
稚内の思い出
《曽根義則氏を偲んで》
日本最北の街のシャンソニエ【マ・ヴィ】ここにありき!

Ma vie
マ・ヴィとは仏語で(我が人生)
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日本最北の街にシャンソニエがあった!
オーナーの曽根義則氏は東京銀座のシャンソンのメッカ“銀パリ”で活躍された歌手であった。
シャルル・アズナブールが好きでその作品がレパートリーの中心を占めていた。
1975年、一大決心のもと帰郷され同年11月8日この地にシャンソニエ(マ・ヴィ)をオープンされた。
その後はこの故郷で結婚され、お店もある程度軌道に乗り順風満帆な日々を送られていたように見受けられたのだが、
残念なことに病を患い
しばらくの闘病の末2000年4月6日遂に帰らぬ人となってしまった。
このシャンソニエのオープン時以来、数年に一度曽根氏の伴奏のため当地を訪れていた小生は
故郷をなくしたような寂しさでいっぱいであり、最近でもことある毎に当時の回想に耽ったりしている。
《マ・ヴィ》
1975年オープンの頃のマ・ヴィ
ジルベール・ベコーとシャルル・アズナブールの写真を背景に音楽談義に夜毎花を咲かせた青年達!
彼等は誰も夢にあふれた若き熱血高校教師達であった。
皆どこへ行ってしまったのだろう?
《マ・ヴィその2》
1984年9月
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左:曽根氏の奥様の顔が見える!
右:鶴舎(つるや)君ご兄弟や藤本氏の顔が見える!

鶴舎(つるや)K君とM君ご兄弟
弟さんK君(左側)は海外青年協力隊員として二年程アフリカに出向き滞在した!またバイクで東京の我が家を尋ねてくれたこともあったし、2001年の僕のサハリン旅行の際にはいろいろ便宜をはかってくれた青年でした。
ところが、先日思いもかけぬ事故により若くして突然にこの世を去ってしまった。
言葉にならぬほどのショックと悲しみに襲われた。同時にまた一歩稚内という街が遠ざかってゆくように思われた。
《我が心の街》
僕は何度この地に足を運んだのだろう。
いつ訪れても快く迎えてくれるこの街が大好きだった!
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左:宗谷岬日本最北端の碑(北緯45度31分14秒)
右:丘の一番南側に丘陵の方を向いて立っている男女のブロンズ像「あけぼの像」がある。
これは、北海道の牛乳生産量100万トンを突破と、飼育乳牛50万頭突破を記念して、
1971年(昭和46)7月に建設されたもので、“天北酪農の夜明け”を象徴したとのことである。
ジャズ・ハウス《ミスティ》
オーナー亡き後のマ・ヴィはここに移店し、彼の奥様が一人お店を守っている。