2014.7.8 2014.6.20 2013.2.12 2006.10.21初版

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【 始めに 】
このページは、オリジナルPDFファイル (リンク切れ) を読みやすくするために、html 化したものです。
内容はオリジナルPDFファイルと同じです。
 ※ 組織としての主張ではないということですので、ご紹介するにとどめ、論評は差し控えます。
管理人
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事情ははっきりしませんが、防衛省の公式サイトからファイルが消えました。(2014.7.7午後ごろ)
「憲法と自衛権(25020102.pdf)」というファイルです。
閣議決定で憲法違反にあたる解釈改憲が発表された2014.7.1から7日目で消えたことになります。
ささやかな抵抗をしていたのでしょか?
 ■ 防衛省・自衛隊:憲法と自衛権 --> こちら
どこをどう解釈しようとも、「憲法違反」にあたるのが免れないのですから、
防衛省がどうしても改訂するというなら、
既存の内容はそのまま残し、改訂の内容とその経緯を明示するのが国民に対する誠意であると考えます。(管理人)

ブリーフィング・メモ

本欄は、安全保障問題に関する読者の関心に応えると同時に、防衛研究所に対する理解を深めていただくために設けたものです。
御承知のように『ブリーフィング』とは背景説明という意味を持ちますが、本欄が複雑な安全保障問題を見ていただく上で参考となれば幸いです。
なお、本欄における見解は防衛研究所を代表するものではありません。

集団的自衛権問題に関する一つの論点整理

防衛研究所長
柳澤協ニ

(はじめに)

「我が国は独立国として集団的自衛権を保有するが、それを行使することは自衛の限度を超え、憲法上許されない。」という政府解釈に対し、「保有するが行使できない権利というのはおかしい。」という批判が提起されている。
権利といえども無制限な行使が許されるわけではないが、一切の行使が否定される権利はもはや権利とは言えない。そうであれば、我が国は集団的自衛権を保有しないと言うこともできる。しかし、それでは集団的自衛権を国家に固有の権利と定めた国連憲章第51条や、日米両国が集団的自衛権を保有することを確認する日米安保条約の前文とも矛盾しかねない。「保有するが行使しない」というロジックは、こうした矛盾を回避するためにも必要だったのだろう。

同時に、より重要なことは、我が国有事における米軍との共同防衛も、我が国領域に対する攻撃を前提とする以上個別的自衛権で説明することができるので、現実的な矛盾に直面することはなかった。それは、冷戦構造の下、我が国が単独でソ連の脅威と軍事的に対峙する必要も能力もなかった時代の現実であったが、冷戦が終わり、北朝鮮のミサイル等より身近な脅威が予想され、また、PKOなどを通じて国際的な平和や秩序の維持に関わっていく必要性が認識される時代の現実と合致するのだろうか。また、憲法解釈をめぐる昨今の議論は、殆ど集団的自衛権に集約されている観があるが、集団的自衛権は、そのような時代の現実に対応する上で万能の論点だろうか。
本稿では、憲法9条をめぐる政府解釈の論理を分析し、一つの論点整理を試みる。

(集団的自衛権を否定する論理)

憲法第9条は、「国権の発動たる戦争と、国際紛争を解決する手段としての武力行使又は武力による威嚇」を禁止している。これが国家固有の自衛権まで否定するものではないことは疑問の余地がない。従って論理的には、自衛に必要な範囲であれば集団的自衛権も行使できるという考え方もあり得るわけだが、政府解釈があらゆる集団的自衛権の行使を否定するのは、「自衛権発動の要件」と連動している。
自衛権は「自衛権発動の三要件(我が国に対する急迫不正の侵害、代替手段の欠如、自衛に必要な限度に限定)」の下でのみ行使できるが、「我が国が攻撃されていないにも拘わらず我が国と密接な関係にある他国への攻撃を我が国への攻撃と見なして自衛権を行使すること」と定義される集団的自衛権は、この要件を満たさないことになる。すなわち、自衛権を肯定し集団的自衛権を否定する政府解釈の論理のポイントは、我が国が攻撃されたかどうかにかかっていると言うことができる。
それでは、我が国が攻撃されていない場合の自衛権行使が否定されるのは何故だろうか。それは、憲法9条の文言に照らせば、「国権の発動たる戦争または国際紛争を解決する手段としての武力行使」に当たるから、と考えるほかはない。憲法が明文で禁止していないことまで否定する理由はないからである。

(問題の本質)

