように種々な危険ないしは社会的障害にさらされていたのであるが、商人にとってこの危険をまぬがれ、障害を排除する一つの有力な道は、有力なる封建的権力者・都市より「特権」を賦与せられることであった。たとえば、交通の危険に対する保護、定住、住民との取引・小売の自由、禁制品の輸出入、関税・課税の軽減ないし撤廃、などの特権、なかんずく突起すべきは、前述のごとく、商業資本にとって「独占」が必要時になったとき、それが特権賦与の形式によって擁護せられることであった。そしてこれらの「特権」を獲得するためには何よりも、財政的貧窮せる封建的権力者・都市に「貸付」をなせねばならなかったし、また彼らによって貸付を強要されすらしたのである。(p.42)

 しかるに、会社企業の永続性は、中心の一人、ないし相互に連帯の無限責任を負える数人の無限責任社員団の個人性をこえ、そして企業職能把持者たるの役割がこの一人ないし少数の個人から抽象せらるに至る。かくして無限責任社員の無限責任は除かれ、彼らは「会社機関」となる。これ、「法人の形成」Inkorporaeirungなる過程に他ならない。(p.49)

 まず、機能的受託者(factor, tractor)が唯一人であって、彼にコンメンダ出資が集中されている場合が、形式的には、かんがえられる。しかしながら、唯一人の機能的商人のもとに、「株式会社発生の実態的基礎」たりうるほど大規模に、おびただしい数のコンメンダが集中されるということは、実質上不可能である。なぜならその厖大な企業の責任無限にただ一人の商人の上に押しかかり、したがって彼は到底出資者の信用をつなぎえないであろうから。(p.82)

 さて、かかる合資会社内形態が成立するに至ると、ソキエタスの周囲にますます多くのコンメンダ出資を蝟集せしめる傾向をば生ぜしめ、会社企業はこれによって拡大せられ、ついに巨大な規模にまで到達することになる。ところでかく拡大された企業の全責任無限に中心のソキエタス社員の肩の上におちかかり、ひいて会社企業全体を圧迫するに至る。(p.93)

 彼ら[株式会社における大株主すなわち支配者集団]が持株によって総会の決議を左右し、取締役団ないし監査役団におけるポジションをば自らの利害によって支配するという事実は、いわずして明らかである。むしろ彼らこそ語の最も優れた意味における機能資本家であり、企業職能の把持者であり、そして株式会社における支配者団なのである。(p.99)

☆ソキエタス 機能資本家間の相互的な共同企業的結合関係 各メンバーは単に出資をなすのみならず、それについての企業職能をも把握し、したがって該企業の負債に対して無限責任を負う。

☆コンメンダ(commenda; commendare =委託する; commendator socius stans=貸主; tractator, portator, commendatarius=借主,業者=capitaneus) 持ち株資本家の、機能資本家乃至上記ソキエタスに対する無機能な出資関係 企業職能は機能資本家側に属し、持分資本家は単に出資しそれに対して利潤の分け前に与るのであり、したがってその責任形態も亦一般に出資額を上限とするところの有限責任である。(大塚[1938,1947→1969:108-110])

 さて、海上企業によって得られた利潤の分配、および損失があった場合、その負担割合は以下であったかというに、利潤分配はコンメンダトール(貸主)に四分の三、トラクタートル(借主)に四分の一の割合が普通であったが、損失の場合には、トラクタートルが無限に責任を負わねばならぬのに対し、コンメンダートルは彼の「委託」(出資)の返還をトラクタートルに要求し得ない、言い換えれば、それの放棄を余儀なくせしめられるのにあった。つまりコンメンダートルは出資を限度とするところの有限責任を負っていたのである。…それにもまして重要なことは、両当事者の中でコンメンダートル(貸主)が指導的地位を占めていたことであった。すなわち、一般に委託された資本はトラクオタートル(借主)の企業のなかに吸収せられず、コンメンダートルは多かれ少なかれその海商取引の「業主」capitaneusとして立ち現われ、これに対してトラクタートルはいわば問屋に対する家内工業主のごとき地位におかれていたのであった。(p.109 中央公論社版p.113)

 まず「全財産を以てするソキエタス」societas omnium bonorumから漸次に「一定貨幣額を以てするソキエタス」societas certae pecuniaeに推移しつつ、明白な一定の存続期間をもつ会社契約なる形式の上に設立されるに至った。それとともに責任形態」も単に無制限な連帯責任から「ソキエタスの営業に関する限りでの連帯責任」に限定せられつつ、ここにソキエタス本来の全社員の無制限責任制が確立し、之に伴って営業においては、企業支配の合議制と、各社員が会社の名において第三者に対立しうるという所謂代表権とが亦成立した。かくして会社形態の第一段階足るソキエタスの形態が整うにいたったのである。(中央公論社版p.124)

 いうまでもなくソエキタスは機能資本家相互の結合であり、そこでは全社員が企業機能を把握する十全な資本家として参加している。したがってソエキタスにおける社員たちは相互に結合し共同しつつも、なおその間、潜在的にせよ顕在的にせよ、支配への欲求を持っている。このことのゆえに、ソエキタスがある程度拡大せられ社員の数が多きを加えるに至ると、彼らの「支配への欲求」が相互に反発しあ合い、彼らのもてる企業職能の範囲について得に利潤分配の方法について相互の利害の対立が現われざるをえない。かくしてソエキタスは、拡大されるにしたがってかえってその中に分裂の危険をはらむに至るのである。…今や「機能資本家の結合」たるソキエタスを中核として、之に無機能な従って「支配への意志」を一応喪失している持分資本、かかるものとしてのコンメンダ的出資が付加させられ、かくしてソキエタス的「結合」の規模が分裂への危機を胎むことなしに拡大せられることとなるかかる仕方によって拡大せられたソキエタスのことを、私はマグナ・ソキエタスと呼ぼうと思う。(p.125 中央公論社版 .133)

 …マグナソキエタス形態においては「結合」はソキエタス社員の「支配」の欲求と矛盾することなしに進行し、会社企業の規模は拡大せられて、遂に「先駆会社」の域まで到達する。しかしもっぱら、ここで集中の必然性がこれ以上の「結合」を推し進めようとするや否や、先駆会社形態の中核をなすソキエタス社員即ち機能的支配社団の無限責任が、即ち彼らの「支配」の私的・人的基礎であるところの無限責任が、いまや「結合」の進行に対する阻止的エレメントとして立ち現れるに至る。つまり、ここで「支配」の欲求の、「結合」の必要に対する矛盾・衝突が再び惹起せられることとなる。…かかる「有限責任的」コンメンダの出資額の、「無限責任的」なソキエタス[機能資本家団]の出資額に対する割合が、著しく増加し、且つこのことの故に、著しく拡大された取引関係がすべて少数のソキエタス社員の肩上に「無限責任」としておちかかる。而して之が中核的ソキエタス社員の「資力」を超えるに至れば、「無限責任」は彼らにとってまさに耐え難いきものとなり、それががってそれ以上の「結合」による集中を阻止するに至る。−かくして無限責任制と、かかるものの中に表出せられるソキエタス社員の私的・人的支配形態は揚棄せられねばなくなる。(中央公論社版 p.148-9)

 かくして会社法制史家のいう所の法人となり、先駆会社より株式会社への移行が完成せられる。そして、かかる株式会社形態の成立によって、集中過程の二契機たる、「結合」と「支配」とは−会社形態の範囲内では−究極的に和解せられつつ、もって形態上集中の阻止的エレメントは取り除かれ、会社形態はこれをもって最高の形態に到達するのである。(p.141)

 端的にいえば、商人ギルドの一変種たる「規制組合」regulated companyのギルド的外形たる「カムパニー制」を外皮としてこれと癒合した会社企業−先駆会社形態であれ株式会社であれ−に外ならなかった。…その結果、法制史家のいわゆる法人性なるものはギルド制よりの伝承として、すでに株式会社への転化に先立ってあらわれ、したがってまた諸先駆会社企業の商号は《Govenor, Assistant and Company of …》云々のギルド的に冗長な形をとり、ことに「取締役」は《Governor-Assistant》というギルド的外形を取っていた。(p.146)

 (…)「制規会社」とは古くマーチャント・アドヴェンチャラーズ組合や、イーストランド・カムパニーに端を発し、エリザベス女王の治下において完き姿容を整えるに至ったところの外国貿易商のギルド的組合で宛てて、それは多数の独立の商業資本を包括しこれを規制するに過ぎない団体、すなわちージョサイア・チャイルドの語に従えば−それらを単に、『ひとつの支配(government)あるいは規制(regulation)の下におくところのカムパニー』であった。かかる制規会社との対比において、joint-stock companyとは、その団体的規模に一致する結合資本(ジョイント・ストック)を擁し、もっぱらこれによって経営を営むところの、すなわち同時に「会社企業」でもあるところの「カムパニー」であった。(p.185)

 「カムパニー」にはその公的自治団体たる性質上、規制組合が全体内の利益の確保のためにメムバー相互の競争を排除し、これをギルド的に統制する場合にせよ、あるいはまたjoint-stock companyが結合資本(joint-stock)をもって統一的に経営を遂行する場合にせよ、一般に特許状によって内部自治・経営のために一定の「公的色彩」を持つところの「機関」が設定せられた。(p.187)

 (a) joint-stock companyの会社企業における出資者はすべて有限責任であったか。−この決定的な点に関しては、1662年のチャールズ二世の条例以前には、少数の偶然的な例外を除いては、その事実を否定することはおそらく誤りでないであろう。というのは、前述のように、この期間のjoint-stock companyの全社員は一般に、特殊イギリス的・カムパニー的「徴収」という形で、間接責任ではあるが、無限責任を負わされていた。ともかく制度として全社員に対し無限の「徴収」に応ずる義務が要求せられていたのである。それが実際に行われたニ、三の重要な例をあげてみれば、マインズ・ロイヤル会社およびミネラル・アンド・バッタリー・ワークス会社、ロシア会社、アフリカ会社のいずれにもその例が見出される。東インド会社についてはなお後編において詳述するであろう。もっとも、前述のように、右の制度上の「全社員の無限責任」制は事実上行われなかった。というのは、当時のjoint-stock companyには特徴的に「徴収」に対する不履行ないし拒否が事業不振に際して見出されるが、カムパニーの重役団はこれを強制する実力もまた意志をも欠き、したがって事実上一般株主は現実の出資以上の責任を逃れ、中心の重役団のみが無限にこれを負うという状態にあった。かかる傾向は、アフリカ会社にも、ロシア会社にも見出されるが、なお東インド会社においては重役団が直接に自己の私財産を担保に供したという事実すら見出されるのである。ともかく、事実上当時のjoint-stock companyの社員の責任形態は、機能資本家団は無限責任、無機能出資者群は有限責任でって、「全社員の有限責任制」などというものは、偶然的例外を除いて、たえて見出されないのである。つまり、事実上の「マグナ・ソキエタス」であったわけである。もっともこの場合、あとに詳述するように、無機能出資者群は、ある場合はカムパニーの「素面の」メンバーとして、ある場合は、under-adventuresとして現れたのであるから、集中型および両者の混合形態が並存していたわけである。
 ところで王政復古の直後1662年(チャールズ二世治下)における「破産者に関する布告の条例」An Act Declaratory concerning Bankruptsとよばれる条例によって、イギリスにてははじめて全社員の有限責任を持つjoint-stock companyが作り出された。該条例は、東インド会社・アフリカ会社および同様なjoint-stock comaniesの社員は損失に対し「破産法」Law of Bankruptcyの適用を受けることなく、したがって会社の負債総額につき『それだけ』の無限責任を負うことなきことを規定した。かくてjoint-stock comnapyの社員はこれによってただ未支払いこみの部分だけの責任を負うこととなり、その責任は「有限責任」となったわけである。もっともこの「有限責任制」は、スコットが既に指摘しているように、たとえば、イングランド銀行のごとく、事実上実行せられなかった場合があるにせよ、ともかく1662年以後joint-stock companyの大部分が「株式会社」limited liability companyに移行したわけである。かかるものに就いてみれば、joint-stock companyは「株式会社」を内容とし、「カムパニー」制を外枠とするものであったといいうるのであって、1662年を境界として、joint-stock compnayは会社形態上、二つの範疇に截然と区別されるわけである。(pp.209-211)

 すなわち、パートナーシップにおいてはメムバーの個人性が決定的に優先しているために客観的な「特別会社財産」Sondervermogenがいまだ形成されておらず、したがってメムバーの私的な負債の責任が無限に会社企業そのもののうえに責任としておちかかってくる。いわゆるfull personal liabilityである。こうして、パートナーシップの運命は全く各メムバーの私的な経済状態いかんによって左右せられ、事情によっては解体を余儀なくされることにすら立至るのである。これと対比して、joint-stock companyにおいては、先に述べたような「カムパニー」の法人性。(p.erson in law)が内容たる会社企業(joint-stock)を客観化せしめ、そのメムバーの個人性よりある程度解放し、もってfull[unlimited] personal liabilityより、すなわちメムバーの私的負債に対する責任より逃れるところのより安定した「特別財産」が形成せられる。この責任形態がいわゆるlimited personal liabilityである。(p.199 中央公論社版p.217)

 第一の事実はその「持分所有者」participes, Comperistenが一団となり、自ら当該国債管理をつかさどる自治的組織を形造るに至ったことである。…なかんずくその管理・運営をつかさどるために「持分所有者団」paticipesの中の「取締役」negotiorum gestoresなる制度がつくり出された。この取締役は最初は「コンスル」あるいは「初期」Schreiberとよばれて、大持分所有者の中から、彼らとの相談によって政府が任命していた。そしてこの制度は、後述するごとく1323年にのけるコンペラの「プロテクトーレス制」protectoresの創設によってはじめて完成されたものというであろう。ところでこの際繰り返して注意すべきは、この「取締役」なる地位がロカの主要部分を所有している富者によって占められていたことである。すなわち、彼らは「持分所有者の取締役」という形をとっていても決して彼らの中の「同当社の第一人者」primus inter peresとして全体の利害を代表などするものでなく、事実上自己の利害のためにコンペラ全体を専制的に支配するところのものであったのである。(p.277)

 まず、東インド会社の特権第7-9によれば、出資は10年を期限として固定せられ、その間入社および退社を許さず、そしてこの10年経過の後に「一般的清算」generale afrekeningが行われ、この際にのみ有志者の入社および退社の自由が許されたのである。この一般的清算が何ら「解散」を意味しないことは明白であり、したがって当座性を完全に揚棄したのである。(p.372)

 …最初の10年の会社財政は「一つの明らかにしえない秘密として打棄てられ」、一般出資者群の権利は全く無視せられて、一般的生産の広告は取締役会の決議によって延期せられてしまった。そしてそれ以後、事実上一般的生産はついに一度も実行せられなかったのである。このことはいうまでもなく恣意的な取締役団のイニシアティヴによってなされたのではあるが、しかもこれを一般的に可能ならしめたのは、いうまでもなく、この頃すでに東インド会社の資本すなわちアクシーが取引所において転々流通し盛んな投機すら行われ、そして一般に株価が額面以上にあったから、退社および入社の禁止が事実上何らかの不都合をきたさなかったからに外ならない。(p.372-3)

 ところでこのような競争が前期的商業資本たる右の諸企業にとって特に破滅的な損害をもたらすものであることは先に縷説しておいた如くであるが、「競争」によって、一方東インド[バンタム、モルッカ]における香料・胡椒の買い付け価格が急騰し、他方アムステルダムの市場における香料・胡椒の販売価格がいちじるしく下落し、その結果、東印度貿易より生ずるあの夥しい商業利潤は一挙にして著滅するにいたった。かくて「競争」は「すべての会社を没落せしむべき危機」となり、フォール・コンパーニエンの包括的合併、それによる買占的独占の確立は不可避の事態となるにいたった。(中央公論社版p.379)

さて、かかる「取締役」が機能資本家であり、フォール・コンパーニエンにおける企業職能の把持者であったことが注意せられねばならぬ。彼らは諸企業を代表し、且つ自己のイニシァティヴに従って「自らの意のままに」naar willekeur東印度貿易を経営した。直接に云うならば、取締役談はそれを一応彼らのみの共同企業として、その「企業の支配」を商業資本的に掌中に独占しており、他のいわゆる「出資者群」はこれに対する積極的な参加を拒まれていたのである。この事は例えば、東印度よりもたらされた香料・胡椒が、取締役中の「販売委員」の専制によってつねに取締役のみによって買い占められ、出資者群はこれより除外せられていたこと。また、決算に際しては、取締役団が、自己の出資に対するたんなる配当のほかに帰港の際の積荷の通常の1%以上を自己の分け前として先取しており、のみならずしばしば不正な取得をすらなしていたことなどを想起すれば、明白であろう。(中央公論社p.383)

  之(特許状第42条 取締役の有限責任)に関して、約一世紀のちの法律家ザルク(Zurck)はCodex Bastavusにおいて、この条文をば次のように解している『取締役の私人格および私有財産が責任を負わされるという事はありえないで、会社が、権限ある裁判官の許にて、これに対し責任を負わされねばならぬ』(中央公論社版 p. 404)

 オランダ東インド会社の利益配当[uitkeering]は、勅許状第二条に規定せられる如く「十七人重役会」の決議に従って、1609年より開始せられ、爾来規則的に行われた。ところで、この基礎となるべき利潤に就いて見るに、それはその後少しくも1736年頃迄実に存在してはいたが、併し乍ら配当率はこの利潤の高低如何とは全然無関係で、ひたすら取締役の私利によって示威的に決定されていたのである。ある時は好況にも拘らず「出資者」群がその恩恵に与らないことがあったし、ある時は全くの損失なるにも拘らず配当が行われた。しかも全体としてその配当率は一般に不当に高率であって、従ってはじめてよりすでに所謂「蛸配当」の傾向を示していた。(中央公論社版p.429)

 …上述の1665年3月に改正された東インド会社・新合本の『設立趣意書』の規定を検するとき、いっそう明瞭となる。すなわち、そこには『各出資者(adventures)が会社(company)に対して負える負債については彼の出資金(stock)および配当金が、責任に当てられるべき(liable)であって、[それは]この負債または約定が完済されるまで留置される』と規定されている。すなわち、責任に充てられるべきは、出資金と配当金であって、彼の私財産ではないのである。−「全社員の有限責任」の確立は明瞭である。(p.504 中央公論社版p.567)

 補注 右の『破産者に関する布告の条例』の立法理由はきわめて興味深い。というのは、チャールズ二世は王政復古以後被害氏インド会社の重役の地位を自己の腹心の地主によって占めさせてしまったのであって…そこで、立法理由に述べられている「貴顕の人々」が彼らであることは明白であるから、「全社員の有限責任」の要求が全く「重役団」のイニシアティヴにもとづくものであったことも明白である。之を理論的に表現すれば、東インド会社は原初的蓄積の使命を果たすべき前期的商業資本として、ますますその前期的集中を高度化する必要にいまや迫られていた。しかも、集中の重みは一に重役員の肩上に耐えがたく落ちかかるに至った。無限責任の廃止即ち有限責任の確立がより以上の集中のためにどうしても必要なこととなっていたのである。(中央公論社版p.567)

 さきにクロムウェルによって証券の体制を完備せしめた東インド会社の株式は、きわめて「好ましき投資の対象」となって盛んに流通するにいたり、前述のように、退社および入社の制度をついに無意味なものにするに至った。…またかかる「東インド株」に対するラッシュの原因として、有限責任制の確立を見逃してはならぬと思う。有限責任制が単なる法制上の形式ではなく、集中促進の重要な契機であり、すぐれて経済的な内容であることは右のことからしても明瞭であろう。(中央公論社版p.571)

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大塚 久雄 (1966) 『社会科学の方法』 岩波新書 B62


T 社会科学の方法 −ウェーバーとマルクス
U 経済人ロビンソン・クルーソウ
V ヴェーバーの「儒教とピュウリタニズム」をめぐって −アジアの文化とキリスト教
W ヴェーバー社会学における思想と経済

 そしてまた、約半世紀ののちには、彼らのなかから産業革命の担い手になるような経営者が出てくることになるわけですけれども、そういう中産の人々が貨幣というものに巨きな価値をおいてはいなかった、と言いきってしまうと、もちろん誤りでしょう。が、そしてその点においては後でも触れますが、しかしまたある面では、彼らは必ずしも貨幣に最高の価値をおいてはいなかった、と考えてよいようなところが確かにあるのです。つまり、彼らには、ただおかねを儲けるというのではなくて、経営それ自体を自己目的として献身する人、といった特徴がみられたのです。(p.121-2)

 デフォウのころのイギリスの中産の生産者たちのあいだで、どんな職業がよい職業だと考えられていたかといいますと、その標準は−マックス・ヴェーバーの要約によれば−次の三つだったようです。@不道徳なものでないこと、A社会全体のために有益であること、つまり、人々のために何か役立つものを生産して供給すること、Bところで、もしそうだとすると、その結果とうぜんもうけが生ずることになるから、もうかる職業がよい職業だと言うことになる。つまり、ただ金もうけ(企業)がよいというのではなくて、有益な財貨を隣人に供給する(つまり経営)、そのことを表現するかぎりで金もうけが肯定されていた。だからこそ、アドヴェンチャラー式の荒稼ぎなどが強く批判されて、中産の生産者たちの営みに高い価値がおかれていたというわけです。(p.125)

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大隅 健一郎 (1953) 『株式会社法変遷論』 有斐閣 →1987 『新版 株式会社法変遷論』 有斐閣


第一編 近代株式会社法の形成
 第一章 序説
 第二章 株式会社の発生 −17世紀
  第一節 諸説
  第二節 大陸における株式会社の発生
  第三節 イギリスにおける株式会社の発生
 第三章 株式会社の発展 −18世紀
 第四章 株式会社立法の発展 −19世紀
  第一節 諸説
  第二節 フランス
  第三節 ドイツ
  第四節 イギリス
  第五節 アメリカ
  第六節 むすび


第二編 近時における株式会社の構造変革
 第一章 緒説
 第二章 経済の基本構造の変遷
 第三章 株式会社の基本変革
 第四章 むすび


第三編 株式会社法における企業自体の思想
 第一章 緒説
 第二章 学説の発展
 第三章 企業自体の思想と現代株式会社法

 ギリシヤの租税賃借団体は、契約により一定期間につき、国家収入の賃借(買受)をなす賃借人の国体であった。それは社団的構造を有せず、また団体員の有限責任・確定の資本及びその譲渡性ある持分への分割をも割いていたのであって、株式会社とよびうべきものではなかった。ローマの租税賃借団体もギリシャのそれにならったものと推測されるが、競売により国家または公共団体の収入を賃借した多額納税者の一団からなる、より広報的色彩の強い大きな団体であった。それはせいぜい今日の株式会社の代用物としての役割を営んだとはいいえても、法律上株式会社に接しうべきものではなかった。(p.4)

 中世ゲルマンの団体はしばしば団体財産における独自の持分をともなう社団的組織を有していた。その持分は種々の名称をもって呼ばれていたが、近代の株式とある程度の類似性を有し、ギールケのごときは、それは法律的には株式にほかならないと述べている。ことに鉱山組合の持分、炭鉱者団体及び南フランス及びライン地方の水車団体などの自由譲渡性ある持分は、株式に類似していた。(p.5)

 コンメンダは、資本家(commendator)が企業者(tractator)に商品または金銭を与え、企業者は海外に赴いて商品販売または買い入れを行い、その帰還後の利益を分配する契約であって、有限責任をもって投機事業に投資する重要な契約形態であった。すでにローマ法においてその存在が認められ、合名会社よりも古くかつ実際上重要な企業形態があったとされている。時の経過とともにコンメンダに変化を生じ、のちには企業者も一部の出資をなすようになったが、株式会社との関連において重要なのは、資本家の無機能な、しかも有限責任的な持分であって、レーマンはそれが株主の有限責任の点で株式会社に影響を及ぼしたと認めている。(p.5)

 イギリスのジョイント・ストック・カンパニーは始めから比較的民主的な構造をとっていたが、オランダ東印度会社はこれと対称的で、それは社団(Korporation)というよりはむしろ財団(Stiftung)ないし営造物(Anstalt)に近いような構造をとっていた。すなわち、この会社にあっては株主総会なるものは全くみとめられず、取締役の選任も事業の経営も一般出資者の意志にかかわりなく行われた。設立当初における取締役には特許状によって先駆会社の企業家がそのまま指名され、原則として終身であり、その定員は60名となっていた。…利益のごときも、各「部」の取締役の中から選出された代表者の構成する「17人重役会」により全く自由に決定せられ、特許状により4年ごとに連邦議会に提出するものとされていた決算報告書さえも、正規の作成はなされないほどであり、まして会計の監督をなす監査役のような機関は存在しなかった。(p.10-1)

 会社における株主の地位について見るに、株主の権利の保護はきわめて薄弱であった。株主は出資金額に対する権利と利益配当に対する権利とを持っていたが、しかしはじめは会社の経営に関与する権利をまったく認められなかったから、株主の権利は右の二つの財産的権利に尽きていた。加うるに初期には、会社の経営は取締役により恣意的に行われたから、彼らは一般出資者の犠牲において私利を営み、かつ最初の特許状には利益についての定めはなく、利益の配当も利潤の多少に関係なく取締役により恣意的に決定され、一般出資者の保護は事実上、きわめて薄弱であった。その後になって、主要出資者に対してはある程度経営に関する権利があたえられたことは、すでに述べたとおりである。株主の責任については、少なくとも対外的には有限責任、いいかえれば会社債務については会社のみが責任を負い、個々の株主は責任を負わないものとされた。このことは、会社が法人とされた当然の結果であるとも言えるが、先駆会社の企業から東インド会社の株主になった者については特許状においてその主旨が規定されていた。これらのものは先駆会社においては無限責任を負うていたから、とくにこれを明らかにする必要があったのであろう。(p.12)

 会社が法人たることは理論上必ずしも対内的な社員の有限責任を基礎づけるものではなく、実際上もオランダの会社にならったフランスの会社においては、はじめは特許状に別段の定めがない限り、むしろ株主に追加出資義務ありとする観念が存した。オランダにおいても西印度会社の重役会は一般株主に対し追加払い込み義務を強制し、これに応じない場合には株主の持株を没収することとしたのであって、これを考えると直ちに内部的な株主の有限責任を論断することは困難なように見える。東印度会社の特許状がこれに付いて何ら規定しなかったのは、それは会社内部の問題であるから、立法は重大な利害関係を有しないものとして、その規制を当事者に委ねたものと見るべきであろう。そして、会社内部においても実際上は追加出資を強制することは困難であったため、次第に一般の法意識において内部的にも株主の有限責任の原則が確立されて行ったのではないかと考えられる。(p.12-3)

 右らのフランスの会社も、オランダ東印度会社にならい国王の特許状によって設立された。ことに政府の重商主義政策と結びついていちじるしく政治的性格を有し、しばしば国王の発意の下に設立され、国王自らこれに出資し、必要とする限りの大きな特権と保護を与えられた。またすでに17世紀において、上述の殖民会社のほかに同じ形式の下に若干の保険会社及び工業会社も設立された。特許状は、一方において会社に対し各種の特権と法人格を与えると同時に、会社の内部的組織を定める定款を与えた。そしてかように国家が会社の成立を支配し、かつこれに特権を与える反面において、会社の活動を監督する権限が国家に留保された。(p.16)

 レケールによれば、フランス最初の特許会社たる1626年のイール・ダメリック会社においては、株主の責任はその出資に限られるものと解されているのみならず、会社が法人と認められる限り、株主は本則として会社債務に付いて責に任じないのが中世以来の原則となっている。リヴィ・ブリュールが引用するフランス東印度会社の特許状の規定から株主の対外的無限責任を論証することは困難であって、むしろ反対にその対外的有限責任を結論せしめるものと考えられる。これに対して、株主の内部的追加出資義務に付いては、定款を持って、或いは明らかにその義務を認めるもの、或いはその義務を強調しうべき最高額を定めるもの、或いは各株主の同意がなければこれを課しえないとするものなどが存したのであって、株主の内部的有限責任はいまだ確立された原則とはいえなかった。それが18世紀後半になって次第に慣習法的に継承されるにいたり、フランス商法典において明文の規定を見るにいたったものと考えら得る。(p.21-22)

 中世のパートナーシップの形態にはコンメンダとソキエタスの二つがあったが、イギリスでは15世紀にはいるとともに前者は衰退して、もっぱら後者の形態のみが行われた。ソキエタスは数人が共同して事業を行うための継続的な団体であって、各組合員は他の組合員を代表して組合のためになした契約により他の組合員を拘束しうること、組合員は組合の債権者に対し人的無限の責任を負うことが認められていた。かかるソキエタスによる事業が長期にわたって存続し又は急速に膨張する産業に関する場合には、新たな社員獲得の必要が生じ、時の経過とともにソキエタスからより正確にはカンパニーと呼ばれるべき形態へと生長した。(p.28)

 東印度会社の最初の計画では、会社企業は会社の全社員により構成するものとされていたが、予定の出資の払い込みが容易に行われなかったため、その計画は変更されて、全社員のうち現実に払い込みを希望するもののみからなる当座的な個別企業(separate stock)画設立され、それが東印度会社の名において東印度貿易を営み、これに出資したのみがその利益の分配にあたえるとともに、損失をも分担することとなった。かくて東印度会社はこのような個別企業に出資することのできる特権を持つ社員の団体たる一種の制規会社に後退した。この最初の個別企業は「第一航海」(First Voyage)とよばれる。これは当座企業であり、その機構とともに生産される一回限りのものであったから、その出帆後これと別の計算で第二回目の個別企業たる第二航海が計画され、かようにして1612年までに8回の類似の個別企業が相次いで設立された。(p.30)

 企業者たる商人の側からいえば、特許状のない団体は王室により嫉妬と猜疑の眼をもって見られたばかりでなく、団体の自治権・成員に対する課税権・団体内の紛争についての裁判権・外的に対する防衛権は彼らの必要とするところであり、また貿易の独占権・輸入出に関する特別法および貿易阻害的な諸法律からの免除・関税免除など彼らの欲するところであったから、おのずから特許状の付与を求めることとなった。また国王の側からみれば、会社によって行われる統制はしばしば国民の商業活動から生ずる国際紛争につき国家に対する大きな援助となり、かつ特許に対する会社からの献金は王室の重要な財源となったから、おのずから特許状を付与するに傾いたのである。すなわち、16世紀において見られたジョイント・ストック・カンパニーに対する法人格の付与は、成員とは別個の法人格を創設することによる商業上の利便のためよりも、第一次的には主権の一部を行使しかつ貿易上の特権を有する団体を創設するという貿易組織および国家の対外政策なる国状的見地から行われたのである。法人の永続性が確保され、団体が(・・・)として取引に現れ、団体の名をもって訴えまたは訴えられ、共同印章により団体の行為を確実にし、また成員の持分の譲渡性を明確にし、法人たる団体の責任とその成員個人の責任とを明分にし、ことに成員の有限責任を認めるなど、法人における商業上の利益が明らかにされ、主としてかような司法上の見地からする法人格付与の意義が尊重されるようになったのは、17世紀に入ってからのことである。(pp.33-4)

 16世紀のジョイント・ストック・カンパニーにあっては、その事業は比較的少数の株式に分かたれ、かつその株式数は固定されていた。そして事業の経過により新たな資金を必要とする場合には、右の株式に対する払い込み金額が随時追加徴収された。その意味で社員の責任は一種の無限責任であった。ただ法人の債務につきその成員が人的に責任を負わないことはすでに15世紀以前に明らかにされていたから、その責任は間接無限責任というべきものであった。(p.38)

 その結果として株主たりうる者は極めて富裕なものに限られていた。そこでこの不便さを避け小投資家を誘引するために、或いは一株式を数個の小割株(graction)に再分割し、或は下請出資者を許すという方法がとられた。この方法は17世紀にはいってもなお行われたが、しかし東印度会社の設立によりこれに変容がもたらされた。すなわち、株式数を固定して、その払い込み金額を調整する代わりに、企業の形成に当り株式の額面額を固定し、その数に弾力性を持たせて新資金の調整を図ると同時に、株式の額面額もなるべく減少する傾向がすすめられた。これにより株主の追加出資義務が排除されたわけではないが、実際上はこの追加出資の払い込みは容易に行われず、会社の理事者もこれを強制する意志と実力をもたない場合が多く、一般人の法意識においては、株式譲渡の頻繁化と相まって、漸次株主有限責任ある観念が形成されつつあったものと考えられる。1662年に「破産者に関する布告の条例」(Act declaratory concerning Bankrupts)が制定されて、東印度会社・アフリカ会社及び漁業会社における株主につき、会社は損失を生じた場合においても破産法の適用を受けないものとされた。この条例が株主の有限責任を定めたものか否かについては議論があるが、もしこれが一種の有限責任を認めるものとするならば、ひっきょう上述のように形成されつつあった意識を右らの会社に付いて放任したものと憶測されるのである。(p.38-9)

 18世紀の前半において、イギリスの企業者が株式会社の設立につき国王の特許状または議会の私法律を求めた主な理由は、譲渡性ある株式の発行を禁止する泡沫会社条例の適用を逃れること、会社の名をもって訴えまたは訴えられる能力を獲得すること、法人として永続性。(p.erpetual succession)を得ることなどであって、法人性の概念と社員の責任限定とのあいだの相関的関係は当時の法律家の脳裏ではまだ十分に結晶していなかった。しかるに、同世紀の後半になると、特許状または議会の法律を求める理由として有限責任の利益をあげるものが多きを加えている。18世紀においても、例外的な事情の下においてではあるにせよ、会社が株主から徴収を為す権限(call-making power)を有することがイギリスの会社の一つの特徴であった。(p.42)

 その設立については以前としていわゆる「特許主義」が行われ、いずれの国にあっても国王の特許状又は議会の法律による認許を必要とした。この特許主義の時代背景を考察するに、経済的には、初期の会社は主として前期的商業資本の独占の形態として生まれ、政府の立場からすれば特許付与の代償として貸付・献金などによる莫大な収入を期待することができ、企業者にとっては特権の獲得が喫緊の要となっており、両者が唇歯輔車の関係にあったことにもとづいている。(p.49)

 普通ドイツ商法の審議に際しても、あたかもフランス商法店制定の場合におけると同様に、株式会社の設立を自由にすべきかまたは許可すべきかが、論議の一中心となった。審議の基礎とされたプロイセンの草案は株式合資会社の設立は自由とするが、株式会社の設立には国の許可を必要とする立場をとっていた。その理由は、国の許可なくして法人を創設することは既存の法原則に適合しないのみならず、設立詐欺および不堅実な設立に対して公衆および会社債権者を保護することは国の義務であり、また株式会社の財力に対して公共の安寧と国の産業を保護する必要がある、というのである。(pp.63-4)

