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ブルー十字動物血液センター事件

−JAWSレポート 特別版1997年10月15日発行より転載−

センターに置き去りにされた犬猫たち
ブルー十字動物血液センター

880の瞳

440頭もの犬猫が置き去りにされているという、ブルー十字動物血液センターの建物の中にはじめて案内されたのは、平成9年4月2日の午後2時頃だった。

動物舎の入り口の自動ドアが左右に開く。と、同時に強烈なにおいが鼻をつく。
動物臭にはなれている私でも思わず手で鼻をおおった。
次に目に飛び込んできたのは、夢にも見そうな異様な光景だった。
広い宿舎の中は、2段重ねの檻がずらりと4列に並ぶ。
おびただしい数の犬と猫。
下段にはハスキー、ヒレネー、ゴールデン等の大型犬が入れられている。
上段は殆どビーグルのようだった。
一斉に激しく吠え立てる声は耳をつんざかんばかりである。
今、目の前に広がっている光景に一瞬言葉を失った。

案内してくれている元ブルー十字従業員の飼育担当者の人が、「おしっこ降ってくるから」と言って長靴と作業着を持ってきてくれた。
猫の専用舎はなく、犬の檻の上に猫の檻が置かれ、まるで鶏小屋のようで、犬が吠えると鉄格子がビリビリと震え、猫が脅えて檻の片隅でうずくまっていた。

通路も檻の中の床も水でびしょびしょに濡れている。
乾くことのないフンの上を歩き回るから、床は粘土をなすりつけたようにどろどろになっている。
犬たちは檻の中を歩き回っているもの、手で必死に柱をひっ掻くもの、激しく吠えるもの、ぶるぶる震えているもの、檻の隅で丸くなって上目つかいで不安げにこちらを見ているもの、とさまざまである。
ためしに自分のこぶしを握り、檻にくっつけるとほとんどの犬はペロペロとなめてきた。
いとしさがこみ上げてきて、えもいわれぬ重苦しい気持ちにおそわれた。

ブルー十字からかかった電話

去る平成9年3月14日、会へかかった一本の電話がきっかけだった。
その人はブルー十字富山支社のKと名乗った。
「富山県動物管理センターから会のことを聞いたが、相談したいことがある」とのことだった。
「ブルー十字?なんだろう・・・?」不安が頭をかすめたが、聞かなければならないという予感がした。
「血液の研究のため、犬猫約600頭を飼育しているが、会社の事情で動物舎を閉じることになった。
ついては、里親探しをしたいので力を貸して欲しい」というものだった。
600頭という途方も無い数。
富山県内にこれほどの犬猫を飼育している会社があったこと、そしてその会社が、急に犬猫の飼育継続が不可能になったということに驚いた。
しかし、この時点では、まだ、ブルー十字が倒産するとの認識はなく、会社と一緒に時間をかけて里親探しをすればいいのだろうぐらいにしか考えていなかった。

通じなかった電話

里親探しをはじめるには会社側と綿密な打ち合わせが必要だった。
犬猫の種類、正確な頭数、年齢、体型、色、性格、健康状態など、私たちはまだ何も把握していない。
里親を呼びかける方策についても、会社の意向や都合を聞いておかねばならない。
その後の連絡を待って、3日がすぎた。
4日目、こちらからK氏に電話を入れた。
当初の一日も早くとの言葉とは裏腹に「そんなに責めたてないでほしい。当方から連絡を入れるからそれまで待って欲しい」というものだった。
3月22日、もう待てなかった。
K氏に直接会って話を聞こうと富山支社を訪れた。
しかし、5階建てのビルは空っぽで、入り口にはシャッターが閉まり、一階の駐車場に「ブルー十字ペットショップ」の名前入りの軽自動車が2台、ポツンとおかれている以外、何もかも持ち去られてしまったように見えた。

