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1.リディツェ村とは?
「リディツェ」と聞いて、チェコのリディツェ(Lidice)を思い出せる人はあまり多くないかもしれませんが、第2次世界大戦中に行われたナチス・ドイツの残虐な行いと、そこから立ち直る過程が戦後平和の象徴としてとらえられた、チェコ内外で有名な場所です。
リディツェはチェコの首都プラハから北東部の郊外、ちょうどプラハとクラドノ(Kladno)の中間付近にあり、プラハから約20km、ルズィニェ(Ruzyne)国際空港にも程近い地域にあります。
事の発端は、1942年ドイツ占領下のチェコでの出来事。プラハで当時ボヘミア=モラヴィアの代理総督だったラインハルト・ハイドリヒがチェコのレジスタンス勢力に暗殺されたことに始まります。このラインハルト・ハイドリヒはもともと国内治安対策などで厳しい対処をしてきたことで活躍してきた人物で、1941年のチェコ着任後もイギリスやソ連に亡命していた反ナチスチェコ人勢力と協力した人物や、国内のレジスタンス勢力などをの反ドイツ抵抗勢力を激しく弾圧した人物です。当時、ドイツはチェコを軍需産業の生産基地として、また対ソ連戦の防衛拠点として重要視していました。
当時、イギリスに拠点を置いていたチェコスロヴァキアの対ナチスドイツ勢力は、イギリスと協力しハイドリヒ暗殺を計画しました。ハイドリヒ暗殺によって、対ナチスドイツ勢力の士気向上を図ったのです。2名のチェコ人がパラシュート降下、チェコ国内のレジスタンス勢力と協力して、1942年5月27日プラハ市内でラインハルト・ハイドリヒは暗殺されました。これらパラシュート隊員たちとレジスタンス勢力はその後、プラハ市内の聖キリルと聖メトディウス教会で発見され、激しい攻撃を受けました。その際の銃弾痕が現在も教会に残っています(3.を参照)。
リディツェとは一見何の関係もなさそうなこの事件、意外なところからリディツェは巻き込まれていきます。とある工場で見つかった事件をほのめかす手紙から、あらぬ疑いがリディツェ村にかけられていきます。リディツェ村には当時行方不明だった男性が数名いて外国で活動しているらしいという情報も手伝い、リディツェ村はハイドリヒ暗殺を企てた犯人の出身地ということで、ドイツ上層部に報告されました。6月9日には、リディツェ村抹殺命令がドイツ上層部から出されます。具体的には、村の男性の全員射殺、女性・子供の強制収容所行き、小さな子供のドイツ化教育(ドイツ人家庭に養子に出された)、そして村の物理的破壊で、村を完全に消滅するつもりだったようです。すでにハインリヒ暗殺の当事者を知るもので、その事実を隠すものは家族一同死刑という指令が暗殺後すぐに下っていました。6月9日の命令が下ってから、迅速にすべての命令が実行されていきました。ドイツの仕事に対する徹底ぶりはここでも発揮きっちりされたようで、上記の命令を実行していきます。人間は無人となり、村はまったいらの野原にされてしまいました(上記写真参照)。銃殺に関しては15歳の少年から80を過ぎた老人まで殺害され、村の破壊については、ドイツやチェコの工兵隊・労働部隊が合計2万時間働いたといわれています。
結局、ハイドリヒ暗殺とリディツェ村の関連ははっきりすることなく、ナチス・ドイツの見せしめ的行動としてリディツェ村は、地球上から消滅させられたのですが、これに対し連合国の国々や、各国に散らばったチェコスロヴァキア国民を奮い立たせることになりました。当時の時代背景から、対ナチスのプロバガンダや共産主義の宣伝に利用された感もありますが、この出来事から世界中がナチス=ドイツに対する抵抗の象徴、戦後は平和の大切さを訴えかける象徴として世界中にその名が広がることになりました。世界中の各国で広場や村の名前、人名に「リディツェ」の名前がつけられることもあったようです。戦後は、「リディツェの薔薇」活動が展開され、国際的な平和についての運動の象徴となりました。
2.MEMORIAL LIDICE と現在のリディツェ村
1945年に対独戦が終了すると、早速もともとのリディツェ村の住人で、強制収容所やドイツ人家庭に養子に出されていた女性や子供を連れ戻す作業が始まりました。1947年には、旧リディツェ村に程近い場所に新しいリディツェ村が建設され始め、元の住人が戻り始めました。新しいリディツェ村はきれいに区画整理されており、そこに立派な住宅群と郵便局などが立てられました。
もともとのリディツェ村があった場所は、ドイツ軍に破壊されただだっ広い野原のままにされ、記念碑を作って保存されることになりました。そこでは毎年記念式典が行われています。村を見下ろす高台には、リディツェ村で起こった出来事を展示した博物館「MEMORIAL
LIDICE」があります。中に入ると、右側に当時の遺品や写真などを展示したスペースがあり、階段を下りると当時の様子とリディツェ村の出来事をまとめた20分程度のフィルムを上映する場所があります。フィルムは、@Sushi
が訪れた際には、英語・チェコ語・ドイツ語などがありました(日本語はなかった)。英語のフィルムを見ましたが、言葉があまりわからなくても、映像だけでも十分理解できます。
遺品を展示しているスペースには、当時の写真や生活用品などが展示されていて、住人一人ひとりの写真を貼り付けたボードは胸を打ちます。訪れた際は冬だったためか、他に訪れる人もなかったため、館の係員が日本語の説明テープを流してくれました。
館の外は広場になっていて、そこには慰霊碑のようなものと、村人が追い立てられた際の様子を描いたレリーフが飾られています。南側を見るとかつてのリディツェ村が一望できます。本当に何もなくなっていることにぞっとします。ドイツ軍によるこの手の行為は、占領下のチェコのみにとどまらず、フランスやソ連など各地で行われたといいます。
MEMORIAL LIDICEの詳しい情報は、ホームページ http://www.lidice-memorial.cz/を参照ください。基本的に、年中無休ですが、ヨーロッパのほかの博物館の例に漏れず、冬場の営業時間は短いので注意。
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