 1720年の泡沫会社条例にもかかわらず、ジョイント・ストック企業が18世紀の後半において相当広く産業部門を掌握し、しかもその多数が法人格のないいわゆるunincorporated joint-stock companyであったことは、すでに述べたとおりである。これ等の会社は確定金額の譲渡性ある株式を発行し、その株主は多数に上り、経営はもっぱら取締役会の手におかれていた点において、国王の特許状又は議会の私立法により設立された会社と異ならないにもかかわらず、法律的にはパートナーシップとして取り扱われた。そのことが、この種の会社の利用に大きな障害をもたらした。その法律上の障害として主なものが3つあった。第一は、会社の名をもって訴え又は訴えられることができないことである。すなわち、パートナーシップが訴えを提起するには全社員が原告として共同することを要し、被告として訴えられる場合には全社員が被告とされなければならないのである。第二に、社員は会社財産に関し互いに他の社員に対して訴権を有しないことである。すなわち、裁判所は同時に会社の解散を命じるのでなければその内部的紛争に干渉しないというのが、常時確立していた原則であった。第三は、社員が会社の債務に付き無限責任(unlimited liability)を負わなければならないことである。(p.75-6)

 ナポレオン戦争による不況後に訪れた産業の興隆期に際し、会社発起人の間から1720年の「泡沫会社条例」廃止の要望が議会に提起され、1825年法務長官(Attorney-General)は同条例の廃止法案を議会に提出した。その理由は法律的及び経済的であって、泡沫会社条例は解のわからないかつ過激な法律であり、加うるに多数の健全な会社がこれにより甚だしい被害を受けているというにある。(p.76-7)

 株主の有限責任が一般の注目を引くに至ったのは、大陸法の合資会社(en commandite partnership)に関する長い討議を機縁としてであった。この制度はアイルランドでは1782年、アメリカでは19世紀の初めに採用された。しかし、イングランドでは拒否せられた。かかる妥協的形態はイギリス人の精神に適合しそうに見えるが、商人の強い時個人主義が19世紀の前半においてはこれに反対した。イギリスにあっても、鉄道会社に付いては一般に社員の有限責任が認められて、何人もこれを争わなかった。かかる少数個人の資力を超える大資本を必要とする公益事業にあっては、有限責任の特権が与えられるべきものと考えられていたからである。これに反して、一般の事業会社についてはげしい意見の対立を免れなかった。
 反対論者の意見によれば、イギリスは、資本も企業も豊富であるから、有限責任の制度により資本の集中や企業の創設を奨励する必要はない。有限責任の制度は投機の過剰と詐欺を導き、賭博的精神を助長し、企業に対する冷静な判断をまひさせ、イギリス商人の内外における信用を失墜せしめるであろう、というのである。これに対して賛成論者の意見によれば、有限責任の制度を認めるのでなければ、多額の資本が遊休のままに放置される。貧しいが才能ある者は富者の援助を得る道を絶たれ、企業と資本とは絶縁されて、そのいずれもが悩まなければならない。また国王の特許状や議会の法律により一部の会社には有限責任の保護が与えられながら、その他の会社に対してこれが拒否されることは、近代法の精神に反する。有限責任の制度が必ずしも極端な投機をもたらすものでないことは、これを認める外国の事例に徹しても明らかである。のみならず、イギリスがこれを認めない結果は国内資本の海外への逃避をみちびく。有限責任の制度は公衆に対し一般的な投資分野をひらき、ひいて国民的繁栄をもたらすであろう、というのである。世論も後の意見に傾いていた。この世論に支持されて1855年有限責任法は成立したのである。(p.81)

 大部分の会社は単一の目的をもって設立され、アメリカにおいては、イギリスの特許会社と異なり、初めから株式会社は特許状により認許された能力。(p.ower)のみを有し、特許状により授権されないすべての能力は能力外(ultra vires)であるとされたが、特許状が会社にその活動範囲を拡張する権利を与えた事例もないではなかった。(p.88)

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西村 孝夫 (1960) 『イギリス東印度会社史論 −イギリス東印度貿易および貿易思想史研究への序章』 啓文社


序章 イギリス東インド会社の創設と初期の活動
第一部 前史
第一章 ロンドン[旧]東インド会社の創設と初期の活動
第二章 クロムウェル改革以後合同東インド会社の成立(1702-9年)まで
第二部 本史
第三章 合同東印度会社の成立より、ブラッシーの勝利、デュワニの獲得まで
第四章 産業革命の開始と会社の独占的喪失
第五章 産業革命の進展とイギリス東インド会社の没落
第三部 後史
終章 東インド会社の最終的解体とイギリス帝国主義の出発

 次に、この会社に対してなぜ(・・・)のような強い独占権が与えられたのであろうか。一方においては、会社の前期的商業資本としての性格、他方においては、チューダー絶対王政末期から顕在化し始めた王室財政の窮迫化と財政収入増加の焦慮とが、その経済的・政治的理由として挙げられねばならないだろう。(p.27)

 かかる王の政策を裏付けえたのは当時イギリス国内を風靡した独占非難の声、とくに東インド会社への攻撃の開始である。エリザベスがその晩年において与えた主種の特権、とりわけ貿易会社に対するそれは彼女の在世中においても取りざたされていたのであるが、ジェームズ一世治下の1604年5月21日にいたりにこの法案が提出された。いずれも貿易の自由(free liberty of trade)を目的としたものである。(p.36)

 このような経済的課程を資本主義発展の観点から見るならば、原始蓄積過程の出発と把握することが出来る。労働者をその労働実現の諸条件たる土地・労働手段から分離していくこの過程は資本主義のいわば歴史的前史の部分をなしているが、とりわけイギリスのこの十七世紀末ほどこの過程が古典的・体系的に総括されたことはない。「資本家階級の自己形成に役立つ」すべての変革、すべての諸政策が利用される。すなわち借地農民の土地奪取を根幹制度、国債制度、租税制度、産業保護制度などが資本制的生産様式への転化過程を助長し、過渡的時期を短縮するため、国家権力を利用して行われる。(p.77-8)

 次に損益分配について。利益は実際に支払いこまれた出資額に応じてその割前を受けその損失はその比例的割前(p.roportionate share of the same)に応じて負担することになっている。利益分割は従来元本と利益とをそのまま分配したのであるが(division)、この新合本とともに利潤部分のみを分配する本来の配当制(dividend)に移行し、1657年12月の総会記録によれば、貨幣でなされ、旧合本時代の如き現物配当を揚棄している。損失負担は従来どおりに全出資者が徴収、すなわち間接的な無限責任を負っていたのではないか。しかし事実上は重役団を中心とする大株主のみが無限責任を負うていたのではないかと考えられ、有限責任の確立は1662年を待たねば完成しなかったといわれる。こうした制度によって、従来の如き銃や件の利己的な賞与制が消失した点にも注目したい(p.81-2)

 チャールズ二世はかくのごとく、和蘭に対する対立・競争において会社を後援したばかりでなく、国内の会社攻撃に対してもこれを援助した。1661年4月3日の特許から1683年にいたる諸特許は会社に十分な権限を与えたのである。たとえば権限内で非キリスト教徒君主と戦争をし、またinterlopersを罰するアドの権利を与えた。かくしてえ1698年に至るまで会社の反対者はその頭を抬げえなかった(p.87)

 さて、保護主義の所見を総括的に見ればこうである。毛織物工業や絹織物工業は国を富まし、人々に職を与える国民的産業であって、これを保護することは、政府の主要関心事でなければならない。しかるに廉価なインド製品の輸入は、ヨリ価格の高いイギリス製品を国内のみならず、国外においても市場から締め出していこうとしている。かくてはイギリス産業は破滅し、由々しき国家の危機となる。支配的階層の人々の主要な収入源たる土地の地代も下がっている。消費者は廉価なインド製品によって利益を受けるけれども、消費者の利益は国家の関心事ではない。…これに対して、東印度会社およびインド綿製品を扱うlinen drapersその他calico-printerなどは当然反論した。なるほど東印度貿易は、ある種の工業に対しては有害かもしれないけれども、航海と船員の増大、財宝の流入、国王の富増大という諸現象から見て、この貿易を衰退せしめるならば、国富の反映を増大している。しかるに保護主義者のいうようにこの貿易に抑制を加えて、この貿易を衰退せしめるならば、国富そのものが減退せざるをえない。(p.114-5)

 

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◆武市 春夫 (1961) 『イギリス会社法』 国元出版

 運河・鉄道・電気・ガス事業などのような公共的性質を帯びる営利事業を営む会社の設立に当たっては、この国会制定法による設立の方式を採用することは、唯一の満足すべき方法であるからである。すなわち、このような営利会社は、普通法では感知することのできないところの巨大な権限をほとんど常に必要とするのであるが、このような権限を付与することができるのは、国会制定法によってのみ可能である。たとえば、鉄道会社は、鉄道敷設のため土地を強制的に買い上げ、あるいは機関車を走らせる際の騒がしさと煤煙とは避けがたいものであって、これらは一般公共の妨害となりかねないものであるので、これをあえて行いうることを是認するため、国会制定法は、これに権限を与えるのである。(p.12-3)

 同法(会社法)は1962年会社統一法が実施されるまで行われたものである。この法律は、ある事業を経営するには多数者が結合することが便利かつ有益であるという観念が高まってきて、普通の組合が組合員の多数であるために生ずる不便を除こうとして出現したものである。したがって、この法律によって登記した会社には法人格を付与し、また、従来組合はもちろん法人格のない会社にも与えなかったところの訴訟能力、独立の財産所有能力、持分の移転、業務執行社員を特定することができるなど特別機能を付与した。…しかし、同法によっても、いまだ会社は完全人格ではなくて、社員は会社債務に対して直接その責任を負わなければならなかったのである。

 特許によって法人格のある、かつ社員の有限責任を認める会社を設立する方法が、もちろんないわけではなかったが、それは事実上不可能に近かった。けだし、特許を受けるためには莫大な費用と長い時間とを要したのみならず、そのうえ、特許を得られるかどうかは、担当の官吏たちがその企業に対して好感を持つかどうかにかかっており、おまけに通商産業省は、カンタベリー大僧正(Archbiship of Canterbury)の直轄に属していたから、一般の商人が特許会社を敬遠するのは、当然のことであったのである。(p.56)

 1944年の会社法は、上述したように、現今の会社法における基本原理さえも蔵した立法であったが、その内蔵する幾多の事項たとえば、最終的登記手続きの煩雑さに対しては、なお、世上数々の非難があびせられた。なかんずく、その非難の大なるものは、同法中に、社員有限責任の規定を排除していたことである。ことに、1845年から1848年にかけての不況は、有限責任の欠如に対して、種々の困難な問題が生じ、爾来、この有限責任の制度を会社法に盛る運動が展開されたのである。その後、約10年にして運動が奏功し、1855年、有限責任法(Limited Liability Act,1855)が制定され、その法律によって、一定条件のもとで、株式を所有する会社の社員の有限責任が保障されることになった。

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◆小町谷 操三 (1962) 『イギリス会社法概説』 有斐閣

 ソシエタス(societas)の組織は、コンメンダ(commenda)の組織から分化したものであって、イギリスの現代におけるpartnereshipの元祖に当るものである。それは、共同の出資により共同の事業を営むものであって、各組合員が、相互に他の組合員を代理するとともに、各自が組合の債務について、無限責任を負うものである。ゆえにイギリスの会社の温床はここにあったといいうる。(p.4)

 組合の資金が欠乏した場合には、公募しないで、各組合員に、追加出資させることになっていた。また追加出資の規定がなければ、事実上、勅許を得られなかったのである。このように組合は、組合として債務を負担するとともに、組合財産を持って債務を完済することができないときは、組合員に追加出資を求めた。加うるに、もし組合がそれをしないならば、組合の債権者が、代位に有限責任を問題にする余地がなかったのである。しからば、商人がなぜかような組織を選んだかと言うと、この組織によると、この会社が、社員とは無関係にその存在を継続していくことができ、また会社がその名前で、組合員や第三者を訴えることができた。且つ、会社の社印をもっていることによって、会社の行為とその組合員の行為との区別を容易にすることができたからである。また通常の組合では、持分の譲渡ができないし、多数決の原則が認められないのに、この会社では巧妙な定款の規定によって、それができた。(p.7)

 18世紀に入るとまもなく、イギリスには、いわゆる会社設立の契機がやってきた。而して市民の投機熱を悪用して、泡沫会社を立てる者、即ち事業屋が現れ、社会に著しい害毒を流した。事業や即ちいわゆる発起人は、一方において、市民の投機を求めるとともに、他方において、廃業状態にある既存の勅許会社を買収し、会社事業を経営した。この用法によると、勅許をうるため、国家の関係機関の調査を受ける必要がないのみならず、勅許をうるため、多くの費用と時間とを費やす必要がなく、容易に会社設立の目的を達成することができた。故に、いわゆる発起人たちが、会社を設立することだけで、巨利をむさぼることもできたのである。
 この時代に、South Sea Companyが勅許によって設立された。且つそれがまた、会社を濫設することに拍車をかけた。このSouth Sea Companyは、国債を全部取得して、有利にこれを処分しようとしたもので、目的はもとより適法なものであった。しかし実際にはその目的を達成することができなかった。しかもそれがきっかけとなって、イギリスに大恐慌が起こり、1720年にいわゆるBubble Act(泡沫法)の施行を見るに至った。(p.8)

 法のかかる状態のもとにおいても、商人は法人格と社員の有限責任との獲得に対して、あらゆる努力を傾注した。蓋したとえば二、三名の極めて少数の者が、共同企業を経営する場合には、組合法の適用で満足しうるのであるが、多数の者が、小額ずつの出資をして、巨額の資本を集め、事業の経営を、悉く理事者に一任しなければならないような組織の社団においては、各社員が連帯無限の責任を負うことは、甚だ不合理だからである。(p.14)

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◆服部 栄三 (1964) 『株式の本質と会社の能力』 有斐閣


第一章 株式の本質
第二章 株式の債券的構成
第三章 社員権論
第四章 額面株式と無額面株式との両建に伴う諸問題
第五章 会社の能力
第六章 会社(法人)の不法行為能力
第七章 会社の定款
第八章 事実上の会社
第九章 会社合併の基本的性質
第十章 近代株式会社法の基礎視点とその機能
第十一章 ルノーと近代株式会社学
第十二章 共同決定権とドイツ法

 社員の有するこの二種の権利は理論上はこれを各個独立の権利と見ないで、一個単一の社員権(Mitgliedschaftsrecht)より生ずる権能と解するのを正当とする。例えば所有権なる一個単一の権利より、物の使用権・収益権・処分権の権能を生ずるが如く、社員の社員たる資格において法人に対して有する一個単一の社員権より、議決権・利益配当請求権・残余財産分配請求権などの権能を生ずるものと見るのである。然うして、社員権は物権ではないことはもちろんである。社員は法人の財産上に共有または含有の権利を有するものではないからである。また、通常の債権も同視しえないことも、その権能として議決権その他の共益権的作用があることより見て明らかである。従って、社員権は社員と法人とのあいだにのみ存する、物権債権の何れにも属しない一種特異の相対権と解するのを正当とする。(p.10)

 株式という語は三つの意味で用いられる。会社の資本はこれを株式に分けることを要する、という場合の株式は、資本を分割した一部分を示す意味である。株式の取得または譲渡という場合の株式は、株主の有する社員権すなわち株主権を示す意味である。また、株式を表彰[ママ]する株券と株式とは通俗しばしば混同せられ、株券をさして株式ということもある。(p.11)

 従って、法人の不法行為能力は否定せられるべきであると考える。通説は民法44条1項と715条とを峻別して、前者をもって法人自身の不法行為責任、後者をもって被用者の不法行為に対する使用者の責任となし、あたかも機関の行為を代理人の行為とが峻別せられるのと並行的に取り扱わんとしている。しかし、両規定とも通説の考えるほど異なった趣旨を含むものではないことが確認されねばならない。不法行為に関して機関か被用者かを考える必要も理由的根拠も乏しいと認められるのである。例えば、他人を殺して損害賠償責任が生ずる場合、素手でなぐり殺したか、それとも棍棒やピストルの如き道具を用いたかを区別して論じ、前者の場合は人そのものが殺したのであり、後者の場合は人が殺したのではなくて棍棒やピストルという道具が殺したのであり、人はそれについて責任を負うに過ぎない、などと主張する者が果たしているであろうか。もちろんこれに対して人は、棍棒やピストルは独立の人格者ではないが、被用者は独立の人格者であるというであろう。確かにそのとおりであるが、それならば株式会社の取締役は、機関なるが故に独立の人格者ではないというのであろうか。取締役員も独立の人格者であり、それなるが故にこそ会社の機関たる地位に就きうるのである。すなわち、機関を構成する者は手足の如く非独立ではない。独立の人格者ということをいえば、被用者も機関も(構成者)も全く同じことである。機関になることによって、機関構成者は人格を法人に吸収されてしまうわけではなく、依然として独立の人格者である。(p.133-4)

 能力と責任とは必ずしも一致する必要はない。すなわち、不法行為能力が存在するためには、自己の行為の結果を弁護するに足るだけの精神能力、いわゆる責任能力を必要とするが(民713、714)、この責任能力なくして損害賠償責任が認められることがある。例えば、民法717条1項但書の土地工作物設置または保存の瑕疵に基づく工作物所有者の責任である。…従ってかかる観点から見れば、法人の機関構成者の不法行為による法人の損害賠償責任を肯定するために、特に法人の不法行為能力を肯定する必要はない。叱りとすれば、民法44条1項は文字通り「損害を賠償する」責任を認めたものと解すべきであろう。(p.134)

 思うに、規範に従って活動すべき個人的義務の存することは事実であるが、それは必ずしも機関構成者にのみ認められる義務ではなく、法秩序の支配を受けるすべての人格の負うべき義務である。従って、機関の不法行為が法人の不正行為であるとする有機体説の立場から見れば、その義務はむしろ直接法人自体の負うべき義務ではないであろうか。すなわち、規範に従って活動すべき義務を単に機関の個人的義務とのみ認めるならば、法人自体のそういう義務は存在しないことになり、有機体説の根本前提と矛盾することになる。従って、有機体説の立場から言えば、その機関の個人的義務と認められるものは、すべて法人に吸収されて法人自体の義務となすべく、そのほかに個人的義務を認むべきではない。(p.135)

 法人の不法行為能力を否定して、機関構成者自体の不法行為のみを認め、ただ法人はその機関の行為によって損害賠償責任を負わしめられると考えるべきである。それ故、その法人の賠償責任は他人の行為に基づく責任であって、実在説の認める如く法人自体の行為に基づく責任ではない。(p.136)

 保険制度の進展は、責任制限を要求する企業の責任についてのみならず、その他の企業の責任についても影響を与えずにおかない。右に述べたごとく、企業責任が無過失責任の中心を形成するが、その企業は常に必ずしも莫大な利益をあげているとはかぎらない。景気の変動や経営の不良、或いは火災・天災などの事故によって企業の利益は減少し、場合によっては赤字とさえなる。従って、企業に無過失責任を負わせても、企業の無資力によってその責任を貫徹することが困難なことが起こりうる。ところが、保険制度を基礎としてはじめて、無過失責任はあらゆる企業、或いはそれを超えてあらゆる者に適用が可能となり、無過失責任が中世的な結果責任と異なった真に近代的な責任原理として、合理的かつ現実的なものとなりうるのである。(p.141)

 すなわち、その点は通常の法律行為の場合とまったく同様に考えられるわけであるが、不思議なのは法人の不法行為責任が認められる場合にさらに機関個人の不法行為責任が肯定されることである。通常の法律においては、機関が機関として法律行為をなした場合その効果はすべて法人に帰して、機関個人には相手方との関係においてなんらの効果をも生まないが、不法行為の場合になると、突如としてこれと反対の立場がとられる。すなわち、機関の違法行為については、法人に帰属する面と帰属しない面とが分けられ、前者において法人の不法行為責任が成立し、後者において機関個人の不法行為責任が肯定される。しかし、これはなんとしても不可解である。もしこの論法を法律行為に適用すれば、例えば機関が第三者と契約を締結すれば、それは法人自身の契約たる面と機関個人の契約たる面とを同時に含み、従って、そこから生ずる権利義務についても、法人の権利義務であるとともに機関個人の権利義務であるという結論に達する。このような結論を認めていいかどうかは、いわずして明らかであろう。(p.148-9)

 かくの如き株式会社の発展は何に基くか。それは第一に、株式会社が資本の調達ないし結合に適合した企業形態であったからである。資本の結合によって、従来個人企業者が資本の制約の故に近づけなかった諸企業、例えば鉄道・運河などの経営がはじめて可能ならしめられた。また、個人企業者のごとく資本の大きさによる制約が少ないため、その経営設備を純技術的な観点から行うことができ、設備の拡張・最新の発見ないし発明の利用がより容易である。これが競争の場においていかなる威力を発揮するかは、縲絏を要しない。第二に、株式会社は、その監視が容易であるから、信用をより多く、かつ容易に獲得すうことができる。株式会社は、銀行の新印するものを代表として送り込むことによって、容易に監視されうるのである。第三に、株式会社は不況時により強い提供力を示すことができる。すなわち、株式会社は大資本によって高収益をあげうるが、その収益を全部株主に配当する必要なく、その一部は企業の拡張や損失の填補のために準備金として積み立てられるが、これは不況時に進化を発揮することができ、また、経営者は会社の発展・設備の改善などに株主の反対を押し切って努力する。他人の資本の管理者たる経営者は、自己資本の運営の場合より一層勇敢かつ合理的に活動しうるのである。(p.242)

 また、ウンガーによれば、株式会社はいわゆる形式的または団体的な人的単一性を有する組合(Gesellshaft mit formellen oder collectiver personen-Einheit)に属する。それは、単純なローマ的組合(societas)と社団法人(universitas)との中間的存在にあり、外部に対しても、また内部に対しても、社団法人と同様の形態或いは組織を有するが、それだからといってそれは社団法人たるわけではない。実質的にはその時々の社員が権利義務を有し、ただ社員の全体が形態的に単一体として現われ、あたかも特別の独立的権利主体であるかのごとく取り扱われるに過ぎない。実際にはそのような権利主体は存在しないのであるから、社員は会社財産に対して第三者のような関係にあるわけではない。かかる理由から会社財産は会社解散において法律上当然に現存社員に帰し、また会社財産の会社存立中における社員への分配も所有権の変更としてではなく、観念的権利の実現と認められる。(pp.258-9)

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◆本間 輝雄 1963 『イギリス近代株式会社法形成史論  和歌山大学研究叢書3』 春秋社


序説
第1章 泡沫条例の制定と法人格なき会社
第2章 泡沫条例の廃止と勅許会社法
第3章 会社登記法と準則主義
第4章 近代株式会社法の成立
第5章 判例法の発展

 

 いずれにしても中世末において法人に関し次の原則が確立していたことは一般に承認されている。その一は法人はその構成員とは別個の主体(body)であること。その二は法人の財産はその構成員のそれとは区別さるべきこと。その三はその構成員の財産は法人の債務に対する強制執行の目的とはなりえないこと、そしてその逆も妥当すること。そしてこれらの原則は自治邑においてかなり明白にされたが、さらにギルドにおいてその確立をみた。(p.5)

 カンパニー制度は15世紀から16世紀にかけてイギリス羊毛取引ならびに毛織物工業の発達及び海外貿易をその背景にして、地域的なギルド制の内部崩壊のもとに現われた商人の結合体である。その中心をなすものが、マーチャント・ステーブルズ(Merchant Staples)とマーチャント・アドヴェンチャーズ(Merchant Adventures)によって代表せられるいわゆる制規会社(Regulated Company)であり、ギルド制からこの規制会社への移行する中間に位置する組織がロンドン・リヴァリー・カンパニー(London Livery Company)である。ここにカンパニーといっても今日の会社とは異なり、正確には一種の同業組合とも称すべきものである。ステープル・カンパニーといい、マーチャント・アドヴェンチャーといい、いずれも主に羊毛(一般にはステープル商品と呼ばれる)または毛織物の輸出貿易に従事する商人の自治組織であり、その自治権は国王から特許状によって与えられた点は従来の法人組織と変わりはない。したがってかかるカンパニーを法人として扱うのもカンパニーそれ自体が対外的に独立の法的主体として他の法律関係を結び、それによって生ずる法律問題の処理を簡易化するというものではなく、その成員が個々的になす貿易の保護を図るための内部的統制、成員のための貿易の独占、という特権の確保にそのねらいがあった。いわば、国家の保護貿易政策の必要からかかるカンパニーの法人格が問題となりえたのである。その意味で当時のカンパニーのもつ法人の機能は本質的にはギルドのそれと変わりはなかった。(p.7)

 もとより、イギリスにおいても複数人が相互に資本を拠出し、かかるジョイント・ストックを基盤として事業を経営する方式は中世初期から存在した。いわゆるコンメンダ(Commenda)およびソキエタス(Societas)がこれである。前者は一定の資本を拠出する資本家とその提供せられた資本を運用する企業家の間において締結せられた組合契約である。事業の経営によってえた利益は拠出せられた資本並びに労働力の割合に応じて配分されたが、資本家は当初拠出した資本額以上に、その営業によって生じた債務については責任を負わなかった。その意味でこのものは匿名組合の出資者の地位に極めて類似していた。これに対しソキエタスは各組合員が相互に資本を拠出すると共に、全員が共同してその事業の経営に当たるシステムをとった。したがって、各組合員は対外的には常に他の組合員の代理人たる地位にあるとされ、組合の債務につき各自連帯して人的無限責任を負担した。両形態ともイタリヤをはじめ大陸諸国では広く利用され、やがてコンメンダは合資会社へ、ソキエタスは合名会社へと発展を遂げつつあったが、イギリスでは大陸ほどこの形態が普及することなく、わずかにソキエタスが海上企業に利用されたに過ぎなかった。その理由はおそらく、コンメンダの当座的なものであったのに対し、ソキエタスが継続性を有していたことにあると思われる。(p.9)

 東印度会社もその例外ではなく、会社本来の機能として植民地経営という本来国家が有する機能の一部を国家にかわって行うという公権的なものを一面に含んでいた。その意味で当時の人々の会社の法人に対する考え方も、それをもって構成員の個人性を越えた別個の人格の創設という点に意義を見出すよりも、それに付随する経済的、行政的特権を重視したと見るのが妥当であろう。(これは1626-24に独占禁止法 Statute of Monopoliesの制定をみたにもかかわらずこの種の会社の独占権は有効とされたことからも想像できる)。この点に関する限りギルドや制規会社の法人性と特許会社のそれとは殆ど大差はなかった。その意味でこれらの特許会社はその性格のなかに公共団体的性格を帯びていたといえる。当時会社の設立申請書の設立主旨を示す条項に必ず「国王乃至国家のため」という語が挿入されていたこと、国王は必要に応じてこれらの会社に海外において国家を代表する権限や、植民地経営(租税長集権も含めて)という公権力を与えていたこと、その構成員間の争いを調停する権限を認めていたこと、そしてさらに製造業を目的とせる純然たる私的利益の追求を目的とせる営利会社には特許状が付与されなかったことなど、いずれも、当時の特許会社の性格がその形態の類似性にもかかわらず、今日の株式会社とは著しく異なっていたことを示す。(pp.11-2)

 イギリスの現代株式会社をその機能面をも併せて考察するとき、その起源は上述の特許会社に求めるべきではなく、かえって、この特許会社の独占的特許権の否定の上に、イギリス産業革命の進展と呼応して形成せられたいわゆる法人格なき会社に求むべきである。産業革命は必然的に新たな生産をその目的とする純然たる営利会社の設立を促した。しかし当時公共目的に奉仕すべき会社にのみ法人格を付与すべきその考えを反映して、公的性格を持たないこれらの会社は特許状はもとよりのこと、議会の特別法による法人認可すらうることができなかった。(pp.12-3)

 なお、ジョイント・ストック・カンパニーを株式会社と同視する学者はさらにさかのぼって或いは1553年のロシヤ会社の創立のときに(例えば Brentamo, Fine Geshichete der Wirschaftlicher Entwicklung-Kngland, U 1927, S. 173 ff)

 上述の如く、株式投資を広く勧誘できる権限は依然特許状または特別法によってその設立が認められた会社に限定されていた。それ故、進行営利会社は公然と株式の自由譲渡を認め株主の有限責任を明示して株式公募をなすことは許されなかった。そこで、これらの会社は法人格取得の困難を回避し、しかも法人格を有するジョイント・ストック・カンパニーと同じ機能を果たすため新しい会社の設立方式を考案した。(p.24)

 かくて法人格なきジョイント・ストック・カンパニーの設立は18世紀10年代以降に入り、会社設立の熱狂的なブームが到来するや、いよいよ盛んに行われるに至った。そしてこの傾向をますます刺激したのが政府の手による南海会社(South Sea Company)の誇大な計画であった。1710年代、それまでの宮廷の奢侈や、相次ぐ戦争で国庫は空しく、その時々の公債も、イングランド銀行、その他でも応じかねるほどになっていた。そのため不動公債は増加し、利率は暴騰し、政府はまったく公債難に陥った。そこでこの巨額の公債を処理する方法として、かつてのイングランド銀行の設立にならって一方において、ジョイント・ストック・カンパニーを設立し、それに植民地貿易に関する種々の特権を与え、他方その会社の資本は交際をもってこれに充当するという計画が企てられた。かくて設立された南海会社は当時世界の宝庫といわれた南アフリカにおける貿易、鉱山、漁業その他一切の商業の独占権を確保した。このように国家に対する金融の代償たる信用資金をもってするジョイント・ストック・カンパニーの設立は、一方において個人に対し安全な投資の手段を与え、他方においてこの安心感による国家財政の安定を増大したことは否定できない。しかしその反面当時ほとんど価値を失っていた公債を取得することによって、国家的保証を与えられた大会社の株主となりうることと、独占企業による膨大な利益の獲得に対する期待とは、人々をして争ってこの会社に投資せしむるに至った。その結果株価は投資ごとに昂騰し、その高率なプレミアムはさらに株価をせり上げ、ついに株価は額面金額の十倍原数十倍にも達した。(…)その結果一般企業家が常にその会社の株価の吊り上げのみに汲々とし、貿易殖民等ただでさえ投機的な事業の経営をなおざりにしたことにある。その結果次第に既存の会社の事業収益は上がらず、加えて夥しく増加した株主に対する支払いすら困難を生ずるものの続出を見た。それのみか、かかる空気に便乗して最初から投機熱を利用しての、詐欺目的の会社設立も企てられ、悪質な株式仲買人が横行し無知な公衆はこれによって著しい損害をうけた。かくて1720年、経済情勢は急展開、株価の急激な暴騰を招き、多くの会社は潰滅し、個人の倒産するものあいついて現れた。かくて、かかる経済的状況に狼狽した政府は、会社の設立計画並びにその管理について債権等の必要を痛感し、同年、急ぎその対策としていわゆる泡沫条例(Babble Act 1720)を制定した。(pp.25-6)

 この時代の中心的見解は T. Mortimer, Every Man His Own Broker or A Guid to The Stock EXchange. 13th ed. (1801)に示されている。それによると多くの商人が合同し、排他的即ち同一取引に他のものが従事することを妨げるための排他的な特権と、その株式、(・・・)その資本形成に当たって公衆に対し資金の拠出を募集する権限を申請し、よってこれらの権限を取得したものを一般にCompanyと呼ぶと定義している。(p.44)

主な障害は法律上三点に集約できる。その一は第三者との訴訟手続きに関し、その二は組合員の内部関係の問題に関し、その三は構成員の確定の問題に関するものであった。しばしばふれてきたように、当時コモン・ロー上で法人格なき会社には訴訟当事者となる能力なく、第三者を相手に訴えをなし、または第三者より訴えられた場合には、株主(社員)はすべて、或いは共同原告として、あるいはまた共同被告として訴訟に加わらねばならなかった。もし、訴訟に構成員の中1人でも欠けるか、または1人でも不適格な氏名が記載されておれば、かかる訴訟手続きは無効とされ、それを訂正した上再度訴訟手続きを繰りかえすことが要求された。(p.49)

 法人格なきジョイント・ストック・カンパニーを、普通法上パートナーシップとして処理することによって生ずる第二の不利益は、会社と組合員及び組合員相互間に妥当な救済方法が存在しなかったことに起因する。当時既に確立されていた契約自由の原則からみれば、解散命令なき限り、裁判所は組合や合名会社の内部の事務処理および社員間の争いについて干渉することはできなかった。したがって、僅か一人の不満を持った社員の濫訴(Vexations suit)によって会社が破滅に瀕することも屡々であった。(p.49)

 第三の大きな欠陥は構成員の責任の問題に関する。イギリス法上株主の有限責任は、特許状または議会の成文法によって法人格を付与せられた会社化、法人格は与えられなくとも特に開封特許状(letters patent)によって、社員に有限責任を明示的に付与せられた場合に限られていた。したがって、実質的機能の面において以上の会社とほとんど変りのない法人格なきジョイント・ストック・カンパニーといえども、コモン・ローの上では組合員として取扱われるために、その構成員は会社の債務につき人的無限の責任を負わされた。当時かかる会社の多くは設立証書において株主有限責任の原則を明記していたものの、この規定は衡平法上はともかく、コモン・ロー上はなんら効力を持たなかった。況んや、社員の会社業務に対する関与の程度、社員が何人であるか否か、会社債権者の慈善・悪意などは、責任確定の上ではなんら問題とされなかった。当時、組合法につき立法調査の委嘱を受けたケア委員長に寄せられた意見の大多数が、かかる不合理につき、単に形式的な解釈に基いて、組合に関する法理を、そのまま法人格なき会社にまで適用することに対して反対していたということは、蓋し当然の成り行きである。(p.50-1)