この論理を進めると、以下の2点について、近未来の「現実的矛盾」に行き着くおそれがあることを指摘しておきたい。
@ 自衛権発動の要件に照らせば、我が国が攻撃を受けた場合に憲法が認める自衛の範囲は、基本的には「急迫不正の侵害を排除すること」であって、相手国領土への攻撃は含まれない(ミサイル攻撃に関連する「座して死を待つ論」は、憲法が例外的に相手国領土への攻撃を許容する例である)。すなわち、我が国を攻撃する国への敵基地攻撃は、一般的には自衛の限度を超えると理解される。そうすると、日米安保条約に基づき米軍がいわゆる「槍」の機能を受け持って敵基地を攻撃することをどう理解するのだろうか。
米軍による敵基地攻撃は集団的自衛権によるものとなるが、自衛権である以上、米軍の当該行為は日本防衛のため必要な範囲に限定される。すなわち、米軍による敵基地攻撃は、当然自衛の範囲であると認識される。他方、政府解釈の「一般的理解」に従えば、同じ行為を我が国が行う場合には自衛の範囲を超えると言わざるを得ない。
同盟国との間で能力に応じた役割分担をすることは自然なことだが、作戦の範囲や程度について認識が異なるのであれば、共同防衛に支障を来すことにならないだろうか。
これは、集団的自衛権か個別的自衛権かの問題ではなく、およそ自衛権の範囲をどう認識するかという問題である。
A 国連憲章が、「国権の発動たる戦争」を禁止していることは疑いない。また、武力行使についても、領土保全や政治的独立に対するもの、及び国連の目的と矛盾する方法によるものは禁止されている(憲章第2条4項)。一方、国連憲章は、「侵略や平和の破壊及び平和への脅威に対する集団的措置」を規定する(第1条1項、第7章)。すなわち、国際紛争の平和的解決のための手続き(第2条3項、第6章)を予定する一方で、侵略や平和の破壊及び平和への脅威については、制裁や武力行使による鎮圧も許されることとしている。
我が国の場合、「国連軍の目的が武力行使を伴うものであれば参加できない」という政府解釈があり、我が国が攻撃されていない以上武力行使はできない、との考え方が貫かれているが、これは論理的には、平和維持を目的とした国連による集団的措置も(「国権の発動」ではあり得ないが)一般的には「国際紛争」の一種であると評価することに等しい。
ある国が自国の政策に基づき集団的措置に加わらないとしても、それだけで国連加盟国としての資格を失うことはない。しかし、安保理常任理事国の地位を目指す国としてはどうだろうか。安保理に期待される最大の役割は、平和の破壊を認定し、集団的措置を決定することにあると言っても過言ではない。国連のあらゆる集団的措置を「国際紛争解決のための武力行使」と捉えるならば、我が国がその決定に加わることに理念上の矛盾を生じないだろうか。
以上述べてきたことからすれば、従来の憲法解釈を維持した場合に生じかねない「現実の矛盾」は、「集団的自衛権を認める」と言うだけでは解決できないことが分かる。より本質的な問題は、「我が国自身の(個別的)自衛権行使としての敵国領土への攻撃」や「侵略や平和の破壊及び平和への脅威に対する集団的措置」を「国際紛争」と同等視することが適切かどうかいう点にある。

(PKOにおける武器使用

なお、ここで、PKOにおける武器使用と集団的自衛権の関係についても付言しておきたい。「我が国は、集団的自衛権がないから他国の部隊を守れない」という「俗説」もあって、憲法論議の焦点を拡散しかねないからである。
PKOは、安保理(又は国連総会)の決議によって設置され、その目的、任務、権限は決議の中で明確に定められている。PKO要員に対する攻撃は、国連に対する攻撃とみなされるので、各国が固有の自衛権(right of self-defense)に基づいて反撃することは予定されていない。PKOに参加する部隊には、通常、要員の防護や任務に対する妨害を排除するための実力行使が認められるが、これは、自衛あるいは正当防衛(self-defense)の範囲に限られる。
一方、我が国の場合、PKOにおける武器使用は、「自然権的権利の延長である自己又は管理下にある要員の防護」と「受動的・限定的な性格である武器等防護」の場合に限定されている。それ以外のケースについては、「国又は国に準ずる組織との間で行われる武力を用いた紛争の一部」と評価される場合には「憲法の禁止する国際紛争の一環としての戦闘行為」となる可能性がある、と解釈されている。その結果、自己の管理下にない他国要員の防護や任務に対する妨害排除のための武器の使用は、「相手が国又は国に準ずる組織」である場合には憲法上許されないことになる。
この解釈の当否は別として、我が国PKO部隊が「他国の要員を守れない」のは、集団的自衛権を行使できないからではない。なぜなら、他国の要員に対する攻撃は、国連に対する攻撃であって当該他国への攻撃とはみなされないので、相手の如何に拘わらず、第三国が集団的自衛権を主張する余地がないからである。付言すれば、我が国PKO要員に対する攻撃も同様であり、これについて我が国が憲章51条に基づく自衛権を行使する余地はない。
ここでも問題の本質は、国連が国際紛争とは認識せず国際社会の平和と安全の維持のため積極的に容認している行為であっても、我が国が実行する限りそれ自体が国際紛争になると理解するところにある。

(おわりに)

国際的に認められた自衛権を自国について制約するのは国の主体的選択の問題であって、それを明確に宣言すれば国際的な問題は生じない。他方、一国の自衛権に基づく正当な対応や国連憲章に基づく集団的措置とりわけ平和維持を目的とする活動を国際紛争解決のための武力行使と評価するのは定義の齟齬であって、我が国の国際的役割の増大に伴い、国際的な問題となりかねない危うさを孕んでいる。
集団的自衛権問題に関する一つの論点整理200402.pdf