ソンクラーン  - 北タイの新年



※ 旧題は、『 ソンカーン 』と、当地の「タイ新年」の発音に従っていましたが、WEB検索すると「 リンカーン 」と混同することもあるようでしたので、バンコクのタイ語のカナ表現に変更いたしました。

 北タイでは、もっとも暑い季節、4月に「新年」を迎える。
 大昔、今のタイの地の先住民族「モン・クメール系」の人たちに伝えられたインド由来の暦により、新年は現在の暦の4月頃ということになった。
 以下、資料(文末に記載)を参照しながら、タイの新年、「ソンクラーン」(北タイでは「ソンカーン」という)のいわれや行事などについて紹介する。


1.ソンクラーン祭の起源
 「ソンクラーン」というのは、サンスクリット起源の言葉で、”通過する”、”移動して入って行く”というほど意味である。
 太陽は、インド天文学では、12の星座宮を1年かかって移動して行くが、この12宮にはそれぞれ固有の星座が含まれていて、通常は、その星座の名前で呼ばれている。「星座占い」で使われている「星座」である。
 タイの月の呼び名は、この星座名からつけられている。
 たとえば4月は「おひつじ座(白羊宮)」、5月は「おうし座(金牛宮)」。
 サンスクリット語では、「羊」を「メーサー」といい、「牛」を「プルッサパー」という。4月を「メーサーヨン」、5月を「プルッサパーコム」というが、「アーヨン」、「アーコム」というのは、「到着する」というほどの意味で、30日の月と31日まである月を明示するために、使い分けしているらしい。

 インドの暦では、太陽が新しい星座宮に入っていくことを「ソンクラーン」というが、そのうちでも、「白羊宮(おひつじ座)」に入っていくのを「マハ・ソンクラーン(大シンクラーン)」といい、この日を新年の始まりとした。
 かつて、この日は、「春分の日」であったが、現在では、地球の「歳差」運動の結果、「春分」は太陽暦の3月20日ころになっている。
    ( 「地球の歳差運動と星座占い」などについては、こちら を参照。)

 日本などの「春」を、タイ語では、「ルードゥー・バイマイ・プリ(木の葉の芽生える季節)」と呼んでいるが、タイには、「春」という季節はない。タイの季節は、一般的には、「乾期(ナー・レーン)」、「雨期(ナー・フォン)」、「寒期(ナー・ナーウ)」の3シーズンということになっているが、北タイでは、自然界の微妙な季節変化から、「乾期」を、雨のほとんど降らない「乾期」と、雨の降り始める4月頃からの「暑期」に分け、「乾期」、「暑期(ナー・ホーン)」、「雨期」、「寒期」の4シーズンに分けることもあるようである。
 とはいうものの、そんなタイに「春の祭」がとりいれられたわけは、この時期がちょうど農閑期にあたり、托鉢・タンブン(善徳つみ)に都合が良かったことが大きな理由であるらしい。
 このインド由来の「ソンクラーン暦」がタイ族の間に広まる以前は、このような「新年」などと言う概念はなかったようである。
 タイと同じような気候のミャンマー、ラオスなどの近隣諸国でも、同様に、この時期、「ソンクラーン祭」が行われるところが多い。