 この外、資本の不十分な会社の法人化を戒める見解をも含め、多くの意見が出され、当時の会社設立ブームに対する警告がなされた。しかし、公衆の騙され易さは如何ともなし難く、貴族、政治家、役人はもとより弁護士、医師、哲学者、詩人に至るまで、あらゆる人々が、その名称以外殆ど知らされていない計画にこぞって投資をなした。しかしこれらの会社の殆どは設立証書のなかに社員の有限責任に関する条項を挿入しており、特に保険会社にあっては、その保険契約証書に会社の資本金を超える額については、保険義務を負わないという条項すら一般に挿入されていた。したがって、法人許可の手続きを経なくとも、この種の会社は実質的に見て法人格のある会社とまったく同じ機能を持っていた点はしばしば触れたとおりである。(…)したがって、the Equitable Loan Bank事件を通して、古いコモンローの立場を固執する古い大法官によって、法人認可の手続きを経ない銀行につき「当該銀行は権限なくして法人として行為をなし、かつ、譲渡可能な株式を発行したるが故に違法な存在である」との判決がなされ、将来の法人格の認可を見越してなされた株式発行およびその譲渡契約すら無効であることがほのめかされるに至るや、商人階層のみならず、投機家大衆も恐慌を来した。かくて、最有力な証券業者のなかに法人格なき会社との株式取引を回避するものも現れ、株式相場は急落し、この判決の及ぼした影響は計り知れなかった。(p.58)

 かくて、ついに時代の動きは次第に泡沫条例の廃止を求める声におされ、強力な反対があったにもかかわらず、1825年6月政府は泡沫条例廃止法案を議会に提出しその承認を求めた。その理由は「その意義および効果が共に不明瞭かつ途方もなく苛酷であり、正当公平な原則にもとづき賞賛に値する目的を持って設立される会社の形成を制約している」ということにあった。(p.59)

 もとより、そのきざしはすでに1825年泡沫条例廃止法において、会社の社員の責任の範囲の確定権を国王に認めた規定に見られる。この規定の意図は従来社員の有限責任は法人の付帯的権利であるとされていた原理を捨てて、有限責任と法人とをいったん分離し、法人格なき会社および組合にも可能な限り法人に類似した地位乃至特権を与えることにあった。しかし、当時の企業家にとっては、あくまで株式会社設立の権限を国王の手から奪ってもっとも簡易な方法で実現したいという点におかれていた。したがって、いかに有限責任の利益をより一般的に会社に享受せしめよとの主旨に出た法律といえども、その権限が国王の掌中におかれている限り、当時の一般商人にとって魅力は少なかった。だからこそかかる法の意図とは逆に法人格なきジョイント・ストック・カンパニーの続出をみたのであった。(p.77)

 有限責任制に反対の証言をした公述人の中で有名なのは Thomas Tooke, S. J. Loyd, Horsley Palmer およびJohn Gladstonsがあげられる。その理由として、Tookeは「もしも当該目的が個人または普通の組合によって経営するに適した事業について、ジョイント・ストック・カンパニーの責任を制限することにあるとすれば、それは明らかに反対すべきである。…公募会社(public company)は例外はあるとしても個人企業ほど注意深く、経済的に、しかも上手に管理されることは殆ど少ない、とのべている。さらにフランスの合資会社導入に反対の理由として「いかなる刺戟も取引に資本をもたらすことをここでは望んでいない」と説明している。Loydによれば「業務執行権を持たない人々のために有限責任会社を採用することは、自らの意思で会社に加入し、その進展を監視したり、管理する方法を持っている人々に一定割合の得失を免除することに役立つ故に不公正である」。Palmerは「有限責任会社の採用は詐欺的な信用を与えることに役立つ」との見解を述べている」(Hunt op. cit,80)。(p.87)

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◆八木 弘 (1963) 『株式会社財団論』 有斐閣


第一章 株式会社法の財団的構成
 第一節 財団的構成の輪郭
 第二節 営利財団説再論 −批判に答えて
 第三節 株式の引き受けについて −株式純債権説の1
 第四節 株主の自益権と共益権 −株式純債権説の2
 第五節 設立手続きの構造 −営利財団説の立場から
 附説 いわゆる「資本と株式との関連の切断」について


第二章 新株引受授権法の形成と展開
 第一節 株主新株引受権の法的承認 −沿革的・比較法的考察
 第二節 新株引受権承認論 −昭和十三年改正商法のもとに
 第三節 昭和二十五年改正商法における新株引受権
 第四節 アメリカの従業員持株制度 −新株引受権との関連を中心として
 第五節 昭和三十年改正法における第三者の新株引受権
 第六節 新株引受権法の展開 −新株引受権の法的承認以後


第三章 株主平等の原則


附録 新株引受権関連規定の推移

 

 財団法人においては、社員は存在しないが、物の拠出者は存在するわけである。そしてその物の拠出者は、通常は一人であるが、数人であることをさまたげるものではない。他方、公益財団法人においては、寄附行為に「理事の任免に関する規定」を設けなければならないが、その規定において、寄付行為者を理事とする旨を定めることを妨げるものではない。このように、財団法人において、ものの拠出者に機関地位付与しても、財団法人の観念に反しないのであり、したがって拠出者が数人である場合に、これらのものをすべて社団法人の理事にすることを妨げず、この場合は、これらのものの決議がその財団法人の意思を形成することになるわけである。(p.5-6)

 株主引受人の意思は入社にはなく、出資に対する対価の取得にあるのであり、したがって、これを入社行為というのは、手形の振り出しまたは裏書を債務負担行為と解するのと同じような擬制であると考えるからである。それはたんなる出資行為であり、いわば投資契約とも言うべき、一種の双務契約と解するのが、もっとも現実の事態に適する構成といわなければならない。(p.14)

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◆喜多川 篤典 1966 『株式会社の法理』 中央経済社


第一章 法人理論の問題性 −実在的考え方を批判する方法
第二章 法人格の否認 −一人会社・親会社に注目しつつ
第三章 会社の能力 −能力外行為 Ultra-Vires 附・協同組合における員外者による施設利用の効力
第四章 公募会社と閉鎖的会社 −株式会社の在り方・合弁契約の検討のためにも
第五章 株式会社設立の法理
第六章 株主権 −優先株式にも及ぶ
第七章 株主総会の問題点 −会議体とは何か
第八章 株式会社の業務執行における取締役と株主との役割 −わが取締役会制度の批判的検討のために
第九章 企業会計法の基本問題 −法律家と会計学
第十章 新株の発行 −国際的募集をもふくめて
第十一章 社債権者の保護 −わが国の社債法体系の不整合性とその解決の方途のためにも
第十二章 合併・営業譲渡 −日米の比較法的検討を通して
第十三章 外国会社 −外国会社の認許と継続的取引

 この実在説においても、ローマ法以来の法人 universitasと組合 societasとの原理的対立は社団 Körperschaftと組合 Gesellschaftというかたちで依然保持されている。法人たりうるのは社団のみであり組合は法人たりえないとする。両者とも"uniy in plurality"であることにおいては、同じく広義の団体法Genossenschaftsrechtの領域に属するが、後者においては団体(=一者)それ自体の存在は構成員(多数者)のなかにかくれているのであるとする。したがって合名会社や合資会社に当るところのOffene Handelsgesellschaft, Kommanditgesellschaftは組合ではあるが法人ではないとされている。(p.14)

 …ドイツにおいては企業自体unternehmen an sichの理論がRathenau, hausmann等を唱道者とし、注目を浴びるようになった。すなわち、企業が一部(大)株主の私有物ではなく、従業員、債権者、あるいは消費者の公衆の利益に密接につながるところから、議決権その他種々の株主権の行使は企業の維持・繁栄のためにのみ行使されるべきであり、その濫用をチェックする必要が高唱された。(p.16)

 …ここでも法人格否認についてそう確立した基準はない。否認された例として法人格の取得が債権者を欺くため、あるいは既存の債権を免れんとするとか、制定法の規定を潜り抜けるためとか、独占を確保せんとするためとか千差万別である。その他必要ある場合には法人格を否認するほうが正義の要求にも適合し、あるいは不公平な結果を回避しうる等々の理由が挙げられている。(p.44)

 私は自己株式は議決権のみならず、利益配当請求権も新株引受権等も全然ないと解している。なぜなれば自己株式については、その所有者たる会社とは結局構成員の算術的総計であるから、その他の株主が自己株式を共同に所有していることになるから株主権の行使については自己株式は存在しないものと考えてよいと思う(ただし、株式配当・株式分割等の場合には自己株式にも割り当てられなければならないことは当然である)そたがって議決権なき株式同様に総会の決議については発行ずみ株式の総数に参入しないものと解する(商240T)。(p.47)

 元来東印度会社等特許状によって(外国貿易上の)独占権を与えられていたような会社(chartered corporations)も特許によって与えられた目的以外の行為をしても、それが裁判所から差し止めを受けることは別として、履行された行為そのものは有効であると考えられていた。これは法人も(肉体的、生理的条件を伴う行為を除き)自然人と同様、何でもなしうると考えられていたからである。いわゆる泡沫会社の続出時代はこの考え方が濫用されたわけである。パートナーシップにあっては、目的を逸脱した行為もパートナー全員の同意があれば追認しうるし、パートナー全員の合意によって目的を変更しえた。現在わが国における合名、合資会社は同様の規定を有する(商72,147)。(p.63)

 これ(能力外行為)が問題になったのはイングランド銀行あるいは幾多の鉄道会社等の特別法によって設立された法人(statutory corporations)についてであった。かかる法人の存立の根拠は国家の制定法(statute)およびその授権にかかる基本定款(memorandum)に存するゆえに、そこに定められた目的(業種のこと)以外の行為をするときは絶対に無効であり、株主全員の同意による追認があってもその瑕疵は治癒される余地はないと解されていた。その必要は投資者たる株主の期待的利益の保護と一般債権者の保護のためであるとされていた。これらの会社は現在の株式会社と同様に株主は株金額を限度とする間接(直接に債権者に対しては責を任じない)有限責任であったことがかかる理論を生み出した主たる要因であるとされている。(p.36-4)

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◆Hunt, Carleton Bishop. (1969). The development of the business corporation in England, 1800-1867, New York : Russell & Russell.

 In fact, the history of the business corporation or joint-stock company in England during the one hundred and fifty years following the statute of 1720 is the history of an economic necessity forcing its way slowly and painfully to legal recognition against strong commercial prejudice in favor of "individual" enterprise, and in the face of determined attempts of both the legislature and the courts to deny it. 。(p.13)

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◆藤瀬 浩司 1980 『資本主義世界の成立』 ミネルヴァ書房 ISBN4-623-01305-7


第T部 イギリス産業革命
 第一章 自由放任と産業革命
 第二章 産業革命と世界市場
 第三章 1825年恐慌と再編期


第U部 自由貿易体制と世界市場の拡張
 第一章 イギリス資本主義と自由貿易体制
 第二章 資本主義国家群と周辺従属地域
 第三章 大不況


第V部 資本主義的世界体制の確立
 第一章 大型企業体の成立と独占
 第二章 各国資本主義展開の特質
 第三章 資本主義的世界体制と帝国主義

 資本結合の形態としては、合名企業partnershipがあった。是もほかの産業部門でも認められる。発明家としてのアークライトが、次々と出資者と合名企業契約を結び企業家として成功したことは著名な事実であった。また企業家がこの企業形態を通じて資本をの調達する例も認められる。しかし、この企業形態は、本来、少数の個人資本家の連合associationによって成立したものであり、これらの個々の資本家は、出資者=機能資本家として、この企業に全責任を負っていた。社員としての個々の資本家は、企業債務に対して、自己の財産の「最後の、一シリング一エーカーまで」to his last shilling and acre、すなわち無制限の、責任を負ったのである。この企業形態は、特殊=個人的な結びつきを基盤とし、また、常に解散の可能性を内包するという限界性を持ち、基本的には、個人的性格を脱していない企業と考えることが出来る。他方、法人としての株式会社は、産業革命を担う工業経営にとって不適切・不必要な企業形態であっただけではなく、法律によって原則的に禁止されていた。すなわち、コモン・ロウの原則および1720年の「泡沫法」the Bubble Actによって、国王特許状または議会の特別法による以外は、株式会社に類する企業形態は厳罰をもって禁止されていたし、実際にもほとんど許可されることはなかった。(p.14)

 産業革命の初期には、綿花はほとんど全部地中海諸域から輸入されていたが、80年代後半には英領西インド、ブラジルが増大した。しかし、綿花供給は綿工業の急成長に照応しえず、1788年の過渡的恐慌の一要因はこの点にあった。綿花確保の問題は、合衆国南部における広大な綿花供給地の形成によってほぼ解決された。綿繰り機cotton gin(ホイットニィ E. Whitney 1793)の発明以降、この地には奴隷制的綿花プランテーションが急速に拡大し、その綿花供給は、すでに19世紀初年にイギリス綿花輸入地中最大になり、1820年代には、全輸入量の4分の3まで達した。同時に英領東印度からの綿花供給も増大し、合衆国のそれを補充する役割を担った。このようにすぐれて世界市場的連繋の中で綿工業のための原料供給体制が成立するのである。(p.19)

 他方でミルは『原理』第五編「政府の影響について」の第九章で株式会社、有限責任の自由の社会的秩序における妥当性を論じている。「生産技術の進歩は多種多様な産業的事業がますますより大きい資本によって営まれることを要請している」から「数多くの小資本の集合による大資本の形成」を妨害してはならない。…ここでは小資本の結合による会社形成がむしろ独占を排除し自由競争を保障するものとして考えられている。ミルは同時に会社結成の自由に労働者の貯蓄や生産協同組合あるいは資本と労働の共同経営の手段を見出そうとしている。同様の考え方は同時代の会社法をめぐる論議のなかでも現れている。有限責任に付いては主として会社の第三者に対する関係が問題となるが、ミルは、第三者は会社の取引や信用供与を強制されてはいないのであり、払込み資本の保証と営業状態の公開がある限り、第三者の個々人の判断に任すべきであるとしている。「イギリスを含む多くの国々の法律は、株式組織の会社に関して二重の仕方で誤謬をおかしてきた。それは、このような会社、特に有限責任の会社の成立を認めることを非常に不当に警戒する一方、一般に営業状態の公開の励行をなおざりにしてきた。」以上の如くミルは、企業形態としての有効性、社会秩序における妥当性という両面において、株式会社の完全な自由を承認し、新時代のための経済秩序を弁護したのである。(p.86-7)

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◆科野 孝蔵 1988 『オランダ東インド会社の歴史』 同文館


1 オランダ東インド会社設立までの途
2 オランダ東インド会社の組織と経営管理
3 東インドにおける貿易戦略
4 オランダ人の東インド貿易
5 オランダの東インド貿易慣習
6 オランダ人のわが国における貿易活動

 これらの先駆会社は小規模の会社で、商人でもある取締りによって共同勘定で営業が行われ、資本は一航海ごとに投資された。企業家たる取締役は必要な資金を提供したが、その資本は取り締まりや買う自信のみの投資ではなく、一般出資者によっても投資された。ただし、これら一般出資者の出資金は出資者自身の個人の名義ではなく、取締役の名で登録されたのである。(…)なお、一般の出資者はその持分の譲渡は許されていたが、経営の参与は許されていなかった。(p.21)

 各取締役は商船隊編成ごとに、自己が当該航海に参加するか、またいくら出資するかをその都度明示し、そのあとに出資者群の出資を受け入れた。したがって、同じ会社内でも、第一航海の取締役、第二航海の取締役などと呼ばれた。一航海が帰国し、帰り荷の販売が完了するとすべて清算され、出資金は利益とともに出資者に配当された。後世、この先駆会社が当座的企業と呼ばれるゆえんである。したがって、配当金の少ないときは、一般出資者は当会社の次回の航海には出資せず、他の会社へ出資することによって、出資者の前会社に対する制裁が行われたのであった。(p.22)

 大塚久雄氏は、後述するように、会社の配当率は各期の利潤額の大小とはまったく無関係に、取締役団の私利によって恣意的に決定されたので、会社の内幕を隠蔽するために秘密主義が強行されなければならなかったことを指摘している。しかし、経営陣が意識して会計処理を不明量化したことの理由には、ほかにも、当時商敵関係にあったイギリスの東インド会社への自社の営業の秘密のもれることを恐れたこと、また会社の財政の公開によって、一般市民の株式への投機熱をいっそうあおることを恐れたことなども考えられるのではなかろうか。(p.43)

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◆浅田 實 1989 『東インド会社 巨大商業資本の盛衰』 講談社現代新書959


第一章 相つぐ東インド会社の設立
第二章 胡椒・香料の輸入
第三章 キャラコの輸入と重商主義
第四章 巨大株式会社
第五章 会社の組織と輸入商品
第六章 南海会社
第七章 南海景気と恐慌
第八章 茶の輸入と中国貿易の開始
第九章 ネイボッブの時代
第十章 商事会社から植民地支配者へ
第十一章 東インド会社の解散
あとがき

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◆安藤 良雄 1967 「日本資本主義の歩み 増補版」 講談社現代新書480


1 明治維新と資本主義の発足
2 生糸・綿・船
3 大陸への志向
4 日本資本主義の繁栄と苦悩
5 恐慌の時代
6 戦争の時代
7 戦後日本経済の歩み

 この「国立銀行」という意味は、現在使われているような意味での「国立」ではありませんが、資本金の10分の6を太政官札等政府紙幣で政府に納入し、それと同額の金札引き換え証書を受け取って、それと引き換えに同額の銀行紙幣を政府から受け取り、そして10分の4を金貨でその引き換えのために準備とするというものでありますが、この制度によって全国に多くの国立銀行が設けられました。(p.24-5)

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◆奥村 宏 1992 『会社本位主義は崩れるか』 岩波新書248

 
第一章 危機の法人資本主義
第二章 批判される企業集団、企業系列
第三章 「会社本位」主義からの脱却」
第四章 揺らぐ「日本株式会社」
第五章 会社と社会の相克
第六章 法人資本主義のゆくえ

 現実に株式の相互持合いをすれば資金の調達にならないだけでなく、所有している株式は資金の無駄になっている。そこで企業の財務担当者とすれば資金を設備投資などに向けて活用するために、持ち合い株を処分しようと考える。ただ、その結果、株式を買い占められて会社をのっとられては困る。そのためには相互持合いが必要なのだが、その場合でも無用な持ち合い株を処分したいと思う。 一方、株式相互持合いに対しては外国からの批判も出ている。1989年からの日米構造協議でこれが取り上げられたが、そこではアメリカからの日本企業の買収を阻害していること、そして一般株主の権利を侵害しているものとして株式相互持合いが批判された。(p.29)

 もちろん社長個人は大株主でもなんでもないが、法人として会社が所有している株式の議決権を行使するのは代表取締役としての社長である。そこでこれらの社長が集まればそれは事実上の大株主会である。…もともとこのような社長会は法的には何ら根拠もない無性格な会合であり、議事録は公開されていないし、外部者の傍聴もさせない。その意味ではきわめてあいまいで、無責任な会合であり、そこで実際になにが話し合われたのか外部者には全く分からない。(p.52-3)

 アメリカの大企業はこのように内部化していることによって組織が肥大化し、最近のGMに代表的に見られるように”大企業病”にとりつかれている。これに対し日本の大企業は外部化することによって組織の肥大化を防いできた。この外部化を担ってきたのが企業系列であった。(p.60)

 日本で企業系列化が広範に進められた最大の理由は、大企業と中小企業の賃金格差であった。朝鮮戦争後、企業系列化が行われた頃の日本では賃金格差が大きく、これが日本経済の二重構造として当時大きな問題になっていた。大企業では終身雇用、年功序列賃金そして企業別労働組合がいわゆる「日本的経営」の三本柱として確立しているが、中小企業ではそうなっていない上に、賃金水準が低い。そこで大企業は中小企業を系列化することでこの低賃金を利用した。(p.63)

 …日米構造協議でアメリカ側は「ケイレツ」について次のような要求をした(「朝日新聞」90年3月23日)「日本政府は、日本企業間での有形無形の結びつきが排外的な取引を促す反面、外部の企業が日本市場に参入することを阻んでいることを明記した公式声明を出すべきだ。その声明には、ケイレツ関係を緩和し、日本市場での競争を助長するとともに、海外からの直接投資を促進する計画が盛り込まれなければならない」。(p.69)

 日本政府は「系列」には経済合理性があるという主張で反論し、これを近代経済学者たちが支援した。まず1990年度の「経済白書」は日本の企業間の長期継続取引はメーカー側にとっては@取引費用の節約、A情報や技術の入手ができる、Bたとえばジャスト・イン・タイム方式のように、細部にわたる連帯によるコストの削減ができる、またサプライヤー側にとっては、@技術や情報、経営ノウハウの吸収ができる、A販売コストの節約ができる、というようなメリットがあるとし、企業系列の経済合理性を主張した。(p.,71-2)

 日本の会社は従業員の共同体と考えられているけれども、それは「会社本位」主義に貫かれた幻想共同体、あるいは擬制共同体でしかない。このことは日本の会社の内部組織をみればはっきりしている。日本の会社内の組織は階層性(ヒエラルキー)になっていて、トップの命令に部下が従うようになっている。この点では軍隊の組織と同じで、社長、副社長、専務、常務という役員の序列はもちろん、部長、課長、主任などというように役職の階層性はきわめて明瞭であり、下部の人間が上部の命令に反抗することは許されない。稟議制度は日本的経営として、「おみこし経営」だとか「和の経営」のあらわれであるといわれるが、なるほど稟議書はミドル、あるいはもっと下で作られたとしても、決定を下すのは上部であり、命令はあくまで上から下へであっても、みんなで論議し、みんなで決定するというものではない。(p.83-4)

 公害や薬害、欠陥商品などのような社会的事件を起こした場合、当然のことながらその企業の経営者が責任を追及されるが、ほとんどの場合だれも責任をとろうとしない。このことは水俣病から現在に至るまで一貫している。ところが反対に日本では、政府や銀行が経営者に詰め腹を切らせるということがしばしばある。90年代になって多発した銀行の不正融資事件や証券スキャンダルでは、大蔵省や銀行や証券会社のトップ人事に介入し、経営者の交代を要求したといわれる。(p.94)

 …個人資本主義のもとでは資本家は個人として利潤追求をするが、法人資本主義では会社が利潤を追求する。そして従業員はその会社のために一生懸命に働く。個人資本主義の時代には従業員は賃金を少しでも多くとり、できれば自分もいつかは資本家になりたいと考えるが、法人資本主義では従業員は会社のために働くことで、会社の中で出世しようとする。こうして「会社本位」主義は、従業員の出世競争と結びつくことによってうまく機能するようになった。(p.98)

 社宅を建設することは従業員福祉になると同時に、会社の含み資産の備蓄になる。そこで企業はエクイティ・ファイナンスなどで調達した資金で土地を買いあさった。もちろん法人による土地取得は社宅建設のためだけではなく、工場や事務所建設のためもあるし、さらに投機目的のものもある。これが土地の法人化現象をもたらし、地価上昇を招いたことは言うまでもない。  社宅という制度は欧米にはあまりみられない。というのも個人が住む住宅まで会社に管理されるのはかなわないという心理と同時に、社宅は国や地方などの公共機関が整備していくという福祉国家の政策があるからだ。ところが日本では従業員の福祉対策として社宅を建て、労働組合もそれを要求する。その結果社宅に住める人と、そうでない一般の人との事実上所得格差を拡大していく。(p.152 )

 戦後の日本の税制の基本を決めたのはいわゆるシャウプ税制だが、これは法人擬制説をとっており、法人が得た利益に対する課税はその法人の出資者、株式会社の場合なら株主が会社から得る配当金のところで課税するというタテマエになっている。そのため法人税というのは一種の源泉徴収税と同じであり、したがってそれは一律何%(現在は37.5%)ということになっている。どこの国でも税金は国民が能力に応じて負担するという原則から累進課税になっているが、法人擬制説に立てば法人税は源泉徴収なのだから累進課税でなくともよいということになる。日本のように法人税制が徹底した法人擬制説に立っている国は他にないのだが、このことは法人が優遇されているということであり、個人事業が「法人成り」しようとするのもこのためである。(p.154)

 そこで新しい企業像は国有化に代わるものを見つけなければならない。それには従業員所有か、あるいは協同組合のようなものが考えられるであろう。なにより株式会社に代わる新しい企業組織が生まれてくることが、新しい企業像の前提条件である。理想としては企業は特定の経営者や従業員の所有ではなく、社会的な所有、すなわち誰もが所有しているが、特定の誰でもないという状態が望ましいが、それが具体的にどのような姿をとるか、まだわからない。(p.218)

 

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◆奥村 宏 2001 『株式相互持合いをどうするか』 岩波書店 岩波ブックレット534 ISBN4-00-009234-0

 株式会社に資本金に見合う資産が実際に存在するなら、その外部のものはその資産を信用してその会社と取引すればよい。もしその会社が倒産したならば、その資産を差し押さえて処分すれば貸した金は返ってくる。こういうことを条件にして、株式会社の有限責任を認めてもよいのではないか。有名な経済学者のJ・S・ミルなどがこう主張したのだが、それが株式会社が認められる条件としての資本充実の原則である。資本金が充実していること、すなわち資本金に見合う資産がその会社に存在すること、これが株式会社が社会的に存在を認められる基本的な条件である。(p.30-1)

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  ◆浜渦 哲雄 (2001) 『世界最強の商社 −イギリス東インド会社のコーポレートガバナンス』 日本経済新聞社

 
第一章 会社の誕生と初期の活動
第二章 ポルトガル、オランダとの抗争
第三章 統一東インド会社の誕生
第四章 領土の獲得
第五章 政府・会社関係の変化
第六章 会社と政府によるインドの二重統治 
第七章 インド貿易の自由化
第八章 会社のインド統治と行政官
第九章 インド統治と総督
 

 しかし現実には、会社の東洋貿易独占を破るアウトサイダー、すなわち私貿易商人(interloper, free trader, private traderなどの名称で呼ばれた会社に属さない商人)は常に存在し、会社の独占を脅かし、特許の更新時、国王の交代時などにはアウトサイダーにも特許が与えられ、競争状態になることが何回かあった。18世紀後半になるとインドに本拠をおく私貿易人、特に副業企業であるエージェンシー・ハウスの力が強まった。エージェンシー・ハウスは外国貿易、造船、海運、銀行、保険などを営む副業企業で、イギリス人の所有、経営する民間会社であった。(p.2-3)

 インド貿易独占が[18]13年まで続いたのは独占が会社と国(国王)の両方の利益になったからであった。アウトサイダーを東洋貿易から排除することによってはじめて、会社は利益を、政府は税金を安定的に獲得できたのである。(p.3-4)

 初期の東インド会社の研究家、W.フォスターによれば、イギリスがオランダに追随するのが遅れたのは、1596-97年は不作続きで商売が不振に陥り、新規ルートを開くより従来のレヴァント(地中海沿岸地域)貿易に頼ったためであった(26:144)。イギリスの商人は危険の多い喜望峰ルートの開拓には慎重であったが、オランダの船団の成果を見て東洋貿易進出を決断した。(p.10)

 最初はジョイント・ストックといいながら法人としての資本金を持たない、一航海ごとの決算を行う組合として発足した。この方式は運営しているうちにいくつかの不都合が生じた。一つは会社とはいいながら航海ごとに株主が異なり、決算方式も違うため、航海単位ごとに競争が生じることであった。また一航海ごとの決算だとリスクの分散ができず、事業が投機的になった。償還建設のような長期固定投資にも不向きであり、これらの弱点の是正が求められた。1613年以降はリスク分散がしやすいように決算単位が三航海あるいはそれ以上に伸ばされた。同時に資本調達額も増大した。[16]57年からは巨額の資金調達が容易な永久株式資本になり、資本動員力が飛躍的に増強された。(p.53-)

 政府と会社は持ちつ持たれつの関係にあった。政府は会社にさまざまな特権を授与する一方、その見返りに金銭的利益(主として融資)を引き出した。これについての政府の論理は、政府は全国民の利益増進義務を負っており、特許会社があげる利益配分に与るのは当然というものであった。会社が1765年にインドで徴税権を獲得した時には、毎年40万ポンドを納付した。このような会社と政府の共生関係は、会社の財政状況悪化で80年以降、消滅した。(p.63)

 フランス東インド会社は国策会社として発足したため、会社の経営は商業原則だけでなく国家の政策にも従わざるを得なかった。たとえば、会社の株主の多くは貴族でプロテスタントは株主になれなかった。会社の役員と監査役の任命は1723年以降、国王が行った。増資と社債の発行がイギリス、オランダの会社のように自由にできなかったため、資本基盤を拡大できず、資本需要が生じると政府からの借り入れに頼った。(p.70)

 東インド会社の社員の給与は、株主に対する配慮から伝統的に低く抑えられてきた。…イギリス人の必需品の値段は本国の倍以上したので、私貿易をしないでは生活が苦しく、ましてや貯蓄はできなかった。社員の給与は私貿易を前提に支払われていたと言ったほうが適切であろう。…後で述べるように、社員の不正蓄財が政治問題になってからはそれを防止するため、社員が私貿易に手を出したり、賄賂を受け取らなくても身分相応の生活ができるように給与が引き上げられた。(p.85)

 1766年に首相に就任した大ピット(チャタム伯爵)は会社の内紛に乗じて、初めて議会による会社の実情調査に乗り出した。その狙いはベンガルにおいて会社が最近獲得した領土からの収入と領土に対する法的権利は会社ではなくイギリス本国にある、という議会のお墨付きを得ることであった。(p.94)

 ノース首相は法律によって特許を超克する前例を作った。それまでは特許は財産権であるがゆえに不可侵であり、それを犯すことは会社乗っ取りの意図があるのではないかと疑われ、政治家はそれを控えてきた。しかし、会社の財政危機を見ながら政府は何もしないわけにはいかず、また道義的問題に対する議会と世論の批判に答えねばならなかった。こうして10年足らずの間に会社の法的防衛線が崩され、政府は世界でもっとも強力な商社のあらゆる面に介入する権利を得た。(p.102-3)

 政府・会社関係をどう再構築するかについては二つの構想があった。一つはインド関係人事について国王の任命権を増やすことによって、インド行政に対する国王の支配権を強化すると言うもの。もう一つは議会の任命するコミッショナーが会社の活動と人事権をイギリスから監督すると言うものであった。両者の違いはインド行政の監督を主としてインドで行うか、イギリスで行うかにあった。(p.104)

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◆株主オンブズマン 編 2002 『会社は変えられる 市民株主権利マニュアル』

粉飾決算の目的


@金融機関からの資金調達を円滑にするため
A株主配当を実施したいため
B株式上場を維持するため
C業績悪化に伴う退陣要求を回避するため(経営責任の回避)
D取引先との関係を円滑に維持するため
E株価を維持するため
F証券市場での資金調達を円滑に行うため
G同業他社との競争力を優位に装うため
H経営陣の社内における権威を保持したいため
I公開入札資格を維持(ゼネコン関係中心)にするため。(p.37)

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◆三戸 浩・池内 秀己・勝部 伸夫 1999,2006 『新版改訂版 企業論』 有斐閣アルマ


序章 現代企業をみる視点
第1章 「財・サービスの提供機関」としての企業
第2章 「株式会社」としての企業
第3章 「大企業」としての企業
第4章 「組織」としての企業
第5章 「家」としての日本企業
第6章 「社会的機関」としての企業

「会社」←立「会」結「社」もしくは「会」同結「社」から派生(三戸ほか [1996,2006:63])。

公開会社←自由な株式売買が可能な企業

株式会社がより大きな利潤を獲得するために考案された資本集中の機構だということである。(三戸ほか [1996,2006:69])

ここでまず強調されなければならないのは、株式会社制度とは基本的に、資本の出資者である株主が会社の所有者であり支配者となるように作り上げられたシステムだということである。(・・・)そのため資本家にとって企業はまさに私有財産そのものであり、資本家が自由に機能させ、そこから得られた利潤はすべて資本家のものとして好きなように処分することができたのである。(三戸ほか [1996,2006:108-9])

「法人なり」・・・個人企業なのに株式会社あるいは有限会社にすることで税制上の特典があったり、あるいは株式会社という名前が企業名につくことによって社会的信用が高まりビジネスがうまくいくということは、中小あるいは零細企業にとっては大きなメリットである。(三戸ほか [1996,2006:82])

したがって伝統的な株式会社を語る上でのキーワードであった「私有財産、私企業、個人的総意、利潤動機、富、競争」は、巨大化した株式会社の現実を分析する概念としてはふさわしくないものだと彼らはみたのである。(三戸ほか [1996,2006:111])

アメリカでは、不況の際にレイオフ(一時帰休)による雇用調整がなされる。だが、先任権制度(seniority system)が法的に確立していることから、その内実は一種の年功制ともいうべき現状となっている。すなわち、解雇にあたっては、first-in last-outのルールに従って、先に採用されたものほど後に解雇され、新しく採用されたものほど先に解雇される。そして、一定の期間内に景気が回復して企業が労働力を必要としたときには、後に解雇されたものから順次職場に復帰する。(・・・)かくして、従業員構成に占める長期勤続者の割合は、アメリカ企業のほうが日本よりも大きくなる。(三戸ほか [1996,2006:211])

 


 

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◆友岡 賛 1998 『株式会社とは何か』 講談社現代新書 207p


第1章 企業は公器なのか
第2章 株式会社という約束事
第3章 企業の継続化、大規模化と株式会社の形成
第4章 株式会社制度の形成
第5章 株式会社の要件と特徴
第6章 株主保護と債権者保護

 結論からさきにいえば、会計の目的は、委託、受託の関係を納得させること、すなわち、資本と経営との分離という状態を納得させることにある。(p.53)

 いずれにしても、より多くの資本の必要から組合的な企業が支配的になっていたフィレンツェだった。そこでは、他人同士からなる企業のメンバーのあいだで儲けを厳密に分配する必要が生じ、期間を区切って企業全体の儲けを厳密に把握する計算方法がとられることになった。期間計算だった。ただし、そこでの期間の区切りは、たとえば、だれかが脱退したときにそれまでの儲けの分配のためにおこなわれたりしたものであって、一定期間という形をとるものではなかった。そこにあったのは非定期的な期間計算だった。(p.103)

 当座企業の場合には、生産時に、元手(資本)がそれを出したものに返されるが、継続企業の場合には、そういった清算がない。そこで、出資者が資本を回収しうる手段をもたらすものが、株式会社における株式の自由譲渡性だった。(p.106-7)

 財産の所有者本人が自分自身でもって財産の管理を行なっている場合には自分のもうけを最大化するような行動をとるが、代理人がそれをおこなうばあいには、代理人にとってその財産は自分のものではないし、代理人は代理人でまた、自分のもうけを最大化したいという欲求を持ち、それは、当然のことながら、財産の所有者本人のもうけの最大化よりも優先される。すなわち、そこにいうエイジェンシィ・コストとは、財産の所有者本人が自分自身でもって財産の管理をおこなっているばあいと、代理人をしてそれをおこなわせているばあいとの比較において、後者のばあいにおいて生ずるコストのことである。(p.132-3)

