クー理クー論〜竹本健治『クー』 『鏡面のクー』読書ノート







楽古堂・大内史夫




1  もうひとつのアリスの物語である。

2  京極夏彦は、2000年に赤頭巾の物語である『ル・ガルー』を完成した。そこでは、赤頭巾と
いう少女を食うという童話の残酷さが、より増幅されていた。しかし、竹本健治は、それより13
年前の1987年に白土三平や梅図かずおのマンガにある悪意を、自分の物語の世界で具現化
した作品を、すでに完成していたのである。 

3  たとえば梅図のマンガによって、日本人の少女の何人が蛇嫌い、蜘蛛嫌いになったことだ
ろうか。それは、精神の深部を侵される体験となって、トラウマになるほどのものである。ぼく
は、梅図の「半魚人」を読んだために、刃渡りの長いナイフに対する恐怖を、この年齢までずっ
と抱え込む羽目になってしまった。竹本健治は、これを「呪い」のリレーと読んでいる。

4  今回選択された「呪い」の元に、童話のアリスの世界があるだろう。

5  つまり、『クー』は、『不思議の国のアリス』であり、『鏡面のクー』は 『鏡の国のアリス』であ
る。(以下、引用の明確さのために、『クー』を1、『鏡面 のクー』を2と略称する。)


6  アリスであるクーは「おもちゃ箱のような街。」(1- 8ページ)の中を彷徨う。

7  おもちゃ箱の中身は、SFの小説、映画、アニメで馴染みのガジェット群である。美少女、
超能力、格闘技、戦闘メカ等々のたぐいである。映画『ブレード・ランナー』やアニメ『AKIRA』
の世界に、入り込んでしまったようである。

8 「……本日、ならびに明日の午後七時より、73地区の第7主線道路が通 行止めになりま
す。……繰り返します。……本日、ならびに明日の午後七時より、73地区の第7主線道路が
通 行止めになります。」(1- 9ページ)
 このアナウンスを、ぼくたちは光瀬龍の火星の都市、東キャナル市の回廊で、耳にして来た
のではないだろうか。(光瀬龍の作品は、ハルキ文庫にもある。) 

9 しかし、こうした意図的なパロディは、むしろ例外である。竹本はSFのガジェットを、自家薬
篭中のものにしている。自由自在に活用している。付け焼き刃ではないのだ。膨大な情報量 
を背景に持ったそれらの光景すら、虚実を隔てるための虚構の皮膜一枚に過ぎないだろう。
彼の真骨頂は、次のような描写 から始まる。

10 「そうだ。あふれていく。次から次へとこぼれ落ちていく。今まで確かだと思っていたもの
が、ギリギリと撓み、罅割れ、粉ごなに砕け散っていく。そして見たこともない何かが滝のように
押し寄せ、それにとって変わっていく。」(1- 160ページ)

11  竹本の迷宮の世界に、読者は次第に導かれていくのである。

12  扉の一枚に描かれた言葉が、SEXである。ルイス・キャロルが、物語の深層に秘めてい
た少女凌辱の悪夢の情景が、稠密な密度を保持して語られていく。

13  クーは、よく泣くが別 に不思議はないだろう。アリスは、大量の涙を流していたのではな
いだろうか。

14  作者が「文庫版への後書き」で「陰惨さへの嗜好が最も露骨に表に出ている」(1- 265
ページ)と次作を分析している通りである。友成純一をして「うわあああ、ほんとにイヤらしい
ぞ!」と称賛させる部分は、原文に当たってもらいたい。 

15  2の大脳を操作された「人形」の登場によって、恐怖の頂点に達する。おもちゃの一つで
ある。限りなく死体愛好症ネクロフィリアに接近した光景である。

16  ここは、ソドムとゴモラの街なのだ。「滅びゆく街。」(1- 27ページ)である。 

17  竹本は、さらに先まで進んでいく。161ページからは、ジェイムズ・ジョイスの『フィネガン
ズ・ウェイク』のような言語実験が、物語の表層の言語を押しながしていくような勢いで登場す
る。しかも、旧弊な「意識の流れ」ではない。「意識的に制御できない部分」(1- 16ページ)と、
圏点付きで予告されていた世界の消息である。

18  大瀧啓裕は解説の冒頭で、この作品を「きわめつきのグラフィック・ノヴェル」と呼んだ。
同感である。視覚に与えられる情報がクリアーである。いわゆる「超能力」の描写 を読んでほ
しい。SFのガジェットが、新鮮な感動を持って迫ってくる場面である。