2.ソンクラーン祭
 「ソンクラーン祭」は、太陽暦の4月13日から15日までの3日間ということになっている。もともとは太陽暦由来の「ソンクラーン祭」だが、旧暦を採用しているタイでは、いつの間にか、タイ旧暦の8月1日が「タイ新年」ということになっていたが、それもそのまま旧暦にしたがうと、太陽暦の3月に新年がやってきたり、5月近くになったりと、定まりがなく、現代生活にとっては何かと不便であるということで、「ソンクラーン祭」(イコール「タイ新年」)は、太陽暦で実施することになったようである。
 誤解をすることも多いので、あえて書いておくが、本来、「タイ新年」と「ソンクラーン祭」とは、別々のもののようである。
 現在でも、「タイ新年(トゥルット・タイ)」と「ソンクラーン祭」を別の日としている地方もあるようで、イサーン(東北地方)の一部などでは、昔からの仕来りにしたがって、相変わらずタイ旧暦のまま、8月1日(白分の1日)を「ワン・トゥルット」といって、正月の元日とするところも残っているようである。
ただ、北タイでは、「ピーマイ・ムアン(俺らが国さの正月)」といえば、「ソンクラーン祭」のことを指している。
 「ソンクラーン祭り」の初日、13日を、「大ソンクラーン日(ワン・マハ・ソンクラーン)」といい、北タイでは、「大晦日(ワン・シン・ピー・カーオ)」と呼んでいる。
 「大晦日」に家の中や周りの大掃除をする慣わしがあるのは、日本と同じである。
 タイの昔の暦に「大暦(マハー・サカラート)」、「小暦(チュンラ・サカラート)」などがあるが、インドのチャサンタナ王が制定した「大暦」の始まりが、「大ソンクラーン日」から数えて2日目にあたるが、「大暦(インド由来のビルマ暦)」の影響の強い北タイでは、この日を1年の最後の日としている。
 この日は、またどういうわけか、タイの「老人の日」でもある。

 14日が、「元旦」に相当するのであろうが、「ワン・ナーオ(家こもりの日)」と呼んでいる。
 「ナーオ」とは、クメール語由来の「じっとして居る」という意味で、太陽が、今まさに「双魚宮(うお座)」から「白羊宮(おひつじ座)」に移動しつつある日で、遠出などしないで、家にじっとしていなければならないということらしい。
 「ワン・ナーオ」には、市場に買い物に行き、新年のお寺参りの準備や、料理の準備をする。
 なおこの日に川原に行き「砂」をとってきてお寺に運ぶ「ターク・サイ」という行事が行われる。
 また、翌日の「お寺参り」に欠かせない「カノム・チョク」という、バナナの葉で包んだ三角ちまきもつくることになる。

 15日を、「ワン・パヤーワン(大いなる日)」といい、この日に多くの行事が行われる。また、この日には多くの禁忌が定められている。 幼いころのことだが、日本でも、「元日」にしてはならないことというのがあった。「掃除・洗濯・遠出」なども、そのうちに入っていたように記憶している。「料理」なども禁忌になっていたため、「おせち料理」が、考え出されたそうである。

 「ソンクラーン祭」は、13日から15日までの3日間で、16日から通常の1年が始まるわけであるが、北タイでは、この16日を、「ワン・パーク・ピー(1年の入り口の日)」と呼んでいる。
 また、この日を「ワン・ケーン・カヌン」といい、この日に「カヌン(ジャックフルーツの幼果)」の「ケーン(煮物)」を食べる習慣があり、この日から開く「カート(市場)」のあちこちで「カヌン」の幼果が売られている。日本の「お雑煮」のような意味があるのかもしれないが、詳しい由緒(いわれ)などは知らない。
 この日には、野菜などはおろか、草木なども手折ってはいけないことになっている。
 なんともややこしいことではあるが、実質的には、「ソンカーン祭り」が終わった16日が、1年の始まりの元日ということのようである。
 15日か、16日の早朝、「ポー・バーン(村の土地神)」で、年の初めの祭事がある。この日1日、「土地神」さまの境内で宴会が開かれ、カラオケなどでにぎやかである。祭事の際、僧侶の読経で魂を吹き込まれた霊験あらたかなな新しい「ソムポイ(おまじない用のマメ科の植物の乾果)」を持ち帰り、玄関先や門にかけてあった前年の「厄除け」と交換する。向こう1年間、また、家々を「悪霊」から守ってくれることになる。
 この「厄除け」は、もろくて「縄」に出来ない「稲わら」のかわりに「聖糸」に結ばれて門とか玄関先に飾られるが、日本の「注連縄(しめなわ)」を思い起こさせるようなものである。

 16日、17日が、土日にあたったり、振り替え休日になったりするなど、休日になることが多く、この時期、4連休、5連休ということが多い。
 遠方の親戚などへの「ダム・フア」など、新年の行事は、まだしばらく続き、正月気分がなくなるのは、20日過ぎてからのことになる。