 そしてまた、公器ではない、ということからすれば、その他の多様な利害関係者(今日一般にいわれるそれは、ほとんど、社会一般、を意味している。だれでも、みんな、である)には、いろいろ文句をいう権利などない。ただし、債権者は別格である。そもそも企業とは、もうけを得るための存在であって、儲けるということは財産を増やすということである。そして、財産というものは、結局のところ、カネにはじまってカネに終わる。そうしたカネを貸している、という意味において、いわば直接に企業と関係を持っているのが債権者である。(友岡[1988:200])

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◆宮島 司 1996 『株式会社の知識』 日本経済新聞社(日経文庫736)231p


T 株式会社とは
U 株式会社の設立
V 株式と株主
W 会社の運営
X 会社の計算と利益の分配
Y 会社資金の調達
Z 企業結合
[ 会社の再生と消滅等
COFFEE BREAK
 
 

 個人事業主が、なぜ企業を法人にしたいかについては、前述したように、法人自体に権利主体性があるということもあるのでしょうが、最も大きな理由は税法上のそれといえます。個人企業所得税よりも法人税の方が有利だからです。(p.32)

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◆松原 聡 2000 『既得権の構造 「政・官・民」のスクラムは崩せるか』 PHP新書126


第1章 失われた十五年
第2章 省庁再編とは何だったのか
第3章 「政・官・民」のスクラム
第4章 既得権との戦い
第5章 既得権を崩すIT革命

 NTTは、分割によって企業の力が殺がれることを危惧して、大企業のまま日本の電気通信市場に君臨することを望んでいた。自らの立場を、つまり電電公社時代からの、政府から与えられた独占的地位を、なにがなんでも維持したいと望んでいたのである。公社時代の独占によって得られた圧倒的な企業規模は、NTTにとって最大の既得権であった。(p.24)…自らの既得権に固執して、NTTの改革を阻んできた勢力は、そのことが日本の経済・社会全体の活力を奪っていることに、一体どこまで気がついているのだろうか。(p.29)…国有化された段階で日債銀の株はすべて価値を失ったわけであるから、当然、その増資分もすべて消失した。怒った金融機関は、金融監督庁を相手に行政訴訟を起こす気配すらある。これに対して当時の金融監督庁の柳沢伯夫長官は「受けてたつ」と答えている。親子関係は見事に崩れ去ったのである。(p.33)

 ほんの数年前まで、「ボーナスは銀行へ」という全銀協提供のコマーシャルがあったのを覚えているだろうか?個別行の名を出しての広告が自主規制されていたため、全銀協が広告主となっていたのである。個別行が広告すら出せなかったということは、この業界がまさに強壮なきぬるま湯の世界にあったことを象徴的に物語っている。(p.40)」

 イギリスでは、エージェンシー化とマーケット・テスティング(market testing)が常にセットになっている。マーケット・テスティングとは、言葉どおり、行政サービスを「市場でテスト(評価)する」手法である。日本のように、独立行政法人として、単に政府や自治体の外部に押し出すのではなく、そこで民間と競争するというテストを受けさせるのである。具体的には、施設運営、経理、記録保管、監査、休職、情報記録、法律業務、医療サービス、社会保障手当の給付、旅券の発行などの多くの分野で、公務員チームと民間企業とに競争させる。その結果政府や自治体などのチームが、価格やサービスの質で劣っていたら、公務員チームの負けということになる。たとえばごみ収集の仕事で競争し、仮に民間企業が勝てば、公務員チームは解散・解雇となる。もし、この話を厳しいと感ずる人がいたら、それは甘え以外のなにものでもない。一般の民間企業は、常に市場でテストされている。自らが提供する商品やサービスが、市場で評価されなかったら、つまり売れなかったら、すぐに倒産である。(p.71-2)

 郵貯2000年問題の根本は、半世紀以上前に戦費調達のために導入された貯金制度が、いまなお残っているところにある。十年固定金利、半年複利の金融商品など、この金融自由化、国際化の時代に、成立し得ない。このありえない商品が存続してきたこと、すなわち、金利が0.1パーセントにまで下がりつづけた十年間に、郵貯が5-6パーセントもの高金利を払いつづけてきたという事業そのものが、郵貯2000年問題の本質なのである。(p.90)

 預託された資金の運用については、郵政省は一切関与しないとともに、責任も負わない。資金の需要とは関係なくお金が集められ、社会的に資金が必要なところに資金を供給するのではなく、政策判断で振り分けられる。そこにはマーケットメカニズムは一切働いていない。…資金の運用先つまり需要側から見ても、割り振られた資金を使いきれていない。…資金の配分権自体が既得権と化し、同時にその資金を受ける側も既得権化していることも大きな問題である。(p.96-9)

 これまで経済学では、電力などの巨額の設備投資が必要な産業(自然独占)や、タクシーのように利用者が料金の安いものを選びにくい分野(情報の不完全性)などを、法律などによって規制すべき対象としてあげてきた。(p.121)

 この公共事業費とその配分権も、立派な既得権である。そしてこれからも、整備新幹線や、高速道路、関空二期工事、中部国際空港など、本当に必要かどうかわからない事業が次々に行なわれようとしている。そこに、国民の税金や公的な資金がどんどん流されていく。もういいかげん、このお金の流れを真剣に見直すときが来ている。あまり使われない道路や空港ばかりが作られていると、少子・高齢化対策、デジタル・ディバイド対策といった本当に必要なところに税金が流れない。そのことによって最も不利益を被るのは、われわれ国民である。(p.130)

 まさに、既得権の頂点に族議員が君臨し、しかしその族議員は選挙の際には、業界に平身低頭する。このようにして、既得権のスクラムは、延々と存在しつづけてきた。(p.134)

 第一は地域分割である。国鉄というのは、いうまでもなく全国の鉄道ネットワークである。それをわざわざ分割しようというのだから、いってみれば常識外れの議論であった。それでも分割を行なったのは、まずそれぞれの営業の範囲を小さくして、責任ある経営を行なうようにするため、もうひとつは、どうやっても赤字が出ざるを得ない地域と、経営努力によって黒字が可能となる地域とを分けるためであった。(p.141)

 …既得権の頂点に位置する「政」の背後にあってそれを支えているのは、政治に関心を持つ一部の国民、ということになる。そしてその一部の選挙上手の国民にだけ特定の権益が流れているのである。私たちは、このことのおかしさにもっと気づき、また憤るべきである。(p.213)

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◆佐々 穆 1933 『有限責任会社法論』 巌松堂書店


緒論
本論
 第一章 独逸(ドイツ)法制
 第二章 葡萄牙(ポルトガル)法制
 第三章 墺太利(オーストリア)法制
 第四章 チェッコ・スロヴァキヤ法制
 第五章 勃牙利(ブルガリア)法制
 第六章 波蘭(ポーランド)法制
 第七章 西班牙(スペイン)法制
 第八章 伯剌西爾(ブラジル)法制
 第九章 ソヴィエト・ロシヤ法制
 第十章 智利(チリ)法制
 第十一章 仏蘭西(フランス)法制
 第十二章 土耳古(トルコ)法制
 第十三章 亜爾然丁(アルゼンチン)法制
 第十四章 リヒテンシュタイン法制
 第十五章 瑞西(スイス)法制
 第十六章 伊太利(イタリア)法制
 第十七章 匈牙利(ハンガリー)法制
 第十八章 白耳義(ベルギー)法制
 第十九章 英吉利(イギリス)法制
 第二十章 立法私論(結論)

 然るに、無限責任の原則は二重の進化を遂げた。其の一は同じく中世伊太利自由都市に起りたるコンメンダ契約(Commenda)において之を見る。即ちコンメンダトール(Commendator)の責任を其の出資たる金額に限定するのであって、従来の鉄則に対する著しき制限であった。今日における各国法制上の合資会社に於ける有限責任社員が其の出資額を限度としての責任を負債するに過ぎないのは此のコンメンダ契約の特質に其因せるものにて、無限責任の鉄則より脱せんとする強き要求の結果として認められるるに至れるものに外ならぬ。(p.2-3)

 (ドイツ法制)業務執行人の責任としては善良なる管理者の注意(Sorgfalt eines ordentlichen Geschaftsmanes)を以て諸般の業務を執行しなければならない(第四十三條第一項)。従って其の任務に違背したるときには因って生じたる損害に付き業務執行人は会社に対し連帯責任を負ふのである(第四十三條第二項)。(p.32)

 有限責任会社に関する規定は他の立法例とは趣を異にしソヴィエト式の色彩が現れて居る。@第318条は本会者を定義し、有限責任会社とは全社員が共通の商号の下に商業又は工業を営み、会社の債務に付き、単に会社に提供したる出資額を持ってするのみならず平等に各社員の出資額の倍数(例えば3倍、5倍、10倍)の学だけ自己の財産を以っても又其の責に任ずる会社と言うと規定している。此の規定は後述の瑞案及びリヒテンシュタイン法を除きては、従来のほかの立法例に類例を見ない全然新たなる直接責任を認めたるものである。各社員は平等に其の出資額の倍数だけ直接責任を負担するのであって、而かも支払い不能の社員の負担額は他の社員の間に其の持分に応じて分割し之を補填する義務を認めている(民法第219条前段)。併し乍ら、第三者及び他の社員に対して各社員は自己の出資額及び其の責任の限度として定められたる出資額の倍額を越ゆる責任は之を負担しない(第319条後段)のであるからこの点に於いて有限責任制である。(p.183-4)

 国王の勅許状を得ることは多くの費用を要し、又国会の議決する特別法を以ってする特許を得ることも事実上甚だ困難だったために企業家は寧ろコモンローの認むる組合に付きて其の新たなる考案として組合員の有限責任と持分の自由譲渡とを実際に実現し以て刊行として之を盛行するに至った。(p.376)

社員の責任の有限なる旨 単に社員は有限責任(limited liability)を負う旨を記載するを持ってたる。(p.398)

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◆林 昭 編 2004 『現代の大企業 −史的展開と社会的責任』 中央経済社 ISBN4-502-36590-4


序章 現代の社会と企業
第1章 資本主義経済と企業
第2章 株式会社制度
第3章 現代日本の株式会社と株式所有
第4章 現代日本企業とコーポレート・ガバナンス
第5章 現代企業における企業集中形態
第6章 現代日本の産業発展と企業集中形態
第7章 日本的企業経営システムの発展と変化
第8章 民営化・規制緩和と現代企業
第9章 現代企業と経済民主主義


◆岩井 克人 2005 『会社はだれのものか』 平凡社 ISBN4-582-83270-9

 重要だったのは、終身雇用制と年功序列制と会社内組合制です。それらは、ヒトとしての会社が所有する機械制工場を効率的に運用していくために必要とされる熟練やノウハウを、従業員や技術者や経営者が自主的に蓄積していくことを促す雇用システムとして、歴史的に発達してきました。そして、戦後日本の行動成長を大きく支えてくれることになったのです。だが、同時に忘れてならないことは、日本的経営が育成してきたこのような組織特殊的人的資産の役割は、あくまで産業資本主義の役者である機械制工場を補完するものでしかないということです。機械制工場が利益の源泉でなくなれば、その役割も終わってしまいます。そして、じっさい、農村の過剰人口の枯渇によって、産業資本主義の原理が働かなくなったポスト産業資本主義の時代において、その役割を終えつつあるのです。機械制工場をいくら効率的に運用しても、利益を確保することは困難になっています。(p.48)

 当たり前のことですが、「違い」を意識的に生み出すことができるのは、ヒトだけです。「意識的」という言葉を使うことからも明らかなように、とくに重要なのは、ヒトの頭脳です。ヒトの頭の中にある知識や能力、ノウハウや熟練などが、違いを生み出す重要な源泉になってきたのです。多少言葉を乱用すれば、ポスト産業資本主義においては、機械制工場ではなく、ヒトが資本になったということです。資本とは、基本的には、利益を生み出す源泉という意味だからです。これは、本当に大きな変化です。なぜならば、それは同時に、ポスト産業資本主義においては、おカネの力が弱くなってきたことを意味するからです。(p.51-2)

 ミルトン・フリードマンによれば、会社に社会的責任があるとすれば、唯一それは利益を最大化することであるというのです。ここで、「社会的責任」という言葉を使っているのは、もちろん、痛烈な皮肉です。通常、人々が会社の社会的責任というとき、それは社会的正義の実現や公共福祉の増大など、利益以外の目的も会社は考慮すべきだということを意味しています。フリードマンが、会社の社会的責任は利益を最大化すること以外にはないというのは、そのような意味での社会的責任などまったく存在しないという意味です。(p.85)

 もし環境への配慮や芸術活動の支援や法令の遵守が、会社の長期的利益を高めるのであれば、ミルトン・フリードマンも大喜びで、経営者にそうするように勧めるはずです。それは、会社の唯一の目的は株主の利益を最大化することだという株主主権論と矛盾しないどころか、まさにそれに100%合致しているからです。それは、長期的な利益を高める方法について不勉強な経営者に、彼らの知らない長期的な利益の高め方を教えているに過ぎません。それは、コーポレート・ガバナンスにかんするシンポジウムのテーマのひとつではあっても、会社の社会的責任という名を冠するシンポジウムのテーマにはなりえないはずです。(p.90-1)

 法人とは、社会にとって価値を持つから、社会にとって人として認められているのであるという、法人制度の原点に立ってみましょう。そうすると、少なくとも原理的には、法人企業としての会社の存在意義を、利益最大化に限定する必要などないことが分かります。社会的な価値とは、社会にとっての価値です。それは、まさに社会が決めていく価値であるのです。そして、ここに、真の意味でのCSRの出発点を見出すことができるはずです。すなわち、たんなる長期的利益最大化の方便には還元しえない社会的な責任という意味でのCSRです。(p.94)

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◆奥島 孝康 編 1997 『会社はだれのものか コーポレートガバナンス2』 社団法人 金融財政事情研究会 

 取締役は会社の機関として行為を行ったのだから、取締役が行った行為は会社の行為であって、取締役個人の行為ではない。したがって、取締役個人が責任を負うのは本来おかしい。会社の行為によって損害を受けたものは、会社に対して損害賠償を請求すればよいではないか。つまり、民法709条の不法行為責任に基づいて会社の責任を追及すればよい。民法709条によって責任を問うことができるにもかからず、あえて商法266条の3にいう「第三者に対する責任」の規定を設けたのはなぜか。それは会社法の論理からは直ちに出てこない。通説は、これは第三者保護のための特例として設けられたものと解している。(p.68)

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◆柿澤 昭宣 1999 『株式会社と現代資本主義の変貌』 晃洋書房 ISBN4-7710-1123-0

 
第一章 会社と株式会社
第二章 株式会社本質論の再考察
第三章 株式会社の形成
第四章 労働者の今日的あり方
第五章 経営者支配の意味@
第六章 経営者支配の意味A −取締役会の形骸化
第七章 経営者支配の意味B

 譲渡自由な株式制、すなわち一定額以上の資本の所有者なら何びとでも社員として受け入れるという会社の開放性こそが株式会社の本質的属性であり、全社員の有限責任制はそれを担保するための属性に他ならない事は純粋に理論的にも証明することができる。一定額以上の資本の所有者ならなんびとでも自由に社員として受け入れようという会社の開放性は、だれもがすぐ気づくように、そのもち手を問うことなく社会の資本を大量に動員しようと意図したことから考案されたと考えられるが、株式がだれもが購入しうるものとなり、かくして何びとも株式会社の社員となりうるようになるためには、一定の客観的条件が必要である。(p.21)

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◆大隅 健一郎 1976 『私と商事判例』 商事法務研究会

 …会社は、多面において、自然人とひとしく、国家、地方公共団体、地域社会その他(以下社会等という。)の構成単位たる社会的実在なのであるから、それとしての社会的作用を負担せざるを得ないのであって、ある行為が一見定款所定の目的とかかわりのないものであるとしても、会社的に、社会通念上、期待ないし要請されるものであるかぎり、その期待ないし要請にこたえることは、会社の当然になしうるところであるといわなければならない。そしてまた、会社にとっても、一般に、かかる社会的作用に属する活動をする事は、無益無用のことではなく、企業体としての円滑な発展を図るうえに相当の価値と効果を認めることもできるのであるから、その意味において、これ等の行為もまた、間接ではあっても、目的遂行のうえに必要なものであるとするを防げない。災害救援資金の寄附、地域社会への財産上の奉仕、各種福祉事業への資金面での協力などはまさにその適齢であろう。会社が、その社会的役割を果たすために相当な程度の関わる出損をすることは、社会通念上、会社としてむしろ当然のことに属するわけであるから、毫も、株主その他の会社の構成員の予測に反するものではなく、したがって、これらの行為が会社の権利能力の範囲内にあると解しても、なんら株主等の利益を害するおそれはないのである。以上の理は、会社が政党に政治資金を寄附する場合においても同様である。(p.75-6) 

 憲法上の参政権その他のいわゆる参政権が自然人たる国民にのみ認められたものであることは、所論のとおりである。しかし、会社が、納税の義務を有し自然人たる国民とひとしく国税等の負担を任ずるものである以上、納税者たる立場において、国や地方公共団体の施策に対し、意見の表明その他の行動に出たとしても、これを禁圧すべき理由はない。のみならず、憲法第三章に定める国民の権利および義務の各条項は、性質上可能なかぎり、内国の法人にも適用されるものと解すべきであるから、会社は、自然人たる国民と同様、国や政党の特定の政策を支持、推進しまたは反対するなどの政治的行為をなす自由を有するのである。政治資金の寄附もまさにこの自由の一環であり、会社によってそれがなされた場合、政治の動向に影響を与えることがあったとしても、これを自然人たる国民による寄附と別意に扱うべき憲法上の要請があるものではない。(p.77)

 …会社における支配的株主が会社事業および会社財産を自己個人のもののごとく取り扱い、会社の業務と株主個人の業務とが混同されて、株主みずから個人と社会との分離を否定している場合には、法もまた、債権者の保護のために必要であるかぎり、個人と会社との分離を否認すべきである、というアメリカの判例の言葉は、参考に値するであろう。(p.91-2)

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◆大隅 健一郎 1946 「英国における株式会社の発展 1」,『法学論叢』52(2) pp.65-80.

 英国におけるjoint-stock companyの証跡は16世紀の中半以前には遡らない。然し当時既にその成立を不可避ならしめる2つの重要な発展傾向があった。即ち一方にはコムメンダ(commenda)及びソキエタス(societas)なる中世的パートナーシップ。(p.artnership)の形態が存し、他方にはギルドに端を発するカムパニーcompany)なる法人的活動の組織が存した。前者は数人の所有に属する資本を結合にさいしたが、これによって成立した企業はその性質が当座的で継続性を欠いていたのみならず、多数の成員を誘引しかつこれが管理するための十分した組織を持たなかった。然るにその他とくに必要な制度は後者によりて準備されていた。そしてパートナーシップにカムパニーの組織が接合せられたところにjoint-stock companyの形成が斉されたのである。(pp.66-7)

 工業の進歩と共に商人ギルドは商業を助成するよりも阻害する傾向を示し、14世紀に至りこの制度は同職ギルド(craftgild)及びカムパニー(company)の如き特殊化せられた商人の団体により代替され始めた。後者が外国貿易に関してさらに特殊化せられるときjoint-stock companyへの発展が現れる。その架橋をなしたのがMerchants of teh staple(the staplers)及びMerchant Adventuresである。いづれも羊毛・毛織物などの重要商品の海外貿易に従事する商人の団体であって、既に13世紀においてその存在を確認することをうるが、後者は14世紀末及び15世紀のはじめイングランドの国王から北海及びバルチック沿岸諸国に関し数個の勅許状を与えられた。これが外国貿易を目的とする端緒的な制規会社(regulated company)の最初の公認である。(p.68)

 宗教改革による経済的損失、国王ヘンリー8世の浪費、巨額かつ高利率の外国における債務、国内生産の減退等により、16世紀中頃英国の国内資本は著しく窮乏していた。かかる事態の下にあっては、自由に求められた資本に対しできるだけ高い利潤を獲得せんとの試みがなされたことは想像に難くなく、企業家的商人は外国貿易に大きな注意を向けざるをえなかった。然し当時すでに既知の貿易路は既存の制規会社により支配されて以降、彼らはもっと遠隔の地に向かわざるを得なかった。そこで一度かかる遠隔地との貿易企業が企てられるや、おのづから若干のjoint-stock companyが形成せられた。(pp.71-72)

 まず前述の会社のうち主なるものはいづれも特許状により法人格及び各種の特権を与えられているが、この特許状はすべて国王によってのみ与えられた。かかる特許状の付与が欲せられた理由は、企業者たる商人の側から見れば、第一にこの特許状なきときは団体は政府により疑惑の目を以て見られる虞があったことにある。即ち特許状は単に国王の恩寵及び保護のしるしたるに止まらないで、これなくしては王室より嫉妬及び疑惑を以て見られるべき事項の許容たる意味をもっていたのである。第二に彼等が国体の自治権・成員に対する課税権・団体内の紛争に関する裁判権・外的に対する防衛権を必要とし、また貿易独占権・輸出入に関する特別法及び貿易阻害的な諸法律から免除・関税免除を欲したのにある。そして国王の側からみれば、会社によって行われる統制はしばしば国民の商事活動から生ずる国際紛争につき国家に対する大きな援助となり、また特許に対する会社からの献金は王室の重要な財産となったから、おのづから特許状を付与するに傾いたのである。かように十六世紀における会社に対する法人格の付与(incorporation)は、成員とは別個の技術的人格者を創造することによりもたらされる商業的便益のためによりも、第一次的には主権の一部及び貿易特権を有する団体を創造するという貿易組織及び国家の対外政策の見地から、換言すれば商法的な見地よりも公法的見地にもとづいて行われたのである。法人の永久継続性、国体が国体として取引をなし、共同印章により国体の行為を確実にし、また成員の持分の譲渡性を明確にし、法人たる国体の責任とその成員の個人的責任とを明分にし、殊に成員の有限責任を認むるなどの法人に於ける商業上の便益が明らかにされ、主としてこの見地からする法人格付与の意義が尊重されるに至ったのは十七世紀になってからである(pp.77-78)

 近代の株式会社では株金額が一定せられ、株式数は企業の発展に伴い変化するのであるが、16世紀にあっては逆に株式数が固定され、株式に対する支払い後に金額が企業の必要に応じて随時追加徴せられた。その意味で社員の責任は一種の無限責任であった。尤も法人の債務につきその成員が人的に責任を負わないことは既に15世紀以前に明らかにされていたから、右の責任は間接無限責任というべきものであった。かかる徴収制度の結果株金額が著しく増大する場合を生じ、払い込みに必要な資金を持たない社員はその株式を細分して、その一部を売却することにより他の部分に対する払い込みの資金をうるほかなかった。かくて二分の一、四分の一、八分の一などの小割株が存在することとなった。(p.79)

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◆Berle, A. A., & Means G. C. 1932. THE MODERN CORPORATION AND PRIVATE PROPERTY. THE MACMILLAN COMPANY.
= 1958 北島 忠男 訳 『近代株式会社と私有財産』文雅堂銀行研究社


第一篇 財産の変革
第二篇 諸権利の再編成
第三篇 証券市場における財産
第四編 企業の改組

 公開証券市場の利用によって、これらの諸会社は、それぞれ、投資大衆に対して義務を負うことになり、この義務は会社をして、少数個人の支配を粉飾する法律的方法によって、その企業に資金を提供する投資家のために、少なくとも名目上は奉仕する制度に変える。所有者、労働者、消費者、及び、国家に対する新しい責任は、かくて支配者の双方に懸ることとなる。こうした新しい諸関係を創造するということで、準公開会社はまさに革命をもたらしたといえよう。このことは、われわれが、普通、財産と呼んでいた実態を破壊したことになる−即ち、所有権を名目上の所有権と、以前はそれに帰属していた権力とに分離したのである。これによって株式会社は利潤追求企業としての本質を変えたのである。この革命がこの研究の主題になる。(p.7-8)

 …個人が自由に自らの財産を利用し、財産の利用から生ずるあらゆる成果を受け取る権利が保障されるならば、私的利得、及び、利潤を得んとする個人の欲望は、人が所有しているところの全産業財産の能率的利用についての効果的誘因として存続することが出来る、と想定されてきたのである。準公開企業では、もはやこうした想定は通用しない。われわれがすでに考察したごとく、自分の富を自分自ら利用する個人は、もう存在しない。このような富の支配を手にした人々、従って、産業能率を確保し、利潤をあげるべき地位にある人々は、こうした理由の大部分に対して、もはや所有者としての権利がなくなっている。(p.10)

 所与の株式会社は、三つの主たる方法によって、その支配下にある富を増大させることが出来る。その三つの方法とは、第一に、当該会社の収益の再投資、次に、公開市場を利用した会社証券の発行による新資本の増加、第三に、証券の購入または交換による他会社の支配の獲得がそれである。この他に、個々人に対する証券の私的発行という様な数多くの他の諸方法があるが、右の三方法は他の諸方法よりもはるかの重要な方法であり、考察する必要があるのは、これらだけである。(p.51)

 支配形態をそれぞれ明確に区別する区画線はないが、5つの主な形態を区別することが出来る。5つの形態とは、@、ほとんど完全な所有権による支配、A、過半数持ち株支配、B過半数所有権がなくして、法律的手段方法による支配、C、少数持ち株支配、及びD、経営者支配である。これらのうち、はじめの三形態は、法律上の基盤に基づいた支配形態であり、議決権株式の過半数を投票する権利に依存するものである。残りの二形態である少数持ち株支配、及び、経営者支配は、法律外のもので、法律的基盤よりも、むしろ実際上の基盤に立つものである。(p.89)

 企業についての諸問題を論議するときには、三つの機能を区別することが出来る。即ち、企業に対して利害関係をもつ機能、企業についての権能をもつ機能、企業に関して行為する機能、がそれである。単独の個人はいろいろなかたちで、これらの機能の一つ、または、それ以上を遂行する。…最初の2つの機能は所有者が遂行し、三番目の機能は、所有者以外の集団、即ち、雇用経営者によってその大部分が遂行される。こうした生産機構のもとで、所有者は、専ら、所有者が企業を自ら経営するか、または、企業の経営をほかに委任する所の地位と、企業に生ずる何らかの利潤、または、利益を受け取る地位との、二つの地位にあるという事実で識別された。他面、経営者を第一義的に識別するのは、経営者は、所有者の利益のために、企業を運営するものとされるという事実であった。所有権と経営との相違は部分的には、こうした地位と行為との相違であった。(p.147)

 若し、われわれが私的利潤への欲求こそが、支配者を動かす第一の動機であると仮定するとすれば、われわれは、支配者の諸利益は、所有権を有する人々のそれと異なるものであり、そして、しばしば根本的に対立することがあると結論せざるを得ない。従ってまた、所有者は、利潤追求を目的とする支配集団によって全く奉仕されることはないであろうと結論せざるを得ない。株式会社の運営に於いて、支配集団は、たとえ自分達が大量の株式を所有していても、会社のために利潤を作り出すよりも、社会を犠牲にして利潤を得た方が、よりみずからの懐を肥やすことができる。若し、このような人々が、社会に対する財産の販売から100万ドルの利潤を得たとすれば、彼らは、自分達の持ち株である60パーセントの所有権を投げ出して、60万ドルの損失を引き受けても、もうかるのである。というのは、この取引では、そうしてもなお、40万ドルの純利潤が彼らの懐に残る、つまり、他の株主たちが40万ドルに相当する損失を引き受けるからである。支配集団の株式所有割合が減少すればするほど、また、会社にとっての利潤と損失がそのまま彼らにとっての利潤、損失の両者となることが少なくなればなるほど、会社を犠牲にして利潤を作り出す機会は、より直接に支配集団の利益となる。支配集団の持つ株式の量が、経営者支配の会社における経営者のそれのように、きわめて小割合しか占めていないときには、会社を犠牲にして得る利潤は、支配を掌握した人々にとっては、事実上、正味利益となり、利潤追求を目的とする支配者の利益は、所有者の利益と真っ向から対立することになる。(p.151)

 このようにして収得利潤の配分ということになると、自己利益追求支配者が、しばしばそうであるように、別の会社の証拠に投資権益を持っているとすれば、彼らは、利潤を、ある種の株式から他の種の株式に転流するように努力するであろう。市場操作の場合には、こうした支配者は、現在の株主から低い価格で株式を購入し、将来別の株主に高い価格で売却するために、『内部情報』を活用するかもしれない。支配者は、合理的な市場価格で確立されるような諸状態を維持することには、ほとんど無関心である。逆に、支配者は、欺瞞的性格を持った財務諸表を発表するかも知れないし、或いは、ことさら自分自身の市場相場操縦をもくろんだ諸項目をそなえた情報を非公式として流すかもしれない。従って若し、支配者の関心が、第一に個人的貨幣獲得の欲求に根差すものとすれば、われわれは、所有者と支配者との利害関係はほとんどまったく対立すると結論せざるを得ない。(p.152)

 アメリカ法は、株式会社を18世紀末にあったままの形で、イギリス法から継承した。当時、株式会社は『特許』"franchise"(nonman-Frenchでいう"privilege")として考えられていた。即ち、すべて株式会社の存在それ自体が、国家からの許可に基づくことが条件づけられた。この許可が、株式会社を創設せしめ、且つ、株式会社を、その組織員の何人からも独立した法人格として作り上げた。…国家が許可した真の意味での特許は、会社の実態についての特許である。即ち、会社自身の名において事実を継承し、会社を構成する人々とは関係なしに、自分自身のために訴訟し、訴訟をしうける権利である。また、影響的な継続性をもつということ、即ち、会社を構成する人々が代わっても、この実体を継承するという権利である。このことのすべてから、組織者の有限責任ということが必然的に生ずる。債権に対して責任を負うのはこの実体のみであり、従って、その債務は個々人に帰着するものではない。このことから次のことが生ずる。即ち、株主は、企業の如何なる債務に対しても一般に責任を負わず、そして会社の債務については、自ら出資した資産量を超えて責を往古となしに、会社諸活動に必要な特定し産量を拠出出来る、ということである。(p.156-7)

 株式なるものは、かつては、かなりの程度までその財産に関する支配力を伴ったところの、財産に対する固定的参加権であった。今日では、それが元来持っていた保護の多くを奪われた参加権であり、今後も無限の変動にさらされている。この結論によって、われわれは、近代的な株式会社における株式のとくに重要な特性と、支配者が株式に対して持っている諸権限とを考えてもよかろう。(p.181)

 会社の発展によって、企業経営についての絶えず拡大して行く諸権限は、会社内の諸集団に委譲されるようになった。最初は、こうした諸権限は、主に、企業の技術的(利潤獲得)活動に関係していた。後には、証券所有者の間に利潤、及び利子を分配することに関する諸権限も委譲されるようになった。所有権と支配との分離によって、これらの諸権限は、会社の支配に携わる人々をして、所有権を有する人々の利益に反して、この諸権限を持ちうることをも許すような段階にまで発展した。支配と経営とに関する諸権限は法律によって創造されたものであるから、このことはある程度は利潤を支配者集団の掌中に分かつことを合法化するように現れて来た。しかしながら、財産の伝統的な論理に従えば、これらの諸権限が絶対的なものではないことは明らかである。こうした諸権限は、どちらかといえば、信託された諸権限である。支配者集団は、少なくとも形式的には、所有者の利益のために会社を支配し、また、経営している。会社法令や、会社の定款に、所有権者の利益に反して用いることの出来る権限をはっきりと与えることを挿入することもあり得るが、これらは、普通法の見地からは、支配者集団への権限への授与であって、その所有者の利益のために会社を運営することこそ至上のものとするからである。会社資産と、利潤とについての権限を、証券所有者から支配者にたずさわる人々に移動せしむる権限を含めて、絶対的権限の大なる増加は、こうした権限のすべては、全体としての会社の利益のために企てられたものであり、けっして、経営者、または、支配者を私的に富ますために企てられたものではないということの暗黙な(しかし決して人為的ではない)諒解があるという大胆な信頼へと投入したものである。(p.425-6)

 これらのすべての根底にあるものは、財産権に対する普通法の古代からの固執である。元来、普通法は、理想的な政府の企画を設定することを引き受けなかった。普通法は、人間自身を保護することを目的とした。ただ、財産の利害関係が、何らかの非常にはっきりとした公的政策と衝突する場合にのみ、法律的干渉を行ったのである。その元来の目的は、個々の人間の個人的特性−財産についての権利、行動および移動の自由、人々の間での個人的関係−を保護することであった。この点から言えば、株式会社は、単に、個人の財産が他の個人によって運営されるひとつの機構以外のなにものでもなかった。そして、会社の経営者は、代理人、受託者、船長、組合員、共同事業者、および、その他の委託受任者、などと並んだ地位を占めるものであった。会社経営者の力が増大するにつれて、また、個人の統制力がその背景に沈むにつれて、法律の方向は、証券所有者の諸権利の確保を強調するようになって来た。これが強調することのできなかったものは、会社経営者による事業運営についての調整であった。そして、この手抜かりは、論理的な理由の不足からではなく、むしろ、これに関与した諸問題を取扱う能力の不足から結果したのである。(pp.427-428)

 過去に於いては、ここでわれわれの関与しているる財産の唯一の形態たる実業企業の所有者は、少なくとも理論上は二つの性格を常時持っていた。第一には、利潤追求企業体に前もって集積された富の危険を冒すことであり、第二には、その企業の窮極的経営と責任とを負うことである。然しながら、所有権のこれら二つの特質は、今日の会社においては、も早、同一の個人、または、集団には付属していない。株主はその富に対する支配を放棄したのである。株主は資本の供給者となり、純粋にして、単純な危険負担者となった。一方、窮極的な責任と権威とは、取締役会、及び、『支配者』によってなされるのである。所有権についてのひとつの伝統的特質が株式所有者に付着され、他の特質が会社支配者に付着される。このようにしてわれわれは、も早、古い意味での財産を取り扱っているものではないことを承認しなければならないのだろうか。(p.429)

