クルーグマン NYT コラム翻訳私家版>論説:「低賃金労働を称えて:ひどい賃金のひどい仕事でも無職よりマシ」

低賃金労働を称えて:

ひどい賃金のひどい仕事でも無職よりマシ

ポール・クルーグマン

スモーキー・マウンテンの名で知られるマニラの巨大ゴミ捨て場は,長年にわたって第三世界の貧困の象徴として好んでメディアに取り上げられてきた.数千人の男性・女性・子供がゴミ山に住み着いて,悪臭やハエや有毒廃棄物に耐えつつゴミ山を書き分けてくず鉄なんかの再利用可能なものをみつけて生活の糧にしていた.彼らがあそこに暮らしていたのは自らすすんでのことだった.それというのも,彼ら不法居住者が一家族あたり一日に稼ぐ10ドルそこそこという額は他よりも割がよかったからだ.

いまはもう不法居住者たちはいなくなっている. 環太平洋サミットをひかえての美化運動の一環として,去年フィリピン警察が強制的に退去させたからだ.このごろ,ぼくはスモーキー・マウンテンのことを考えていることがある.一束あまり新しい抗議の手紙を読んでからのことだ.

〔抗議の〕きっかけになったのはぼくが『ニューヨーク・タイムズ』に寄稿した論説で,そのなかで,たしかに第三世界の新たな輸出産業の賃金と労働条件は劣悪だけれど,「それ以前のあまり目につかない農村の貧しさ」からは大きく改善しているんだよ,と指摘しておいた.こんな論評を書いたら「まあね,もしあなたがアメリカ人大学教授としての快適な地位を失っても,いつだって他の仕事は見つかるよね──12歳で1時間40セントで働く気さえあればの話だけど」みたいな内容の手紙がどんどん寄せられるってことくらい,予測しておいてしかるべきだったんだろう.

こういう道義的な憤慨は,グローバリゼーション反対者たちによく見られるものだ──高賃金の国々から技術と資本を低賃金の国々に移動して第三世界に労働集約型の輸出の成長をもたらすことに反対する人たちにね.こういう批判者たちは,このプロセスをよく言う人間はうぶでないとしたら邪悪なのであり,どっちにしろ内外の労働者を抑圧している点でグローバル資本の手先なんだとだと決めてかかっている.

でも,ことはそう単純じゃあないし,道義的かどうかの線引きもそれほど明快じゃない.それどころか,ぼくは反対に非難したい:グローバリゼーション反対者たちがお偉く道徳ぶった口調でものを言えるのは,ただ彼らがじぶんたちの主張をよくよく考えていないからでしかない.なるほど金持ち資本家たちはグローバリゼーションから利益を得ているかもしれないけれど,いちばん恩恵を受けている人は,そう,第三世界の労働者たちなんだ.

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だいたい,世界的な貧困は多国籍企業の利益のために最近つくりだされたものじゃあない.時計を巻き戻して,たかだか20年ほど前の第三世界をみてみよう(それでも多くの国はいまと大差ないけど).あのころは,一握りのアジアの小さな国々急速な経済成長をはじめて注目されていたものの,インドネシアやバングラデシュみたいな発展途上国はおおむね相変わらずの状態だった:原材料を輸出し,加工品を輸入していたわけ.非効率な製造部門は,輸入割当に保護されつつ国内市場に供給してしたけれど,雇用はほとんど創り出していなかった.その一方で,人口増加の圧力に追い立てられた農民たちはこれまで以上に辺鄙な土地を開墾するようになったり,なんであれ可能な生計を探すようになった──ゴミ山に住み着いたりとかね.

こんな具合に他の〔就業〕機会がないとなると,ジャカルタやマニラの労働者はわずかな食い扶持だけで雇えるようになる.でも70年代中盤になると,発展途上国は安い労働力だけでは製品の世界市場で競争できなくなっていた.先進諸国には確立された優位点がいろいろあって,それはたとえばインフラや技術的ノウハウであり,〔途上国よりも〕はるかに大きな国内市場規模や主要な部品の供給者への近さであり,政治的安定性や効率的経済をまわすのに必要となる捉えがたくも重要な社会的適応であったりする.こうした先進国の優位は,〔先進国と途上国との〕10倍いや20倍もの賃金率格差すら凌いでいるように思われたんだ.

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そのあと,変化があった.まだ完全には分かっていないいろんな要因──低くなった関税障壁や,改善された遠隔通信,安くなった空輸費用など──が組み合わさった結果,発展途上国で生産することの不利な点が少なくなったんだ.(他の事情が同じなら,今でも第一世界で生産する方がいい──生産拠点をメキシコや東アジアに移転したもののの,第三世界の環境の不便さを経験して戻ってきた企業の話はよくあるよね.) 少なからぬ数の産業で,低賃金により発展途上国は世界市場に打って出ることができるようになった.そんなわけで,以前はジュート繊維やコーヒーを売って生計にしていた国々が,かわりにシャツやスニーカーを生産し始めた.

