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『共犯新聞』NEW YORK地図音楽映画歴史
柳 宗悦
Souetu Yanagi

  • 1913年(大正2年) 東京帝国大学文学部を卒業。
  • 心理学を専攻。
  • 大学教授で生計⇒東洋大学、明治大学、同志社大学、ハワイ大学など。
  • 1915年 朝鮮へ旅行。
  • 交友関係⇒バーナード・リーチ、富本憲吉、河井寛次郎、浜田庄司。
  • 上記の仲間と、「民芸的工芸」に注目。
  • 「他力本願」を裏づけとする独創的な美論。
  • 宗教哲学を志した。最初はキリスト教、しだいに仏教へ関心は移る。


★参考文献★
著者大岡昇平・埴谷雄高
タイトル二つの同時代史
発売日1984年7月23日 初版第一刷
内用
  • 明治の末に生まれた二人の作家が、その青春、戦争体験、文学的出発、戦後
装丁万膳 寛
発行所株式会社 岩波書店
定価2,400円   
抜粋
・埴谷 とにかく一語で全宇宙をあらわせる何かがないか
という姿勢でまったくの空白の虚無の空間、
というのは一枚の白い原稿用紙だけれど、
それを凝視しつづけている。
僕の創作の方法はそれでね。
いまでも『死霊』の続きがなかなか書けないのは、
『死霊』のなかに、一語であらわせる何かが容易に発見できないからだ。
アルキメデスの「ユリイカ」、
その一語がなかなか発見できないために全体の章が書けないというのは、
実際弱ったことだよ。
こういう発想法になったのはブレイクの『箴言』の影響が非常に大きい。
柳宋悦訳だった。
辻潤の次が柳宋悦、それから寿岳文章。
柳宋悦はその後民芸の方へ行ってしまうけれども、
ブレイクを僕に教えてくれた辻潤につぐ第二の恩人だ。

・大岡 そうか、ブレイクはおれたちとは一世代上の白樺派が読んだんだよ。
久保元宏の感想 出版当時(今も?)、無知な私は、
知らない固有名詞は飛ばしながら、二人の巨人の会話に耳をそばだてた。
しかし、興味のある人物や、後日気になった人物は、
「索引」から、それぞれのページに飛びながら、反芻し、知識に肉付けをしたものだった。
それって、ハイパーリンク?
ある意味、読後は「事典」としても、使える。


■岩清水(沼田町「ほたるの里 陶芸館」館長) 談   2001年5月9日 午後2時
  • 柳宋悦、大好きです。
  • 私も「民芸」に引かれて、この世界に入ったのですから。
  • 東京にある「民芸館」には、宋悦が収集した民芸が沢山、展示してあり、一日いても飽きません。そこには、焼き物だけではなく、布製品や木工などもあります。

  


民芸★『柳 宗悦(やなぎ・そうえつ)』をめぐる時事放談★2001
Booxboxbooxboxの掲示板から拝借。 田原さぁーん!田原洋朗@booxbox  久保AB−ST元宏
■◆■
田原@BB氏
■◆■
■◆田原@BB氏からのメッセージ◆■