 『積極的財産』は一連の諸関係からなり、そのもとでは、個人、または、一部の個々人が企業についての諸権限を有するが、効果的に施行されるべき何ら責任もない。積極的、及び、消極的財産の諸関係が同一人、または、同一集団に属する場合、われわれは、それを過去の経済学者たちによって述べられた私有財産とする。この諸関係が異なった個々人に属する場合、生産手段についての私有財産は消滅する。株式については私有財産は存続する。というのは、株式所有者は株式を所有し、且つ、それを処分する権限を持っているからである。しかし、その株式は単に保護が不完全な一かたまりの権利と期待とを代表する象徴に過ぎない。譲渡しうるのはこの象徴の所有であり、生産手段への影響は、よしあるにしても、極めてわずかである。積極的財産の所有ー所有権からはなれて企業を支配する権限ーが、その所有者に属し、且つ、その所有者によって処分し得る私有財産としてみなされ得るかどうか、ということは将来の問題であり、これらについて予測することはできない。(p.439-440)

 …証券所有者は自分達が利害関係を持っている積極的財産に対する権限を行使することも、また、これに対する責任をもつこともやめたという事実があるにもかかわらず、会社の支配に携わる集団は、会社の運営に専ら証券所有者の利益のためになすべき受託者たる地位に置かれることになるであろう。このような道を歩んで行くとすれば、アメリカ産業の大きな部分は、専ら、非活動的、非責任的な証券所有者の利益のために受託者達によって運営されることになるであろう。(p.447)

 支配による掠取に対する一時的な防衛としての財産権の厳正な施行は、他の諸集団の利益のために、これらの諸権利の修正を妨げるものではない。社会義務の革新的な制度がつくり出された時、そして、これが一般的に承認された時には、今日の消極的財産権は、諸種の大きな利害関係のために道を譲らねばならないであろう。たとえば、会社の指導者達が、公正な資金、従業員の保全、その公衆への合理的な役務、及び、事業の安定化、などを包含した計画を樹立した時には、これらのすべてが消極的財産の所有者から利潤を一部分ふり向けることになり、また、社会が一般に、このような計画を論理的、人道的な産業問題の解決策として承認するならば、消極的財産の所有者の利害はこれに道を譲らねばならないのである。(p.450)

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◆藤瀬 浩司 1980 『資本主義世界の成立』 ミネルヴァ書房 ISBN4623013057

 1844年の「株式会社登記・調整法」はグラッドストン(W.E. Gladstone)を委員長とする議会委員会の報告にもとづいて制定された法律であり、「イギリス会社法史に一画期をしるした。」この法律は25名以上の社員と自由譲渡株式のを持つすべての合名企業に登記を要求し、登記完了のための種々の用件を設定しこれを満たす場合にはこの企業に「有限責任」limited liabilityを除く法人としてのすべての資格を与えることとした。画期的な、社員名とその保有数の報告、監査役によって検査された収支報告が義務づけられまた公開された。こうして、「有限責任」は認められなかったにせよ、準則主義によって、法人としての株式会社の成立が許容されることになったのである。(p.84)

 新時代の代表的経済学者J.S.ミルは株式会社の完全な自由を積極的に承認する立場をとっている。彼は『原理』では第一篇『生産』第九章「大規模生産と小規模生産」の第二節でまず株式会社の有力性と優越性を指摘した上で、大規模生産を促進するものとして株式会社をあげる。(p.85)

 他方でミルは『原理』第五編「政府の影響について」の第九章で株式会社、有限責任の自由の社会的秩序における妥当性を論じている。「生産技術の進歩は多種多様な産業的事業がますます大きい資本によって営まれることを要請している」から「数多くの小資本の集合による大資本の形成」を妨害してはならない。十分な大きな規模を持つ個人的資本は少数であるので、技術改良が大きな資本を要請する場合、事業が「少数の富裕な個人の手に独占される」弊害をもたらすであろう。ここでは小資本の結合による会社結成がむしろ独占を排除し自由競争を保障するものとして考えられる。(p.86)

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◆小山 賢一 1981 『アメリカ株式会社法形成史』 商事法務研究会 ISBN4-7857-0224-9


 第1章 アメリカの18世紀における株式会社法の発達
 第2章 アメリカの19世紀における南北戦争にいたるまでの株式会社法の発展
 第3章 南北戦争中の連邦株式会社立法
 第4章 株式会社に関する若干の古典的批判
 第5章 シャーマン法の制定

 この請願[北アメリカ銀行に法人格の付与を認めた法律と、銀行券の偽造を罰する法律とを廃止する請願]に審査委員会が設置された。これに対して銀行は公聴会を要求したが拒否され、委員会は北アメリカ銀行は公の安全と両立しないとして廃止を勧告した。その報告書は次のように述べている。「北アメリカ銀行は あらゆる点において公の安全と矛盾する。われわれの商業の現状においては、北アメリカ銀行はわが国の正貨の大部分を一層して正貨の欠乏を生ぜしめ、そして銀行の株主の掌中にわれわれの間に残存しているほとんどすべての金を集める直接の傾向を持っている。永久継続を要求する一団体の手中に巨大な富が集積することは、必然的に公共の安全を害することなしには、いかなる一群の人にも託されえない、かなりの影響力と権力を生み出すものである。北アメリカ銀行は法人としての資格において1,000万ドルの額の財産を保有することを授権され、そして政府になんらの利益を引き渡す義務なしに、またはまったく政府に服従する義務なしに、現在の特許状により永久に存続することになっている。貨幣がますます欠乏するのに反比例して日々に増加し、そしてすでにヨーロッパの銀行の利益をはるかに超えている北アメリカ銀行の大きな利益は、外国人をしてきたアメリカ銀行に投資せしめ、そしてかくしてわれわれから巨額の利益を引き出さしめている。外国人はますます北アメリカ銀行の株主になるように誘導され、そしてこの権力の巨大な発動機が外国の勢力に従属するようになるときが到来しよう。わが国はヨーロッパの諸宮廷の政策によって先導され、そしてアメリカの善良な人民は再びヨーロッパの権力に従属し、隷属する状態に引き戻されよう。いくらよく見ても、株式がアメリカ人の手に限定されているとしても、共和国を支配すべき平等にとってまったく破壊的である。われわれはわれわれの自由な政府の中に北アメリカ銀行が作り出されずにおかない影響力を相殺できる何者も持っていない。そしてわずかの年月の間に北アメリカ銀行の取締役がペンシルヴェニア議会の法令の中にその影響が直接に干渉しているのを感じた。すでに議会、人民の代表は、われわれの紙幣の信用が北アメリカ銀行によって台無しにされるという恐怖に襲われた。そしてこの成長する害悪が続くならば、われわれは北アメリカ銀行が立法府に、いかなる法律を問うすべきか、いかなるものを禁止すべきか指図する時がそう遠くないことを恐れる」。(pp.12-3)

 そこで[ニューヨーク銀行の株式の]一部の引受人は法人格がなければ有限責任を享受できないと次のように述べて払い込みを拒否した。「私は引受人である。そして心から、シティの商人だけではなく政府の信頼を持つ銀行が設立されることを期待している。しかし法人格認可状を取得するのでなければ、私は引き受け金額を支払う義務があると考えることはできない。銀行の規則が公開され全員一致で承認された時に、どの引受人もその資本以上に責任を負わないと定められた。それは法人格授与を前提としている。なぜならば法人格の取得がなければその効力は生じない。引き受け金額を現在払い込んだら、株主はすべての目的と意図において銀行家となり、そして各人は−その引き受け金額がいかに小であっても−銀行のすべての約束に、各人の全財産を持って責任を負わなければならない」。(pp.22-3)

 1789年7月の請願書は請願理由をおおよそ次のように述べて、銀行の公共性を強調している。”請願者らは1784年にこの市に設立された銀行の株主となった。銀行はそれ以来、住民の利益と州全般の商業の発展のために営業を続けてきた。請願人らは銀行の有益性を明示し、国家の保護に値することを証明したと心ひそかに自負している。しかし会社は私的会社であって各社員は会社の契約に個人責任を負うと考えられており、それは多くの人が引き受けを阻んでいる。そのため銀行の資本の増加は阻害され、それに比例して営業は極言されている。銀区尾の目的の重要なひとつは、特別の緊急の場合に政府を援助することにあるが、以上のような事情から本銀行の現状ではその目的に応えることができない”。(p.24)

 北アメリカ銀行においては株主の有限責任については特別の規定がおかれず、マサチューセッツ銀行も同じであったが、特許法人であったので有限責任は当然のことと考えられたものと見られる。ニューヨーク銀行においては最初の時事検証において、株主は銀行に預託された金銭について、個人に対しても公の機関に対しても、その所有する資本の額を超える責任は負わないと規定した。しかし特許を得られず、法人格を与えられなかったのでその効力はないと一般に解されていた。第一銀行においてハミルトンは明確にイングランド銀行の株主の責任を変更した。イングランド銀行においては株主は有限責任が原則であるが、負債が資本を超過したときは株主は債権者に対して比例して責任を負うと定められていた。(pp.110-111.)

 同州[マサチューセッツ州]が銀行、保険会社に対する有限責任政策と対照的に、製造会社にたいし無限責任政策を採用した理由としては、次の諸点があげられる。(イ)製造業は銀行、保険などとことなり、無限責任の個人、団体によっておおく営業されており、それと競争関係にたつ有限責任の製造会社の特許は好ましくない。(ロ)銀行、保険業は最初の資本の払い込みを確実にし、貸付金、保険金を制限sるうことによって、比較的安全に営業をなしうる。これにたいし製造業は、予測しがたい市況に左右され危険な営業である。(ハ)製造会社の株主は、銀行、保険会社の株主よりも、共同営業者、能動的投資家の性格を持っている。(p.184)

 同州[マサチューセッツ州]でつとに有限責任導入を説いたのはレヴィ・リンカン知事であるが、1829年の不況は企業家、産業資本家をまきこみ、無限責任のために資本は有限責任の州へ移動してしまうと、強く議会に有限責任立法を要求した。リンカン知事も、無限責任は資本を移動させる以上に、マサチューセッツの綿工場の株式を市場においても担保としても無価値とし、多くの家庭の家計を破滅させていると訴えた。議会はそれに応じて、1830年、有限責任の包括的な製造会社法を制定した。1829年銀行法の影響を受けているが、大きな相違点は、公開が有限責任と結び付けられた点である。それは後にのべる1818年のコネチカット法、1823年のメーン法事続くものである。(p.185)

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◆Lowenstein, Roger. (2004). ORIGINS OF THE CRASH: The Great Bubble and Its Undoing. Penguin Pr
= 2005 鬼澤 忍 訳 『なぜ資本主義は暴走するのか「株主価値」の恐るべき罠』 日本経済新聞社 ISBN4-532-35163-4


第1章 「株主価値」の誕生
第2章 すべては株価のために
第3章 貧欲さこそ資本主義だ!
第4章 数字合わせのゲーム
第5章 SECの挫折
第6章 ニューエコノミーへの熱狂
第7章 時代の寵児、エンロンの策謀
第8章 破産者達の群れ
第9章 苦難の年
エピローグ

 業界用語に新しい言葉がひっそりと加わった。「株主価値」である。この言葉はどう考えても余計だった。いうまでもなく、会社の価値は総て株主価値である。CEOが支持を集めるべき相手は他にいないのだから。ところがCEOが会社を軌道に乗せるために何かをすると、それは株主という御旗で覆われることがますます増えていった。(pp.16-7)

 ステークホルダー運動は、本質的にアメリカの土壌に日本のモデルを移植しようとする試みだった。そこで強調されたのは、企業がさまざまな関係を持続することである。一方市場システムにおいては、そのときの都合で従業員は解雇され、下請け業者は変更され、事業部門はまるごと売却される。ステークホルダーのニーズを取り込めば、コーポレート・ガバナンスにまつわる長年のジレンマは解決するといわれていた。アメリカ企業と社会の利害関係が一致するからである。少なくとも、自由企業の姿勢は穏やかになり、ダーウィン的な過酷さは影を潜めるはずである。しかし、この運動はなかなか実を結ばなかった。ステークホルダーという概念はあいまいだし、法的根拠も欠けていたからである。だが、それだけではない。深い意味で、こうした発想がアメリカ的ではなかったからなのだ。改革者の理想がどんなものであれ、個人主義はアメリカの精神のど真ん中に根を張っていた。(p.19)


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◆大島 国雄 1976 『企業形態論 −動態的比較的展開』 同文館
第1編 総説
 第1章 経営学と企業形態論
 第2章 企業形態論の研究方法
 第3章 企業形態の概念と分類
第2編 資本主義私企業
 第4章 私企業概説
 第5章 私的企業
 第6章 株式会社企業
 第7章 独占企業
 第8章 多国籍企業
 第9章 私企業の変質理論
 第10章 現代史企業の経営理念 −日本の実態
第3編 資本主義公企業・協同組合企業
 第11章 公企業概説
 第12章 公企業革命論
 第13章 協同組合企業
第4編 社会主義企業
 第14章 社会主義企業概説
 第15章 社会主義国有企業 −電気工場の実態
 第16章 社会主義協同組合企業 −集団農場の実態

第5編 比較企業論
 第17章 資本主義私企業と社会主義企業 −経営理念の比較
 第18章 資本主義公企業と社会主義企業 −経営原則の比較

 したがって企業の目的を解明するためには、まず企業の経営生産関係とりわけ所有関係から出発する必要がある。しかも事物を相互依存・相互被制約の関係で見る弁証法にあっては、当該社会の基本的経済法則をも考慮すべきである。そのような観点からすれば、資本主義私企業は私的・資本主義的所有を基礎とし、資本主義的・私的目的を中心理念とするところにその特徴がある、ということができる。そしてこの資本主義的・私的目的の内容を規定するものが、資本主義の基本的経済法則である。ところで資本主義の基本的経済法則の特徴は、剰余価値の法則であり、「剰余価値の生産すなわち金もうけ(貨殖)が資本主義的生産方法の絶対法則である」したがって資本主義私企業の目的である資本主義的・私的目的は、実質的には営利目的として規定されうるし、されねばならないこととなる。その意味で資本主義私企業は、営利的商品生産の組織体ということができる。(p.31-32)

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◆鈴木 芳徳 1983 『株式会社の経済学説』 新評社


第一章 アダム・スミスの株式会社論
 第一節 スミス株式会社論の意義
 第二節 スミス株式会社論の内容
第二章 ジョン・ステュアート・ミルの株式会社論
 第一節 ミル株式会社論の得失
 第二節 ミルのアソシエーション論 −ミル株式会社論の背景
第三章 わが国における株式会社論の展開
 第一節 戦前期における研究
 第二節 戦後期における研究

資料 株式会社論邦語文献目録

 スミスは、「主権者または国家が行うべき義務」として、「有用ではあるが個人的には利潤をもたらさぬ公共土木事業および公共施設の建設と維持」をあげている。古い時代には、道路や運河といった施設は、とうてい個人では建設することができず、君主や国家が行うべき事業とされたのであった。ところが資本蓄積が進展するにつれ、そういう国家財政の役割を民間経済が肩代わりするようになる。公的領域(パブリック・セクター)から私的領域(プライベート・セクター)への組み換えが行われるさい、私的個人では到底営み得ない事業種類について株式会社形態をとることによって、これが可能とされる、というのである。つまり、国家財政の任務の、私的領域における肩代わりのさいのひとつの方策として、株式会社の意義を認めているのである。(…)
 スミスのこの指摘は、いくつかの点で興味ある問題を含んでる。みられるとおり、スミスは、株式会社を、資本の集積・集中から導き出しているのではない。そうではなくて、従来は政府企業だったところの事業が、プライベート・セクターに組み替えられる必要というところから株式会社を導き出している。一般の企業の資本蓄積を促進するための条件として公共的な事業が捉えられ、その公共的な事業を整備するための一方策として、株式会社は有用だというのである。したがって、たとえば製造業のような、生産中枢の株式会社化というのではなく、その生産中枢をとりかこむ社会間接資本(Social Overhead Capital)についてのみ、株式会社化の必要を認めているにすぎない。(p.13)

 規制会社の活動は、14〜16世紀を中心とする。それはギルドの後裔と考えられ、ギルドより強力な組織を持つ、外国貿易に関する全国的組織であった。規制会社は、その名の通り、カンパニーが関係した貿易を規制(regulate)するためのものにすぎず、会社が自ら貿易を行ったわけではなかった。カンパニーを構成する個人の商人が、カンパニーの規律に服しながら、かつ共通の特権の保護の下に、自己の資本をもって自己の計算で取引したのである。規制会社にも構成員の加入金や特別徴収金からなる共同使用のための団体財産があったけれども、すべての成員の出資からなる一つの資本を持っていたわけではなく、また、団体として事業を営みその利益を成員に分配するのでもなかった。しかもこのカンパニーの本質は、成員のみが利益を享受しうる独占体であることにあったので、その独占の範囲内で貿易するものは、まずカンパニーの成員となる必要があった。こういう規制会社は、国家にとって利益であった。外国貿易の振興という目的から、商人の団体に特権を与えたのであるが、そのことが関税の成立や監督を容易にした。しかし、逆にこの制度は貿易の拡大を阻止し、競争を抑止する傾向をもあわせもったのである。(p.27)

 まず「規制会社」。それは、「適当な資格をもつ者ならだれでも、つまり一定の料金を支払い、その規約に従うことを同意する者ならだれでも、その入社を認めざるをえず、しかもその各成員が自分の資本と自分の危険負担とにおいて営業するばあい」(4、77P)のものであって、「もろもろの職業の同業組合」(corporations of traders)に似ており、それと同種の部類に属する拡大された独占体である」。だから「国家のどのような臣民も、まず最初に規制会社の成員にならないかぎり、この会社が設立されている部門の外国貿易を合法的に営むことができない。」「この独占体がどの程度厳格なものかということは、入社条件の難易に比例するし、また、この会社の取締役たちがどれだけの権威をもつか、いいかえれば、かれらがこの貿易の大半を自分たちやその特定の友人だけにかぎるようなやりかたで運営する実力をどの程度にもっているかに比例する。」すなわち「あらゆる規制会社には、法律が抑制しないかぎり、例によって例のごとき同業組合精神がはびこっている」のであって、「これらの会社がその自然の特性のままに活動することをゆるされていたときには、競争をできるだけ少数の人々に限定してしまうために、貿易を数多くの煩雑な規制のもとにおこうと常に努力した。法律がこれらの会社を抑制してそうさせないようにしたとき、これらの会社はまったく無用で無意味なものになってしまったのである」として、「無用で無意味な」(useless and insignificant)ものとなった理由が述べられている。(p.31)

 スミスに立ちかえってみるならスミスの株式会社論は、資本の集中・集積といった論理の延長上に出てきているものではない。国家財政の任務の私的領域による肩代わりの一方策として取り出されている。国家の営む公共的事業は、時の経過とともに国家の手を離れ、資本自体によって営まれる事業領域の中に組み込まれてゆくのであるが、そのばあい個人企業の形態をもってしては営むことのできぬ企業種類については株式会社形態の採用によって可能となりうることをスミスは看取しているのである。(p.46)

 スミスの株式会社論の結論は二段がまえになっている。外国貿易の事業が、株式会社にふさわしくないことはすでに述べられていた。では、株式会社の形態をとりうる事業はどのようなものがあるか。第一に、株式会社は、経済人ではなく単なる組織体にすぎない。またその株主も、代理人たる取締役も、信におくに足りない。したがって利己心の発動を期待することはできぬ。<経済人の魂>を各株式会社に委ねられうる事業としては、具体的な活動のルールが単純なものというのが必須条件になる。つまり、「株式会社が排除的特権なしでも成功的に営むことができそうに思われる事業は、そのあらゆる活動を日課(routine)に還元してしまえる事業、つまり、そういう活動を殆どまったく変更する余地のないほうにはまった方法(such a uniformity of method as admits of little or no variation)に還元してしまえる事業である。」つまり「厳格な規則や方法(strict rule and method)に還元しうる」ものでなければならぬ。「この種のものとしては、第一に銀行業、第二に火災・海難および戦後捕獲に対する保険業、第三に航行可能な掘割または運河を開設したり維持したりする事業、そして第四に、大都市への給水というこれと類似の事業がある」。(p.52)

 スミスの場合には、株式会社から独占という要素を拭い去ることに大きな力が割かれていた。また、国家の営む公共事業が、国家の手を離れ、株式企業として、私的民間資本の手に委ねられうることが語られた。つまり、独占的株式会社からの独占的性格の排除、公的領域から私的領域へのくみかえが、問題とされた。ところが今世紀にいたって、資本主義経済の発展は、この時期の歴史的過程をいわば折り返すがごとく、反転的にすすんだ。独占を排除するどころではなく、株式会社が巨大独占の担い手となった。公的領域から私的領域への組み換えではなく、私的領域から公的領域への組み換えがすすみ、巨大企業の国有化、公企業化が問題となった。いわゆる二重経済、混合経済、つまり国家独占資本主義と呼ばれるもののことである。歴史のかかる反転的発展の様相との関連においても、スミス株式会社論は検討されるべき価値を有するものと考えられる。(p.59)

 ふりかえってみれば、スミスの株式会社論は、限定の枠を堅く定めた、限定的条件的株式会社論であった。それゆえに、スミスの諸説は、「特権主義」の手中とされた。これにたいしてミルは、株式会社についてスミスの付した限定枠を、すべてとりはらうものとして登場する。肯定的で楽観的、積極的で一般的な株式会社是認論である。ミルは、さきに記したような、時代の二重の実現に応えねばならなかった。その現実の二重の要請を、それとしてどこまで自覚的に認識していたかはともかく、ミルは、一方では「準則主義」の旗手として、株式会社設立の自由を説きつつ、他方では、将来社会への期待を込めて、アソシエーション形成の自由を説いた。あるべき「社会」形態の模索の中から、「会社」形態(広義の)の導入をとなえ、「会社」形態(広義の)の中に、将来あるべき「社会」を探し求めたのである。(p.67)

 ミルが株式会社に期待するところは、窮極のところ、労働階級の状態の改善にある。そのための手立てとして、株式会社制度の整備が望まれた。株式会社法は万人ためのもの、これを積極的に利用しつつ協同組織もまた発達できる、と考えたのであった。けれえども、其のミルにしても、他方において「共同の原理」の増進についての危惧がないわけではなかった。第四篇第七章の六「労働所階級の将来の見通し」において、「人類の将来については、まことに前途洋々」と述べるミルが、同時に、「協同組合の理事者たちの積極性と警戒心とが低調になる」場合があることを懸念し、個人企業は「もしもかれが才能のある人間であるならば、ほとんどいかなる共同組織よりもはるかによく、合理的な危険をおかし、費用のかかる改良をはじめて実施するもの」と高く評価し、当面における両者並存の必要を説くのである。ここでも、協同組合への期待と、これにまつわる一抹の危惧が共存し、並行して語られていることは注意されてよい。(pp.105-106)

 ミルの株式会社論についていうと、経済理論としての株式会社論としては、見るべきものは殆どない。資本蓄積・資本集中の帰結としての株式会社論は存在しない。そのために、株式会社制度の将来についてのミルの思考は、かなりの幅をもってゆれており、確たる映像を結ぶに至っていない。ミルのばあい、存在するものは、市民社会的な制度的機構に過ぎない。株式会社は、いってみれば、中立的中性的な、万人によって利用されるべき外在的「組織」としての扱いを受ける。そのうえで、ミルは、この「組織」を、アソシエーション形成のために利用しようと考えた。(p.139)

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◆小島 昌太郎 1958 『比較株式会社形態論』 有斐閣

第T部 株式会社形態の成立

 第1章 原始的な企業構造
 第2章 先駆的な企業構造
 第3章 法人企業の成立
 第4章 株式会社制度の受難
 第5章 株式会社制度の錬成
 第6章 株式会社制度の確立
 第7章 非営利の企業形態の発展
 第8章 公企業形態の発展

第U部 株式会社の諸形態
 第1章 特徴
 第2章 性格
 第3章 設立
 第4章 資本
 第5章 株主
 第6章 機関
 第7章 株式
 第8章 株券
 第9章 配当
 第10章 社債
 第11章 財務
 第12章 合併
 第13章 整理
 第14章 更生
 第15章 解散

 ギリシアに就いて知られているところでは、所有資本の全部を提供するものと、業務の執行にあたるものとが共同して事業を行い、その利益は、双方の合意によって、分配するところの、組合(hetaireia)が多く行われたことである。そのなかで、租税徴収組合というものは、租税および消費賦課金を徴収するの請け負い事業を営むもので、都市国家が、かような組合の組合員の一人と契約をなすのであって、業務は、もっぱら、このものの責任において行い、他の組合員は、国家に対して、なんらの責任を負わず、ただ、おのおの、所用資金の一部を提供するのである。この出資組合の権利および持分は、譲渡しうるものであったか、いなかは、分かっておらず、また、請負者に対する出資者の責任は、有限であるとの説があるけれども、その点も明確ではない。(p.14)

 ローマにおいては、societas(組合)が、いろいろな目的のために、広く行われた。このsocietasは営利を目的とするものであっても、非営利の事業を目的とするものであってもよい。Societasは、もとより、法人ではない。Socii(組合員(複数))は、組合の内部関係を任意で定めることができるのであるが、特別の定めをしないときは、おのおの、資本も労務も、均等に提供しなければならず、利益も損失も均等に配分しなければならない。また、特別の委任がなければ、socius(組合員(単数))は、相互に代理権があるものとは認められない。したがって、1人のsociusが第三者とした取引については、あらかじめ、認められているか、または、あとに追認せられるのでなければ、それについて彼みずからが責任を負うのである。societasの財産は、各sociusの共有に属するが、彼らは、societasの債務に就いては、連帯の責任を負うものではない。ただ銀行業を目的とするsocietasにあって、相手方との明示の約束がある場合は、または、数人のsociiによって行われた不法行為に就いて法律上責任を負う場合は、例外として、これに関与したものは連帯である。Sociusは、なんどきでも、sociusの権利を遺棄できる。これは、societasの存続期間が定められておっても、差し支えはない。一人がこれを遺棄すれば、societasは解散となる。遺棄の権利を否認する契約があっても、それは無効である。しかし、遺棄がsocietasに損害をおよぼすときは、その賠償の責任がある。(p.15)

 Reedereiは、常に、船舶共有と結びついたものであったが、commendaは、必ずしも、これと結びついたものではなくなり、資本家が海外貿易を営まんとするのに、商品もしくは金銭をもって、出資をなし、貿易に従事するものが、もっぱら、その業務の執行にあたり、その利益は、航海の終了とともに、計算して、当事者の定めた割合において分配するしくみのものとなった。commendare=cum-mandareという言葉は、古代において、委託という意味で商業用語として、用いられており、中世イタリア語では、この出資の委託をcommendacioというとのことである。Commendaは、多くこの資本家と事業家との結合のものとなった。(p.18)

 イギリスの国民経済は、13世紀半ばごろまで、かような事情に支配せられておったから、新たな商業や工業は、むしろ、外国よりの来住者によって営まれた。ロンドンにおいて、貴金属商(両害をも営む)や貿易港や工業は、外国人の支配するところとなっていた。当時外国貿易は、フランス人やイタリア人の活躍により、次第に隆盛に向かいつつあったのであるが、guildの組織をもってしては、自国の貿易港を、自らの手に奪回することは不可能であった。それゆえに、多数の貿易業者の事業を統制して、これを一大勢力たらしめるために、guildの組織を、海外貿易に応用して、最初は、羊毛輸出について、あとには、毛織物の輸出に就いて、特許を受けて、当業者を統制するところのregulated company(統制会社)が設立せられた。そのうち有名なものは、羊毛輸出に就いてのThe Compnay of the Stapleと、毛織物輸出に就いてのThe Company of Merchant Adventuresとである。イギリスにおける法人たる会社は、かくのごとくにして、はじめて生まれたのである。(p.27)

 この会社が、いわゆるThe East Indea Compnayであって、その資本金30,000パウンヅ、設立時の出資者218名で、その組織は永久であり、その構成員は不変のものとせられた。しかし、当初は、出資は各出資者ごとの計算において1航海に対してのみのものであり、航海が終われば、利益の分配が行われ、計算を終了し、さらに、次の航海に新しい出資が需められる建前であった。出資者は貿易業者に限られた。会社の常置的経営首脳者は、1人のgovernor(総裁)と、24人よりなるCommittee(委員)である。(p.33)

 しかるに、19世紀に入って、経済界が活況を呈するの情勢をもたらすにおよび、多くの会社が、特許を受けることなく、いわゆるunicorporated company(法的人格のない会社)として設立せられた。ことに、産業革命により、鉄道・海運・工業等において、巨額の資本を要する機械および動力機関の採用が促されるようになってからは、とうてい、個人企業や組合企業は、この時世の要求に応ずることができなくなった。(p.45)

 当時の[アメリカの]設立特許制度について、各州を通じてイギリスと異なる特徴は、多くは、期限付きのもので、普通は10年であったことと、また、設立特許は、州と会社とのcompact(契約)であったという考えがあったことである。この、設立特許は州と会社との契約とみなされ、相互の同意なくしては、これを変更しまたは廃棄することはできないものであるという考えは、後に、最高裁によって憲法の保障するところであるとして、確認せられ、その後も守られていることころである。そして、当時においては、また、法人は法人を作ることができない、という考え方も行われていたから、ひとつの会社は、他の会社を設立することができないともなされていた。(p.62)

 いま、その史的発展のあとをかえりみるに、株式会社におけるもっとも主要な基本的な構造は、三つであるが、それらは、いずれも、遠く、中世の企業形態のなかに、区々発生しておったもので、それらが、資本主義の発達とともに、巧に組み合わされて、株式会社を構成するにいたったのである。その基本的なみっつの構造というのは、@永久資本の上に永続的な存在をもつこと、Aこの永久資本を構成するために醵出する構成員の出資は、持分として会社資本の外にあって、自由に譲渡しうること、Bおよび、構成員の会社に対する責任は、有限であって、その引き受けた出資の額を限度とするものであるということである。しかるにこの永久資本の萌芽は家族相続によるcompagniaの基礎たる相続財産において、これを見ることができ、持分の自由譲渡はreedereiにあるところであり、有限責任の制度はcommendaに存したものである。株式会社は、古くより存在したこれらのものの統合的発展の上に構成されたものである。(p.86)

 すでに、株式会社の成立の歴史においてみたように、2人以上のものによって構成せられる企業の最初の形態は、経営者(貿易に従事するもの)と資本家との結合であるcommendaであった。このcommendaというものは、貿易に従事するもののみの資本をもってしては、事業を行うに足らなかったから、さらに資本的協力を求める必要から、この構造ができたものであるは、疑いのないところであるけれども、さらに、当時の異国貿易は成功のばあいに、すこぶる利益多きものであるとともに、航海および治安の点において危険も多く、これを分担する必要からも、その成立がうながされたものである。
 この経営と資本との分離した原始的企業の構造のかたわらにおいて、2人以上のものが、その経営にも資本にも相協力する関係をもつ構造のcompagniaたるものも、協同相続によって生じたのである。このcompagniaにあっては、後のドイツの法概念において危険も多く、これを担当する必要からも、その成立が促されたものである。このcompagniaにあっては、後のドイツの法概念においてGesamthand(含有)として意識されたものが、それの基礎となっているのであった。含有ということは、共有(Mitbesitz,Miteigentum)と異り、分割することなき関係において、複数人が財産を共有することであって、この財産所有につき、組合として在範囲において、権利義務を持ちうるのである。これらふたつの原始的企業の構造は、広い意味における組合であって、構成員の全員か、または、そのうちだれかが、第三者に対しては、後の法概念における無限責任を、負うものであった。そして、法概念の発達とともに、compagniaは、合名会社となり、commendaは、合資会社となった。これらは、組合として、ひとつの名称を持って、取引することができるのであるけれども、前者にあっては、組合員の全員が、後者にあっては、業務の執行にあたるものが、相互に他の代理人たる関係にあり、かつ、連帯して無限の責任を負うものである。(pp.101-102)

 単なる組合は、資本を集め、危険を分散するの作用がある点において、個人企業に勝るところがあるけれども、取引関係において、第三者の立場よりいえば、権利義務の帰属について不明確なる欠点がある。組合みずからが、組合員を離れて、権利義務の主体たることが確立すれば、かかる欠点は除かれ、取引関係が明快となり、企業としての活動も容易となる。Compagniaやcommendaから発達した企業構造に、含有関係において、または、これを法人として、権利義務の独立の主体たることを認めたのは、この理由によるのである。(p.102)

 イギリス法においては、このような、associationとしては、partnership(組合)と、このcompanyとがある。両者の区別は、前者は、相互信頼の関係ある比較的少数の特定人の集団であって、各々が他の構成員のagent(代理人)であるという法律関係の上になりたつものであり、後者は、多数の、入れ替わりをする不特定の構成員よりなるところの、甚だ複雑な組織を持つ集団であって、これにcorporate personality(社団的性格)を与え、legal person(法人)と認め、構成員とは離れて、associationそのものに、権利義務の主体たる資格を与えることが至当であるとせられるものである。(p.109)

 法人という法観念の成立は、複式簿記の発明と、あいまって、さきに述べたように、団体そのものの会計と、それの構成員の会計とを明確に区別して取扱うことを可能ならしめ、構成員の有限責任と、その持分の自由譲渡という株式会社の基本性格を確定したものである。そして、それは、大体15世紀の半ごろのことであったから、株式会社という法的人格を持ったものができたもの、およそそのころのことである。かのguildのごときは、すでに、11世紀の初め、イギリスにおいて、ノルマンの征服ありたる後、法的人格が与えられたということであるが、当時は、いまだ、複式簿記の方法を知っていなかったから、法的人格を持つ会社組織の企業は、存在しなかった。

 イギリスのcompany limited aby sharesは、違法の事業でなく、また、公の政策に反しない事業であるならば、いかなる事業をも目的とすることができる。ゆえに、それは、経済事業や営利を目的とする事業に限らない。宗教的・芸術的・文化的・慈善的・福利厚生的・医療的事業を非営利の目的をもって行うのも、company limited by sharesとして設立することができる。(…)アメリカのstock corporationが法人としてもつ権能(corporate authority)は、charter(特許)または、その設立の準拠法たる特別法または一般法、ならびに、そのcorporationに適用のある他の法規、および、そのcorporationのcertificate fo imporation(基本定款)によって、定まるところである。(…)Stock corporationは、営利的経済事業を営むことを目的とするものにかぎられる。非営利事業を営むことを目的とするものは、さきに述べたnon-stock corporationである。フランスのsocieété anonymeは、いかなることを目的とするにしても、socieété commerciale(商業会社)であり(L. 1867, art. 68)、それが営利を追求する(rechercher des bénéfices)ものである点において、association(民法上の組合)と異るのである。(…)ドイツのAG.は、Vollkaufmann(完全な商人)であるとともに、この形態をとる法人は、それだけで、Formkaufmann(形式上の商人)である。この点、我が株式会社と同じである。しかしながら、AG.は、必ずしも、営業を目的とするものに限るのではなく、純粋の精神的目的のものであってもよい。また非営利を目的とするものであってもよい。たとえば、民衆劇場、民衆食堂、民衆浴場の如きも、その目的とすることができる。このようなAG.はAG. mit idealen Zweck(精神的目的をもつ株式会社)といわれる。この点は、我が株式会社と異なるところである。(pp.140-141)