シャツやスニーカーなんかの工場の労働者たちは,どうしても,ごくわずかな給料をもらってひどい労働条件を耐えるよう期待されざるをえない.「どうしても」と言うのはなぜかというと,彼らの雇用主たちはじぶんたちの(あるいはじぶんたちの労働者の)ために仕事しているわけじゃないからだ.彼ら雇用主たちは,できるかぎり少ない給料を払う.その最低額を決めるのは,他のどんな機会が労働者たちに開かれているかだ.で,こうした国々はいまだに極めて貧しくって,ゴミ山での生計が他の機会に比べて魅力的なほどなんだよね.

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それでも,新しい輸出産業が成長したところではどこでも,庶民の生活はそこそこ改善される.その理由はひとつは,成長産業は労働者をよそから転職させるために彼らがいま払われている分よりいくらか多い賃金を提示せざるを得ないからだ.だけど,それより大事なのは,製造業が成長すると──それと,その輸出部門がつくり出す新しい仕事の関連分野が成長すると──経済全体に波及効果が生じるということだ.土地の圧迫はまえよりゆるくなって,農村の賃金は上昇する.仕事を求める都市居住者たちのプールは縮小していくので,工場はたがいに競って労働者を得ようとし,都市部の賃金も上昇する.この過程がじゅうぶん長く続いたところでは──たとえば韓国や台湾では──平均賃金が上がっていき,アメリカのティーンネイジャーがマクドナルドで稼ぐくらいの額に近づく.すると,やがて人々はゴミ山で暮らしたがらなくなる.(スモーキー・マウンテンがずっと存続していたのは,近隣諸国の輸出先導の成長に最近までフィリピンが参加していなかったからだ.ゴミ漁りより稼ぎのいい仕事はいまでもごくごくわずかしかない.)

輸出先導の経済成長が,新たに工業化しつつある経済に暮らしている大衆に利益をもたらすということは,推測なんかじゃあない. インドネシアみたいな国はいまでも貧しくて,平均的な人間がどれくらい食べられるようになったかで進歩を測るほどだ. 1970年以来,一人当たり摂取量は一日2100キロカロリーから2800キロカロリー以上に上がった. 恐ろしいことに幼い子供の3分のT以上がいまなお栄養失調にある──だけど,1975年にはその比率は半分以上だったんだ. 同様の改善が環太平洋の全域にみられる.バングラデシュみたいな国でさえもだ. こうした改善が起きているのは,西洋にいる善意の人々がなにか手助けをしたからじゃあない──海外援助はこれまでだって額が大きかったためしはないけれど,最近はさらに縮小して実質的にゼロになっている. それに,政府の慈悲深い政策の結果でもない.これまでどおり無慈悲で腐敗したままだ. これは,魂なき多国籍企業や地域の強欲な起業家たちの行動の意図せざる間接的な帰結なんだ. 彼らの関心は,安い労働力のもたらす収益機会を利用することにしかない. ここには心洗われるスペクタクルなんてないけれど,でも,関係者たちの動機がどれほど卑しかろうと,結果としては何十億もの人たちがおぞましい貧困から抜け出て,ひどいながらもかなりマシな状態になったんだ.

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じゃあ,どうしてぼくに手紙をくれた人たちは憤慨してるんだろう? どうして一時間60セントでスニーカーを縫製してるインドネシア人の映像の方が,家族を養うためにわずかな土地を耕して一時間30セント相当を稼いでいるインドネシア人の映像よりも──あるいはゴミ山をあさっているフィリピン人の映像よりも──ずっと感情を逆撫でするんだろう?

その主な答えは,一種のえり好みにあるんだとぼくは思う. 餓えるほどの暮らしをしている農民とちがって,スニーカー工場の女性や子供たちは奴隷賃金でぼくらの利益のために働いている──このことにぼくらは後ろめたさを感じてしまう. だから国際労働基準[*]を独善的に求める声が出てくるんだ:グローバリゼーション反対者たちは主張する,「労働者たちがまともな賃金を受け取ってまともな条件下で働くようにならないかぎり,我々は彼らのつくるスニーカーやシャツを買うべきではない」 

これはまさしく公正なことに聞こえるね──でもホントにそう? その結果をよく考えてみよう.

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まずなにより,かりに第三世界の輸出産業で働く労働者たちがいまより高い賃金ともっといい条件で働けるようにできたとしても,そうした国々の大部分の人口を占める農民や日雇い労働者やゴミあさり屋たちにとって,そのことはなんにもならないだろう. せいぜい,発展途上国に強制してぼくらの労働基準を厳守させることで特権的な労働貴族を生み出し,大多数の貧しい人たちは現状のままにするだけだ.

