その状況に耐えられず、逃げ出したい瞬間というものは、誰にでもあります。そんなときにも、逃げずに耐えることが本当の強さであることを、作者はこの本を通して私たちに訴えているのだと思います。
 この物語の舞台は、敗戦から十数年後の、瀬戸内海に浮かぶ葉名島というある離島です。先日見た、「オールウェイズ 三丁目の夕日」という映画がちょうど同じような時代を描いたものでした。堤真一が頑固者の当主を演じていました。この映画を見て私は、この時代の男性はみんな彼のような人なのかと思っていたのでこの本に出てくる二人の男性の先生がとても人当たりが柔らかいことに少し驚きました。その先生の一人、吉岡誠吾が、春の葉名島にやって来ます。彼は生徒たちに「機関車先生」と呼ばれるようになります。この呼び名には二つの意味があって、一つは背格好が機関車のように大きくて強そうだということです。また、小さいときに病気を患って口を「きかん」ので「機関車先生」、という意味でもあります。彼は、その呼び名の通り強く、そして優しい紳士的な人です。しかし、口がきけないために、島の一部の人からは「浦津(本州)の役人がいい加減な奴をよこした」と言われてしまいます。
 小さいころから口がきけない彼は、日々いろいろなことに耐えて育ったのでしょう。話しかけられても、できるのは笑って頷くことだけです。何を言われても言い返すこともできません。誰かに相談するのも一苦労です。しかし、そのような境遇で育ったにも関わらず、彼は、誰からも好かれ生徒にも慕われる素晴らしい先生となりました。もし私が彼の様に育ったならば、もっと卑屈な人間になっていたでしょう。私はおしゃべりが好きです。その日あった楽しいことや嫌なことなどを、夕食の仕度をしている母に話すことが私の日課で、日々の楽しみです。そのような楽しいおしゃべりもできないなど、私には考えただけで耐えられません。
 反対に、そのような境遇で育ったからこそ、機関車先生は、忍耐強い立派な心の持ち主になれたのかもしれません。彼は、生徒たちと浦津へ行ったとき、男三人に襲われている若い女性を助けました。男らは機関車先生に殴りかかりましたが、彼は相手を睨みつけるだけで決して殴り返すことはなかったのです。校長先生は、「よく辛抱してくれた」と機関車先生の意思の強さに感謝しますが、生徒たちにはその強さが解りません。単純に、「機関車先生は弱虫だ」と思ってしまうのでした。
 そこで校長先生は、戦時中に自ら犠牲になって島を守ったヤコブという少年の話を、子どもたちにして聞かせます。戦争を批判するとひどい目に遭う時代だったため、ヤコブは何も言わずに犠牲になっていきました。校長先生は、ヤコブの話を通して、生徒たちに、正しいと思ったことをはっきりと口に出せ、自分からは手を上げない本当の強い人になって欲しかったのだと思います。そして、機関車先生はその本当の強い人なのだと伝えようとしたのです。子供たちはそれぞれに、本当の強さを理解していきます。
 本当の強さは「耐える」ということに大いに関係するのです。機関車先生が本当の強さを持ち合わせているのも、幼少のころの経験から成り立っているのだと思います。生徒たちも、それぞれに耐えなければいけないことに直面していきます。
 私たちが生きる現在では、高校進学が普通でしたが、この時代はそうではありませんでした。どれだけ勉強をしたいと願っても、ほとんどの人が高校に進学せず働く時代です。多くの子どもが悩み、我慢したのだと思います。また、この島の子どもたちは、父親が漁に出るため家にいることが少なく、寂しい思いをすることも多いのでしょう。彼らは、今を生きる私たちよりずっと時代や生活に耐えて育ったのです。
 今を生きる私たちはにとって、そういった面で我慢しなければいけないことは少ないです。現在、少年犯罪やいじめなどの問題がよく話題になるのは、何不自由なく育つため、本当の強さを持つ若い人が少なくなっているからなのではないでしょうか。
 機関車先生は、そして筆者は、そんな私たちに向かって、耐えることで人間は成長するのだと教えてくれているのだと思います。私たちは、これからの人生で、まだまだたくさん迷うことがあるでしょう。そのときに、すぐ投げ出すのではなく、耐えてそれを乗り越えることで、本当の強さが手に入る、だから頑張れと彼らはこの本から訴えているのです。その声を受けた私たちが行動を起こすことができるのかどうかに、我が国の将来は委ねられているのです。