カンタベリー大聖堂 Canterbury Cathedral

カンタベリーは、ロンドンとドーヴァーを結ぶ街道の途中にある町です。古くから栄え、古代ローマ時代にも都市が築かれました。6世紀末には、英国の他の地方と同様、聖アウグスティヌスによってキリスト教が広まりました。

1170年には、カンタベリー大司教だったトマス・ベケットが教会の自立性を主張してイングランド国王ヘンリー2世と対立し、国王配下の4人の騎士によって大聖堂内で暗殺されるという事件が起こりました。これは大変な蛮行で、トマス・ベケットは殉教者として聖人になりました。

中世にはカンタベリー大聖堂は巡礼の訪れる聖堂になりました。ジェフリー・チョーサーの「カンタベリー物語」(14世紀)は、カンタベリー大聖堂に巡礼に来て宿屋に泊まりあわせた人たちが、それぞれおもしろい話を披露する、という設定で書かれた小説です。

現在でもカンタベリー大聖堂は、英国教会の中ではソールズベリ大聖堂と並んで、もっとも格の高い大聖堂として知られています。

 

町は直径1.5キロほどで、城壁で囲まれています。

現在では異民族や山賊が襲ってくる心配はないので城壁を取り壊した町も多いですが、中世以前に作られた町は、必ずこのような城壁で守られていました。

城壁の中はにぎやかで楽しい町です。歩行者天国になっているショッピング街。

 

やがて大聖堂の門の前の広場に着きます。正面の古い様式の民家には、ローラ・アシュレーのお店が入っています。

 

大聖堂の南にある、クライストチャーチ門。16世紀の建造です。
カンタベリー大聖堂は、町の他の建物に接して建てられてはおらず、日本のお寺や神社の境内のような、区切られた区域(precinctと呼びますが、「境内」と訳しておきます)の中に建っています。
門を入ると、大聖堂が見えます。この写真に写っているのは西半分で、14〜5世紀に増築された部分。この大聖堂の中では新しい部分です。

 

聖堂の南側に沿って東に回り込むと、12世紀の古い部分になります。
聖堂全体を東からみたところ。

 

これより古い時代に建てられていたカンタベリー大聖堂は、1174年に火災で焼け落ちました。大聖堂を再建するために多くの建築家が集められ、その中からギヨーム・ド・サンス(フランスのサンス出身のギヨームさん)という人が主任建築家として選ばれました。ギヨーム・ド・サンスは、当時開発されつつあった新しい建築技法(つまり初期ゴシック建築)を用いてこの大聖堂を再建しようとし、大聖堂関係者の信頼を受けて工事を進めました。彼の仕事は、当時の人々の目にも斬新ですばらしいものと見えました。しかしギヨーム・ド・サンスは工事の途中で、足場から転落して大怪我をし、故郷に戻って行きます。この工事のいきさつは、大聖堂に併設されていた修道院の修道士ゲルヴァシウスによってくわしく書き残されています。中世の建築事業の様子を伝える貴重な文書です。

上の写真では、東半分がギヨーム・ド・サンスの時代の建築です。

 

14〜5世紀のに建てられた身廊の内部。この部分は、垂直性を極端に強調した、「パーペンディキュラー様式(垂直様式)」で建てられています。柱が杉林のようです。
       反対側から、身廊を見たところ。

 

身廊の突き当たりに、聖歌隊席にはいる大理石の入り口があります。
この入り口をくぐると、12世紀の部分になります。ここは聖歌隊席で、ミサのときには聖職者たちが座ります。
高さはそれほど強調されておらず、むしろどっしりとした印象を受けます。この部分もギヨーム・ド・サンスの時代に建てられたものです。

 

東に突きだした「コロナ」と呼ばれる部分。聖職者などが埋葬され、床の中央にろうそくがともされています。

 

聖歌隊席の回りをぐるりと巡る通廊がもうけられています。このような通廊は、ミサの間でも巡礼が内部を一回りできるように作られたものでした。
これも通廊の一部。通廊に沿って、多くの墓があります。右に見える、木彫で飾られた部分は墓です。
墓のひとつ。

 

通廊の外側に、多くの小さな礼拝堂があり、聖職者や王族などが埋葬されています。 これも礼拝堂のひとつ。上に描かれた絵は、パウロがマルタ島でまむしにかまれたがたき火の中に振り落として無事だったという場面。12世紀末のものと考えられています。

 

      同じく、通廊に面してもうけられた礼拝堂のひとつ。

この場所でトマス・ベケットが暗殺されたことを示すモニュメント。現代に作られたもので、あまり趣味がいいとは思えません。

右の階段を下るとクリプト(地下室)にはいることができます。

聖堂東半分の地下には、このようなクリプトがあります。

 

聖堂全体の北西には、回廊で囲まれた中庭があります。ここにも墓がたくさんあります。
       回廊の一部にもうけられた墓。

 

聖堂の境内には、古い時代の廃墟も残っています。ロマネスク時代の建築と思われます。
緑豊かな、広々とした境内。大聖堂の敷地は、カンタベリーの町全体の5分の1ほどの広さになります。

 

主要参考文献

Stephen Alfred Warner, Canterbury Cathedral (London, 1923)

Patric Collinson et.al., The History of Canterbury Cathedral (Oxford University Press, 1995)

Edited and translated from Latin by Charles Cotton, The Treatise Concerning the Burning and Repair of the Church of Canterbury in the Year 1174 (Friends of Canterbury Cathedral, 1930)

ジェフリー・チョーサー著、桝井 迪夫訳「完訳 カンタベリー物語」上・中・下(岩波文庫、1995年)

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