暗黒連環記〜竹本健治『闇に用いる力学 赤気篇』ノート






楽古堂・大内史夫




1 『闇に用いる力学』を読了した。


2  物凄いハードな印象がある。

3 小説は、「一行たりとも腐っていてはならない」は、中井英夫のクレドだったと思うが、これ
は、まさにその実践である。重金属のダイナモが、高速で回転しているような文体の密度感に
圧倒される。よく、こんな文章が書けるものだ。驚異的な持続力の産物だろう。

4 以下、「あとがき」を活用しつつ、全体的な初読の感想を述べていきたい。

5 「この『闇に用いる力学』のテーマ的な部分の発想は、『匣の中の失楽』の発表直後に生じ
た」
 より根本的には、20歳の『夜は訪れぬ内に闇』とのつながりを感じる。『匣の中の失楽』の完
成によって、長編の執筆に手応えを感じた作者が、すでに心の中にあった、発想の核を展開
できるという手応えを感じたのではないだろうか。

6 『闇に用いる力学』は、佐伯千尋ものとの関連があるよな気がしていたが、短篇集『閉じ箱』
を読むと分かるように、佐伯千尋の登場は、竹本の二十代前半から、遥か後年のことである。

7 「夜は訪れぬ内に闇」の時には、光瀬龍の『百億の昼と千億の夜』などの作品を流用しなけ
れば語れなかったテーマの、自分の言葉による演奏であると思う。言葉の演奏家である、作家
としての成長の産物であると思う。

8 「それまで何とか身につけた小説作法では到底追いつかない」
 この人は、いつも謙虚であり、その自己分析は正確である。「夜は訪れぬ内に闇」の若い未
熟な作家によっては、とうてい扱うことの出来ないテーマである。

9 「興味の比重が次第に個人的な狂気から集団的な狂気へと移り」
 竹本の小説世界の重要な転換である。それは、いつから始まるのだろうか?作家論、作品
論があると思うが、まだ閲覧の機会を得ない。 

10 「一種の全体小説にならざるを得ず」
 竹本の全体小説は、独特である。野間宏ら、戦後派の日本の文学の作家たちとも異なるア
プローチをしている。 

11 『風刃迷宮』も、これもそうだが、空間を違えるエピソードが、時間の順序だけは、一応遵
守しつつ進行される。 

12 囲碁の盤面に、黒と白の碁石を並べていくゲームのような構想が、竹本の「一種の全体
小説」の書き方である。

13 盤面の読みは、読者に任されている。

14 彼は、この書き方をいつから初めているのだろうか? 

15  この小説作法において、『風刃迷宮』と『闇に用いる力学』は姉妹編になっている。

16 「そんな仕事に立ち向かうには僕の能力はあまりにも乏しいという眼もくらむような事実」
 再び謙虚な自己分析の時期がくる。竹本ようにひとつの主題を深く追求していくタイプの作家
においては、活動と休止の期間が、雨季と乾季のように交互に来るのは避けられない。この人
は、書きつつ発見していく作家のように思えるので、試行錯誤の時期にも作品を発表していっ
たほうが、少しでも進展があるように思えるのだが。

17 しかし、小説世界の物語全体を読み込んでしまう能力の高さと、具体的に執筆する際の
筆力に差がある眼高手低状態は、竹本の宿命として、生涯付き纏うことだろう。 

18 「けれども作品というのはある部分ナマもので、あまり長いあいだ放置しておくと腐ってし
まうのも経験的な事実」
 この人は、何でも心得ている。執筆を急かすのはためらわれる。

19 「ところが早々に新たな問題が持ち上がった。ほかでもない、かのオウム事件である。」
 『闇に用いる力学』が、オウム事件の前に書き出されていたことを、忘れてはならないだろう。
『クー』連作の時もそうだが、竹本の時代の趨勢を読む力があまりにも強いために、読者は、
時間的な順序を違えたような錯覚に陥る。

20 「テーマが、現実の後を追うかたちになってしまう」
 ここで竹本が想定していたテーマとはなんだろうか?ひとつの仮説を述べる。もっとも大きく
見て、それは、「夜は訪れぬ 内に闇」は、熱力学の第二法則によって、宇宙を熱的死にむか
わせる勢力と、マックスウェルの悪魔の戦いというあの、争闘と関係するはずである。あのテー
マと『闇に用いる力学』のそれは、どこまで重なるのかが問題になることだろう。人類の進化
は、宇宙的にはその変奏である。

 いくつかの疑問点を述べていく。 

21  「夜は訪れぬ内に闇」にいた少女が、佐伯千尋に輪廻転生していることは、拙論「『閉じ
箱』を開いて」で述べているので繰り返さない。

22 『闇に用いる力学』は、佐伯千尋ものを一端は流用しようとしつつ、その構想は捨てられ
ている。それはなぜか?