19 「思念が鏃のように研ぎすまされ、相手の胸元に突き刺さっていく。環状万力のように回転
しながら、キリキリと骨をしめつけていく。液体ヘリウムのように粘性を失い、どこまでも奥深く
侵蝕していく。」(2- 246ページ)

20  ここでも、超能力という目に見えない力が、環状万力(ジャイロ・ヴァイス)や液体ヘリウム
という物質の直喩によって、力強く表現されていく。液体ヘリウムは激越に気化していく。もちろ
ん悪意の生み出す寒気が、その裏には張りついていることだろう。 

21  竹本は、イメージの造形が実に明瞭な作家である。マンガ家でもあるという側面 が文章
からも了解できる。彼を類い稀な「迷宮建築家」としているのは、リアリティのある言葉という材
料によって、細部が組み立てられているからなのである。 

22  もう少し複雑な例を上げる。
「クーの眼は開いたままだった。
 世界は彼女の眼のなかにあった。そのなかで何かが傾き、何かが一点へと傾き、何かが行
列をなして一点へと傾き、激しく波打って流れ落ちていくのがわかった。
 その崩落は誰の目にも映ることがなかっただろう。一点へと崩れ落ちた力は網目のように折
り重なり、そこにあるものを器のなかの砂のようにザクザクと揺さぶりたてた。そこで弾き出さ
れた夥しい砂粒は、互いにかちあい、犇めきあって、新たな秩序の中に滑り落ちていった。
 みんな彼女の眼のなかのことだった。」(1- 219ページ)

23  ここで、硝子の透明な漏斗状の容器から、逆さまにされて落下する、砂粒のような比喩に
よって、描写 される事態が何を示しているのかは、原作を読んでもらいたい。外部の手によっ
て揺さ振られる、砂時計のような比喩の卓抜さが了解されることだろう。

24 「クーの眼は開いたままだった。
 世界は彼女の眼のなかにあった。」
 たとえば、この二つの文から、クーの美しい眼球の表面に投影されている像として、それ以下
の場面 を思い描けるだろう。「何かが」と畳み掛けれる三つの言葉によって、視覚像の明確さ
が増大していく。「網目」が、あるマトリクスの存在を告知している。新しい秩序の存在を見るの
である。小さな瞳の上の世界に、砂の瀑布の秩序ある崩落という、雄大で非現実の情景を思
い描くことで、超現実主義の絵画のような眩暈が生じるのである。

25  クーをもうひとつのアリスの物語とすると、第三部はどうなるのであろうか。ルイス・キャロ
ルは第二部までしか書いていない。

26  ここでは二本の補助線を引いておきたい。「スナーク狩り」のような詩編を利用する手も
あるだろうが、『鏡の国のアリス』から次の文章を引用しておく。 

27  同じ場所に留まるためには全力失踪しなければならないが、「他処に行き着くためには、
全力失踪の二倍の速度で走らなければならない。」

28  キャロルの逆さまの論理であるとともに、分子生物学の分野では、「赤の女王仮説」とし
て有名である。なぜ生物が無性生殖から有性生殖へ進化したのか。その理由を、説明すると
言われている。無性生殖では、次世代は前の世代のコピーである。いくら増大しても、ひとつの
酵素というキーを持っているだけのバクテリアによって、すべての個体が容易に侵入を許す。し
かし、有性生殖は二つの遺伝子が交ざりあうから、次世代は単純なコピーではない。多様性を
持っている。一種類のカギしかないバクテリアでは、その侵入も一部の個体に限定される。全
種族が滅びるということはないのだ。

29  もうひとつ陰陽五行説では、世界は五つの要素からなっている。「木」「火」「土」「金」「水」
である。この世界では「木」は、失われてしまっている。
「とりわけ致命的だったのは、地球全土の森林を、伐採と変成雨でいったん壊滅状態に追いこ
んでしまったことだろう。」(1- 13ページ)

30  1では、主に「水」の氾濫によって都市が滅びた。2では「土」の暴走が原因である。する
と3では「金」か「火」によって都市が滅亡するのかもしれない。

31  『救世の科学』の本拠地であるネオ・パサディニアで、最後の戦いが繰り広げられること
だろう。世界は火宅である。呪われた終末の風景を、竹本は玲瓏とした色彩 で描いてくれるこ
とだろう。

32  ダンテの「神曲」では「地獄編」と「煉獄編」の次には「天上編」が来る。三部作も、神話的
な展開を見せることだろう。

33  活字によるSFアニメ映画である。

34  総合的な監督は、迷宮の「魔術的建築家」((C)田中芳樹)である竹本健治。作画監督
は、マンガ家の竹本健治。脚本は、SF小説家の竹本健治。監修は、推理小説家竹本健治で
ある。音楽は、さて、だれだろうか。ぼくの耳には、シンセサイザーによるジャズが流れていた
が。リズムボックスによる打ち込みが、強力な低音部を演奏していたような気がする。 