とんでもないことが起こっているのでは・・・?
募る不安を押さえながら事務所へ急ぎ戻り、ブルー十字本社(石川県金沢市)と小矢部動物血液センター(富山県小矢部市)へ電話をかけたが、呼び出し音が空しく響くばかりだった。
一体、どうなったんだろうか?
犬猫は無事なのだろうか?
何とか状況をつかみたい。

3月25日、メンバー3名で現地へ飛んだ。

はじめて見る動物血液センターの建物は鉄筋コンクリートの4階建てで、付近の山々に映えて実に堂々と立派なものであった。
屋上のブルー十字の十字架のマークが人目を引いた。
駐車場の入り口にはロープが張られ、立ち入り禁止の看板が下げられていた。
建物の入り口にも立ち入り禁止の張り紙が貼られ、すべてのドアには鍵がかけられていた。
一階の事務所の窓はブラインドで目隠しされていたが、わずかの隙間から蛍光灯の明かりが漏れ、人影も確認できたことでホッと胸をなでおろした。
中の人と話をしたいと思い窓をたたきながら「動物福祉協会のものです。以前犬猫の里親探しを依頼されていました」大声で呼びかけてみたが反応は無かった。
建物の裏へ回ってみると大きな換気扇が数機回っていた。
風下に立ったとき、糞尿のすごい臭いで吐き気を催した。
犬猫は無事のようだ。
しかし、この建物の一体どこに600頭もの犬猫が入れられているのだろうか。
建物を見上げ、詳細に観察してみる。
2階3階は窓が無く、壁面にはガラスブロックがはめられている。
鳴き声や臭気が漏れないように作ってあるように思われた。

ブルー十字本社倒産の悲劇

3月29日の地元新聞はブルー十字社長の逮捕拘留と本社の倒産、そして、富山県小矢部市の動物血液センター内にいるおびただしい犬猫の生命が風前の灯であることを伝えていた。

会社倒産という最悪の結果を迎えてしまったことに不安が広がった。
心の動揺を押さえながら、何からはじめたらいいのかを考えた。
はじめにマスコミの人からブルー十字の債権者を聞き、筆頭債権者が福井銀行であることが分かった。
福井銀行では犬猫を一般債務から切り離し、里親に出したいとの当会の申し入れを承知してくれた。
だが、それだけで里親活動をはじめる法的条件としてはまだまだ不充分だった。倒産したとはいえ、犬猫の所有権は会社にあった。
そのため、会社の代表者の了解が不可欠だった。

福井銀行の人からブルー十字側の刑事事件担当弁護士を教えてもらい連絡をとった。
こちらの気持ちを伝えると、弁護士は「自分は刑事の担当者なので、民事のことについては介入できない。
会社に残っている人から協会のほうへ連絡を入れさせます」とは言ってくれた。

翌30日、動物血液センターに残務整理のために残っているという男性から電話が入った。
その人の話は予想に反し、「犬猫は里親に出す気はない。労務債権に充当するため、研究機関に売りたいと思っている」「以前、貴会へ電話をしたK氏は会社のお金を持って行方不明になっている。あなた方にはもうかかわりを持って欲しくない」というものだった。

犬猫は会社の財産である以上、会社側から介入を拒否されれば私たちにはもうどうすることもできない。
絶望的な気持ちで受話器を置いた。
残された犬猫たちが今までよりもっと残酷な実験用として売られるのではないかと思うと涙があふれてきた。
翌31日、ブルー十字の獣医と名乗る人から再び会のほうへ電話が入った。
「センターに残っている者でもう一度相談した結果、犬猫は里親に出すことにした。ついては貴会の協力がやはり必要なので4月2日、センターに来てほしい」というものだった。
二転三転と会社の方針が変わることで、会社に残っている人たちも動揺して大変なのだと思った。
とにかく、犬猫を換金するために研究用として売られることだけは避けられたのだ。

電気も水も止まる!