それに,これすらできないかもしれない. 確立された第一世界産業の優位はなおも別格だ. こういう〔先進国の〕産業と途上国が競争してこれた理由は,雇用主に安い労働力を提供できるという一点にしかない. そのとりえを否定したら,産業の継続的な成長の前途を否定することになりかねず,それどころか達成された成長を後戻りさせることにすらなりかねない. 輸出志向の成長は,不当なこともあるけれど,こうした国々の労働者たちにとって巨大な恩恵となってきたわけで,その成長の足を引っぱることは彼らの利益に反する. 原則上ではよい仕事・実践上では仕事ゼロという政策は,ぼくらの良心こそ満足させるかもしれないけれど,受益者と目される人たちにとってはなにもいいことがない.

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地に呪われた者を強いて富める者のために薪を切り水をくむ者,スニーカーを縫製する者にさせてはならない,と言う人がいるかもしれない. でも,対案は何? 海外援助で助けるべきなの? そうかもね──でも南イタリアのような地域の歴史的記録をみると,そういう援助は永続的な依存を助長してしまう傾向があるとわかる.どっちにしても,意味のある額の援助が実現される見込みはまったくない.彼ら自身の政府がさらに社会的公正をもたらすべきか? もちろんだ──でもどの政府もやらないだろう.少なくとも,ぼくらがやれと言ったからといってやるはずがない.低賃金にもとづく工業化への現実的な対案がないかぎり,これに反対するということは,悲惨なまでに貧しい人たちが向上する最善の機会を煎じ詰めれば美学的な基準のために否定したがっていることを意味する──つまり,労働者たちがわずかな賃金で西洋人にファッション・アイテムを提供するっていうのがあなたには気に入らないということを意味する.

ようするに,抗議の手紙の主たちには独善を言う資格なんてない.彼らは問題を考え抜いていない.何十億もの人々の希望が賭けられているときには,考え抜くことはたんにすぐれた知的営為であるだけじゃない.それは道義的な義務だ.[back to pagetop]

リンク

グローバリゼーションに対する道義的憤慨がどんな感じか知るには,「コーポレート・ウォッチ」に行くといい. 巨大多国籍企業の「強欲さ」を暴露するためにつくられたサイトだ. それとも変り種がみたければ,「スウェット・ギア」がおすすめ. これは風刺的なオンラインのカタログで,中央アメリカのスウェット・ショップ〔「労働搾取工場」〕を攻撃している. こういうのとちがう反グローバリゼーション論──民主主義の脅威だという主張──をベンジャミン・バーバーが『アトランティック』誌で述べている. この議論に関するクリントン政権の発言は,労働長官〔当時〕のロバート・ライシュがコア労働基準のさらなる遵守を求めた国際労働機関 ILO の演説にみられる. ポール・クルーグマンについてさらに知りたければ,彼を「偉大な暴露屋」と名づけた『ニューズウィーク』誌のプロフィールをみるといい. マクドナルドでの雇用に関する情報は,同社の世界的な経営トレーニングセンターである「ハンバーガーU」のウェブサイトでみつかる. [back to pagetop]

[*訳者のメモ] J.バグワティのまとめによると,多国籍企業の投資先の選定には [A]賃金の低さは大きな判断材料になっているが [B]労働基準の低さや環境基準の低さは重視されていないそうだ:

しかし,多国籍企業が進出場所を決めるにあたっては多くの検討項目があり,賃金はそのうちのひとつにすぎないことも示されている. だがここで重要なのは,その項目に労働基準の低さが含まれるかどうかである. 興味深いことに,アメリカ企業の対外投資の横断面分析──同一時点における複数の国の分析──によれば,労働者の権利に関するILOの協定をより多く批准している国ほど,アメリカ企業の投資のシェアが増える傾向があった. 労働者の権利をどのように定義しようとも,言うまでもなくアメリカはその保護に関して中国よりも優れた実績がある. ところが,中国はアメリカよりも多くの協定を批准している. なぜなら,アメリカは協定を批准すればその内容を法律で定めて実施を義務づけるが,中国はそうではないからだ. したがって協定の批准は,労働者が実際にどれだけ保護されているかを判断する材料として適切とは言えないのである. ILOの分析でも,労働組合の組織率が高いと投資の流入が多いことが示されているが,同時に,労働者の連携や団体交渉の権利を弾圧した経験が少なくても,やはり投資の流入は増加する. 事実,多国籍企業が操業場所の選定にあたって,労働基準の低いことが魅力になっているか,あるいは環境に配慮していない古い技術を使いたいがために環境基準の低い地域を選ぶかについては,そのほかの証拠からも基準の低さが重視されていないことがわかる.

(ジャグディシュ・バグワティ『グローバリゼーションを擁護する』鈴木主税・桃井緑美子=訳,日本経済新聞社,2005年,p.207)

本文でクルーグマンは低賃金と労働条件の悪さをまとめて論じているが,ここでの中心的な主張である [A']低賃金労働は企業にとっても途上国の労働者にとっても(相対的に)よいことであるという点と [B']労働基準の低さ/国際労働基準の遵守の論点とは分けて考えた方がよいのではないかと思う.