35  大友克洋の『AKIRA』のような高密度の映像の画面 が、脳内の想像上の大画面をノン・
ストップで疾走する。竹本の指もキー・ボードの上を珍しく飛ばしている。たとえば次のような場
面 である。

36 「G・Pの顔が醜く歪んだ。この男が感情らしい感情を見せたのははじめてだった。しかしそ
の感情がどういう種類のものか、誰にも読みとることはできなかっただろう。」(1- 221ページ)
 しかし、ここはおかしいのである。
「G・Pの歯ぎしりの音だった。それに気づいて、クーは激しい悪寒を感じた。それはこの男が今
までに見せた、たったひとつの感情表現だった。」(1- 172ページ)
 「解説/終末の幻視」で大瀧啓裕の指摘するように、竹本は「緻密な論理構成にひいでた作
家」である。ミスを指摘して喜んでいるのではない。どの登場人物の視点とするかで、正確な描
写 にもなる場面である。作者の想像力が細部の描写に拘泥せずに、高速で移動していること
を示したいだけである。想像力が沸騰しているのだ。

37  堅固な建築という比喩が適当な静的な竹本の作品の中で、むしろその自由を讃えるべき
動的な光景であるように思う。「派手で動きのあるエンタテインメント」である。 

38  『鏡面のクー』は『鏡の国のアリス』である。

39  クーとイリス。ラウとシブキ。リークとアレックス。これらは実像と鏡像の関係にある。老人
とカンロンもそうであろう。そして、「白の女王」と、「赤の女王」ならぬ 「黒の女王」が登場する。
激しい戦いを繰り広げる。「黒の女王」が殺意を放射しながら「白の女王」に肉薄してくる場面 
は、大友克洋の映画のような、移動感と迫力がある。活字で描写された映像美である。 

40  2の248ページからは、超能力による壮大な戦闘が描かれる。二人の女王の意識が、鏡
面 の上で重複している。それは、言葉による囲碁の盤面での競合である。「白」と「黒」の意識
が、言語という場所を占有しようとして闘争しているのだ。「白」と「黒」の碁石のように。本当は
さらに三重の像になっている。この効果 は、活字でしか十分に表現できない光景である。

41 『不思議の国のアリス』の第12章の法廷で、読み上げられる詩の後半の三連を引用す
る。(『アリスの絵本』所収・「アリス詩抄」高橋康也編訳より82〜83ページ・牧神社・1973年5月
1日発行)

  もしぼくか彼女がこの一件に
  巻き込まれることにでもなったら、
  昔のわれわれのとおり、
  彼女を放免してやるのは君の役だと彼は言っている。 

  ぼくは思いこんでいた、 きみこそが
  (彼女が例の発作を起こすまでは)
  かれとわれわれとそれとの
  仲を裂く邪魔者だったのだと。

  かれに知らせてはならぬ、 彼女がいちばん好きだった
  のは彼らだと、
  なぜってこれは永久に
  ほかのだれにもないしょの、
  きみとぼくとの秘密なのだ。

42 ハートのジャックは、女王の作ったパイを盗んだのだろうか?竹本健治は、キャロルの迷
宮入り事件を解決しようとしているのである。 

43  竹本健治は、言語遊戯が大好きな人である。ゲーム世代と波長があう作家なのだ。新た
な活躍の場が、そこに広がるだろう。 

44 そして、彼の小説にはゲームには希薄な、ある強いメッセージがある。
「クー。
 だからお前は生まれてくるべきではなかった。  お前は多分、その美しさによって、既に凌辱
された存在なのだろう。世界がそのようなシステムに組みあがっているとすれば、お前は自分
自身の弔い合戦をはじめなければならないはずだ。
 だけど、それは果てしない、苛酷な、出口のない戦いになるだろう。  だからお前に――。 
俺は祈ってやることしかできないのだ。」(2- 247ページ)
 ここに竹本健治の歌がある。失われた者に送る挽歌である。彼は、それを歌い続けるのだ。

45 以上は、クーの謎をめぐる空理空論である。

46 「こんなの何の意味もないわ!」『不思議の国のアリス』第12章   



  『クー』    2000年 9月18日 第一刷発行(た9-5) 
  『鏡面のクー』 2000年10月18日 第一刷発行(た9-6)




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