約束の4月2日、この日が動物血液センターの建物の中へ足を踏み入れた最初の日だった。

犬猫の飼育係だったという女性と一緒に、動物舎を一通り見て回った。
建物の中の2階、3階がすべて動物舎で、犬猫の檻には名前と血液型と番号を書いたプレートが貼ってあった。
首輪にも番号がついていた。
犬猫を見捨てられず、会社倒産後も毎日センターへ通っているという飼育スタッフ9名と、今後のことについて話し合った。

それは、重苦しい雰囲気の中での初顔合わせであった。
話し合いの中で、ブルー十字に残っていた元職員の協力拒否の方針が、たった一日でなぜ変わったのかが分かった。
それは、動物に対する愛情からではなかった。
31日の夕刻、電力会社から、ブルー十字のほうへ「4月7日の午後5時をもって送電をストップする」との最終通告が下されていたのだ。
ブルー十字の動物舎は電気で地下水を汲み上げ、給水、排泄物の処理を行い、空調や換気のすべてが電気系統で維持されていた。
そのため、電気が止まることは犬猫の命を奪うことであり、同時に社屋の維持管理のすべてを失うことであった。
このとき、会社が2ヶ月分の電気代約300万円とガス代60万円を滞納していることも知らされた。

犬猫を助けるために・・・

犬猫のリストが手渡され、この時点で600頭の犬猫が440頭に減っていた。
今年はじめから、会社の窮状を知らされていた社員が、犬猫の数を減らそうと伝を頼ってもらい手を探していたからだった。
減っていたのは犬ではゴールデン、ラブラドール、猫ではアメリカンショートヘアー等の人気のある犬猫ばかりであった。
スタッフたちは自分たちでの里親探しの限界から、一日も早く当会と連絡を取ることを上司に願い出ていたが、ことごとく拒否されたとのことだった。

一日も早く、一匹でも多くの里親を見つけ、このセンターから出してやりたいとの思いはみな同じだった。

しかし、富山からこのセンターまでは、高速道路を使っても1時間余り、一般道を使えば2時間もかかる石川県との県境の山の中に位置していた。
時間的なこと、費用のこと、体力的なことなどを考えると不安ばかりだった。
犬や猫についても純血種が殆どとはいえ、成犬、成猫ばかりで、子犬子猫は居ない。
しかも、老齢のため白内障で視力を失っているもの、皮膚病のためか毛が抜けてしまっているもの、顔中が目やにで汚れているもの、危険とゲージに貼られているものなど、里親に出すには不安のあるものがたくさん居た。
更にハスキー犬が犬のうちの約40%を占め、90頭もいることも不安材料だった。
しかも、法的問題はまだ何一つとして解決してはいなかった。
会社の動産である犬や猫を私たちは会社の了解も無いまま、里親に出そうとしている。
建物の使用許可も取れてはいない。
建物の保全措置についても未定であった。
しかし、もう待てなかった。
里親活動を進めたことで、もし会社から訴えられるようなことがあっても、犬猫を救うため、やむを得ずとった緊急措置だったと、争う覚悟も出来ていた。

その後、電力会社へ何度も電話を入れ、送電維持についての正式な話し合いを4月7日午後1時、北陸電力小矢部支社で行うことが決まった。
電力会社との話し合いの結果を待って、そのまま小矢部の動物血液センター内で記者会見をしようと決めていた。
記者会見のことを北陸電力ににおわせれば、決して送電中止には出来ないだろうとの計算が私にはあった。

委託契約成立と記者会見

6日の夜8時頃、突然ブルー十字代理人であるf弁護士により会に電話が入った。
「私が民事を担当することになった弁護士のFです。
センター内の犬猫をあなた方の手で里親に出して欲しい。
そのことを正式に依頼するために、これから貴会を尋ねたい」というものだった。
民事担当の弁護士が決まったことで、話し合いを進める相手が出来たことにほっとした。

その日の夜9時、急遽会の事務局で[すべての犬猫の処遇の一任と建物の使用を認める]とした委託契約が私とF弁護士との間でむすばれた。
翌日の北陸電力小矢部支社での話し合いは私が契約者となることで了承された。
ガス代と電話についても同じようにすることで再開された。