 株式会社の資本が、永久資本の性格をおびるようになったということは、発展的にいえば、さきに述べたように、むしろ、逆に、永久資本なるものが成立し、存在しうることになったことにより、株式会社というものに、永久の存続性を与えるにいたったというべきである。株式会社は、法律上よりいえば、それが永続性をもつのは、法人であるからであり、また、存続期間が定款をもって定められていても、その到来に際して、これを延長せしめうるものは、定款の変更という法定の手続きである。ゆえに、株式会社の永続性は、資本にある。資本が、永久資本の実質をそなえるにいたって、株式会社なるものが、実質的な永続性をもちうるにいたったのである。(pp.216-7)

 これら[フランス東西インド会社]は、いずれも海外貿易における国策会社であり、国家任命の総裁によって経営せられたのであった。これらの会社は、いわば準国営会社であり、私的企業たる株式会社ではない。しかしその構造は、ほとんど、これに近いものであったから、これは近代的株式会社の先駆形態と盛ることができる。これより以前の、初期の株式会社は、でき上がっていなかった。それらは、多くは、当時の海外貿易に従事したもので、暫定的存在のものであった。すなわち、当時のヨーロッパにおいては、東洋は宝の山のごとく考えられ、東洋貿易は、到富の捷径であると思われていたから、これに興味を持つ多数のものは、おのおの資金を醵出して、貿易資金を作り、これをもって、東洋貿易を試みたのである。そして、その組織は1航海をもって解散し、損金を分配したのであるから、まったく暫定的な企業形態であり、その資本も暫定的な結合に他ならなかった。当時、かかる企業はh、merchant adventureといわれた。(p.219)

 今日の法律において、株式会社の公開性について、直接の規定を設けるものは、ドイツ株式法が《取締役は、自己の責任において、事業およびその従業員の福祉、ならび、国民および国家の共同の利益の要求するところにしたがい、会社を発揮しなければならない》というものくらいである。しかしながら、諸国の法律が、株主および会社債権者の個々の権利を、いくらか抑圧しても、会社の存続を保たしめるために、会社の整理について、特別の規定を設け、また、わが国のように、とくに、会社更生を制定するもののあるのは、それが、単に、会社の私的立場を保護するものではなく、むしろ、その公共性を反映したものとみるべきであろう。
 また、かつては、みずから大部分の株式を有するものが、経営責任者となり、その財産的利害関係をもって、彼らと会社との利害を一致せしめるという私的性格が強いものであった。しかし、今日、株式会社が、いくぶん公的性格を帯びるものとなり、社長・会長・取締役その他役員等が会社においてもつところの地位は、単にその会社の内部における地位たるにとどまらず、それは、また、社会におけるそれぞれの社会的な地位ともなっている。この社会的地位をもって、会社の経営に当たることは、私利を顧るのいとまなからしめるばかりでなく、会社そのものの利益とともに、あわせて社会公共の利益をも、考慮せざるを、えざらしめることになってきたのである。
 株式会社の資本は、かように、永久資本となるとともに、その本来の出資者たる個々人の所有者の支配を離れ、それの運用は、少数の経営責任者によって公共の利益を考慮して行われることとなり、それの保全は、彼等の社会的地位にかかって護られるものとなった。永久資本は、かくて、次第に、公共性を帯びて、社会的資本とならんとしつつある。(pp.224-225)

 初期の株式会社は、多くは、今日のように、永続性をもつ資本を基礎として計画されたものではなく、むしろ、ひとつの航海を目的として資本を集める立て前[ママ]であったから、1航海の貿易の終了とともに、清算をして、利益の分配を行うしくみのものであった。そしてその計算は、数年の後に終了することもあった。たとえば、かのEast Indea Companyの前に存在した多くの貿易会社は、みなそうであった。East India Companyのごときも、1600に設立せられたのであるが、その最初の配当は、1661にいたって行ったのである。(p.292)

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◆富山 康吉 1969 『現代資本主義と法の理論』 法律文化社


T 所有の矛盾の展開と私法
 第一章 商品所有権と資本所有権−現代所有権法の理論のために
 第二章 信用制度の法的側面
 第三章 証券経済と法学
U 株式会社と法
 第四章 アメリカ会社法における既得権理論の変遷
 第五章 株式と資本所有の論理的構造 −株式債権論の検討と批判
 第六章 所有と経営の論理的矛盾とその発展 −私的所有の発展形態としての株式会社とその法理
 第七章 株式会社における「社会化」の意味
V 戦後の企業と法
 第八章 戦後会社法の変貌の社会的背景
 第九章 経済体制の展開と商法
 第十章 許認可行政と競争経済
W 現代経済法の国民的課題
 第十一章 現代の法と経済
 第十二章 経済法の課題
 第十三章 現代資本主義と独禁法の課題
 第十四章 独占禁止法の再確認
 第十五章 経済体制と法の課題
 後章 資本主義経済と法

 アメリカ会社法において、株主の地位の確保ないし株主の利益の確保につき、中心的な役割を果たしてきた理論として、vested right(既得権)理論がある。それは、株主が会社の基礎的組織の維持について有する利益や、議決権・利益配当請求権などの株主の基本的権利を既得権として想定し、これらの既得権とされる権利は株主の意に反して奪いえないのであって、原始定款にあらかじめその旨を定めおいておかない限り多数決によって変更することは許されず、かつ多数決による変更を許容する州法は違憲であるという理論である。ドイツ会社法における固有権理論に相当するが、それよりもさらに強力なものである。この理論は19世紀の前半期に形成され、その後開始されたいわゆる株式会社の構造変革の中にあってよりその意義が強調されつつ、近年までその生命を保ち続けた。だが、やがてはその適用範囲が縮減され、ついには、既得権理論そのものの衰退とこれに代わる新しい理論の登場をみるに至ったのである。(p.55)

 かくして「会社の基本定款は、州と会社、および会社と株主(または株主相互間)の契約の基礎であり、州と会社との契約によって会社に法人格が与えられ、会社と株主(または株主相互間)の契約によって株主の権利が発生する。」という、いわゆるコンモン・ロウ上の契約的理論が、信託的理論に代わって、株式会社の中心的法理として確立されたのである。ところで、これらの判例は、契約的理論を形成するとともに、いわゆる株主の既得権理論の形成の基礎をもつくりあげたものであった。アメリカの連邦憲法には、「州は契約上の義務を侵害するような法を制定してはならない」と規定しており、契約から発生した個人の権利は法によって侵害されえない既得権だとされている。前述のTrustees of Dartmouth College caseは、charterが州と会社との契約であることを宣言すると共に、この連邦憲法の規定を援用して、州によるcharterの一方的な廃棄ないし変更はできないという原理を確立した。また、多数当事者間の契約については、契約の条項の変更はすべての契約当事者の同意なくしてなしえないというのが英法上の伝統的な法理である。右の法理との関連から、すべての株主の同意なくしてcharterの変更その他企業の規模ないし組織の重要な変更はなしえない旨を宣言したものであった。更にその後、アメリカ判例法は、Livingston caseの原理をより発展せしめ、「株主の権利は会社と株主との契約から発生するが、その契約の本質は出資を対価として利益配当および残余財産分配に参加する権利が与えられる契約であり、株式とはこうした契約から発生する財産権である。そして議決権も、株式なる財産権を保証するための不可欠な手段として株主権に固有の要素であり、それ自身株主と会社との契約から発生した財産権である」という法理を形成するとともに、かかる利益配分請求権や議決権などは、さきに述べた株主が企業の組織の維持について有する権利と同様に、株主の合意なくして奪いえない権利だとしたのである。かくして、以上の諸原理の綜合のうえに「株主が会社の基礎的組織の維持について有する利益や株主の利益配当請求権・議決権などは、既得権なのであって、その株主の意に反して変更することはできず、またこれらの権利の多数決による変更は州の立法によっても許容し得ない」とする株主の既得権理論が形成されたのであった。(p.58-59)

 さきに述べたとおり、19世紀の前半期は、株主の権利についての諸制度が一応の体制的整備を進めつつあった時期であった。それは、株主の権利に関する諸法理についても、より体系的なものを要求せざるをえない。「株主は受益者としての地位をもつ」というかつての信託法的理論よりも、「株主の権利は会社と株主との契約から発生する」となし株主の権利を契約上の権利として構成する契約的理論のほうが、株主の権利関係をより明確化しうるものであり、またそこから株主の権利のさまざまな面に関する諸法理をも契約論的に構成し演繹することによって、株主権に関する諸法理の体系化をもなしうる理論であったのである。(p.62)

 かつて、19世紀においては、議決権は株主権に固有の要素であり排除することのできないものと考えられていた。これは、機能資本家的結合という色彩の強い当時の古典法株式会社にあっては、当然のところであった。しかるに、その後次第に、議決権が株主権から実質的には分離さて行くという傾向が生じたのである。まず、すでに述べたように、株式会社の巨大な資本の集積・集中は、社会的な遊休貨幣、ことに大衆の手元にあるそれを動員し吸収してゆくことによって行われたものであった。いいかえれば、さきに述べたところの多数決原理の浸透を生じた株主の数の増大は、具体的には、一般株主の数の著しい増大に他ならなかった。ところで、多数決原理の浸透は、少数の大株主が株主総会の多数決を通じてなす企業の独占的支配を確立せしめているのであり、一般株主は企業の経営から実質的には排除されている。それぞれの一般株主が有する零細な議決権はそれを行使しても何の意味をももたないのであり、またかかる一般株主は企業の経営への意欲を喪失している大衆的投資者にすぎない。(pp.71-72)

 かくて、株主の権利の変更に関する問題は、既得権理論の問題ではなくなった代わりに、右のfiduciary relation~導き出されるequity的考慮の問題とされるところとなった。すなわち、制定法によって取締役会や株主総会(その多数決)に与えられたshare contractの変更権は、一応絶対的かつ無制限なものとされ、ただ、fiduciary relationとの関係から、当時の変更が不公正なものであってはならない、とされるのである。そして、その「不公正」とは、たんなる不公正というだけではなく、詐欺または解釈上の詐欺とされる重大な不公正の事実を要する。さらに、その立証は、変更によって損害をこうむる株主の側からなされなければならない、とされている。(p.85)

 そして、会社全体の利益を一般株主の保護より優越せしめてゆく傾向は、一般株主の利益ということ自体をも「会社全体の利益」なる理念そのものの中に吸収してゆき、取締役や大株主がかかる意味における「会社全体の利益」のためにその権能を行使しなければならないということを、fiduciary relationの究極の内容とした。したがって、"business exigency"ないしは"benefit of the corporete group as a whole"のためになす株主の権利の変更は、もはや不公正なものとはされないのである。ところで、取締役や大株主は、企業の複雑な経営財産状況に通暁している一方、一般株主はかかる企業の状態の微細まで知らないのが通常であるから、取締役や大株主にとって"business exigency"のあることを示したり、また、"business exigency"を示しうるような状態をあらかじめ人為的に作り出しておくことも困難ではないのであって、かかる名目にかくれて一般株主の利益の排除・収奪が行われる危険も多いところなのである。(p.86)

 「会社全体の利益の受託者」という理念は、理念としては美しいものである。だが現実の株式会社は、冷酷な利害の構想の場でしかない。すでに述べたように、19世紀から20世紀にわたる株式会社の歴史は、一部の大貨幣資本家(大株主=取締役)が、株式会社に集中された社会的な資本に対する独占的支配を確立する過程であり、またその社会的な資本から生ずる利潤の独占的収奪(大衆株主の利益の剥奪)を繰り返してゆく過程であった。そして、かかる過程を貫くところの、より多くの利潤をという「資本」としての意思が、「会社全体の利益の受託者」という倫理を自覚することによって弱められるというような期待には、なんらの根拠も発見しがたいところなのである。(p.86)

 要するに、私的所有が資本として機能を貫くために、私的所有ががんらい個人的・分散的な独立した所有であることを自ら否定して、「社会的」な資本として結合されなければならないという矛盾は、とくに小所有にしわよせられて小所有の否定のかたちで止揚され、またその結合された資本において、結合された複数の所有の意思から単一の経営思想を形成しなければならないという矛盾は、とくに小所有についてその私的意思の否定によって止揚されるわけである。私的所有の自由にもとづきつつ、その反対物として小所有の否定と大所有の独占的支配の形成、これが所有の「社会化」の一側面をなしているのである。会社法学の世界において、しばしば株主の利益にたいする会社全体の利益とか、個体の利益にたいする団体の利益という言葉が使われているが、このような言葉で表現される利益対立の実質的内容として、小資本の利益と大資本の利益との対立がうらにひそめられていることを見落としてはならないだろう。

 1662年の条例は、今日、われわれがいうところの有限責任、すなわち<会社が負う債務についての株主の>責任を問題にしているのではない。しかし、株主の個人的債務が会社財産に及ぶ場合があることが危惧されているように思える。(…)株主個人が破産状態に陥り、株主個人にたいする債権者が株主の持分たる会社財産からの支払いを求めることができるかどうかという点にある。「しかしこのようなことが認められると、会社は株主個人の破産によって容易に解散に追い込まれるから、会社の永続性を保障するためには、この意味での『株主の無限責任』は排除しておかなくてはならない。」それは今日言うところの有限責任の問題ではない。リトルトンもいうように、「『有限責任』という用語は、会社資産が不十分であって自分が損失をこうむるおそれのあることを債権者が知っていても、株主が応募額を全額払い込んでしまったあとにおいては、債権者は株主の私有財産に手を伸ばすことができないという点に条件づけるべきである。」ガワーによる次のような整理は、ほぼ的確な結論といってよい。(p.223)

 

 

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◆新山 雄三 1970 「19世紀プロイセンにおける株式会社の法的地位についての一試論」,『岡山大学法学会雑誌』20(2) pp.1-32.

 事実ドイツにおける産業革命期とされる19世紀の40年代から70年代の最初の10年間において、1835年に建設された、Nürnberg-Fürth間のドイツ最初の鉄道以来、飛躍的な発展を遂げている。しかるにかかる鉄道建設については、言うまでもなく大量な固定資本の投下が前提とされるのであり、資本主義的発展の長い歴史を有し、個人的な資本蓄積の進んでいるイギリスに比較し、個人的資本蓄積の貧弱なドイツにおいては、その前提を作り出すために何よりも社会的資金を集中せしめる、新しい資本結合方式すなわち近代的株式会社制度の導入普及が強く要請されたのであった。しかも当時のプロイセンにおける鉄道建設に対する積極的推進主体となったのが、@部分的には消極的見解もあったが、その大半が全国市場とのつながりを求めたユンカー、A流通経路の再編を求めた商業資本家層、B外国とくにイギリス、フランスの先進資本主義諸国との競争の激化の中で、国内市場の急速な形成を求めた大工業ブルジョアジーなどであったことは、国家に対する影響力の点からすれば極めて大きなものとなりえた。さらに加えて国家当局自体もまた、鉄道の持つ軍事的意義の認識を当時の情勢の中で深めたことも推進の一要因たりえたといえる。(pp.16-17)

 かくして1838年11月3日に鉄道企業法が公布されるに至った。もとよりこの法律は鉄道企業にのみ関するものではあったが、およそドイツにおける最初の株式会社に関する法律であった。本法の内容的特徴は、まさしく規制保護育成の両面を有するものであり、その大半は国家ないし公共の利益との関係についての規定であったが、そのことはまさしく本法の持つ基本的性格、すなわち封建的絶対制国家における、国際的国内的諸圧力に対応した、上からのブルジョア化政策の一環としての性格を反映するものであった。(p.18)

 しかしながらこの点については、前述の1845年4月22日の訓令が、無記名株式発行に対する一定の条件を課していることに注目せざるをえない。すなわちそれによると、無記名株式を発行する株式会社の認可に就いては、例外的にのみ許されるべきであって、主として次のような観点に立って行われるべきであるとする。すなわち、「企業が、イ)地方的な活動と有用性の範囲を越えて、公共の福祉というより高い利益にとくに貢献するかどうか。 ロ)そのような株式の発行という形態をとらずには遂行されえないのかどうか。 を基準として判断されるべきである」とする。このことはすでに1838年鉄道企業法における株式制どのところで触れた。無記名株式制度による資金調達に対する、プロイセン政府の消極的態度の延長であり、この命令はまさしく鉄道株式会社を含む株式会社の認可における遅滞を予告するものであり、一旦認めたところの私的な資金調達方法への、さらにはまた一般的に私的な経済活動全体への露骨な官僚的干渉であったといえる。(p.107-108)

 1838年鉄道企業法はおよそ内部組織に関するといえるような規定は、一切有していなかった。そのことは多かれ少なかれ本法においてもあてはまる。ただ若干触れておかねばならないのは、第一に取締役(Vorstand, Vorsteher)という言葉がはじめて条文上に登場したということであり(19条-25条)、さらに取締役は株主の代表ではなく、会社の代表者でありしたがって株主は会社の債務に対して個人的に責任を負うものではなく、会社財産のみが責任を負うということであり(16条、20条)、かくして会社の業務は「定款の規定によって任命された取締役会によって経営管理」されると規定していることである(19条)。(p.108)

 そのことはなによりも先ず第一に、一般ラント法体系の下においてにせよ、1836年鉄道企業法および1843年株式会社法の下においてにせよ、その司法上の独立した社団的権利主体としての株式会社の設立には、程度の差こそあれ、基本的には常に国家による干渉が要件となっていたことである。(p.113)

 

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◆Michlethwait, John., & Wooldridge, Adrian. (2003). The Company. Modern Library. 
= 2006 高尾 義明・日置 弘一郎 監修, 鈴木 泰雄 訳 『株式会社』 ランダムハウス講談社

 
序章 ユートピア株式会社
第1章 貿易商人と独占商人の時代 紀元前3000〜紀元1500年
第2章 帝国主義者と投機家の時代 1500〜1750年
第3章 長い苦痛の末の誕生 1750〜1862年
第4章 アメリカにおける大企業の台頭 1862〜1913年
第5章 イギリス、ドイツ、日本における大企業の台頭 1850〜1950年
第6章 経営者資本主義の勝利 1913〜1975年
第7章 会社のパラドックス 1975〜2002年
第8章 影響力の代理人 −多国籍企業 1850〜2002年
結論 会社の将来

 第一に、現代の実業家には意外かもしれないが、会社は政治的存在だということだ。会社は技術革新によって自動的に誕生したわけではなく、政争の産物だ。しかも、19世紀半ばにイギリスでなされた論争が、その後も常に会社制度に影を落としてきた−会社の本質は、国家の法律には従うが金儲け以上の義務は負わない私的な存在なのだろうか、それとも公共の利益のための活動を期待される公的な存在なのだろうか。
 実業家にとって、株式会社は便利な事業形態のひとつにすぎない。だが多くの政治家は、株式会社という事業形態は、自分たちがその設立と有限責任を認める法律を作ったから存在していると考えていた。それでも、アングロサクソン系の英米は、一貫して会社に余り大きな見返りを求めなかった。ロバート・ロウが「小さな共和国」と呼んだように、会社は干渉されずにすんだ。しかし、他の国々では会社への要求はもっと大きかった。(p.8)

 

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◆Smith, Adam., (1791). An Inquiry The Nature and Cause of The Wealth of Nations.
= 2007 山岡 洋一 訳 『国富論 国の豊かさの本質と原因についての研究
』 日本経済新聞社

 商業のうち野蛮で未開の民族とのあいだで行われる部分は、特別の保護を必要とする。通常の店舗や事務所では、アメリカ西海岸で貿易を行う商人は、商品を守ることができない。未開の現地人による攻撃から商品を守るために、商品の倉庫をある程度まで要塞にする必要がある。インドも治安が悪いので、住民は穏やかで礼儀正しいのだが、同様に警戒が必要だとされてきた。イギリスとフランスの東インド会社がインドで当初に要塞の建設を許されたのは、暴力から生命と財産を守るために必要だという口実によってだった。政府の力が強く、自国内に外国人が要塞を築くようなことを許さない国には、大使、公使、領事が駐在し、自国民のあいだの紛争を自国の慣習に従って解消するとともに、自国民とその国の住民とのあいだの紛争に公的で権威ある立場から干渉し、民間人が干渉する場合よりも協力に自国民を保護する必要があるだろう。(下p.321)

 商業活動のうち一部門の保護に必要な特別の経費は、その部門に小額な税金をかけてあがなうべきだと主張しても、不当だとは思えない。たとえば、その部門に参入する商人に小額の税をかけるか、もっと公平な方法として、対象国とのあいだっで輸入出される商品に、ある比率で関税をかけてあがなうべきだとする主張である。貿易を全般的に海賊などの略奪者から守る必要から、関税と言う制度がつくられたといわれている。貿易を全般的に保護する経費をあがなうために貿易全体に税をかけるのが適切だと考えるのであれば、一部門を保護するための特別経費をあがなうために、その部門に特別の税をかけるのも、やはり適切だと思われる。(下p.322)

 第一に、組合会社の取締役は、会社が行う貿易全体の繁栄には特に利害関心を持っていないが、要塞や守備隊を維持するのはこの繁栄のためである。貿易が全体として減少すれば、取締役が個人として行う貿易には逆に有利になることも少なくない。競争相手が減るので、商品を安く買い、高く売れるようになることもあるからだ。これに対して株式会社の取締役は、管理を任されている会社の資本で得た利益に対する権利を持つだけで、会社全体の貿易と利害が対立しうる貿易を個人として行うことはない。取締役の個人の利害は、会社全体の貿易と利害が対立しうる貿易を個人として行うことはない。取締役の個人の利害は、会社全体の貿易の繁栄に結びついており、会社全体の貿易を保護するのに必要な要塞や守備隊の維持に結びついている。このため、要塞や守備隊の維持に必要な細心の注意を払い続ける可能性が高い。第二に、株式会社の取締役はつねに巨額の資本、会社に拠出された資本の全体を管理しており、その一部を必要な要塞の建設や修理、守備隊の維持に適切に使う場合が少なくない。だが組合会社の取締役は管理する資本が会社になく、加入金や、会社の貿易で徴収する税によって得られる一時的な収入以外に、こうした目的に使える資金を持たない。このため、要塞や守備隊の維持に同じように利害と関心を持っているとしても、それを実行する能力を同じように持っていることはまずない。(下p.327)

 第一に、民間のパートナーシップでは、パートナーは他のパートナー全員の同意を得ないかぎり、他人に自分の持分を譲渡することができず、他人を参加させることはできない。ただし、各人は適切な通知を行えば、パートナーシップから脱退でき、その際に共同の資本のうち自分の持分を払い戻すよう要求できる。これに対して株式会社では、株主は会社に自分の持分の払い戻しを要求できない。だが、各人は他の株主の同意を得なくても、他人に株式を譲渡して、その人を新しい株主にすることができる。共同の資本に対する持分を示す株式の価値は、市場での取引で決まる。そして市場で決まる価値は、会社の資本として払い込まれた金額よりも多い場合も少ない場合もあり、その比率は決まっていない。
 第二に、民間のパートナーシップでは、それが負う負債に対して、各パートナーが自分の資産の総額まで返済義務を負う。これに対して株式会社では、各人はそれぞれの持分の範囲までしか義務を負わない。(下p.331)

 だが、これらの企業の取締役は、自分の資金ではなく、他人の金を管理しているので、パートナーがパートナーシップの資金を管理するさいによくみられるような熱心さで会社の資金を管理するとは期待できない。金持ちの執事に似て、細かい点にこだわるのは大企業らしくないと考えるので、細部にまで目を光らせる義務を果たさなくても平気でいられる。このため、株式会社の経営には、怠慢と浪費が多かれ少なかれかならず蔓延する。この結果、外国貿易で冒険商人との競争にまず耐えられない。したがって排他的な特権を持たない場合にはめったに成功せず、排他的特権を認められても、成功しない場合がすくなくない。排他的特権がない場合、貿易に失敗するのが通常だ。排他的特権を持つ場合には、貿易に失敗するうえ、貿易を制限する(下pp.331-332)

 株式会社であっても株主の数が少なく、資本が多くなければ、パートナーシップによく似た性格になり、パートナーシップと同じようにしっかりと監視され注意が行き届く可能性がある。このようにいくつもの利点があるハドソン湾会社が、七年戦争の前に貿易でかなりの成功を収められたのは、不思議だとはいえない。(下p.334)

 同社[イギリス東インド会社]の資本は一株50ポンド、総額が74万4000ポンドを超えたことがなく、それほど巨額ではなかったし、事業もそれほど大規模ではなかったので、怠慢や浪費が極端になるほどではなく、大がかりな不正を隠せるほどではなかった。ときにはオランダ東インド会社との衝突によって、ときには事故や災害によって、巨額の損失をこうむることもあったが、長年にわたって貿易で成功を収めてきた。やがて自由の原理がよく理解されるようになると、議会法で確認されていない特許状だけで排他的特権が成立するのかどうかが疑問とされるようになった。この疑問に関する裁判所の判断は一定ではなく、政府の権威と時代の風潮によって変化した。密貿易の形で独占に挑戦する商人が増え、チャールズ三世の時代(1660-85年)の後半からジェームズ二世の時代(1685-88)を経てウィリアム三世の時代にかけて、同社は極端な経営不振に陥った。(下p.337)

 何人かの商人が協力し、自分たちのリスクと経費で、はるか遠方にある未開の国との貿易を切り開こうとした場合、株式会社の設立を認め、成功した場合にある年数にわたって貿易の独占権を与えるのは、不当だとはいえない。危険で経費のかかる試みによって、後に社会全体が利益を得られるのであれば、国がその試みに報いる方法として、一定期間の独占権を与えるのが最も簡単で自然だからだ。この種の一時的な独占は、新しい機器について発明者に与えられる独占や、新しい著作について著者に与えられる独占と同じ考え方で擁護できるだろう。だが、決められた期間がたてば、独占は必ず終了させるべきである。要塞や守備兵が必要だと判断されれば、政府が引き継ぎ、対価を会社に支払い、貿易をすべての国民に開放すべきだ。独占を恒久化すれば、他の国民全員が二つの点で不合理な税を負担することになる。第一に、自由貿易が許されていればはるかに安くなる商品が、高い価格で売られる。第二に、収益性が高い適切な事業から多数の国民が排除される。しかも、とりわけ無意味な目的のために、国民が税を負担することになる。この税は、独占権をもつ会社で、従業員が怠慢や浪費、不正をつづけられるようにするだけであり、乱脈経営によって、独占会社の配当率はまったく自由な貿易で得られる通常の利益率を超えたことはめったになく、それを大幅に下回ることがきわめて多い。だが、独占権がなければ、株式会社は貿易のどの部分も長くは継続できないことが事実によって示されているようだ。(下p.344)

 

 だが、株式会社でうまく経営できる可能性があるという理由だけで、ある事業のために株式会社を設立するのは、つまり、国民全体に適用されている法律の例外を認めれば事業に成功を収められる可能性があるという理由だけで、商人のある集団に例外を認めるのは、どう考えても適正だとはいえない。株式会社が完全に適正だといえるには、業務の規則と方法を厳格に決められること以外に、二つの条件がなければならない。第一に、通常の事業の部分とくらべて、社会にとって大きく役立つ事業であることが明白な事実で示されなければならない。第二に、パートナーシップで簡単に集められないほど、大きな資本を必要とするものでなければならない。そこそこの資本で十分であれば、大きく役立つ事業であっても、株式会社を設立する十分な理由にはならない。その事業で満たそうとする需要は、パートナーシップですぐに簡単に満たせるからである。(下p.346)

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◆Mill, J. S., (1848). Principles of Political Economy with Some of Their Applications to Social Philosophy.
= 1963 末永 茂喜 訳 『ミル経済学原理』 岩波文庫


第一篇 生産
第二篇 分配
第三篇 交換
第四篇 生産及び分配に及ぼす社会の進歩の影響
第五篇 政府の影響について

 大体、ある産業企業を指揮して成功を収めるには、二つのまったく相異なった条件が必要とされるものである。忠実と熱意とがそれである。(略)事業を経営し成功を収めるのに第一に必要なこと、かつもっとも必要なことは、管理者がその仕事に絶えず気を配っているということ、絶えず利潤を大きくし、あるいは費用を減ずべき方法を考えているということである。ところが、このような事業にたいする関心の強さは、雇われた被使用人として他人の利潤のために事業を指揮するものには、ほとんど期待することができないのである。(略)
 株式会社の短所がいま一つある。それは、すべての大規模な企業にある程度まで共通のものであって、小額の利得や小額の節約についての無頓着ということである。大資本とだい取引との管理においては、ことに支配者たちがこの事業に自分自身の利害関係を多く持っていない場合には、小額の金銭は閉却されることが多い。小額の金銭は、わざわざ注意と手数を払って気を配るほどのこともないとみなされ、しかもこのような些細なことに無頓着であれば、おおらかにして物惜しみをしないというよい評判を容易に博することができるのである。ところが、小さい利潤や小さい費用でも、それがしばしば繰り返されれば大きな利得、大きな損失となるものである。そして大資本家は往々にして大打算家であって、実際上これをよく知っており、またある制度を監督を十分厳重にして励行すれば、大事業につきものの不断の浪費を防止することができるという、そのような制度のうえに彼の事業を整えることを知っているのである。がしかし、かりに株式会社の支配者がその事業に十分に検診して、たとえほんとうに経済的な制度を採用したとしても、その制度を事業のすみずみにまで間断なく励行するというようなことは、まずないものである。(1,p.263-5)

 スミスの時代には、彼が上げている部類の事例を別にすれば、独占権なしに永続的に成功した株式会社の例はほとんどなかったのであるが、その当時から以降は、そのような実例がいくらも現れてきた。共同の精神および共同する能力の規則的増進は、今後も、疑いなくこのような事例をますます多く生むであろう。そもそも損失の危険と利得とがともにすべてその事業を指揮する人の双肩に降りかかるときには、その人はすこぶる精神的にかつたえず用心してその事業を経営するものであることはたしかなことであるが、アダム・スミスはただこの点のみに注目したために、このようなだい調書すら中和するに預かって大いに力があるところの主種さまざまな反対の考慮事項を見落としたのである。
 これらのうち、最も重要なものの一つは、指揮者の知的能動的資質に関するものである。個人的利害という刺激は確かにある程度までは努力なさしめる保障となるけれども、このような努力も、これをなす人の知能が優秀でないときには、あまり役に立たないものであり、また主として利害関係のもっとも深い人々の営むところの企業においては、多くの場合この通りになるものである。ところが企業が大きく、十分な報酬を与えて普通人の平均より優れた多数の志願者をひきつけるに足りる場合には、結果にたいする利害関係の薄弱を補って余りあるほどの学識と知識を持っている人を選抜して、これを全般の経営や、その灰化の熟練を要するすべてのちいに任用することができる。(1,p.266)

 もしも法律が財産の集積を奨励しないで、かえってその分散を奨励しているならば、その数はなおさら少ないであろう。ところが一方において、大きな資金の所有に依存するところの改良されたもろもろの生産工程及び生産における能率と節約の諸手段が、すべて少数の富裕な個人の手に独占されるということは、はなはだ好ましくないことである。最後に、私は、社会を、賃金を支払う人たちとそれを受け取る人たちとの二つの部分に絶対的に分割し、前者は数千人であるが、後者は幾百万にもならしめるところの産業経済は、無限に存続するのに適したものでもなければ、またそれをなしうるものではないという信念、そしてこのような制度の変わりに、従属関係を伴わない社会的結合と、組織的敵対関係ではなしに利害関係の統一の制度とを実現する可能性は、将来における『会社制度』の原理の発展にもっぱら依存しているという信念を持っているが、私はこの信念を今一度繰り返して述べておかないわけに行かない。(5,p.205-206)

 ある人数の人々(その人数は少ないこともあろうし多いこともあろう)が自由にその資金を共同の一事業のために出資しあうことを希望し、しかも何ら特別の特権を求めるわけでもなければ、また他人の財産を取り上げる権能を求めているわけでもない場合には、法律は、この企画の実現を困難ならしめる適当な理由をもっているはずがないのである。若干の簡単な公開性の諸条件にかないさえすれば、いかなる人々の集団でも、官吏あるいは国会の許可を求めることなしに、株式会社あるいはsociete en non collectif(合資会社)を設立する権能を与えられるべきである。(5 p.206-207)

 いまかりにある人数の人々が商業関係あるいは産業関係のある事業を営むために会社を組織しようとし、かつその会社の構成員は出資した資本の額以上には責任を負おうとしないということを自分たちの間で申し合わせ、また取引する相手方にもそれを声明しようとした場合、そもそも法律がこのような行為に対して反対をとなえ、この人たちが拒否する無限責任をこの人たちに負担せしめる理由が、なにかあるだろうか。だれのためにそうするのか。会社の構成員自身のためではない。蓋し彼らが責任の制度によって利益を受け、保護を受ける人たちだからである。したがって、それは第三者のためでなければならない。すなわち、その会社と取引をなすことがあるであろう人々、そして出資された資本が支払うに足りる額以上の負債をその会社が負うこともありうる人々−このような人々のためでなければならない。(5,pp.209-210)

 イギリスを含む多くの国々の法律は、株式組織の会社に関連して、二重の仕方で誤謬を犯してきた。それは、このような会社、特に有限責任の会社の設立を認めることを非常に不当に警戒する一方、一般に営業状態の公開の励行を等閑に付してきた。ところが、この営業状態の公開こそ、この種の会社から発生しうる危険に対して公衆を守る最善の保障であり、また法律がその一般的方針に対する例外として設立することを認めたこの種の会社の場合にも、まったく同じように必要とされるところの保障なのである。かの、国会から独立権を獲得しており、また流通手段の状態などという公共的利害関係の非常に大きい事柄に対して部分的統制権を備えているところのイングランド銀行の場合でも、ともかく営業状態の公開が励行されるようになったのは最近数年来のことであり、しかもその公開は、今日では大概の実際適所目的にとっておそらくはついに十分となったけれども、最初は極度に不完全な性質のものだったのである。(5,p.214-215)