●久保AB-ST元宏さん

 神田古書街に、生まれて初めて行きました。

 面白かった。もっといたかった。


 巌松堂(GANSHODO)という店で、柳宗悦の「私の念願」という本を購入。

 昭和十七年刊。



 「美の歴史は新しい観点から見直されなければならない。文藝復興期この方、

歴史は余りにも美を個人の名において解し過ぎた。それは余りにも美を狭き一

隅に追いやってしまった。そうして幾多の優れたものを見忘れてしまった。個

性の名において美を計り過ぎてはならない。個性を必要としない領域において、

驚くべき美の王国が見出せるからである。自由の名のもとに、その時代のもの

を誇ってはならない。不自由でなかった自由はないともいえるからである。少

なくとも個人の自由にはそういう限界が見える。天才の名を掲げて、これに無

上の讃辞を呈してはならない。無名の民衆が支え得た美の深さがかつてあった

ことを忘れてはならない。


 ある作物を稀有であるがために讃美してはならない。又それが普通であるた

めに平凡となる場合を恐れてはならない。美と多量とが結合する時ほど栄誉あ

る場合はないのであるから。それは美の内容を痛めはしない。多に交わってま

すます冴える美のあることをこそ讃嘆していい。もしこれらの事実を知ること

が出来たら、すべての作はもう一度見改められるであろう。



 美には自由の美と秩序の美とがある。前者は天才が背負い、後者は時代全体

が背負う。個人主義の近代はひとり前者のみを讃えた。しかし大衆も美に参与

する後者の道は、更に深い意義を示しはしないか。少なくとも未来の美は、後

者を等閑にしては成り立たない。今までの美の歴史は片手落ちである。」



 六十年前の文章。

 今が「未来」なのか、今「未来の美」が実現しているのか。

■◆■
久保AB-ST元宏
■◆■

■◆上記への、私のアンサー◆■


ふきのとうの「ゆがんだ才能」。 

◆おかえり&柳ジョージ「♪ういっぴにあれん!」

今日の沼田町も雪!その中で消防のボランティア団員として、放水訓練をしてきたよ。風邪ひきそー!



◆で、柳。

まず、私は懐疑的な文章を田原@BBさんへのアンサーとする予感がします。



今、私は山口昌男『内田魯庵山脈』(2001年1月刊)というマニフエスト的大著を読

んでいます。さらに佐多稲子『夏の栞』を読んで以来、”昭和初期の文科系の鬼・山

脈”の研究を地味に独学しています。



それらを体験して感じるのは、歴史に埋もれた魅力的な「個人」がいかに沢山、存在

していたのか。彼らを知らずに人生を終えるもったいなさ。

そして、今、現在の世の中にもどこかに魅力的な「個人」がいるのであろう。インタ

ーネットが、その出会いを作ってくれるのであれば、私たちは爆発的な「出会い」の

可能性の入口にいる。・・・このBBのHPでも、果せているしね。



そこで、いくつかの示唆される参考文章を私の観点から紹介したいと思います。



@戦中という「暗い季節」のなかで、「ルネサンス研究」が輝いた時期があった。

 羽仁五郎、花田清輝、福本和夫と、そして杉浦明平氏だ。

 (『朝日新聞』2001年3月17日、川村湊による杉浦明平の追悼評論より)



Aいままでは身分や肩書が一つの資格でしたが、デジタルワールドでは通用しませ

ん。

 自分の個性こそが参加資格になる。

 自分を鍛えて商品価値を高めることが何よりも求められる世界になるでしょう。

 (『日本経済新聞』第二部 2001年4月20日、荒俣宏の発言)



☆私が今から述べようとするのは、「イデオロギー」の問題ではありません。むし

ろ、イデオロギーから解放されるための、反イデオロギー議論です。

Aの論も、Bの論も正しいのに反目し合っているケースがあります。

時を経た後、AとBをそれぞれ単独に見た時、ソレが正しく思えるのはアタリマエ。

そして、埋もれた「正論」を発見した熱のエナジーで議論が進められる場合がある。

もしそこに、発表当時の、AとBの背後の情報が無いとしたら、それぞれの論は別の

立ち上がりを見せます。

もちろん、最近の「保田與重郎」再評価のように、意味のあるものもあります。

が、そこに新しい別の「イデオロギー」が現れて、博物館の奥でホコリ(=誇り?)

をかぶっているAorBが「利用」されるのが、最悪の不幸です。



☆まず、田原さんのお買いになった柳宋悦『私の念願』が、昭和17年発行であるコ

トに注目したいのです。おそらくは、太平洋戦争前夜の昭和16年に執筆されている

と思います。

そこに、上記の@の「ルネッサンス」派は明らかに対立します。

国家が「一億玉砕」「八紘一宇」を掲げる時、柳宋悦の「秩序の美」は利用されるに

ふさわしい危険があります。もちろん、平時であれば、「無名の民衆が支え得た美」

という論にうなずかない者はいないでしょう。柳氏の論理の説明の組み立て方には、

そのように万人が納得できる前説を広げてから、ある種の「ナショナリズム」「民族

主義」への入口に向かわせる意思がある。

☆「ルネッサンス」派とは、「天才」主義者ではなくて、「自由」主義者であった。

それを「天才」主義者と置換して、その落とし穴を広げる説明を、柳氏は試みている

のではないでしょうか?(←この点、読後の田原さんの意見を聞きたいところで

す。)