記者会見の日の朝、朝日新聞の朝刊が全国版に「440匹ワンニャン大放置」と報じていた。
そのせいか、記者会見には驚いたことに県内外から40社もの報道関係者が来ていた。
机の上に並んだマイクの数を見て目が点になった。
必死の記者会見で何を喋ったのか今もはっきりとは思い出せない。

その日の夕刻の6時のニュース放映後、会の電話、FAXはなりつづけた。
夜中の1時2時になっても止まらない。
ついに、午前2時、電話線を抜いてしまった。
川のように途切れることなく送られてくるFAXは、100メートルのロールペーパーが瞬く間に無くなって行った。
電話はなるべく手短に用件のみで切りたいと願っても、相手はやっとの思いでつながった電話をなかなか切ろうとはしなかった。
FAXも電話もつながらないとの苦情に対処するために東京の信頼ある大きな愛護団体に頼んで受付の窓口になってもらった。
ついに、里親の申し込みが3000名を超えた。
このままでは、次のステップに進めない。
やむなく、受付をこの時点で一旦打ちきった。
しかし、FAX、はがきは止まらず、最終的には5000名を越えた。
予想を越えた反響に安堵すると同時に、その後の事務処理のために、早朝から深夜までの作業が続いた。
自分の体が2つあればいいのにと思うほどの忙しさの中、マスコミの取材が来る日も来る日も続いた。
同じことを何度も話さなくてはならないマスコミへの対応はかなり負担となった。
しかし、日ごろの活動の中で、社会に訴えたいこと、知って欲しいことをマスコミに取り上げてもらうことで、世間に広められたことを思い、どんなに疲れていても取材には協力しなければならないと思っていた。
今回の事件も犬猫の救済ということだけではなく、施設内を社会に広く公開することで、ブルー十字が行ってきたことを一人でも多くの人に知って欲しいとの強い思いが私にはあった。

里親活動スタート

印刷に出していた里親申し込み表と里親チェック表が刷り上ってきた。
封筒詰め、宛名書き等、事務局での作業は食事の時間も惜しいほど多忙を極めた。
その中にあって、小銭の瓶詰めや貯金箱をわざわざ事務局まで届に来てくれる子供たちに励まされた。
郵便振り込みや書留での募金も続々と寄せられた。
餌、テレホンカード、タオル、シーツ、雑巾なども送られてきた。
ペットフード会社から送られてきたドライフード、缶詰はセンターの倉庫に山のように積み上げられた。
経費面でも不安いっぱいでスタートした活動にもだんだんと光が見えてくる思いだった。
毎日、束となって返送されてくる里親申し込み表の整理と里親選考作業が始まった。
犬猫のいるセンターの方では、直接訪れる里親希望者が殺到していた。
「犬猫をすぐ連れて帰りたいから、中を見せろ」「犬猫を渡せ」と迫る人と「手続きを踏んでください。今すぐには犬猫を渡すことは出来ません」と説明するスタッフとの間で言い争いになった。
興奮した申込者に身の危険を感じ、止む無く警察へ通報したこともあった。

まずは土台作りから

F弁護士からは建物の使用期限は3ヶ月に限ると言い渡されていた。
限られた時間の中で里親活動を終えるためには事前の綿密な計画と確実な実行が必要だった。
しっかりとした土台さえあれば・・・
そう思ったの私は、施設の檻の中の暮らしから犬猫を今すぐにでも解放してやりたいという突き上げるような気持ちを必死で堪え、里親譲渡を進めるための下地作りに20日間を当てた。

現場で毎日糞尿にまみれ、犬猫の世話を続けている飼育スタッフは、今回の問題に会が介入したことにより、毎日のように犬猫が里親の元へ送り出され、日に日に仕事の量が軽減されて行くと考えていた。
スタッフの期待を裏切って、20日間の間1頭も里親に出そうとしない私の考えがなかなか理解されず、この間の一時期、飼育スタッフと私との間で気持ちがギクシャクしたこともあり、活動を通じてこの20日間が一番辛い時期であった。