3.新年の寺参り(タンブン・タクバーツ)
 元日(ワン・パヤーワン)、15日の朝は、まだ暗いうちから起き出し、身だしなみを整え正装して、お寺参りにむかう。女子供が多く、元日の寺は、さながら、ランナー衣装のファッション・ショーのようになる。
 元日の寺参りは、日本の「初詣」と似たところがあるが、こちらは、お寺の坊さんに布施をすることによって、先祖への供養の経をあげてもらうのが目的である。
 先祖にたいする供物は、線香・ローソク・花などのほか、ご飯やおかず、菓子類やくだもの、石鹸、シャンプーなどの日用品などなど、先祖に喫煙の習慣があった場合など、タバコまで持っていく。
 ついでに、僅かな金額だが「金一封」、坊さんへの「お布施」もそえる。
 これらの品々を、お寺に用意してある「タート」という極彩色の琺瑯のお盆に盛り付け、坊さんに手渡しする。
 元日には、大勢の信者がやってくるため、坊さんは、数家族分まとめて対応することが多い。

 すべてのムー・バーン(村)に、その村の寺があるのが普通である。
 日本でも田舎へ行くと「大寺」と「小寺」と言った具合に、複数の寺があることもある。
 それにしても、わが村のように、4ヵ所も寺のあるところは滅多にない。
 村の中に、複数の寺がある場合でも、普段、寺参りするところは、お気に入りの寺1ヶ所である。
どこの寺にいくかは、好き好きで勝手に決めているが、いつでも変更することも出来る。寺に先祖の「位牌」など預けていないから出来ることかもしれない。
 坊さんの人柄や出家する前のお付き合いなど、さまざまな理由から、日ごろお付き合いする寺をきめているようである。
 とはいうものの、葬儀など、仏事の際には、村が出来たころからある、いわば、村の菩提寺にあたる寺の住職が首座をつとめるのがふつうである。遠方から、お気に入りの坊さんを呼んで来て、主催してもらうということは、普通はない。「縄張り」と言うことなのであろう。
 寺にも「格」があって、「川の祀り」などのように、仏事によっては、「格上」の寺から、えらい坊さん(僧侶にも階級がある)を招き主催してもらうなどということもないわけではない。
     
   市場で 見かけた 「ソンカーン」 用品 (左は 「 聖糸 」 など、それぞれ茶色に見えるのは、「 ソムポイ 」 の乾果)

4.水掛け祭の由来
 「ソンクラーン祭」を、別名「水掛け祭(撥水祭)」というが、そのいわれについて、ビルマの古い資料 (『Shin Utalamag Yaw And His Tawla by Po Byu, Journal of the B.R.S. vol. VII pt.2, p.167』)に以下のような神話が記載されている。

  『サッカラ王(インドラ神)アシ梵天の間で、仏教の講題ついて口論になった。
サッカラ王は、「戒律(シン)」に従うことが、ブン(徳)の最たるものであると主張し、アシ梵天は、「布施(ターン)」こそが最高の徳であると主張し、相譲らなかった。
 二人は、人間界に降りて博識で高名なバラモン僧の家を訪ね、どちらの言い分が正しいか裁定してもらうことにした。その際、お互いの名誉のため、誤りであると指摘された方は、潔く自らの首をはねることにしようと約束しあった。
 「戒律」に従うことが最高の徳であるという裁定が下り、約束に従ってアシ梵天は自らの首をはねた。サッカラ王は、議論に勝ってアシ梵天の首を手にしたものの、この首が、高熱で常に燃え盛っている首で、もてあましていた。
 アシ梵天の首を、大海に投ずれば、海の水は干上がってしまい、陸上に放り出せば、大地はたちどころに干からびてしまう。いたし方なく王の7人の娘(ソンクラーン女という)たちに、アシ梵天の首のおもりを命じ、何時いかなる時もアシ梵天の首をささげ持ち、決して手から離してはならないと仰せつけた。
  7人の娘たちは、1年ごとに交代でこの役目を引き受けることにし、毎年、元旦になると、燃えたぎるように熱いアシ梵天の首に水をかけ、次の当番のものに引き渡すことになった。
  こうして、ソンクラーンの日に、水掛をする風習が始まったのである。・・・』
と。