☆私の下記のURL内の「日記」に田原さんのメッセージを添付させていただきまし

た。そこに、柳さんの説明をリンクしておきました。それをご覧になると分かるよう

に、柳さんは北海道にて民芸の大家となります。この民俗学への流れは、柳田国男と

同じベクトルであると、言っても暴論では無いでしょう。

☆上記Aのように、現代は一億「天才」の時代です。個人のコンテンツの質が重要な

アイデンティテイとなる時代です。そんな時、田原さんが紹介してくれた柳宋悦の

「大衆も美に参与する」ことの重要性を読み、むしろ柳氏は「大衆」を信用していな

かったのではないのか、と思いました。

☆今も昔も、「大衆」なんて存在したことなど、一度もありません。「個人」の総体

が存在しているだけです。確かに「縄文文化」とか「アイヌ文化」「ガングロ&ヤマ

ンバ」とかのモードは発生するでしょう。しかし、それすらも「天才」の総体なので

す。「自由の美」バンザイ!・・・これが今夜の私の結論です。
■◆■
田原@BB氏
■◆■

2001/04/21
10:39:35

■◆↓上記の私の意見に対する、田原@BBさんの返答◆■



[1072] (2001/04/21 10:39:35) 田原ひろあき@ブックスボックス

井戸@モノレス系 

●久保AB-ST元宏さん



 柳宗悦さんは、文章を書くことを本業とした人ではありません。運動家です。

その運動の体系が、日本民藝館のコレクションとして、この世に残されていま

す。その体系と離れたところで、柳宗悦を語るのは不毛かと思われます。(安

易にその文章を引用したのはまずかったですかね)



 といいつつ、新たなる柳宗悦文の引用を持って、レスといたします。

 「喜左衛門井戸」という、茶器の名品について書かれた文章です。

 16世紀、朝鮮から渡ってきた朝鮮の飯茶碗(作ったのは無名の職人、使う

のは一般庶民の「下手物」「雑器」「並物」)が、日本の当時の茶人たちによ

って「発見」され、名品として愛されます。柳さんがその茶碗を目にしたのは

昭和六年。

 「「喜左衛門井戸」を見る」という文章がその年に書かれます。



 「非凡を好む人々は、「平易」から生まれてくる美を承認しない。それは消

極的に生れた美に過ぎないという。美を積極的に作ることこそ吾々の務めであ

ると考える。だが事実は不思議である。如何なる人為から出た茶碗も、この

「井戸」を越え得たものがないではないか。そうして凡ての美しき茶碗は自然

に従順だったもののみである。作為よりも自然が一層驚くべき結果を産む。詳

しい人智も自然の叡智の前にはなお愚だと見える。「平易」の世界から何故美

が生れるか、それは畢竟「自然さ」があるからである。

 自然なものは健康である。美に色々あろうとも、健康に勝る美はあり得ない。

なぜなら健康は常態だからである。最も自然な姿だからである。人々はかかる

場合を「無事」といい、「無難」といい、「平安」といい、また「息災」とい

う。禅語にも「至道無難」というが、難なき状態より讃うべきものはない。そ

こには波瀾がないからである。静穏の美こそ最後の美である。『臨済録』にい

う、「無事はこれ貴人、ただ造作することなかれ」と。」



 四世紀にわたり「美」でありつづけるもの、ってすごいですね。

 十五世紀の「目利き」もすごい。少なくとも四世紀、見通したことになる。

 その点、文章家の文章ははかない。「造作」なく書ける文章・人間て、ほ

とんど稀ですからね。



 こうしてみると、柳宗悦ファンの田原が、等々力政彦という「造作」のな

い人間と、その彼が歌うこれまた「造作」のないトゥバ民謡、この二つに出

会ったことが、ブックスボックスの始まりだったのだなあ、と改めて思いま

すです。余談でした。



http://www.booxbox.com/ 
■◆■
久保AB-ST元宏
■◆■

2001/04/26
10:18:30

■◆↓さらに、私の返答◆■

[1082] (2001/04/26 10:18:30) 久保



ふきのとう的『唯文論』

 

先日、吉本隆明がNHKで2DAYSやっていてびっくりしたが、

忙しくて見られなかった。非常に、残念!