この頃には犬や猫が突然居なくなったという人たちからの問い合わせが数多くあった。
写真と共に居なくなったときの状況と犬猫への思いを綴った手紙が添えられていた。
写真と書かれていた特徴を手がかりに探してみたが、幸か不幸かセンターの中に該当するものは居なかった。

マスコミ報道を見て、現場の窮状を知った男性の元従業員が3名新たにスタッフとして加わってくれた。
更に4月17日、大阪よりハッピーハウス(犬猫のための孤児院)を長年運営し、犬猫の扱いに慣れたメンバーが2名、応援に駆けつけてくれた。
最強のメンバーが加わったことで現場はにわかに活気付いた。

予想していたこととはいえ、里親希望者は、人気のあるゴールデン、ラブラドール、アメリカンショーヘアーに集中していた。
一方では、最後に残ったものの中から引き取りたいとの、心やさしい人からの申し出もあった。

90頭もいるハスキー犬には、20名ほどの申し込みしかなかった。
しかし、里親はどの子にも見つけてやらねばならない。
里親さんと、時間をかけての真剣な話し合いが続いた。
日中は留守の家が多く、電話は夜7時以降になる。
そのため、電話回線を事務局、センターで各1本ずつ増やして対応することになった。
私たちがセンターに入る前から、隔離室には重病の犬猫が合わせて20数頭入れられていた。
動物舎の中にも、すぐに治療にかかったほうがいいのでは・・・?と、思われるものがかなりいた。
治療のためにセンターへ毎日通える獣医さんは、富山では見つからなかった。
思い悩んでいたとき、日ごろ交流のある動物愛護団体の人が、「神奈川県の山口獣医さんがボランティアに理解のある人だから相談して見たら・・・」と、助言してくれた。
しかし、あまりにも遠く、しかも、一度も話したことない先生が引き受けてくださるとは信じがたく、電話するのをためらっていた。
しかし、他にて手立ても思いつかず、思いきって電話をして見た。 こちらの話を聞いた途端、先生はすぐに「困っているなら行ってあげるよ」と言って下さった。

初めての里親の日

4月29日、山口先生が富山入りしてくださったこの日は、犬を里親に出す初めての日でもあった。
犬猫は肉体的・精神的な健康状態を診て、じぜんにABCのグループに分けてあった。
この日、里親に引き取られたのは、比較的人によく慣れた健康なAグループの中の犬のみ25頭だった。
この日は全国の人々に無事にセンターを旅立つ犬猫の様子を見てもらうために、マスコミ公開となった。
たくさんの報道陣やカメラのフラッシュに驚くことも無く、犬たちは里親さんと共にセンターをあとにした。
里親さんに抱かれて車に乗ったハスキーやドアを空けたら自分から飛び乗ったピレネー、身を堅くして、尻尾を垂れたまま抱かれて行ったビーグル、どの子にも幸せな未来があるよう、祈るように気持ちで見送った。
この日協力してくれた県の動物担当の職員の人たちの、里親に貰われて行く犬を見るやさしい眼差しが不思議でかつ新鮮に私の目には映った。

外の世界を知らない犬猫たち

この施設に入れられていた犬猫たちは、これまで施設の外へ出してもらったことが無かった。
雑菌がつくとの理由からだった。
しかし、いつもじめじめとした汚物で汚れた施設の中が一番不衛生だと私には思えた。
外の世界を知らない犬猫たちは、自然を体で感じたことが無かった。
太陽の光も、草の匂いも、土の上を歩く感触も知らない。
窓のない密室は、外の世界の騒音や風の音さえも遮断してきた。
里親の元へ送り出すためには、まず、外の環境にならすことが必要だった。
しかし、初めて犬を外に出すのも一苦労だった。
やっとゲージから出しても、階段は降りない、エレベーターには乗らない。
気の弱いものはすきあらばゲージに逃げ帰ろうとしたりと散々なスタートだった。
一匹一匹に話しかけたり、撫でたりして心を開かせ、広場に連れ出し、一緒に草むらに座りこむ。鮮な空気、風、草、太陽、そのどれにも戸惑いながらも徐々に心を開いていくのがよく分かった。 暗く空ろだった目が日に日に輝き、そしてやさしくなっていった。
散歩の時間を待ち焦がれ、催促するようになるのに、さほど時間はかからなかった。