5.水掛けの習慣
 4月に入ると、じきに、あちこちの路上で「水掛け」が始まる。
 1年のうちでも、もっとも暑い時期で、はじめは子供たちの水遊びといった感じである。
 「水掛け」といえば、現在では、路上の通行者や、車やバイクなどに乗って通行する人に対する「水掛け」ばかりが目につくが、本来の「水掛け」は、儀式として厳かなものだけだったにちがいない。
 儀式としての「水掛け」には、「仏像」に対する「水掛け」、「僧侶」への「水掛け」、「高齢者・名士」への「水掛け」などがある。
 各家庭の仏壇はきれいに掃除され、仏像は洗い清められる。お寺に安置されている「仏像」に水を掛けに行く際には、花・線香・ローソクを持参し、「香水(ナム・オップ)」や「聖水(ナム・モンまたはナム・ソムポイ)」が仏像にそそがれる。
 移動の出来る仏像が、境内の特設の場所に移されていて、そこで「水掛け」儀式が行われる。
 「僧侶」や「名士」、近所や親戚の目上の人たちへの「水掛け(ダムフア)」は、日ごろ尊敬している人たちに感謝の意を表するとともに、祝福を与えてもらうのが目的のようである。現在でも行なわれている「ダムフア」は、「年始参り」という意味が強い。詳しくは、後述。

 「水掛け」の慣習は、さかのぼると、インドのガンジス川での「水浴」に始まるのだそうだ。
 参考資料によると、『チェンマイの統治者は、自ら進んで川に入り水を浴びた。その後、「駕篭(サリアン)」に乗って帰路に着くが、道中、このときとばかり待ち受けている民衆に水をかけられ、びしょぬれになってしまう。かつてのランナー・タイの宮廷法には、”およそ、役人たるもの、率先して水掛けの儀に加わるべし”という一節がある。』そうだ。
 現在でも、県知事、郡長などの名士・高官たちは、役所の中や、近隣の名刹に待機して、庶民の「水掛け」を受ける習慣がある。なお、このときの着替え用(?)に、腰布(パー・カマー)などを贈呈する習慣があったらしいが、現在も行われているのかどうかは知らない。

 仏像への水掛けの慣習は、日本にもある。インド由来の慣習であることにはちがいないが、「花祭り」には、お釈迦様の像に「甘茶」の潅水をする慣習があり、巣鴨の「とげ抜き地蔵」など、各地のお地蔵様など年中頭から水を浴びせかけられるのも、同じような慣習であるにちがいない。
 長野の「善光寺」には、本殿の入り口近くに「ビンズル長者」の木像が祀られていて、年に1回、市中を引き回され、水をかけられる行事がある。ちなみに、「ビンズル」というのは、「ソンクラーン祭」などと出所を同じにする、ヒンズー教由来の仏様のようである。
 そのほかにも、各地に同じような行事があるにちがいない。

6.洗髪儀礼(ダム・フア)の習慣
 名士や日ごろ尊敬している人たちへの「水掛け」は、「ダム・フア」の儀式と呼ばれているランナー・タイの伝統慣習のひとつである。
 「仏像」に対する「水掛け」と同じように、「聖水」のほか、花・線香・ローソク・金一封などを持参し、敬意と感謝の意を込めて「ダム・フア」をおこなう。「ダム・フア」を受けた名士は、「聖水」で「洗髪」の真似事をし、訪れたものにも、その髪に「聖水」を注ぎかけ、祝詞(?)を唱え祝福を与える。
 我が家にも、近くに住んでいる、親戚の若者などが、大勢で義父のところに「ダムフア」にやってくる。
 かつては、「プライ」と呼ばれた半ば農奴的な庶民階級から、「チャオ」と呼ばれた土侯まで、目下のものが、目上のものに新年の挨拶として「ダム・フア」を行ったものらしいが、現在でも、村長・町長などは、郡長や県知事の所へ「ダム・フア」に出かけるらしい。