23 「あの事件の決着のかたちは現実にあってはならないものだという想い」
 ここで竹本がこだわっている「決着のかたち」とは何だろうか? 

24 「あまりにも私的な心情なのでここではつまびらかにしない」
 作家がこう書いている以上は、この内容は読者にはブラックボックスである。立ち入ることは
できない。

25 「世間的な意味とは全く別 の次元で、僕にはいささか好ましからざる出来事だったのであ
る。」
 するとこの「世間」と異なる次元とは何か?ひとつの次元は明確である。長編、『闇に用いる
力学』という小説の次元において、だ。 

26 「あの事件によって歪められてしまった現実のかたちを、小説のなかであるべきかたちに
戻してやればいいのだ。 」
 竹本は、不思議なことを言っている。この「現実のかたち」とは何だろうか?「小説」は、「現実
のかたち」を変化させることができるとでも?すぐに、「文字通 りの現実の修正と目論んでいる
わけではないにしろ」と、注意されているが。

27 しかし、竹本がここでやろうとしていることは、中井英夫が洞爺丸事件に対して『虚無への
供物』で、実行したことではないだろうか。竹本健治と中井英夫、『闇に用いる力学』と『虚無へ
の供物』の比較は、『闇に用いる力学』が完成した時点で、重要な論点になっていくと思う。 

28 「少なくとも、あの事件が僕の想いに沿うような経過をたどっていたなら、僕はこんな小説
を書く必要など全くなくなっていただろう――。」
   「そうした筋道をくぐり抜けることによって、結果的にあの事件は僕に新たな創作動機を与
えてくれたのである。」
 オウム事件と、この作品の関係は疑えない。竹本はオウム事件によって、何を現実世界とい
う、仮想される囲碁の盤面 に読んだのだろうか?オウム事件の「結末」は、彼の準備していた
物語とは相容れないものだった。彼は、架空の相手に対して、戦いを挑んでいると言えるだけ
だ。

29 「ここで完全な黙殺にあってしまえば、このパラノ的な構えを強要する、途轍もなくしんどい
仕事」
 残念だが、黙殺はできない。この小説は現代のあまりにも重要な問題の核心に食い込みす
ぎている。この作品の読解は、現代という迷宮の解読にも繋がるだろう。ここには、竹本だけ
が追求できるテーマがある。

30 「パラノ的」は、浅田彰のたぶん『構造と力』によって、「スキゾとパラノ」という形で、流通 
するようになった概念である。浅田哲学との関係で、竹本の思想的な問題についても、比較検
討してみるべきかもしれない。 

31 以下は、本文に入る。例によって、いくつか気になるところを引用してみる。群盲が象を撫
でることによって、その姿を想像の中に映し出して見るためには、お互いの視点を明確にし
て、それを細心の注意をしながら、重ね合わせることが必要である。読解というよりは、疑問点
の列挙になるだろう。一点でも、意見を交換できれば幸甚である。 



※ 以下には、おそらく重要な点で、ネタばれになる可能性を持った部分が、いくつもある。
未読の方は読まないで頂きたい。



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32 「それは夢の世界だった。夢の中で主人公である彼は、濃厚な闇の中を彷徨っていた。」
(68ページ)
 竹本健治の「闇」の主題は、ここにもある。(「『閉じ箱』を開いて」 「クー理クー論」 「アニムス
の物語」参照)短篇では、「個人の狂気」であったそれが、「集団の狂気」に拡散していくのが見
て取れる。

33 「彼の容貌には鈍重な両生類の印象があった。色の薄い割に一本一本の毛の長い眉と
腫れぼったい瞼のために細くなってしまった眼が、実際の年齢よりも五つ六つ年嵩に見せてい
る」(58ページ)
 竹本自身のカリカチュアライズされた自画像である。あの桃井君もそうなのだろうか。おろらく
ウロボロスにも、登場しているのだろう。この竹本のデフォルメされた「自画像」の登場は、日
本の「私小説」の「私」から、遠く離れた実験のように見える。しかし、それで良いか?ここに竹
本健治の「私性」が、濃厚に告白されているように思えるのは、ぼくだけなのだろうか?将来へ
のメモとして書いておく。 

34 「あなたは、あなた自身の性格・人間性・世界観に縛られている。ほとんどの人びとがこの
からくりに気づいていない。これらのものから解き放たれない限り、あなたの中で眠っている本
当の能力は、決して呼び覚まされることはないのである」(83〜84ページ)
 オウム真理教に限定されず、新興宗教やカウンセリングの宣伝ポスターなどで、ぼくたちが
あまりにも見慣れた文章である。砂糖菓子のように甘い。もうひとつのマインドコントロールの
はじまりである。 

35 「開発準備委員会」(94ページ)
 実に懐かしいネーミングである。『闇に用いる力学』の「開発準備委員会」。「夜は訪れぬ 内
に闇」の「暗黒準備委員会」。『百億の夜と千億の夜』の「惑星開発委員会」。ともにある密命を
帯びて、地球上に存在する。そこにはどのような目的があるのだろうか?

