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  中島敦「山月記」の漢詩について
浜中 仁    

 中島敦「山月記」は、人が虎になるという中国の伝奇小説「人虎伝」を題材にしている。これまでの研究では、唐代に人が虎になる話は存在し、『太平広記』という小説集に「李徴」と題する伝奇小説が採られている。これは、中島が拠ったものでない。時代が下り明代の小説集に、「人虎伝」が見える。『太平広記』「李徴」千四百字弱より二千字強と字数が増え、「山月記」に見える漢詩もここで付け加えられた。この「人虎伝」は唐代の李景亮の作と書かれているが、後人の仮託とされる。中島は、この「人虎伝」に依拠した。そして伝奇小説の内容を削りとり、書き加え、また書きかえることにより、現代小説として新しい価値ある「山月記」を成立させた、と評価されている。この高い評価から「山月記」は、高等学校の国語教科書の多くに採用され、また広く研究されてきた。その研究で、中島の取捨選択や書きかえは、すでに指摘されてきている。ここでは、「山月記」中の漢詩を中心に考察を加え、「山月記」の価値を改めて考え直したい。
 虎に成り果てた李徴は、記憶している自分の旧詩を友人に披露する。「人虎伝」(『唐代叢書』第十二集、錦章図書局)では、次のように友人が絶賛する。なお、「人虎伝」には異本(『国学基本叢書』、呉曾祺編『旧小説』乙集一、台湾商務印書館)が存在する。文字はほぼ同じであるが、友人の名が袁[人參]でなく、李儼とある。
[人參]即呼僕命筆、隨其口書、近二十章、文甚高、理甚遠、閲而嘆者至於再三、
([人參]即ち僕を呼び筆を命じ、其の口に随いて書かしむ。二十章に近く、文甚だ高く、理甚だ遠し。閲して嘆ずること再三に至る。)
これに対し、「山月記」では、袁[人參]が冷静に李徴の詩を評価している。次の引用は、『中島敦全集機戞憤豢綮揚、筑摩書房)による。以下も同じ。
長短凡そ三十篇、格調高雅、意趣卓逸、一讀して作者の才の非凡を思はせるものばかりである。しかし、袁[人參]は感嘆しながらも漠然と次の樣に感じてゐた。成程、作者の素質が第一流に屬するものであることは疑ひない。しかし、この儘では、第一流の作品となるのには、何處か(非常に微妙な點に於て)缺ける所があるのではないか、と。
 中島は、袁[人參]に第一流ではないと感じさせている。これは「人虎伝」と異なる部分である。なぜ、中島はあえて書きかえたのか。「人虎伝」「山月記」ともに、李徴が人であった頃の作品は見えない。しかし、虎に成り果てた李徴が、自分の懐いを述べた即席の詩はともに載せる。その詩を手がかりに、考えていきたい。その詩を引用すると、
偶因狂疾成殊類  偶たま狂疾に因りて 殊類と成り、
災患相仍不可逃  災患 相仍りて 逃がるべからず。
今日爪牙誰敢敵  今日 爪牙 誰か敢て敵せん、
當時聲跡共相高  当時の声跡 共に相高きに。
我爲異物蓬茅下  我 異物と為る 蓬茅の下、
君已乘[車召]氣勢豪  君 已に[車召]に乗りて 気勢豪なり。
此夕溪山對明月  此の夕べ 渓山にて 明月に対し、
不成長嘯但成[口皐]  長嘯を成さず 但だ[口皐]を成すのみ。
 中国の古典詩は、二句を聯といい、一纏まりにする。この詩は、七言八句の七言律詩である。律詩は首聯(第一、二句)、頷聯(第三、四句)、頸聯(第五、六句)、尾聯(第七、八句)の四つの聯で構成する。
 先ず首聯。偶たま気が狂い、人とは違う生き物(虎)となり果て、災いが相継ぎ、それから逃げることができなかった。第一句は自分が発狂して、虎となったことを述べている。第二句は、「災患」が何を意味するのか、少し難解である。第一、二句の内容が、時間的にこの順番で起こったとするならば、「災患」は李徴が虎となってからの災いということになる。人間として許されない、虎としての野蛮極まりない行為であろうか。虎として生きてゆくには、この行いを避けて通れない。「山月記」では「人間の心で、虎としての己の殘虐な行のあとを見、己の運命をふりかへる時が、最も情なく、恐ろしく、憤ろしい」とある。