どうやら三好十郎について語っていたようなので、

田原@BBさんとの柳をめぐるお話の参考にもなったかもしれないね。

どなたか見ていたら感想を聞かせてね。ビデオ、貸してくれてもイイけどさ。



■ちなみに、「柳宋悦」さんに関しては、下のURLに説明があります。



で、↓



井戸@モノレス系 

●久保AB-ST元宏さん



 柳宗悦さんは、文章を書くことを本業とした人ではありません。運動家です。

その運動の体系が、日本民藝館のコレクションとして、この世に残されていま

す。その体系と離れたところで、柳宗悦を語るのは不毛かと思われます。(安

易にその文章を引用したのはまずかったですかね)





■「引用」は悪意のある限られた「部分」のみの場合でしたら、罪ですが、

この場合は問題ないと想います。

■田原@BBさんは「日記」などで、「引用」癖がありますが、

それらを読むのも読者の楽しみです。

■ゴッホの『手紙』や、深澤七郎から須賀敦子を経て町田町蔵にいたる「文学」への

侵犯者の系譜を考えても、「文章を書くことを本業とした人ではありません。運動家

です。」というのは、文章を軽視してよい理由にはなりません。

■むしろ、人は「文章家」として生まれてきたわけではなく、個別の「運動」の偉大

なる副産物として「文章」が生まれるダケなのですから。

■(余談)☆仮に「文章家」として生まれてきた人がいたとすれば、我々は彼を「詩

人」と名付けた時もありましたが。



■そんな点からも、田原さんの引用された柳さんの文章のボリュームに問題は無いと

想います。むしろ、ここで議論が発生したとするならば、

@なぜ、田原さんは、その部分を選んだのか。
■関連資料
小林秀雄『ランボオ』の
「一つの言葉さえ現実の事件である」
という言葉。




Aあの文章&2回目に田原さんが引用した文章は、同じことを述べています。

Bですから、私の意見は変わりません。

C私は柳さんに対しては、青山次郎、吉田健一、小林秀雄、柳田国男的興味がありま

す。←上手な説明でなくて、スミマセン。

・・・などのポイントからかなぁ。



えっと、さらに田原@BBさんの文章の引用です。



 といいつつ、新たなる柳宗悦文の引用を持って、レスといたします。

  「非凡を好む人々は、「平易」から生まれてくる美を承認しない。

作為よりも自然が一層驚くべき結果を産む。

 自然なものは健康である。美に色々あろうとも、健康に勝る美はあり得ない。

『臨済録』にいう、「無事はこれ貴人、ただ造作することなかれ」と。」



 四世紀にわたり「美」でありつづけるもの、ってすごいですね。

 十五世紀の「目利き」もすごい。少なくとも四世紀、見通したことになる。

 その点、文章家の文章ははかない。「造作」なく書ける文章・人間て、ほ

とんど稀ですからね。





■おっしゃりたいコトは分かります。

ただ、その価値観からすり脱落してゆくモノもあると、私は感じます。

たとえば、巻上公一@ヒカシューは「造作」のないアジアの技法を利用したところ

で、上記の柳氏の論とは遠いところで表現してしまうのではないのでしょうか。

■情報過多の時代、我々の価値基準の「無垢」も、すでに相対化の渦の中で座標軸の

指示を受けながら移動しています。

「「かっこいいことはなんてかっこわるいんだろう」っておもうことはなんてかっこ

わるいんだろう」という無限地獄。これを、「モード」と言うのでしょう。

■こんな時代ですから、なおさら、「無垢」は魅力ある価値です。

■昨年のカナダ旅行で、ネイティブ・カナディアンと交流した後、バンクーバーでイ

ヌイット美術のギャラリーを見て、新鮮な感動を味わいました。・・・全ては相対的

な価値観のモードにしかないのでしょうか?