36 「言葉では癒せない。そうだ、言葉では癒せない。では、何によって?」(132ページ)
 「夜は訪れぬ内に闇」から、言葉の無力は前提とされている。 

37 では、何によって?

38 「そうだわ。その子供には弥勒がついてたんだわ!」(161ページ)
 弥勒の主題、と言ってもよいのだろうか?『百億の夜と千億の夜』から、「夜は訪れぬ 内に
闇」を通り、『闇に用いる力学』へ。弥勒のつながりは、何を指向しているのか? 

39 「還元をつきつめていくとまたもとにもどってしまうようなトートロジー的構造を持つ体系」
(214ページ)
 再び全管弦楽によって奏される(読んでいるとそんな感じがする)ウロボロスの主題の再現で
ある。超能力を説明する理論の、中心となる〈命題のトポロジー的連環モデル〉に存在するウロ
ボロス。(注意:連関ではない。)

40 ああ、トポロジーを勉強しなければ。書棚にブルーバックスがあったはずだ。京極夏彦を
複雑系の作家とすば、竹本健治は、トポロジーの作家ではないのか?

41 「そして彼女の予想によれば、次にくるのはサイコ・テクノロジー ――もっと露骨な言い
方ではマインド・コントロールの技術の全面 展開になるはずだった」(249ページ)
 オウムが現代人に、その存在を強烈に告知した、この技術との登場人物たちの知的な戦い
が開始される。それは、以下のように定義される。 

42 「つじつまあわせを特定の方向に誘導する技術」(299ページ)

43 これと『風刃迷宮』の次の文句を重ね合わせてみよう。
「けれどもとにかく人間というのは、一応なりとも物事に説明をつけずにいられない生き物なの
だろう。」(309ページ)

44 そのような人間が、悪しき「つじつまあわせ」に乗せられないでいることは、非常に難しい
ことである。「つじつまあわせ」の技術であるマインドコントロールから、人間が自由であるため
には、どうすれば良いのか?

45 それが、『闇に用いる力学』から、『風刃迷宮』に通 底するテーマであると、ぼくは思う。オ
ウムのマインドコントロールに対決する書物に、ここでも出会っている。京極夏彦。村上春樹。
竹本健治らは、それぞれの表現によって、これに対峙する、有力な書き手である。『闇に用い
る力学』と、もっと相似た創作は、京極の『塗仏の宴』である。マインドコントロールの物語とし
て。

46 『闇に用いる力学』を男性的とすると、『風刃迷宮』は女性的。『闇に用いる力学』を剛とす
れは、『風刃迷宮』は柔。『風刃迷宮』と裏表の関係になっているのは、『入神』もそうであるか
もしれないが、『闇に用いる力学』もそうではあるまいか。

47 291ページからの、理論の10ページ余に渡る説明は、この物語の白眉である。自分の眼と
心で読んでもらいたい。特に「隠蔽効果 」(301ページ)の鋭さ。トポロジーを勉強しなければ。

48 305〜6ページの荘厳な声楽の異様な美しさ。なぜ、竹本を読んでいると、ぼくは音楽を連
想するのだろう? 

49 「第3章 回転」は、現在のBSE問題を不気味な程に予告している。

50 「そうだ。これは対戦相手も分からないゲームだ。けれどもいったんはじまってしまったか
らには、テーブルについたすべての者は否応なくカードをめくり続けねばならないのだ。」(358
ページ)
 この言葉を、読者は実感するはずである。 

51 そして、もうひとつ。京極夏彦関係で。
「正確に言えば、情況そのものではなく、情況を捉える視線を整理しなおすこと」(391ページ)
 これは、中禅寺秋彦の憑物落としの、もっとも簡潔でエレガントな定義だと思う。しかし、サイ
コセラピーをやっている男の家に「奇妙な呻き声」がして「正体不明の少女」が登場する。この
趣向には、笑ってしまった。これは、「一種の全体小説」の中での、竹本による見事に辛辣な京
極夏彦論ではないだろうか。しかも、彼が『闇に用いる力学』という論文を書いているのだ。超
能力少女を治癒してもいる。この皮肉をどう読むべきなのか?竹本は、つくづく一筋縄ではい
かない作家である。

52 「5 交錯」421〜5ページの、電車内での女子高生の会話は、肌に毬を生じる不気味さで
ある。マインドコントロールがある明瞭な意志によって、この世界に開始されていることを、圧
倒的な恐怖感を持って読者に告知する場面 だ。なんと深い時代の暗黒を覗かせるのだろう
か?