 「聖水(ナム・ソムポイ)」は、昔は、洗髪用のシャンプーとして使われていたのだそうだが、真偽のほどは不明である。
 「アカシア」などと同類の「ミモザ科」の樹木の乾果、「ソムポイ」は、「厄除け」のまじないにはかかせないものだが、殺菌効果などあるのかもしれない。

 余談だが、雷鳴がとどろき、嵐がやってくると、かみさんは、「ソムポイ」を燻して「クワバラ、クワバラ」を唱え始める。少々滑稽ではあるが、恐怖に引きつった顔を見ていると、あながちバカにも出来ない。大自然の脅威に対しては、人間これくらいのことしかできないのかもしれない。
 玄関先に掛けられた「聖糸」にブラブラと下げられている「ソムポイ」は、ピーと呼ばれる「悪霊」よけのおまじないで、このあたりでは、どこの家でも目にする光景である。

7.砂の塔つくりの習慣
 川で採取した砂を、寺の境内の一角に持ち込み、砂で仏塔(チェディ)のミニチュアを作る行事である。この行事に参加することにより、格別の「徳分(ブン)」が得られるのだそうである。
 このあたりでは、14日に寺に砂を運び、塔(チェディ)つくりをするが、「ソンカーン」中であれば、いつでなくてはならないということもないらしい。
 個人個人で作ることもあるようだが、個人が運び込める砂の量は高が知れており、共同で作ることが多いようである。
 この習慣のいわれについては、わからないが、昔は、道路わきに砂の塔をこしらえたものらしい。と、道路の補修用にも役に立ったもののようである。
 現在でも、寺に集められた砂は、のちには、境内の整地に使われたり、寺院の増改築の際に使用されることが多いようである。

8.遺骨供養の行事
 北タイでは、死者を火葬したあと「骨拾い」の儀式はあるものの、「墓」のようなものを作らないのが普通である。
 中部タイなどでは、寺に預けたり、川に流したりするところもあるようだが、このあたりではそのような習慣はない。小さな「骨壷」に入れられた遺骨は、火葬場の脇あたりにほっておかれることが多い。
 コンクリート製の石塔が売られているところを見ると、最近は、墓を作る家も、少しづつ増えてきたのかもしれないが・・・。

 遠くさかのぼった祖先からの家系など、問題にしない人たちで、「墓」の必要性などなかったにちがいない。家系にこだわりを持たない北タイ人は、それなりにいいことだとは思われるが、先祖の墓がないというのも、なんとなくさびしい気がしないでもない。
 われわれ夫婦が結婚して間もないころ、かみさんの祖父が亡くなり、日本人の祖先崇拝のしきたりを理解してもらうためもあって、村で始めての「墓」をこしらえた。今考えると、余計なことをしたものだと思えるが、それでも、まわりの反応に違和感はなかった。
 その後も毎年、「ソンカーンの最後の日」に家族そろって、墓まいりをしていたが、最近はまた忘れられてしまったようである。やはり、北タイ人には、墓やご先祖様など、無用なものなのかもしれない。
 中部タイの一部などでは、「ソンカーン」の最後の日に、各家庭で保管している先祖の遺骨を、寺に持ち寄り、共同で先祖供養をするところもあるらしいが、このあたりにはそのような習慣はない。

 今まであげてきた慣習や行事などのほかに、ソンカーンの慣習として、「人形流しの行事」、「放鳥・放魚の 習慣」、「猫行列の習慣」などがあるそうだが、我が家のあたりでは見られないことなので、省略する。
 市場で、放鳥用の野鳥が売られているところをみると、街場の金持ちたちは、「放鳥」するのであろう。 いずれにしても、「徳積み(タンブン)」とか「雨乞い」とかと関係のある行事のようであるが、日常的に、自然を愛し、生き物を愛する心が大切なのであって、半ば形骸化した儀式めいたことなど、あまり意味のあることではない。


「放鳥」 用に 売買される 野鳥

 

 (参考資料
   『タイの民衆生活史(1) - 祭りと信仰 - 』 P ・アヌマーンラーチャトン著、森幹男編訳 井村文化事業社 1979刊

                        ( 2010年4月14日 一部改訂更新しました。 )
                             ( 2017年4月14日 タイトルを変更いたしました。 )