さらに、田原@BBさんの文章。





 こうしてみると、柳宗悦ファンの田原が、等々力政彦という「造作」のな

い人間と、その彼が歌うこれまた「造作」のないトゥバ民謡、この二つに出

会ったことが、ブックスボックスの始まりだったのだなあ、と改めて思いま

すです。余談でした。





■タルバガンも、新田クンも、CDで私が面白く感じるのは、「可能性」。

それは、意外な楽器やミュージシャンとのコラボレーションであったり、「曲」であ

ったり、・・・という「出会い」の面白さ。

■シルクロードのどんずまりで、ぼくらはどんな夢を見るのだろうか?
・・・又は、どんな夢を見ることができるのであろうか?
■◆■
田原@BB氏
■◆■

2001/05/01
16:25:39
[1090] (2001/05/01 16:25:39) 田原ひろあき@ブックスボックス

等々力政彦@epoca@マルチレス系 

 等々力政彦さんのインタビュー記事が、関西国際空港リムジンバス搭載誌

『epocaエポカ』創刊号の『Who's Who』コーナーに載っています。発刊は

5月1日。A4見開きカラーで、記事内容もコンパクトにまとまった、素敵

な記事になっています。



●のどうたの会 嵯峨さん



 ハイセイコー馬頭琴、話題ですね。

 3日、楽しみにしています。







●久保さん



 29日はICCまでおいでくださりありがとうございました。



 柳さんの話。

 秩序の美=民藝、を称えた宗悦さんですが、非凡=「天才の美」を軽んじ

たということではないです。棟方志功という、非凡=「天才の美」の人を

「発見」したのは、柳さんです。



 北大路魯山人という人がいますが、柳さん一派とは反目し合っていたよう

です。あの人の制作物なんかが、造作の上に造作を重ねた天才の仕事ではな

いでしょうか。ただ「美」の種類が違う。



 そういえば、徒然草にも、そんなようなことを書いた段がありました。



 第百五十四段「この人、東寺の門に雨宿りせられたりけるに、かたは者ど

もの集りいたるが、手も足も捩じ歪み、うち反りて、いづくも不具に異様な

るを見て、とりどりに類なく曲者なり、もっとも愛するに足れりと思いて、

目守り給ひけるほどに、やがてその興尽きて、見にくく、いぶせく覚えけれ

ば、ただ素直に珍らしからぬ物には如かずと思いて、帰りて後、この間、植

木を好みて、異様に曲折あるを求めて、目を喜ばしめつるは、かのかたわも

のを愛するなりけりと、興なく覚えければ、鉢に植えられける木ども、皆掘

り捨てられにけり。

 さもありぬべき事なり。」

■◆■
久保AB-ST元宏
■◆■

2001/05/18
01:59:19
[1123] (2001/05/18 01:59:19) 久保AB-ST元宏



ふきのとう、脳味噌ハイパー・リンクの巻。

 

深川の古本屋で、

谷本一之『アイヌ絵を聴く』(CD本)を買ってしまった。

CDは音は悪い。

しかし、よく分かります。倭人のイントネーションです。

本は美麗で、芸術品。ラインマーカーを引くと、バチが当りそう。



田原さん、先日は深夜のデート、1時間も待ちぼうけさせて・スミマセンでした。

電脳不夜城の王様って、感じでしたね。

連日の朝日新聞などのパブリでも拝見していました。

でも、そろそろ朝日も「田原さん」じゃあなくて、「田原洋朗氏」にしたほーがイイ

ような。



ICCCでの深夜デートの翌日、

田原さんのお膝元、江別市のセラミック・アート・センターで、

『ティータイムの風景2001』という創作食器展を見てきました。

これは、5月20日(日曜日)まで、やっています。

52人の若手作家の作品が一同に見れるので、

コンパクトながらも情況の確認には便利(?)な展覧会です。



そのサブタイトルが「使って楽しむ創作食器展」ですので、

「民芸」の系譜のイメージがありました。

私の感想は、こうです。



★「奇をてらうのって、なんて簡単なんだろう」



と、いうコトでした。



つまり、「ギミック」はすでに手法の選択肢に入っており、

「若作り」がなせる「ギミック」の多くは、

狭い世界の”自己模倣”でしかなかったりするのです。



私は知人の「黒羽(くろは)じゅん」氏の招待で行ったので、

彼女の作品に長い時間割いたかもしれません。

黒羽さんは、私が雑誌『しゃりばり』でも書いた陶芸家です。



■参考;黒羽じゅん さんのホームページ

うさぎの工房探検 http://www.boreas.dti.ne.jp/~kuroha

じゅん先生! うさぎの工房探検

じゅん - 01/05/19 02:23:36

コメント:

くぼさんこんばんは!お久しぶり〜。

江別セラミックセンター、いらしてくださったんですね。ありがとうございます。

柳宗悦のところで、誉めてもらっちゃっててわーいってかんじでした。(照)

お休みの日に?もしかして、30日のことですか?いや、すみません。なはは。

実は私も、30日行きまして、鎖のかかっている入り口を見て、どっと疲れて帰ってまいりました。

 ところで、感想の感想。

ギミックですか…うーん。

私もあんまり偉そうなこと言えないんですが、

札幌の陶芸家の方は、技術で魅せるタイプの方は、とても少ないとは思います。

「作品」なら、感性が勝負というのはわかるんですが、

まあ所詮食器ですから、感性はどっちかっていうとどっちでもいいような気がします。

それよりも、食器というのはあくまで誰かの食事のためにあるものなので、

それを作ることが仕事となると自分ごときの「感性」なるものをからかっている暇はなく、

料理をおいしく見せる技を何とかして身につけたいと思ったりします。

今はそれを求めてあがきまくりの私。10年後くらいには答えが出て欲しい。

人と違う個性を近道で求めようとすると、結果的に奇をてらっているだけになってしまいがちで、

おいしい食器からどんどん離れていってしまうかもしれません。

個性って、目に見えなくちゃ安心できないかも知れないけど、

実はその人なりの食事への愛情を食器作りに注げば、自然に個性あるやきものになるということを、

沼田で教室をしていた時に私は皆さんから教えてもらいました。

ただ、こればっかりは人それぞれの考え方なので。

やきものをなぜ作るのか。料理のためでは無い人もいることでしょう。

 ところで、つい先日、沼田に遊びに行きましたよ。

何しに行ったかは秘密…ちょっと悪いことをしに行きました。(笑)