53 しかも、すぐにそれ以上の恐怖が追い打ちを駆けてくる。
「まるで眼に見えない不思議な力によって、何もかもが予め決められた筋書き通 りに運ばれて
いるかのようだ。」(441ページ)
 小説と現実の境界が薄くなっている。「登場人物」とともに、「作家」さえも戦慄していることを、
「読者」は感じてしまう。並みの恐怖小説の手が届かない戦慄がここにはある。

54 また、次。
「これで世間の関心は問題の本質からそらされてしまうだろう。それが奴らの巧妙な手口だ。
組織的な問題を個人の人格的な問題にすり替え、人びとにわかりやすい腹いせのはけ口を与
えてやる。(中略)かくして顔の見える部分は切り捨てられ、顔の見えない部分はそのまま生き
延びてしまう。いつも、そんなことの繰り返しだった。  全くうまい。考えれば考えるほど舌を巻
かされる。」(459ページ)
 ぼくは、このニュースを今日のテレビで見てきた。そして、いま、これを書いている。あなた
も、そうではないだろうか? 

55 以上をまとめてみる。
(なお、拙論をここまで読んで、難解なだけの哲学小説と思われると困るので付言しておく。『闇
に用いる力学』は、高密度で鮮明なヴィジュアル情報を提供する、視覚的な小説である。超能
力少女は、大友克宏のマンガの登場人物のようである。しかし、筆者は石森章太郎(断じて、
石ノ森章太郎ではない。)の絵を随所で連想していた。黒豹をしたがえて、夜の街を飛翔する
巫女の姿は、石森の絵で心の印画紙に焼き付けられている。閑話休題。) 
 この小説においては、多重層の問題が展開している。

56 できる限り大きいものから、小さいものへと列挙してみよう。欠落しているものなどがあれ
ば、補足してもらいたい。

57

A/エントロピー増大の熱的死とマクスウエルの悪魔の問題。
B/地球人類の進化の問題。
C/救世主(終末の支配者?)弥勒の誕生の問題。(皇帝の誕生を予告する「赤気篇」は、同
じような役目を持つ神獣である「麒麟篇」につながり、いよいよ皇帝登場の「弥勒篇」になるとい
うのが、楽古堂の希望だ。)
D/地球の覇権をめぐる民族闘争の問題。(ユダヤ民族の問題。)
E/Dの反映としての企業間の国際競争と、バイオテクノロジーという科学の応用の問題。
F/Dの反映としての宗教戦争の問題。(つまり、弥勒、イエス=キリスト、なんにしても、その
力を、どのように自分たちの陣営のために取り込むかという問題。)
G/Eに巻き込まれたジャーナリストの戦いの問題。
H/Gに関係する人間たちの問題。
I/Bから続く超能力少年少女たちの問題。
J/Bから続く、超能力が覚醒しようとする世代の人間たちの問題。
K/I、Jを利用しようとするFの問題。
・ 以上に被さって。
L/「EQ」の読者サービスも意図した、辛辣な京極夏彦論。「ポーに帰れ」という不思議な歌。
M/オウム事件の問題。
N/Mに関する個人的心情の問題。
O/他にもあるだろう。

58 そして、これらすべての問題に覆い被さってくる、マインドコントロールという「闇」の問題。 

59 『闇に用いる力学』は、フランス語で言う tour de forceである。その全容を一読で理解し
たとは、とても言えない。『風刃迷宮』の不思議に透明な読後感は、これらすべての錯綜する問
題を、一人の女性のマインドコントロールの問題に収斂 させて展開することで、自分の立つ場
所の発見に到る(それもまた、錯覚なのかもしれないとしても)という一点に集中していったた
めに、純化された達成なのだろう。構想は、同じ「囲碁方式」(今、適当なことばが見当らな
い。)である。未読の『闇に用いる力学』のファンには、併読を希望しておく。大きな満足を与え
られることを保障しよう。 

60 以上、疑問的を列挙し、後の読解の出発点とする。

61 ひとつでも、ご教示いただければ幸いである。

62 読書において、マインドコントロールに対抗する現実に有力な方法は、自分の解釈を常に
疑い、テキストに立ち返って本文の意味を問い直すことだと思っている。



  2002年5月10日(金)






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BGM 【INNER SHADE】
Performance by Sion Sagiri