不妊手術実施が決定

里親の条件の中に、「不妊手術を必ず受けさせます」という約束事があった。
この施設の中で不妊手術を済ませてから里親に出すのは限られた時間では不可能だと諦めていた。
しかし、山口先生は私たちの本心を聞いて「不妊手術をやりましよう」と言って下さった。
夢のような申し出だった。
不妊手術実施に動いた私たちに、飼育スタッフから反発が起きた。
「こんなに大変なのに、これ以上仕事を増やされてはやっていけない。里親への引渡しが更に遅れてしまう」
「術後のケアがきちんと出来るのか?」
この施設の中で不妊手術を済ませてから送り出したいという私たちの思いは飼育スタッフにはなかなか理解されなかった。
何度も何度も議論を重ね、また振り出しに戻る。
そんな日が続いた。
私たちの説得と熱意についには飼育スタッフが折れてくれ、実施と決まった。
それからは、全員の気持ちが一つになって手術実施に向け、慎重に計画が進められていった。

手術が済んだものは、不潔な元のケージには戻せない。
そのため、たくさんの新しいゲージが必要だった。
センターには80坪ほどの未使用の部屋があった。その部屋を術後のケア室にすることが決まった。
県に頼んでその部屋の消毒をしてもらった。

特大、大、中、小、60以上ものゲージを発注した。
到着を待って次々と組み立てられ、ケア室に並べられていった。
それでもゲージは足りなかった。
建物の外に放置されていた金網でゲージを手作りした。
ハッピーハウスより更に1名がスタッフとして加わり、現場の作業は急ピッチで進んだ。
山口先生が富山に滞在出来るのは1ヶ月とのことだった。
1ヶ月で手術と治療を終えなくてはならない。
手術は時には深夜まで及んだ。
富山の獣医さんも日曜日にボランティアとして協力してくださり、1頭のミスもなく、不妊手術は予定を6日間オーバーしたものの、無事に終了した。
先生と共に迎えたこの日の感動は、スタッフ全員の胸にいつまでも残ると思う。

犬猫引渡しの中止要求

里親活動もようやく軌道に乗り、スタッフの顔にも笑顔が見え始めた5月5日、予期せぬことが突然起こった。
F弁護士より、「犬猫引渡しをストップして欲しい」とのFAXが、会のほうに送られてきたのだ。
「社長が5月2日に仮釈放されたので、会社再建の道を探っている。再建のためには犬や猫が必要だ」というのが理由だった。
会社が大変なとき、経営陣は犬猫を見捨て、自分たちの身の保全のみを考えてきた。
会社の電気が5日後には止まってしまうという非常事態のときでさえも、送電継続のために動いた人は居なかった。
「今、犬や猫が生きているのは、全国のたくさんの人の支援とボランティアで働いている人たちのおかげだ。そのような申し出には応じられない」と拒否した。
しかし、弁護士との間に交わした契約書の第6条には、「センターを引き継いで営業する適当なものが現れた場合は、委託契約を解除することができる」となっている。
しかし、100億もの負債を抱えて倒産した会社がそんなに簡単に再建出きるとは私にはどうしても信じられなかった。
「私たちが納得出来るように具体的に再建策を提示してもらいたい」と回答した。
再び、弁護士から「これまでかかったすべての費用と人件費を負担する。応じてもらえないなら『占有物移転禁止の仮処分』を裁判所に提出する」との返事が返ってきた。

