■Sop Moei  1993年               

高台にある2部屋だけのゲストハウス。眼下でサルウィン川とモエイ川がぶつかる。それ以外、特になにもない場所。
テラスから行き交う船を見ながら「うとうと」。起きたら太陽はやや西に傾きかけていた。

乾季のモエイ川は川幅30メートルほど。流れは強いが、石を投げれば対岸に届く幅しかない。
対岸の崖から1組の親子が現れた。岸に繋いであったボートに乗り込みこちら側に渡ってくる。母親はこちら側のただ1か所の商店に買い物に来たのだろうか?岸を登って行く。子どもは河原で船の番人。「ダブルッ(こんにちは)」。暫く石を投げて水きりをして遊んだ。買い物から母親が戻ってきた。2人は手漕ぎボートに再び乗り込みビルマ側へ戻って行く。「ダブルッ(さようなら)」と声を掛けた。

このサルウィン川とモエイ川が地図上ではタイとビルマの国境線。対岸は「ミャンマー」ではない。ラングーンの支配が及ばないカレン民族の解放区「コートレイ」。
カレンの船は頻繁にサルウィン川の上流や下流へ、そしてモエイ川の上流へ行き来している。

コートレイ側では木材の積み出しをしている。車も見える。象もいる。カレンは象使いの名手。対岸へ渡りたい衝動に強くかられたが、初バックパッカーの身では自ら進んで対岸へ渡ることは出来なかった。ソップモエイのような所へ1人で来ることだって考えもしていなかったのだ。

翌日メーサムレップへ戻る船が着いたと呼ばれ、慌てて乗船する。船には迷彩服に身を包んだ銃を持つカレンの兵士が乗船していた。ちょっとビビった。彼がビルマ側を指差し説明してくれる。「あそこに新しい建物が見えるだろ。あれはABSDFの建物。90年に起きたラングーンの事件から一緒に戦っているんだ」。

約1時間ほどでタイの町メーサムレップ。ジャングルの中に忽然と現れる国境貿易の町。ここの取り引きは国の統計に上がらないから、いわゆる闇貿易となる。ピックアップトラックに乗り、未舗装の山道を1時間戻ってメーサリアンに帰る。僕にソップモエイを勧めてくれたツーリストはまだリバーサイド・ゲストハウスに居た。

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その後コートレイはビルマ軍の大規模攻撃にあいビルマ側の領土をほとんど失っている。ソップモエイのゲストハウスは閉鎖したと言う話しだ。国境貿易で賑わっていたメーサムレップも寂れた集落になり、頻繁に行き交っていたボートもなくなったという話を聞いた。

冒頭で特になにもないと書いたけど、国境の要衝でもある訳で、塹壕とか監視台の様な物があった。
一軒だけある粗末な雑貨屋でかき氷を食べた。氷の固まりをタオルで包み、その上から瓶で叩くと粉々になる。それにピーナッツやゼリーを混ぜてシロップを掛けて出来上がり。機械なんかいらない。

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▲メーサムレップのロング・テイル・ボート 

◇サルウィン川とモエイ川
サルウィン川は遠くチベット高原から流れ、アンダマン海へ注ぐ。東南アジアではメコンに次ぐ大河。しかし、大河でありながら河口に三角州を持たない不思議な川。河口付近が急流なためか?
モエイ川は東南アジアの川としては珍しく南から北へ流れる。乾季には水量が少ないが雨期の豪雨時にはしばしば氾濫し、付近の難民キャンプに多大な被害をもたらす。

◇ABSDF
ABSDF(All Burma Students' Democratic Front / 全ビルマ学生民主戦線)。1988年および1990年ラングーンでの民主化運動を弾圧された学生達が作った組織。長年中央政府と対立し戦っているカレンを頼り、タイ国境地帯へ多くの学生が逃げてきた。

  写真アップ予定
コートレイの日々、メーラ・キャンプの日々 作成中
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