澤田さん、わかりますか?今もよくお会いしているので。



 あと、嵯峨さんと新田君のジョイントコンサートも行きました。

もしかして久保さんいるかも、なんてきょろきょろしてました。



宗悦の感想は、私の知識ではちょっと討論できそうにないので、端から楽しく読ませてもらいます。

ではまた。
いきおい「ギミック」の力で自己主張を図ろうとする作品群の中で、 正統な黒羽作品は、「風格」すら身につけてきていました。 この30歳の女性は、作家が嫌う陶芸の国家試験を受けたりします。 「作家」は「芸術家」なので、学んで資格を取ることを嫌います。 そこを、あえて進む彼女の中間報告としても表現されていました。 もう半月以上前の田原@BBさんの『徒然草』154段の引用は、 私に「パゾリーニとフランシス・ベーコンのユマニスム」というイメージを抱かせま した。 なんのことはない、”相対的な価値体系に生きる”というコト。 「天才」が、「絶対的」存在であるといたしますと、 「相対的」存在とは、我々、「凡人」なのでしょう・(か?)。 私のホームページにリンクした「白樺だより」には、柳宋悦を、 「徹底して民衆の側に立つ反-国家主義の思想家であり、ブレイクとホイットマンの詩 を魂とするその思想は、戦前戦中、戦後と一貫して変わることがありませんでし た。」と、解説しています。 そうだといたしますと、私の最初の読みは誤読であったのでしょうか? しかし、「唯文主義者」を標榜する(笑)私といたしましては、 「民芸」という思想に棲んでいた危険を読んだつもりです。 その理由は、柳めぐりの最初の私のテクストと同様ですので、 ※ビギナー(←何の?笑)の方は、私のHPの「アート」欄に再掲していますので、 参照してください。 さて、バーナード・リーチは、柳の造語の「民芸」をどう訳したのでしょう。 「folk craft」でしょうか? 「fork art」でしょうか? それとも、「民芸」には複数の種類があるのでしょうか? 新田くんがらみで、先日、「六三四(ムサシ)」という和洋折衷ロック・バンドのC Dを、見ず知らずの方から、2枚いただきました。 ★その感想は私のHPの「日記」に掲載しています。 私は、「六三四(ムサシ)」は「folk craft」で、 タルバガンは、「fork art」であると思います。 又、李朝家具は「folk craft」で、 棟方志功は、「fork art」であると思います。 そこらへんの「差異」を「水平思考」で考えようとした「パワー=力=運動」を、 柳宋悦は展開したのであると私は思います。 「相対的価値」を「水平」化する運動。 ↑私なりのマトメです。 ですから、田原さんが書いたように、”ただ「美」の種類が違う。”と判断するの は、どうか・と、思うのです。 あの『徒然草』の引用も、私のこの駄文の文頭の理由で、トンチンカンなのではない でしょうか? むしろ、田原さんには第148段を、私には第113段を。 『アイヌ絵を聴く』のCDは、確かに新鮮です。 ただし、それも「文化相対主義」の座標軸の中でのハナシです。 「ゆらゆら帝国」も、NYのクロイスターズも、徒然草も。いいのよねぇ。 で、和田アキ子の司会、ソニー・ロリンズ、谷川俊太郎、好きになれないのよねぇ。 私は、柳の「⇒「相対的価値」を「水平」化する運動。」を現代に解釈するのであれば、 限りないハイパー・リンクの爆発が、「水平爆弾」となりうると、思います。 ■今日は、ここまで。 田原さん、朝日町では是非、漢さんと会って下さい。 漢さんと、私の「文学ノート」は、下記の私のHPの「愛読書★」コーナーにあります。 事前研究(?)になるかも・しれません。 さて、仕事までもうスグ。おやすみなさい!
http://www.geocities.co.jp/Bookend-Akiko/3973/
■◆■
田原@BB氏
■◆■

2001/05/18
20:03:31
[1124] (2001/05/18 20:03:31) 田原ひろあき@ブックスボックス



●久保AB-ST元宏さん

>『ティータイムの風景2001』という創作食器展を見てきました。



 ついさっき、妻と行ってきました。

 教えていただいてありがとうございます。



>★「奇をてらうのって、なんて簡単なんだろう」



 御意。



>黒羽さんは、私が雑誌『しゃりばり』でも書いた陶芸家です。



 今度、是非、ご紹介ください。

 陶芸は、ここ何十年か、いつかやりたいと思っていることなのです。



 田原は地元江別野幌の対馬賢二さんの作品が気に入りました。



>そうだといたしますと、私の最初の読みは誤読であったのでしょうか?



 そう思います。



>「folk craft」でしょうか?

>「fork art」でしょうか?



 本家「日本民藝館」のホームページを見る限りは、Folk Crafts ですね。



>⇒「相対的価値」を「水平」化する運動。



 すみません、意味がわかりません。



 田原にわかっているのは、柳宗悦さんに影響されて、田原のものの見方も

かわった、ということだけで、柳宗悦さんやその「運動」がどんなものであ

ったのかはよくはわかりません。



>むしろ、田原さんには第148段を、私には第113段を。



 こういうレスはうれしいなあ!



>田原さんが書いたように、”ただ「美」の種類が違う。”と判断するの

>は、どうか・と、思うのです。



 運動・思想がどうあれ、北大路魯山人と河井寛次郎のやきものが並んで

いたなら、ぼくには、それが同じ「美」には見えません。それだけです。

そういうふうに見えるということ。「論」をまたず。



>田原さん、朝日町では是非、漢さんと会って下さい。



 楽しみです。

 ご紹介よろしく。



●谷本一之『アイヌ絵を聴く』



 いいなあ。

 ハレさんも持ってるみたい。こないだのイヌイット交流会&札幌口琴会議

のとき、ちょっと紹介してくれた。





http://homepage2.nifty.com/yoro/