 株式会社における株主の責任を制限することに反対して提出されたあの不十分な議論さえも、この場合には通用しない。なぜかといえば、会社の指揮に参与するすべてのヒトがその全資産を持って責任を負っているのであるから、慎重な経営をなすべき動機が減ずるいわれは、少しも存在しないからである。さらに、第三者に対しては、有限責任社員の存在によってその安全の度が増しているわけである。けだし、債権者にとっては、有限責任社員が出資した金額の全部が利用可能だからである。(p.216)

 人間の生存の中に、このように周囲を塹壕を持って囲まれており、権威的介入が侵すことの出来ない、ある聖域があるというということは、あるいはそれがあるべきだということは、人間の自由あるいは尊厳に対して最少の敬意でも払うほどの人ならば、だれもこれを疑問としないであろう。解決されるべき問題は、ただ、この限界をどこにおくべきかということであり、人間生活のどれほどの広さを持った領域をこの犯されることのない領分というものは縫合すべきであるかということである。私の考えるところでは、それは内面的生活であると外面的生活であるとを問わず、ともかくある個人の生活にだけ関係し、他の人たちの利害に作用しないところの、あるいは他の人たちの利害にはただ模範となるという道徳的影響を通じてのみ作用するところの、すべての部分を縫合すべきである。内面的意識の領域すなわち思想及び感情の領域に関しても、また外部的行動でも、終始個人的であって、他の人々に対しなんらの作用をも及ぼさぬもの、少なくとも苦痛または損害を与えるような作用を及ぼさぬものに関しても、すべての人に対して、何が善であり何が悪であるかということに関する、また何が推奨されるべきであり何が排斥すべきであるかということに関する彼らの意見を、及ぶかぎりの力を持って主張し宣明することを許すべきである、特により思慮の深い、教養のある人の場合には、それはしばしばひとつの義務である(5,p.289-290)

 政府の干渉といものは、実際上、必ずしも本来それに適当している諸種の自体を限界づけるその限界のところで、突如として停止するということはできないものである、ということである。ある与えられた時代または国民の特別な事情の下では、一般的利益にとって真に重要な事柄であるならば、私的個人がそれを有効に実行し得ないから問いわけではないが、彼らがそれを実行しようとしないから、政府があえてそれを引き受けるということが、望ましくない、あるいは必要ですらない、というものはほとんどない。ある時およびある所では、道路、船橋、港湾、運河、灌漑設備、病院、上下の学校、印刷所などは、政府が設けるのでないかぎり、公衆はあまりに貧しいためにそれに必要な資金を支配し得ないか、あるいはその知性が進んでいないためにその結果の真価を知りえないか、あるいはまた共同行為に十分慣れていないためにそれを実施することが出来ないか、そのいずれかであるために、まったく設けられないであろう。(5,p.353)

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◆高橋 俊夫 2006 『株式会社とは何か 社会的存在としての企業』 中央経済社 ISBN4-502-38190-x


第1章 社会的存在としての企業
第2章 敵対的買収は可能か
第3章 グローバリゼーションとコーポレート・ガバナンス
第4章 証券市場をめぐって
第5章 コーポレート・ガバナンスの分析
第6章 透明性と情報開示
第7章 フォルクスワーゲン対ゼネラルモーターズ

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◆占部 都美 1963 『企業形態論』 白桃書房


第一章 企業の科学
第二章 制度的経営学
第三章 組織論的経営学
第四章 資本主義的企業の成立
第五章 資本主義的企業の行動
第六章 企業形態
第七章 企業形態の展開
第八章 株式会社の本質
第九章 現代企業の制度的構造
第十章 経営者的企業行動
第十一章 企業の戦略的決定
第十二章 企業合同
第十三章 持株会社
第十四章 企業集団 −企業の系列化
第十五章 中小企業の再編成
第十六章 公企業
第十七章 協同組合

 株式会社における有限責任は、会社の財産を個人の財産から分離することによって、持株資本家や債権者から、資本集中を行うための確定的な信用基礎を提供するのである。株式会社における信用基礎は、不確定な、不分明な企業者の個人財産ではなくて、確定的な、明瞭な会社の財産それ自体になることによって、企業の信用基礎は、かえって強化されるのである。この点から、株式会社における資本確定の原則及び資本維持の原則が、重要なものとして要請されるのである。(p.153)

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◆坂本 恒夫・大坂 良宏 2004 『テキスト 現代企業論』 同文館


第1部 企業とは何か
 第1講 なぜひとは企業を作るのか
 第2講 企業とリターン
 第3講 企業とリスク

第2部 企業形態
 第4講 ソキエタス、コンメンダ、パートナーシップ、東インド会社
 第5講 合名会社、合資会社、有限会社、株式会社

第3部 企業と市場
 第6講 企業と労働市場
 第7講 企業と商品・サービス市場
 第8講 企業と資本市場

第4部
 第9講 企業の社会的責任
 第10項 企業と環境問題

第5部 競争と独占
 第11講 独占・寡占価格
 第12講 企業の結合

第6部 所有と経営の分離
第7部 企業集団と系列
第8部 機関投資家とコーポレート・ガバナンス
第9部 ベンチャー・ビジネスと中小企業
第10部 21世紀の企業

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◆Charkham, Jonathan., & Simpson, Anne. (1999). Fair Shares The Future of Shareholder Power and Responsibility. Oxford University Press.
= 2001 奥村 有敬 訳 『株主の力と責任』 日本経済新聞社


はじめに
第1章 企業の目的
第2章 英国における株主の役割
第3章 規制の世界
第4章 ジョイント・ストック・カンパニー
第5章 取締役:その法的枠組み
第6章 株主:その法的枠組み
第7章 銀行の役割
第8章 企業の所有
第9章 貯蓄手段としての株式
第10章 個人株主
第11章 個人投資家による株主所有の減退
第12章 権力:油まみれのボール
第13章 機関投資家の登場
第14章 機関投資家の法的義務
第15章 投資戦略とガバナンス
第16章 機関投資家の連帯行動
第17章 報酬
第18章 情報開示
第19章 国際的次元
第20章 年次株主総会
第21章 主要株主の義務
第22章 監視人を監視する
第23章 改革提言の要約
訳者あとがき

 1年後の1856年、議会はジョイント・ストック・カンパニー法を通過させた。これは既存の会社法を修正し、集大成したものである。銀行及び保険会社は明らかにこれの範囲外に置かれた。定款がそれまでの企業規則に代わって導入された。企業は毎年の収支を報告する義務を課され、すでに登記している企業も再登記を命じられた。
 重要な結論はこうである。議会は企業規模の急速な拡大に押されて、資金調達の条件を整備せざるをえなくなった。当時の鉄道事業及び大工業がそれを求めたからである。さらに、国際競争という圧力が政府に拍車をかけた。政府は権力の集中がその乱用につながり、不正行為の可能性が広がることを知っていた。コモン・ローが不適切となっていることも認識されていた。そこで、法の力により説明責任を課して権力にたいする均衡を図ろうとした。だから、取締役の権限をどのように詳細に規定おくかが当初から注目され、それとの関連で株主の権限や株主総会の運営にも言及したのである。(p.76)

 チューダー王朝の治世下に情勢は安定し商業も発展してくると、多数の中小業者の中には、余剰資金を運用してその見返りに利息を得たいと考える”睡眠”経営者が出てきた。海外貿易の発達によって2つの企業形態が登場する。トレベリアンはその違いを次のように記している(1942年:第2章 59-60)
 「商業資本主義の動きは、早くもチョーサー時代において、地方自治とギルドの制度を通じて、毛織物取引の中からから現れてきた。エリザベス女王時代になると、新しい形態の海外貿易会社の交流を得て、その動きは一層前進した。第一は『統制会社』であり、各メンバーは会社の一般ルールに従い、それぞれ自己資本をもって取引に参加する。そのメンバーは過去に織布の輸出で大成功し将来も有望な冒険商人などであった。イーストランド、バルティック、ロシア、あるいはレバント社がこれに当たる。第2は合弁出資の『株式会社』で東インド会社、アフリカン社、二世代後のハドソンズ・ベイ社などである。これらは1つの株式会社としてまとまって事業を行い、利益も損失も株主間で分担された」
 「統制会社であれ株式会社であれ、事業活動の地理的範囲が王立憲章で定められており、イングランドからの『不法侵入者』は誰も商いを許されなかった。エリザベス女王時代のこのような企業は、特権や機能の面でビクトリア女王時代、アフリカ内陸に発展と騒動を持ち込んだ特許会社にに通っている。」
 これらの企業は、議会制定法あるいは王立憲章によって成立された。その目的は商業活動の振興、政府歳入の創出、そして後になると英国の政治的、商業的影響力の拡大であった。その手段は独占経営であったが、独占は当然のことながら嫉妬を掻き立てるので、(企業が利益を上げると)常に攻撃の対象となった。(p.137)

 われわれの結論は、企業及び企業システム全体に対する最善の見張り役は主要株主であるということ、なぜなら、彼らには強大な権力と影響力、ならびに義務履行の節度をむしろ選好させるはずの大きな富という3要素の組み合わせがそなわっているからである。彼らが主要株主としての義務を履行すれば、利益の相反、株主による過大コストの負担、および株主の消極的態度あるいは企業監視の一般的欠陥によってもたらされるシステム全般の非効率性を克服することができる。これに対しては、「受託者である機関投資家に義務を課せば、彼らはすでに上場企業が発行する株式の大部分を所有しているのだから、あたかもその他大勢の株主から白紙委任された代理人のように振る舞い、逆に彼らの権利まで取り込んでしまうのではないか」と反論されるかもしれない。しかし、こうなったのも歴史の偶然である。たしかにある企業は、機関投資家が大量の持株を抑えていることにより、彼らの議決権行使によって定期的に監視を受けているのにたいし、他の企業はあまり慎重な監視を受けないまま放置されているといった恣意的な結果を招来している面もある。(p.309)
 われわれは株主の議決権行使に関する義務が、高度の注意義務に当たるものであると考えており、それを提唱する。それを実行する必要があるかどうかは、情勢の判断、事実関係や相対的重要度の評価にかかる。言い換えれば、知的裁量の働かせ方いかんによるわけである。(p.311)
 もし議決権の行使が、企業のみならず株主個人にとっても意味のあることだとすれば、それはかなりの価値がある行為である。それは株主一人ひとり、というよりは集合化された行動に含意される価値といえるだろう。とすれば、それは報奨によって報われるべきものではないだろうか。報奨といっても、それは最初に耳に響くほど、複雑で費用のかかる、あるいは奇抜な話でもないはずだろうから。考え方を次に述べてみよう。つまり、直近期に議決権を行使した株主に対して、配当金にボーナスを上乗せするという考え方である。公表された配当金額のある比率、たとえば5%を対象株主に応じて比例配分する。これは投票にたいする報奨金の性格を持つ。対象となるのは、前期末の名簿に登録され保有を続けた株主だけとする。期中に株式を売却した株主は適用を受けない。(p.313-314)

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◆久保田 安彦 1999 「初期アメリカ会社法上の株主の権利(一)(二・完)」, 『早稲田法学』74(2) 83-113, 74(4-2) 449-501.

 (…)特許権の付与は、会社の社員に個人の能力では有することができないような権力を与えることになり、従って会社の存在自体が平等と相反すると考えら得れたことによる。このような反株式会社感情への配慮から、第一に会社設立自体を抑制すること、第二に会社活動の自由を抑制することが求められた。しかし、アメリカでは、経済の発達を促すため比較的容易に会社設立を認める政策が採られたため、必然的に、第二の方法、すなわち会社活動の自由を抑制する政策に傾斜することになった。(…)事業目的については、これをかなり明確に特定することが求められ、州によっては、会社が営むことのできる事業をただ一つに限定するものすらあった。資本金額と負債金額は、一般会社法が制定された後でも、その上限または下限を設けるという形で厳格に制限されたし、その範囲内においてさえなお、charter所定の額の二倍までというような制限が課されることがあった。同様に会社の存続期間も、金融会社や国内開発会社については50年から99年という比較的長期間のものが認められる場合もあったが、通常は20年から30年に制限されていた。(1,p.89)

 19世紀中葉以前の会社法制度には、会社が大規模化することにも、また大規模な会社を効率的に運営するためにも二つの障害があった。その第一は、当初の株式会社企業に対する不信感から、州制定法が、会社の事業目的、資本額、負債額、存続期間などの会社の基本事項に厳格な制限を課していたことである。これは会社が規模を拡大するに当たって大きな制約となっていた。第二は、制定法が会社の運営手続きに関し定めていなかったため、これが裁判所の厳格な解釈に服せしめられていたことである。その結果、株主総会に広範な権限が認められる一方で、取締役の裁量権は大きく制限されたが、これは大規模会社の効率的な運営にとって不可欠な集権的管理の可能性を著しく阻害するものであった。(2,p.454)

 もっとも、授権法の実現に向けて州立法府が立法政策を転換したのは、記述のような経済的要請にこたえるためであったが、それを正当化する事情や考え方も生まれていた。その第一は、準則主義への完全な移行により、会社形態の利用にはいかなる特別の条件も付されるべきではないとする考え方が広く受け入れられる土壌が形成されていたことである。(…)第二は、反株式会社感情の源泉となっていた「独占に対する恐れ」は、競争的市場のもと、会社の活動を自由にさせることによって取り除かれるという考え方が生まれたことである。詳言すれば、社会的利益(一般大衆の利益)は、自己の利益を促進するような個人(とくに株主)の責任ある決定を通して最もよく満足され、また、株主や債権者は自己の利益について州以上に適切な判断者であり防御者であるから、州立法府がこれらのものの保護のために、福祉機能を行使する必要はない。競争的市場が存在し、そこで自己の資本を危険にさらす人々がその利己心に沿って行動すれば、個々の企業の政策決定と経営管理とは適切かつ効率的に行われる、と考えられたのである。(2,p.456)

 (略)「取締役神聖不可侵論」には、かかる見解と共通する発想があるといえるであろう。すなわち、その根底には会社の法人格も株主の有限責任も州が付与した特権であり、これらの特権を享受するには、州の予定する伝統的な運営管理機構に厳密に従わなければならないという考え方があり、その意味で特許主義時代の残滓が認められるとの指摘がある。他方、会社の大規模化及び株式所有の分散とが相まって、自らを共同企業家ではなく投資家とみなすような株主層が出現したことを受けた結果であるともいわれる。(2,p.464)

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◆小山 賢一 1973 「マサチューセッツ株式会社法形成史」, 『大阪経大論集』86, 81-95.

 メイトランドは、米国より以上にイノセント四世にお世辞がささげられた国はなかったと、米国の初期の法人政策を批評した。それは米国において人民を代表する議会が、法人設立権を独占したことを指しているが、彼の批評にはやや問題がある。というのは、イノセント四世は擬制説の創始者であるといわれるが、その問題にしたところは、法人を破門することができるか、法人は悪事をすることができるか、という問題であって、許可理論と関係がないという説が有力だからである。
 許可理論というのは、法人は帝国の中の帝国となり、至上権力の同意を要するという理論である。英米法はしばしば、法人擬制説に立っているといわれることがあるが、少なくとも英国に関してはそれは否定されている。(1,p.82-83)

 資本が無限責任の州から有限責任の州へ移動するというのは、もっとも効果的な主張であった。1829年代にはニュー・ハンプシャも、コネチカットも、メインも有限責任政策をとっていた。マサチューセッツの無限責任政策は、隣の州が抛棄した政策にしがみつく「狂気の沙汰」と批評され、「より過酷でない法の州」へ「より安全な投資」を求めて資本が移動し、「より安全な雇用を求めて」人が移動すると指摘されていた。(略)
 この理屈は1852年に英国でも用いられた。アイオワの1851年法が制定されたとき、the circular to Bankdersはそれをリプリントし、「パートナーシップの現行法は、新投資の安全に非常に障害になっている、もしも政府が新しい道を開かなければ、わが国の豊かな資本が外国へ移動してしまうというのは、大いにありえることである。」と述べた。これは英国株式会社法の形成に、米国法が影響を与えた、一証拠とすることができる。(3,p.30)

 1840年に会社詐欺事件が発生し、1841年に合本資本組合調査委員会が組織された。1844年3月のタイムズの記事は、当時会社詐欺の状況を刻明に伝えている。組織的詐欺が合本資本組合を、その誕生のときから性格づけるのである。それは嘘偽のなかから生まれ、嘘偽の揺り籠のなかで育つのである。取締役はもっぱら嘘をつき、共謀によって嘘をつき、方をすくめて嘘をつき、サインやウインクによって嘘をつき、会釈によって嘘をつき、常に嘘をついているのである。内気のためらいを、底知れないパートナーシップの一六勝負に誘惑し、非の打ち所のない安全の表示によって貪欲を刺戟し、無限の富を約束して老人の疑惑をなだめすかし、青年の強欲を刺戟し、秘密と大きい配当を保障して懇願し激励し、あらゆる手段を用いて金を集めるのである。
 1844年の委員会報告にもとづいて、会社登記法が成立した。(5,p.52-53)

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◆前原 正美 1998 『J.S.ミルの政治経済学 −ミルの「停止状態」論と国家』 白桃書房 ISBN4-561-86029-0


序章  本書の基本構成
第1章 ミルの「停止状態」論と国家
第2章 ミルの協同組織論と公共心の体系
第3章 ミルの労働費用・利潤相反論と国家
第4章 ミルの資本主義的企業論と国家
第5章 ミルの土地所有論と国家
終章  ミルの政治経済学と現代

 それゆえ社会の資本主義的発展に伴って、農業、商工業を問わず、株式会社が普及・発展を遂げ、社会的生産力が向上してゆけば、食料価格は低下し、したがってまた生じ財の商品価格は低下してゆくだろう。労働者の貨幣賃金を一定とすれば、資本家の利潤率は増大し、また彼の生活水準は向上する。他方、労働者は商品価格が下がった分だけ実質賃金が高くなり、それゆえに労働者の生活水準は向上する。したがって社会的視点から見たばあい、株式会社の普及・発展によって資本家と労働者との利害は一致し、労使両階級の調和的関係が成立する。(p.146)

 これらの短所は、ひとえに資本家の企業経営に対する「忠実性と熱意」の不足によるものである。ミルに従えば、およそ資本家たる者は、自分の肩に多くの労働者の生活がかかっている、という自覚と責任の重さを自覚すべきであろう。ゆえに大規模な企業を指揮する資本家には、「多大の勤勉と非凡の手腕」が必要である。あるいはまた、「利益を危なくしてまでも日常の機動を逸した企てをなす」大胆さと独創力が必要である。一言でいえば資本家には、高い「知性・能動的資質」が要請される。ミルの考えでは、資本家が公共心を育成しないかぎり、資本主義的企業それ自体の発展も労働者の境遇改善もありえない。(p.147)

 ミルの見通しでは、株式会社で資本家と対等の経営能力を身につけた労働エリートは、その多くのものが協同組織を形成してゆくであろう。そしてその成功は、大多数の労働者の社会的共感を呼び起こすであろう。その結果、株式会社は衰退し、労働者同士の協同組織が社会の支配的組織となるであろう。(p.151)

 ミルによれば「富める者が貧しい者に」資金を提供してくれるならば、労働者は資本家となって株式合資会社を形成できる。労働者の自立にとって、最大の難点は資金調達である。この点、労働者は、富者の資金提供を獲得できれば容易に株式合資会社の経営者となれる。従って株式合資会社は、労働者の自立を容易にするという点で、労働者階級にとって望ましい企業形態となる。(p.153)

 ミルにとって問題となるのは、経営者たる機能資本家となって企業経営にあたる労働者階級に資金を提供する無機能な中小資本家に対して、有限責任が認められるかどうか、ということであった。なぜなら有限責任の導入が実現しなければ、株式合資会社は労働者階級=機能資本家(無限責任)と資本家階=無機能資本家(有限責任)との共同経営という形で成立・機能しえなくなり、その意味で労働者が資本家=経営者となることもできなくなるからである。かくて有限責任の大きな価値は、株式合資会社について言えば、富める者が貧しい者に資金を提供すること可能にする、という点に見出されるのである。(p.154)

 資本の貸主は貸付にたいして利子を受けるのであるが、これまで国家は利子率に最高限度を設け、規定された限度以上に利子を取得すれば刑法上の犯罪として取り扱い、貸し手と借り手との自由な行動に干渉を加えてきた。このため出資者が経営者に資本を提供者の利益の分配にあずかろうとすれば、かれらは経営者のパートナーとして、無限責任を負わされるだけでなく、高利子禁止法を犯す可能性もあった。また利子制限法のために、貸し手のなかには、差し迫った需要があるときに資本をまったく貸し出されなくなるものが多く現れ、結果的に利子を高めてしまうおそれがあった。
 株式合資会社は、ミルにおいては、労働者階級にも経営参加に加わる機会を与えるという意味で重要とされるが、利子制限法はこうした人たちに合理的な保護を与えるという意味で重要とされるが、利子制限法はこうした人たちに合理的な保護を与える出資者の資本貸付を妨げることになる。それゆえミルは、利子取得を貸付という「危険にたいする正当な等価」として捉え、利子制限法の撤廃を主張する。(p.162)

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◆四野宮 三郎 2002 『J.S.ミル思想の展開 V』 御茶の水書房 ISBN4-275-01926-1


第一部 ミル思想の背景にみる知的革命
 第五章 ロバート・オーエンのニュー・ラナアック向上村
 第六章 シャルル・フイーリエのファランジュ
 第七章 カール・マルクスのアソシエーション
 
第二部 J.S.ミル思想の展開
 第五章 社会状態の分析と継起性
 第六章 停止状態論の提唱
 第七章 体制移行における過渡形態
 第八章 過渡形態としての株式会社とアソシエーション −ミルとマルクスの原理的規定
終章 体制移行における過渡形態

 つまり労働者の共同組織というアソシエーションは、一定の目的のもとに、同じような仕事をしていた労働者仲間が、お互いに少額の資金を出し合って生産組織を作ってゆくのであって、日本ではそれを協同組合と呼んでいる。そこでは彼らはおたがいに平等であり自由であって、かりにマネージャーを選ぶにしても、全員の話し合いと納得の上で行い、不都合のときにはいつでもとめてもらうのである。この点では、まさに私的な株式会社のあり方とは根本的に違っている。これこそ労働の解放が実現された状況ともいえるといってよいだろう。
 したがって、こうした労働者同士によるアソシエーションの設立のための郷士形式の生産組織は、雇用労働に対する人間的自立と進歩を実現する有意義な道であり、また労働の解放という社会的革命を実現する最も有力な手段でもあるだろう。まさにこのような意味において、株式制度によるアソシエーションの自由な設立は、労働者階級にとっての「権利」ともいうべきで、(略)。(p.182-183)

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◆上田 光人 1973 「イギリス初期株式会社の考察」,『中京商学論叢』20(2),1-28.

 前者、中世パートナーシップは、資本結合という点で影響を与えた。とはいえパートナーシップのもとではメンバーが少人数であったし、その資本結合は一時的なものであり長期的計画をもたなかった。後者、法人格思想の成長は、企業組織の永続性及びその権利義務という点で影響を与えた。とはいえ法人格思想は主としてギルドに起源を持ち、そのため法人の構成メンバーの閉鎖性が見られた。しかしながら、法人格を特許状によって付与されること(incorporetion)はその企業組織が個々のメンバーの脱会死亡等に左右されず独立した永続性を持つこと、対外的な訴訟民大において権利義務の主体となりうること、法人の負債責任と個々のメンバーの負債責任との区別などの点から、joint-stock companyは企業組織として明確な便宜を受けることができたのである。(p.3-4)

 当時のregulated company(結合資本を持たない貿易法人)が、そのメンバーを本来の商人(徒弟修了者か、父親からの相続者か、高額の入会金支払いによって認められる)にのみ制限していたのにたいして、joint-stock companyはとにかく貨幣を投じようとする人々のすべてに門戸を開いた。だから、貴族から一市民に至るまで、また聖職者や弁護士や寡婦の参加がみられるのである。特に貴族層からの投資は多額音資本を集めるのに役立った。(p.4-5)

 既に、ミネラル・アンド・バッタリー・ワークスの場合にも持分所有者の移動が見られたが、持分の転売が頻繁になるのは東インド会社設立以後のことであった。おそらく、多数の無機能出資者の登場と関係がある、と思われる。そして、転売はほとんど両当事者間の私的交渉でなされ、持分移転の結果はcompanyの帳簿に記載された。ところで、持分の転売の結果、持分所有者メンバーが常に移動することに也、このことは中世ギルドの遺産たるメンバー間の結束性(対外的には閉鎖性)を打ち破る動きを一層進めることになった。こうして、企業組織の結びつきの実態は、ギルドやregulated companyにみられるような固定的人間関係ではなくなり、いまやメンバーは移動しても資本は移動せずという固定的資本関係が現れてくるのである。(p.5)

 第一に考えられることは、ハドスン湾会社のメンバー(持分所有者)の数は、joint-stock companyとしては比較的少なく、そのため、経営委員会と出資者総会との間に質的な差異や対立はなく、またメンバー相互の間に分派的党派の成立を生まなかったことである。バージニア会社はまさにメンバー相互間の党派的対立のため内部的にも自壊したのであり、また東インド会社でもメンバー内部の分派的対立からホイッグの会社といわれる新東インド会社(1698)を生み出している。更に、ハドスン湾会社ではメンバーの階層はほとんど同質的構成であった。特許状許可時における貴族的集団、やがてシャフツベリィ伯らの脱退後における金融化集団と考えることができる。つまり、メンバーの構成は比較的少数の同質的構成であって、ヴァージニア会社のように社会のあらゆる階層から多人数を募った異質的構成ではなかった。(p.25)

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◆柿澤 昭宣 1999 「株式会社の形成」,『経営情報研究』7(1), 1-25.

 このように、近代的信用制度が発達すれば、社会に存在する資本という資本はその所有者たる人格から独立し、所有者の努力や才覚とは無関係にすべて同一の利子率が与えられるようになり、かくして産業及び商業資本家が自らの意思のままに自由に大量の資本を調達することができるようになるのであるが、この資本の人格からの自立化を成立させたのが、序で述べたように近代銀行制度なのである。というのは、銀行は社会に遊休している資本という資本をすべて預金という形態で自らのうちに集中させたのち、それをもっとも必要としているところに、従って最も高い利息を約束するところに貸し出すことによって、社会の資本はその所有者の努力や才覚から独立した同一の利子率を稼得するものとなるからである。いいかえれば、ここにおいて資本はその私的性格を失って、社会の総資本の一環であるという社会的性格を身につけることになるのである。(p.11)

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◆上田 光人 1976 「古典派経済学における株式会社像 −ステュアート、スミス、ミル、マルクスの見解」,『中京商学論叢』23(1), 63-106.

 それは、より一層一般的な表現をすれば、資本の集中の過程に他ならない。すなわち、個々の資本家の分散した資本の規模を打破して、多数の資本家の資本を統合することによって、一挙に大資本を実現していった過程である。
 もちろん、結合した多数の所有者からなる株式会社は、その性格上ひとつの矛盾を内にもつことになった。それは、複数の所有者の複数の意思の存在と、一企業としての単一の意思決定の必要、との矛盾である。株式会社はこの矛盾を、等額株券制の導入とその株券の持ち株多数制とによって解決した。すなわち、複数の所有者の意思はその持ち株数によって量的に規制され、会社の単一意思は所有株件数にもとづく多数決制によって決定されることになった。しかし、このことは、多数の中小株主を事実上経営機能から排除することに也、会社の経営機能の遂行はごく一部の大株主のものとなることであった。つまり、いわゆる「所有と経営の分離」は、上に述べた株式会社の矛盾の解決のなかから生まれた別形態の矛盾ともいえるものであろう。(p.64)

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◆西村 孝夫 1977 「フランス東インド会社小史」,『大阪府立大学経済研究論叢』45


序 章 フランス資本主義の発達史と東インド会社
第1章 前史
第2章 コルベールと東インド会社
第3章 ジョン・ローと東インド会社
第4章 最盛期の東インド会社
終 章 後史

 植民地ではまず総督 Gouverneur Général がおかれた。彼は会社の使用人であるほかに、王の将軍 Lieutenant-généralという資格をあたえられ、商業上、軍事上の権能をあわせもつ。この監督を補佐する7人の最高評議会 Counseil Souverainがあった。それは前にも見たように、フォール・ドファン→スラート→ポンディシェリと移った。これは総督の会社業務を助ける他、最高の裁判所でもあった。会社は敵船を拿捕し、大使を派遣し、宣戦布告や平和条約締結をなしうる権能を持ったことは、イギリス会社などの場合と同じである。会社は植民地で上級・下級の裁判官を任命した。ただ王の名において裁判をするので、王国の法令でパリの習慣に従うことが必要であった。それと会社はその獲得した領域でカトリック教を守ることが必要であった。教会の構築と聖職者の維持が義務となっていた。最後に会社はその植民地内で一種の憲章を布告し、殺人、窃盗、決闘などの刑事や現地婦人とフランス人との結婚などの民事について規定した。
 なお植民地軍隊の司令官と総督との関係は総裁から司令官に軍事的権限を委任し会社の軍隊もその指揮下においた。(略)こうした文字通り「国家内の小国家」ともいうべき巨大な機構は、当時の海上商業、植民事業の性格によって規定されたものであったと同時にコルベールのもった抱負から決定されたものであった。だがこの権能ものち制限され、1675年ごろ会社の事業や会計状態の悪化につれて会社の会計検査を行うことにしたほか、コルベールの死とともに理事が王によって選任されることになった。(p.43) 。(p.43)

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◆本間 輝雄 1986 『英米会社法の基礎理論』 有斐閣 ISBN4-641-03633-0


第一章 英米法における法人理論
 第一節 英米法上の法人概念
 第二節 英法における法人理論

第二章 イギリス会社法形成史序説
 第一節 商事会社組織の生成とその法的規制
 第二節 ジョイント・ストック・カンパニー(Joint Stock Company)の形成とその法理

第三章 英米会社法における有限責任の発展
 第一節 英国における発展
 第二節 米合衆国における発展 −マサチューセッツ州を中心に
 第三節 むすび

第四章 英米法における取締役の第三者に対する責任
 第一節 取締役の不法行為責任
 第二節 間接損害に対する責任
 第三節 目論見書等の不実表示に対する責任
 第四節 権限踰越行為に対する責任
 第五節 その他成文法上の特別責任
 第六節 結語

 

 英国において早くから集合(ないしは)社団法人という概念は存在したが、それが普通法上ある程度まで明瞭になったのは、中世紀末であった。この時代にはすでに述べたように行政上の目的を遂行するためとか、あるいは宗教的・慈善的・社会目的達成のために諸種の団体が形成されたが、これらの諸団体の法的処理について普通法学者が、イノセントW世(Innocent W)に始まる寺院法学者の考えを借用してこれら諸団体に適用するに及んで、普通法上法人概念が次第に把握せられるようになったと考えられている。しかし当時の法人の概念は、現今のそれとは余程趣をことにしており、当初は独立の権利・義務の主体(right-and-duty-bearing-unit)としての観念よりも、むしろ古くから存在した自治邑にみられるような一種の特権と同一視されていた。勿論このような特権的に考え方には都市の側にとっては、農村在住の封建的土地所有者たる領主および特殊農村的な国王、および諸侯の対立の間に立ってこれら多くの政治権力に対する従属的地位らの解放と自由を獲得するために、逆に国王の側では特権と交換的にこれを要求するものをして献金させ、王室の貴重な財源としたところから、中世絶対主義時代の要請を反映するものであったが、更にすすんで法人を持って国家によって与えられた特権からまったく独立した人間の集合体として認識されるに至るのは、商事会社が形成されるようになってからのことである。(pp.12-13)

 そしてこれらの実態すなわち多人数の集合体はあくまでその構成員の共通の目的達成のために形成せられたものである。したがって、その本質的要素は、その構成員たる個人であり、その目的の最終的な帰属主体はすべて構成員ではあるが、これらの構成員の意思はこの集合体という組織を通してのみ定まり、その目的が達成されるのである。そこにこの集合体に、権利義務の帰属の途中点として法主体性が生じたときにはじめて法人格付与の実態が存すると認めて、法人格を与えているわけである。その意味で法人は全く法的実在、法的存在であるといわれているのである。したがってその点で英米法上も自然人と区別すべき理由はなく、法人自体を社会的に実在し存在するものとして考えてみるべきであろうか。(p.21)

イギリスにおける権限踰越の理論は沿革的に19世紀中頃、公益事業殊に特殊鉄道事業を営む株式会社が特別の制定法に基づいて多数設立されるに及んで、かかる成文法上の会社に関する判決において理論化されてきた原則であり、当初は会社と第三者との間の行為の効力に関するものではなく、会社の取締役が株主の多数派の指示のもとに少数株主の意思に反して、会社の目的の範囲外の行為を行おうとするばあいに、少数は株主がそのような行為の差し止め命令を求めうる理論として認められ、準則主義をとる一般会社法にもとづいて設立された会社についてはじめて、会社財産の保全を必要とする株主の利益保護のため、第三者との取引を無効なら締めるための理論として機能するにいたった。(p.43)

 ここでいうカンパニー(Company)は今日われわれが考えている会社制度とは異なり、その機能はあくまでそれぞれの分野における商業の保護統制を主たる目的とし、本質的に商人ギルドのそれとかわらない。ただその組織が都市を単位とするものではなく各種の商業的性格を持ったクラフト・ギルドの連合からなるものであった。いずれも国王から直接特許状によって法人格を付与せられ、それぞれ所属するメンバーの商取引の保護を図るとともに、その内部的統制の機能を果していた。特にその後の会社企業との関連において重要な点は、マーチャントアドヴェンチャーのカンパニーを除きその多くが都市における商品の売買の独占権を一手に握り、他社の財産として保有し、これを別個の企業に投資し、されにこれを他に貸し付け構成員の共同の財産として活用の道を開き、ジョイント・ストックの概念形成への契機をつくったことである。(pp.79-80)

 コンメンダとは、当事者の一方に当たる資本家(Commendator)が一定額の金額または資本財を供し、他方当事者である企業家(Active Trader, Comendateriusまたはtractor)がその供せられた資本を持って事業を経営し、その報酬として資本供与者が一定割合(一般に四分の一)の利益の配分にあずかるとともにその危険をも分担することを約する契約である。(p.82)

 そのひとつはソキエタスの構成員(組合員)は、相互に他の構成員(組合員)を代表する、いいかえれば、すべて組合員は対外的には組織の代表者的地位に置かれていた。したがって、一組合員が組合のために、第三者となした契約につき、他の組合員はすべて拘束されるという関係におかれていた。その二は、組合員はそのソキエタスの債務につき人的無限の責任を負っていたことがあげられる。(p.87)