会社に対抗

これに対して、直ちに裁判所に公正な審理を仰ぐため、私は「当方にこれまでの経緯説明と意見を述べる機械を与えて欲しい」との上申書を相手方弁護士に先だって提出した。
しかし、それでも相手は諦めず、更に今度はブルー十字の研究者によって人為的に作られた貴重な血液を持った犬19頭猫9頭に限っての引渡しを要求してきた。
がねそれでも応じようと市内私たちに、終いにはその28匹の犬猫を高い金額で買い取りたいと言ってきた。
執拗なまでの会社の要求に、この頃になると私たちに夜中、無人になったセンターへ入って犬猫を連れ出されるのでは・・・?と恐れた。
センターでは一匹一匹の犬猫の血液型が分かるように管理されていた。
血液型を分からなくしてしまえばいい。
そう気づいたとき、私たちは全ての犬猫の首輪を外し、ゲージを入れ替え、ナンバープレートを外し、不妊手術済みのシールを貼った。
その直後、弁護士と会社側の人間4名がセンターを視察にきた。
変わってしまった中を見て絶句。
この時点でようやく会社側は、犬猫を取り戻すことを諦めたのだった。

犬猫は里親さんの元へ

手術が終了したもの、環境への適応度が高いものから順に、毎日数匹から十数匹の子達が新しい家族の元へ引き取られて行った。
犬猫を迎えるためにセンターを訪れる人を、更に十数人のものが面談するような形になっていった。
みんな旅立つ子が心配でたまらないのだ。
スタッフから次々と質問がぶつけられるが、里親さんはこちらの心情を理解し、いやな顔一つしないで答えてくれていた。
里親さんが選べるのは種類までで、スタッフが里親さんの家庭環境や家族構成を考えて犬や猫を選んで下へ下ろしてくる。
連れてきた子に不満を言う里親さんは一人も居なかった。
高齢(10歳以上)のもの、失明していたものたちも、「それでもかまわない。そんな子だからこそ私が・・・」という人に貰われて行った。
飼育スタッフは、新しい飼い主になる人に、犬猫の性格や体質を詳しく説明し、何度も何度も「よろしくお願いします」と頭を下げていた。
車に乗ってセンターを去って行く犬猫の姿が見えなくなるまで見送るスタッフの目から流れる涙を私は幾度も見た。
センターまで来れない里親さんのために、ハッピーハウスの男性が2名中心になって自宅配送も行った。
朝早くから日本各地へ向けて車は走った。
これは、私たちの会だけでは絶対に出来ないことだった。
最初から里子に出すのを断念していた犬猫が居た。
長期治療を必要とするものや、過去に人に噛み付いて危険が予想された犬。
完治不能の猫などは、山口県獣医科病院やハッピーハウスと当会のスタッフの元に引き取られて行った。
記者会見の時、「全部引き取り手が見つからなかったらその時はどうするのか?」と迫った記者が居た。
「そんなことは想定していない。最後の一匹まで全力を尽くします」と答えたことだけは今でもはっきりと覚えている。
たくさんの人に助けられたおかげで、本当に幸運な里親活動が出来たと思う。

ブルー十字を去る日

ブルー十字を去る7月3日、この日は早朝からスタッフ全員でセンターの大掃除にかかった。
人も犬も猫も存分に使った建物だから、最後はきれいにして返したかった。
はじめてセンターを訪れた時より、もっともっときれいにしようとみんなで汗を流した。
午後4時30分、報道関係の見守る中、ブルー十字の社長に建物を点検してもらったあと、全ての鍵と活動中に使わせてもらった器具、備品、そして使い終わった消耗品のリストを手渡し、3ヶ月間のお礼を述べ、ブルー十字を後にした。

今、遠く、日本各地の里親の元で暮らしている犬猫たちのその後の様子が心配な私たちに代わって全国の愛玩動物飼養管理士の方による里親さんと犬猫のアフターケアのための家庭訪問が始まっている。