しかし、「災患」は李徴にとって最も深刻な災いのはずである。それは、人としての心を失い、外見もそれにふさわしい獣へと変身するに至る一連の災いであろう。後に説明するが、詩を作る約束事に押韻や平仄がある。その制約で、第一句と第二句を転倒して詠む場合がある。そうであれば、第二句、第一句の順番で読むほうが、すんなり意味が通る。この聯の二句を転倒すると、災いから逃がれなかったので虎となったという解釈になる。詩の作者もこう詠みたかったのだろうが、第一句末の字「類」は、この詩で押韻しないので、第一句「偶因狂疾成殊類」を押韻すべき第二句に置くわけにゆかない。やむなく第一句に配置したのであろう。
 次に頷聯。虎と化した今日、敵対できるものがいないのは、この爪と牙のためだが、若かりし当時は、名声と事跡が人よりも、ともに高いものだった。みじめな今と、輝かしい過去を対比する。律詩では、この頷聯と次の頸聯を対句にしなければならない。対句というのは、二つの句の構造が同じになる。つまり、働きが同じような語を対応する位置に配列することになる。ここでは、「今日」と「当時」、「爪牙」と「声跡」、「誰敢敵(誰か敢えて敵せん)」と「共相高(共に相高し)」が、それぞれ対照しあい、見事な対句となっている。
 その次に頸聯。私は人間と異なる身として人目を避けて生きてゆくが、君は今や高級車に乗る身分となり意気さかんである。前の頷聯と同じく対句である。虎である自分と監察御史の相手を比べる。「人虎伝」は、散文のところでここに相当する部分がある。
虎曰……嗟夫、我與君同年登第、交契素厚、君今日執天憲、耀親友、而我匿身林藪、永謝人寰、躍而呼天、俯而泣地、身毀不用、是果命乎、因呼吟咨嗟、殆不自勝、遂泣、
(虎曰く……嗟夫、我君と同年に登第し、交契素より厚かりき。君は今日天憲を執り、親友に耀く。而れども我は身を林藪に匿し、永く人寰を謝す。躍りて天に呼び、俯して地に泣き、身は毀たれて用いられず、是れ果して命なるか、と。因りて呼吟咨嗟し、殆ど自ら勝えず、遂に泣く。)
才を恃み倨傲であった李徴が虎と化し、自分と友人の境遇を対照する、この場面はまことに哀れである。ところで、対句の対応する語を見ると、「我」に「君」、「為」に「已」、「蓬茅」に「気勢」、「下」に「豪」がそれぞれ対応していると容易に判断がつく。ところが、「異物」と「乗[車召]([車召]に乗る)」については、前者が連体修飾・被修飾関係の語に対し、後者が動詞・目的語関係の語である。一見対応しづらいが、前者は人と異なる生き物の虎を表し、後者は車に乗るほどの高級官僚の身分を表すことで対応する。細かいことだが、李徴の友人は、車に乗っていない。話の中では、馬に乗っていた。襲いかかった虎が李徴であると言った時、それを聞いた友人、「乃ち馬より下りて曰く」とある。「山月記」でも同じく馬に乗っていた。「乗[車召]」は、その場の情景を描写したのでなく、相手がこの身分になれば当然こういう状態であろうと、想像して詠んでいる。
 最後に尾聯。今晩谷川の流れる山あいで明るい月に向かい、詩を吟ずることもできず吼え叫ぶばかりである。「長嘯」は、声を長く引きのばして詩を吟ずること。王維の詩「竹里館」に「独坐幽篁裏、弾琴復長嘯(独り坐す幽篁の裏、琴を弾じ復た長嘯す)」という二句がある。詩人が詩をうたう、その方法である。虎となった李徴はそれをしようにも、吼え叫ぶことしかできない。
 詩全体を通すと、李徴は高い夢を抱いていたが、今は虎と化して人目を避ける身に堕ち、誰にも懐いを訴えられない、という内容となる。これは、二千字強の「人虎伝」を、七言律詩五十六文字に凝縮したダイジェスト版になる。