 当時会社の設立申請中に必ず「国王ないし国家のため」という語が挿入されていたこと、必要なばあいに国王は多くの貿易会社に対し、貿易特権のみならず、海外で国家を代表したり、植民地経営の公的権限まで与えていたこと、その存在が国家社会の利益に反するときは、いつでもその特許状の破毀を認める条項が挿入されていたこと、そしてさらに製造工業を目的とせる私的会社の設立が企てられるも、容易に特許状を獲得できず、結局旧い特許会社の特許状が高値で売買されていたことなどから推して上のことは十分推測できる。(p.115)

 このような政府の態度はある上院議員をして、今迄明らかに長い間日和見的態度をとってきた政府が、何故にクリミヤ戦争の最もきわどいときに緊急の議題としてこれを処理しようとするのか理解に苦しむと主張させたほどであった。しかしこれは、有限責任を認めなければ、多額の資本が遊休のままに放置され、その結果資材に貧しいが才能ある者も、富者の援助を断たれ、企業と資本とが絶縁され両者の協力による社会資本の活用の道が閉ざされる一方、外国において既にこの制度が認められていることからして、イギリスがこれを認めなければ、国内資本が海外に流出し、国内企業の繁栄をとざすであろうという賛成意見に見られる経済上の必要性とこの意見を反映した諸新聞によって代表せられた世論が、政府をしてこのような法案を作らせ、かつその法案の採決に都合よく働いたことは疑いないところである。(pp.147-148)

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◆中條 秀治 2002 『株式会社新論 −コーポレート・ガバナンス序説』 文眞堂


序章 団体の概念
第一章 株式会社とは何か −団体の成立
第二章 株式会社をめぐる存在論と方法論 −団体の存在論と方法論
第三章 株式会社は誰のものか −団体の所有論
第四章 株式会社の内部構造 −団体の内部構造
第五章 経営者の正当性 −団体の運営論
第六章 株式会社の社会的責任と企業倫理 −団体の責任論
終章 資本主義の本質と経営の哲学

 団体概念から導き出される経営者の正当性というものが有効であるのは、この考え方によれば、経営者の正当性は「機関としての正当性」でしかないと言い切ることができることである。ここでは、経営者は「株主のため」の下僕となるが故に正当であるというような卑屈な考え方に立つ必要はない。また、社会制度的な機能単位として社会貢献することで正当性を持ちうるというような大上段に正義を振りかざしたような議論からも自由になれる。(p.165)

 団体概念から出てくる経営者の正当性の根拠はいたって常識的な範囲にある。経営者は団体運営に不可欠の機関である。この役割は基本的に団体目的の達成と団体維持である。団体そのもののためにやるべきことをやるのがその仕事である。もちろん株式会社はその制度によりその存在が規制されているから、制度の枠内での活動となる。また、株式会社として守るべき社会規範がある。経営者の見識は株式会社の社会制度的意義を認識するかどうかに依存する。(p.166)

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◆富山 康吉 1975 『現代商法学の課題』 成文堂


第一章 現代商法学の課題と方法
第二章 商事判例の特徴 −判例研究の目的と方法に関連して
第三章 株式会社法と手形法 −私法の二つの発展方法
第四章 株式会社とその法的規範構造
第五章 株式会社のなす献金
第六章 企業法からみた合併と労働関係
第七章 株式に関する規制と競争政策
第八章 株式会社法と現代社会 −法改正の課題は何か

 したがって、教育事業・社会事業などへの献金が、教育・社会福祉などにかかる一般的利益のためになす出損として評価されうるのに対し、政党への献金の場合は、これと異なり政党の公的使命一般に問題を解消して単純に公的目的のための出損としてこれを取扱うわけにはゆかないのであって、特定の政党の特定の政治的立場を支持しこれに資金的援助を与える行為として法的な取り扱いをうけざるをえない。後者の場合には、むしろ、社会のすべての個人にどの特定の政治的立場を支持するかの自由が平等に保障されることにこそ社会の一般的利益がきわめて強くかかっているわけである。それゆえ、会社が政治献金をなす場合、それは教育事業・社会事業などに醵金をする場合とは著るしく異なった関係になる。(p.82)

 第一に、会社内部の構成員との関係でいうと、そのでは、たんに、営利以外の価値のためになす支出一般と株主の収益帰属の利益との関係が問題となるにすぎないのではなく、構成員に究極的には帰属する会社財産が特定の政治的立場を支援するために費消されるという問題であって、団体を構成する個人に政治的立場を選択する自由があることとの関係が問題にならざるをえない。そして、一般に、かかる政治的立場を選択するかは、他人にゆだねえない性格の事柄であり、また私法上の団体において多数決に親しまない事柄として性格づけざるをえないことに注意する必要がある。第二に、国民の政治意思の形成は、これに対する参加がすべての個人に平等に保障されることに、社会のきわめて強い要請が働いていることとの関係も問題にならざるをえない。政党に献金するのは、その政党の特定の政治的立場を支持しこれに資金的援助を与えるものであって、投票権の行使と同様、国民の政治意思形成への参加という関係だと見ることができる。そのさい、個人によって献金の額に高低があり政治意思の形成への影響力が事実上異なるとしてもそれは致し方ないところであろう。けれども、個人が自己の財産から献金をなすのではなく、多数決や業務執行機関の判断によって自己の財産ではない会社の財産をもかような目的のために使用しうるとすると、すべての個人が平等に政治意思の形成に参加することと矛盾する関係になるわけである。(p.82)

 第一に、会社が法人として一個の生活体として活動するものであることは自明のことであって、問題はそもそもはじめから、その一個の生活体なる法人の活動範囲を如何に定めるかにある。だから、法人だとか一個の生活体だとかいってみても何の説明になるわけでもなく、ある法人の活動範囲の如何は、当該法人の性格・構造および当該の行為に関係する私的な意思、社会的利益の如何を考慮して決めるべき事柄であるにもかかわらず、この肝心の点については何も述べないで、「一個の生活体」という言葉からいきなり「政治献金ができるのは当然」という結論が引き出されている。第二に、ここでは「目的を達成するに必要または相当」な行為という意味づけの言葉もつかわれていて、この言葉を用いて、営業の遂行ー経済の安定と進歩ー政局の安定や健全な政党政治の確立−政治献金、という風に関連付けている。すでに述べたように、教育事業・社会事業などへの醵金が教育・社会福祉にかかる社会の一般的利益のための出損として評価されうるのに対し、政党への献金は、政党の公的使命一般の問題に解消して単純に公的目的のための出損としてこれらを扱うわけにはゆかないのであって、特定の政党の特定の政治的立場を支持しこれに資金的援助を与える行為として取扱われざるをえないものである。(pp.74-75)

 すくなくとも、私人による憲法原則の無視を放任する結果の重大性が認められる場合には、国家の基本的秩序違反という法的判断が働くべきものであって、株式会社のなす政治献金は、すでに述べたようにまさにこのような行為だと考えられるのである。
 したがって、株式会社のなす政治献金は、その行為の性質からいえば、権利能力の範囲外の行為としてではなく、公の秩序違反の行為(民法90条)としてその私法上の効力を否定されるべき行為である。(…)また、株式会社については、その活動範囲の限定をその権利能力の制限という一般的形式によらしめない立場においても、そのなす政治献金の私法上の効力を否定する結論がとられるべきである。(pp.123-124)

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◆星川 長七 1960 『英国会社法序説』 勁草書房


第一篇 英国における会社企業の生成と法規整
 第一章 産業ギルド
 第二章 制規(Regulated Company)の発展
 第三章 Joint Stock Companyの成立と株式会社への進展
 第四章 法人企業に対する認識の確立とその独占性への反感
 第五章 一般会社法成立までの会社企業と法規整
 第六章 近代的会社法立法の進展 ―1862年より現在に至る概観―

第二篇 英国における私会社制度
 第一章 私会社。(p.rivate Company)の発生とその法規整の変遷
 第二章 1948年の改正社会法と特例私会社
 第三章 現行私会社制度
 第四章 特例私会社の要件とその特典

 詳言すれば、東印度会社はRegulated Companyとして発足しながら、Joint Stock Companyに発展し、さらに株式会社へと形態的完成をなし遂げた。この過程の中にイギリス会社法を基礎づける諸原則が明確に樹立せられたばかりでなく、この会社の歴史こそ、ある意味において、イギリス会社法史の縮図とも言いうる重要な部分を形成しているからである。(略)産業ギルドの場合においても、またカンパニーの場合においても、それを法的存在たらしめるものは、原則として特許状であったが、初期においては、その拝受の主要目的が法人格というよりむしろ排他的な経済的特権におかれていたと思われる。そしてこのような排他的特権に担加する法人として、イギリスに特殊ないわゆるカンパニー制が確立し得たのである。(p.5)

 "Company"という言葉は語源的にはラテン語のcumとpanisに由来する。すなわち"gild"という言葉と同じくともに食事をすることを意味し、本来はこのような人々の団体をさすために用いられた。Company of Merchantsもこの言葉が本来意味するところから左程隔たってはおらず、それはある種の利益を共通することによって作られた商人たちの団結若しくは商人たちの組合団体というべきもので、本質においては、各種の商業的性質のクラフト・ギルドの連合から成る、変貌を遂げたギルドであった(当時、このようなギルドの或るものがカンパニーと呼ばれることが多くなった)。従って、今日われわれが理解するような会社企業としてのカンパニーとは全く別物であることが留意されなければならない。(p.35)

 要するに、the Merchant Adventuresにあっては、カンパニーを構成する個人商人が、カンパニーの規制に服しながら且つ共通の特権の保護のもとに、自己の計算で取引を行ったのであって、このさいにカンパニーを選んだ通信制度が多数の個別事業(separete venture)を相互に妨害しあうことなく一致して行動せしめたのである。以上の事実はカンパニーが外国の君主から特許をうることができ、貿易のために必要な共同使用の施設を取得することができれば、個人個人がそれぞれ自己の資本で、自分の危険において貿易するに十分であったことを物語っている。(p.78)

 制規組合は独占的な貿易統制機関であったが、その加入が決して困難でなかったことに関しては既に言及した。しかし、しだいに加入金をつり上げて、成員たる地位を開放しなくなる傾向が強まったのは、組合に内在する独占的性格にもとずく当然の帰結であった。そして、独占による利益を自らの手に確保しようとする一部少数者たちの結束は、他面カンパニーへの権限の集中となって現われた。(p.89)

 たとえば東印度会社では1615年に加入条件が定められ、持分(share)の取得とは別個に成員たる地位については大商人は50ポンド、ショップ・キーパーズは10マークスという加入金が課され、1692年にいたってもなお5ポンドの加入金を要した如くである。要するに、制規組合に対しJoint Stock Companyを特徴ずけるものは、結局成員すべての出資から成る合同資本(joint-stock)の存在、換言すればカンパニーの団体的規模に一致するjoint-stockが存在し、もっぱらこれらによって会社企業が営まれるという事実に求められなければならない。(pp.92-93)

 彼ら[ロシア会社の理事]は通常新たな成員加入の黙許、成員や貿易規制のための自治法の制定、特権に対する違反者の処罰等の権限を有した。けだし、これらのカンパニーの権限は、発見に基づくものであったから、カンパニーの領域で許可なく貿易する成員以外のものは、船や商品を没収せられたのである。(p.104)

 すなわち、個人がなんらの規制や保護を受けることもなく、安全・有利に自己の事業を営みうるようになるまでは、制規会社国家にとってもまた個々の外国貿易商人にとっても最善の利益を保証する手段であった、と。それ故イギリス国家が、これらのカンパニーによって行使されていた多くの権限を自らの手に回復したときに初めて、イギリスの外国貿易は完全に公開されることになったのである。(pp.118-119)

 Commendaと呼ばれる共同企業形態は、その語が委託する(commendare)という意味をもっていることから推測されるように、資本家が資力のない商人に資本を委託し、これをもって何らかの海床企業を営ましめるものであった。資本家はcommendatorと呼ばれ、受託者たる証人はcommendatirusと呼ばれた。委託の内容たる資本の形態は、初期においては商品であったが、後には貨幣が委託されるようになった。そして海商企業によって得られた利潤の配分方法は、commendatorが四分の三をcommendatariusが余分の位置とされるのが普通であったが、時として両者が折半することもあった。損失については、商品や貨幣がcommendatoriusの過失によらずして失われた場合は、その損失はcommendatorの負担に帰せられ、それ以外はcommendatariusが無限責任を負うものとされた。(p.125)

 上述のcommendaにやや遅れて同じくイタリーの商業都市に発生したsocietasは、はじめ陸上商業のために利用され、後に海上商業のためにも利用されるにいたったもので、永続的な組織であった。commendaもその後期においては、永続的なものとなったため、両者の差異がさまで顕著でなくなったとは言え、法律的には全く別個の法律行為として取り扱われた。そしてsocietasの連帯責任制(solidarity)と永続性。(p.ermanence)から、法律的には次のような内容をもつものとされた。すなわち、societasにおいては、各組合員は他の組合員を代表し、組合(firm)のためになした契約によって、他の組合員を拘束しえ、また各組合員は組合のすべての債権者に対して人的無限責任を負うものとされた。(p.126)

 たしかにクックが指摘しているように、当時の法人設立はすくなくとも理論的には、公的な利益のためのものであった。換言すれば、国家や社会の利益のために行動したが故に、排他的な経済的特権の共有が許されたのである。しかし、国家や社会の発展にとって、これらの特権の課す機能のほうが一層重要であったことは明らかであるし、また、既述のところからも十分に推測しうるように、理論的にはともかく、実質的にはかかる経済的利益が、法人格を付与する側にも、これを求める側にも、公的な利益に先立っていたことは疑いないと考えるのである。
 要するに、イギリスにおけるカンパニーとは、常に排他的特権によって保護される経済的利益と法人格とが不可分離的に結合している団体を指称するものと言いうるであろう。従って、上述のような「カンパニー制」のもとにのみ成立し得たJoint Stock Companyがいわゆる株式会社へと発展したとき、そこにかかる「カンパニー制」の揚捨が認められなければならない。(p.134)

 次いで、個別企業における利潤の分配並びに特質の分担についてみるに、利潤は出資額に応じて出資金の払い戻しと同時に分配されたことは、前に一言したとおりである。この際、特に留意しなければならないことは、損失の分配であるが、純粋のPertnershipにあっては各自連帯して無限責任を負わなければならなかったならなかったのに比し、制規組合の中に結成された巨大pertnershipは、一応カンパニーを通して、イギリス的な徴収という間接無限責任の形式をとらなければならなかった。
 さらに、この個別企業時代に東印度会社の出資が株式制の萌芽を示してしていたことは注目すべき事柄である。東印度会社の出資がadventureあるいはshareと呼ばれていたことについて、前にも述べたが、この持分は譲渡することが可能であった。スコットは東印度会社の船舶が帰航して、その積荷の競売が行われた後、持分の競売も行われ、原則として譲渡の相手方はカンパニーのメンバー(freemen)であることが要求せられてはいたが、部外者に売られた例もあったと言っている。しかも、この持分は一種の萌芽的株券の形をとっていた。すなわち、1601年2月17日の役員会の記録に、各出資者にカンパニーの印章(commonseal)のある持分証券(bill of adventure)を交付すべきこと、およびその形式についての議事が記されている。(p.159)

 イギリスにおける中央集権国家の確立は、国民による団体結成の自由を原則として抑圧した。ただ絶対君主の特権に基づいてのみ団体の結成が承認せられたのである。そこで企業家たる商人達はまず団体結成の権利を求めなければならなかった。けだし特許状なき団体は国家より疑念をもってみられたからである。次いで団体が結成されると、団体の自治権や成員にたいする課税権、団体内の紛争に関する裁判権、海賊その他の外敵に対する自衛権が必要とされた。しかしながら、このような団体結成の必要性は、既述のところから察知されるように、個人の能力を超えた事業分野では当然のことでもあったが、さらには貿易の独占権や、輸入出に関する特別法及び貿易を阻害するような諸法律の適用免除、関税の免除等の特権を取得し共有するためにかかる組織の存在が便宜であり、また効果的でもあったからに他ならなかった。(p.204)

 カンパニー制とは常になんらかの排他的な経済的特権と不可分理的に結合している法人たる団体を意味していた。しかも実際の観点からの、かかるカンパニーに対する本質的な必要性は、上述の経済的特権、殊に貿易独占権にあったことは言うまでもない。換言すれば、当時カンパニーの構成員の法意識は、彼らの個人性を超えた人格の創設にカンパニーの存在意義を見出したものではなく、もっぱら構成員の経済的利益を擁護することにあったのである。従って、法人はそのような経済的特権を最も効果あらしめるための手段すなわち副次的な意義を有するにすぎなかった。これはJoint Stock Companyについてはもとより、制規組合についても言えることであった。それ故、主として特許状で求められたものは、法人格そのものではなく、特権を象徴するカンパニー形態であったのである。(p.207)

 かようにして、開封勅許状による独占権の付与は、個人に商工業の規制や課税権、違反に対する処罰権などを与えることとなった。このような独占は総じて重商主義政策の影響の下に多数の問題を解決することを目的としていた。すなわちそれは、一方において国家の財源を拡大し、官僚や軍隊の維持費を調達し、他方において国内産業の発達を促しつつ未熟産業の保護育成を図り、商品を公正な価格で提供することなのであった。しかし個人による独占権の行使は必然的に私的利益の追求に通ずるであろう。(p.222)

 ともあれ、革命後の法律状況は一変した。国王大権は法人格付与の特許状を与える権限に限られ、如何なる独占権または特権の付与にも議会の同意を必要とすることが暗黙裡に承認せられた。そして国策上から独占がなおも必要とせられたときは、議会の権限がそのために発動され、当該会社に独占権の付与を伴う特許状を議会のみが与えうるとする特別法、または議会は国王にそれを授権しうるとする特別法が制定せられた。(p.226)

 有限責任の原則は既に仏・独においては承認されており、またイギリスにあっても特許会社や特別法上の会社については相当早くから認められ、必ずしも極端な投機や詐欺的な行為を助長せしめるものではないことが判明していたので、国民に対し一般的な投資分野を開く意味においてもこれを承認する立法の必要が叫ばれていた。そしてこうした願望は特に次の二点から切実に感じられていた。すなわち当時名目上全社員の無責任が規定せられていたとは言え、その強行は事実上不可能であり、企業家たる大社員のみが無限責任を負う結果となっていた。従って、これは企業家にとっては耐え難い苦痛であったのである。そのことが国内資本の海外への逃避を招来していた。資本家は多くの場合に、有限責任の認められていた外国会社に投資し、それも疑わしい性格のものが多かったことから、相当の損失を被らなければならなかった。

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◆早稲田大学フランス商法研究会 編 1975 『諸外国法典シリーズT フランス会社法』 国際商事法研究所

 
 序章 総則
 第1章 合名会社
 第2章 合資会社
 第3章 有限会社
 第4章 株式会社および株式合資会社
 第5章 株式会社および株式合資会社によって発行される有価証券
 第6章 法人格を有する各種会社に共通の規定
 第7章 匿名会社
 
 第2編
 第1章 有限会社に関する罪
 第2章 株式会社および株式合資会社に関する罪
 第3章 株式会社および株式合資会社によって発行される有価証券に関する罪
 第4章 各種の形態の会社に共通する罪
 
 
 

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◆今西 宏次 2006 『株式会社の権力とコーポレート・ガバナンス ―アメリカにおける議論の展開を中心としてー』 文眞堂

 株主有限責任制は、法律を通じて企業投資を促進させるために計画された補助金として理解できるだろう。会社債務の債権者は、有限責任制がなければ会社の所有者が負わなければならない会社債務超過の危険性を引き受けている。既に述べたように、契約債務者は事前の交渉プロセスを通じて自らを守らねばならず、また守ることも可能であるが、会社の不法行為の被害者や不随意債権者はその損害を負担しなければならない。契約によりあらゆる偶発事項がカバーできるわけではないため、外部効果は比較的頻繁に生じると考えられる。また、直接の当事者でないため、外部効果は比較的頻繁に生じると考えられる。また、直接の当事者でないために、会社の行動から影響を受ける多くの人々が無視されてしまっており、彼らも不随意債権者に含まれるように思われるのである。
 立法者は、有限責任をビジネスに投資する人々に与えられた特典であると考えており、そのコストにもかかわらず社会はもっとよい状態になると仮定していると考えられる。確かに有限責任は、会社株主やより一般的に社会全体にとっても有益であるかもしれない。これは、すでに述べたように、株主有限責任制によりビジネスの投資が促進され、それによって社会全体も恩恵を受けるからである。しかし、この場合、有限責任は会社の不法行為債権者や不随意債権者を含むところまで広げて考えていいものかどうか、改めて考えてみる必要があるように思われる。(p.210)

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西野 嘉一郎 (1935) 『近代株式会社論 -持株会社の研究-』, 森山書店


第一篇 近代株式会社特質論
 第一章 所論
 第二章 巨大株式会社への資本集中
 第三章 株式資本の分散
 第四章 株式会社に於ける統制形態の発展
第二編 持株会社
 第一章 持株会社の意義及び目的
 第二章 持株会社の発展
 第三章 持株会社の利害得失
 第四章 産業界に於ける持株会社の利用
 第五章 公益事業統制形態としての持株会社
 第六章 鐵道業に於ける持株会社の発達
 第七章 米国に於ける銀行持株会社の研究
 第八章 結論


 米国に於いてこの持株会社が大企業に利用せられるに至ったのは十九世紀の末の事である。1890年以前にも持株会社の制度が全然無いではなかったが、一般の株式会社が他会社の株式を所有することを禁止したという法律上の制限は持株会社の発達を阻害した。例えばニューヨーク州法、イリノイス州法、メァリーランド州改正法、マサチュセッツ州法、ペンシルヴェーニア州法は名文を持ってた会社株式の所有を禁止した。尚会社法にとくべうtの規定なき州においても裁判所はこの点に関しては害して否定的見解を有していた。その理由とするところは、会社の資金をもって他会社の株式を取得することは新なる事業に投資するものであり、それは買い手たる会社の株主の考え及ばざる投資にして、且つ会社設立の目的に含まれないものであるからというにあった。(pp.161-162)

◆上田 貞次郎 (1913/1975) 「株式会社経済論」, 冨山房(『「上田貞次郎 全集第二巻 株式会社経済論』, 第三出版に再録)

 和蘭の商人は「コンメンダ」の法、並びに船舶共有を実行したれども、もとより子のごとき小組織に手は不十分たるを免れざるが故に、これらの小団体を多数に連合して大なる組合を組織し、大艦隊をつくりて航海することとなしたり。この場合は単に外交上、軍事上の共同機関たるのみにして商業上には組合員別々に働きたるものなれば一種の同業組合ともいうべきなり。しかるにこのごとき組織にては商人はインドに行けば物品の購入に尽きて競争し、欧州に帰ればまたその販路について競争し、到底全体の利益を進捗すること能わず、数年にして破産者を出したり。これに於いて政府は1602年その救済の方法として全体の大同団結を組織せしめ、これを東印度貿易会社と称して、当方商業の独占権を興したり、是れ即ち最初の特許貿易会社なり。(p.33)

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◆青木 昌彦・奥野 正寛・岡崎 哲二 編著 (1999) 『市場の役割 国家の役割』,東洋経済新報社 ISBN4-492-31256-0


第T部 経済システムと国家
 第1章 官僚制多元主義国家と産業組織の共通化 青木昌彦
 第2章 国家の役割の再定義 −国家はなにをすべきか、国家はいかにすべきか、こうした問題はいかに決定すべきか ジョセフ・E・スティグリッツ
 第3章 情報化と新しい経済システムの可能性 奥野(藤原)正寛
 第4章 市場と政府の補完的役割 −市場機能拡張的政策の必要性 一柳良雄・細谷祐二
 
第U部 日本経済システムの変化と国家の役割
 第5章 日本金融システム不安とコーポレートガバナンス構造の弱点 深尾光洋
 第6章 景気変動過程におけるわが国の雇用創出と雇用喪失の特徴
 第7章 戦後日本の産業政策と政府組織
 第8章 多様な選択を可能とする市場機能拡張的な政策メニュー 一柳良雄・細谷祐二

第V部
 第9章 東アジアの通貨危機と配分をめぐる対立 寺西重郎
 第10章 グローバリゼーションと政府の役割 長岡貞夫
 第11章 国際統合の加速と途上国政府の役割 −非欧米社会の市場経済化とは何か 大野健一
 第12章 コーポレート・ガバナンスの多様化と修練かー財産権に関する分析 カーティス・J・ミルハウプト

・第2章 国家の役割の再定義 −国家はなにをすべきか、国家はいかにすべきか、こうした問題はいかに決定すべきか ジョセフ・E・スティグリッツ

 国家の適切な役割を追究するためには、「社会におけるほかの組織と比較して国家は具体的にどう異なるか」という質問にまず答えなければならない。その答えは国家権力の性質の厳選にかかわる。国家とその代理人は、あることをさせる(たとえば兵役)あるいはさせない(たとえば麻薬の販売)ことを合法的に強制しうる唯一の存在である。(p.31)

 政府を批判する人々の多くは、市場に対する次のような仮定を前提にしている。第一に、市場は自律的に効率のよい結果を生み出す。第二に、効率は個人間あるいは世代間の配分よりも重要である。このような判断にもとづき、政府の批判者たちはいかの主張をおこなっている。@政府にできることは何事でも民間がもっとうまくできるので、政府は不要である。A政府がすることはすb手民間が元に戻すかもしれないし実際に戻すであろうから、政府は不要である。B公共機関特有のインセンティヴ構造の元では、政府の活動によって通常、社会構成が低下し、少なくともあるグループから資源を取り上げてしばしば資格が劣るほかのグループへ与えることで生産的な経済活動が妨げられる。(p.32)

 秘密主義すなわち除法の制限は、政府の役人が決定を下すさいに外部の人の参加を制限するためによく用いられる。その結果、意思決定プロセスにおける排他性が担当役人の影響力トレントを高めるのである。情報の制限は、実際上、意思決定プロセスにおける競争の制限に他ならない。開放性を高めることは、特殊利益団体の影響力を弱め、政府の効率を改善するための強力な手段となりうる。(p.41)

 つねに変化し続けている社会においては、「次の」意思決定が必ずある。社会が直面する諸問題は複雑であり、より多くの市民の希望についての情報を取り入れた決定、あらゆる参加者がより深いかかわりを持った決定が為される可能性が高くなる。(p.52)


 第4章 市場と政府の補完的役割 −市場機能拡張的政策の必要性 一柳良雄・細谷祐二

 要約すれば、価格を通じた市場の資源配分機能の特徴は、@分権的であること(decentralized)、A価格というきわめて限られた公開情報に多くの情報を圧縮するという価格シグナルの利用、B価格をシグナルとして経済主体が自己のより大きな効用なり利潤を追求しようと誘うインセンティヴ体系である。(p.109)

 

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◆村田和彦 (2006) 『企業支配の経営学』, 中央経済社

 
序章 本章の課題と構成
第1章 個人株主支配説の検討 −小松晃の企業支配論の研究−
第2章 非個人株主支配説の検討 −スコットの企業支配論の研究−
第3章 経営者支配説の研究 −ハーマンの企業支配論の研究−
第4章 会社それ自体説の検討(1) −北原勇の企業支配論の研究−
第5章 会社それ自体説の検討(2) −片岡信之の企業支配論の研究−
第6章 会社それ自体説の検討(3) −宮崎義一の企業支配論の研究−
第7章 従業員支配説の検討 −ブレアの企業統治論の研究−
終章 企業支配・企業活動・市民生活

 ところで、本書でわれわれが取り上げた「企業支配論」においては、「支配」の概念規定について相違が見出されるにしても、「支配」の基礎は、いずれにおいても「所有」にもとめられている。「株主」が株式所有者であることは明白であるとして、「会社それ自体」が支配者として把握されるのも、会社の結合資本・現実資本の所有者が「会社それ自体」であると解されるからである。また「従業員」が支配者として把握されるべきであるとされるのも、競走優位の源泉として解される「人的資本」の所有者が「従業員」であるからに他ならない。このかぎりにおいて、本書が取り上げる企業支配論は、すべて「所有者支配」を論ずるものとなっている。もっともHermanの場合には、非所有者のとしての経営者が「支配者としてとりあえずは把握されている。そのかぎりでは、それは「非所有者の支配説」なのであるが、記述のように、「制約者」の存在が指摘されており、しかもこの「制約者」は所有者であり、この所有者の了承がある場合にのみ、経営者もその「職位」にとどまることができるのである。(pp.422-423)

 いずれにせよ、「使用価値の生産を介した価値の創出」という経済活動を経営者に託すとともに、この企業買うt堂のために必要な資本の中核部分を自ら率先して絵提供した上で、期待に反する企業活動をした経営者は、これを更迭する株主集団、当該企業の存続と発展を自己の関心事とし、当該企業と一体的・定着的関係にある、一群の「資本提供者」(中核株主)こそが、現代株式会社企業の支配者であり、こうした支配者の期待の枠の中で、経営活動に従事すること託された存在が経営者なのである。(p.432)

 

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◆奥村宏 (1998) 『無責任資本主義』, 東洋経済新報社



 フォード財産はフォードT型車で成功したヘンリーフォードが所有していたフォード・モーターの株式を寄付して設立したものである。アメリカの大型財団のほとんどはこのようなタイプのもので、資本家がその財団を寄付してできたものである。もっとも、このような財団には社会貢献とは隠された別の目的がある。それはひとつは税金対策であり、もうひとつは財団に事実上の特殊会社としての役割を持たせるということである。アメリカでは財団法人に寄付をすれば税制上優遇されるので、資本家は生きているうちに相続税対策として財団に寄付をするのだといわれる。もうひとつの特殊会社としての役割は、資本家が持っている株式を財団に 寄付しておけば、財団は大株主として特殊会社と同じような役割を果たすという意味である。その場合、財団が所有している株式の議決権は財団の理事長が行使するので、その理事長に自分の都合のよい人物を任命しておけばよいということになる。(p.158)

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◆竹中龍雄 (1968) 『新版 公企業経営』, 千倉書房


第一編 序論
  第一章 公企業の意義および特質
  第二章 現代公企業の生成とその発達
第二編 公企業経営の特質
 第一部 総論
  第一章 公企業経営の特質
  第二章 公企業の合理化
  第三章 公企業のトップ・マネジメント
 第二部 各論
  第一章 公企業経営の指導目的とその経営方法
  第二章 公企業の収益主義的経営の可否
  第三章 公企業の独立採算制
  第四章 公企業の経営能率の測定と能率増新作
  第五章 公企業の経営財務の特質
  第六章 公企業の予算
  第七章 公企業の会計
  第八章 公企業の料金
  第九章 公企業の形態と内部経営組織
  

 公企業概念の規定の仕方にふたつの類型が存している。その一つは、企業それ自体の公共性を、問題として取り上げているものであり、その二は、企業を所有経営する主体の公的性格を、問題としているものである。沿革的にみれば最初に発生したものは第一のものであるが、こんにちにおいては、公企業をかような立場から把握しているものは少なく、第二の見地から公企業を把握することが通例である。
 中世の封建経済においては、各個人または団体の自給自足的経済生活と領主に対する奉仕の仕事が重要な地位を占め、一般公衆を対象とした不特定多数の需要充足のための営業は、比較的少なかった。ゆえに、イギリスでは、核のごとき営業は、当時、公共的職業(Public calling or common calling)と呼ばれて、特別の扱いがなされていたのである。
 資本主義経済の成立をみるにいたり、企業は、かような意味においては、ほとんど皆、公的性質を有するようになったから、中世の公共的職業という観念はいつしか姿を没してしまった。最も今なおかような考え方が完全に解消したわけではなく、げんにドイツにおいては、公共的供給事業(öffentliche Engergiversorgung)とか、公共的交通事業という概念が残存しており、英米でも、公共的交通事業(Common carier)という言葉が残っている。ここにいわゆる公共的というのは、自家用でも官用でもなく、一般公衆の利益に供せられることを意味しているのである。(・・・)しかし、自由放任が維持されていた時代にあっては、生活の必需のサービスを提供する企業のすべてに対して、公共統制を加えることは、容認されるべくもなく、さらに、一定の限定をなすことが必要であった。この限定は、生活の必需のサービスを提供する産業が、自然的、地域的独占性を有することに求められた。かくて、アメリカにおいては、かような特殊の技術的、経済的特質を有する鉄道事業、通信事業、軌道事業、電気事業、ガス事業、水道事業などの一連の産業分野における企業を、公益企業(Public utilities)と総称し、これに対し、特殊の公共統制が加えられることとなったのである(pp.11-12)

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◆山谷修作 (1978) 『比較公企業論』, 高文堂出版社
第1部 各国における公企業制度の研究
 第1章 比較論序説
 第2章 イギリスの公企業
 第3章 アメリカの公企業―ガバメント・スポンサー・エンタプライズの発達
 第4章 西ドイツの公企業
 第5章 イタリアの公企業
 第6章 スウェーデンとの企業
 第7章 トルコの公企業―発達途上の経済のおける公企業の役割
第2部 公企業をめぐる諸問題の研究
 第8章 問題考察の基本的視点
 第9章 公企業の経済的効果―イギリス国有化産業の生産性
 第10章 公企業のための効率基準
 第11章 公企業と公共の利益

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◆ロナルド・ドーア (2006) 『誰のための会社にするか』, 岩波新書1025


第1章 コーポレート・ガバナンス―「治」の時、「乱」の時
第2章 グローバル・スタンダードと企業統治の社会的インフラ
第3章 どこに改革の必要があったのか
第4章 組織の変革
第5章 株主パワー
第6章 株主天下の老後問題
第7章 ステークホルダー・パワー
第8章 考え直す機運
第9章 ステークホルダー企業の可能性

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◆谷口和弘 (2006)『企業の境界と組織アーキテクチャ―企業制度論序説』, NTT出版


第1章 正の創造と負の回避
第2章 企業とは何か
第3章 企業変化の比較制度分析
第4章 企業の組織アーキテクチャ
第5章 組織は戦略を補う
第6章 株式会社の性質と比較コーポレート・ガバナンス
第7章 企業境界のダイナミクス
第8章 さまざまな手
第9章 既知との遭遇

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◆UP:060603,REV;06807,060928,1003,070228,0309,0317,0320,0329,0415,0608,1009