動物救済活動への思い

3月14日から7月3日までの間で私は数年分の体験をしたように感じている。
高速道路を運転したことがなかった私がインターへ入ってからの道路の両側の風景が頭の中に記憶されてしまうほど走った。
はじめて里親に出した4月29日から6月末までの気候は常時25度に保たれた室内で飼育されてきた犬猫を送り出すにはとても良い時期だったと思う。
しかし、3月中旬〜4月いっぱいは、主人と文具問屋を経営する私にとっては、会社の1年のうちで一番忙しいシーズンと重なってしまった。
5月末は決算書類の提出時でもあった。
私しか手がけられない事務があった。
私の不在で滞ってしまうと、会社全体と得意先やメーカーに多大な迷惑をかけることになる。
ブルー十字から戻ってから、たまった事務仕事を済ませるために夜中に一人で会社に入った。
家庭のことも顧みず、一日中、一度も家族の顔を見ない日が幾日もあった。
家の犬猫の世話や掃除も食事のしたくも何もかも放り出しての活動に、家族は耐えてくれた。
私の体を心配する84歳の母だけが「何であんたがこんな事せんにゃならんがけ!」と言って夜中にこっそり帰ってくる私の顔を見るたび涙ぐんだ。
今まで私たちの活動に「野良猫や捨て犬のことにどうしてそんなに一生懸命になれるのだ」と言っていた人までが今回のブルー十字のことは「偉い」とか「すごい」とか「立派」とか言った。
ブルー十字のことは偉くて野良猫のことはどうだっていいって考える人が嫌だった。
普段の地道な活動があったからこそ、今回のこともやり遂げられたのだと思う。
440頭の犬猫を救い出せても、毎年捨てられたり、殺処分されたりする犬猫のことを思うと心は晴れない。
社会の影で身勝手な人間のために死んで行く多くの動物たちの苦しみを減じるためにこそ、活動は必要だと思う。

ブルー十字の会社のこと

ブルー十字問題は、犬猫の置き去りだけでなく、さまざまな問題を私たちに投げかけた。
ブルー十字動物血液センターの施設の目的は、動物の血液採取と血液製剤の臨床実験だった。
大型犬が多い理由は、一度に大量の血液を採取する必要からであり、研究には生年月日や由来が明らかな犬猫が必要なため、売れ残って大きくなった純血種をブリーダーから安く購入したものだった。
ブルー十字の倒産によって今回はじめて他の犬や猫を助けるために、血液採取の目的のために一生このような施設の中で生きなければならない犬や猫の存在があるということが明るみに出た。
犬猫の輸血用血液や血液製剤、血液型判定試薬の需要がどれほどあり、いったいどれほどの利益を得られるものなのだろうか。
私たち人間は営利追及のためなら他への痛みを思いやれず、目的のためなら他の犠牲はやむを得ないと自己中心的な判断をする。
自分が大切に飼っている犬猫の命を長引かせることが、他の動物の犠牲によって叶えられていると知っても、本当にそれを望むのだろうか・・・。
ブルー十字の研究者にとっては、犬猫は単なる消耗品であった。
しかし、飼育係の人たちは愛情を持てるようにと一匹一匹に名前をつけ、顔を見ただけで全ての犬猫を判断するほど、愛情を注いできた。 そのことだけが私にとって救いだった。

大勢の協力があってこそ

今回の活動は、たくさんの人の合同作業によって成り立っていた。
まるで一つの会社組織のようだった。
各部署に責任者が自然と生まれて行った。
しかし、ボランティアの延べ人数は1800余名にものぼり、意見や考え方の食い違いなどで全てがいつも上手くまとまっていたとは決して言えない。
幾度か訪れた危機も、団結を乱してはいけないという自覚がみんなにあったことで乗り越えられたのだと思う。
私自身が幾度か窮地に陥ったとき適切なアドバイスで方向を誤らないように導いてくれた人、動物医薬品会社に薬を、ペットフードメーカーに缶詰やドライフードを私に代わって要請してくれた方々など、側面から活動を支えてくれた人たちが大勢あった。
言葉につくせぬほどお世話になった全国のみなさんに、今、ここで、紙面を借りて、改めて心からお礼を申し上げたいと思う。
そして、動物たちのために全国で活動されているみんながお互い認め合い、心を通わせる、そんな日がくれば、動物愛護運動を進める大きな力になる。
そうなることを信じたいと思っている。
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