 この詩の形式面はどうか。すでに、律詩での対句は指摘したが、そのほか約束事はいろいろある。その一つは押韻である。押韻すべき所は同じ韻を持つ字を使わねばならない。そもそも韻とは何かというと、漢字の音は、韻と声に分けられる。初めの子音が声で、それ以外の部分が韻に当たる。例えば、中島敦の敦の音をローマ字表記すれば ton であるが、t が声で、on が韻である。伝統的な字音の表し方に反切法というのがある。東の字を例にすれば、その字音を示すのに、徳の声と紅の韻で構成するという意味で、「東徳紅反(東は徳紅の反)」、または「東徳紅切(東は徳紅の切)」と表記する。音注で必ず目にする方法であるが、東と徳とは同じ声を持ち、東と紅とは同じ韻を持つことになる。声はさておき、韻はどのくらい種類があるかというと、平上去入というアクセントで分けられ、全部で百六ある。ある字がどの韻を持つかは、漢和辞典ですぐ調べられる。この詩では偶数句末の字すなわち、逃、高、豪、[口皐]の四字が、すべて「下平四豪」の韻をもつ字で、押韻の規則に適う。下平四豪というのは、平声のアクセントの韻は三十種あるが、字数が多いので、前十五と後十五に分けた。前十五を「上平」、後十五を「下平」といい、その下平の四つめの韻が下平四豪である。「豪」は同じ韻を持つ字中で、この字を韻の種類として代表させているにすぎない。反切法で例示した「東」は、「上平一東」の韻に属し、百六韻の最初の韻を代表する字でもある。
 また、押韻の韻を持つ字を、詩中の押韻以外の箇所では使わないことにするが、この詩では規則どおり使っていない。
 二つめは平仄である。字音のアクセントに、唐代の中国語は平声、上声、去声、入声の四種類あるが、これを四声という。初めの平声に対し、それ以外の上声、去声、入声を仄声とする。五万とある字はすべて平と仄とに分けられ、その配置が古典詩ではやかましい。この詩の平仄について、平を○で仄を●で表せば、
偶因狂疾成殊類  ●○○●○○●
災患相仍不可逃  ●●○○●●○
今日爪牙誰敢敵  ○●●○○●●
當時聲跡共相高  ○○○●●○○
我爲異物蓬茅下  ●○●●○○●
君已乘◆氣勢豪  ○●○○●●○   ◆は[車召]
此夕溪山對明月  ●●○○●○●
不成長嘯但成◆  ●○○●●○○   ◆は[口皐]
 平仄の規則の一つは「二四不同、二六対」、各句の二字めと四字めは平仄を逆にし、二字めと六字めは同じにしなければならない。この詩は、ほぼこれに則るが、ただ一つ第七句の六字めが平の字を使っており、違反する。もっとも、この第七句第六字に仄の字を用いると、下三字がすべて仄の字となる。一句の下三字をすべて仄、あるいは平の字で並べることを「下三連」といい、「二四不同、二六対」に優先して避ける。つまり、第七句第六字は仄の字を用いられない。平仄にもう一つ「孤平を避ける」という規則がある。平の字が一字だけで仄の字に挟まれないようにする。特に七言詩では各句の四字めで、五言詩では二字めで避ける。「人虎伝」の詩は、四字めに関しては孤平を避けている。平仄の規則について、この詩は多少難はあるが、ほぼ守っていると言える。平仄の規則を完全に守るのは難しくて、すべての近体詩(絶句、律詩、排律)が守っているわけではない。完成された近体詩を作るとされる杜甫も例外でない。五言律詩「岳陽楼に登る」の首聯では、
昔聞洞庭水  ●○●○●  昔聞く 洞庭の水、
今上岳陽楼  ○●●○○  今上る 岳陽楼。
となる。第一句が二四不同を守らず、四字めを平にするのは、「人虎伝」の詩第七句第六字同様、下三連を避けるためである。その上この詩は、第一句第二字が孤平となっており、禁を犯している。このように形式上難のある詩もある。
 押韻、平仄のほか、さらに規則がある。詩の中に同じ字を使わないことである。この詩は「成」を三度、「不」「相」をそれぞれ二度使い、禁を犯している。河上肇博士「閑人詩話」によると、「一句中に同字を用ひるは差支なきも、一首中に句を別にして同字を重ね用ひるは、原則として厭むべきものとされてゐる」から、第八句「不成長嘯但成[口皐]」で「成」を二度使用するのは許される。この「成」は意識的に使用しているよう思われる。同字使用は古典詩でよく見られ、河上博士もいくつか例を挙げる。それ以外でも、例えば杜甫「江畔独歩して花を尋ぬ七絶句」其の五に、「桃花一簇開無主、可愛深紅愛浅紅(桃花一簇開いて主なく、深紅を愛すべくして浅紅を愛す)」とある。この句は解釈が分かれるが、とにかく一句中に「愛」「紅」を、それぞれ二度意識的に使用していることは、間違いない。ところが、句を別にして同字を使用するのは、いただけない。もっとも河上博士は「しかし同字の重畳によつて却て用語の妙を発揮せる例も少くない」と、いくつかの詩を成功例、失敗例として挙げる。私は博士ほどの眼力がないが、李徴の詩の第八句以外は、「用語の妙を発揮」しているとは言い難く思われる。やはり、同字の使用は詩としての価値を貶めるものであろう。もう一つ気になるのは同じ字ではないが、第一句「殊類」と第五句「異物」である。この二語とも人以外の生き物の意として同じように使う。限られた字数で多くのことを述べるため、同じ字は極力使わないようにするのが原則である。この二語は同字使用に準ずるであろう。あまり褒められるものでない。
 以上、この詩を内容、形式から考察したが、全体的な評価として第一級の詩と言えるだろうか。杜甫「岳陽楼に登る」詩に形式上難のあることはすでに述べたが、内容はどうであろうか。「呉楚東南に[土斥]け、乾坤日夜浮かぶ」と、高楼からの眺望を超越するような情景描写、「親朋一字なく、老病孤舟あり」と我が身の境遇を憂え、それにとどまらず、「戎馬関山の北、軒に憑りて涕泗流る」と戦乱の世を嘆く心情と、スケールの大きな詩であり、形式の疵をものともせず、第一級と評価されうる。「人虎伝」の詩は、伝奇小説の内容と重なる。話の筋をおおかた読み終えてからこの詩を読み、改めて哀れな詩人の叫びを読者は鑑賞する。小説と一体となって価値を高めているが、独立した詩としての評価は高いものとは言えまい。その上、形式に難がある。結論としては、やはり第一級の詩とまでは言えそうにない。中島敦の祖父、中島撫山は漢学の家塾を開き、父、田人は旧制中学の漢文教師を勤めるといった、漢文に親しむ環境で彼は育った。中島自身かなり漢文が読めたことは、その主著「李陵」ほか、中国古典に取材する数々の小説が物語る。そんな漢文の素養のある中島は、李徴の詩をどうしても第一流とまで見なせなかったのではないだろうか。
 ところで、中島敦はこの詩が巧く効果を出すように、小説の中に組み込んでいる。それは詩の尾聯「此夕溪山對明月、不成長嘯但成[口皐](此の夕べ渓山にて明月に対し、長嘯を成さず但だ[口皐]を成すのみ)」についてである。古来「詩は志を言う」と言われている。詩を詠み、吟ずることで詩人自らの胸の内を表現し、満たされない懐いを昇華することができた。虎と化しては、伝える相手も居らず、吟じようとしても吼え叫ぶことしかできない。この二句は「山月記」という題名にも由来するところである。「人虎伝」では、ここに関する記載はほとんど見あたらない。しかし、中島はこの二句の部分を小説の中で大きく膨らませている。李徴がこの即席の詩を詠み、虎となった理由を語ったあと、彼の独白が最高潮に達する場面である。
己には最早人間としての生活は出來ない。たとへ、今、己が頭の中で、どんな優れた詩を作つたにした所で、どういふ手段で發表できよう。まして、己の頭は日毎に虎に近づいて行く。どうすればいゝのだ。己の空費された過去は? 己は堪らなくなる。さういふ時、己は、向うの山の頂の巖に上り、空谷に向つて吼える。この胸を灼く悲しみを誰かに訴へたいのだ。己は昨夕も、彼處で月に向つて咆えた。誰かに此の苦しみが分つて貰へないかと。しかし、獸どもは己の聲を聞いて、唯、懼れ、ひれ伏すばかり。山も樹も月も露も、一匹の虎が怒り狂つて、哮つてゐるとしか考へない。天に躍り地に伏して嘆いても、誰一人己の氣持を分つて呉れる者はない。丁度人間だった頃、己の傷つき易い内心を誰も理解して呉れなかつたやうに。己の毛皮の濡れたのは、夜露のためばかりではない。
李徴の嘆きは深く読者の心の奥に響く。ここまでの懐いは、七律五十六文字という限られた字数の詩では表現しきれない。「人虎伝」では詩を小説に重なり合わせていた。「山月記」では、詩のあとで李徴の独白を詩句に重ならせ、響き合うように構成している。中島の筆がまさしく迫真の描写として発揮されている。ここの描写、そして「山月記」という題名が、この漢詩を小説の中でいっそう効果的にする。中島は「人虎伝」中の詩の限界を知り、その上で巧みに「山月記」の中に組み込んだ。

「新国語研究」第四十七号 大阪府高等学校国語研究会 (二〇〇三.六)所収